師匠の家へ向かい住宅街を駆けて行く。もはや何十回何百回と通った道なので目新しさも特になく。迷うこともなく目的地へ進む。
ちらと左腕に巻いた時計を確認するとまだ学校から出て8分ほどであった。このペースなら普通の道を使えばあと10分もすれば到着できるだろう。
しかし私はさっさと帰りたいのであって。そもそも師匠から「入学式終わったら挨拶に来てね☆」なんて言われていなければぜぇったいに行きたくない。なぜならあの男がクズであるからである。第一私は既に師匠から皆伝を受けているのでもはや奴の元へ行く理由が無いのである。
けれども私は良識のある人物だという自負がある。仮にとはいえ10年近く師匠を務めてくれた人物の言だからある程度は聞いてあげようと思ってこうして向かっているのである。
しかしとにかく私は早くこの用事を終わらせたい。故に。
方向を転換して、道ではなくブロック塀へ向かって突っ込む。衝突まであと数センチ、というところで軽く踏み込んで跳躍。ブロック塀のてっぺんを掴んで─
「そりゃっ!」
気合いを入れて身体を跳ね上げる。体はぐんぐん上昇していき、遂には民家の高さを越えた。
極力屋根を傷つけないようにして着地する。
「んー、こっからだと...あっちかな」
屋根の上から方角を確認する。そうしてもう一度足に力を込める。
「ふっ!」
再度跳躍する。今度も目当ての方角にある民家の屋根に向かって跳ぶ。屋根を傷つけないように衝撃を殺して着地。
それを繰り返すこと数回、時間にして3分程度の後。
私は矢鱈と立派な門のある家─師匠邸の玄関前にいた。
◇◇◇◇◇
門をくぐり、玄関を勝手に開けて中に入る。
師匠の家は、彼しか住んでいないにも関わらず異常に大きい。木造平屋建で武家屋敷を想起させるように畳張りの部屋が大半である。(無論板張りの部屋もある)
私も初めて来たときはあまりの広さにもしかするとどこぞの旧家の末裔か何かだと思ったほどである。まあそんなことは無かったが。
半ば勝手知ったる家なのでいくつかの部屋を経て、庭に向かいすたすた歩いて行く。この家は屋敷のみならず庭も非常に広い。何せ倉が入っていて余りある広さだ。しかもこの屋敷自体がそれなりの高さの塀に囲まれているので外から見えにくい。なので屋内でやると確実に床を踏み抜いてしまう師匠との
寄り道もしなかったのですぐに庭に面した縁側に辿り着いた。果たして目的の人物はそこにいた。
こちら側に背を向けて腰掛け、ぼんやりと庭を眺めている半纏を羽織った中年の男性。伸ばしっぱなしの髪を乱雑に後ろで一つに括っている。
彼は私が来たのにに気づいたのか、緩慢な動きでこちらを向いた。
目は細められており、無精髭も生えている。人当たりは良さそうだが身だしなみに余り頓着しない、飄々とした印象を他人に与えるこの人物こそが。
「やあ、久しぶりだね、ムツミちゃん」
私の闘いにおける師匠。その名を山田ゲンといった。
「早速で悪いけどさ、かわいいクラスメイト紹介してくれない?」
─ちなみになかなかのクズだ。
とりあえず殴った。いい吹き飛び方だ。ざまあみろ。
◇◇◇◇◇
吹っ飛んだ師匠が戻ってきて、数少ない板の間であるダイニングへ呼ばれた。
「いたいなぁムツミちゃん。なにも殴ること無くない?ほらこんなになっちゃった。慰謝料としてお尻触らせて」
大して腫れてもいない頬を抑えて
「クズは黙っててください。せっかく貴重な時間を使って会いに来たんですから用事があるならさっさと済ませてください。第一そんなに痛くないでしょうに」
私も別に全力で殴ったわけではないし、奴も衝撃に合わせて跳んでいたから吹っ飛んだのは見た目だけだ。
「いやさ、気分の問題ってあるじゃん」
なんじゃそりゃ。
そんなくだらない会話を続けながら、師匠は食器棚から湯呑みを取り出しお茶を注いでいる。私はせんべい(しょうゆ味)を別の棚から取り出し、席に着く。
お茶を注ぎ終えた師匠は椅子に座りお茶を一口飲んで瞑目する。私もそれに倣い湯呑みに口をつけた。うまい。
お互いに一服した後、私は師匠に呼ばれた理由を問いかけた。
「それで?今日呼んだ理由はなんですか?」
実は「入学式が終わったら来てね☆」というメッセージが来たのは昨日の夜だったのだ。バックレようとは思ったが、普通師匠から直接来いと言われるのは緊急事態の時だけなので、行かないわけにはいかなかったのだ。
師匠は一度低い声で唸って訳を話し出した。
「いやね、まずは入学おめでとうっていうのが一つね」
とりあえず「ありがとうございます」とだけ返す。勿論これが本題では無いはずだ。
「もう一つはね。こっちが本題なんだけどさ」
師匠は一度そこで区切る。
「実はね、昨日君に連絡する直前の話だったんだけどさ。なんか変な奴がいたんだよね」
「変な奴、ですか」
「そそ。コンビニから帰ってたらさ、仕事帰りっぽいお姉さんが襲われてたんだよ。そいつに」
「それで?その後はどうしたんですか?」
「勿論撃退したさ。ついでにお姉さんのメアドも貰いたかったんだけどね」
「撃退?捕まえなかったんですか?」
師匠はばつが悪そうに頭を掻いている。
「いやね...逃げられちゃったんだよね」
かなり驚いた。師匠から逃げられる人間はそう多く無いはずだ。その不審者はかなりの手練れだということだろう。
「つまりそれほどの実力者だから注意しておけ、と?」
「いんや。そいつ自体はそんなに強くなかったんだ」
「どういうことですか?まさか集団?それとも銃でも使ってくるんですか?」
「どちらでも無いね」
いまいち話が見えてこない。実力だけはホンモノの師匠から逃げることができるほどの相手であって、徒党を組んでいるわけでも無いのに大した実力者では無いという。そんな矛盾した情報に少しずつ混乱していく私に、師匠から答えが与えられた。
「そいつはね、ボクが一撃当てた後ね、敵わないと思ったんだろうね」
次に言われた言葉は私をさらに混乱させることとなった。
「空を飛んで逃げたんだよ─翼を使ってね」
師匠の見た目は「修羅の門」第二部の山田さんをイメージしてます