アストロツイン   作:山田甲八

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この物語は架空のものであり、登場する人物、団体、場所、施設名等の固有名詞はたとえ実在のものがあるとしてもすべて架空のものとして描かれている。



一 面談

 四月六日、火曜日の小田急線経堂駅前のハンバーガーショップ。

 蓬田百合花は二階のハイカウンターの席に一人座り、男の到着を待っていた。時計はもう少しで約束の午前十一時ちょうどを迎える。

 この時間がチョイスされたのはモーニングが終わり、ランチタイムの前で店内はガラガラだろうと考えたからだ。

 場所も家の近所の下北沢ではなく、学校のある下高井戸でもなく、家と学校を結ぶ井の頭線の沿線でも京王線の沿線でもなく、ここ経堂が選ばれたのはこれを密会であると考えたからだ。

 しかし、密会の割には、百合花は素顔丸出しで、高校の制服を着ている。まだ、世間は春休みだったが百合花はこの後、学校に行かなければならなかった。入学式の準備に駆り出されているのだ。

 それに今日、初対面の男に自分がすぐに分かるような工夫も必要だった。この制服を着ているということをその男には伝えてある。

 初対面だから百合花は男の顔を知らない。それでも年恰好が自分の父親と同じくらいであることは分かる。

(「パパよりもイケてるだろうか?」)

 百合花はそう考え、刹那にそれを否定した。

 パパよりもイケているわけがない。イケていたら奥さんに逃げられたりはしないだろう。そう思って今度は禿げ上がった頭髪を空想してみた。

 これから会う男は本当の百合花を知らない。百合花の方は男のことをよく知っている。よく知っているというよりも研究してきた。

 百合花が男の存在、そしてその前提となるパパの異変に気付き始めたのはちょうど一年前の今頃だった。女は男よりもはるかに敏感な生き物だ。その敏感さは、百合花のように高校三年生にもなれば十分に身についている。あるいは百合花はその人生の中で最も多感な頃を過ごしている。

 パパの変化に不信感を抱いた百合花はパパのスマホと呼ばれる高機能の携帯電話をのぞいてみた。スマホはパスワードでロックされていたが、それを解除することは簡単だった。なぜなら、パパは娘にパスワードが娘の名前と誕生日の組み合わせであることを何度も口にしていたから。

 パパのいない隙をみて、百合花は認証画面にyurika0518と打ち込んでみた。画面が開くのは一瞬だった。

 百合花はメールフォルダを開けた。そこには膨大な数の、ママではない女性との送受信記録が残されていた。LINEも開けてみた。LINEも同じだった。

 内容も過激で、インターネット検索で調べなければ意味が分からない言葉も使われていた。メールをチェックした百合花は数日間「軽い」うつになるくらいの衝撃を受けた。

 それでも立ち直りは早かった。

 百合花はパパもママも大好きだ。でも、どちらかを選べと言われればママを選ぶ。ママに代わって自分が、本来ならばママがやるべき何かをしなければならないと、そう百合花は感じていた。

 百合花の考えた作戦は単純だった。パパの不倫相手の夫に会い、すべてを暴露する。そうすれば後は自動的に因果関係が進行して問題は解決するだろうと考えた。

百合花がパパに話したところでパパは相手にしないだろう。より狡猾になるだけのことだ。ママに話すと事態はもっと悪くなるだろう。ママを追い詰めてしまうかもしれない。しかし高校三年生の百合花が自分だけの力で解決できる問題でもない。大人の力が必要だ。その大人は不倫相手の夫が、一番手っ取り早かった。

 不倫相手を特定することも、その夫を特定することも他愛無かった。そこは高度情報化社会。世の中は不必要な情報に満ち溢れている。そのいくつかを組み合わせれば本当に必要な情報に化けたりするのだ。

 パパの不倫相手の夫はファイナンシャルプランナーという仕事をやっていて、自前のホームページも持っていた。その「辛口財産診断所」という少し過激なホームページでは連絡先のメールアドレスも載せられていて、百合花は大学を目指す、それでいて学費が心配な一高校三年生として相談のメールを送った。何回かのメールのやり取りがあり、今日の面談が実現した。

 

 時計が午前十一時を指すと同時に、一人の男が階段を昇ってきた。百合花は男と視線を合わせ、軽く頷いた。男も頷き、ハイカウンターの百合花の隣に座った。手にはストローの刺さった使い捨てのコップが握られていて、百合花はストロベリーシェイクだろうと理解した。

「蓬田さんですね?」

 男の声がした。百合花はもう一度頷き、男を観察した。

 男はいかにも安物の吊るしを身に着けていた。ネクタイは近所のスーパーで買った一本、千円のものだろう。この男の妻がこの男からパパにチェンジした理由が分かるような気がした。

 男は黙ったまま、握った紙コップをハイカウンターの上に置き、上着のポケットから名刺入れを出して一枚の名刺を百合花の目の前に置いた。

 

辛口財産診断所

 一級ファイナンシャル・プランニング技能士

 諏訪幸司

 

 名刺はそう語っていた。

 百合花は男を見た。想像と異なり、男の頭髪は保たれていた。

「はじめまして。蓬田百合花といいます。スミマセン。私、名刺を持っていないので」と百合花。

「まだ高校生なんだから持ってなくて当たり前じゃないのかな?それとも今どきの女子高生は名刺を持ってる方が普通なのかな?」と男。

 百合花は男ともう一度視線を合わせ、深呼吸した。

「それと、ごめんなさい。もう一つ、謝らなければならないことがあるんです。……私、嘘をついていました。本当は、相談したいことは学費のことじゃなかったんです」

 百合花がそう言うと男は一瞬、緊張した表情になった。百合花が続けた。

「諏訪さん。初対面なのにこんなことをいきなり言ってごめんなさい。お話ししたいことは……奥様のことです?」

「…妻のこと?」

 男は怪訝そうに言った。

「ビックリしないで聞いてください。…そのっ、…奥様、……不倫しているんです。…そして、…その相手は私のパパ」

 百合花が言うとしばらく沈黙の時間が流れた。

 男は周囲を気にした様子を見せたり、持ってきたシェイクをいじったりした。そして、もう一度百合花を見た。

「そういうことだったのか」

 男は静かに言った。

「ごめんなさい」

「……それで、君はどうしたいっていうんだい?」

「それを相談したいんです。ですから今日、時間を取っていただきました」

「何か希望はあるのかな?」

 男は百合花が拍子抜けするほど冷静だった。

「……希望って?」

「どうしたいのかってことだよ。僕は君の真意が分からない。なぜ僕にそれを告げたのかも分からない。あなたの奥さんはパパがもらうから奥さんのことはもう諦めてくれって言いたいのかな?それともあなたの奥さんがパパのことを誘惑して困るからキチンと監督してくれって言いたいのかな?そのどっちかなんだろうけど、僕を呼び出したってことは僕に何かを望んでるんだろ?」

 そう言われて百合花は少したじろいだ。百合花の言ったことに衝撃を受け、涙の一つでも流すのかと思っていたからだ。百合花はもう一度深呼吸した。

「スミマセン。どうしたいかって言われると、奥様をパパから引き離したいに決まっています」と百合花。

「しかし、それは大人の理屈だ。君が干渉することでもないと思うけど。君のパパも僕の妻も大の大人。自分の責任で行動しているはずだ」と男。

「どうしてそんなに冷静でいられるんですか?それが私にはビックリなんですけど。知っていたんですか?」

「それを君に答える義務はない。それに、今日、僕はまったく別のことを考えていたんだ」

「別のこと?」

「そう。女子高生にすぎない君が学費の相談とかいって見ず知らずの僕に会おうとするのはあまりにも不自然だ」

「そうかもしれません」

「だから、僕はJKビジネスの延長かと思って今日、ここに来たんだよ」

「JKビジネス?」

「少し難しい言葉だったかな。援助交際とでも言えば分かりやすいかな。つまり君の関心は金銭で、僕からそれを巻き上げ、君は君が持っている何かを僕に差し出す。そういうことなんだろうと考えていたんだ」

 それを聞いて百合花はなるほどと思った。自分が目当てでこの男がやって来たというのであれば理解もできる。妻には相手にされていないのだろうし、寂しくはあるのだろう。もしこの男に抱かれるというのであれば、自分の趣味とは真逆ではあるが、それはそれでパパへの復讐にはなるのかもしれない。世界で一番大切にしている娘が不倫相手の夫に抱かれるのだ。父親としてとてつもなく面白くない状況には違いないだろう。

 百合花が黙っていると男はもう一度上着のポケットに手を入れ、再び名刺入れを取り出し、その中から一枚の紙を取り出してハイカウンターの百合花の目の前に置いた。

 

 北沢警察署 生活安全課

 警部補 鈴木義信

 

 そう語る名刺をじっくりと見た百合花はゆっくりと顔を上げ、男と目を合わせた。

「僕の方も謝らなければならない。僕も嘘をついていたんだ。僕は諏訪氏ご本人じゃない。そこに書いてあるとおり北沢警察署の生活安全課のお巡りさんだよ。諏訪さんに今日のことを相談されてね。JKビジネスだと思うけど、もしそうなら適切に対処するべきだって言われたんだよ。君が悪いことをしているのなら警察官として適切に対処しなければならないと思っていたけど、しかし、もっと深刻な問題があったんだね。残念ながら警察は民事不介入が原則なので君の相談に乗ることはできない。それにこれは警察官としてではなく、人生の先輩として言うけど、不倫相手の夫に直接相談するのはあまりにも性急過ぎてお勧めできないよ。やはりお母さんとか、せめて学校の先生とかに相談するべきじゃないのかな。まあ、今日のところは諏訪さんご本人に会わなくて良かったと思ってよ。名刺は置いていくからなんかあったら連絡ください。生活安全課の、そういうのが得意なスタッフもいるから。家出少女の相手とか。家庭内に問題を抱えている子は少なくないから。適切に対応させるから」

 男はそう言うと、持ってきた紙コップを握り、ストローを一啜りして立ち上がった。

「あの~」と百合花。

「ん?」と男。

「諏訪さんには今日のこと、お話しされるんですか?」

「さっきも言ったとおり、警察は民事不介入だ。だから、諏訪さんには予想どおりJKビジネスだったけど、初めてだったので厳重注意の上、帰宅させたと報告しておくよ。パパの不倫のことは内緒にしておく。それともう一言、ついでに君に警告しておこう。大人の事情に首を突っ込まない方がいいと思うよ。君が傷付くだけだ」

 男はそう言うと百合花に背を向け、階段を降りていき、もう百合花を振り返ることはなかった。

 広い店内に取り残された百合花はしばらく呆然とした。そのうち涙も流れてきたが拭くこともできないくらいの疲労感が襲っていた。

 どのくらい時間が経過したのか百合花自身は分からなかったが、スマホがLINEメッセージをキャッチしたその着信音で百合花は我に返った。スマホを覗くと幼馴染の伊波龍一からだった。

 

りゅうちゃん【面談はどうだった?】

りゅうちゃん【こっちは散々】

 

 保育園からずっと一緒に歩いてきた龍一にだけは今日のことを伝えてある。

 百合花がどう打ち返そうか考えているとすぐに次のメッセージが来た。

 

りゅうちゃん【相談したいことがあるんだけど今日会えるかな?】

 

 百合花が我に返り、打ち返す。

 

                         ゆっぴい【これから学校】

                         ゆっぴい【入学式の準備】

                         ゆっぴい【五時頃ならOKかな】

                         ゆっぴい【面談は失敗】

                         ゆっぴい【後で話す】

 

 スマホが次のメッセージを受信する。

 

りゅうちゃん【じゃあ五時に明大前のMACで】

 

                         ゆっぴい【りょ!】

                         ゆっぴい【相談て何?】

 

りゅうちゃん【今日の三者面談】

りゅうちゃん【学費のことで悩みが出た】

 

 百合花はもう打ち返さなかった。頭の中でひらめくものがあった。目の前には北沢警察署の名刺ともう一つファイナンシャルプランナーの名刺がある。龍一が経済的に苦しい状況に置かれていることは昔から知っているから龍一にこの名刺を預け、そのFPと面談させればきっかけはつかめるのではないか。

 そう考えると百合花は少し落ち着き、ファストフード店を出て高校へと向かった。

 

 京王線、下高井戸駅近くの都立高校。

 とある三年生の教室の中では進路指導担当教諭の無機質な声が聞こえる。

 

 ……今日はそんなに難しく考えなくてもいいよ。

 まだ、三年生の春休みだからね。

 進学か就職か、それが決まっているだけで今はいい。

 でも、うちは、レベルはそんなに高くないけど一応、進学校だから。

 今から就職希望だとちょっと肩身が狭いかもね。

 将来の夢というか、なりたい職業はあるのかな?

 医者?なんでまた?

 そうか。幼馴染の実家がお医者さんで子どもの頃から憧れていたってことか。

 でも、今の君には難しいね。

 君は教育支援給付金の十一万八千円を受け取っているのかな。

 先生はそういうことを聞かされてはいないんだよ。

 まあ、事実はどうでもいいけど、もし受け取っているのなら医学部は難しいよ。

 そう、私立はもちろん、国立でも医学部はお金がかかるんだ。

 そりゃあ、防衛医科大学校のようなところもあるけど、偏差値七十五が必要だよ。

 模擬テストを受けたことは?

 ないのか。

 うちの高校、毎年、国公立には一人行くか行かないかで、行かない年の方が多い。

 もちろん、私立はお金がかかる。

 奨学金?私立の医学部だと数千万円はかかるから奨学金だけじゃ無理だよ。

 それに国公立はもちろん、私立でも医学部は人気でレベルが高いから。

 言葉だけじゃ説得力がないから表を見せてあげよう。

 これが私立大学医学部の合格者平均偏差値のランキングさ。

 これはコピーだから君にあげるよ。

 もちろん国公立はこれをはるかに上回ることになる。

 医療に興味があるのは素晴らしいことだよ。

 でも、別に医学部でなくてもいいんじゃない?

 看護学部とか、看護なら専門学校でもいいしね。

 そうすれば学費も節約できるよ。

 もう一年は切ってしまったけど、じっくり考えるしかないね。

 それと、進学するならどこに行くにせよ勉強は必要になるからしっかりね。

 お母さんは何かご意見とかご質問ございますか?

 そうですか。まあ、まだ先は長いですから、何かありましたら。

 今日はお忙しいところご足労いただきありがとうございました。

 

 三者面談を終えた伊波龍一はママの穂香と一緒に学校の敷地を出た。足取りは重い。

 結果は相当程度予想していた。この母子家庭には金銭的な余裕がなく、最初から学費の話になることは分かっていた。

 下高井戸の街を歩く龍一は穂香にファミレスでの一服を提案したが、穂香は刹那に断った。

 龍一はとにかく疲れていて、どうしても一息つきたかったので自分がご馳走するからと言うと穂香は手のひらを返したように付いてきて、さらに安いファミレスにしては高価格帯に位置するメニューを注文した。

「何か感想はある?」と龍一。

「感想って?」と穂香。グラスのコーラをストローで一啜りした。

 ご馳走してもらえるからなのだろうか機嫌が良い。龍一はさらに不機嫌になった。

「今日の、三者面談の感想に決まってるだろ?他に何かあるのかよ」

 龍一は怒った口調で言ったが、穂香には効果がない。それはこの十七年間の二人きりの生活で身に染みて分かっていた。

「ま~、りゅうちゃんそんなに怒らないで。穂香悲しくなっちゃうから」

 穂香は自身が演じているアニメの癒し系キャラのボイスで言った。龍一はため息をついた。

 龍一は産まれてから十七年間、この生命体とときを過ごしてきた。

 父親のことは知らない。保育園以来の付き合いである百合花に父親がいることは物心つく前から知っているから、世の中に父親というもう一つ別の生命体が存在することは理解している。

 オスとメスが出会わなければ自分が産まれてこないことも学習したし、父親に興味を持った時期もあった。しかし、穂香に聞いても「無精生殖だった」とかわされ、余計に傷つけられるだけだったのでもう何年も父親のことは考えないようにしている。

「学費の話が出たよね?」と龍一。

「今はやめようよ」と穂香。

「今やらなかったらいつするんだよ?てか、俺の進路のことなんか興味ないよね?」

「興味深くはあるよ。かわいい一人息子のことだからね。でも、あたし、正直、よく分からないから。高校受験のときも先生にお任せだったし」

 そう言われて思い当たる節はあった。穂香はいつも自分のことに一生懸命で、龍一に構っている余裕はない。一方、百合花のママは百合花をとても気にかけているので、行事なんかは、学校行事も、クリスマスなどの学校外の行事も、いつも百合花、そして百合花のママに引っ張られる形でこなしてきた。

 百合花とは保育園、小学校、中学校が同じだったので中学まではそれでもなんとかなった。しかし、高校は別々になってしまったのでもう龍一は百合花のママを頼ることはできず、自分のことは自分でせざるを得なくなってしまっていた。

「先生っていうより、ゆっぴいママにお任せだったんだろ?高校受験は」と龍一。

「まあ、そうとも言えるけど」と穂香。

 ここで何か言い返してくれれば喧嘩になって、本気で言い合えるのかもしれない。しかし穂香は何も言い返さず、そのことで龍一はいつも欲求不満だった。

「分かってるならいいけど。で、当然、理解できると思うけど、高校は別々になったからゆっぴいやゆっぴいママの力は使えない。どうせゆっぴいは付属だからそのままエスカレーターだし。上の大学には医学部もあるしね」

「じゃあ、りゅうちゃんもそのエスカレーターに乗せてもらえばいいんじゃない?」

 それを聞いて龍一はもう一度深いため息をついた。

「受験のシステムを何も理解してないね?」

「まあ、あたしはこの世界しか知らないからね」

 穂香は声優を生業としていた。それでもそれだけでは食べては行かれないので色々とアルバイトはしているが、本業が声優というプライドは強く持っていた。

だからアルバイトは最小限にとどめているし、声優業優先で、本業に差し支えるような生活もしていない。

 高校生になると当然のように龍一もアルバイトをするようになった。普通の、どこにでもいるような都立高校生ならば自分の小遣い稼ぎのためにアルバイトをして、渋谷や新宿で楽しく遊んでいるのだろう。しかし、龍一は学業に必要なお金も自分の財布から出しているし、今日のように母親にご飯を食べさせたりもしているのだ。

 龍一はそういう生活があたり前であり、百合花のような家庭が特殊だと思っていた。穂香が続けた。

「りゅうちゃんも大学とか難しいこと言ってないでこの世界に入ればいいじゃない。どうせ二次元の住人でしょ?」

 ママの影響で龍一も小さい頃から漫画やアニメに親しんできた。だから、「二次元の住人でしょ?」と言われるとそのとおりではある。

「もう貧乏からは脱出したいよ」

「だから医学部に行きたいとか言ったのね?」

「ゆっぴいみたいな生活に憧れはある」

「じゃあゆっぴいと結婚すれば?逆玉だよね。いいじゃない。仲良しなんだし。相思相愛でしょ?」

 百合花は両親が医者だし、本人もいずれは医者になるのだろうから結婚すれば逆玉には違いないのかもしれない。しかし、龍一の求めていることはそんなことではない。自分の力で前に進みたいのだ。穂香が続けた。

「ああ。でもそれは世間が認めないか。誰がどう見てもデコボコだもんね。でも、人間ハートだし、二人が納得すればそれでいいんじゃないかな」

 穂香の言うことを龍一は理解できたし、それはいつも意識している。しかし、それはすべてを兼ね備えた百合花への憧れのようなものであり、コンプレックスであるとは思っていない。

「確かにゆっぴいはモデル体型でりゅうちゃんはちんちくりんかもしれないけど、いつまでもそれが続くわけじゃないし、ゆっぴいもいずれはおばさん化していくんだろうからね」

 穂香が相変わらずの癒し系ボイスでさらに続けた。龍一はまともに会話をするのを諦め、スマホを取り出し、ママのことは無視するように百合花にLINEメッセージを打った。

 

          りゅうちゃん【面談はどうだった?】

          りゅうちゃん【こっちは散々】

 

 幼馴染の百合花が今日、パパの不倫相手に会うことは聞かされていた。

 共に一人っ子の龍一と百合花は保育園で出会ってから今日まで、双子のように育ってきた。その関係は思春期になっても変わることはなかった。

 既読にはなったが反応がなかったので、龍一はすぐ次を打った

 

          りゅうちゃん【相談したいことがあるんだけど今日会えるかな?】

 

 ほどなく返事が来た。

 

ゆっぴい【これから学校】

ゆっぴい【入学式の準備】

ゆっぴい【五時頃ならOKかな】

ゆっぴい【面談は失敗】

ゆっぴい【後で話す】

 

 龍一が打ち返す。

 

          りゅうちゃん【じゃあ五時に明大前のMACで】

 

ゆっぴい【りょ!】

ゆっぴい【相談て何?】

 

          りゅうちゃん【今日の三者面談】

          りゅうちゃん【学費のことで悩みが出た】

 

 百合花から返事はなかったが龍一は心なしか落ち着き、再び穂香と向き合った。

「ところで、今度はどんな仕事を抱える予定なの?」と龍一。

「聞きたい?」と再び癒し系ボイスの穂香。

「聞いてあげるよ」

 龍一が言うと、穂香は堰を切ったようにしゃべり始めた。原作の漫画のこと、オーディションのこと、自分がどれだけ苦労してその役を勝ち取ったかということ……。

 声優は超がつくほど人気の職業だ。きっと医者以上だろう。声優に憧れている若者は多く、そのための専門学校や養成所は高額な学費にもかかわらず人気が高い。

 人気作品の主役級をいくつかこなしてきた穂香は人気声優の部類に入っている。世間の誰しもが知っている存在ではないが、秋葉原のその方面の領域に行けば、知らない人を探す方が難しい。

 昔は、声優は声の専門職であり、七色の声を自由に操ることができればその職は務まっていた。しかし、インターネット動画が普及した昨今、二.五次元という世界が生まれ、声優も表に顔を出すようになってから久しい。声優もビジュアルが要求される時代になったのであり、見てくれが悪い声優は、少なくとも若者をターゲットにする作品では主役級を演じることはできなくなった。

 穂香の、そのソバージュやネイルやつけまつげに彩られたビジュアルが高校三年生の息子の存在を想像させることはない。

 元来、二次元の住人である龍一にとってはそんなママの存在が誇らしくもあった。小さい頃はアニメのキャラクターを指さし、「この声、ママがやってるんだ」と友達に自慢したこともあった。

 しかし、声優がいかに憧れの職業だったとしてもその人気と収入は比例しない。いや、比例はするのだが、Xの係数が明らかにコンマ以下なのだ。声優に限らず、アニメ業界の住人は同じような境遇なのかもしれない。好きでなければとてもやっていかれない。

「今日の晩御飯はどうするの?」

 一通り話を済ませた穂香は一息ついて、母親のボイスに戻り言った。

「夕方、ゆっぴいに会う約束なんだ。だから晩はマックかな。適当にやるよ」

「そう。ねえ、りゅうちゃん。前にも聞いたと思うけど、ゆっぴいとはお付き合いしてないの?」

「前にも言ったと思うけど、お付き合いって彼女か?ってことでしょ?」

「まあ、そういうことになるね」

「じゃあ答えはノーだよ。確かに俺はゆっぴいとはよく会って、話もするし、遊びに行ったりもするけど、二人が恋人同士かっていうとそんなことはないよ。ただの幼馴染だよ」

「そこがよく分かんないんだよな~。幼馴染だって言われれば保育園から小学校、中学校って一緒でお互いの家を行き来してたんだからそのとおりなんだろうとは思うけど、でも保育園や幼稚園や、あるいは小学校の一、二年生では仲良しでも、周りに冷やかされたりして男女の仲って終わっちゃうんじゃないの?」

「…普通はそうかもしれないけど、ゆっぴいと俺は誰かさんのせいでとても濃い付き合いだったんだよ。双子みたいに育てられたから、それが続いているんだよ。それに…」

「…それに?」

「ゆっぴいはハッキリ言って俺のタイプじゃないんだ。背の高い子は生理的に駄目なんだよ。だから彼女にはならないよ」

「なにおバカなこと言ってるの。あんなモデルさんみたいな子が一緒に遊んでくれるだけでも奇跡なのに。それとも、…りゅうちゃんには他に好きな女子がいるってこと?」

 穂香は癒し系ボイスにチェンジしていたずらっぽく聞いた。

「さあね。たとえそうだったとしてもママには言わないと思うよ」

「ねえ、誰?あたしの知ってる子?」

 穂香がそう言うとようやくランチが運ばれてきて穂香の注意がそっちに向かった。

 

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