アストロツイン   作:山田甲八

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十二 旅立ち

 それから一ヶ月と何日かが経過した三月の午後、諏訪は百合花と向き合った同じ事務所の中で今度は穂香の襲撃を受けていた。それが襲撃といえればだが。

「……結局、龍一君をダシにしてますけど、今日、ここに来た理由は純粋に穂香さんの個人的な理由ということですよね?」と苛立ちを隠さない諏訪。

「まあ、そう言われるとそうなっちゃうかな。でもいいじゃないですか。りゅうちゃんのもやってくれたんでしょ。確定申告」とキャバ嬢ボイスの穂香。二人は事務所のテーブルを挟んで向かい合って座っている。

「龍一君は僕の大切なクライアントですよ。でも穂香さんはクライアントの親御さんかもしれないけどクライアントではない」

「ケチ臭いこと言わないでくださいよ。何でしたっけ?…電子申告?何かボタンをポチって押せば一秒くらいで申告できちゃうんでしょ。りゅうちゃんに聞きましたよ。あっけないくらいに簡単だったって。それあたしにもやってくださいよ。そのポチってやつを」

「そんなに簡単に言わないでくださいよ。確かにボタンを押せば一秒かもしれないけど、それまでの準備が大変なんですよ。それに僕は今、とてつもなく忙しいんです。今が何月何日何曜日の何時何分か分かってますよね?」

「それはもう」そう言って穂香はスマホをチラッと確認し「三月十四日月曜日の午後三時二十一分三十六秒で~す」と今度は女子高生ボイス。「そう言えばホワイトデーですよね。今日。りゅうちゃん何くれるかなあ」と同じボイスで付け加えた。

「僕はFPがメインですけど税理士業務もやっているんですよ。明日が個人の所得税の申告期限です。忙しいのは分かるでしょ?」

「それは分かってます。だから今日来たんじゃないですか。明日じゃさすがに諏訪さんに悪いなあと思って」と今度は妹系ボイス。

「ベルサール渋谷ファーストに行ってくださいよ。ご存知でしょ?税務署が開設してる申告書の相談会場。今からならまだ間に合いますよ」

「ああ、あそこには行ったんですけど、ムリムリムリムリ。すごく混んじゃって。あたしのイベントよりも混んでた。スーパーアリーナみたいでしたよ」

「それに見たところ帳簿はつけてないようですね。もちろん決算書の作成なんてまだなんでしょうけど」

「でも、領収証はちゃんととってますよ。穂香ちゃん几帳面だから」

 穂香はそう言って紙袋の中身を諏訪に見せた。袋の中には領収証やレシートの類がごちゃごちゃに詰められている。諏訪はそのうちの一枚を手に取った。

「これ何ですか?」

「これは、見て分かりません?パスモにチャージした時の領収証ですよ。あの、券売機から出てくるやつ。交通費は当然、必要経費でいいですよね?」

「そんなことは分かります。僕が聞きたいのは日付ですよ、日付。三年前のじゃないですか。こんなのを昨年分の確定申告の必要経費に入れるつもりなんですか?」

「あ~っ、怖。税務署の人みたい」と今度はバーのママのボイス。諏訪は大きくため息をついた。

「どのみち、今から頑張っても申告期限の明日には間に合いませんよ。僕がこれから徹夜でやってもね」

「そんなあ。あたしを見捨てないでください。もう諏訪さんしか頼る人がいないんです」と今度は試験で赤点を取ってしまった少女のボイス。諏訪はもう一度ため息をついた。

「別に穂香さんをいじめるつもりはありませんよ。ただ今日は個人番号の通知カードも持ってきてないですよね?」

「通知カード?なんでしたっけ?」

「じゃあどだい今日の申告書提出は無理です。申告書にマイナンバーを記載しないといけないんですよ。分かりますよねマイナンバー」

「なんか区役所から手紙が来ていたような。でもどこいったんだろう。分かんないや」

「通知カードは送られた時と同じ状態で龍一君が大事に管理してますよ。だから龍一君の確定申告はできたんです。通知カードは同じ封筒に世帯分送られてくるから穂香さんのカードもその封筒の中にありますよ。だから龍一君に聞けば分かります。でも今、ここで番号が分からないのでは今日の提出は無理ですよ」

「じゃありゅうちゃんにメールかなんかで聞けば?」

「現物で番号確認をしないといけないんです。だから無理です。あきらめてください」

「じゃあどうすればいいんですか。あたしは」

「まあ明日の申告期限には間に合いませんけど、せっかくここまで来ていただいたんですからプロとして少しは役に立つアドバイスはしてあげましょう。ざっと見たところ、源泉徴収税額が多くて還付申告になるみたいだし、青色申告はしてませんよね?」

「ええ。お友達の中には青色申告してる人はいるみたいだけど、青色申告ってそもそも何のことやら穂香ちゃんにはさっぱり」と再び妹系。

「期限内に無理して申告することはないですから、十五日過ぎたら税理士を探して相談するのがいいと思います」

「あれ、十五日までじゃなくていいんですか?」

「もちろん十五日が申告納期限ですけど、今の穂香さんには申告期限を守らなかったからって、それによってそんなに過酷なペナルティが課されることはないということです。加算税だとか延滞税だとか青色申告取消だとか。だから十五日過ぎたら、色んな所で無料税金相談とかやっているでしょうからそこで相談されるといい。とにかく今、ここで無理にとんちんかんな申告をするよりも、期限後になってもいいからじっくりと正しい申告をした方がいいということです」

「諏訪さんはやってくれないんですか?」

「やってもいいですけど、僕の場合は無料というわけにはいきません。商売ですから。それに僕の顧問料は安くはありません。穂香さんには払えませんよ」

「ケチ!」と再びキャバ嬢ボイス。

「金銭感覚があると言ってくださいよ。もっとも僕は他の人のお金を預かる身。金銭感覚がない方がどうかしてると思いますけど。気前がよくてお金の使い方のルーズな人間が大切な息子さんの財産を管理しているとしたら穂香さんだって嫌でしょう?」

 諏訪はそう言って穂香がテーブルの上に広げようとした領収証やレシートを紙袋に戻し、立ち上がって座っている穂香の膝の上に置き、入り口のドアを開けて手のひらを差し出した。

「それと、申告期限に間に合わなくてもいいって言いましたけど、そんなに遅くはならない方がいいとは思います。都の住宅局が都営住宅の家賃の件で課税資料を求めてくるでしょうから」

 言って諏訪は穂香に早期退出を促した。穂香は諦め顔で軽く深呼吸し、立ち上がった。

「まあ、明日中にやらなくてもいいって聞けたことは良かったです。…また来ます」と今度は母親ボイス。

「僕より優しい税理士はたくさんいますよ」

 そう諏訪が言って穂香が事務室から出て行くところを見送ったところで、穂香は不意に振り返り、諏訪を見た。

「それと、もう一年たつんだからいい加減に呼び捨てにしてくださいね。さんづけじゃなくて。それに穂香ちゃんですます調だとうまくしゃべれないから」

 再び妹系ボイスでそう言うと、諏訪に背を向け、諏訪の視界から消えていった。

 

 三月二十六日の朝八時頃、出発の準備を整えた龍一はダイニングチェアに座り、広くなった部屋を見回していた。今日、午前の便で羽田を発つ。しばらくは東京の地を踏む予定はないし、そのつもりもない。

 これまでこのダイニングキッチン、そして自分の部屋を占拠していたおびただしい数の漫画やDVDは数日前に引っ越し業者が運んでいった。自分のモノがないとこの部屋は実はこんなに広かったのかと龍一は感心させられた。

 不意に穂香の部屋でガサゴソと人の動く音がして引き戸が開き、まだ眠そうな穂香が現れた。

「も~っ、起こしてよ」と眠そうな地声の穂香。

「寝てていいのに。昨日も夜、遅かったんだろ?」と龍一。

「一人息子が羽ばたいていくのに見送りくらいさせてよ」

「じゃあ羽田まで来る?」

「…ああ、やっぱりいいや。まだ眠いし。でも玄関で見送るくらいはいいでしょ?」

 穂香は母親ボイスでそう言うとダイニングテーブルの龍一の対面に座った。

「寂しくなるね」

 穂香はしんみりと言った。

「それはゆっぴいママも一緒でしょ。寂しい二人でワイワイやればいい」

「二人して酒に溺れたりして。空の巣症候群。この家ってこんなに広かったんだね」

 穂香は広くなった鉄筋アパートの中を見回して言った。

「初めてここに来た時もこんな感じだったかな。あの頃はもちろん何にもなくて、このダイニングテーブルもなくて、段ボール箱の上でご飯食べたりしてたんだよ。りゅうちゃんはもう忘れちゃったかな?」

「俺が保育園の頃でしょ?」

「もちろん」

「じゃあ、覚えてるわけないじゃん」

「そっか。あたしも独身に戻るんだね」

「ママのことは諏訪さんにお願いしておくよ」

「ダメだよ。あの人ケチだから」

「恩人なんですけど」

「まあそうだけど」

「別にそんなに寂しがることないんじゃない?ビデオ通話だってできるんだし」

「そうだね。そう言われると、電話もなかった昔って、結構、大変だったんだろうね」

「まあ、すぐに慣れるよ。二、三ヶ月は辛いかもしれないけど」

 そう言うと龍一はDバッグを持って立ち上がり、玄関に向かった。移動に最低限必要なモノしか持っていない。

「諏訪さんも一緒なんでしょ?」

「ああ。千歳烏山で合流する」

「ゆっぴいはしばらくこっちだよね?」

「うん。向こうで受け入れ態勢が整ってからだね。四月になってからになると思う。じゃあ、行ってきます。移動中もちょくちょくLINEするね」

 言って玄関のドアノブに触れようとすると「待って!」と穂香がいつもの妹系ボイスで言った。龍一は無言で振り返り、穂香を見た。穂香も立ち上がった。

「出て行く前に、最後に一つだけ教えて」

「……」

「りゅうちゃん、好きな女の子いるって言ってたでしょ?ゆっぴいじゃなくて。あれって誰だったの?あたしの知ってる子かな?」

 龍一はそのまま黙って扉を開け、開け切ったところでもう一度穂香を振り返った。

「ママだよ」

 龍一がそう言うと、鉄の扉は「バタン」と音をたてて閉まった。

 穂香は立ったままあっけに取られていた。

 

 それから一時間くらい後、龍一は北烏山の寺で「小宮家」と彫られた黒い石を前にして、両手を合わせていた。傍に諏訪の姿がある。

「小宮老人は、自分の骨は散骨するか宇宙に持って行ってくれって言ってたけど、結局、小宮老人も常識人で、奥様に先立たれた時にお墓を建てていたんだよね。自宅からそう遠くないところに。それで、夫婦そろってここに眠ってもらったよ」

 合掌を解いた龍一に諏訪が言った。

「小宮さんにはお礼のしようもありません」と龍一。

「でも、だからといって頻繁に墓参りに来るのは小宮老人の遺志ではない。小宮老人はそういうの嫌っていたから。だから、今度、何年先になるか分からないけど、東京に帰って来た時にでもまた線香をあげに来てくれればいいよ」

 諏訪はそう言うと、「じゃあ行こうか」と言って龍一を促し、住職にあいさつをして駐車場に向かった。この界隈は「寺町」と呼ばれるほどお寺が多い。

「世田谷にこんなにお寺が集まっている一角があったんですね。知りませんでした」と龍一。

「そうか?小学校の低学年の時とかに習わなかったかなあ?生活科の時間とかで」と諏訪。

「習ったかもしれませんけど、記憶にありません」

「実は僕の家はこの辺りなんだよ。東京とは思えないくらい、寂しいくらい閑静で。まあ、すぐそこはもう三鷹なんだけどね」

 そんなことを言いながら諏訪は駐車場に止まっているピンクの軽ワゴンに乗り込み、龍一は助手席にまわった。

「免許取りたての君に運転してもらいたいのはヤマヤマだけど、残念ながら保険が未成年に対応していなくて、君には運転させられない」と諏訪。シートベルトを締める。

「保険、ですか?」と龍一。

「自動車保険だよ。自動車保険、このクルマは僕と僕の家族が運転した場合にしか保険がきかないようになっているんだ。そうやって保険料を節約している」

 そう言うと諏訪はエンジンをふかし、軽ワゴンを発進させた。クルマは取り敢えず南に向かった。

「ご家族ですか。そう言えば、僕は諏訪さんのこと何も知らないですね。家もそうですけど、ご家族とか。奥様がいらっしゃるのは聞きましたけど」

「まあ、別に隠すこともないから興味があれば話してあげるよ」

「お子さんはいらっしゃるんですか?」

「おお。いきなりそこをついてくるか。なかなか鋭いね。実はそれが僕のプライベートの核心かもしれない。子どもはいるよ。男の子が一人。しかももっと言ってしまうと、ついこないだM高校を卒業したばかりだよ」

「……はあ?」

 龍一は絶句した。

「どうだビックリしただろう?君は気が付かなかっただろうけど、僕は実は卒業式の会場にいたんだよ」

「全然気が付きませんでした」

「穂香さんも僕には気付いてなかったね。穂香さんは目立ってたけど」

「…スワ?……スワ?…スミマセン思いつきません」

「まあ、あの生徒の数じゃそんなもんだろうな。吹奏楽部ででかいラッパを吹いていたよ」

「そう言われても分かりません」

「僕も調べたけど、君と同じクラスになったことはなかった。だから卒業アルバムを見ても分からないだろうな。でも、息子は君のことを知っていたよ。滅茶苦茶きれいな彼女がいる漫画オタクだって。もちろん僕はその彼女のことを知っているなんて野暮なことは言わないけどね」

「息子さん、進路はどうされたんですか?」

「まあ、うちの息子もM高校だから君と同じでそんなに頭は良くはない。それでも息子にどこに行きたいか聞いたら国公立か私立なら最低限マーチ以上とぬかしやがったよ」

「それでどうしたんです?」

「本人は宇宙物理学を専攻したいと言っていた。それで色々と裏技を探したら東京R大学の第二部に公募推薦制度っていうのがあって、不合格者が毎年ほとんど出ていないことが分かったんだ」

「二部というと夜ですね?」

「そう。二部だから学費も国公立並み、東京R大学だから早慶とマーチの間でマーチ以上という約束も果たすことになる。ということで君と同じで大して勉強もせずに希望のところに進路を決めたよ。まあ、本人はもっと思うところがあったようで、完全に満足してはいないようだけど」

「小宮さんの財産、息子さんのために使った方が良かったんじゃないんですか?」

「そんなことは僕にはできないよ」

 軽ワゴンは中央高速にぶつかって東へと進路を変えた。

「諏訪さん」

「ん?」

「東京を離れる前に二点ほど聞いておきたいことがあるんですけど」

「うん」

「まず、前にも聞いたと思うんですけど、どうして僕にそんなに優しくしてくれたんですか?」

「優しくねえ」

「前はゆっぴいの紹介だからって言ってましたけど、あれは嘘だったんですよね?」

「そうだね。嘘だった」

「じゃあ、なぜ?例えば、実のお子さんのために小宮さんの残していったものを使うことだってできたんじゃないんですか?」

「なるほどね。そう言われればそうだったかもしれない。でも、僕が君を大切にしたのはある意味、あたり前のことだよ。それは、僕がプロだからさ」

「プロ?」

「そう。君は、制服を着た高校三年生に過ぎなかったかもしれないけど、僕のところに相談に来た。きっかけはどうあれ、僕のところに相談に来た以上、僕にとってはクライアントだ。クライアントを大切にするのはプロとしてあたり前だと思うけど」

「それにしても…」

「君もこれからプロになっていくんだろうけど、例えば実の息子ともう一人の患者と、どっちかしか救えないような場面、…そんな場面は普通ないんだろうけど、そういう場面に出くわしたときに悩めばいいよ。プロってどういうものかって」

「分かりました」

「それに、随分と偉そうなこと言ったけど、僕にとっても悪い話じゃないんだ。商売としてね。少なくない手数料が僕の懐に入るのさ。だから、今回のこと、ビジネスマンとしてはごく当たり前のことだよ」

「そうですか。…それともう一つなんですけど」

「うん」

「諏訪さんはどうして僕をY医大に行かせようとしたんですか?」

「それはもう説明済みだと思うけど」

「それ以外にもっと根本的な理由があるんじゃないかと思うんです」

「というと?」

「僕、合格してから結構、暇だったんで、もちろん教習所とかにも通ってましたけど、色々調べてみたんです。受験のこと」

「うん」

「確かに、僕の実力ではN大の医学部に正規合格するのは無理でしたけど、補欠合格者になれる可能性はあったみたいです」

「そうかもしれないね」

「そうしたら別に四国まで行かなくても、今の自宅から、まあ都営の家賃の問題があるから今の自宅からは無理だとしても、自宅の近くから、ゆっぴいと一緒にN大に通うことだってできたはずです。ゆっぴい、N大にも合格したんですから」

「うん」

「僕も諏訪さんに今までの生活をあまり変えたくないとリクエストしていたはずです。でも諏訪さんはわざわざY医大を選んだ。Y医大しか受験させなかった。あたかもそれ以外の選択肢はなかったかのように」

「そうだね」

「どうしてです?」

「どうして君はその疑問を持ったのかな?それはその答えに気が付いたからなんじゃないのかな?」

「そうですね」

「じゃあ、それが答えだよ。そのとおり。それが、僕が君をY医大に進学させた理由だよ」

「どうして気が付いたんですか?いつから分かってました?」

「さあ。結構、最初の方かな」

「どうして?」

「多分、君と会う前に百合花さんに会ったからだと思う。百合花さんに会って、君に会って、穂香さんに会った。この順番じゃなかったら、案外気付けなかったかもしれないよ。どうしてかって言われると説明は難しいけど、きっと君にある種の違和感を覚えたのがきっかけだったんだと思う」

「違和感?」

「そう。違和感。百合花さんみたいなあんなモデルさんみたいなきれいな子が傍にいるのに、君は百合花さんに女性としての魅力を感じていなかった。それは端から見ていてもハッキリ分かったよ。じれったいくらいにね」

「ですからそれは、ゆっぴいと僕は本当に小さい頃から双子のように育てられたからで…」

「僕も最初はそう思っていたけど、でもそれは嘘だったんだな」

「そうですね」

「百合花さんは、自分が、背が高いからだって言ってた。君が背の高い女性はダメなんだと。でもそういう理由でもなかった」

「はい」

「そうなると理由は一つしかない。君の傍に、君にとって百合花さんよりもはるかに魅力的な女性がいたってことだ。すぐ傍に。至近距離に。手を伸ばせば届くところに」

「そのとおりです」

「これまで君は手を伸ばしてはこなかった。でも、君はこれから齢を重ねるごとにどんどんたくましくなっていく。一方の穂香さんは歳を取らない、というよりむしろ若返っていくかもしれない。そんな二人がいつまでも同じ屋根の下に住むことは好ましいことではないよ」

「お節介ですね」

「世話好きと言ってよ。僕は君と穂香さんにいつまでも仲良し親子でいてほしかっただけだ。それに今は君も穂香さんもとっても寂しいかもしれないけど、後二十年もすればきっと僕に感謝すると思うよ」

「そうかもしれません。それで、諏訪さんにお願いなんですけど」

「うん」

「ママのことお願いしてもいいですか?」

「…ママって言ったね」

「えっ?」

「今までは『うちの母』とか気取ってたのに」

「…そうですね。きっと諏訪さんに心を許せるようになったんだと思います。まあ、別に僕はマザコンを無理して隠そうとは思いませんけど」

「なるほどね」

「時々はママに会ってもらってもいいですか?」

「え~っ、それは嫌だなあ」

「ダメですか?」

「こないだ、確定申告の期限の間際に僕のところにいきなり来たのは知ってるよね」

「ええ。ママらしいです」

「ケチって言われたよ」

「それは僕も聞いてます。ですから、これはママからではなく、僕からのお願いなんですけど、諏訪さんは税理士もやってるんですから、ママの顧問税理士になってくれたらと」

「僕には無理だよ。あんないい加減な人は」

「鍛えていただいていいですよ」

「それに、彼女にも言ったけど、僕の顧問料は安くはない。彼女には払えないよ」

「話変わるんですけど、僕の向こうでの家のことなんですけど」

「うん」

「あの家は僕の家ってことになるんですよね?いきなり一軒家なんでビックリしましたけど」

「一軒家っていっても、築四十年の物件だよ。まあ、六年間、どこかを借りて家賃を払うでもいいのだけど、そうするとお金が外に出て行くだけで何も残らない。なら向こうは東京と違って物件も安いから、いっそ購入してしまって、六年住んで、卒業したらそのまま売却してしまえば初期投資資金はそれなりに必要だけどそれは投資だからお金が外に出て行くわけじゃない。そう考えたってわけだ。もちろん君の相続財産からお金は出すから当然君の名義だし、君の家かと聞かれれば君の家ということにはなる」

「実感湧きませんけど。それで、ゆっぴいも一緒に住むわけですよね?」

「まあ、ルームメイトだね。結果的に彼女が一緒に住めるくらいの大きさの物件になったし」

「それで、ゆっぴいから家賃をもらうことになるんですよね?」

「厳密には百合花さんの親御さんからということになるけどね」

「その家賃収入っていうんですか?それは僕が小宮さんの財産をいただいてから、小宮さんの遺志とは無関係に、僕の力量で稼いだお金ということになるんですよね?」

「何が言いたいんだ?」

「スミマセン。まどろっこしくて。言いたいのは、ゆっぴいからもらうお金は小宮さんの負担付遺贈の負担からは自由ということでいいんですよね?ってことです。つまり、僕が僕の意思で自由に使えるお金ということでいいのかを確認したいんです」

「まあ、相続の段階ではもちろん百合花さんから賃貸収入をもらうことは想定していないから、物件は君の名義だし、君の賃貸収入は基本、君が自由に使えるお金ということになるけど」

「じゃあ、そこからママの顧問料を払いますよ」

「はあ?」

「だからママの顧問税理士になってください。顧問料は僕が払います」

「よく分かんないんだよな~」

「はっ?」

「穂香さん、まったく魅力がないわけじゃないけど、むしろ魅力的といえるかもしれないけど、百合花さんと並んだら普通、百合花さんの方を選ぶんじゃない?」

「そうでもないですよ。確かにゆっぴいは僕から見ても魅力的ですけど、飽きちゃうと思いますよ。彼女にするには」

「なるほどね。確かに穂香さんは飽きが来ないかもね。あれだけ連続でトラブルを起こせるような人ってそうはいないだろうし」

「振り回されるのも結構、楽しいかもしれませんよ」

「でも僕は厳しいよ。辛口財産診断所の屋号のとおり」

「じゃあ時々はママと会ってくれるんですね?」

「まあ、顧問税理士ともなれば年に一回は確定申告で会わなければならなくはなるね。でも彼女の場合、それだけではすまないなあ。まず、帳簿のつけ方から教えないといけないから。僕はよその多くの税理士とは違って記帳代行というのはしていないんだ。まあ、ファイナンシャルプランナーがメインで税理士は副業程度に考えてるからなんだけど、あくまでも記帳は本人にやってもらう。そのデータを使って決算して申告するんだけど、そういう事情で面倒でも穂香さんのパソコンに会計ソフトを入れて、毎日、入力するところから始めないといけないね。それだけじゃダメで、青色申告もしてもらわないといけない。青色申告会にも入ってもらって、支部の役員とかにもなってもらおうかな。それから個人事務所を会社にして、法人会にも入って……」

 長々としゃべる諏訪の話を龍一は頼もしく聴いていた。この人がママの傍にいてくれるなら自分がいなくてもきっと大丈夫だろうと思った。

 ふと外を見るとクルマはいつの間にか環八を南下していて交差点の信号にぶら下がる環八船橋の表記が見えた。

 

(了)

 

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