魔槍の姫   作:旅のマテリア売り

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10話 決着の行方

 

「く、が、あああああああっ!!」

 

 アテナの力と、さらにマーナガルムの光を陰らせる力によってより一層深くなった闇の中、背に梟の翼を広げた美女――アテナの絶叫が響き渡った。その声質は咆哮等ではなく、苦悶のそれだ。女神の叫びの原因は、彼女の体を穿っている一本の槍だ。

 咲月より放たれた槍は、権能によって何者をも穿つ必中の魔槍となって雷撃を纏い、美貌の女神に襲いかかりその身を貫いたのだ。

 纏っていた雷撃によって体の内側から焼かれ、苦悶する。さらに言い様のない不快感をアテナは感じていた。

 極小規模とは言え雷と同等の電撃である為、人間ならば間違いなくショック死しているほどなのだが、それを喰らってダメージを受けても意識をハッキリ保っている辺り、流石は神だと言うべきか。人間等、軽く超越した生命力だ。

 しかし感じる不快感は、雷撃による物ではない。もっと別の、忌むべき何かだ。それが体の内部から蝕んでいる。血流に乗り、内側から身を焼くようなこの感覚。これは――毒だ。己の身を穿っているこの槍から、雷とは別に毒の呪力が流れ込んでいる。

 それを感じながら、アテナは地面に落下していった。見れば翼が消え失せている。ダメージで維持できなくなったのだ。

 直後、叩きつけられる衝撃がアテナの体を襲った。衝撃で槍が身体を抉る様に動き、激痛がアテナを苛む。

 だが、アテナとて唯で身を槍で穿たれた訳ではない。

 

「う、ぶ――っ! ごほっ! ぇはっ!」

 

 アテナの苦悶の叫びを耳にしながら、咲月は呻き、口を抑えながらも多量の血を吐き出した。原因は彼女の右胸を貫通している、アテナより放たれた「闇」の神力を凝縮した矢だ。服にかけたルーンの防御は矢が胸を射抜く前に消し飛んでしまったので、僅かに減衰させる事すら出来なかった。

 ただ胸を貫いているだけではなく、肺を貫通してもいるのだろう。射抜かれた場所からも血が流れ出ているが、それ以上に息が苦しい。血が肺に流れ込んでいるからだ。反射で、肺の中の異物を吐き出そうと咳き込む。

 口内に、生臭い鉄錆の味を感じる。自分の血の味を味わうのはこれで四度目だが、美味とはとてもではないが思えない。

 そう思いながら矢を引き抜き、握り折る。直後に傷口から血が噴き出すが、気にはしない。この程度の傷なら、最低でも後1時間は保つだろう。重傷を負っても数日で回復するカンピオーネの回復力と生命力は伊達ではないのだ。

 ぴちゃり、ぴちゃり……。血が口から、そして傷口から滴り落ちる。その音を何処か遠く耳で聞きながら、咲月は地に倒れ伏すアテナから目を離さない。彼女が死んでいないと確信しているからだ。

 

「ふ、ふふ、ふ……っ、流石は、地中海最強の女神ね。雷槍を受けて、身の内から焼かれて、まだ健在なんて……」

「……侮るな、神殺しよ。この程度で、妾が負ける筈がなかろう。だが……中々に効いたぞ……」

 

 咲月の言葉にアテナが応え、手をついて上半身を起こす。彼女も同じ様に口から、そして腹部から血を流している。だがその目に宿る闘志は、いささかの衰えも見られない。

 

「先の言霊、そしてこの槍……直に受けて、ようやく分かったぞ。この槍から感じた冥府の気配の正体と、あなたが弑した神の名が」

 

 よろよろと立ち上がり、未だ自分を穿っている魔槍を引き抜き、投げ捨ててアテナは咲月を睨みつける。その顔は未だ凛々しさを保っているが、蒼白だ。槍で穿たれた腹部は……癒えていない。死と再生、不死の象徴である蛇の力が機能していないのだ。

 投げ捨てられた槍は、咲月が念じると同時に彼女の手の中に収まった。呼び出しの術で手の中に呼び戻したのだ。

 

「クー・フーリンだ。妾の故地よりさらに西、猛犬の名を持つアルスターが戦士! 太陽神ル―の息子たる『鋼』の英雄神クー・フーリンだ! あなたは彼の英雄を殺めたのだな! そしてあなたが簒奪した権能であるこの槍はゲイボルグ! 必ず敵を穿ち、癒えぬ傷を与える冥府の魔槍であろう!」

 

 咲月の目を睨みつけ、確信を得た声音で、文字通り血を吐く様に咲月が殺した神と、簒奪した権能の名を叫ぶ。

 ゲイボルグ。ケルト神話、アイルランドの英雄クー・フーリンが振るった槍の名前である。冥府でもある影の国、その地を統べる女神である女王スカアハによって管理されていたこの槍は、彼女の大勢の弟子の中で唯一、エメルを娶る為に修行に来た若きクー・フーリンにのみ授けられ、最後には彼の英雄自身の命を奪った。

 アテナの叫びに応え、咲月は歪んだ笑みを口に浮かべた。流石は闘神にして知恵の女神。他国の英雄や神の名も熟知しているか。

 

「ええ、その通りよ。私が神殺しになったのは、彼を殺してしまったから。この槍は、その時に得た最初の権能」

 

 血で口元を汚し、服を紅く彩りながら、蒼白な顔で咲月はアテナ問いとも言えぬ問いに肯定する。他の魔王達には隠しておくべき事だが、この神相手にはもはや隠す必要がないからだ。

 ゲイボルグの素材となった物は、木材でも石材でも、ましてや金属ですら無い。とある二頭の巨大な海獣――これはクジラだろうと言われる――の内、敗れた方の獣の骨を用いてボルグ・マク・ブアイン――スカアハと言う説もある――が、作り上げた槍なのだ。

 巨大な海の獣であるクジラは、旧約聖書ではレヴィアタンと言う名の怪獣として現れる。この獣は陸の怪獣ベヒモスと対になる存在と言われ、さらに場合によってはジズと呼ばれる怪鳥と三体一対を為す海の獣とされる。

 このレヴィアタンは、カナン神話に出てくる七つの頭の竜リタンや、バビロニアのティアマトと類似性を上げる事が出来る。リタンもティアマトも、竜蛇の属性を持つ魔獣や大地母神だ。この関連性から、レヴィアタンは現代に下るにつれて竜蛇の属性を付与され、現代では完全に海に住む巨大な竜蛇とされた。

 この事から、クジラと竜蛇は遠いが、しかしまったく関係がない存在ではないと言える。この存在の骨より創り出されたゲイボルグは、ある意味、竜蛇の骸より生まれたと言っても良いだろう。剣と槍の違いこそあるが、日本に伝わる天叢雲剣の遠い、遥か遠い親戚の様なものと見る事も出来る。

 

「ゲイボルグを知ってるんなら、もう気付いているんでしょう? あなたの傷が塞がらない理由も……」

「魔槍の呪い、治癒阻害の毒か……忌々しい『鋼』よな!」

 

 咲月の言葉に、忌々しげにアテナが舌打ちをする。

 魔槍と呼ばれたこの槍には、ある伝承が在る。それは、「必ず相手を貫き、一撃で殺す」と言う物だ。事実、この槍で貫かれた者は必ず一撃で死亡、或いは致命傷を負っている。

 他にも、雷鳴の様な速度で敵を貫く、投げれば30の鏃となって降り注ぐ、突き刺せば30の棘となって炸裂する、血管と内臓の隙間に大釘を残す、全身の細胞に猛毒を注ぎ込む、有り得ない軌道を以て敵を貫く、どのような防御も突き穿つ、傷付けた相手の傷を癒さないと言った伝承が在る。

 咲月が彼の英雄から簒奪した権能は、この魔槍だった。アテナを貫き、その身を焼いたのは必中と雷速の伝承に因る能力だ。そして、アテナの身を蝕み、傷の回復を阻害している毒は、猛毒を注ぎ込むと言うそれに由来する。ついでに言えば、蛇の頭を吹き飛ばしたのは30の棘となり炸裂すると言う伝承のそれだ。

 一撃必殺を基本とし、しかしそれを為せなかった場合には毒で蝕み、治癒を阻害する魔槍の権能。凶悪かつ強力な能力を持つ権能は多々あるが、効率性をも両立しているこの権能はその中でも中々に凶悪な部類に入るだろう。

 四年の内で、さらに二柱の神々との戦いを経て、咲月はこの魔槍の権能を完全に掌握していた。

 

「さて、その毒に侵されて、満足に治癒も行えない貴女に、私を倒す事が出来るかしら?」

 

 血で汚れた凄絶な笑みを浮かべ、咲月は槍をアテナに向ける。その穂先を向けられながら、しかしアテナは焦った風に見られない。寧ろ、咲月と同じ様な笑みを浮かべて睨みつけている。

 

「実に忌々しい能力よ……だが、あなたも言う程無事ではあるまい。妾には分かっておるぞ。その魔槍、もはや使えてもあと一度か二度、それも追尾が精々であろう」

 

 獣の様な笑みを浮かべたアテナの言葉に、咲月は口の端を吊り上げながら、しかし内心で舌打ちする。自分の現状に気付かれている。

 アテナの「闇」の矢。あれを受けて、咲月は自分の呪力の大半が削られ、奪われた事を自覚していた。マーナガルムの「死食い」と同じ様な事をしてくれるとは、流石と言うべきか。

 咲月の槍が魔槍であった様に、アテナの矢もまた厄介な効果を持っていたのだ。

 マーナガルムの発動を止めれば、おそらくもう一度なら同じ効果を魔槍に込め、放つ事が出来るだろう。だが、それをしてしまえばマーナガルムが抑えている大蛇の相手すらしなければいけなくなる。今の状態で、それはマズイ。確実に死ぬ。

 カンピオーネの体に、魔術は効果を為さない。攻撃回復防御問わず、全て弾いてしまう体質だからだ。先程のルーンは、服に刻んで外側に向けたからこそその効果を表したのだ。

 ゲイボルグの回復阻害効果は、肉体のみならず呪力にすら及ぶ。その為、アテナは咲月の呪力を奪っても神力を回復する事は出来ていないだろう。傷を癒す事も出来ないので、生命力と神力は血と共に流れ出るままだ。おそらく神力は、咲月と同じかそれより僅かに多い位にまで減じているだろう。

 だが、それでも神。梟を召喚できなくなり、「死」も喰われてしまい効果がなく、癒えぬ傷を身に負ったとしてもその強大さは変わらない。神力を消耗している為どれほどの力を発揮するか分からないが、まだ彼女には大鎌、弓、アイギスの盾が残っているのだ。

 とは言え、血を流し、雷で焼かれ、肺を射抜かれた二人は互いに満身創痍と言うに相応しい状態だ。そう長い事戦う事はもう出来ないだろう。最悪、両者共倒れと言う結果で幕を下ろす可能性もある。

 そんな結果は認められない。命を賭ける戦闘には、やはり勝利と敗北のみが相応しい。

 咲月も、そしてアテナもそう思い、武器を構え呪力と神力を注ぎ込む。長時間戦闘はもはや不可能。ならば、この一撃で決着をつける。二人ともその結論に至ったのだ。

 互いに武器に力を込め、己が敵を睨めつけ、そして――咲月が槍を構え、突進した。

 

「はああああああっ!!」

 

 叫びながら、咲月はアテナに向かってゲイボルグを突き出す。その攻撃速度は、かなり消耗している状態だと言うのに先程までのどの攻撃よりも鋭い。正しく、雷速の突きだった。心なし、槍自体も放電している様に見える。

 カンピオーネは全快状態よりも、傷付き消耗した状態の方が厄介だ。手負いの獣の如く、何をしでかすか分からない。咲月のこの攻撃速度も、それから来ているのだろう。

 余りの速度に、アテナも一瞬槍を見失った。しかし闘神としての直感と経験が、彼女に迎撃でも回避でも無く、防御を選択させた。一瞬で鎌の姿が解け、盾の形に変化する。

 刹那にも満たない時間で、それを己の前面に翳す。直後甲高い激突音が響き渡った。有り得ない程に重い衝撃がアテナに圧し掛かる。槍と盾の接触点から、呪力の反発が電撃となってアテナを、そして咲月の肌を焼く。

 

「お、おおおおおおおっ!!」

 

 衝撃に一瞬驚愕し、しかし堪えるべくアテナは盾を翳し続ける。

 盾を隔てて見える神殺し、和泉咲月。彼女が握る槍からは先程までとは言わないが、凄まじいまでの呪力が込められている。おそらく、残る呪力の内、攻撃に転化できる呪力全てをこの一撃に注ぎ込んでいるのだろう。であれば、この衝撃の重さと強さも納得がいく。正しく一撃を以て屠りに動くとは、やはり神殺しか。だが――

 

「この程度の攻撃で、妾を斃せると思うてか! 和泉咲月!!」

 

 だが己とて大地の女王。闘神にして知恵の女神。大いなる太母神の末裔。天地冥府の三界を統べた者。負ける訳にはいかない。

 咲月はこの攻撃に残る全ての呪力を込めている。ならば、この一撃を凌ぎきれば自身の勝利は確定。自分はまだ、攻撃に使える力を残している。

 勝利を確信し、アテナは薄く笑みを浮かべて盾の向こうの咲月を見た。

 そして、怪訝に思った。

 

(――?)

 

 視界に映る咲月の顔。その顔に浮かんでいるのは笑みだ。しかしその笑みは、敗北への諦めで浮かぶ物では無い。寧ろ、己の策が成った事を確信した様な――。

 そこまで考え、アテナはふと思い出した。自分の盾、アイギスと激突している咲月の槍、ゲイボルグ。

 己の盾はあらゆる攻撃を防ぐと言う伝承を持っている。その防御力は折り紙つきで、正しく全ての攻撃を防ぐだろう。

 だが、この槍にも伝承が無かったか? 防御ではない。追尾でも、毒でも無い。もっと攻撃に特化したある伝承が――

 

「っ! まさか、貴様!」

 

 思い至ったことで、咲月に詰問の声を投げる。しかし咲月はそれに、言葉ではなく笑みで応えた。――凄絶な、獣の様な笑みで。

 直後、呪力の質が変わる。全てを穿つ、刃の様に。

 

「魔槍よ! 伝承に則り、あらゆる護りを貫き、敵を穿て!」

 

 咲月が言霊を紡いだ瞬間、溢れていた呪力が全て消え失せた――否。消え失せたのではない。全て魔槍の中に取り込まれたのだ。

 

 ――ピキッ

 

 同時に、小さな音が聞こえた。硬い何かに罅が入る様な、危険な音が。アテナはその音の発生源にすぐに気付いた。

 盾だ。己の盾、アイギスからその音は聞こえた。全ての攻撃を防ぐ筈のこの盾が、神殺しの魔槍を防げていない。その事実にアテナは愕然とする。

 ――ゲイボルグの伝承に曰く。その槍はあらゆる防御を貫通し、敵を穿ち殺す。事実、この魔槍はクー・フーリンの親友であり、ライバルでもある騎士フェルディアの防御――分厚い鉄の大盾、絹と皮と石材を七枚重ねにした鎧、鉄の前垂の重装甲――を易々と突き破り、その命を奪ったのだ。

 追尾ではなく防御貫通の力を、咲月は今ここで使って来たのだ。アイギスの守りが、ゲイボルグの刃に侵される。

 

「っく、ああああああああああっ!!」

 

 このままでは身を穿たれる。防ぎ、敵の力が切れた所で止めを刺す等と悠長な事は言っていられない。

 そう思い、アテナは咲月と同じ様に己の力の全てを守りに注ぎ込んだ。結果、盾を喰い破ろうとしていた魔槍の刃は止まり、再度呪力の稲妻が迸る。

 

「はああああああああっ!!」

「雄ぉおおおおおおおっ!!」

 

 叫び、全力を込める。

 咲月はアテナを穿つ為に。アテナは槍より身を守る為に。

 互いの全力がぶつかり、鬩ぎ合い、先程以上の電撃が互いの身を焼く。しかしそんな事に気をやる事はしない。そんな事をすれば、次の瞬間には自分が負ける。それを理解しているからこそ、電撃などに意識を向ける事は出来ない。

 1分か、5分か、それとも30秒にも満たない時間か。どれほどの時間鬩ぎ合っていたのか分からないが、その終わりは唐突に来た。槍に、盾に込められた力の強大さに、電撃だけでなく衝撃となって互いの間に発生したのだ。

 

「ぁうっ!」

「ぐうっ!」

 

 その衝撃に堪え切れず、二人は弾き飛ばされた。互いに、したたかに身体を打ちつけ、地面を転がる。互いの武具は、想像以上にボロボロだ。ゲイボルグは大きく刃零れし、アイギスは中心部に大きな穴が開き、深い亀裂が走っている。両方とも権能である為戻せば回復するだろうが、それでも数日は使用不可能だろう。

 絶対の攻撃(ゲイボルグ)と、絶対の防御(アイギス)。槍はアテナを貫けず、盾は主人を守り通したが、ゲイボルグの防御貫通を防ぎ切る事は出来なかった。矛盾の結末は相打ち、或いは決着つかずで幕を閉じた。

 

「っぐ、ぅう……」

 

 刃零れしたゲイボルグを支えに、呻きながら咲月が身を起こす。アテナも、穴の開いたアイギスを片手に地に手をつき、半身を起こす。双方、顔色は最悪と言って良い。

 呪力も神力も枯渇寸前で、身体は満身創痍。普通に考えれば、互いに動く事すらままならない傷だ。

 だと言うのに、咲月もアテナも身を起こし、互いを睨みつける。どちらの戦闘意欲も、まだ治まっていない。

 咲月は槍を、アテナは盾を解き大鎌にして、再びぶつかり合おうとし――しかし、出来なかった。何かを感じたのか、アテナが別の方を向いたからだ。

 格好の隙。今この瞬間に槍を突き込めば、如何にアテナと言えど回避も迎撃も難しいだろう。だが、何故か咲月はそれをしようと思わず、アテナの見ている方へ眼をやる。

 

「な……」

 

 そして、絶句した。

 視線の先には、四人の男女が居た。一人は黒髪の少年、一人は眼鏡をかけただらしなさそうな男性、一人は金髪の勝気そうな女子、そして最後の一人は茶色味の強い髪の女子。前者三人の名前を咲月は知らないが、最後の一人の名前は知っていた。万里谷祐理だ。

 しかしアテナはその中の、黒髪の少年のみを見ていた。その少年は咲月も見た事がある。神具を所持していた、八人目の魔王だ。

 

「草薙護堂……生きていた、いや甦ったのか!」

「何とか、な」

 

 草薙護堂。それが八人目の魔王、自分の後輩の名か。この戦闘の、根本的な原因を作ってくれた男か。

 複雑な感情を胸に抱きながら、咲月はアテナと護堂を視界に収める。ギリシアで簒奪した神託の権能に影響され、引き延ばされた直感が護堂の力を読み取る。

 光の力が一つ、減っていた。

 

(消費系の権能……何らかの制限を持つタイプね)

 

 薄くだが読み取り、咲月は護堂の権能が何らかの制限事項を伴う物だと直感した。このタイプの権能は強力だが、その分使用条件が厳しい物が多い。護堂の権能も、その例に漏れないのだろう。単純に、掌握しきれていないと言うのも有るかもしれないが。

 観察していると、護堂が咲月の方を向いた。槍を持つ手に力を込める。

 

「アンタが七人目だったんだな。俺は……」

「草薙護堂、でしょう。聞こえていたわ。……アテナをこの国に呼びこんだ人間が一体、何の用かしら」

 

 戦いを楽しみはしたが、この男が原因で自分の平穏が崩された。その事実に、思わずきつい口調で応答してしまう。割とドスの利いていたその声音に、護堂が僅かに怯んだ。しかし持ち直し、彼は咲月とアテナの両名に提案する。

 

「い、いや、二人ともボロボロみたいだし、ここらで手打ちにしとかないか? これ以上戦っても何も得る物は無いだろうし、第一周りに良い迷惑なんだよ。こんなに港をボロボロにして」

 

 言って、護堂は港の状態を示した。石化し、攻撃の衝撃で砕け散った船や建造物。戦闘開始前の状態とはかけ離れた、廃墟と言って良い状態だった。

 だが、咲月やアテナにとって、それはどうでもいい事だ。

 

「……で?」

「で? って、何だよその言葉! アンタには周りに対する配慮がないのか!?」

「私達と神々との戦いは、甚大な被害を周囲に与える事くらい知っているでしょう。被害を出さずに勝てる物じゃないのよ」

 

 護堂の問いに、血の気の失せた顔で返す。すると「これだからカンピオーネって連中は……」と言う護堂の言葉が聞こえた。まるで自分は被害を出していないとでも言いたげな言葉だ。

 何となくイラっとしたが、言葉にはしない。そんな余裕、もう無くなり始めているのだ

 アテナとの戦いで、咲月は体力と呪力のほぼ全てを使い果たしてしまった。それはアテナも同じだが、そこに来て八人目の魔王の登場だ。戦っても良いが、この状態で自分も、そしてアテナも勝てるとは思えない。もし勝てたとして、権能が増えるかは分からない。

 悔しいが、護堂の提案は中々良い物だった。忌々しくもあるが。

 

「……アテナ。此処は互いに、痛み分けにしましょう」

「……何だと?」

 

 突然の咲月の言葉に、アテナが怪訝そうに応える。先程までの言から、咲月が戦闘を止める事は無いだろうと思っていたが、それを裏切る答えだったからだ。

 

「和泉咲月、まさか臆したか? 妾は二対一でも構わぬぞ……?」

「そんな筈ないでしょう。だけどね、邪魔されるのは困るの。ここで戦いを続けたら、間違いなく邪魔が入るわ。……そんなの、私は嫌よ」

 

 咲月と同じく満身創痍の状態だろうに、アテナは変わらず挑発の言葉を出す。咲月もそれに応じ掛けるが、しかし邪魔される事は自分にとって困るとアテナに言った。

 

「私達は今、互いに弱った状態よ。私達の敗北で、漁夫の利を取られていいの?」

「む……」

「邪魔が入らない場所で戦りましょう……互いの生死を賭けて、今度こそ全力で」

 

 咲月の言葉に、アテナは僅かに思案する。護堂の文句が聞こえてきたが、そんなどうでも良い物は無視した。

 

「……よかろう。だが、戦いの時は妾が決めさせてもらうぞ、和泉咲月」

「別に良いわ。獲物を奪われるよりは、ね。私が貴女を殺すまで、誰にもやられるんじゃないわよ」

「貴様……それはこちらの台詞だ。だが……」

 

 咲月の挑発に野獣の様な笑みを浮かべ、アテナは返す。そして彼女は、草薙護堂の方も見た。

 見られた護堂達が身構える。

 

「もう一人の魔王を斃しきれていなかったのは妾にとっては屈辱だ! あなたの戦いの前に、草薙護堂を冥府に沈めておくとしよう。あなたとの再戦は、その後だ。和泉咲月!」

「何だって!?」

 

 いきなりのアテナの言葉に、護堂が困惑の叫びを上げる。

 戦わないで済むと思っていたら、しっかり獲物に見られていたのだ。

 

「妾は疾く去るとしよう。だが、傷が癒えたその時にこそ、妾はあなた達の前に再びやって来よう! それまで何人にも負ける事は許さぬと知れ!」

 

 声高に宣言し、アテナは闇に身を溶かす様に消えて行った。同時に闇が薄くなり、咲月の体から力と緊張が僅かに抜ける。アテナが去ったのだ。

 直後、咲月は膝をついた。傷は塞がり始めているが、それまでに流した血の量が多すぎた。息も荒く、意識も朦朧とし始める。

 両手で槍を持ち、何とか身体を支える。咳き込み、血を吐き出す。危険な状態だ。

 

「お、おい! 大丈夫か……っ!?」

 

 そんな状態の咲月を心配したか、護堂が駆け寄ろうとするが直後に足を止めた。理由は、巨大な狼が咲月と護堂の間に割り込んで来たからだ。

 主を守る様に、マーナガルムは護堂達に対して威嚇の唸りを上げる。

 

「神獣……!」

 

 その狼を見て、金髪の少女――エリカが呻く。カンピオーネやまつろわぬ神程とは言わないが、神獣も魔術師たちにとっては危険な存在なのだ。この場で渡り合えるとしたら、護堂しか居ないだろう。

 だが呻くエリカとは別に、祐理はぼんやりとした表情で狼を見ていた。彼女の体から呪力が漏れる。

 

「……巨大な狼、光と死……陰らせる者……最強の……?」

「その不敬をやめなさい、万里谷祐理……!」

 

 ぼんやりとして狼を見ていた(おそらく霊視だろう)祐理は、呪力を孕んだその声を聞いて強制的に意識を引き戻され、声のした方へ顔を向けさせられた。

 和泉咲月。アテナにそう呼ばれた魔王と目が合った。その目は翡翠色に輝き、呪力を漏らして祐理を睨んでいる。――その輝きが、祐理のトラウマを刺激した。

 エメラルドに輝く、暴君の虎の瞳。

 

「ひっ――!? あ……!?」

 

 翡翠に輝くその目を見た瞬間、祐理は自分の中から先程得た情報が消えて行くのを感じた。同時に、まったく別の情報が消された情報に上書きされ、元の情報が分からなくなる。

 権能だ。彼女はなけなしの呪力を振り絞って神託の権能を万里谷祐理に使ったのだ。

 今度こそ全ての力を使い果たしたのか、咲月は槍を虚空に消し、倒れ込んだ。巨狼が心配そうに、血の気を失い蒼白なその顔を舐める。

 

「……マーナ、良いわ。大丈夫、帰りましょう……?」

 

 掠れた、か細い声でそう言い、咲月は何とか身を起こしてマーナガルムの毛に捕まる。主の意図を察したマーナガルムはその体躯を下ろし、咲月が乗り易い様にする。

 

「ありがと……行って……!」

「おい! アンタ、万里谷に何をした!? 待て!」

 

 咲月が乗った事を確認し、マーナガルムは身を起こし、この場を去るべく走る。それを護堂が止めようとするが、マーナガルムは完全に無視して建物の上に飛び上がり、何処かへと走り去って行った。

 

「くそっ、何だったんだ!?」

「そんな事は後で良いでしょ? ちょっと、大丈夫?」

 

 逃げ去った咲月とマーナガルムに舌打ちする護堂だが、エリカの言葉で祐理の事を思い出す。彼女は咲月に権能を使われたのだ。どんな影響が在るか分からない。

 

「万里谷、大丈夫か!? エリカ、どう言う力か分かるか!?」

「分かる訳ないでしょう! 唯でさえ本当にもう一人居た事に驚いてるのに、どんな権能かなんて……!」

 

 護堂の問いに、エリカが癇癪を起したように言う。彼女も混乱しているのだろう。アテナの場所に追い付いたと思ったら、そこにはもう一人の魔王が居て、死闘を繰り広げていたと言うのだから。

 その中で、甘粕だけが冷静だった。

 

「和泉咲月さん、ですか……」

 

 七人目の魔王の名前。それを小さく口に出して、彼は巨狼の去って行った方向を見ていた。

 名前だけでも大きな情報だ。これだけでも、委員会の力を使えば探し出す事は可能だろう。だが、まずは上司に報告する事からか。

 そう思いつつ、甘粕は三人の元に近付いて行った。朧月が、妖しく輝いている。

 


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