今日の取材はウマ娘たちを育てるトレーナーの養成に関するものだった。
トレーナーと言えば、この世界におけるジョッキー、調教師、厩務員が一つに纏まったようなこの世界独自の職業である。
とはいえ、そう感じるのは俺だけで、こちらの世界の感覚では部活の顧問やコーチ、またはアイドルのプロデューサーというのが世間一般の認識だ。
ウマ娘たちの親を除けば最も彼女たちとの距離が近い人種であり、また近代社会においてはウマ娘という固有種族の力を十全と引き出させる唯一の職業といえるだろう。
なにせ昨今ではウマ娘の馬力を必要とする仕事はほぼ無いのだ。
当たり前のことではあるが、時代により職業と言うのは淘汰され、代わりに新たな職業が生まれるということを繰り返してきた。
ケガの保証やリスク回避と効率化により力仕事などの単純労働が完全に機械に置き換わりつつある現代において、ウマ娘の馬力を見込んで大量に雇用し従事させる仕事というのはほぼ存在せず、ヒトとの人口比を考えると見かけることは会っても、偶然同じ職場の同僚として知り合える機会は極めて稀だったりするのだ。
そのため学生には人気の高い憧れの職業でもあるのだが、同時に敷居の高い職業でもある。
というのも、トレーナーになるためには中央、地方それぞれの協会が運営する養成学校へと入校し、実習課程を経て国家資格であるウマ娘トレーナー免許を得なければならないからだ。
なぜこのような制度があるのか、それは一般的にウマ娘の、特に足の速さを競うレースに出場するウマ娘たちの身体的最盛期が中学から高校までと非常に短いことに起因する。
長い人生の内の僅かな貴重な時間内で、効率的に最大限にパフォーマンスを引き出し輝かせることが彼女たちの為になる……そう言った機会損失を防ぐという理念に基づいて生まれたのが免許制度なのだ。
これは長い歴史の積み重ねによって得られた先人たちの努力の結晶なのだと、養成学校の校長の言葉だった。
トレーナー養成学校のカリキュラムの内容は多岐に亘る。
必須科目として設定されているのは主にウマ娘の能力育成や命、ケガに関するモノなどの体育系に属する科目が主となる。
その逆、ウイニングライブでの踊りや歌などを指導するための科目は文科系に属されており、その殆どは必須ではない選択科目という位置づけにある。
その文科系の中で唯一必須科目となっているのは歴史の科目だ。
勿論、世界史とか日本史とかではなく、古今東西のヒトとウマ娘に関する歴史だ。
この授業は、過去に人類とウマ娘がどのような関係であったのか、共存繁栄と至った出来事
を学び、正しい関係性を学ぶことを目的している。
当たり前の話ではあるが、歴史とは先人たちの血と汗と泥が積もり積もって出来た、今我々が現代という現実と幸福を歩み続けることを可能にした貴重な土台そのものだ。
その土台は時に微笑ましい美談ばかりでなく、その多くは今の価値観では受け入れがたい、または当時でも凄惨な悪事として後世に伝えられる負の一面が多分に客観的に盛り込まれている。
この科目は非常に人気が無く、現役のトレーナーに聞いても最も苦労した授業は何かと聞かれれば歴史だと答える者も多い。
悲惨な事件や事故も記載されているため感受性の高すぎる人によってはノイローゼになってしまうこともあるのだとか。
それ故に効果は大きく、免許取得後も厳しい競争を強いられるトレーナー業にあって、その怒りをウマ娘たちに向けず、最低限の尊重を失わず、ましてや彼女たちは自身の立身出世の道具ではないのだと自覚することに大きく寄与していることは間違いないだろう。
私も少しだけ中身を読ませてもらったが、かなり精神に来る内容である。
いや、それは正しくはないな。
幾つかは前世にて既に知っている内容や事実であり、あまり驚きや嫌悪感を抱くはずの無かった話のはずだった。
しかしこの世界の、現代における一般常識を身に着けた故か、それとも4つ脚から2本足へと変化し、隣り合う存在に昇格された故なのか‥‥。
改めて人類とは見た目に惑わされる生物なのかもしれないなと思わずにはいられなかった。
今日はその中から、炭鉱ポニーについて少し紹介しようと思う。
炭鉱ポニーとは書いて字のごとく、炭鉱作業に従事したウマ娘たちのことである。
この世界でいうところのポニーとは、種類の事ではなく、体躯の小さいウマ娘や単純に未成熟なウマ娘のことを差す。
その歴史は古く、現在知られている最古の記録によれば18世紀には既に存在していたようだ。
産業革命前までの時代、ウマ娘の立場と言うのはその国、時代、社会情勢によって大きくことなるのだが、共通して、どの国においてもウマ娘の馬力というものは貴重な労働力であり、欠かせない要素であった。
炭鉱ポニーも、鉱山の数が国力に直結する時代であり、各国が競り合うようにして石炭の採掘量を増やすことに躍起になっている時代に自然と生まれた職業である。
世間一般に炭鉱ポニーというものが知られる切っ掛けとなったのは、当時ほぼ唯一の情報インフラである新聞紙がとある事件を報じたことが切っ掛けと言われている。
当時は人手の数の不利を覆す産業機械もこの時代は未発達、あるいは高価な時代であり、同時に人権というものもあやふやなモノだった。
炭鉱で働く者の中には未成年の少年少女も含まれていたのだ。
そして、とある炭鉱に従事していた26名の少年少女が作業中に出た吹き水により溺死したニュースが報道された。
この凄惨な事故により一般大衆は初めて炭鉱で未成年者が働かせられていることを知り、政府もこれを機に13歳未満の少年たちを炭鉱に従事させることを禁止する法律を作ったほどのショッキングな出来事として受け止められた。
だが現実として各国が列強化し世界の覇権を争い始めようとする時代の最中、法令の発布により生産力が落ちることをなんとしても避けたい当時の政府は減少した労働力をなんとか出来ないものかと頭を悩ませることとなる。
そして白羽の矢が立ったのが、ウマ娘で減少すると思われる労働力を埋めることを広く奨励したのだ。
これにより、その国ではほぼ全ての炭鉱でウマ娘の導入がなされ、最盛期には1つの国内で7万人ものポニーたちが居たと記録されている。
これだけ聞くと当時のその国におけるウマ娘の立場というのは今では考えられないほど低く、一方的に搾取されているかのように思われるかもしれないがそれは正確ではない。
実際にはヒト側も労働階級と支配階級とで分けられていた時代であり、炭鉱の多くが法の目が届きにくい地方に広く点在するということもあってか、肝心の法律は未成年たちの労働を抑制することはできず、ただただ炭鉱運営者にウマ娘の活用方法を広く宣伝しただけという皮肉な結果となった。
ポニーたちは非常に過酷な環境下での労働に従事を課せられてはいたが待遇はヒトに比べれば破格の対応だったといえる。
なにせ、炭鉱夫たちとは違い衣食住は保証されており、装備も革製の防具や頭巾を与えられるというほどである。
主な仕事は炭鉱から掘り出された石炭の輸送、物資の搬送などであり、彼女たちの仕事道具と言えばトロッコが代名詞になるほどであった。
平地では一人で10台ものトロッコを引くことが出来、5%の勾配でも平均して4台ものトロッコを引けるという運用効率はヒトとは比べ物にならない。
逆に、そのパワーを活かしての石炭を掘るという作業は許されてはいなかった。
その理由が、炭鉱運営者が武器となりえるつるはしを与えることを懸念したのか、それとも炭鉱夫たちのささやかな見得なのかは判断の分かれるところである。
いずれにしろ、どれ程待遇が良くてもその過酷さが軽減されるわけでは無く、彼女たちにとって炭鉱とは仕事場であり家でもあった。
脱走者もそれなりに居たとのことだが、他の炭鉱夫と同様、多くのポニーたちは人生の大半を炭鉱内で過ごしたと言われる。
唯一の例外が出産の時である。
運営者側としてもポニーたちの出産というのは表向きには目出度いことであり、同時に次世代の労働力の確保にもつながるため喜ばれた。
ポニーたちの出産費用諸々は運営持ちであり、この時だけは炭鉱を離れ草原の広がる別荘地で数年を過ごし、また炭鉱へと戻るのだ。
生まれた子どもも、ヒトの手による養育の後に炭鉱と契約しポニーとして炭鉱勤めになる。
なお、母娘同士同じ職場で働くことはなく、別の炭鉱で働かせることのが多いのだそうだ。
ヒトとポニーたちの関係は良好だったという記録が多く残されており、特に現場で一緒に働く炭鉱夫たちのエピソードにはこと欠かさない。
元々女っ気の少ない炭鉱においてウマ娘という美しい見た目を有する生物が同じ職場にいること自体が労働者たちに慰安効果をもたらすためほぼ例外なく、ポニーたちは炭鉱夫たちの戦友兼アイドル的存在として機能した。
最後に、2つ程その証拠となるエピソードと炭鉱ポニーという職業がなくなった切っ掛けを紹介したいと思う。
何事にも転換期があるように、産業革命がもたらす力によって生み出された余裕という名のパワーは人権運動というムーブメントと言う形で姿を現す。
それは勿論、過酷な環境で働くポニーの救済という形でも現れた。
1904年、とある炭鉱にて落盤事故が発生した。
炭鉱に努めるとある勇敢な若者は彼の同僚を全員助けると一人現場に残った。
実はこの時ポニーがケガをし置き去りになろうとしていたのだ。
彼は最低限の応急処置を済ますと、救助が駆けつけるまでの間そのポニーに寄り添い、後に救助される。
この勇敢な行動が称えられ、彼は炭鉱運営者より表彰をうけ、この美談は政治家および活動家の強い武器となり、炭鉱ポニー保護法の可決を速めたという。
保護法が可決され、各国でもそれに倣うように同じ法律が発布されたが、それはあくまでポニーたちの労働環境の改善であり、ポニー自体は割と最近、1970年代まで存在した。
最終的に炭鉱ポニーという職業がなくなったのは人権や法律というよりも経済的な理由が主となる。
この時期はエネルギー改革により石炭の需要が減少し、炭鉱が次々に閉鎖されていった時代であった。
そんな理由に閉鎖となった炭鉱にドットと呼ばれる若いポニーがいたという。
このポニーはその炭鉱で働いていたJohn Staffordという労働者が炭鉱最後の日を唄った詩に登場する娘である。
元の詩は英語のため、意訳になるが内容はこうだ。
「彼女はその日が鉱山での最後の仕事だと理解していたと思う。 その日、私と同僚はフェンスに座りドットが草むらの中で風を追いかけて空に向かってジャンプしているのを見た。 それを見ていると思わず永遠に止まらないんじゃないかというぐらい涙が浮かんできたのだった」
引用元
https://en.wikipedia.org/wiki/Pit_pony
https://miningheritage.co.uk/pit-pony/
最近ウマ娘世界の歴史研究論文がにわかに増えてきた気がします。
もっと増えてほしいです。
主人公がテンプラを名乗った訳を知りたいですか?
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