クロムに憑依転生   作:石猿

10 / 12
 今回は短めというかいつも通りに戻る。


E=10 MOONLIGHT

 秋の日は鶴瓶落とし。夏を越えて次第に高度を落とす秋の太陽は傾き始めてからあっという間に沈み行き、その名残の仄灯(ほのあ)かりすらも瞬く間に消え行く。その様がまるで自由落下する井戸の鶴瓶のようであると謳う慣用句は、井戸こそ無くなれども本質は三千七百年が経過した今でさえ変わらない。雲一つない澄んだ空に夜闇を吐いて急速に塗り替えながら、柔らかに輝く西日は山の向こうへと眠る。

 ひゅるりと肌寒い風が一陣。焚き火の前で日没を眺めていた僕は僅かに身を震わせた。

 今日の仕事も食事も既に終え、村の番をする者を除けば殆どが家に帰って眠り始めている。明日に備えて僕も眠るべきではあるのだろうが、目が冴えている時に無理に眠ろうとしても上手くいかないことは知っている。眠気の波が訪れるまで待つのが吉と、傍の薪を追加で()べた。薪に火が移り静かに炎を宿す。

 日本の四季は季節毎に夏は暑く冬は寒いといったように寒暖を齎す。そして変わり目の季節は坂を転がり落ちるように──あるいは鰻が登るように──急激な気温の変化を生み、人間の身体は順応のために自身に大きな負担をかける。だからこそ春秋は人が、特に身体の弱い者が体調を崩しやすい季節であり、しかし今年は当代の巫女様はどうやら体調が良いらしい。(わず)かだが夏の間に食が改善されて栄養状態が良かったからだろうか。咳き込むことこそあれ、寝込んで全く動けない日は例年より少ない。彼女の死は既に覚悟の上であるけれど、それはそれとして病床に苦しむ姿は心が痛む。彼女に安寧が続くことは喜ばしい。

 巫女様は既に三十を越える歳を重ねた。幼少から肺炎に(かか)りながらも、驚くべきことにその生命を、巫女の使命たる百物語を継承せんとする意思を貫き続けている。細く白い身体は儚いのに在り方はどこまでも輝かしい。コクヨウが、ジャスパーが、ターコイズが──いや、村の誰もが慕うのは自然なことだった。当然、僕も目が潰れてしまうほど(まぶ)しい生き方に惹かれないわけがなく、ひょっとするとある種の憧憬を抱いているのかもしれない。しかしこの感情に名前を付ければ捨象された部分が、剥がれ落ちた僕が(こぼ)れ落ちてしまう。だから、曖昧なままが良い。

 どこか他人事のように一人、思考に沈む。

 前世を得てから早いもので既に一年半が経つ。可否も分からないまま思いつく限りの未来への布石を打ち続け、あるいは希望に縋りながら駆け抜けた日々。思い返せば時間に追われて焦り続けていたけれど、現状をやっと飲み込めたことで漠然とした危機感は明確に像を結び、今では急がねばならないという感覚を残したまま逼迫(ひっぱく)感は薄らいでいる。空転していた歯車が上手く噛み合ったような感覚。

 日は完全に没して空に星が瞬いているのにもかかわらず、夜は明るい。ふと見渡すと、後ろには大きな満月が登っていた。星すら霞ませる巨大な円環の煌めきに目を細める。

 月は常に同じ面を地球に向けているらしい。一説によると形成過程において比重の大きな金属成分が偏った結果、地球の引力によって重い部分が寄せられているため、だったか。満ち欠けを繰り返し異なる姿を見せながら、しかし偏った重心に寄せられて同じ顔のみを覗かせる。それこそが東西を問わず古来より人を惑わせ、狂わせてきた月。その証と言わんばかりに各地で月を見て狂う人間の話が伝承され、例えば日本最古の物語においては人心を持たない者達の住む都が存在するとされ、英語圏にいたっては月を表すラテン語由来の形容詞lunarがlunaticと形を変えれば狂人へと意味を変える。

 しかしその事実を知っていようと(まばゆ)い琥珀色は僕に恐怖を抱かせず、そして狂おしい熱も生むことはない。むしろ心は凪いでいて、歯車の噛み合った僕に湧く不安を押し留めてくれている。それこそ僕を保証するように。一片の欠けも無い月が祝福たり得るのは、あるいは既に月光に狂っているからだろうか。

 (かげ)りの一つも無き満月。その神秘は手が届くほどに近く、その美しさに輝夜姫が舞い降りるのを幻視する。かの地に都の無きことを知っている、なんて些事に過ぎなかった。

 湿気の少ない清澄な空気。ゆるりと目を閉じて息を深く吸い込めば、臓腑に冷気が()みて火の香りが鼻を(くすぐ)る。薄く目を開き空気を浅く吐くと()()と焔が揺れる。

 炎はどこか幻想的な魅力を持つ。それは炎色反応を起こして色を変えずとも、ただ不規則に輝いて、揺らめいて、空気に溶けて行く姿だけで人を魅せる魔性に近い。しかし月のように人を狂わせる妖艶な危険性ではなく、原初にして神秘を(はら)んだ心の拠り所なのだろう。蛾や羽虫のように理性もなく寄せられないのは、きっと原初から離れた人間が持つ魔性への嗅覚が(なまくら)へと進化して行ったから──いつだったか、そんな話をしたことがあった。近くに昇る月を眺めながら、ぼんやりと追憶する。

 (なまくら)へと変わるのは退化ではないのだろうか。研ぎ澄まされた鋭利さが時間と共に刃毀(はこぼ)れを起こし、次第にその輝きを失って行くのではないか。故に(なまくら)(にぶ)いのであり、魔性を知覚出来なくなったのは錆びついたのと同義ではなかろうか。

 答えは否。(なまくら)へと変わるのは悪ではない。むしろ使い込まれた(あかし)であり、生物においては最適化を通った(しるし)に他ならない。いずれ人間が小指を失うように、使わないものを切り捨てて別に特化しただけのこと。感覚の(やいば)は錆び付いたのではなく打ち直されたのであり、故にやはり名を付けるのならば進化以外に相応しくない。それに魔性に飲まれていては人は獣のままだった。

 科学的な根拠のある話ではなく、どちらかと言えば哲学、いやそんな高尚なものでなく言葉遊びに近かったのだと思う。その話をしたのは誰とだったろうか。向かい合って話した記憶の中、その顔には時間に阻まれて(もや)が掛かっていた。記憶を探ろうとしても上手く頭が回らず小さく欠伸(あくび)をしたところで、やっと睡魔が来ている事実に気が付いた。

 立ち上がった身体を秋が包み込む。凝り固まった身体を伸ばして今度は先ほどよりも大きな欠伸。くあ、と喉から溢れた音と一緒に、僕は夜を飲み込んだ。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。