どうして、僕は生きている?
胸には、焼けるような痛みがある。
血だって、派手に噴いた。
だから、斬られたのは間違いない。なのに、僕はまだ生きている。
「そのまま寝てて、小吉。起きちゃ駄目だよ」
声につられて、視線だけを六郎兵衛に上げる最中に、黒い煙のようなモノを身体から放出しているナナさんが見えた。
アレはなんだ?
感じる気配は、龍見邸でのナナさんに良く似ている。
でも、恐怖感や嫌悪感が桁違いだ。
アレは、この世にあって良いものじゃない。
アレは、存在しちゃいけないものだ。
それだけは、本能よりも根元的な、魂が鳴らす
「猛おじ。もう、動いて良いよ」
「わかった。じゃあ、手はず通りで良いな?」
「うん。待機させている人たちを使って、この場の全員を逃がして。アレは、僕が抑えるから」
「……わかった。死ぬなよ」
「それは無理な相談だ。今の僕でも、アレが相手じゃあ刺し違えるのが精々だね」
猛君と六郎兵衛は、何の話をしている?
その言いようじゃあ、まるで、この状況になるのがわかっていたみたいじゃないか。
「あは……。あはははははははははははははははははは!」
これは、ナナさんの声か?
でも、この声は僕が知っているナナさんのモノじゃない。
欲情しているかのような表情。
歓喜しているかのような笑い声。
幽霊のように不安定な立ち姿。
アレは、僕が知っているナナさんじゃない。
「さあ、千を越える年月の因縁に、終止符を打とうではないか。なあ? 愛しき我が子よ」
口調も違う。
愛おしそうに六郎兵衛を見つめる瞳も、僕が知っているナナさんのモノじゃない。
今、ナナさんの身体を使っているのは、ナナさんじゃない別の何かだ。
「いつ……からだい? いつから僕は、利用されていた?」
「すまん、小吉。最初からだ」
「じゃあ、ナナさんを僕の護衛につけたのは……」
「この状況を、作るためだ。もっとも、ナナがお前に惚れたのは、予想外だったがな」
そうか。
そういうことか。
今にして思えば、ナナさんを護衛につける意味なんてない。
だって、ナナさんが戦闘能力で六郎兵衛に劣っていることを、猛君は知っていたはず。
つまり、ナナさんを護衛につけた程度じゃあ僕の暗殺は防げないんだ。
それは、僕と六郎兵衛が初めて接触した時に証明されている。
もし彼が、依頼を忠実に実行しようとしたら、僕はあの日に死んでいた。
でも……。
「目的がわからない」
ナナさんと六郎兵衛は、天変地異とも呼べそうな力を振るって戦っている。
猛君はこの状況を作るためだと言っていたけど、こんな状況を作る意味がわからない。
仮に、ナナさんを殺すことが目的なのなら、六郎兵衛に比肩……いや、上回る力を覚醒させる必要がない。
「暮石家の悲願。鬼の顕現を成すためだ」
「役者だね、猛君。このために、
「ああ、万が一にも、ナナの内に潜んでいたアレに、知られるわけにはいかなかったんでな」
「じゃあ、今のナナさんが……」
「暮石家が……いや、その遥か昔から滅ぼそうとしてきた鬼だ」
猛君の話を聞きながら、僕はゆっくりと身を起こして、
それを待っていたのか、僕が腰を据えると、猛君は語り始めた。
「かつて、千年以上前に、暮石と瓶落水の祖先はさる高貴なお方と恋仲だった。子供まで身籠ってしまった。それが発覚し、二家の祖先は京の都を追放された。殺されなかったのは、相手側の温情によるものだろう」
「その、さる高貴なお方って言うのは?」
「言えん。暮石も瓶落水も、二つに別れる前は、ある理由のために近親結婚を繰り返している。故に、血の濃さは直系を上回る。もしこれが事実なら、とんでもない大スキャンダルだからな」
それはつまり、ナナさんの先祖と恋仲だったのは、千年以上続く家系の人。
さらに、今発覚してもスキャンダルになるほど有名な家系ってことだよね?
そんな家系は、僕が知る限り一つだけだな。
「問題はここからだ。追放された二家の祖先は、恋人と引き離された恨みから、鬼と化した。そしてその鬼は、一族に連綿と受け継がれ続けた」
「じゃあ、アレがその……」
「鬼だ。暮石が使う『呪法・暮れなずむ石の如く』と、瓶落水が使う『
なるほど、そういうことか。
瓶落水が暮石のために力を集め、それを使って、暮石が鬼が現れるべき状況を作り、殺す。
わざわざそんな回りくどい事をするということは、鬼が宿っている者を鬼と化し、鬼を直接攻撃する必要があるからなんだろう。
「暮石と瓶落水の祖先は、二つの術を一人で扱うのは無理だと考えた」
「それで、二つに別れたと?」
「それだけが理由じゃない。あの鬼は顕現させずに宿主を殺した場合、別の血族に移る。その選択肢を狭めるために、二家の初代当主は他の血族を皆殺しにして……」
「暮石か瓶落水、どちらかの人間に、鬼が宿らざるをえなくした。ってことか」
「その通りだ。さらにあの鬼は、女に宿っている時にしか出てこない」
「じゃあ、四進君だった可能性も?」
「いいや、それは四進の母親で否定されていたそうだ。故に、暮石の方に宿っていると確定し、女として生まれてしまったナナを鬼にして殺す計画を、六郎兵衛は立てたんだ」
その計画に、猛君は協力した。
ナナさんに宿る鬼を殺すために。
ナナさんを殺すために、僕とナナさんを出会わせた。
でも、どうしてその計画に……。
「では、その計画に、小吉様が選ばれた理由は何なのですか?」
「そりゃあ、聞くまでもねえだろ。小吉の大将だからだよ」
ナナさんと六郎兵衛が巻き起こしている天変地異から待避してきた地華君と天音君が、僕の疑問を代弁してくれた。
僕だから……か。
それは、一般人に被害が出ない場所を用意できるからか?
それとも、別の理由からか?
「龍見姉妹か。逃げた方が懸命だったぞ?」
「冗談言うなよ」
「その通りです。小吉様と七郎次を置いて、私たちだけ逃げるわけがないでしょう」
「物好きめ。おい、沖田。お前もそうか?」
「当たり前です」
沖田君も、六郎兵衛の拘束から解放されているのに、逃げようとしない。
いや、沖田君だけじゃなく、富岡君と船坂君まで、僕のそばに集まっている。
「これが理由だ。お前は、こんな濃い奴らを従えるほど人望が厚い。人を惹き付ける。そんなお前なら、ナナが鬼になる条件を満たせると思った」
だから、六郎兵衛は僕に取引を持ちかけたのか。
僕にそんな自覚はなかったのに、僕を過大に評価した猛君と六郎兵衛は、僕を巻き込んだ。
「瓶落水の協力を得られたのも、お前のおかげだ。六郎兵衛に元442の調査を依頼してくれてなければ、暮石と瓶落水が協力することはなかっただろう」
「同じ目的のために別れたのに、そう言う段取りは組んでいなかったのかい?」
「あの一族は適当なんだ。別れたは良いが、連絡先を教えあっていなかったんだからな」
あの一族らしいと言えばらしいか。
目的以外に興味がなかったとは言っても、連絡が取れないんじゃあ果たせないだろうに……って、そう言えば。
「四進君は?」
「俺の手の者が救助した。他の者たちも……ああ、今、救助が完了したようだ」
みたいだね。
半壊した足場の影から、陸軍兵が右手で合図している。
「これが終わったら、君も六郎兵衛も殴るからね」
「ああ、好きにしろ。もっとも、終わる頃には俺もお前も死んでいるかも知れんがな」
「死なないよ。僕は、ナナさんと約束したんだから」
とは言ったものの、どうする?
ナナさんと六郎兵衛の戦いは人智を越えている。
あの戦いに介入したら無事じゃあ済まない。
なのに、僕の足は自然と前に出た。
「しょ、小吉様! どこへ行くおつもりですか!」
どこへ?
そんなの決まってる。
ナナさんのところだ。
「ここで大人しくしてろって! あそこに突っ込んだら一瞬で死んじまうぞ!」
それはできない。
自信もない。
確信もない。
それでも、僕はナナさんのところに行かなくちゃ駄目なんだ。
「惚れた女一人救えなくて、何が男だ」
だから、僕はナナさんのところへ行く。
ナナさんを救って、この戦いを終わらせる。
猛君と六郎兵衛に誤算があったとすれば、それは僕の頑固さを過小評価していたことだ。