Lightning Sword   作:ブッカーP

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雲耀の章

 

 最初は、ほんの出来心だった。

 

 上からの命令で、自分の所属する猟兵団に古代秘宝を教会から奪取するという命令が出た。団はそれを受け、実行した(上は古代秘宝であるとは言わなかったが教会相手のドンパチならそうに決まっていた)。作戦自体は他愛もないもので、それはあっけなく手に入った。教会の連中の警備はお粗末に過ぎた。

 

 作戦終了後、秘宝を輸送するということになり、自分は秘宝の警備を命じられた。本来、警備が一人の人間に任せきりになることはあり得なかったが、たまたま人数が足りず、そういうことになった。

 

 警備というのは暇なものだ。そして、真面目にやろうとすればとてつもなく緊張して疲労することになる。そもそも、襲撃の心配がない飛空艇で、対象を直接警護するなどナンセンスだ。仲間内でそう話したし、同意する連中も居た。

 

 そんな「暇」が3日続いた後、「秘宝」をどうしても見たくなった。もちろん秘宝に触れることそれ自体が懲罰ものであるが、細長いケースに入った「それ」の中身を見た者は誰もいない。触れたことを証明することなどできはしない。少なくともその時はそう思った。

 

 中身は東方風の太刀だった。少し古ぼけたデザインであることを除けばただの刀にしか見えなかった。

 

 こんな古刀に何の価値がーー

 

 手に取ってしまうのは必然だった。少なくとも自分は、今でもそう思っている。

 

 その後のことは、そう、何と言ったらいいか……体の中が突然燃え上がるように熱くなり、全身が筋肉痛もかくやと思うような激痛に見舞われた。あまりの痛さと暑さにしばしのたうち回ったが、それは突然収まった。逆に体がものすごく軽くなったような感じになった。刀を振ると、まるで竹刀でも振るかのように軽々と振れるのだった。

 

 そして「声」が聞こえてきた。頭の中だけに響くような感じで「聞こえて」きた。曰く、

 

 斬れーー

 

 と。

 猟兵というのは、殺人を愛する精神倒錯者のような扱いを受けることがあるが、自分に言わせるならそれは全くの誤解である。任務と関係ない殺人は、猟兵の最も忌むものだった。そのはずだった。

 

 そのはずだったがーー偶然近くをソイツが通りかかった。ソイツは、ここ数年同じ戦場を駆け、死戦を潜り抜けた「戦友」だったが、手にかけることに何の躊躇もなかった。数秒後、戦友は骸と果てていた。自分の変化に気づくのが遅すぎた故の悲劇だった。

 

 飛空艇内は大騒ぎになったが、やることは決まっていた。迷いなどなかった。頭の中だけに声が聞こえ、それに従っていれば万事上手くいった。パラシュートを着け、船尾にあるドロップゲートの扉を開けて脱出すれば問題なかった。間抜けなのは教会だけでなく自分達もそうだった。

 

 そして剣と「声」との共生が始まった。声は朝晩の修練ーーひたすら型に従った素振りーーを強要した。そんな剣士ごっこに付き合うつもりはなかったが、やらざるを得なかった。やらなければあの筋肉痛が待っていたし、剣を手放そうとしてもどうしても手から剣が離れないのだった。

 

 代わりに食事を摂ることがなくなった。水すら飲まずに生きることができた。二、三日に一回、クロスベルにいくつかある霊脈に行き、しばらく待っていれば空腹も渇きもなくなるのだった。恐るべきことに、剣の刃こぼれや曲がりすら勝手に修復するのだった。

 

 それからは剣の声に抗うことはやめた。声に従い、さまざまなものを斬っていった。そのほとんどは魔獣だったが、時たま人間を斬ることもあった。体に起こった変化は剣とか、食事とかそれだけに留まらなかった。視力、聴力、触覚、全てがはるかに研ぎ澄まされた状態になった。人間を警戒して徘徊するはずの魔獣相手に奇襲をかけるなど造作もなかった。

 

 感覚が研ぎ澄まされたことは良いことばかりではなかった。暑さ寒さは身にこたえたし、昼間は眩しすぎて出歩くことは叶わなかった。コートを着て縮こまることしか出来なかった。

 

 しかし、戦士としての実力は以前とは段違いに向上した。どんな相手にも、どんな魔獣にも打ち勝つだけの自信があった。結社の大型人形兵器すら、余裕で戦えるだけの自信があった。

 その自信が確信に変わったのは、一週間前だった。エルム湖湿地帯の霊脈で霊力を補充している時だった。そこに、とある男が現れた。

 男は自分の正体ーーいや、刀の正体を知っていた。悪いことは言わないから、その刀を引き渡せ。引き渡さないと重大な結果を招くだろうと言った。

 

 今更何を言うのだろうか。

 

 この刀を握ってからこのかた、放したくても放せないのに、どうして引き渡すことができようか。それからは断る、引き渡せの押し問答が何回か続き、しびれを切らしたのか、男は佩いた太刀を抜き払った。あくまで断るなら、実力行使止む無しと。

 

 さすがに今までのような戦いとはいかなかったが、実力は圧倒的だった。

 

 相手は八葉一刀流を名乗っていたが、その八葉一刀流の剣すら、スローモーションでしかなかった。余裕を持って受け流すことができたし、剣を振る速さに圧倒的な差があることもすぐ分かった。それでもこちらの剣が受け流されたのは、向こうが超一流の剣士である証明であった。それでも、彼我の実力差は圧倒的という言葉すら足らない。追い詰められた敵は、捨て身の攻撃に出たーーが、滑って転んで気絶するという滑稽な結末に終わった。八葉一刀流の最期としてはまことにあっけないものであった。

 我に敵はなし。使徒とすら互角以上に渡り合えるーー

 

 自分は勝利の余韻に浸った。いや、浸りすぎた。

 

 おかげで、あの時、目の前に転がってきたものが閃光手榴弾であることに気づくのが、ほんの一瞬、遅れた。本来ならすぐに目を閉じ、口を大きく開けて耳を塞ぐ状況だった。猟兵として受けていた訓練により、機械的にそれができるはずだった。実際は、それすらできていなかった。

 結果は壊滅的だった。真夜中でも、昼間のように見通すことができた視力は、今はまったく機能していない。耳もほとんど聞こえない。人の話し声を聞くことすらできない。医者に行けば補聴器をすすめられるかもしれなかった。あの場を何とか切り抜けられたのは、直後に乱入してきた新手の敵が、あの剣士の救助に専念したから。それだけだった。

 

「問題ないーー」

 それでも剣はそう言い続けている。霊力が消耗しているから回復ができないが、霊力さえ補給すれば、身体の損耗などすぐに元に戻る。だから、さぁ、霊脈に戻るのだーー

 

 それが出来ないから問題なのだ。

 

 剣にそう問いかけても、まともな返答は来ない。霊脈に戻れ、それだけである。もしかしたら、剣も「本当に困っている」のかもしれなかった。

 

 事情が変わったのはその翌日(六日前)だった。 

 それまで見当違いの捜査をしていたクロスベルが、突如、州内全ての霊脈、その警備強化に乗り出した。全ての霊脈に警備隊が配置されたらしかった。隠れて偵察した霊脈では、夜通し照明弾が焚かれ、一個小隊程度の警備隊員が見回りを行っていた。自分が明所に弱いこと、敵がそれを知っていることは明らかだった。

 一個小隊なら無理すればいける……そう考えたこともあった。しかし、飛空艇まで動員してパトロールしているのが分かって、それも断念した。たとえ地上部隊を悉く屠ろうと、空から銃撃されながら霊力を回復することなど不可能だったからだ。それに、小型の霊脈では霊力の回復が中途半端になる。完全回復を目指すならあの場所ーーエルム湖湿地帯の霊脈を目指すしかなかった。

 

 本当なら行きたくはなかった。自分一人だけなら、とっくの昔に自治州を去っていただろう。自治州内にしか霊脈がないわけではない(数は多いのだが)。

 しかし、刀の要求に逆らうことは難しかった。警戒の薄い霊脈を探してはみたが、結局無駄足を踏んだだけだった。あの場所へ行くしかなかったのである。

 

 そして、やはり奴は居たーー

 

 

 

 一週間ぶりに再開した敵は、着ている背広姿に変わりはなかった。しかし、靴は野外行動用の半長靴だし、臙脂色の防寒ジャケットを羽織っている。ネクタイも無い。太刀佩き用のゴツいベルトが妙に目立っていた。

 

「待ちかねたよ。ここで警戒線を張ってから4日目だ」

 目の前の奴ーーリィン・シュバルツァーは霊脈の傍に立っていた。霊力の作用によるものか、リィンの声だけははっきりと聞こえた。聴覚はほとんど麻痺していたはずだったのだが。

 

「ふん。とっとと尻尾を巻いて逃げたのではなかったのか。」

 

「自分の恥は自分で雪ぐ。本来なら、そのアーティファクトだけ封印すれば良かったのだが、八葉一刀流の剣士として、落とし前をつけなければならなくなった。自分の責任だ。」

 

「落とし前?八葉一刀流など多寡が知れている。恥を晒す前に自害したらどうだ」

 

「だからこそだ。貴様さえ斃してしまえば、帳尻は合わせられる」

 

「ぬかせ。所詮、導力と馴れ合った剣術に、剣の極みなど見えるものか」

 

 リィンは男の挑発に動じる様子はない。彼の中で為すべきことは既に決まっているのだった。

魔剣の隷属者(セイバーのサーヴァント)風情が吐かすなよ。いずれにせよ、決着は今、ここで決める。最後に立っているのはどちらか一人だけだ」

 そう言うとリィンは鞘からすらりと太刀を抜き放った。

 

「安心しろ。手出しは無用と伝えてある。来いよ。アーティファクトと一緒に葬ってやる」

 

 返答は、甲高い叫び声だった。

 

 両者共に飛ぶように間合いを詰め、まずは一合打ち合う。同時に間合いを開け、直後、詰めて数合ほど打ち合う。

 

 予想通り。

 リィンは確信した。

 

 剣を受けていて、前とは違いがあるのが分かる。やはり、軸が微妙にずれているし、霊力を消耗しているのか、剣にも前のような力はない。前は躱したり受け流したりするのがやっとだったが、これなら何とかしのげそうだ。だとしたら、次はどうやって勝つか……

 

 しかし、だ。

 見えてない。

 見えてないはずだ。

 見えてないはずなのに!

 

 これが視力が奪われているはずの男の斬撃か!並の剣士ならとうにやられているであろう。それに、目の前の男が自分の想像通りだとしたらーー

 

 

 

「凄いな……」

 霊脈から少し離れた所で、ロイド、フィー、トマスの三人は仕合を観戦していた。前と違って、そう一方的に押し込まれる展開になっていないから、隙を見て狙撃してしまえば討ち取れるかもしれない。周辺に展開しているクロスベル警察もそう思っているかもしれなかった。

 しかし、仕合への手出しはリィンによって固く止められていた。剣士として、流派としての面子というものがある。リィンはそう言っていた。

 

 ロイドが言った。

「アリオスさんを思い出しますね。いや、それ以上かもしれない」

 

「第一線を退いても剣聖は剣聖ですか」とトマス。

 

「リィンにはそのつもりはないはず。でもおかしいね」とフィー。

 

「どうして?」

「このままいけばリィンが負けることはないけど、リィンは何かを恐れている。リィンは全力が必要だと思えば全力を出す。リィンの全力は、こんなものじゃないはず」

 

「そうなのか?」とロイド。

「でしょうね」

 トマスは昨日リィンと話していたことを思い出した。曰く、アーティファクトの自己防衛とはどのようなものか。と。

 

 

 

 死合は既に50合を超え、流石に双方とも息をつき始めていた。打ち合いもあり、鍔迫り合いの力勝負もあり、勝負の行方は未だに混沌としていたが、双方ともに押し切るというよりは、相手の隙がいつできるか、を待っているような感じになった。もちろん隙ができたら即座に叩き斬るわけである。

 

 男は焦っていた。佚を以て労を待つ状態に進んで踏み込んでいて、何の芸もなくだらだらと斬り合いを続けている。気力十分なら即座にペースを上げて押し切ってしまうが、気力十分ではないのだからどうしようもない。やれることといえば、相手が隙を見せた時を見計らって逆襲をかけることだが、相手もそこまで気前が良くないらしい。とすると、相手のゲームに付き合いつつ、どこかで主導権を取らなければならない。

 

 男は裂帛の気合いで剣を振り下ろす。しかしリィンは刀を当てて僅かに軌道を逸らすと、剣は虚空を切り裂いた。すかさず横に薙いでみるがこれもリィンが一歩退いて避けてしまう。今度は間髪入れずリィンが飛び込む。上段からの振り下ろしを男が受け、しばしの鍔迫り合いが行われた。

 

 刀を通じた力比べが行われる。今や、力量では明らかにリィンが有利である。力で相手を押しているのが分かる。さすがにそのままというわけにはいかないので、男の方が気合で押し返し、リィンが引いたところで男も引いて距離を取る。

 

「どうした。お前の全力はそんなものか」

 リィンが挑発する。

 

「……いい気になるなよ。もう勝ったつもりか」

 

 男の返答にリィンは一言だけ言った。

剣の従者(サーヴァント)に用はない。俺が相手をしているのはそのアーティファクトだ」

 

 男の動きが止まった。何故かマントについているフードを外して捨てた。頭髪を短く刈り込んだ、やくざな男の顔だった。顔には斜めに大きな傷がついている。

 

 直後、大きな叫び声と共に、男の顔に無数の血管が浮き上がった。目も飛び出して、すんでのところで顔から取れてしまいそうだ。

 変化は顔だけではない。体全体から気が溢れ出ているのが感じられる。まるで男を中心に霊脈が新たに出来たかのようだ。

 

「……来たか。さぁ、お前の全力を見せてみろ」

 リィンはわずかにたじろいたが、それでも構えを崩すことはない。まるでそれを待っていたかのように。

 

「そうか……それを待っていたんだね」フィーが眼前の光景を見ながら言う。

「ですね」トマスが答える。

「何ですかあれ!?」ロイドは、眼前の状況に混乱している。

 

 トマスは目を離さずに答えた。

「リィン君は待っていたんですよ。アーティファクトが最後のカードを切ってくるのを。アーティファクトは自身に危機が迫ると、強制的に操者の意識を乗っ取ります。ああなっては、もう元には戻れませんが……ここから先がアーティファクトの本当の実力でしょう」

 

「ここからが本当の死合ーー行くぞ、『冥我・神気合一』!」

 リィンも負けじと全力を解放する。数々の修行と実戦のもとに編み出された、己の実力と感性を限界まで引き出す八葉一刀流の秘術ーーリィンの体からもそれまでにない闘気が溢れだしていた。

 

 それからの数十合は、今までのものとは比較にならないスピードとパワーで繰り広げられることとなる。

 

 男の迅さーーはさすがに今までと比べ物にならない。さすがにリィンも悠々と応対するわけにはいかなかった。斬撃をすんでのところで避け、髪の毛が何本か持ってかれる。息をつく暇もなく返しの刃がやってくる。さすがに受けると危ないので、多めに距離を取る。

 アーティファクトの介入によって、腕力と剣のスピードは段違いに向上している。だが、それ故なのかフットワークが若干鈍っている。おかげで、距離を取ることに専念すれば、連続で打撃に対処することはなくなり、何とか処理が可能である。といっても、そう言えるのはリィンが潜在能力を限界まで引き出しているからなのだが。

 

 双方ともに一息つき、構えを直した。極限の状態にありつつも、無限に剣を振り続けるわけにはいかない。時間が止まるのはほんの一瞬、呼吸さえ整えばすぐに戦闘は再開される。

 今度はリィンが一直線に向かってくる。男はーーいや剣はーーリィンと同じく距離を詰め、反射的に剣を振り下ろした。

 リィンが、まっすぐ男に向かっているように見えてほんの少し(男から見て)右に体をずらしていることに気づいたときには既に遅すぎた。リィンが相手の剣その軌道を読み切って、ぎりぎり躱せる程度に体をずらしていること、いつの間にか面を狙うのではなく、胴を斬る体制に変えていることには、ついぞ気づくことがなかった。

 

 アーティファクトの斬撃はまたも虚空を切り裂いた。

 

 次の瞬間、リィンの剣が男の胴体を横薙ぎに切り裂いた。

 

 男の姿勢がぐらりと揺らぐ。リィンはリィンで飛びすさり距離を取った後で慎重に相手を観察する。

 もう相手は動けないはずだ。あれだけ斬られては、大量出血のショックでそう長くは生きられない。

 

 まさかーー

 

 男はまだ動いている。

 それでも剣を振り上げ、構えようとしている。

 

「リィン君!アーティファクトに人間の常識を当てはめるな!まだ終わっちゃいない!!」後ろから叫んだのはトマスだった。

 

 直後、誰もが一生忘れないぐらいの絶叫と共に男は斬りかかってきた。

 リィンは男の斬撃をほんの少し躱すと、返しざまに男の首を斬り飛ばした。

 

 

 

 静寂が戻った霊脈で、首無し死体をトマスが検分する。警察官でない人間が現場を荒らすのは本来あってはならないことだが、トマスは気にする風もない。何か気になるものがあったのか、上着を破って右肩を確認する。やはり、見知った刺青がそこにあった。

 

「『結社』の猟兵ですか。道理で」

 アーティファクトの力をそれなりに使いこなせたんですな、とトマスは続けた。

 

「とんでもないね、そのアーティファクトは」

激闘の末、へたりこんだリィンが、肩で息をしながら言った。手負の剣士相手に、本気で100合も打ち込むなんて……師匠との稽古だってここまではいかなかった。

 

「とんでもないものですよ。アーティファクトは。しかしこれは、少々我々も見くびっていたのかもしれません。今からでも封印しておかないと」

 

 トマスは「匣」を作ると、アーティファクトに対する封印を行なった。霊力でできた匣で囲われたアーティファクトは、余人がおいそれと触れることはできないだろう。後は、飛空艇を呼んで、然るべき場所へ移動する。今度こそ確実にやらないと。

 

 直後、がやがやと十人近くの人間が入ってきた。アレックス・ダドリーとクロスベル州警察の面々である。さすが警察ーーと言うべきなのか、首と胴体の離れた死体にも眉一つ動かすことなく、現場検証を開始した。あれこれ指示を出したダドリーは、リィンを見つけると近寄ってくる。へたりこんだままのリィンに構うことなく、一礼した。

 

「シュヴァルツァー殿。この度のご協力、誠に痛み居る」

 

「え、ええ。いや、当然のことをしたまでです」

 慌ててリィンは立ち上がって答えた。

 

「今回は借りを作りました。まぁ、それはそうとーー」

 ダドリーはトマスの方に向き直る。

 

「最初からこうしていれば、ここまで大事にはならなかった。そうは思いませんか。聖杯騎士殿」

 

「ええ、まったくです。ですが、最初からこうならないのが人の世。そうですよね」

 

「なるほど。借りを返す必要はない、ということですか」

 

「そうは言っていません。おたくの導力捜査課、単なる導力技術の捜査専任にしておくには勿体ない、そう思いますよ。やりよう如何によっては、貸しを返してもらうことができるかもしれない」

 

「なっーー」

 ダドリーは絶句した。聖杯騎士団がクロスベル州警察の内情に知悉していることを知らされたのだから、それも当然である。

 

 この後、警察がどう事件を処理したかについては省略する。当然、本当のことを言うわけにはいかないので、公式には精神に異常をきたした元猟兵の犯行ということにされた。クロスベル州警察の狙撃班が、捜索作戦の結果、犯人を発見し射殺したと言うことになった。真実と合っているのは元猟兵というところだけである。事件は解決し、平穏が戻った。ごく一部の人々を除けば、それで全く問題なかった。

 

 

 

 

その翌日、クロスベル空港VIP待合室ーー

 

「ねぇリィン」

 

「どうした?」

 

 リィン・シュバルツァーは目をくりくりさせてアリサを見つめてきた。高級な調度が置かれたVIPルームにはリィンとアリサ二人きり。久々のプライベート空間とも言えたが、これが確保されるのは長くても30分と決まっている。クロスベルからルーレへの飛ぶ飛空艇の便が30分後に出るからだった。

 

 アリサはこれからルーレのラインフォルト本社に帰らねばならない。業務を一週間も空けてしまったので、帰ったら山のように仕事が待っていることであろう。せめて一日ぐらいは二人でゆっくりなされては、とシャロンはそう言ったがアリサの方が辞退した。第一、今回のあれこれについてリィンの方が忙殺されている。「二人でゆっくりする」のは当分先のことになるだろう。こうやってリィンと二人でコーヒーを飲むのすら、貴重な時間なのだった。

 

 リィンはふてぶてしくなった。

 アリサは久しぶりに見るリィンの姿を見てそう思った。以前のリィンに良く見られた、いつ何時でもどこか遠慮しているように見えるあの感じは、影を潜めているように見えた。良く言えば堂々としている、悪く言えば傲然としているというわけだ。TPOさえ弁えてくれれば、悪くない兆候だとアリサは思うが(リィンほどの立場にある人間がおどおどしていては周りも困るだろう)、リィンのそういう変化の要因について把握できていないのは、アリサとしては腹立たしくもあった。今も高級ソファにどっしりと体を預けながら、コーヒーを美味そうに飲んでいる。

 まずいコーヒーを美味そうに飲むのはビジネススキルの範疇にはないはずだけどーーそう思いながら、アリサは心中の疑問を口にした。

 

「リィン」

 

「どうしたの?」

 

「こんなことを言いたくはないけど……いつまでこんなことを続けるつもり?あたしはリィンが教会や遊撃士協会とつるんであれこれやってほしくない。どうせこうなるんだから。」

 

「……」

 

「貴方が八葉一刀流の剣聖であることも、神気合一をものにしたことも理解しているつもりよ。協会や遊撃士といろいろ付き合いがあることも。でも、どんな優秀な戦士であったって、戦場に出れば敵弾を浴びる。」

 

「そして弾丸は等しく生命を奪っていく。それが刀だって同じはずよ。リィン、それが分かっていて、何故前線に出たがるのかしら。協力したければ、別の方法だってあるはずよ。」

 

 リィンはそれを聞いて困ったような顔をした。

「君はもう分かっていると思っていたけど」

 

「何も説明を受けていないのに?貴方は勝手にアーティファクトの事案に首をつっこんで、すんでの所で死にかけた。私が知ってるのはそれだけよ」

 

 まだ何か言いたそうなアリサを手で押しとどめると、リィンは答えた。

「約束したからだよ。『俺の可能性』と」

 

「どういうこと?」

 

 リィンはさらに困惑した表情をうかべ、しばらくして話し出した。

「アリサ。君だって『バベル』を見ていたから分かるはずだ。この世界を統べているのは何だと思う?」

 

「??」

 

「少なくとも帝国ではない。もちろん共和国でもない。結社でも教会でもない。でなければ、アーティファクトが大手を振って歩けるものか。『可能性』は言っていた。遠からず世界は危機に見舞われると。彼らすら翻弄する何かが動き出している。それが導き出すものは、ギリアス・オズボーンが仕組んだ『相克』すら児戯に見える何かになるはずだ」

 

「リィン、あなたはーー」

 

「そして、俺はそれに抗い勝利する、と答えたんだ。約束したからには守らなければならない。そのためには、力が必要だ」

 

 アリサは信じられないという感じで言う。

「どういうこと?まさか、ラインフォルトを利用するために私と結婚したというの?」

 

「アリサーー君がそんな風に思っていたなんてがっかりだな。いずれ逃れられぬ嵐とあらば、君と一緒に立ち向かいたい。そのつもりだったんだけど。ラインフォルトはそのついでさ。まさか、ラインフォルトが俺や君を守ってくれると思ってるんじゃないだろう?もちろん、利用できるなら有難いことだけどさ」

 

 アリサは目のリィンの笑顔を見て、背筋が震えるのを感じた。目の前の男――彼女が世界で最も愛する男は、まぎれもなくギリアス・オズボーンの息子であることを改めて確信したのだった。

 




本作品の構想、執筆にあたり以下の資料を参考にさせて頂いた。

とみ新蔵、津本陽(原作)「薩南示現流」
前阪茂樹、村山輝志(鹿屋体育大学)「示現流の教法」(武道学研究26-(2),1993)
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