パブロ・ピカソ
リィンに対して思うところがある時、アリサ・ラインフォルトはリィンのことを「あの男」と呼ぶ。口に出すのは一人の時だけだが。
アリサ・ラインフォルトは急いでいた。リィン襲撃さる(と負傷)の一報を受けたのは今日の未明、すぐにでも逢いに行きたいところではあったが、ルーレからクロスベルの飛空艇直行便は全て満席で、ヘイムダル経由の便しかチケットを取れなかったのだった。おかげで、どんなに急いでもクロスベルの到着は正午になってしまった。
こんなのだったら重役専用のプライベートプレーンを導入しておくんだった、と後悔したが今更後の祭りである。もっとも、ヨルムンガンド戦役このかた資金欠乏に悩んでいるラインフォルトが、そのような「贅沢」をする余裕はなかっただろうけど。
それにしてもあの男は、何でもかんでも頼まれごとをほいほい引き受けすぎる。
アリサは思った。
今回の件に関しても断ろうと思えばできたのに、二つ返事で引き受けてしまったと聞いて怒るより先に呆れてしまったものだった。
あの男はいつまで経っても変わらない。相克を終えてあり得たかもしれない選択肢と向き合い、少しは変わったかと思いきやちっっっとも変わっていない!
そんなことしてても世界は良くならない。世の中はもっといい加減に生きるものだと何故分からないのだろうか。
そんなこんなを頭の中で弄んでいるうち、列車はウルスラ医科大学病院駅に到着した。本来ならクロスベルから直接車で乗りつけたかった所だが、今、ウルスラ医科大学前は大渋滞なのだという。理由は想像はついたが深く考えないことにした。
ウルスラ医科大学駅の出口を出て、予想通りマスコミや警察関係者でごった返している受付を何とか抜け、特別病棟へと急ぐ。目的地のVIPルームへ入るにはパスカードが必要らしかったが、シャロンは当然とばかりにすっとカードをアリサに差し出した。一体いつの間にカードを入手したのか、アリサには想像もつかなかった。
特別病棟に入り、ばたんとドアを大開きにすると、あの男ーーリィン・シュバルツァーは、何人かの人間に取り囲まれていた。頭に包帯を巻いている以外は問題は無さそうだ。リィンと取り巻きは一斉にドアの方に振り向く。
「……アリサ?」
リィンが困惑したような表情を浮かべる。
アリサには、会った時に説教してやろうと思っていたことが、十指に余るほどあるはずだった。しかし、リィンの顔を見た瞬間、そんなものは綺麗さっぱり吹き飛んでいた。アリサはつかつかと駆け寄り、愚かな夫を強く抱きしめたのだった。
「ア、アリサ……アリサさん……何でここに……ルーレに居るんじゃなかった?」
リィンは言ったがアリサは答えない。えぐえぐと泣きじゃくりながら何かを言っているようだけど、リィンには聞き取れなかった。
「あの……だから落ち着いて。せめて泣くのをやめてくれないか……折角の美人が台無しだから……」
結局、二人の時間を中断させるには、部外者の介入が必要だった。
「アリサ。お取り込み中のところ悪いけど事情聴取中」
誰かがアリサの肩を掴んで強引に引き剥がした。折角の再会を中断させられたアリサは、文句の一つも言おうと思って向き直ると、そこには小柄の少女が立っていた。
「……フィー?」
「ん。分かっていると思うけど私だけじゃない」
よくよく見ると、病室の中は人で溢れていた。フィーだけではなく、クロスベル市警、遊撃士と思しき人、聖杯騎士にその従騎士、医師に看護士と十人以上が室内にいる。気まずそうな顔をする者、にやにや笑いをする者、見なかったふりをする者、あらあらうふふと笑顔を浮かべる者、反応は人それぞれであれど、アリサが場を読んでいないことだけは確かだった。
この期に及んで、思っていた以上に人がいることをようやく認識し、それまで泣きじゃくっていたことも忘れてアリサはひどく赤面した。誤魔化すかのようにドアの方に顔を向けると、そこには一緒について来たシャロンがいつもの笑みを浮かべて立っている。ただ、口の端がわずかに引き攣っていることをアリサは見逃さなかった。どうやら、事情聴取中だと思われるから気を付けるようにというのを言い忘れたか、言えなかったらしい。
「……ごめん」
「ん。分かればいい。ところでみんな」
フィーが室内を見渡した。
「時間もないから。一応紹介しとく。アリサ・ラインフォルト……って、みんな知ってるか。いや、知らない人もいる」
フィーがダドリーの方を見る。
「アリサ、挨拶して」
そう言われてアリサは室内をきょろきょろ見回した。数瞬して、部屋の端で面白くなさそうにむっつり黙っている眼鏡の男性のことであると分かった。
「あ……大変失礼致しました。アリサ・ラインフォルトです。この度はリィンが大変ご迷惑をおかけしまして……」
「いえいえ。クロスベル州警察、アレックス・ダドリー警部であります。これは州警察として当然の義務ーー」
「挨拶終わったら元に戻る」
フィーに会議を仕切らせると(それ自体が非常に珍しいことだが)強引に過ぎるらしい。
「で、ロイド。リィンを再び発見した時は既に戦闘状態だったと」
突然話を振られてロイドはまごついたが、何とか持ち直す。
「え……あ、はい。リィンさんともう一人の人物と思われる存在が斬り合いをしているのを見ました。月明かりしかなかったから、見えづらいところがあったけど暗色系のマント、顔は……見えてないです」
「ん……暗い中そこまで見えるって、さすが捜査官」
「それで、リィンさんが滑って倒れて、動かなくなって……踏み込もうと思ったその瞬間に、周囲が光って物凄い音がして……そうか、フラッシュバン?」
「そう。止めようと思って投げたら、丁度いいタイミングでみんなの動きが止まったから助かった。斬り合いの途中で使ったら、何が起こるか分からなかったから」
「それで、閃光に目がやられて、視力が元に戻ったら、男はいなくて……フィーさんが居たんですよ」
「ロイド、大丈夫。男は目を塞いで沼地の奥に消えていったから。多分ロイドと同じで目が眩んだんだと思う。呻き声あげてたから、症状はもっと酷いかも。これで大体の話は繋がった。ところでリィンーー」
フィーはリィンの方に顔を向けた。
「リィン。距離を取って相手の動きを止める、そういう約束だったよね。あんなに飛び回ったら銃撃はできない。だったら、待ってくれても良かったのに」
「時間稼ぎがうまくいかなかった。いきなり刀を振り上げてかかってくるとは思わなかった。それにあの剣圧と振りの速さ……」
「フラッシュグレネードを使わなかったらどうするつもりだった?」
「……やられてたかも。ビジネススーツで斬り合いするんじゃなかった。踏み込みで滑って岩に頭をぶつけるなんて……剣聖失格だ」
リィンは頬をかいた。
「精進だね、リィン。それとも社長やって身体がなまってる?トレーニングしてあげようか?」
「……辞退します……フィー相手にトレーニングというとアイゼンガルド連峰で山籠りとかになりそうだから」
「冗談。あ、そうだ」
フィーがアリサの方に向き直った。胸ポケットから細長い直方体の包みを取り出す。
「はい、これ。結婚おめでとう」
「え、あ、あの……」
「いいから受け取って」
アリサはなおも逡巡していたが、結局フィーの気迫に押し切られる形で包みを受け取った。祝福というよりは自分自身のけじめ、あるいは式に呼ばなかったことの嫌味だったかもしれない。後になってアリサはそう思い返すのだった。
「いい加減にしてくれないかね」
さっきから置いていかれているダドリーが爆発した。
「連絡を受けて急行したら精密検査が一段落するまで入室禁止、入室禁止が解けたらいつの間にかここは部外者が入り込んで、挙げ句の果てにこちらから知っていることを全部話せですと!第一何故遊撃士協会や聖杯騎士がここに居るのですか」
ダドリーの口調は辛うじて丁寧だったが顔には憤懣が滲み出ている。
「クロスベル州警察には封聖省から連絡が行っている筈ですが」
聖杯騎士ーートマス・ライサンダーが言った。ダドリーの憤懣などどこ吹く風という感じである。
「つい一時間前ですぞ!」
「まぁもう少し落ち着いて。封聖省も事件の解決には協力を惜しみません。遊撃士協会もそのはずです。
ダドリーとトマスの仲介をしたのはリィンだった。
「どうですか、トマス先生。もう隠しておける段階ではないと思うのですが。それに、次が空振りだと後の影響が大きすぎる」
「……やむを得ませんな。ダドリー殿」
「何でしょう」
「少々、警察から人数をお貸し願えますかな。いや、少々ではないかもしれないが。それも早急に」
「協力したいのは山々だが、私の一存では何とも言えません。上を説得することについては協力しますが、せめて貴方がたが何をここでやろうとしているのか、教えていただかないと」
しばしの逡巡の後、トマスは口を開いた。方針は固まったようだった。
「ダドリーさん、ロイドさん……
「天正自顕流?」
ダドリーはオウム返しに聞き返した。
「でしょうね。カルバード共和国、東方にかつて存在した古代剣術だそうです。古代といっても、ゼムリア文明時代の話ですけどね。剣術でも速さと攻撃に特化した流派だそうです。刀を無駄なく振り下ろすために、右肩の上で刀を構え、肘から先だけで振り下ろすのだそうです」
「肩の上……」
ロイドはポーズを真似してみた。脇を締め、右肩の上で刀を構えてみる。肘から先だけを使って剣を振り下ろす真似をする。八葉一刀流の正眼の構えと比べると違和感がある。
「確かに……あの男もそういえばこんな感じで振り下ろしていた……けど、信じられない。あんなに早くて威力のある剣になるんですか?」
「そのために厳しい修行を積むのだそうですよ。解読された文書によりますと、
『一呼吸を分と呼び、
それを八つに割ったものを秒と呼ぶ。
秒の十分の一が糸、
糸の十分の一が忽、
忽の十分の一が亳、
亳の十分の一が雲耀、雲耀とはすなわち稲妻のこと也
一撃の速さ、進退、雲耀の如く』
だそうです。剣の振り下ろしだけでなく、進退の速さもこの流派の特徴です。一般的な剣術が想定する間合いより遠くから一気に差を詰め、主導権を奪ってしまう。まさに攻撃に全てを賭けるやり方です。そして、この剣術に熟練した者が達し得る境地、それこそが『
一同、声もない。
「三か月ほど前、カルバード共和国のとある場所で、アーティファクトの封印と移動作戦が行われました。天正自顕流の修行のために用いられていた刀だそうです。その力は、持った者の意識を支配し、強制的に流派の型を使わせるものだった、伝承にはそうありました。単に意識を支配するだけでなく、使用する人の潜在能力を大幅に引き出す効果もあったようです」
「問題は、修行の過程で実戦を経験させるということでした。つまりですねーー剣術の上達のために魔獣、あるいは人を斬るということです。悪用を危惧した協会は、この刀を封印し保管しようと試みましたが、移送途中に結社<身喰らう蛇>に襲撃され、この刀を奪われてしまいました
封聖省はすぐさまアーティファクトの奪還を試みましたが、結社もこのアーティファクトを失い、行方が分からなくなったことが判明しました。恐らく、結社内の何者かが勝手に持ち去ったのでしょう。そして、アーティファクトの所在が最後に確認されたのが、ここクロスベル自治州だったのです」
「ちょっと待ってくれ。」
ダドリーが遮った。
「ということはだ。七曜教会は、そんな危険なものがクロスベルにあることを知りながら、黙っていたということか」
「七曜教会でも、アーティファクトに関わるのはごく一部です。黙っていたのは、封聖省と言うべきでしょうな」
トマスはしれっと答えた。
「では、封聖省が黙っていた、という認識でよろしいか。封聖省はこの三か月、クロスベル自治州の市民の生命を危機に晒したということなのか!」
ダドリーは語気荒く詰め寄った。
「その通りですな。全くその通り。ただ、不幸中の幸いだったのが、アーティファクトが引き出し、増幅させた潜在能力が<夜目>だったということです。この刀を持つ者にとって、昼間はもちろん、夜でも街灯がある箇所は明るすぎ、近寄りにくいらしいのですよ。連続殺人事件のパターン、収集した情報から、我々はそういう仮説を立てていました。仮説が確信に変わったのは、フィーさんのお手柄ですけどね」
「だから心配はしなくてよかった、と」
ダドリーの怒りは納まらない。
「そこまで突き放したつもりはありません。ですが、我々が総力を挙げたとして、一体何ができたでしょう?クロスベル自治州内のどこかに潜んでいる人間を探し出すなど、藁の山から針を探し出すようなものです。捜索作戦は最初検討されましたが、野山をかき分けて探すなど非現実的と、結局却下されました。代わりに、アーティファクトの消耗を待つ、そういう作戦に切り替えたのです」
「消耗?」
「アーティファクトは奇跡を実現しますが、代償がないわけではない。大抵は、霊力の消耗という代償を支払います。霊力が消耗しきったアーティファクトは、回復のためにクロスベルに存在する地脈、そのいずれかに現れるに違いない、そう推測したのです。
聖杯騎士団は、遊撃士協会とその他有志に協力を依頼し、クロスベルに存在する地脈を監視することにしたのです。ただ、誰にでもできることではありません。相手は剣術の達人。それに加えスピードは予測不可能、となれば、速さに自信のある接近戦の達人でなければ難しいミッションでした。」
聖杯騎士団の方はそうも言ってられませんでしたが、トマスは付け加えた。
「だからリィンが夜な夜な歩き回っていた、というわけなんですか」
ロイドが訊く。トマスはうなずいた。
「消耗して現れたところを叩いて、可能ならば封印する、そういう手筈でしたが、アーティファクトの威力は想像以上だったようです。恐らく、乗っ取った人も相当の使い手だったのでしょう。リィンさんが不覚を取る可能性はかなり高いものでした」
リィンは僅かに背筋を震わせる。フィーが閃光手榴弾を使うことを思いつかなければ。
「ですが、様々な幸運によって、情勢はこちらに有利となっています。アーティファクトの霊力は依然消耗しており、回復が必要であることに変わりありません。さらに、閃光手榴弾の光をまともに見てしまったために、視力もしばらくは低下しているでしょう。今が千載一遇のチャンスです」
「近いうちに男が……いや、アーティファクトがどこかの地脈に戻ってくると?」
「そうですロイドさん。人海戦術で網を張り、追い詰め、再封印するのです。今まで霊力反応の大きい地脈に限って監視してきましたが、今度は監視範囲を広げ、確実な捕捉を目指します。」
「失敗したらどうなる」
ダドリーが訊く。
「アーティファクトが霊力を回復してどういう奇跡が起きるかは予測不可能です。確実に言えるのは、連続殺人事件がこれからも続くーー少なくとも使用者が剣の道を極めるまでは」
トマスの答えにダドリーは歯を噛み鳴らした。
リィン・シュバルツァー襲撃さる、のニュースはクロスベル州を震撼させた。相手が切り裂き魔となればなおさらである。記者会見会場には記者が押しかけて入りきれない程となり、報道官は質問の嵐に晒された。
しかし、報道官は質問のほとんどにノーコメントを貫き、今回の事件捜査のため、警察と警備隊合同で自治州内の捜索作戦を行う、とだけ述べた。