ナナさん。
君が僕の前から姿を消して、10年が経ったよ。
この10年は、僕の人生で一番苦しかった。
いっそ、死んでしまおうとさえ思った。
君を忘れようと、酒にも溺れた。
猛君や沖田君、龍見姉妹にも、随分と迷惑をかけたっけ。
酒浸りで自堕落な生活を送っていた僕を奮起させようとでも思ったのか、初めて猛君に殴られたよ。
それでも、すぐには立ち直れなかった。
僕が立ち直れたのは、猛君に殴られてから半年も経ってからだった。
どうやって、立ち直ったと思う?
べつに、理由なんてなかったんだ。
ただ単に、君が今の僕を見たらどう思うのかな。って考えたら、自然と立ち直ることができたんだ。
そうそう、ついに沖田君に、子供ができたんだ。
名前は何だと思う?
なんと、
君が最後までジュウゾウと呼んでいたから、頭から離れなくて息子の名前にしちゃったんだってさ。
彼も意外と、いい加減だよね。
それと歌ちゃんと、天音君が結婚したよ。
合同で行った結婚式に君を招待したがってたけど、君の所在がわからなかったから、断念したようだ。
歌ちゃんには申し訳ないけど、もしかしたら君に会えるんじゃないかと、期待したっけ。
ナナさん。
君と別れてから、20年経ったよ。
僕かい?
僕は今も、海軍にいる。
今では、僕なんかが元帥だよ。
今のところ、歴史の調整は順調だ。
このままアクシデントがなければ君や、君が結婚して子供を作っていれば、その子達が平和に暮らせる世の中になるはずだ。
ナナさん。
君の肌の温もりが消えて、30年経ったよ。
人肌恋しくなることもあるし、良い縁談もあった。
地華君なんか、僕なんかを待ったためにかんぜんに婚期を逃してしまった。
それでも彼女は、僕のそばに居続けてくれている。
今では、周りから僕の内縁の妻扱いをされてるよ。
それが申し訳なさすぎて、僕は思わず土下座してしまった。
ナナさん。
君の声が聴こえなくなって、40年経ったよ。
さすがにこの歳になると、結婚しろと言われなくなったな。
まあ、言われてもする気はないんだけど。
ナナさん。
君の匂いが鼻を
君は、まだ生きているのかい?
よほどのことがなければ、君はまだ60代だから平気かな。
僕?
僕は、自分でも驚ほど元気さ。
さすがに退役したけど、この調子なら100歳まで生きられそうだ。
でも、地華君が逝ってしまった。
最後の瞬間まで僕を支えてくれた地華君は、恨み言一つ言わずに、安らかに息を引き取ったよ。
ナナさん。
君に見つめてもらえなくなって、60年過ぎたよ。
僕は、あと10年で100歳だ。
おっと、僕の年よりも、重大な報告があったんだった。
なんだと思う?
なんと、君のお孫さんと会ったんだ。
いやぁ、ビックリしたなぁ。
彼は陸軍どころか海軍でも有名人だったんだけど、とある事情で海軍に復帰した僕のところに来るなんて思ってもみなかったよ。
ナナさん。
君と同じ空気が吸えなくなって、70年が過ぎたよ。
僕もとうとう、100歳を超えてしまった。
もしかしたら、これが僕や猛君に与えられた転生特典だったのかもね。
そのおかげで、死ぬよりも苦し目にも遭ったけど、君のお孫さんと少しだけ仲良く……なれたのかぁ。
相変わらず、彼は僕を糞ジジイ呼ばわりだし、ついこの間会った時なんか殺されかけたよ。
あ、そうそう、君を使った事があるって話したら、手を出したのかって邪推されたっけ。
いや、邪推じゃないか。
たった数度とは言え、僕は君を抱いたんだから。
まあ、彼には手を出してないと、咄嗟に嘘をついちゃったんだけどね。
ナナさん。
君と再会できないまま、僕はとうとう寿命を迎えたよ。
君のお孫さんや、その奥さんに看取られて、僕は死ぬことができた。
それが少しだけ、嬉しかったかな。
「彼の奥さんは、君とよく似ていたなぁ」
黒髪で、腰まで届きそうなストレートヘア。
ただ、君と違って考えてる事がすぐ顔に出る子だった。
でも、君の方が美人かな。
と、言ったら彼に怒られそうだけど、そう思ってしまうくらい、僕は君に首ったけだったんだ。
「ナナさん。僕、頑張ったよ」
君が生きている。
君が死んでも、君の子孫が生きている。
そう思うことで、僕は戦い続ける事ができた。
トラブルはあったし、厄介事を君のお孫さんに押し付けてしまう形になってしまったけど、僕は死ぬまで頑張った。
君のことが愛しすぎて、君が生きるこの世界自体を愛してしまった。
だから僕は、死ぬまで走り続けることができたんだ。
「そうじゃね。小吉は、よう頑張ったよ」
僕が、懐かしい白い空間で物思いに浸っていたら、聴こえないはずの声が聴こえた。
ずっと聴きたかった声が聴こえた。
今のは幻聴か?
いや、今の僕に、幻聴も糞もない。
なら、今の声は……。
「ナナ……さん?」
「うん。久しぶりじゃね。小吉」
やっぱり、ナナさんだった。
あの頃と同じ、濃紺のセーラー服を着たナナさんが、僕の後ろに立っていた。
「どう……して」
「どうして? 待っちょったに決まっちょろうがね」
そう答えてナナさんは、両手を腰に当てて、プンプンと擬音が聴こえてきそうなほどわかりやすく、怒って見せた。
「ねえ、小吉。なんで小吉は、結婚せんかったん? ええ話も、あったんじゃろ?」
「君以上の女性に、巡りあえなくてね」
「その台詞、地華に言うたら槍で突かれるぞ?」
「そうだね。彼女の前じゃあ、絶対に言えないや」
「種はしっかり残せたんじゃけぇ、遠慮せんと結婚くらいすりゃあ良かったのに。小吉は歳を取っても、阿呆のまんまじゃったねぇ」
「ハハハ、そうさ、僕は阿呆……の?」
今、ナナさんはなんて言った?
種を残した?
種って、何の種だ?
もしかして、子孫か?
それは無い。
絶対に無い。
だって僕は、ナナさん以外の女性を抱いたことがないんだ。
だから、僕の子供を身籠る可能性があるのも、生むことができるのも、ナナさんしかいない。
じゃあ、彼は……。
「ちょ、ちょっと待って! じゃあ、彼は僕の……」
「孫。ちゃんと名前に、小吉の名前の一部をつけちょったじゃろう? 気づかんかったんか?」
「気づくわけないじゃないか! 彼が……
え?じゃあ、ナナさんは僕と別れてから、結婚しなかったの?
彼がお爺さんだと思ってた人は、赤の他人?
それとも、結婚はしたけど子供には恵まれなかったってこと?
いや、そもそも僕と彼は……。
「あんまり、似てないよ?」
「よう似ちょるじゃないね。ロリコンなんも、長い黒髪が好きなとこもよう似ちょる」
「あ、そう言われてみれば……」
女性の好みはけっこう似てたかもしれない。
でも、趣味や嗜好って遺伝するんだろうか。
「小吉は、あたしが十番目に覚えた名前。じゃけえ十人目の子に、小吉の名前をあげたかったんよ」
「じゃあ、君の……君と僕の子供には?」
「あたしの名前をあげた。ちぃっとばかし語呂が悪ぅなってしもうたけど、あん子は気にしちょらんかったねぇ」
まったく、とんでもないサプライズだ。
まさか僕に子供がいて、孫までできてるなんて全く思わなかった。
しかもその孫と、お互いの関係を知らぬまま会っていただなんて……。
「じゃあもう、思い残すことはないな」
「満足、したん?」
「うん。彼に面倒ごとを押し付けてしまったのが、少しだけ心残りではあるけどね」
「あん子なら大丈夫じゃろ。なんせ、小吉以上の極悪人じゃけぇね」
それは間違いない。
しかもそれに加えて、暮石の力まで使えるんだから鬼に金棒だ。
「それに、恋も終わりにしなきゃ」
「……あたしに、愛想をつかしたん?」
僕の言葉を聞いたナナさんは、そう言って不安そうな顔になった。
死んで肉体がないからか、表情の変化が自然だ。
感情がそのまま、顔に表れている。
「いいや、違う。これからは来世で、君と愛を育もうってことさ」
そう言うと、ナナさんの顔は真っ赤になり、少しうつむいてしまった。
「あたしで、ええの?」
「言っただろう? 僕は、君以上の女性に会ったことがないんだ」
そう返すと、今度は泣きそうな顔になった。
でも、悲しみは感じない。
溢れ出しそうな嬉しさを、必死で我慢しているように見える。
「本当……に?」
「ああ、本当さ」
それが合図だったように僕たちは互いに歩み寄って、抱き締めあった。
七十数年分の時間を取り戻すように強く。
このまま、一つに溶け合ってしまいたいとでも言うように強く、しっかりと抱き締めあった。
「あたしも小吉が好き。愛しちょる。ずっと、ずっと、もう一度言いたかった」
「僕もずっと言いたかった。君が好きだ。愛してる。仮に100年経っても、この想いは絶対に変わらないよ」
そして僕たちは、飽きもせず抱き締めあい、愛する気持ちを言葉にして交換し続けた。
あるかどうかもわからない、来世への不安なんかない。
なければ、このまま二人でここに居続ければ良い。
何もない所だけど、彼女がいれば、他には何もいらない。
だって僕たちは、ようやく結ばれたんだから。