魔槍の姫   作:旅のマテリア売り

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11話 戦後

 

「……和泉咲月さん。私立城楠学院に通っている3年生で、草薙さんの二つ上。歳は今年で18歳。閑静な住宅街の一軒家に住んでいますが、一人暮らしですね。4年前に家族でアイルランドに旅行に行ったところ、事故に遭っています。ご両親はその事故で死亡、記録では彼女だけが生き残ったとなっていますね」

 

 東京都千代田区三番町。番町皿屋敷の舞台にもなったと言うその街の一角に在る、とても古びた洋館。大正時代に建てられたと言うその洋館は極めて旧い外見をしており、老朽化も激しく、妖しい雰囲気を出している為か幽霊屋敷とも言われている。

 そんな不気味な屋敷の中に現在、甘粕は居た。くたびれたスーツに無精ひげと言う、相変わらずだらしのない格好をした彼は、その手に数枚の紙――正史編纂委員会の権限を使って調べ上げた、咲月の情報だ――を持っており、それを見ながら彼の前に座っている人物に報告していた。

 昨晩の戦闘からまだ十時間前後しか経っていないと言うのに、必要とされる情報を集め、纏めあげるこの手際、如何に彼が優秀であるかが窺える。

 甘粕の前に座っているのは一人だけだ。その人物は若く中性的な容貌を持ち、男物の衣装に身を包んでいる為に少年の様にも見える。歳の頃は十代後半と言ったところだろうか。男にしては細い指で自分の髪を弄り、奇妙に色気を感じさせる、美少年と言って良い存在だ。

 

「和泉咲月さん、ね。それが草薙さんに次ぐ、我等がもう一人の魔王陛下の名前かい? 甘粕さん」

「草薙さんに次ぐ、と言うのは相応しくないでしょうね。寧ろ彼の方が、彼女の後輩に当たる様な事をアテナが言ったらしいんで。実際、権能の数も草薙さんより多く、二つか三つはある感じでしたね……と言うか馨さん、手元に同じ資料がありますよね?」

 

 甘粕が穏やかに笑いながらそう言うと、彼の前に座る馨と呼ばれた人間は薄く笑みを浮かべてはぐらかした。

 沙耶宮馨。それが甘粕の前に居る人間の名前だ。男物の服を着ている為に男性に見えるが、これでも立派な女性、しかも祐理と同じく媛巫女の一人であるこの屋敷の主だ。

 日本呪術界でも強い権力を誇る「四家」と言われる一族の一つ、沙耶宮家の次期当主であり、甘粕の上司でもある彼女は同時に、正史編纂委員会東京分室室長であり、また委員会次期総帥最有力候補だ。ちなみに咲月と同い年でもある。

 

「まあそうだけど、資料よりも直接姿を確認した人の話を聞く方がいいと思ってね。……で、甘粕さんから見て、その御仁はどんな方だと思ったのかな?」

 

 髪を弄りながら、馨は甘粕に問う。いずれは自分も直接確認する事になるだろうが、まずは直接姿を見た男から情報を仕入れておこうと思ったのだろう。

 

「さて、どう言って良いのやら。実際見ただけで、話をした訳ではありませんし。まあ、初見の印象で言えば草薙さんよりも危険度が高い、と言う感じでしょうか」

「危険度が高い、ね……どう言う感じにか、説明してもらえるかな」

 

 甘粕の言葉に馨が問いを投げる。甘粕はそれに、すぐに答えた。

 

「私達が彼女を見たのは昨晩、彼女とアテナが決着をつけようとしていただろう場面なのですがね、あの方は戦闘を楽しんでいた感じでしたね。早い話が、ヴォバン侯爵と同じ様な性格を持っているのではないかと感じた次第です」

「それはまた、確かに危険度が高いね……」

 

 甘粕の言葉に馨は余り深刻そうに聞こえない口調でそう言った。

 ヴォバン侯爵とは世界に存在する七人、いや八人のカンピオーネの内で最古参に属する三人の魔王の一人だ。齢は三百歳を越えるともされ、数百頭の狼を召喚し、死者を僕として使役し、嵐で街を吹き飛ばし、地獄の業火で全てを焼き払い、邪眼で人々を塩の柱に変えると言う凄まじい権能の所有者である。

 その尽きる事のない戦闘意欲、そして所有する権能の多さから、現在では人々はおろか敵対する神にすら恐れられ、避けられている。その所為で、現在ではその戦意を持て余し気味だと言う。

 魔王としての特権と戯れに街や村を滅ぼす気紛れさから、正しく『暴君』と言うに相応しい人物だ。

 

「さて、そんな御仁だったら、僕たちはどう動いた方が良いかな……」

「まずは監視に留めて、ある程度どう言った人物か判断した後で接触する、と言うのが妥当とは思いますけどねえ。この人が真実ヴォバン侯爵みたいな方だとしたら、藪を突いて蛇どころの問題じゃ無くなりますねえ」

「魔王様だからね。蛇どころか竜蛇でも足りるかどうか」

 

 あっさりとした馨の言葉に、甘粕は相変わらずの笑みを向ける。

 和やかな空気で咲月の事を話し合う二人だが、この件がどんなに危険に近いものかは、十二分なほどに理解していた。何せ、相手は神すら殺す人外の魔王なのだ。接触して下手に機嫌を損ねようものなら、正史編纂委員会と言う組織そのものが存続の危機に直面する。

 それだけならまだ良い。いや、よくは無いが、もう一つの可能性も考えたらまだ被害が少ないと言えるだろう。

 もう一人の魔王、草薙護堂と彼女が激突する可能性も考えれば、被害はそれだけに留まらず、首都圏全域の機能が麻痺――いや、最悪の場合壊滅すると言う可能性もある。と言うか、寧ろその方が高いだろう。下手な行動を取る事は出来ない。

 しかし情報は欲しい。最悪、どのような性格なのか、どのような性質の権能を所持しているのかと言う情報だけでも得られれば対策を取る事は出来るのだ。どの程度その効果が見込めるかは未知数だが。

 

「そう言えば、祐理が権能を受けたんだったっけ? 狼の物もそうだけど、どんな物か分かったかい?」

「それがさっぱりで。狼の方もそうですが、祐理さんはヴォバン侯爵とのトラウマを刺激されたみたいでして、権能を受けた記憶が抜けてしまっているみたいです」

「あちゃぁ……」

 

 甘粕の報告に馨は頭に手を当てる。記憶に関係する権能かどうかは分からないが、自分の情報を出来る限り与えないようにするとは、彼の魔王陛下は中々徹底しているようだ。

 どうすればいいか、馨は考える。事をうまく運ぶ事が出来れば二人の魔王を擁する事が出来るが、下手をすれば組織が壊滅する。必要なら犠牲を出す事は厭わない物の、基本その様な事はしたくない。

 草薙護堂に対して計画している様に、相手を見繕って愛人になる様な人間を送りこむと言う手も有るが、効果を表すかどうかは不明である。何せ相手は草薙護堂以前に魔王となった女性である。送り込まれる人材がそう言った目的を持っている事くらい理解しているだろう。送り込むとしても、下手な人材は出せない。やはりまずは監視からか。

 そんな事を思っていると、目の前の男が視界に入った。自分の懐刀でもある、呪術師兼隠密の男。魔王や神、神獣には及ばないが高い戦闘力を持っており、口先も中々達者で逃げ足も速い。もし見つかっても、生還する可能性は高いだろう。

 

「甘粕さん。悪いけど、ちょっと咲月さんの所に行ってくれないかな」

「……はい?」

 

 馨の命令に、甘粕は一瞬何を言われたか分からない様だった。

 後に甘粕は語る。それはある意味、死刑宣告の様な物でした……と。

 

 ●

 

 甘粕達が咲月に対する対応を決める会話を交わしている頃。二人の呪術師(一人は兼隠密だが)の会話に上っている当の魔王たる咲月は、自宅のベッドにて横になっていた。窓から射し込む陽光に照らし出されたその顔は穏やかで、戦いの際に表出していた猛々しさは微塵も見られない。瞼は閉じられ、琥珀色のその瞳は隠されている。眠っているのだ。

 昨晩のアテナとの死闘で多量の血を失った彼女は、マーナガルムの背に乗って護堂達の前から立ち去り、念の為に態と遠回りし、家に帰り着いた所で作り置きしていた回復用の霊薬を飲み、傷を癒す為にすぐに眠りに就いたのだ。

 カンピオーネの生命力と回復力は凄まじい。骨が折れ、内臓が傷付いた状態でも一晩眠れば殆ど回復したも同然の体になるのだ。持ち前の回復力に加えて霊薬の効果もあって、アテナから受けた傷の殆どは、右胸の矢傷を除いて既に消え失せていると言ってよかった。その矢傷も、薄らと残るのみである。

 彼女の眠るベッドの端には、15mの巨狼の姿から普段と同じ子犬サイズに戻ったマーナガルムがちょこんと座っていた。その目は深い眠りに就いている主人の方へと向けられている。目覚めを待っているのだ。

 

「……ん……」

 

 午前10時48分。土曜日の為、学校は休みである。

 微動もせず、声も出さず、マーナがじっと咲月の顔を見ていると、彼女が小さく声を出した。閉じられていた瞼が僅かに震え、ゆっくりと開かれる。琥珀色の瞳が露わになった。

 開かれたその瞳にはすぐに消え去ったが、僅かに翡翠の輝きの残滓が見て取れた。深い眠りの中で、神託の権能が発動していたらしい。

 一般人なら既に死んでいる筈の負傷から回復し、目覚めた彼女はしかし、意識は完全に覚醒している訳ではないらしい。アテナとの戦いで血を流し過ぎた所為か、その目はぼんやりとしている。

 目覚めた咲月にマーナは近付き、ぼうっとしている彼女の頬を舐める。一度ではなく二度、三度と繰り返されるそれに、ぼんやりとしていた咲月が顔を向ける。

 

「……おはよう、マーナ」

 

 何度か顔を舐められるうちに少しずつ意識がハッキリとして来た咲月は、ベッドに横になったままそう言いマーナの白灰色の毛並みに手を伸ばし、薄く笑みを浮かべながら撫でた。撫でられながら、マーナはもう一度主人の顔を舐め上げた。

 それに目を細め、咲月は横たえていた身体を起こす。身体に倦怠感は無く、寧ろ気力が充実している。呪力もほぼ完全に回復している。貧血で意識が遠のくと言った事も無く、異様に空腹を覚えると言う点以外では、完全に回復している状態だった。

 

「ん……ふっ……」

 

 身を起こす動きによって咲月にかかっていた布団がずり落ち、何も身に着けていない肌が露わになった。肌が布地に擦れ、擽ったい。

 普段はきちんと寝間着を着て寝る彼女だが、昨晩は激闘の疲労と血の流失で意識が朦朧としていた為、服を全て脱いですぐにベッドに倒れ込み、泥に沈むように眠りに就いたのだ。

 服を脱いだだけで、風呂に入った訳でも身体を拭いた訳でも無い。その為、ベッドのシーツと彼女の身体は、乾き切っていなかった彼女自身の血で赤黒く汚れている。洗えば汚れは落ちるかもしれないが、完全には難しいだろう。全体に染みついた赤は見た人を驚かせる可能性が高い。もうこのシーツは使えないだろう。捨てるしかないか。

 そんな事を思いながら、咲月は自分の胸に指を這わせる。右胸にはアテナに放たれた矢で刻まれた矢傷が残っている。胸、肺を貫通し、背中まで串刺しにした深い傷跡だ。しかしその痕は薄く、おそらくもう半日もすれば完全に消えてなくなるだろう。

 相変わらず出鱈目な回復力だ。そんな事を思いつつも、咲月は昨夜の戦闘を思い出す。

 槍と大鎌。雷と闇。蛇、梟と狼の戦闘。地中海最強の女神アテナとの、血で血を洗うと言って良い死闘。自分の心を、戦闘意欲をこの上ないほどに潤し、滾らせ、昂らせてくれた女神との血戦。とても楽しいと思えた、極小規模の戦争。

 血が滾り、あそこまで楽しいと思えたのは北欧――スウェーデンで巨大な人狼の姿で顕現したマーナガルムを討ち降し、神獣の権能を簒奪した時以来だろう。あの時も死にかけたが、戦闘意欲を満たしてくれる良い戦いだった。

 

「…………」

 

 穏やかな笑みを浮かべながら、咲月は矢傷を撫でる。しかし、不意にその表情を険しく変えた。思い出すのは、昨晩の戦闘にやって来た八人目の魔王――草薙護堂と、その他三人の事だ。

 アテナとの決着をつけると言う場面でやって来た彼等――正確には草薙護堂だけだが――は、自分達の戦闘を非難し、戦いを邪魔してくれた。あと一度のぶつかり合いで決着がついていたと言うのに、ここぞと言う場面で水を差してくれたのだ。おかげで咲月の戦闘意欲は、不完全燃焼で鎮火してしまった。

 しかも彼は、自分も魔王と言う神を殺した身だろうに、周囲の被害を示して一方的に非難してくれた。

 確かに、かなりの被害は出ただろう。アテナの邪眼により完全に石化し、自分達のぶつかり合いで砕けたあの港はもう使えないか、復旧までにかなりの時間がかかるだろう。

 神との闘争はどうしても大規模な物になる。神も魔王も、唯の人間にとっては突如発生する天災の様な物。周囲に甚大かつ深刻な被害が出るのはある種、仕方のない事なのだ。彼とてそれは知っている事だろう。

 だが彼は、自分はその様な事をした事は無いとでも言うかのように非難して来た。もし本当に何の被害も出していないのなら、それは賞賛すべき事だろう。だが、それは無いと咲月は思っていた。魔王の戦いと言う物は、必ず何らかの被害や混乱を社会に撒き散らすのだ。自分も雪崩を引き起こしたり、遺跡を崩落させたりしてしまっている身だから良く分かる。

 案外、最近新聞やニュースを騒がせたイタリアのコロッセオが半壊した爆破テロ事件はテロではなく、彼が権能で引き起こしたのかもしれない。

 だとしたら、彼には自分達先達の魔王を非難する資格も、権利も無い。彼がどんなに否定しようが、結局は同じ穴の狢になるのだから。

 おそらく自分と彼は合わないだろう。性格や物事への価値観の違いと言う点でもそうだろうが、もっと根底の部分で。何となくだが、咲月はそう思っていた。

 

「ゲイボルグは……」

 

 いずれ彼とも戦う時が来るかもしれない。そうも思った咲月は、草薙護堂の事を思考の外に出し、アテナとの戦いで刃零れし、半壊状態に陥った愛槍の現状を確認する為に目を閉じ、意識を己の内側に向ける。

 槍のイメージが脳裏に浮かぶ。紅い、血の様に紅い魔槍の形状だ。その刃の状態は酷く、大きく刃零れしているだけでなく刃の部分全体に大きく罅が奔っている。もしあのままアテナと激突していたら、ほぼ間違いなく砕けていただろう深い損傷だ。

 呪力の減少具合から既に修復は始まっているらしいが、この状態では完全に修復するまで最低でも3日から4日、最悪一週間はかかるだろう。今の状態で攻めて来られたら不味い。特別な物でない限り、呪術や魔術はカンピオーネや神には通用しないのだ。

 

「やっぱり、もう一つくらい攻撃系があった方がいいかしら……?」

 

 咲月の権能は三つ。魔槍ゲイボルグと神獣マーナガルム、そして神託だ。こうして見ると、彼女に攻撃手段が槍とルーン魔術以外に存在していない事が分かる。

 ゲイボルグは基本必殺だが、壊れかけたら修復にやや時間がかかる。マーナガルムも一応、攻撃手段は持っているのだが、彼は咲月の騎獣になったり、光や死を司る神格に対して力を弱めさせたりと言った補助系の方に回る事が多い。神託に至っては直接戦闘に使う事は出来ない、完全に補助型の権能だ。

 ギリシアで得たこの神託の権能は、夢と死、そして神託を司る闇の神オネイロスから簒奪した物だ。予知夢を見たり、自分の意志で天啓や神託を得る事が出来るこの権能は、第六感に影響を与える能力である。的中率も高く、万里谷祐理以上だ。

 この権能は、その性質の為か直接戦闘に使える訳ではない。この力の真価は、直接的な戦闘力と言う点ではなく、情報と言う点にこそ存在する。

 ギリシアの夢神オネイロスは、夜の女神でもある原初神ニュクスの子とも、眠りの神ヒュプノスと死の神タナトスの兄弟とも、ヒュプノスとアグライアの子であるとも伝えられる。

 この神は夢の国から人界を訪れる時、象牙で作られた門と磨かれた角の門、二つの門のどちらかを通ってやって来ると言われている。そして、象牙で作られた門を通ってやって来た場合には偽りを、角の門を通ってやって来た場合には正夢となる神託を彼は人間に与えるのだ。言うなれば彼は、眠りの間に人々の心を癒し、夢を通して神意を伝えるメッセンジャーなのだ。

 咲月の神託は、この伝説――偽りの夢と真実の夢に由来する。真実と偽り、二つの神託を使い分け、情報で相手を撹乱する事が出来るのだ。そしてこの力は寝ている相手は勿論の事、起きている相手にも使う事が出来る。嫌な夢や幻を見せて、相手に精神的なダメージを与える事も出来るのだ。

 万里谷祐理に使ったのは、この力の内、偽りの夢を与えると言う能力だ。マーナガルムを見て霊視を発動した万里谷祐理に咲月は自分の力を見抜かれる危険性を感じ、それを防ぐために彼女からその情報を奪い、偽りの情報で上書きしたのだ。勿論、偽りの神託ではなく普通の神託を与える事も出来る。

 故にこの力を、咲月は「夢が紡ぐは嘘か真か」と名付けている。霊視を使う事が出来る巫女や魔女に対して有効な権能なのだ。

 

「とは言っても、早々神に遭遇する事なんてないし……はぁ、やっぱり、アテナを倒せなかったのは痛いわね……」

 

 言って、咲月は溜息を吐いた。

 邪眼か、聖獣か、アイギスか、それとも蛇の不死性か。分からないが、彼女を倒して権能を簒奪出来なかったのは痛い。権能の簒奪は、カンピオーネをさらに強くする事と同義でもあるからだ。

 代わりに、さらに闘争の深みに嵌まって行く事にもなるが、それは今さらだろう。神殺しに闘争は付物なのだから。いや、憑物と言った方がいいかもしれない。

 

「過ぎた事をぐちぐちと言っても仕方ないわね。それより……」

 

 きゅるるるるぅう~……

 

「…………」

 

 今後の動向をどうするかを考えようとした所で、可愛らしい音が鳴った。音の発生源はベッドの端でお座りしている子犬サイズのマーナガルム……ではなく、咲月の腹だ。

 音を認識した途端、異様なまでの空腹感が感じられた。

 

「…………まずは、シャワーね。その次に、食事」

 

 やや顔を赤くしながら、咲月はベッドから抜け出し、着替えを持って風呂場に向かい、マーナも彼女について行った。

 食事の準備はしない。昨晩は夕飯を食べずにアテナと戦ったので、手付かずの食事がそのまま残っているのだ。それを温め直して食べれば良いだろう……この空腹感では、一人分で足りるかどうか非常に怪しいが。何せ、ご飯5杯程度なら軽く平らげられそうな空腹感なのだ。それも茶碗ではなく、丼に大盛りで。

 昨晩作った食事の他に、インスタントの蕎麦やラーメン、スープ等も食べようか。そう思いながら、咲月は風呂場に着いた。

 戸を開いて中に入り、シャワーを操作する。熱い湯が出始め、それを浴びて身体に付いた汗や血等の汚れを落としていく。時間経過で凝固した血の残りが、熱湯に溶けて流れ落ちる。赤い色と、鉄錆臭い匂いがツン、と鼻につく。

 それに僅かに顔を顰めながら、咲月は黙ってシャワーを頭から浴び続ける。シャンプーやボディソープを泡立て身体と頭を洗い、汚れを落とす。それを暫く続けていると、ようやく汗や血の匂い、ぬめりが無くなった。

 泡を洗い流し、キュ……、と音を立ててシャワーのノズルを閉め、お湯を止める。汗と血は匂いと共に流れ落ち、身体にあった不快感は完全に無くなった。スッキリした。

 立ち昇り浴室に籠る湯気に隠れた咲月の体は、お湯の熱に当てられてほんのりと桜色に染まっていた。すらりとした彼女の肢体に濡れた薄亜麻色の髪が張り付き、妙に色っぽい。

 脱衣場に出てバスタオルで体を拭き、ドライヤーで髪を乾かして下着を身に着け、着替えを着る。白いシャツと膝までの長さの赤いフレアスカートと言うシンプルな服装だ。

 着替えた彼女はマーナを連れてリビングに向かい、冷めきった食事を温め直して食べた。しかしやはりと言うべきかそれだけでは全く足りず、ラーメンやチャーハン等を作って食べ、それでようやく空腹が抑えられた。

 食事を終えた後、咲月は戦闘でボロボロになった衣服と血で汚れたシーツを処分し、今後どうするかを考え始めた。

 


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