「僕は、君のことが好きだ」
小吉にそう言われた時のあたしの心臓は、頭が意味を理解していくにつれて鼓動を速くした。
痛みを感じるくらい速かったのを覚えてる。
身体が燃えてるんじゃないかと思うくらい、体温が上がったのも感じたし、かつてないほど幸せな気持ちになったのも覚えてる。
それは今も続いてるし、小吉の言葉を頭の中で
でも……。
「その後の記憶がない」
「そりゃあそうでしょう。だってナナ、あの後すぐに気絶しちゃったもの」
なるほど。
だったら、記憶が無いのも当然ね……って!
それで済ませちゃ駄目でしょ!
だって、ある意味戦闘の真っ最中だったのよ?
なのに、小吉の目の前には瓶落水と兄様がいて、戦えるのはあたししかいなかったのにあたしは間抜けにも気絶してしまった。
あたしは小吉の護衛なのに、ジュウゾウにも頼まれたのに、あたしは借宿の布団で丸一日寝転けてたってことになる。
「えっと……小吉は無事?」
「小吉お兄ちゃんは……」
え? 何よ歌、その反応は。
もしかして、小吉は殺されちゃった?
あたしが呑気に気絶している間に小吉が殺されちゃったから、そんなに暗い顔をして押し黙っちゃったの?
「二日酔いで死んでる」
「そん……な。小吉、死んじゃったの? 二日酔いで……って、二日酔い?」
二日酔いってアレでしょ?
お酒を飲みすぎると、次の日に頭がガンガンするって言う自業自得みたいな症状でしょ?
猛おじ様が家に来た次の日は、父様が絶対にそうなってたから知ってるわ。
二日酔いになっても、死なないってこともね。
「なんで、二日酔いになるまで飲んだん?」
「ナナの反応を見て、こっぴどくフラれたと思ったんだってさ」
「フラれた?」
「ナナが小吉お兄ちゃんを袖にしたって意味」
いや、どうしてそうなったの?
あたしが気絶したから?
でもそれは、小吉に好きって言ってもらえたのが嬉し過ぎて身体が異常をきたしたからよ。
だから、けっして小吉のことが嫌いとか、袖にするために気絶した訳じゃあない。
でも、今ので小吉が無事……無事よね?
って、ことはわかったから一安心だわ。
「ホッとしているね七郎次」
「まあね……って! 兄様!?」
「随分と人間臭い反応をするようになったじゃないか七郎次。兄は嬉しく思うよ」
「どうして、ここに兄様が?」
もしかして、あたしが動けない間に小吉を殺そうと……してるならあたしが気絶した時点で殺ってるか。
「ホント、いつの間に来たんですか? 六郎兵衛さんって、小吉お兄ちゃんと一緒に死んでましたよね?」
兄様が小吉と一緒に死んでた?
と、言うことは、小吉と兄様は一緒にお酒を飲んでたってこと?
だから、青い顔をしているの?
「少し、妹に説教をしておこうと思ってね。だから、もう少し寝ていたいのを我慢して来たんだ」
「四進さんから逃げて来たんじゃなくてですか?」
あ、図星みたい。
二日酔いのせいで表情と感情を取り繕う余裕がないのか、わざとらしく歌から目をそらしたわ。
「話を戻そう。七郎次、お前は護衛に失敗した。それは自覚しているか?」
「う、うん……」
それは、嫌と言うほどわかってる。
だって、兄様はさっきまで小吉と一緒にいた。
それはつまり、兄様がその気なら小吉を殺せたということ。
そして、護衛が失敗したということは……。
「あたしを、殺す?」
「僕が
「守るなら? それって……」
「お前を殺すつもりはないってことさ。ただし……」
今は。
っと、兄様は付け加えた。
でも、どうして殺さないんだろう。
あたしは護衛に失敗した。
だから、あたしは無抵抗で兄様に殺されなければならない。
それが、父様の言いつけ。
「僕はね、七郎次。お前を人にしたいんだ」
「あたしを、人に?」
「そうだ。お前は僕の可愛い妹なんだ。そんなお前に、暮石の宿業を負わせたくないんだよ」
嘘だ。
あたしが可愛い妹?
大嘘だ。
兄様は、あたしを子供を産ませる道具ぐらいにしか思っていない。
それくらいは、昔あたしを犯そうとした男共と同じ目をしてあたしの身体を夜毎触っていたことで察しはついてる。
あたしを人にしたい?
もうこれは、死んだ後は
兄様があたしを人にしたいのは、それが暮石の悲願を成就させるのに必要だから。
つまり兄様は……。
「人になったあたしに、兄様の子供を産ませたいだけじゃろ?」
「……へぇ、少しは賢くなったじゃないか」
兄様が、見ただけで背筋が凍りそうになる笑みを浮かべてそう言うなり、歌があたしの腹に頭を埋めた。
きっと、抑えきれずに溢れ出た兄様の殺意を正面から浴びたせいで、気絶しちゃったんでしょう。
「変わらんねぇ、兄様は。そんなに、あたしが好き?」
「ああ、好きさ。お前が妹じゃなければと何度思ったことか。どうしてお前の兄なんだと、何度自分の生まれを呪ったことか」
「あたしは嫌い。兄様の声も。兄様の顔を見るのも。兄様に身体を触られるんも全部嫌い。殺したいくらい嫌い」
そう言って拒絶しても、兄様は昔と同じようにニヤケるだけ。
気持ちの悪い目であたしの身体を舐め回し、蛙のように歪んだ口から伸びる蛇のような舌で、あたしの感情を逆撫でする。
「ああ、ああぁ……。やっぱり、僕がお前の前に出るのはまだ早かったか。瓶落水のイカれ女のせいで半分仕方がなかったとは言え、大失敗したなぁ」
「兄様は、あの女とコイ人なんじゃろ? じゃったら、あたしじゃのぉてあの女と子供を作りんさいね」
「酷いなぁ、七郎次は。僕に浮気をしろっていうのかい?」
「必要ならするじゃろ? 兄様は、
それこそが、暮石家の悲願。
鬼を顕現してどうするのか、どうなるのかは父様ですら知らないらしいけど、あたしたち暮石の人間はそのために悪感情を蓄え、子に恨まれながら術を磨いている。
ただただ、鬼と呼ばれる訳のわからないモノをこの世に解き放つためだけに。
「また来るよ、七郎次。その時まで、もっと人らしく成っておいてくれ。僕が……いや、僕とお前の子を鬼と化すために」
そう言い終わる前に、兄様の姿は消えていた。
まったく、せっかく小吉に好きって言ってもらえて幸せな気分だったのに、兄様のせいで最悪な気分になっちゃったわ。
「同じ好きでも、言ってくれる人が違うと全く違うんじゃねぇ」
そう言いながら気絶した歌を代わりに布団に寝かせて、あたしは部屋を出た。
出たらちょうど、地華と鉢合わせしたわ。
たぶん、兄様が発した殺気を感じ取って来たんでしょう。
「その様子じゃあ、六郎兵衛は帰ったみてぇだな」
「うん、帰った。白い方は?」
「沖田の旦那と一緒に、小吉の大将についてる」
「地華も、そうすりゃあえかったのに」
「お前が心配だったんだよ。それとも、余計なお世話だったか?」
「べつに、そうじゃないけど……」
「じゃあ、その顔を見られたくなかったか?」
その顔って、どの顔?
あたしは今、どんな顔をしているの?
地華に、心底心配しているような目をさせるほど、酷い顔をしてるの?
「お前ってさ、小吉の大将のことが好きか?」
「好き……だと思う」
「ずいぶんと自信なさげじゃねぇか。もしかして、誰かを好きになったのが初めてなのか?」
「うん、たぶん」
あたしにだって、好き嫌いくらいはわかる。
でも小吉と出会う前は、人に対して好きって感情は抱かなかったし、当てはまるってことすら知らなかった。
あたしは歌と地華が好きだし、ジュウゾウと白い方もどちらかと言うと好き。
だけど小吉への好きは、他の四人への好きとは違う。
どう言えば良いのかわからないけど、小吉への好きは、あたしの身体から溢れそうなほど大きいの。
あたしの心を満たすくらい、多いの。
「これが、前にジュウゾウが言うちょったコイに落ちるっちゅうやつなんじゃろうか」
あたしは小吉にコイしてる。
うん、認めよう。
あたしは小吉が好きで、いつの間にかコイに落ちてたんだ。
でも、そうなると……。
「あたし、小吉を殺さにゃあいけんくなる」
「はぁ? 暮石にゃあ、そんなしきたりがあんのか?」
「しきたりと言えばそうなんじゃけど……」
このままコイがアイに変わって、結婚して子供ができたらそうなる。
でも、おかしいわ。
前は、小吉を殺してあたしも死ぬことがとても素敵なことに思えたのに、今はそうじゃない。
怖い。
小吉を殺したくない。
でも、小吉をアイしたい。
なのに、コイがアイに変わるのが途轍もなく恐ろしい。
「どうしよう……。地華、あたしどうしたらええんじゃろうか」
「小吉の大将を殺さねぇって、選択肢はねぇのか?」
「ない……。ないんよ。コイがアイになったら、あたしは小吉を殺さにゃいけん。でも殺しとおない! ねぇ地華、あたしは小吉を好きになっちゃいけんかったん? あたしは、小吉と一緒におっちゃいけんの!?」
地華の胸に思わずしがみついて喚いているあたしを、地華はどうして良いのかわからないって顔をして見ていた。
あたしだって、どうしたら良いのかわからない。
感情どころか、身体すら制御できていない気がする。
「と、取りあえず落ち着けよ。な? 今はその……ほら、瓶落水や兄ちゃんと会ったりしたばっかで混乱してんだよ」
「しちょらん! もうええ、小吉の所に行く!」
「ちょっ……ちょ、待てよ!」
突き飛ばして駆け出そうとしてるあたしを、地華は止めようとしてる。
このままじゃあ、左手を掴まれるわね。
だったら……。
「動くな!」
と、言いながら仮縫いを……あれ?
あたし、仮縫いを使ったよね?
なのにどうして、右手を地華に掴まれてるの?
どうして、胸の内にあるはずの殺意が減った感覚がないの?
どうして、溜め込んでるはずの殺意を感じられないの?
もしかして、まだ術を封じられてる?
いや、違う。
今のあたしは、術の使い方そのものがわからなくなってる。
「ナナ、お前……」
「どうしよう、地華。あたし、術が使えんくなってしもぉた」
それを自覚した途端、ただでさえ療養生活のせいで弱っていた両足から力が抜けて、あたしはその場に尻餅をついてしまった。
そして耳障りな女の泣き声が自分の声だと気づくまで、あたしは泣き続けた。