京の五条の橋の上。
で、始まる童謡をご存じだろうか。
この歌は明治44年の5月に尋常小学校の1年生用の音楽の教科書に載せられたもので、作詞者、作曲者は知られていないらしい。
続きを聴けば、聴いたことがなくても何の歌なのか日本人なら一発でわかる……はずだ。
「修行僧の格好をしていたら、正に武蔵坊弁慶と言った御仁ですね」
とは、五条大橋のど真ん中で仁王立ちしている襲撃者を見て冷や汗を流しつつも、懐から拳銃を抜いて構えた沖田君の感想だ。
まあ、そう思うのも仕方がないかもしれない。
彼の出で立ちは見た目だけなら陸軍兵そのものだけど、筋骨隆々と言う言葉に軍服を着せたような異様を放っている。
その背中には銃剣付きの三八式小銃と日本刀を交錯させて背負い、左腰には拳銃、右脇腹には弾薬倉。
さらに左肩から右腰にかけて、手榴弾が取り付けられたベルト。
七つ道具を背負った弁慶もかくや、と言いたくなる装備だ。
でも、もしあれで頭に懐中電灯でもくくりつけていたら、弁慶よりも津山三十人殺しの犯人の方が思い浮かびそうだな。
「こんな夜中にあのような格好で……。見る人によっては、幽霊に見えるでしょうね」
「安心せぇ白いの。ありゃあ生きた人間じゃ」
確かに、月と星の灯りしかない橋の上に、ボロボロの陸軍服を着て小銃を担いだ人が立っている場面を写真やテレビで見たなら、僕でもそう思ったかもしれない。
でも、彼を実際に見たら、間違っても幽霊とは思わないだろう。
だって存在感が有りすぎる。
有りすぎて、風景が目に映っているのに彼しか見えないほどだ。
「歌は実家に帰ってて正解だったなぁ。あんな化け物、子供に見せて良いもんじゃねぇよ」
「あらぁ、歌ちゃんが帰省して寂しがってたのはぁ、どこの誰だったかしらぁ」
「オレじゃねぇよ! 寂しがってたのはナナだ!」
「あたし? もちろん寂しいよ? 地華は寂しくないん?」
「いや、オレも寂しいけど……」
なのに、僕と沖田君以外の四人に緊張感がまるでない。
まあ四人は四人ともが、普通の人からすれば襲撃者並みかそれ以上の人外だから、彼を見ても怖いと思わないんだろう。
ちなみに、僕は彼の眼光に晒されているだけでチビりそうです。
「はぁ……。完全に油断してたなぁ」
四進君の一件以来、目立ったトラブルが……あったと言えばあったか。
海水浴ではナナさんに開いちゃいけない扉をこじ開けられたし、花火の時は「僕なんかにそんな資格があるのか?」と、考えさせられた。
猛君まで巻き込んだ地華君の計略でナナさんと洋館で一泊した時は……ツッコミしかしてなかった気がする。
それでも、僕の命が危険に晒されるトラブルはなかった。
それが却って良くなかったな。
今のこの状況だって、舞鶴鎮守府で朝鮮戦争に向けた準備の最終確認と、細かい打ち合わせをするために赴いた帰りに「せっかくここまで来たんだから、京都を観光して帰ろうぜ」と、言いだした地華君に賛同して京都に来た結果と言って良い。
「そんじゃあ、邪魔者には退場してもらうとすっか」
「地華に賛成。とっととぶっ殺して、旅館に戻って風呂に入りたい」
「殺すだなんて、小鬼は相変わらず物騒ですね。でも、今は賛同します」
「このメンツに喧嘩を売るなんてぇ、控え目に言ってお馬鹿よねぇ」
と、言いながら、四人は戦闘態勢に移行。
次の瞬間には、龍見姉妹が一番槍は渡さないとばかりに突撃してた。
そんな彼女たちの背中を見守るしかできない僕はと言うと、
そして同時に、彼が僕の前に現れる前の出来事が、走馬灯のように僕の頭を巡り始めた。