魔槍の姫   作:旅のマテリア売り

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1話 静寂を望む羅刹女

 

 【とある老魔術師の手記より】

 

 カンピオーネ。

 それは極一部の人間にのみ与えられる称号である。神話の存在たる神々を打倒し、生還する事に成功した勝者の称号。数多の魔術師たちの王であり、『エピメテウスの落とし子』『魔王』『堕天使』『羅刹の君』など、様々な異名で呼ばれる勝者の事。

 彼等彼女等は人間でありながら、彼らより遥かに強大な存在である神々、神話より逸脱し世に顕現した『まつろわぬ神』を弑逆し、その至高の力たる権能を己が物にする事に成功した覇者たる存在であり、魔術界で多大な影響力を持つ。しかしその達成条件の厳しさから、神殺しを為し得た人間は長い歴史の中でも数える程度しか居ない。

 神殺したる彼等に求められる事は唯一つのみ。即ち、人類に害を与える『まつろわぬ神』と戦い勝利し、人々を守護することである。その役割を果たすのならば、何をしようが許されると言う暗黙の了解まである。その絶大な力に単なる人間が抗う事など出来ず、それが出来るのは同類である神殺しか、彼等と戦う宿命に有る神々のみであるからだ。

 

 現在、世界に存在するとされる神殺しは六人。

 バルカン半島に拠点を置き、獲物たる神を求めて世界中を巡り、或いは召喚し、多くの権能を簒奪した最古参の『暴君』サーシャ・デヤンスタール・ヴォバン侯爵。

 エジプトのアレキサンドリアに拠点を置き、しかし100年近く隠棲している最古参の魔王の一人、『妖しき洞窟の女王』『永遠の美少女』アイーシャ夫人。

 同じく最古参の魔王の一人にして、武術と方術の両方を究めたとされる中国の魔術結社、五嶽聖教の『教主』羅濠翠蓮。

 北アメリカを領域とし、人々からはそれなりに受けの良い年齢不詳の仮面の怪人、『ロサンゼルスの守護聖人』ジョン・プルートー・スミス。

 イギリスはコーンウォールに拠点を構える王立工廠の長。冒険家にして探索者である魔道具の強奪者、『黒王子』アレクことアレクサンドル・ガスコイン。

 そしてイタリアを拠点とする欧州最強の剣士にして『剣の王』サルバトーレ・ドニ。彼ら六人は皆、他に並ぶ者なき強者、カンピオーネである。

 

 しかしつい最近、彼等の同輩である新たな魔王が現れた。名を草薙護堂。東の果ての国、日本に住んでいる神殺しだ。歴史上日本初とされる魔王となった彼は、イタリアのサルデーニャ島にて顕現した『まつろわぬ神』メルカルトと争っていたペルシアの軍神ウルスラグナを倒し、その権能を簒奪せしめた最も年若い魔王である。

 彼が簒奪した権能の名は『東方の軍神』。グリニッジの賢人議会のレポートによれば、ウルスラグナが持つ10の化身の力を状況に応じて適宜使い分け戦う、アメリカを守護する魔王ジョン・プルートー・スミスの『超変身』と同じく一つの権能で複数の能力を使う事が出来る珍しいタイプの権能である。

 

 世間では彼は七人目の、そして日本初の王とされている。六人目の王、サルバトーレ・ドニの後に生まれた東の果ての国の魔王だと。他の王たちも、魔術結社の重鎮たちも、おそらくはそう思っている事だろう。

 だが、この情報は実際には誤りである、と私は言いたい。彼は七人目ではなく、『八人目』の魔王である。驚く事だろうが、彼以前に既に七人目の魔王が生まれていたのだ。おそらくこの事実は、現在私と彼の王のみが知っている事だろう。もしかしたら、フットワークの軽い王である『黒王子』やヴォバン侯爵、天の位を極めた魔女である賢人議会のプリンセス、地の位を極めたサルデーニャの魔女辺りは出会っているのなら気付いているかもしれないが、その可能性は低いだろう。

 では、その本当の七人目は誰なのか、疑問に思うだろう。

 私は二年前、運良くと言うべきか、運悪くと言うべきか、偶然にもその七人目の王と出会い、話しをする事が出来た。七人目の王は、なんと三人目となる女性の魔王であった。彼女は現在より四年前にカンピオーネとなったらしい。ギリシアで夜と死、神託に類する「まつろわぬ神」を倒した帰りだったらしく、出会った当時の時点で既に三つの権能を簒奪していた。

 彼の王の名を記したいが、本人の命令故にそれは出来ない。あらゆる事を許される特権を持っている身でありながら、彼の王は目立つ事を極端に嫌っているのだ。だが、その容姿や出身国、人種、年齢等は記す事は出来る。故に、それをここに記そうと思う。

 彼の王の髪は薄い亜麻色。元は栗色だったらしいが、何らかの理由で変色してしまったらしい。

 彼の王の瞳は琥珀。宝石にもある最上の琥珀をそのまま瞳に変化させたような、美しい琥珀色。

 歳の頃は16、7歳だったが、今は18、9歳程だろう。東洋風の顔立ちでありながら、東洋らしくない髪の色を持つ姫君。物静かな、しかしその目の奥には燃える激情を秘めた荒ぶる魔王。

 西の島の『鋼』の英雄神を討ち下し、魔槍の権能を簒奪し魔王となった彼の姫王。その出生地は――

(ここから先は血で塗り潰され、さらにズタズタに裂かれて読む事が出来ない)

 

 ●

 

 夢を見ていた。かつてあった事故、己が魔王となった切欠とも言える、両親を喪った車両事故を。

 燃え盛る炎。響く爆音。人々の怒号。降り注ぐ雨の冷たさ。そして流れる血と、焼かれる肉と脂の匂い。その光景を、記憶を、感覚を、まるでつい先ほど見て、経験して来たばかりの様に思い浮かべる事が出来る。当然だ。この記憶に有る出来事は、今の自分が生まれる為に払った代償なのだから。忘れようがない。

 視線をずらす。視界に入れるのは事故現場ではなく、側に有る森の一角だ。そこにはボロボロの服を来た一人の少女――かつての、こんな体に変わってしまう前の自分が居た。血の赤に汚れ、茫然と炎を見ている。そして一歩足を踏み出し、フラフラと近付いて行く。それを数人の大人が引き留め、少女の目を覆う。

 ここから先を、自分は覚えていない。気付けば病院に居て、身体の検査をし、そして何らかの手続きをして飛行機に乗り、両親の遺体と共に帰国していたのだ。

 今では自分よりも背が低くなってしまった義母は言っていた。今の自分の身は、神話の神を生贄として初めて完成する儀式による物だと。それは間違いではないのだろう。クー・フーリンを殺してしまった後から、自分の体が異常なまでに頑丈になった事は自覚していた。彼を殺して得た権能は不死ではないが。

 初めて自分が殺した神である彼の事を、義母は『鋼』の系譜だと言っていた。何の事か最初は分からなかったが、何度か話を聞き、伝承を調べてそれにも納得がいった。

 クー・フーリンの伝説の一つに、彼が狂乱の英雄だと言う物が有る。戦場で暴れ狂い、敵味方関係なく破壊し血をまき散らした彼は、その周辺一帯を濃い霧に包み込んだと言う。それを鎮めるために若い裸体の乙女達に出迎えさせ彼を羞恥させ、冷たい水を満たした巨大な桶の中に彼を三度浸したと言う。

 『鋼』は『刃金』であり、それは鉄を炎で溶かし、鍛え、水で引き締め完成する。戦闘による狂乱と彼を羞恥させるのは『溶解』と『焼き入れ』に、水に浸すのは『引き締め』に相当するのだろう。そして彼は、物語の後半では地母神であり戦女神でもあるモリガンに勝ち、彼女を癒してその支援を得た。

 『鋼』の軍神、英雄は大地母神をまつろわせ、彼女達を妻に迎えるか、その支援者とするらしい。モリガンの支援を得たクー・フーリンは、水に関する出生と狂乱の伝承から『鋼』の英雄だと言えるだろう。

 かつて聞いた義母の言葉に頷きつつ、ふと思った。製鉄の起源で見れば、自分もまたある意味で『鋼』か、と。

 今の自分はかの『鋼』の英雄神だけでなく、己の両親や、まるで関係ない人々まで生贄にしてしまった果て。魔槍の英雄神を贄に炎で己が身を溶かし、鍛え上げ、両親を含めた多くの人々の血と命によって引き締められた……呪われた、『鋼』だと。

 

 そこまで思って、夢が切り替わった。広がる景色は先程の事故現場の光景ではなく、何処とも知れない闇の中だった。夜の闇、暗き闇。かつての時代に普通だった、死と密接に関わっていた暗黒。冥界の具現。

 その中に、二つの影が有った。

 一つは銀の髪を持つ、植物の冠を頭に戴く少女。手には大鎌を持ち、鳥と蛇を従えもう一つの影を攻め立てている。何となくだが、この闇の主の様に思える。大地母神の係累だろうか、神殺しとしての本能の他に、自分の中の『鋼』の部分が反応している気がする。

 もう一つは少年。それなりに整った顔の、おそらく自分より歳下だろう黒髪の少年だ。彼から神が持つような強大な力を二桁近く感じる。そのどれもが、力の方向性こそ違えど同じ質だと言うのは疑問だが。何やら、厄介極まる能力を持っていると感じる。が、この少年は少女の攻撃を避け、逃げている。

 周囲一帯が黒に覆われている中で、その二つはやけに目立つ。逃げる少年と追う少女。その二人はある程度進んだ所で止まり、ぶつかり――

 

 ジリリリリリリン!

 

 ●

 

 ジリリリリリリン! と言う甲高い音を耳に入れ、少女は閉じていたその目を開いた。翡翠に輝く瞳が露わになり――しかし一瞬後、琥珀色に変色した。本来の色に戻ったのだ。

 音を聞きつつ身を起こし、少女はある方向を見る。年齢は18歳と言う所か、薄い亜麻色の長髪が美しい少女だ。

 目に入ったのは丸く、上部に金属の円盤が付いている物――俗に言う目覚まし時計、と言う奴だった。それは未だに、けたたましい金属音を立てている。実に喧しい。

 手を伸ばし、パチンと叩いてその音を止める。時計を見れば午前四時半。早起きする人は起きているが、眠っている人はまだ寝ている時間だ。朝の静寂が戻って来た。

 

「……また、勝手に発動したのね」

 

 始まりの記憶を見ていた筈だったのに、次いで厄介な夢を見た物だと、僅かに痛む頭に手を当てつつ、少女は溜息を吐いた。少女が見たのは、曰く、予知夢と言う奴だった。権能の自動発動で見た物だ。

 巫女と言う存在が在る。日本でもおなじみの、神に使える女性達の事だ。彼女達は霊視と呼ばれる能力で見えない物――魔術的な繋がりを見破り、儀式を以て神から神託を得る事が出来る存在でもある。

 三番目に得たこの権能は、その巫女が持つ霊視や神託を齎し、また与える権能だ。神託・霊視と言った能力は相手の神に関する情報を得るには極めて重宝する能力である。直接的な攻撃には一切使えないが、情報収集には極めて有用な権能だ。情報が物を言う権能と組み合わせれば、かなりの相性を誇るだろう……生憎と、そんな権能は持ってないのだが。

 

「あの時と同じ様な事になるのかしら? だとしたら、本気で嫌ね……」

 

 呟き、初めてこの権能が発動した時の事を記憶の淵から浮上させる。

 初めて発動したのは確か二年前、旅行で行ったギリシアでの神殺しを終えた三日後だった。丁度この権能を簒奪した後だったが、その時にも妙な夢を見た。その内容は大嵐で飛行機が動かなくなると言う物だったのだが――実際に現実になり、帰国が予定より三日も遅れる事になったので堪ったものではなかった。

 二年経った現在ではほぼ掌握し、ある程度自由に発動できるのだが、それでも眠っている時に勝手に発動してしまう事が何度かあった。その数、4。しかも自動発動したら、見た夢が近いうち――最短で五日以内――に確実に現実の物になると言う実に嫌な権能だ。日常的に使えるので、厄介事の回避などにも使えると言えば使えるのだが。

 ベッドから出て風呂場に向かい、シャワーを浴びつつそう思う。薄い亜麻色の髪が肌に張り付き、体のラインを浮かび上がらせる。全体的にすらりとした、しかし出る所は出て引っ込む所は引っ込んでいる理想的なスタイルだ。

 

(厄介事は大嫌いなんだけど……)

 

 夢の内容を思い出しながら思う。ギリシアで得た権能が自動発動したと言う事は、その夢が近いうちに現実になってしまうと言う事だ。今回の場合、まず間違いなく『まつろわぬ神』関係だろう。あの銀髪の少女を夢でとは言え見て、体が戦闘状態になってしまったのだから。

 そこまで考えて、もう一人の少年の事も思い出した。確か彼は、『まつろわぬ神』であろう少女とぶつかり合っていた。

 唯の人間が神と戦う筈がない。そんな事をしても、抵抗むなしく蹂躙されるのが当然だからだ。高位の魔術師なら多少は抵抗できるだろうが、それでも人間。結局やられてしまう事は目に見えている。

 だが、あの少年はただの人間と言う様にも、魔術師や呪術師と言う風にも見えなかった。おそらく、いやほぼ確実に自分の同朋だろう。

 しかし情報に有る同朋で、あんな少年は知らない。男性と言う点では一応四人居るが、一人は歳がいの無い肉食老人でもう一人は能天気の戦闘バカ。三人目は常に仏頂面と言って良いらしくあの少年には当て嵌まらない。四人目に至っては本当に男性か怪しいものだ。となれば……。

 

「八人目……と言う事ね」

 

 思い至った可能性は、疑問形ではなく断定の形で口を出た。思えば夢で感じたあの力も、神から奪い取った権能であるのならば納得がいく。

 彼から感じた力の数は二桁近く。しかしそのどれもが、同じ力の質をしていた。おそらく一人の『まつろわぬ神』から簒奪したのだろう。どのような神格の神か知らないが、おそらく何かに化身する神だったのだろう。中々面白い神を殺したようだ。

 

「なら、押し付けても大丈夫ね」

 

 言って、シャワーを止めて風呂場から出る。

 年齢も名前も知らないが、彼が同じカンピオーネなら、きっと喜んで神との戦いに身を投じるだろう。戦いは彼に押し付けて、自分は静かにのんびりと過ごしたい。

 自分の邪魔をする、或いは仕掛けてくれば戦うが、『彼』以外の神と進んで戦おうとは思えない。そのこだわりの所為で周りの人間がどうなろうが、知った事ではないのだ。

 そう思いながらバスタオルで体を拭き、着替えてリビングに向かう。広く、のんびりできそうな場所だが、生活感は余り感じられない。それもある種当然だろう。この家には少女一人と、一匹の犬しか住んでいないのだから。

 作ってあった弁当を鞄に入れ、少女は別の部屋に入る。

 室内には仏壇が在った。華美ではなく、どちらかと言えば質素に見える仏壇が壁際に存在していた。小さな位牌が少女を出迎える。

 仏壇の前に座り、少女は位牌に対して手を合わせ、目を閉じる。この位牌こそ少女の両親の物。事故で亡くなった、最も大切だった両親の存在した証。

 

「父さん、母さん。行って来るね」

 

 閉じていた目を開いてそう言って、少女は立ち上がり部屋を出て行った。玄関に向かい靴を履き替え、家を出て鍵をかける。

 

 ヒャン!

 

 と、犬の吠える様な声が聞こえた。その方向に少女が目を向けると、灰白色の毛を持つ子犬――見ようによっては狼の様にも見える――が一匹、尻尾を振りながら少女に向かって走って来ていた。そして少女に飛びかかり、彼女の顔を舐めまわす。

 

「っぷ、ふふっ。マーナ、くすぐったいわ」

 

 子犬を抱きとめ、顔を舐めまわされながら少女は止めるように言わない。なんだかんだで嬉しいのだろう。

 一頻り子犬に舐められた後で、少女は子犬を地面に下ろして唾液まみれの顔を拭いた。子犬はブンブンと、勢いよく尻尾を振っている。

 

「じゃ、今日も留守番お願いね、マーナ」

 

 ヒャン!

 

 少女の言葉に元気よくそう返し、子犬は玄関前に座って少女を見送る。その様子を、早起きしていたご近所さん達が微笑ましそうに見ている。

 

「あら、咲月ちゃん。今日も早いのねぇ」

「お早うございます、おばさん。もう慣れちゃったんで」

「健康的だねぇ、ウチの旦那にも見習ってほしいもんだよ。あ、あの子の餌はいつもの時間で良いのかい?」

「あ、はい。お願いします」

 

 ご近所さんに挨拶しながら振りかえって見つつ、少女は家から離れて行った。

 

 少女の名前は和泉咲月(いずみさつき)。4年前、家族でアイルランドに旅行した折にクー・フーリンを弑逆し、その権能を簒奪し神殺しとなった『七人目』のカンピオーネである。

 


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