怪獣の方舟~The Earth of Monster~ 作:わいえす!
2014年 8月
夏休み中とあってか、平日にも関わらず東名阪道は多くの車両が走っていた。渋滞にならないまでも、夏の暑さと相まってドライバーをイラつかせるには十分な量なのだろう。事故で車線を狭められていた事を思い出しながら、旗中は助手席のサンバイザーを降ろした。
クーラーを効かせているとは言っても、夏の日差しの前には暑いことには変わりない。これなら後ろの席に行った方が良かったか…そんな事を思いつつ、旗中は隣でハンドルを握る男性に話題を振る。
「親父、どう言う話なんだ?その…」
「安珍清姫伝説?」
そう答えた人物――旗中の父の言葉に彼はあぁ、と頷いた。当時、彼は国内外で活動するドキュメンタリー映画の監督として、それなりに業界内ではそれなりに知られる人間であったらしい。当時11歳であった旗中にそんな世間の評価など分かるはずもなく、どこかへ出掛けたかと思えばいつの間にやら帰ってきて自分の作品を見せる人、程度の認識であった。しかし、その作品達にどこか引き込まれるものを感じたのも事実だった。
『1つじゃあないのさ。世界も人も。だから面白い。』
そう語る彼の目はキラキラと光っているように見えた。子供なのよ、そんな声が脳裏によぎり旗中はチラリと後部座席で座っている女性に目を向ける。眠っているのだろうか、静かに目を閉じるその女性――旗中の母は夫である父の話をする度に小馬鹿にするようにそう話す。
『あの人はね、自分が全てを撮れると思って、しかもそれを疑わないの。いつしか限界が見えてくるのにね…』
今もバリバリのキャリアウーマンたる所以か、現実的で冷徹に言い放つ彼女だが、その姿がどこか自虐的に見えたのは気のせいだろうか…?
「…進二?聞いてるか?」
ふと、旗中は父の言葉で物思いから立ち直る。伝説の話を一からしていたらしい彼に苦笑しつつ口を開く。
「…聞いてるよ。悲恋の物語って言うんでしょ。」
かつて、奥州に安珍と言う僧侶がいた。彼が修行である熊野詣ために紀州、今の和歌山県へ赴いた際にとある家で宿を借りる。そこには清姫という娘がおり、彼女は安珍へ恋心を抱き、彼にアプローチをかけるのであった。
安珍の方に気があったかは定かではないが、結果として彼女のアプローチに根負けして熊野詣が終われば必ずここに戻ってくると言い清姫もそれを受け入れた。しかし、安珍は熊野詣を終えた後に清姫の元へは向かわず、来た道とは別の道で帰ってしまう。
清姫は一向に姿の見えない安珍にしびれを切らして、裸足のまま外へ飛び出すや熊野帰りの旅人達へ安珍の事を尋ねて回った。旅人達は口々に安珍は自分達よりも前に熊野を発ったと言い、清姫は自らが騙されたと理解して安珍を追い始める。その怒りの為か、やがて清姫は大蛇へと姿を変わり、自らが追われていることに気付いた安珍は慌てて日高川を渡し舟で逃げるが、大蛇となった清姫はこれを自力で渡って安珍に迫る。追い詰められた安珍は道成寺に駆け込み、寺の
「話は分かったけどさ、なんで清姫はそこまで安珍を追いかけたのかって…」
「ああ、そっちか…」
旗中の疑問に父は苦笑する。安珍が清姫を騙したのは間違いないだろうが、だからといって自らを化け物に変えてまで追いかけるものだろうか。当時11歳の旗中には引っかかるものがあったのだ。
「もう一度会いたかったのね。」
ふと後部座席から声が聞こえた。旗中が振り向くと、目が覚めたのか最初から寝ていなかったのか、彼の母親が頬杖をつきながら車窓を眺めているのが目に入った。さらに彼女は続ける。
「会ってもう一度話したい。彼の真意を知りたい。でも追いつけない。だから、化け物に変わってまで追い掛けた…きっとそう言う事よ。」
「でも、結局伝説では安珍を殺してるけど…」
旗中の言葉を聞いた彼女はふふっと笑い、それが愛するって事よ、と答えた。
「自分の感情だけを押し通してその結果に後悔する…そこに相手の感情が入る隙はなんてないわ。貴方にもいずれ分かる時が来るわよ。」
どこか自虐的な口調にゾクリとしたものを感じた旗中は話題を変えることにする。
「でも実際は伝説と違うんだろ?親父?」
急に話題を振られた父は一瞬えっと驚きを見せるが、普段のはつらつとした表情に戻って口を開く。
「そう。安珍は道成寺でも清姫を振り切り、遂には自らの念仏で清姫を封じたらしい。その場所ってのが日高川の上流にある
「話を持ってきたのが門倉ってのが胡散臭いけどね。」
「バカ言え。アイツは弱小だけどメディアの代表やってるんだぞ。オカルトマニアでも大した奴だよ…」
茶々を入れた母に父が反論をする。何とも子供っぽいやりとりに旗中は苦笑すると瞼を閉じた。目的地に着くのはまだ遠い…
「旦那様。旦那様。着きましたよ。」
「ん…?」
声と体を揺すられる感覚が旗中の意識を戻す。新大阪で新幹線を降り、さらにそこから電車を乗り継いで3時間弱、どうやら疲労が溜まっていたらしい。目的地へ向かうバスに乗り込んだ所で眠ってしまった旗中を龍女が起こしてくれたようだ。
急いでバスを降りると、蒸し暑さや虫の大合唱と共に重苦しい雰囲気が一体を包んでいるのを感じた。人の気配は一切感じず、周囲には腰ほどまで成長した草が伸びて、かつてあったであろう民家の姿を隠している。
「来てしまいましたね…」
隣の龍女がそう呟く。旗中はそれに短くああ、と答えた。
“旧河野地区”
全ては10年前、ここで始まったのだ。