意識が朦朧とする。
自分が何をしているのか、どこにいるのかも忘れそうになるほど、僕の肉体は痛め付けられている。
いや、痛め付けられる程度で済んでいるんだからマシか。
彼が本気で殺す気なら、僕はとっくの昔に殺されている。
なのにまだ僕が生きてるのは、彼が僕と語りたがったからだ。
拳を通して、僕という人間を見極めたかったからだ。
僕を、金と引き換えに殺しても良いと思えるくらい安っぽい人間なのか。
それとも、金と引き換えに暗殺を引き受けたことを後悔する人間なのかを、彼は拳を通して確認したかったんだ。
だから彼は、僕の拳を真正面から受けてくれた。
型が合っているかどうかも疑わしい、ただただ巻き藁を殴って身に付けた僕の右拳を受け止めてくれた。
「勝って!小吉ぃぃぃぃ!」
ナナさんの叫びが、僕たちが最後の一発を放つ合図になった。
船坂君が繰り出すのは正拳中段突き。
僕が放つのは、代わり映えのしない右ストレート。
僕にはそれしかできない。
だから、それだけをやる。
だから宣言通り全力で右拳に、細胞の一つ一つから力をかき集め、砲弾としてイメージし、それを装填。
次いで、彼の胸の中央へと照準を固定。
僕がイメージするのはここまでだ。
あとは合図さえすれば、僕の身体は考えなくても動くレベルにまで覚え込んだ動きをしてくれる。
それが、僕が持つ唯一の暴力。
それが猛君にすら見せたことがない、僕の主砲だ。
「撃てぇぇぇぇ!」
その合図とともに、僕の身体は右拳を撃ち出した。
彼も拳を突き出した。
互いの拳同士が接触するまでの時間は一秒よりも短く、一瞬だったと思う。
でもその僅かな時間が、僕には永遠のように長く感じられた。
その間に僕は、「ああ、アレに拳を打ち付けたら、僕の右手はしばらく使い物にならないな」とか「書類仕事は沖田君に代行させるか」なんて、明日以降の心配をしていた。
負けなんて考えてなかった。
たぶん僕は、拳を放った瞬間に勝ちを確信していたんだと思う。
「お、お見事……」
僕の意識がハッキリしたのは、右肩を押さえて膝を突いた彼がそう言ってからだった。
参ったねこれは。
さっきの一撃は、正真正銘全力で、最高の一撃だった。
それくらいは、意識が朦朧としてても感触でわかる。
なのに、彼の右腕はまだ繋がってる。
拳から肩にかけて歪な形に変形しちゃってるけど、それでもまだ胴体と繋がっていた。
でも、
「参りました。この船坂弘、完全敗北であります」
「まだ、戦えそうに見えるけど?」
「いいえ。自分は拳が触れる刹那、貴殿を恐れた。腰が引けた。拳を突き出すのを躊躇した。自分は貴殿に、完全に心を折られました。故に、もう戦えませぬ」
彼が真摯な瞳を向けて言った敗北宣言で安心したのか、僕の両足から力が抜けて、その場に尻餅をついてしまった。
そのせいなのか、笑いだしそうにまでなってる。
「あら?終わって……る?」
「そうみてぇだな……って!ボロボロじゃねぇか大将!」
後ろから龍見姉妹の声が聞こえた。
天音君は、急いで川から上がってきたら終わってて、拍子抜けしたって感じだな。
地華君は、僕が怪我してることにどういうしてるっぽい。
「油屋大将殿。一つ確認したいことがあるのですが、よろしいですか?」
「ん?ああ、良いよ。なんだい?」
「では、単刀直入に。貴殿は未来を知っている。いや、その知識を使って戦争の結果を変えた。それに相違ないですかな?」
驚いたな。
彼がどうやってそれに気づいたのかはわからないけど、確認と断ったくらいだから確信していたんだろう。
だったら、僕はこう答える。
「うん、その通り」
とね。
ナナさんを初め龍見姉妹、四進君と沖田君ですら「何を言ってるんだ」って顔をして僕と彼を交互に見てるのを見て、彼が不思議そうな顔をしている。
「お仲間には、教えてなかったので?」
「そりゃあ、そういう夢でも見たんだろ。って、言われかねないくらい突拍子もない話だからね。だから君のように、気付いた人にしか話さない取り決めになってるんだ」
「その口振りだと、他にも貴殿のような人が?」
「いる。君が知ってる大和中将もそうだし、世界各国に僕と同じ転生者はいる。だから、ここまで上手くいったんだ」
「なるほど。戦争に参加する前もその後も、捕虜として米国にいた間も、死者が少なすぎると疑問に思っていたにですが得心いたしました」
「ちなみに、君は本来ならどれくらい死んでたと予想する?」
「当時の日本と米国の国力差、戦略、戦術、用兵全てを加味してざっと計算すると、およそ300万人ほどでしょうか」
「大正解。本来の歴史では、それだけの人が亡くなった」
本当に凄いなこの人は。
彼と同じく僕たちの存在に気付いた山本さんと同じ答えだ。
「では、自分も本来は、アンガウルで?」
「いいや、君は生き残ったよ。敵である米兵にまで、『勇敢なる兵士』と讃えられてね」
「ほう!敵に讃えられるとは、兵士としては最大級の名誉ですな!」
声デカイな。
君って、骨どころか内蔵もかなり痛めてるはずだよね?
それこそ、死んでてもおかしくないくらい。
「それで、自分は帰国後何を?今のように、暗殺者に身を落としましたか?」
「僕が知っている限りでは、そんなことはないよ。ん?いや、待てよ?君は確か、お金欲しさに僕の暗殺を引き受けたんだよね?」
「恥ずかしながら、そうであります」
「もしかして、本屋の開業資金にするためじゃない?」
「そ、その通りであります!貴殿がそれを知っていると言うことは……」
「うん、君は本来の歴史でも、本屋を開業したよ」
たしか、場所は渋谷駅前だったかな。
たった一坪の土地から初まって、平成の世まで続く日本初の本のデパートにまで成長した老舗書店。
その開業者が彼だ。
書店の名前は確か……。
「ねえオッサン。なんで本屋なん?」
「こ、こらナナさん!彼は僕より若いのに、オッサン呼ばわりしたら失礼じゃないか!」
「いや、構いませんぞ油屋大将殿。彼女からすれば、自分は正にオッサンですから」
「で、何でなん?」
「それはな、日本の文化、教育、産業を豊かにするためだ」
「本を売ると、そうなるん?」
「なるさ。少なくとも自分は、そう信じて行動に移すつもりだ」
ナナさんは理解できないみたいだな。
いや、ナナさんだけじゃない。
龍見姉妹や沖田君ですら、彼が言ってることが理解できていないようだ。
その空気を察したのか、船坂君は……。
「もっと時代が進めば技術も発展して本など必要ない時代が来るかもしれない。でもな、今は本だ。本は昔からある情報伝達法であり、娯楽だ。それを一人でも多くの人に売ることは、戦争で疲弊した祖国を立ち直らせる一助になる」
「本から、学ぶけぇ?」
「その通り!本とは先人の知恵の集合体であると同時に、今の才人が記す未来への道標でもある!だから読め!本を読め!それだけで、人生は今よりも素晴らしいものになる!」
熱いなぁ。
彼の熱意にあてられたせいか、僕まで変なテンションになってきたよ。
「おお、そうだ!油屋大将殿!折り入ってお願いが!」
「なんだい?」
「自分が開く本屋に名前をつけていただきたい!」
「うん、良い……」
良くないよ!
君の熱意に当てられたせいで、二つ返事でOKしそうになったけど良くない!
ああでも、今さら断れる雰囲気でもないな。
彼はもちろん、みんなまで僕の答えを期待の眼差しをして待ってる。
だったら……。
「日本を大いに盛り上げる人たちが集まる書店って意味で、大盛堂書店なんてどうかな?」
本来の歴史で彼がつけた書店名を、それっぽい感じで提案してみたら思ったより感心された。
船坂君は「やはり相談してよかった!」って良いながら、ボキボキに折れてたはずの右手で膝をバンバンと叩いてるし、他のみんなも「お~」とか言いながら拍手してくれたよ。
でも僕はと言うと、カンニングしてテストで満点を取ったみたいな後ろめたさを感じていた。