小吉に、大嫌いと言ってしまった。
あたしがそう言った途端に、小吉が浮かべた悲しそうな表情が頭から離れない。
もう一週間も経つのに、あたしの頭の中をあの時の小吉の表情が独占してる。
その事を、地華と歌に相談したら……。
「馬鹿かお前は」
「うん、ナナは大馬鹿ね」
と、言われた。
ええ、馬鹿よ。
そんな事は自覚してるから、もっとためになる助言をくれないかしら。
「あ、地華さん。ナナったら開き直ったわ」
「お前って、術が使えなくなってから本当にわかりやすくなったよなぁ。今までの反動か?」
それは……そうなのかもしれない。
段外以外の術が使えなくなってからのあたしは、自分でも驚くほど表情が豊かになった。
それこそ、考えてることを見透かされるくらいに。
でも不思議と、それが嫌だとは思わない。
むしろ、地華や歌と笑ったり怒ったりできることが嬉しい。
小吉を好きになれて、幸せだった。
なのに……。
「兄様が悪いんじゃもん」
兄様さえ来なければ、小吉と喧嘩なんてせずに済んだ。
一時の感情に流されて、大嫌いなんて言わずに済んだ。
そうよ。
兄様が悪いのよ。
だから、あたしは悪くない。
「あ、たぶん、お兄さんのせいにしましたよ」
「たしかにそうだけどよぉ、言ったのはお前だぜ?大嫌いって言ったのはお前。それ、理解してるか?」
理解してるし、反省もしてるわよ。
でもさ、感情に流された経験がないあたしが、膨れ上がった感情に抗えると思う?
本当に無理だから。
感情を制御する方法を忘れちゃったあたしには、感情に抗う術なんてないから。
「ナナは、今でも小吉お兄ちゃんが好き……なのよね?」
「うん、好き」
「どれくらい?」
「小吉のアレを捩じ込まれるても良いと思ってるくらい」
あたしが真顔でそう返すと、地華と歌は「そりゃあ相当だわ」と言って、何故かうちひしがれたような顔をしてうなだれた。
まあ、アレを受け入れるのは相当の覚悟が要るものね。
それこそ、体が裂けても良いと思えるほどの。
「だったら、とっとと仲直りしちまえよ。じゃないと、オレが
「そしたら、地華を殺さにゃあいけんくなるけぇ駄目」
「おお怖い。じゃあ、仲直りすんだな?」
「う、うん……」
したい。
大嫌いって言ったのは嘘。
本当は大好きって言って、小吉と仲直りしたい。
でも、踏ん切りがつかない。
小吉と猛おじ様がいる居間に行って謝れば全て元通りになるかもしれないのに、お尻から根が生えたように畳にくっついて……ん?
居間の気配が増えた。
いや、増えたと言うより、隠れてたのが出てきたって感じだわ。
「まさか……」
また兄様が来た。
しかも小吉のところに来たってことは、小吉に何かするつもりなんじゃ……。
「地華! 天音は!?」
「姉ちゃんなら、沖田の旦那と一緒に四進の姉御を駅に迎えに行ってっけど?」
「じゃあ地華だけでええ! 歌は、押入れにでもかくれちょって!」
「おい、まさか……」
「そのまさかいね!兄様が来ちょるけぇ一緒に来て!」
地華の返事を待たず、あたしは短刀と小太刀を抜きながら部屋を飛び出した。
今のところ、兄様から殺気は放たれていない。
でも兄様なら、殺気を微塵も出さずに人を殺すことも可能。
ほんの気まぐれ。
足元を這う虫を、何の気なしに踏み潰すような気軽さで人を
それだけで、小吉は危険。
だから、あたしは……。
「兄様ぁぁぁぁぁ!」
障子を蹴破って居間に飛び込んだ勢いのまま、あたしは短刀と小太刀を兄様に振り下ろした。
そしたら兄様は……。
「やあ。一週間ぶりだね。七郎次」
全身の毛が総毛立つほど気持ち悪い笑顔を浮かべながら抜いた刀で、難なく受け止めた。
相変わらず、受け止めるのが上手い。
無造作に刀を振ったようにしか見えないのに、突進からの跳躍で全体重を乗せた攻撃の勢いを完全に殺された。
「今度は何しに来たんや! 小吉を殺しに来たんか!」
「いいや、お前を迎えに来た」
しかも、全力で押してるのにビクともしない。
いや?
もしかしたら、あたしは全力で押していると
それが、兄様なりの段外の参?
いやいや、今はそんなことを考えてる場合じゃない。
「帰れ! あたしは、兄様の子なんか生まん! 生むなら、小吉の子を生む!」
「それでどうする? 小吉を殺すのかい?」
言われてみればそうだ。
小吉の子供を生んだら、あたしは小吉を殺さなきゃいけなくなる。
絶対にしたくないのに、あたしはきっと殺す。
次の子を小鬼に変えるために、どれだけ好きでも小吉を殺してしまう。
いいえ、好きだからこそ殺すの。
「七郎次。お前は小吉のことが好きかい?」
声をかけられて初めて、自分が庭まで弾き飛ばされてるのに気づいた。
兄様は、刀を振り抜いた格好のまま、膝をつくあたしを見下ろしている。
あの兄様に……。
「好き! 兄様よりよっぽど好き!」
と、叫ぶように返した。
そしたら兄様は、心の底から満足したような顔をして……。
「なるほどなるほど。お前は僕が思っていたより、小吉にのめり込んでいたようだね。よし、わかった。今日は大人しく帰ろう。でも、覚えておいてくれ小吉。今から一ヶ月後、君と七郎次が初めて会った日に、七郎次をまた迎えに来る」
言いたいことだけ言って、兄様は消えた。
相変わらず、見事な気配の消し方だわ。
目を離さなかったのに、消える瞬間まで気を張っていたのに、兄様はあたしの前から姿を消した。
それが、あたしの胸中に渦巻いていた怒りを恐怖に変えた。
兄様があたしより強いのなんてわかりきってた。
そのわかりきっていた事実を、兄様と殺し会わなきゃいけない段になって再認識させられたせいで、全身が震えるほどの恐怖を感じたんだと思う。