幻(幻じゃない)のせいで浮気を疑われてしまった話。広い心で読んでください。
※pixivにも投稿してます。
「んー、なりゆきぃ」
2人でベッドに横になりながら睦言を交わしていると、会話が途切れたタイミングでうるかが抱きついてきた。甘えた声を上げながら、俺が着ているバスローブの胸元を軽く広げて胸に顔を擦り付けている。滑らかで心地よい肌触りが伝わり、目の前の髪からは甘い香りが漂う。腹部には柔らかな2つの膨らみが押し当てられていた。
「くすぐったいって」
そう言って頭を撫でると、うるかは甘えるような笑みを浮かべてそれに応えた。
年末に合わせてうるかは日本へ帰国した。大会のため夏に戻って来て以来、約半年ぶりの再会。うるかと俺は久々のデートを楽しむと、どちらからともなく夕飯はうめえんに行くことに決まった。食べ終えた後、近くのホテルへうるかを誘うと、うるかははにかんだような微笑みを浮かべながらも受け入れてくれた。会えなかった時間を埋めるように激しく体を重ねて、少しやりすぎたようにも思ったけれど、事後の彼女は恥ずかしげに頬を染めて「よかった」と囁いてくれたから、きっと嫌がってはいないのだとほっと胸を撫で下ろした。
今日一日を振り返りながら、改めて腕の中に彼女がいる幸福を噛み締めてうるかの頭を撫でる。うるかは気持ちよさそうに喉を鳴らすと、抱きしめる力を強くして胸に頬を当てていた。
しばらくそうして満足したのか、うるかはゆっくりと顔を上げた。息の掛かるほど近い距離。紫がかって澄んだ瞳はいつ見ても吸い込まれそうな魅力を湛えていて、見つめられるとそのたびに心臓がドキリと跳ねる。
うるかは微かに深呼吸をする仕草を見せた。何を言われるのかと、少し体を固くして身構える。
「成幸、こういうのって慣れたりしてきてる?」
「こういうの?」
「えっと……あたしの、その、ハダカ、とか、こうやってくっついてるのとか」
「……なんで?」
「だって前より心臓ドキドキしてないしさー」
「まあ、うるかとこうやってくっついてるのは緊張するより安心するようになったけどさ」
想像より穏やかな不満で思わず苦笑した。そのせいでうるかが唇を尖らせているけど、そんなことを言う方が悪い。慣れるどころか暴走してしまわないようにすることがどれほど大変だと思っているのか。まあ、今日は少し暴走してしまった気もするけれど。
とりあえずこれだけしか見ていないのだから慣れるわけないと示すように、一、二、三、と指折り数え、数え終えたところで指を止める。
「うるかの体見たのまだこれだけだし慣れるわけないだろ? 今日だって久しぶりだしずっとドキドキしてたよ。終わった後だしうるかに嫌がられなかったから落ち着いてるだけだって」
それにうるかの綺麗な体に慣れるなんてありえない、と言おうとしたところで、うるかが目を見開いて数え終えた手を見つめていることに気がついた。
「……一回多い」
「え?」
うるかがぼそりと呟いた。なんとか聞き取れたけれど言っていることの意味がわからなかった。
「成幸、あたしとホテル来たのって何回だっけ?」
「うん? 夏のときに3回で、この冬はまだ初めてだから4回だろ?」
「じゃあなんで指全部折ってるの」
「なんでって……」
張り詰めた声のうるかに問いただされる。確かに親指から小指まで全部折っている。でもそんな当たり前のことでなんでこんなふうに聞かれているのかわからない。
うるかがそんなことを気にしている理由がわからず困惑していると、うるかが泣きそうな顔をして、どころか目尻に涙を浮かべてか細い声を絞り出した。
「……浮気?」
「なんでだよ!? するわけないだろ!?」
なぜか浮気を疑われた。心外もいいところだけど、なんで浮気を疑われたのかが全くわからないのでなんと言って誤解を解けばいいのかもわからない。
「だ、だってあたしとしたの4回だけなのに裸見たのが5回なんて、他の子としたのとごっちゃになってるとしか……」
「違うって! あるだろもう一回!? 高3のときの勉強合宿!」
今にも泣き出しそうに声を震わせたうるかの言葉を聞いて、ようやくわかった。うるかはあのときのことを忘れていたのか。きっと付き合ってもいなかったのに裸を見られたなんて覚えていたくなかったんだろう。俺としても忘れたい記憶だけど、同時に忘れようがない記憶でもある。てっきりうるかも忘れられないだろうと思いこんでいた。
ともかく妙なすれ違いだったけどこれで変な誤解も解けたはずと思っていると。
「……え? あ、あの女湯で見たの、あれ本物の成幸だったん!?」
うるかから予想外の台詞が飛び出した。覚えていた上で俺じゃないと思っていたらしい。どういうことなんだ。
「なんだと思ってたんだよ……」
「勉強に疲れたあたしの脳が生み出した幻かと……。どんだけ成幸のこと好きなんだろって驚いてたんだけど」
あまりにバカバカしい顛末で思わず脱力した。こんなことで焦らせないでほしい。いやまああのときはそれで助かったし、幻を見るほど好きと思われてるなんて面映いところはあるけれど。
「成幸。変なこと疑っちゃってごめんなさい」
「誤解だってすぐわかってくれたしいいよ。俺じゃないって思ってたならしょうがないしさ」
「ごめん。ありがと」
「でも幻って。てっきり事情を察して黙ってくれてたんだと思ってた」
謝罪するうるかに苦笑しながら伝えると、うるかは唇を尖らせて言い返してきた。
「あんな一瞬で察せるわけないじゃん。ていうか成幸が女湯にいるなんて思わないってば」
「まあそれは……」
「それよりはあたしが幻見たってほうがありそうだしさ。というか本物の成幸だと思ってたら叫んでるかんね」
「うん、まあ……あのときはそのおかげで助かったよ」
「でしょー」
うるかは得意げな笑顔を浮かべている。根も葉もないことで浮気を疑われたというのに感謝する流れになってしまった。当時は助けられたとはいえなんとなく理不尽に思っていると、うるかはおもむろに笑顔を消し、ジト目になって口を開いた。
「で、あのとき女湯にいた理由は?」
「ですよね」
絶対に聞かれると思っていた。とんでもないやぶ蛇だった。あのときのことは墓場まで持っていくべきだった。まさか幻と思いこんでいたなんて想像もしなかったし、誤解を解くためにはしょうがなかったけど。
誓って悪いことはしていないけど、男が女湯にいたこと自体が完全にアウトだ。誠心誠意説明するしかない。わかってくれればいいのだけど。
◆◆◆◆◆◆
「あー、あの頃のリズりんならやりかねないね」
「……信じてくれるのか?」
「成幸が自分から女湯になんて入るわけないじゃん」
「うるか……」
しどろもどろになりながらも当時のことをありのまま説明すると、うるかは笑って信じてくれた。女湯にいたなんて、なんと疑われても仕方ないと思っていただけに、彼女の信頼が身に沁みて嬉しかった。思わず安堵のため息が漏れる。
うるかはそんな俺の姿を微笑みながら見つめて。
「てことはさ。あのとき他の子の裸も見たん?」
微笑んだままそう問いかけた。一瞬、頭が真っ白になる。
「……いや、見、見てないぞ!?」
思いがけない質問で、つい反応が遅れた。なんとか答えたけれど変に慌ててしまっている。本当に見ていなかったからそれも聞かれるなんて考えていなかったけど、うるかからしてみれば聞いて当然の質問だ。信じてほしいけれどこればっかりは証明のしようがない。
「ふーん」
「ほ、ほんとだからな!?」
「事故とかたまたま目に入っちゃったとかも?」
「それもない!」
「……ん、わかった」
信じてほしいと必死に訴えると、うるかはわかったと頷いた。本当に信じてくれたのか、それとも言い合いになっても仕方がないからやめたのか。どちらなのかわからないけれど、とりあえず信じてくれたと思うようにしようと思う。
ひとまず誤解は全部解けたと胸を撫で下ろしていると、うるかは俺のことをじっと見つめて、やがて決意したように口を開いた。
「……その、あたし留学してるから、その間は今日みたいなことできないじゃん」
「今日みたいなことって?」
「あぅ……え、えっと」
「あ、ああ。わかった。すまん」
聞き返すなり、顔を真っ赤に染めたうるかの姿で言わんとすることを察する。察したけれどなんでそんなことを言い出したのかはわからない。疑問に思いながらうるかのことを見ていると、うるかは一つ咳払いをして気を取り直した。
「あたしとできないわけだから、その間成幸は自分でするんでしょ?」
「……まあ」
一体何を聞かれて、何を言わされているのだろうか。肯定も否定もしづらいので曖昧な言葉で返事をする。
「あたしもそこまでケッペキじゃないから、そーゆーときに動画とかも見ないでとか言わないけどさ」
うるかは顔を赤く染めたまま、けれど真っ直ぐに俺の目を見て。
「生身の裸見ていいのはあたしのだけだかんね」
そんな台詞を口にした。言いながら俺のことを抱きしめてくるが、その力はとても弱々しい。だからそれでようやく、うるかがこんなことを聞いた理由がわかった。
俺とうるかは遠距離恋愛をしている。会おうと思ってすぐに会える距離じゃない。会えるのも1年に数回だけだ。オーストラリアにいる彼女に会いたいと思ったことは一度や二度じゃない。きっとうるかも同じだろう。
勘違いではあったけど、浮気の可能性なんて今まで考えもしなかったであろうことを想像してしまって。そんな可能性に思い至った不安から口にしているのだと思う。
「言われなくてもわかってるよ」
今度は俺からうるかを抱きしめる。うるかも強く抱きしめ返してきた。彼女の華奢で柔らかな感触と確かな愛情を感じる。可愛らしい嫉妬心に少し和むが、余計なことを言って無駄な心配をさせてしまったことは少し反省しないといけないなと思う。まあ、女湯で俺の幻を見たなんて勘違いをしていると想像できるわけもないのだが。
「……ショージキ言うと動画とかも見てほしくはないけど」
「…………想像とか、思い出してとかでするようにするよ」
何を言わされているのかという気もするけど考えたら負けだ。相当気持ち悪いことを言っている気がするけど正解がなにかもわからない。一瞬答えに詰まってしまったが、多分沈黙するよりはいいはずだと思い込む。
俺の返事を聞いたうるかは逡巡するように目を泳がせる。答えに詰まったのがまずかったのかもしれない。何を言われてもいいように身構える。うるかは目を泳がせたまま、ゆっくりと口を開いた。
「……もしあれならスマホであたしのこと撮」
「何言い出してんだお前は!? いや一瞬考えたけど!」
「考えたんだ」
「あ!? い、いやこれは違っ」
正直言えば、うるかが動画とかも見てほしくないと言ったときに一瞬考えた。考えてしまっただけに心の中を読まれたような気がしてひどく焦ってしまい、そのまま勢いに任せてとんでもないことを口走ってしまった。
うるかは挑発するような顔ではなく、気遣うような顔でこちらを見てくる。それが却って焦りを加速させていた。
「万一何かあってネットに流れたら取り返しつかないだろ!?」
「あ、あたしがあんなこと言ったから、それで成幸に我慢させちゃうの悪いかなって思って」
「そんなこと考えなくていいから!」
必死でうるかを説得する。そうしないと流されてしまいそうだった。
うるかは唇に人差し指を当てて考え込むような仕草をする。自然と唇に目線が吸い寄せられて、漂う色香に思わず生唾を飲み込んだ。
「……欲しくないわけじゃないんだよね」
「…………いや、だから」
「さっきは成幸がいっぱいしてくれたから、今度はあたしからとか……」
「………………そういうことじゃなくって」
うるかは諦めてくれなかった。否定する口調が弱々しくなっていることが自分でもわかる。欲しいのかとか、してくれるとか。そんなことを言われて想像しないでいられるほど強くも無欲でもない。色々な妄想が頭をよぎって、その度に心が揺れるのを感じる。
「……あたしはどっちでもいいんだけど」
小首を傾げてうるかが誘惑する。自分から誘って、散々想像を掻き立てさせて、最後はこちらに決断を委ねる。小悪魔というには恥じらいが色濃く、けれどそう呼ばざるを得ないほどには蠱惑的だった。
うるかのことを考えればこんなリスクのあることはさせられないと理性が全力で訴えているのに、心臓の鼓動はいつからか脳に響くほど大きくなり、甘い背徳感は脊髄を痺れさせている。
理性と本能の狭間で究極の選択を強いられて。どちらを選んだかは今度こそ墓場まで持っていこうと思う。