魔槍の姫   作:旅のマテリア売り

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Prologue.

  

 

「クククッ! クハッハハハハッ!!」

 

 蒼穹の下、高く聳える山の麓に存在する深い森の中。高く、鋼を打ち鳴らすような男の笑い声が響く。輝く様な白い肌に黒の髪を振り乱し、手には輝く剣を持った美青年だ。しかし分厚い筋肉で覆われた彼のその胸には長い、2m以上ありそうな何かが生えており、口から血を吐き、傷口からは夥しい血を流している。

 胸から生えているそれは、槍だった。余計な装飾の一切無い、銛の様な形状をしている槍だ。鋼でも石でもない、ましてや木でもない何かから作られているのだろう。それは妖しくも、何とも言えない独特の光沢を放っている。いかなる理由か、単なる武器とは違う何かが感じられる。

おそらく心臓を穿っているだろう槍だが、彼はそんな事は些事とでも言うかのように高笑いを続けている。凄絶な光景だ。

 

「まさかな! まさかこの俺がこの様な、多少武芸の心得がある程度の外国(そとつくに)の小娘に不覚を取るとはな! 少々余裕が過ぎた、と言うところかな!?」

 

 言いつつ、彼は槍を抜こうともせずその目を下に向ける。

 やや離れた地点には彼の姿の他に、一つの影が横たわっていた。

 女だ。まだ13、4歳程度だろう、年若い少女だ。彼女もまた高笑いする男性と同じ、いやそれ以上に深い傷を全身に負い、多量の血をその傷口から流して沈んでいる。顔色は蒼白で、おそらく意識は無いのだろう。茶色の髪は血でぐっしょりと濡れ、薄く開いて見える琥珀色の瞳に光は無い。ピクリとも動かず、死ぬ一歩手前と見える。微かに聞こえる、途切れる様に浅い呼吸音から辛うじて生きている事が分かるくらいで、普通に見れば既に死んでいても可笑しくない重症だ。

 ボロボロの状態で自らの血の中に横たわっている少女の周囲には粉々に砕けた、石でも鉄でもない、不可思議な光沢を放つ何かの破片がある。

 

「おうおうおう! この俺の神力がこの小娘の体に流れ込んでいるのが分かるぞ! となれば次に来るのは……おお、来たな! 愚者の妻、忌まわしき魔王どもの支援者めが!」

 

 男性がそう言って少女を見ると、何時の間に居たのか、彼女とは別の少女の姿が側に在った。薄紫色にも桃色にも見える長い髪を、人間には無い尖った耳の上で二つに結い、純白の衣装で身を包んだ少女。歳の頃は14、5歳と言ったところか、天真爛漫な印象を抱かせる可憐な少女だ。

 しかしその表情と身に纏う雰囲気は外見年齢以上に蠱惑的で、少女である以前に一人の「女」である事をハッキリと示している。

 

「あらあら、お初にお目にかかると言うのに随分な仰り様ですわね。クー・フーリン様」

 

 血を流す男性に対し、忽然と現れた女性は可憐な笑みを浮かべつつそう言った。

 クー・フーリン。クー・クランともク・ホリンとも呼ばれる、アルスター……現在で言うアイルランドに存在したとされる半神半人の英雄である。父にケルト神話の主神である太陽神『長腕のルー』を、母にコノア王の妹デヒテラを持つ「赤枝の騎士団」に所属した騎士だ。幼少時に城に招かれた鍛冶師クランの番犬を殺めてしまい、嘆いた飼い主に「その犬の子が育つまでは自分が代わりに番犬となる」と宣言した事から「クランの猛犬(クー・フーリン)」の異名を持つ。

 フォルガルの娘エメルを娶る為に冥界でもある『影の国』に渡り、その国の女王たる女神スカアハに師事し跳躍術である鮭飛の術と、雷鳴の様な速度であらゆる物を突き穿ち、一撃で殺す魔槍ゲイボルグを得て帰国。結婚を許さなかったフォルガルを打倒しエメルを娶った。

 しかし、彼がその魔槍を振るった回数は少なく、普段はクルージン・カサド・ヒャンと言う光り輝く剣と有り触れた投擲具のみで戦っていた。彼がはっきりとゲイボルグを使ったのはほんの数度、彼と同格かそれ以上の力を持つ相手との戦いのみだ。

 半神半人故か、「クーリーの牛争い」が原因となったコノート王国との戦いでは、アルスターの男の力を出せなくするマッハの呪いが唯一その効果を発揮せず、一対一の決闘の形式をとってただ一人奮戦したが、修行時代の親友である騎士フェルディアをその槍で殺し、さらにオイフェとの間に生まれ、自らの言葉を守り誰にも名を明かさずに父を訪ねて『影の国』より来た息子のコンラすらもそうと知らずにその槍で殺してしまう。自身も敵国であるコノートの女王メイヴの策略により「ゲッシュ」を次々に破られ、半身が麻痺した所で敵にゲイボルグを奪われ、愛馬の片割れと御者の命を奪われた後に命を落とす。その際に零れ落ちた内臓を水で洗って腹に押し込み自らを岩あるいは石柱に縛り付け、倒れる事を良しとせずに立ったまま息絶えたと言う凄絶な伝説を持つ。

 ちなみにアーサー王伝説に出てくる英雄の一人、「太陽の騎士」とも呼ばれる騎士ガウェインとは一部の伝承――「首切りゲーム」と「緑の騎士」の物語だ――がクー・フーリンの物と似通っている為に彼と起源を同じくするか、クー・フーリンと同一人物とする説、或いは伝承が統合されたのでは、と言う説がある。

 かつて、イングランド北西部にはセタンティ族と言う部族が存在していたと言う。クー・フーリンの本名はセタンタであり、この部族名と非常に似通った名前だ。もしかしたら、彼は元々この部族の英雄的存在だったのかもしれない。その記憶を残すために、彼の物語をセタンティ族の子孫達が語り継ぐ中でガウェインの起源となる存在と統合された可能性は大いにある。

 ガウェインはその物語の起源を太陽神とする説を持つ英雄であり、「五月の鷹」と言う意味を持つウェールズの英雄グワルフマイと同一人物ともされる。古代ケルト社会において五月は夏の始まりを意味し、太陽との関係性を指し示す。鷹は多くの神話で鷲と混同される事が多く有り、鷲は鳥の王とされ太陽神や天空神と言った存在の聖鳥である。

 また、ガウェインは午前9時から正午までの3時間、力が3倍になると言う特殊能力を持っていた。太陽は正午にこそ最も強く輝き、それ以降は輝きを徐々に弱めて行く。この事からも、彼が太陽に強く関係する英雄である事が読み取れる。彼が持つ剣であるガラティーンも資料は少ないが、彼と同じく正午に最も力を発揮する剣だと言われている。太陽神の息子であるクー・フーリンとはある種、近しい存在であるとも言えるだろう。ガウェインを表す紋章はグリフォンであり、この獣は鷲或いは鷹と獅子との合成獣だ。その楯には聖母マリアを意味する五芒星が描かれていたという。

 五芒星はケルトで冥府の女神にして戦女神モリガンを象徴し、その名は「大いなる女王」を意味する。彼女は怒りと豊穣を司るヴァハ、大鴉に化身するバズヴと同体を成す三相一体の女神であり、大地母神ダーナやアーサー王伝説に出る湖の乙女の一人モルガン・ル・フェとも同一視される、闇と大地と死を司る女神である。バズヴが化身する烏は、ギリシア神話では太陽神アポロンに仕え、エジプト神話では太陽を表す聖なる鳥とされるが、北欧神話やケルト神話では戦場に死を齎す者、或いはその斥候として恐れられた。有名どころでは北欧神話の主神であり、死と戦争を司る神オーディンが情報収集の為に世界に放つ二羽のワタリガラス、思考のフギンと記憶のムニンがいる。

 モリガンはクー・フーリンとも関係がある女神であり、彼に求愛するもすげなく断られ怒り呪いをかけ、鰻や海蛇、狼、牝牛の姿に化身して襲い掛かる。牝牛も蛇も、竜、獅子と同じくどの神話でも地母神の象徴だ。結果として足を切り落とされ、さらに目を潰され返り討ちに遭うも命は奪われず、彼に傷を癒されたことでその協力者となる。彼の最期にはワタリガラスの姿でその肩に留まり、死を看取ったという。

 

「目敏いものだな、魔女め! 噂に違わぬ足の早さよ」

「当然ですわ。あたしは神と人、そのどちらもが居る場所に必ず顕現し、災厄と一掴みの希望を与える魔女ですもの。距離なんて言う概念は意味を為しませんわ」

 

 アルスターの大英雄の名で呼ばれた男性に笑みを含んだ声でそう答えつつ、新たに現れた女性は血の海に倒れ伏す少女に妖しい、しかし同時に優しげな眼差しを向けた。

 

「この子があたしの新しい子供かしら? ふふっ、娘が出来るのは大体6年ぶりね。瀕死みたいだけど……多分大丈夫よね。苦しい? でも我慢なさいな。今感じているその痛みと苦しみは、貴女と言う存在をただの人間から最強の高みへと押し上げる代償だもの。大丈夫よ、すぐに終わるから」

 

 言いながら女性は少女の髪を優しく撫で、天を仰ぎ、声を張り上げる。

 

「さあ、皆様! 新たにこの世に生まれ落ちた神殺し、あたしの新しい娘に祝福と憎悪を与えて頂戴! 最も年若い魔王となり神々と戦う運命を得たこの子に、その生誕を言祝ぐ聖なる言霊を捧げて頂戴!」

「良いだろう……小娘! 神を殺す者として新生する貴様に、このクー・フーリンが祝福と憎悪をくれてやる! 貴様はこれより多くの神々と戦う事になるだろう! 或いは同朋たる魔王どもと争う事にもなるやもしれん! だが決して負けるなかれ! この俺から奪いし権能でもって血に塗れた道を征き、並居る勝者どもを打ち下し最強の戦士となれ!! そして貴様が最強となったその時こそ、俺が雪辱を果たす時よ!!」 

 

 言って、クー・フーリンの体は光を発しながら解けるようにその輪郭を崩していき、笑いながら虚空へと消えて行った。側に居た筈の女性もいつの間にか消えており、其処に居るのは倒れている少女唯一人のみ。だが彼女の体には傷痕は一つも残っていない。傷痕の名残はズタズタに破れ、血で汚れている服と滑らかな素肌だけだった。

 

 ●

 

 ガヤガヤと、雑踏の中に居る様な五月蝿い音が微かに聞こえる。

 パチパチと何かが燃え、爆ぜる様な音とサイレンの様な甲高い音が遠く、耳に届く。

 燃え盛る火でも側に有るのか、やけに体が火照っている様に感じる。同時に、鼻にツン、と油が燃えるようないやな臭いが鼻に届く。

 五月蝿く、臭く、そして熱い。さらに濡れているのか、服が体に張り付く嫌な感触も有る。嫌な環境だ。その所為か、それとも別の理由か、呼吸も苦しく感じる。

 

『誰か、誰か意識のある人は居ませんか! 居たら返事をしてください!』

『一体どんなことすりゃこんだけ車両がグシャグシャになるんだよ……クソッ! 消火急げ! 生存者の捜索もだ!! 絶対に見過ごすな!!』

『おい、しっかりしろ! ……くそっ、駄目だ……』

 

 声が聞こえた。聞き慣れた言葉ではなく、しかし初めて聞く言葉でも無い。この三日間の内に父も母も喋っていた、割と良く聞いた言語だ。何を言っているのかはよく分からなかったが。

 そこまで考え、ふと疑問に思う。父母はともかく、自分はこの国の言葉は良く分からなかった筈だ。それは今朝も変わらなかった。

 だが今はその言葉が理解できる。喋る事が出来るかは分からないが、少なくとも先程聞こえた言葉の意味を理解する事は出来た。何故だろうと、そう疑問に思う。

 しかし先の言葉が確かなら、今居るこの場は危険なようだ。車両がグシャグシャ……自分達はバスに乗っていた筈だから、おそらく事故にでも合ったのだろう。父母は無事だろうか。

 立ち上がり、足を踏み出すが多少よろけ、手を木について体を支える。

 

「ぇ……?」

 

 小さく、困惑を含んだ声を少女は漏らした。

 自分は両親と共にバスに乗っていた筈だ。それが、何故バスの外、森の中に立っている?

 思い、手を着いた木に目を向ける。目に入ったのは少女自身の手だった。滑らかな肌色をした、シミやくすみ一つ無い幼い女の肌だ。

 しかし今、彼女の手には肌色の他に黒ずんだ、赤い色が有る。ぬめり、金臭いそれは、あらゆる命に流れる物……血だ。

 それを見て少女は暫し茫然とし、しかしすぐに自分の体を見る。身に纏うのは水色のワンピースで、それは母にねだって買ってもらった少女のお気に入りの服だった。ホテルを出る前には新品同様に綺麗な色をしていた筈のソレは、しかし何があったのか、血で紅く汚れ、さらに刃物で切り裂かれたぼろ布の様にズタズタになっている。

 だが、そんな状態の服に反して少女の体には傷一つ無い。血で汚れてこそいるが、それ以外は異常の無い滑らかな肌が晒されている。

 これは一体どう言う事か。分からず、少女は混乱し、父と母の姿を探したが見つからない。

 それでも少女は辺りを見回し、視線の先に小さな、紅い光を見つけた。何かが慌ただしく動く気配も有る。おそらく人が居るのだろう。

 あそこに父母が居るかもしれない。居なくても、最悪人は居るだろう。そう思い、少女は足を動かし、その光の元に向かう。僅かに体が気だるい気もするが、おそらく気の所為だろう。

 そして――

 

「……なに、これ……」

 

 目に入ったのは、おそらく自分が乗っていたであろうバスだった。いや、正確にはその残骸、と言ったところか。何となくだがそう直感する。何が有ったのか車両は横転しガラスも砕け、グシャグシャになり、その原型を辛うじて留めている程度だ。さらにガソリンに引火でもしているのか、所々で爆発し、火の手も上がっている。

 

「お父さん……お母、さん……?」

 

 ふらりと、一歩足を踏み出す。何でこんな事になっているのか、どうして自分はボロボロの服で外に出ているのか、いや、それ以前に両親は無事なのか。様々な思いが頭の中に浮かび上がり、少女の思考を掻き乱す。

 一歩一歩ゆっくりと、フラフラとした足取りで燃える車両に近付いて行く。

 

『! 居たぞ、生存者だ!』

『君、大丈夫か!?』

『こんなボロボロの服で、そんな訳ないでしょ! 血塗れじゃない……って、傷がない? 何で?』

『見た所、東洋人の様だが……旅行者の子供か?』

 

 その少女を見つけ、数人の大人が近寄って来る。同じ衣装の服を着ている辺り、同僚か何かなのだろう。

 しかし少女はその人達に気を向けず、ただじっと車両を見ているだけだった。しかし、その表情は非常に強張っている。

 疑問に思った大人の一人がその視線を追う。

 

『っ! 見ちゃいかん!』

 

 叫ぶ様にそう言い、少女の目を塞ぐ。だが既に遅かった。

 少女はハッキリとその目に見た。燃える炎の中、潰れ、血を流す人々。その中に――自分の両親の姿を、見つけてしまっていた。

 直後、少女の意識は闇へと墜ちた。直前に、幼い女の声を聞きながら。

 

 この日、東の果てに在る島国から来た少女は家族を喪い、そして――神話より生まれ出し、天上の神々と戦う運命を得た。

 


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