愛屋及烏 / 依依恋恋   作:哀餓え男

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第六十二話 裏切り(裏)

 

 

 

 あたしは龍見姉妹やジュウゾウのように、真っ当な修業をしたことがない。

 あたしが父様から課せられたのは拷問。

 何かを教えられたことはないわ。

 まあその過程で、剣術と体術は自然と身に付いたけど、冷静に考えると、あれはそもそも修業とは呼べない。

 そんなあたしが京都から戻ってこっち、松に花嫁修業をつけてもらってるのが、なんとも不思議だわ。

 

 「ねえ、松。切り方はこれでええの?」

 「ええ、綺麗過ぎる三枚下ろしです」

 「綺麗過ぎる?」

 「だって、まだ生きてるし……。切るのも一瞬でしたし……」

 

 え?生きてちゃ駄目なの?

 松に教えられた通り、知り合いが朝イチで釣って来たと言う活きの良いアジを三枚におろしたんだけど、殺してから切った方が良かったのかしら。

 

 「これなら、活け作りにした方が良かったかしら」

 「今からじゃ無理なん?」

 「さすがに朝からお刺身は……。それにこれは、小さいから干物にする予定でしたので」

 

 ふむ、料理ってのは難しい。

 あたし的には普通に切ったつもりだったのに、松的には問題があったみたい。

 いや、料理だけじゃない。

 掃除も、洗濯も、あたしは何一つ満足にできない。

 

 「家事って、難しいんじゃね」

 「覚えれば、簡単ですよ」

 「あたしに、覚えられるんじゃろうか……」

 

 あたしは覚えるのが苦手。

 人の名前どころか、顔を覚えるのすら難しい。

 そんなあたしが、それよりよほど難しい家事を覚えることができるのかって考えると、泣きたいくらい不安になる。

 

 「ナナさんは、どうして家事を覚えようと思ったのですか?」

 「それは、その……」

 

 小吉の役に立ちたかったから。

 小吉に、あたしが作った料理を食べて欲しいと思ってしまったから。

 

 「……坊っちゃんのために。その気持ちを忘れなければ、ちゃんと覚えられますよ」

 「本当?」

 「ええ、本当です。料理に限って言えば、幸いナナさんは包丁捌きがお上手。切って出しただけでも立派な料理です」

 「そうなん?煮たり焼いたりせんでも、料理って言えるん?」

 「はい。日本料理には昔から、『割主烹従(かっしゅほうじゅん)』という言葉があります。これは食材を切り割いてそのまま食べる生ものが主で、煮たり焼いたりするといった火を使う料理は従であるという考え方です。乱暴な言い方をすれば、煮物や焼き物はオマケですね」

 「へぇ、そうなんだ。じゃあ、切るのが得意なら、料理が得意って言ってもええの?」

 「それは少し極端な考え方ですが、料理は基本的に切ることから始まりますから、切るのが得意なのは良いことですよ」

 

 ニッコリと微笑んだ松にそう言ってもらえて初めて、暮石の家に生まれて良かったと感じた。

 だってあの家での日々がなければ、あたしはここまで切るのが上手くなってなかったと思う。

 

 「今度会ったら、父様に礼くらい言うちょくか……」

 「それは、僕を殺すと言うことかい?七郎次」

 

 あたしの独り言に、松ではなく別の人間が反応した。

 後ろから聞こえたこの声は、兄様?

 どうしてこんな所にいるの……って、そんな事は気にしてもしょうがないか。

 

 「何しに来たん?」

 「可愛い妹に会いに。じゃあ、理由にならないかい?」

 「ならん。あたしは、兄様に会いとぉなかった」

 

 右隣にいる松を確認しながら振り向くと、小吉のと形は違うけど、同じくらい真っ白な服を着た兄様が壁に背中を預け、腕を組んで立っていた。

 松は……どうやら眠らされたようね。

 目蓋を閉じて、立ったまま止まってる。

 

 「そう冷たいことを言うなよ。僕はこんなにも、お前を求めていると言うのに」

 「身の毛が弥立つけぇやめて!あたしは、兄様なんて大っ嫌い!」

 「うん、良いね。凄く良い仕上がりだ。今のお前の表情は、僕や父様のような作り物じゃあない。正真正銘、感情を表したモノだ。小吉は、本当に良い仕事をしてくれたよ」

 「ちょっと待って。どうしてそこで、小吉が出てくるん?」

 「そりゃあ、僕が小吉にお前を人らしくしてくれと頼んだからさ」

 

 兄様が小吉に?

 じゃあそれが、以前兄様が小吉と交わした取引?

 でも、そうだとしたらおかしい。

 あたしがこうなったのは確かに小吉のせいだけど、出会ってそう経ってないあの頃に、あたしがこうなるって予想できる……って、兄様が消えた。

 いったいどこ……。

 

 「むぐっ……!」

 

 兄様は、あたしの目の前にいた。

 いや、目の前にと言うよりももっと近い場所にいた。

 それは肌が触れ合う距離。

 あたしは兄様に抱き締められ、唇を奪われていたの。

 誰にも、小吉にさえ触れさせたことがない場所を、兄様に無理矢理触れられた。

 あたしだって、俗に言う接吻(せっぷん)が特別な行為だってことは知ってる。

 なのに、初めての接吻を兄様に奪われた。

 この世で一番嫌いで、あたしが誰よりも殺したいと思ってきた兄様に奪われた。

 それを頭が理解するよりも先に、あたしの内側から何かが溢れた。

 

 「おっと危ない。危うく、握り潰される(・・・・・・)ところだった」

 

 あたしは何もしていないのに(・・・・・・・・・)、兄様はあたしから二間もの距離を開けた。

 兄様にしては、大袈裟な距離の開けかたね。

 兄様なら、あの距離であたしが何かしても難なく対応できるはずなのに……。

 

 「うん?今ので、小吉たちも気づいたようだね。なら、僕はここらでおいとまするとしよう」

 「逃げるな!ぶち殺しちゃけぇ、そこに直れ!」

 「できもしない事言うもんじゃないよ、七郎次。それに、焦らなくてももうすぐその時が来る」

 

 そう言い残して、兄様はあたしの前から忽然と消えた。

 相変わらず、気配を消すのが上手い。

 もし兄様が本気なら、例え戦闘の真っ最中でも見失いかねないわ。

 でも、今は良い。

 今考えるべきは、そんなことじゃない。

 

 「ナナさん!無事かい!?」

 

 あたしが今考えるべき事は、慌てた様子で台所に飛び込んで来た小吉が、兄様と結託してあたしをどうにかしようとしていたのかどうか。

 

 「ねえ、小吉」

 「ん?何?もしかして六郎兵衛に、何かされたの?」

 「されたけど、それはどうでもええ」

 

 良くはないけど、今は良い。

 その事に怒りは感じてるけど、それよりも優先することがある。

 

 「小吉は、兄様とどんな取引をしたん?」

 「……君を、人らしくしてくれと言われた」

 「その、見返りは?」

 「……一年間の、命の保証だ」

 

 そっか。

 小吉は自分の命惜しさに、あたしを兄様好みに仕立て上げたのか。

 いいえ、駄目よ。

 そういう風に考えちゃ駄目。

 小吉は、自分の命惜しさに他人をどうこうするような人じゃあない。

 それは身に染みてわかっているのに、あたしの心は納得してくれない。

 小吉に裏切られた。

 その想いが、理性をはね除けてあたしの胸の内の満ちていく。

 その想いに押されるように、あたしの口は……。

 

 「小吉なんて、大っ嫌い!」

 

 と、口走っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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