─愛しき人─
そこに広がる景色は、どこまでも続いている様にただただ果てしなかった。空の上とも霧の中とも思えるその世界はどこか神秘的にも見え、それと同時に不思議な安堵感を感じさせる何かがあった。
「しかし一体ここは……何処だ……?」
彼はそう言いながら周りを見渡す。
「でもなんか、落ち着くな……」
「マトリフ!いけませんっ!!!」
「……っ!!!?」
そう呼ばれて彼は振り返った。
「アバン……!?おめぇなんでこんなトコに……!!?」
「そんなことより、それよりは先には決して行ってはいけませんよマトリフ!!!」
そう言われて気付くと自分の意思とは関係なくその足はゆっくりとではあるが、確実に何処かにその歩を進めている。
「うぉっ!?い、いや!!そんなこと言ったってよ……足が勝手に……」
現れた友の姿と声に驚きながらも、やはりその足は止まることを知らない。
「マトリフ行くなっ!!!」
すると、今度は聞き覚えのある野太い男の声がする。
「お……!?お前はっ……!!
ロカ……っ!!!?」
見ると、そこにはずっと逢いたかった親友のロカが、その妻レイラと娘のマァムと共にその場で自分に強く呼び掛けている。
「ダメよおじさんっ!!そっちはダメ!!!」
「そうよ!!マトリフ!!!あなたなら!あなたなら!そんな誘惑に負けたりしないわっ!!!」
「マァム!!レイラ……!!お前らまで……そっか……ロカに逢えたんだな……それなら……俺はもう……」
彼は少し寂しそうな目をしながらもその表情には、心からの笑顔を浮かべていた。
「あなたには、まだやらなければならないことがある筈です!!マトリフ!!!」
「……?やらなければならない……こと……?」
彼はアバンの声に首を傾げる。
「愛する人を幸せにするという事を忘れてはいけません……」
「愛する……ああ……そうか…カイア……」
すると、彼の目の前に漂っていた霧が俄に動き出し、同時に強い風が吹いた。
「うおっ……!!?なんだ一体!!!?」
「負けるなマトリフ!!!」
「そうよ思い出してマトリフ!!!」
「おじさんっ!!!
まだ彼にはマトリフおじさんが必要なのっ!!!」
「……っ!?……彼……?」
その瞬間、そう叫ぶマァムの瞳から零れた一粒の涙が風に舞った。
やがて少しずつアバンやロカ達の声は聴こえなくなり、同時に吹き荒れていた強い風も止んでいった。
「ふうっ……なんだったんだ今のは……それに、アイツら一体……」
すると、彼はその背後に何者かの気配を感じた。
「誰だっ……!!?」
「マトリフよ……」
「バ、バルゴート師匠!!?そ、そんなバかな……!!?あなたがどうしてここにっ……!!!?」
「何してんだいっ!!マトリフ!!!!」
「お、お前……!!?カノン……お前まで……」
「その歩みを何故止められん」
「師匠……い、いやこれは足が勝手に……」
「なっさけないねぇっ!!!アンタならそんなのワケもないことだろうっ!!!」
「そんなこと言われてもよ……」
その歩みは、やはり留まる事を知らない。
「ワシが教えた事を一つ一つ思い出せ」
「し、師匠の……教え……?」
「アンタはまだこんなところでくたばっちゃいけないよっ!!!」
「え……!?……くたばる……俺が……?」
「はぁ~……そんなこともわかってないのかい!!?全く!!一時とは言えこんな情けない男に惚れてたと思ったら、こっちが恥ずかしくなるよっ!!!」
「お、おいおい……!!?そんな、昔の事を……!?」
「ああ、そうさ……昔の事さね……でもアンタはまた……手放しちまうのかい……?」
「カノン……」
「アンタを愛して涙を流させるのは、私だけにしときな……」
そう言うカノンの目は、遥か昔に見た憂いをそのまま映していた。
「マトリフよ……」
師バルゴートが口を開く。
「師匠……俺は……」
「道半ばの死を受け入れる事、それは真の強さにあらず」
「……っ!!?」
「生き抜く意思とはなんだ?マトリフよ」
「生き抜く意思……とは……」
「死を望むな!死を誇るな!!」
「俺は……俺は……まだ……生きていて良いのか……師匠!!俺はまだ……!!」
「当たり前だろうがぁぁ!!!」
「……っ!!!?」
彼の耳に、いや魂にその声は響いた。まだ幼い少年のなごりはあるものの、それでもその力強く叫ぶ声には大きな成長と頼もしさから来る魂の熱が感じられた。
そして、目の前にはその緑衣の大魔道士がいた。
「ポップ……おめぇ……」
「何が生きていて良いだ!!そんなの当たり前だろう師匠!!!」
「………」
彼は、ポップの強い言葉に何も返せず俯いている。と、いつの間にか勝手に動いていた足が止まっている事に気付いた。
「横暴で、自分勝手で、サディストで、ついでにスケベで!!でもなぁ!俺は!!いや、俺達は!!まだアンタにいなくなって貰いたくねぇんだよっ!!!!」
「ポップ……」
「アンタは俺の師匠だろ?世界一の大魔道士だろ?まだまだ教えて貰わなきゃならねぇことがたくさんあるんだよっ!!!!俺の師匠なら、情けねぇこと言ってんじゃねぇ!!!この!!!!
クソジジイーー!!!!!」
目の前の愛弟子はその師である自分に対しておおよそ尊敬や敬意などは欠片も感じられない程の言葉で強く罵って来る。
しかし、それでも彼は……
マトリフは口許を嬉しそうに歪めて言った。
「ケッ……!!おめぇみてぇなつい最近までヒヨコだったクソガキにそこまで言われるたぁな……」
「ああ、そうだぜ!!」
「そうだマトリフ」
「バルゴート師匠……」
「ふんっ!やっとアンタらしくなってきたねぇ……」
「カノン……」
「マトリフあなたには、まだ使命があります!」
「アバン……」
「俺が知ってるお前は、こんなとこで終わる様なヤワなジジイじゃねぇ筈だぜ!」
「ロカ……」
「あなたは絶対に死の誘惑なんかに負けないわ!」
「レイラ……」
「おじさんの強さは私達がよくわかってるもの!」
「マァム……」
そして……
「師匠……みんな待ってるぜ………
それによ……本当は……聴こえてたんだろ?」
「え……?」
(「マトリフ!!!!
マトリフ!!!!!」)
(「マトリフ殿っ!!!!!」)
その時、マトリフの耳には確かに自分の名を呼ぶカイアとブロキーナの声が聴こえた。
「へっ……!まぁな……やっぱ帰らねぇとな……アイツ等のトコへ!!!」
その瞬間……!目が眩む程の強烈な光がマトリフを襲った。
「なっ……!!なんだっ!!!?」
ーーーーーーーーーーーーー
「マトリフ!!マトリフ!!お願い目を覚ましてマトリフ!!!」
「ん……うぅ……」
「……っ!!!?マトリフ!!!」
「カ……カイア……俺は一体……」
マトリフが目も眩むほどの強烈な閃光の後に目にしたのは、愛する人の美しい涙だった。
そして……気付くとマトリフの身体には不思議な光が充てられていた。
「こ、これは……っ!?ザオリクの光かっ……!!?」
「いや……残念だが私とてザオリクの様な高等呪文は扱えない、でもザオラルならずっとあなたに掛け続けていたわ……」
「そうか……すまねぇな………おかげで帰ってこれたぜ……」
「マトリフ……」
カイアは涙を溢しながらマトリフを抱き締めた。
「本当に良かった……」
「う……うぐ……っ!?
カ……カイア……」
「……っ!?どうしたのっ
……マトリフ!!」
「お、お前の……胸で……死んじまうよ……」
「あ……っ!!
ご、ごめんなさい!!!」
カイアがいきなりその豊満な胸で抱き締めた為、マトリフは窒息しそうになった。
「ヒヒ……ま、まぁおめぇの胸で死ぬのも悪くねぇケドな♪」
「バカ!もうっ!!本当に心配したんだから!!」
「ワリィワリィ……さて、んじゃそろそろブロキーナの加勢にいくぜ!!」
そう言うと、マトリフはゆっくりと立ち上がる。
「大丈夫?まだ動かない方が……」
カイアはそう心配そうに告げるが、マトリフはニヤリと笑って傷のあった胸元を指差す。
「みてみろよホラ!」
「えっ!?あの傷が……完全に塞がってる!?」
「おめぇの回復呪文がしっかり効いてたのさ……まぁ普通は死んじまった身体にはベホマなんかの回復呪文は効かねぇ筈だけど、おそらくザオラルの力も合わさって、普通ではあり得ない事が起きたのかも知れねぇな……俺がさっきザオリクの光だと思ったのもその所為さ」
それはマトリフも、そしてカイア自身も初めて経験する一つの奇跡だった。
マトリフの言うように通常ホイミ等の回復呪文はその回復させる対象の身体に一定の生命活動が確認されなければその効果はない。何故なら回復呪文はあくまで身体が自然治癒する効果を促進させる力であり、回復呪文そのものが回復の力を持っている訳ではないからだ。
しかし、この時のマトリフは自分の身に起きたもう一つの奇跡には、気付いていなかった。そして、それは人知れずこの地より遥か遠くのランカークスで起きていた。
月明かりが机上の開かれた魔導書を相変わらず照らしている。しかし、そこには先刻まで白紙だったページにびっしりと何やら文字が記されていた。
と、不意に夜空の月が、流れて来た雲に隠れる。そして次の瞬間には、不思議な事にもうその魔導書は元あった様に静かに閉じられていた。
そうしてランカークスの夜は何事もなかったように静かに更けていく……
若き大魔道士の安堵する寝顔と微かな笑顔と共に……
今回の解呪の洞窟編において、改めてマトリフの事を掘り下げる作業をしながら物語を進めて来ましたが、やはりマトリフというキャラも本当に魅力的な存在だと再認識しました。世界一の大魔道士という立場に相応しくあらゆる呪文、魔法に長けている強さはもちろん、普段は読者サービス担当の彼ですが決める時はしっかりと決めるところもまた良いんですよね。しかし、今回はあの世にいく過程で彼の弱さを敢えて表現することで、彼を取り巻く仲間達との絆も改めて確認させたいと思い、このような展開となりました。夢想魔法という神の涙に代わる新たな奇跡の力ではありますが、今後も大事な場面では登場するかと思います。乱発はしませんケド……(^_^;)