「あの噂は本当なの?」
夕食の箸を取るのもそこそこにエリィが話を切り出した。
「噂ってなんだい」
何のことか分からぬ体でロイドはとぼけて見せた。もちろんエリィが何を言いたいのか、十分承知している。
バニングス家の新居は東通り市街地のとあるアパルトメントである。流石に新婚家庭なのに特務支援課のビルに寝泊まりするわけにはいかなかった。ついでに言うと、妻帯者に支払われる住居手当が結構な額だったので、新居を借りる余裕ができたというのもある。
朝は二人で家から仕事場に通い、夜はめいめい家に帰る。一人ずつの時もあれば、二人一緒の時もある。そんな日常であった。
「切り裂き魔のことよ。マスコミもそうだけど、お隣さんもみんなこの話で持ちきりなのよ。今日、一人で帰る途中に捕まっちゃって、根掘り葉掘り聞かれて……」
「とは言ってもなぁ。ウチは一課じゃないのになぁ。合同捜査本部にも呼ばれなかったし」
呼ばれたくなかったけど、とロイドは心の中で付け加えた。
「今日、ダドリーさんに呼ばれたのでしょう?」
「呼ばれたよ」
「そのことじゃないの?」
「半分くらい当たりかな。夜間の巡回を強化するから参加しろ、だってさ」
「特務支援課に来ている依頼はどうするの?今でも溜まっているんじゃなかったのかしら」
「予算はつけるから遊撃士協会に依頼しろ、だってさ。」
「特務支援課がそんなことでいいのかしら」
「良くないと言えば良くない。けど、最近の特務支援課は特務支援課の体を為してないよなぁ。ランディはずっと警備隊に行ってるし、ティオは導力捜査課の手伝い仕事、エリィだってお爺様の手伝いが忙しくなる一方だろう?」
「お爺様はあと半月くらいしたら仕事も一段落するって言ってるわ。ランディさんも来月までの話のはずだし、ティオちゃんも……そろそろ戻ってきて欲しいわね。課長に話さないとダメかしら」
「そうだなぁ。なんだかんだはぐらかして期限を延ばされるのもいい加減やめにして欲しいよな。」
「キーアちゃんも寂しそうだし……って、ちょっと話がそれたけど、一課がシュバルツァーさんを捜査しているって、本当なの?」
「誰に聞いたんだい?」
「誰って……」
エリィは警察にいる知り合いの女子職員の名前を挙げた。一連の斬殺事件は剣術の熟練者による犯行であるという線が濃厚で、それを元に容疑者のリストアップをしているという噂だった。
「それ、まずいなぁ。そんなこと、誰にも言ってないよね」
「もちろんよ」
エリィは憤然として答えた。
「まずいってことは、本当なの?」
「いや、ダドリーさんは何も言ってなかったよ」
「本当?」
「嘘をついてどうするんだい」
「嘘をつく時、露骨に目線を泳がせる癖、やめた方がいいわよ」
「……!って、なんでそう言い切るのさ」
「ロイドにいい捜査官になって欲しいからよ。お兄さんを超えるんでしょ?ならば、私はその夢の実現に協力するしかないのよ。で、どうなの?」
「ノーコメント」
「ノーコメントなし!こないだ三課の女性職員と飲み会行った時にそれ使ったでしょ」
「それでもノーコメント。言えるようになったら言うから」
ロイドは話を強制中断して、飯をかきこみ始めた。東通りに住んでいると食事も自然と東方風が多くなるものらしい。ロイドもエリィもクロスベル生まれのクロスベル育ちだからそれを苦にするわけではなかったが、最近エリィがダイエットに凝り始めたらしく、食事がいまいち物足りないのがロイドの悩みのタネだった。卓の中央に盛られた青椒肉絲が何故か味気ないと思ったら、肉が入っていないのである。
そんなに体重増えているのかなぁ。別にエリィは今のままでも十分いいと思うんだけど。
ロイドが食事の不満を述べるようになるのには、もう少し時間がかかるようだった。今の二人はあまりに新婚すぎた。
翌日夜7時頃ーー
「Ladies and gentleman. Boys and girls, welcome to Michelam Wonder Land. For your enjoyment,Michelam Wonder Land will be open until 10 p,m.」
船内にはアナウンスが繰り返し流れ、陽気な音楽がBGMとして流れ続けている。客席は親子連れ、カップル、あるいはおひとり様で船内はごった返している。ロイド・バニングスはそんなミシュラム行き定期便の中でまんじりともせず座っている。
なんでこうなっちゃったんだろうなーーエリィに嘘までついて。
直接的な原因については、もちろん理由がある。最前列に居座っているリィン・シュバルツァーと、そしてダドリーからの命令だった。
何なんだろうな。リィン・シュバルツァーを尾行しろ、だなんて。
前日の昼に時間軸を一旦戻す
「説明してもらえませんか」
ロイドはダドリーに突っかかった。誰もいない会議室でダドリーと二人きりになり、腰を下ろすなりシュバルツァーを尾行しろと言われればそうなるというものだ。
「説明の必要などない。シュバルツァーは今回の事件について、要調査人物だ」
「それでは説明になってません。第一俺は合同捜査本部に参加してません。依頼を受けるにしても、情報が無い限り受けるわけにはいきません」
「その通りだ。だが、なればこそだ。もし、情報を明かしたら、いや、明かさなくてもお前はシュバルツァーに会いに行くだろう。違うか」
「それは……」
ロイドは口籠もった。ダドリーからリィンを尾行しろと言われた時、真っ先に頭の中に浮かんだ疑問がそれだったからだ。疑問に思うことがあるなら直接聞けばいい。何故聞かないのか。
「とある事情により、シュバルツァーは今回の事件において要調査対象となっている」
「容疑者じゃないんですか」
「容疑者であればとっくの昔に聴取している。容疑者と比定するに足る情報などない」
ダドリーはきっぱりと言った。
「だが、今回の件、いたずらに長引かせるわけにもいかん。それは分かるな」
んなこと言ったって、もう十分長引いているだろ。ロイドはそう思ったが口には出さない。
「これはメッセージというものだ。」
「シュバルツァーがホンボシだとしたら、だが。特務支援課が秘密裏に動いていること、それはいずれ伝わる。としたら、シュバルツァーのルーティンに変化が出てくるはずだ。そこが重要だ」
「俺が尾行をしくじると?」
「相手を正当に評価しろ、バニングス。シュバルツァーを舐めてかかるな」
ロイドが秘密裏の尾行を得手としていないことには触れないダドリーである。
「……わかりました。特務支援課、リィン・シュバルツァーの尾行調査にあたります」
「特務支援課ではない」
「は?」
「尾行に参加するのはお前一人だ。そして、今からお前は合同捜査本部付きとなる」
ダドリーはクリップボードを突き出した。そこには、ロイドが合同捜査本部付き人員となる通知書が挟まれており、セルゲイ課長のサインがあった。
「私以外の誰にも言うな。いいな、バニングス」
程なくして連絡船はミシュラムの波止場に着いた。リィンが波止場に降りてしばらくの後、ロイドも船を降りて尾行を開始する。リィンはアーケードに入るとぶらぶらと店舗を見て回っている。時間は少し遅くはあるが、それでも良くある光景である。同じようにショッピングに興じる客は他にも沢山いる。
だが、閉園まではあと二時間、もしリィンに目的があるとするならば、それまでに行動を起こすはず、なのである。もちろん、韜晦のためにらしい行動を見せて周囲を振り回す、というのはある。そうなると、今度は向こうとこちらの我慢比べということになるが……あるいはダドリーの言う通り、向こうがしびれを切らして尻尾を出してくるか。
「というかだ。何故ミシュラムなんだ?」
ロイドは独りごちた。ダドリーから渡された情報によると、リィンの行動範囲は(どこからこの情報が出てきたか聞くことはできなかった)、ウルスラ間道、星見の塔といった、湖の「こちら側」が主であり、「向こう側」のミシュラムは行動範囲にないはずだった。
リィンはなおも、あちこちの店に入っていっては、出ていくということを繰り返している。行動としては、普通のウィンドウショッピングと何ら変わるところはない。店の中に入って監視しようかと思ったが、やめにすることにした。ミシュラムアーケードの店内は大して広くないからだ。
リィンは3軒目の店、ブティック「コルセリカ」に入っていった。ロイドとしては、リィンの今日の目的について、見当をつけなければならない段階に入っている。閉園まであと一時間、今日はただの様子見なのか、あるいは本当に、今回の事件と関係ない目的のために動いているのかーーもしかしたら、本当に誰かのためのプレゼントを買うためなのかもしれない。こんなんだったら近親者の情報も調べておくべきだったーーロイドが異変に気が付いたのは、そこまで思考をめぐらせてからだった。
リィンが出てこない。今まで5分もすれば出てきたリィンが、10分経過しているのに出てきていないのだ。どうするロイド。もし出くわしたらそれはそれでまずいことになるがーーそれもダドリーの計画のうちかもしれない。
ロイドは「コルセリカ」に踏み込んだ。案の定、店内には誰もいなかった。カウンターの店員に警察手帳を見せて尋ねる。
「あの、クロスベル警察ですがーー」
「あらバニングスさん。奥様へのプレゼントですか?」
ほれみろ、とロイドは心の奥で苦虫を嚙み潰した。尾行は世間に隠れるから上手くいくのであって、尾行する方が顔ばれしていては上手くいくはずもない。店員だって、ロイドの左手薬指に指輪があるからそう言っているわけではない。要はそれだけ特務支援課というのは注目の的(になってしまっている)ということだった。
「あ、いえ……それはいずれ……それはそうと、この人がこちらに来ませんでしたか?」
「ああ。シュバルツァーさんですか?先ほどお手洗いを貸してほしいと、え、あの?」
ロイドは店員の話も聞かずバックヤードに乱入した。予想通り、事務所のトイレは使用した形跡がない。そして、事務所はロックがかかっておらず、開けるとミシュラムアーケードの廊下に出る。
ロイドは、自分が初歩的なミスを犯したことを認めざるを得なかった。
幸いなことに、「初歩的なミス」は何とか取り返せそうだった。別にロイドが奮励努力したわけではなかった。単に、リィン・シュバルツァーも目立つ存在だった。それだけだった。程なくして、リィンはビーチの方に向かったことまでは判明した。そしてそこで消息が途絶えていることも。
本来ならここで捜索を断念する局面だった。だが、ロイドとしては単に「間抜け警官」として動く意図はなかった。懐から犬笛を取り出し吹き鳴らす。程なくして白い大型犬ーー普通の人が見たらそう表現するであろうーーが駆け寄ってくる。
「ツァイト!こっちだ!」
ロイドはビーチの人目につかない箇所を見つけてツァイトを連れ込んだ。
「ごめん。やっぱりバレていたみたいだ」
「ロイドよ。あのような初歩的な手でやられるのは先が思いやられるぞ」
ツァイトの返答は、念話の形でリィンの脳に直接流れ込んでくる。最初は勝手が分からず戸惑ったが今は慣れたものである。第一、警察犬と直接コミュニケーションが取れるなど天の配剤としか言いようがない。
「この件が終わったら精進することにするよ。まずはツァイト、リィンの行き先が分かるか?」
「もう見当はついているのであろう?」
「俺はその先を聞いている」
「そうか」
ならば、とツァイトはビーチの奥にある壁に向かって首を振った。
「湿地帯の方、その奥ということか。一体どうやって……」
「そういう裏事情を探るのは後にしたほうがいいぞ。匂いも足跡も長くは残っていまい」
「そうだな」
ロイドは職員に鍵を借りるとミシュランビーチの奥ーーエルム湖湿地帯に踏み込んだ。
湿地帯を支配するのは、夜の闇と静寂だった。不夜城ミシュラムの喧騒とは正反対である。視力が低いと、暗視カメラでもないと移動もままならない。幸いロイドは視力に自信はあったし、ツァイトのサポートもある。
月の光だけでリィンを追うのは、本来なら一苦労の仕事のはずだが、幸いなことに苦労の大部分はツァイトが引き受けてくれた。匂いとか、足跡を探してロイドに道を示してくれる。
「助かるよツァイト」
「ふむ。ロイド」
「何だい?」
ツァイトが突然歩みを止めたのでロイドは訊いた。追いつくなら休息など取ってはいられないはずだが。
「妙だ」
「妙?」
「ロイドよ。今日の目的は人探しと聞いたが」
「そうだよ」
「今追っている足跡、これが目的の人物ということで間違いないな」
「そりゃそうだよ。他に何が?」
「匂いが強くなった」
「??」
「まだ分からないか。ロイドにも足跡は見えるはずだ」
ロイドは目を凝らす。単に見ている分には何が起きているか分からないが、今までの追跡行でツァイトが足跡を教えてくれているから、足跡らしきものを辛うじて見分けることができる。この足跡がどう続いているかというと……
「この樹に寄りかかったか」
ロイドは一つの樹に近づき、ライトで足下を照らし出した。今まではっきりしていなかった足跡がここでは明確に残っている。それだけではなく、同じ箇所に複数の足跡がある。
「休息……じゃないよな」
単に休息するのなら足場が悪すぎる。合理的ではない。
「で、あるな。今まで真ん中を歩いていたらしいが、ここから端を歩くようになった」
ここで行動パターンが変わったということだ。何がどう変わったのだろうか。
「リィンは何かを探しているのか?」
「かもしれん」
「どうして分かるんだ?ツァイト」
「はるかに弱いが、匂いに何か混じっている。湿地帯由来のものではない」
「!??それを先に言ってよ!」
「確信が持てなかったから言わなかっただけだ。いずれにしても」
「ああ。どうやら『当たった』な」
「ならば急がねば」
ロイドはライトを再度取り出した。今まで気取られることを恐れて使うのを控えてきたが状況は変化した。ライトを使えば、足跡の捜索はずっと楽になる。実際、足取りの捜索はスピードアップした。
幸いなことに、彼らの努力は結ばれた。
異変に気づいたのは、ほんの少しロイドの方が先だった。
「……ツァイト!」
「……戦場音楽だな。それも古風な」
斬り合いの音が聞こえるとツァイトは言っていた。鋭利な刃物がぶつかり合うキーンという音は、現代では滅多に聞くことはない。
「遠いな。ツァイト、方角は?」
ツァイトは少し首を振った。ここから見て2時方向。
「……なんか引っかかるな。何だろう……そうか!」
そこにはかつて騎神が顕現した場所がある。因縁というのはこのことかーー
ロイドは駆け出した。
湿地帯の最奥にたどり着いたとき、ロイドは自分の目を疑った。二人の男が超高速で斬り合いを行っている。別れては斬り結び、そして間合いを取っては再度鍔迫り合いに至るーーそんな光景が繰り広げられていた。いや、それがまるでコマ送りの動画のような速さで繰り広げられている。
二人の背格好はほぼ同じ。片方はビジネス用スーツの上下、もう片方は真っ黒のフード付きマント姿である。スーツの方はリィン・シュバルツァー、マントの方はロイドには面識がなかった。
「まずいなロイドーー圧倒的だ」
ツァイトからそう言われて見直すと、状況は一進一退に見えてそうでないことが分かる。速さではひいき目に見て五分五分だが、マントの男の方が打ち込みの力で圧倒していることが見て取れた。リィンはそれを受け流したり、躱したり、あるいは剣気で動きを止めてその間に距離を取ることを繰り返している。時間を稼いでいるのか、それとも目の前の状況を挽回するのに精一杯なのかーーまぁ、両者に明確な違いがあるかというとそうではない。勝てるなら勝ってしまえばいいのだから。そうすれば命だって落とさずに済む。
「ロイド!」
ツァイトから再度念話で呼びかけられて、ロイドは我に返った。そうだ。現在の状況は傍観していいものではない。何とか止めないと。警察官であればなおさらのことだ。だが、どうやってーー
ロイドが逡巡している間に状況は悪化していた。なんとか劣勢を打開しようとして、大振りでの打ち込みを試みたリィンが突如バランスを崩し、マントの男がリィンの刀を打ち飛ばしてしまったのだった。つんのめったリィンはそのまま倒れて動かなくなる。死合という意味では勝負はついてしまったのだった。
ロイドは身構えた。こうなったら、丸腰でも踏み込んであの黒マントを無力化しなければならない。こんなんだったら、拳銃かライフルでも持っていくべきだった。尾行だと思って警棒まで置いていったのは痛恨のミスだが、やらなければーー
「ツァイト。向こう側で注意を引いてくれ。同時に飛び込む」
「ロイド。勇気と無謀は同義語ではないと思うが」
「じゃあなんだ。目の前で人が殺されるのを見ていろとーー」
その次の瞬間、戦場は突如、轟音と閃光に包まれた。
どこぞのドキュメンタリーですが、始めた人は終わらせる義務があるそうですよ。
(大体みんな見ているあのドキュメンタリーです)
とりあえず自分は「アッハイ」と言うしかない。