魔槍の姫   作:旅のマテリア売り

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長らくお待たせしました。22話、更新です。
色々とあって執筆の時間が取れず、大変お待たせしました。
次回の更新にまた時間がかかると思いますが、今回の話を楽しんで頂けましたら幸いです。


22話 神威繚乱・前

 

 重苦しい曇天の下。勢いを増した雨が降りしきる中、一つの影が動いている。その動きは兎や蛙が飛び跳ねる様に規則的に上下に動いており、それらの動物以上に素早い。

 如何なる理由か、影が足場とした家屋の屋根、電柱と言ったものが触れた瞬間、黒く染まり、グズグズと音を立てて崩れ落ちる。同時に沸き立つえも言われぬ悪臭から、それらが全て一切の例外なく腐り落ちた事が読み取れる。さらにその影が通った地点に居た人々が皆、これまた例外なく崩れ落ちる。倒れた人々は全員、顔色を蒼白にしている。呼吸も浅く、非常に衰弱している事が分かる。

 同時に、激突音が響く。音の発生源は白いワンボックスカーで、勢いよく激突したのだろう。車体の前面が見る影も無く拉げている。フロントガラスは粉砕し、壁の破片と一緒になって散らばっている。車を運転していた者はぐったりとしており、激突した時に傷を作ったのか、頭から血を一筋流している。薄くだが肩や胸が上下している事から、死んだのではなく気を失っている事が窺える。早急に病院に搬送しなければ生命の危険があるだろう。

 音が連続する。先程の白のワンボックスカーと同じ様に壁に激突した物、或いは店舗に突っ込んだ物、車同士で激突し玉突き事故を起こしている物等、多くの車が事故を起こしている。車の運転手は全員、気を失うか、最悪死んでいるのだろう。道に倒れた通行人達にも大勢被害が出ているようで、悲鳴や激突音が響き渡り、阿鼻叫喚の様相を表す。

 そんな人々の悲鳴、恐怖、断末魔等に見向きもせず、気にも留めず、顎を動かしながら影は進む。グチグチと生々しい音を立てて腐った顎に咀嚼されている物の正体は、先程遭った魔王から食い千切った腕の肉だ。噛みしめる毎に血が、呪力が溢れ出す。流石は神を殺し、その権能を簒奪せしめた存在と言うべきか、肉の僅かな一片、血の数滴ですら上級の呪術師数人分の呪力を宿している。

 幾十、幾百も肉を咀嚼し、甘露の様に甘く感じる血と脂と共に音を立てて嚥下する。魔王――和泉咲月の肉は舌を伝い、喉を通り、腹の中に収まった。

 同時に呪力が身体に漲る。闇と大地と、そして鋼の属性を宿した呪力だ。

 僅かな震えが腐り果てた腕を、脚を、臓腑を、そして脊髄を奔り脳髄へと至る。しかしその震えから感じるのは悪寒等ではなく快感と、悦楽だ。砂漠が水を吸い取る様に、己が全身に魔王の呪力が滲み渡る。

 影は自分の中に力が満ちる事に歓喜した。取り込んだ呪力の影響か腐った肉が紅く色づき、肌の一部分が滑らかに、痛み切っていた髪がしっとりと濡れた艶やかな黒髪に変化する。さらに身に纏う貫頭衣もぼろ布同然の物から色鮮やかな美しい衣に変化した。それはさながら時間を巻き戻している様にも、蛇が脱皮をし、新たな皮膚を形成する様にも見えた。

 腐敗しているおぞましい身体と、新生した美しい身体。美醜入り混じった奇怪な容姿を持った、奇怪な存在。未だ腐敗している部分の方が多くを占めているが、その体は奇妙な美しさを表している。

 死と生が共に在る、醜悪な美と言う矛盾。おぞましくも美しいと言う矛盾を、影は体現していた。

 現世に顕現してから、多くの人間から奪い取った生気と先の神殺しの肉に宿った呪力で、腐れた肉は完全ではないが元に戻りつつある。

 身体に漲る呪力に快感と、かつてに立ち戻って行く自分を感じながら影は思う。あの神殺しの呪力は余程に相性が良かったのか、肉片を僅か一口分喰っただけで身の4割程度を回帰し、神格も多少だが戻った。これなら一口分とは言わず、腕の一本は喰っていても良かったかもしれない。

 しかし戦闘するとなれば、現在の自身の状態では勝つ事は不可能だろう。未だ己は完全なるまつろわぬ状態にあらず、敵となる神殺しは己の身が危険になればなるほど、何をしでかすか分からない、人間とは言えない存在だ。

 だが、まつろわぬ身に立ち戻れば話は別だ。幸いにしてあの神殺しの肉のおかげか、闇と大地と鋼の属性は取り込めた。冥府の属性も多少は有ったが、立ち戻る為には少々、弱い。

 故に、後は冥府のみ。その冥府も、目指す場所に濃く強い力を感じる。おそらく、あの女と同じく神殺し共であろう。同じ様に不意を打ち、肉を喰らい呪力を取り込めば、或いはその権能で使役している物を喰らえば、己は本来の己に立ち戻る事が出来るだろう。

 そんな事を考えながら目指していると、首筋に僅かだが違和感を覚えた。物理的な物ではなく感覚的な物だが、確かに冷たい物を感じた。しかし僅かに後ろを見てみても、視界に入る物は無い。

 おそらく先の神殺しだろう。肉を食い千切った事を怒り、追って来るか。身の昂りが無くなるほどに遠く離れていながらも、影はその気配を感じ取っていた。

 感じた気配に口の端を吊り上げながら、影は残る二つの気配の元を目指す。望むのは己が身の回帰と、宿敵達との死闘だ。

 待っているが良い、そして来るが良い神殺し共。貴様等の肉を喰らい、我は母たる身へと立ち戻ろう。その時にこそ、貴様等と戦い、その身の全てを喰い殺してくれる。そしてその後は、我が身を辱めたあの男の子たるこの国の人間どもを殺し尽くすのだ。子等の叫びと恐怖に染まった顔は、さぞ甘美で、己を癒してくれるであろう。

 思いながら、影は足場とした家屋の屋根を腐らせ、人々の生気を根こそぎ奪いながら、残る気配の元に向かっていた。

 

 ●

 

 和泉咲月が神に類する何かと接敵し、手傷を負ったとほぼ同時刻。異なる場所では、咲月と似通った、しかし異なる状況が発生していた。

 祐理が現在巫女として勤務している七雄神社に続く道で、対峙している影がある。数は無数に存在しており、内四つは人間の物だ。

 四つの影の内三つは、形は違う物の同じ意匠の服を着ている。男性一人と女性二人と言う容貌だが、まだ年若く、少年少女と言っていい年齢だ。残り一つは仕立ての良いスーツに身を包み、その上に黒い外套を着込んだ背の高い男性。白髪の混じった銀灰色の髪を撫でつけ、落ち窪んだ眼孔にエメラルドの光をぎらつかせる老人だ。通行人の居ない道にて両者は、片や警戒を顕に、片や悠然と立って対峙している。

 男性が腕を上げ、一度振るう。直後に他の無数の影が、対峙している三人達に向かって疾駆する。それらの形は人間の物ではなく、四足獣のものだ。見た所イヌ科の様に見えるが、その大きさは馬ほどもあり、尋常ではない。自然の存在ではなく、間違いなく何らかの神秘に関係していると分かる。

 その獣達を、少年たちは一人の少女を庇いながら戦っていた。庇われている少女の顔色は蒼白であり、震えている。その目に浮かんでいるのは恐怖と言う感情のみだ。

 

「どうした小僧! 最初の勢いは何処へ行った、威勢が良いのは口先だけか!」

 

 巨狼の群に四苦八苦している少年達――護堂とエリカ、祐理達に向かって老人――ヴォバン侯爵が咆哮する。しかしその顔に浮かべているのは、獲物を見つけたと言う喜悦だ。咆哮に呼応するように、雨の、風の勢いがさらに増す。その事に護堂はあからさまに顔を顰める。傍で獅子の魔剣を振っているエリカも、涼しい顔をしてはいるが何処か余裕がない様に感じられる。

 この様な状況になった事を説明するには、少々時間を遡らなければならない。

 下校の際護堂は、常に彼と行動を共にしようとしているエリカと、偶然か必然か分からないが昇降口で出会った万里谷祐理と下校していた。必要以上に護堂にくっつくエリカと、その行動をふしだらだと言い護堂とエリカに文句を言う祐理と言う構図だ。

 エリカも祐理も、タイプこそ違うが学園でも上位に入る美少女であり、その人気は二人揃ってとても高い。当然と言うべきか、二人に惚れている生徒達は大勢おり、エリカはその大輪の薔薇の様な艶やかな美貌とモデル顔負けのプロポーション、そして飄々としながらもハッキリと物を言う性格から男女問わず多くの生徒から人気を得て、転入して数日でラブレター数十通を送られ、さらに断ったとは言え、数人からは告白までされている程だ。

 対して祐理はエリカの様に艶やかではないが、その礼儀正しさと、何処か儚げでありながらも凛とした言動、そして他者を立てると言う真実大和撫子の様な性格から人目を引き、エリカに負けず劣らず人気は高い。

 そんな二人を意図してはいないが侍らせている状態の護堂に、先輩後輩男女問わずに嫉妬の視線が突き刺さるのは至極当然の事で、実際、彼は昇降口から校門を出るまで大勢の生徒から突き刺さる様な視線に晒されていた。

 その視線に耐えきれず、護堂は二人を連れて逃げるように学校を出て帰宅していた。途中、エリカが急に差していた自分の傘をへし折り、護堂の傘に入って来ると言う出来事が有り、それを目の前で見た祐理が二人に苦言を呈すと言う、学校に居る時もしばしば見られる光景を作ったりしたのだが、その時だった。三人の前に、ヴォバン侯爵が現れたのは。

 数匹の狼を引き連れ突如現れた老王に、エリカと祐理は驚きを露わにし、特に祐理はかつての儀式の事を思い出し恐慌状態に陥った。事前にサルバトーレから侯爵が日本に居ると情報を得ていた護堂ですら、突然の出現には驚いた。まさか自分の目の前に現れるとは思っても居なかったのだろう。

 その三人の反応に笑みを浮かべ、侯爵は祐理に向かって言った。探したぞ、と。

 ヴォバン侯爵のその言葉に、聡いエリカは彼が祐理を求めて日本に来たのだと悟った。何の為に彼女を求めるのかとも思ったが、その答えは彼女の中ですぐに出た。

 現在より四年前、ヴォバン侯爵は己の無聊を慰める為に欧州一帯の魔女或いは巫女を集め、『まつろわぬ神』を招来する儀式を行った。

 『神』を召喚すると言う大儀礼の為に集められた魔女や巫女の人数は、およそ三十人弱と言う大規模な魔術を行うには余りに少ない物だったが、召喚自体には成功した。その際に呼び出されたのが『まつろわぬジークフリート』であり、彼の英雄はサルバトーレ・ドニによって倒され、その不死の肉体を権能として簒奪されている。

 だが、召喚には成功したものの、約三分の二の魔女達が精神に重大なダメージを負い、中には発狂した者や心神喪失状態になった者も居たと言う。侯爵の言葉と、彼が現れた際の祐理の異常なまでの怯え様から、彼女は四年前に運悪く侯爵によって招集されてしまった巫女の一人なのだろうとエリカは推察した。そして先のヴォバン侯爵の「探した」と言う言葉から、侯爵が何かを為す為に彼女を探していた事も理解し、何の為かもすぐに思い至った。

 侯爵は神殺しであり、彼が望むのは狩りと殺戮だ。そして四年前と言う単語から、彼は『神』の招来を行おうとしているのだ。強い呪力と才能を持つ、祐理を餌として。

 祐理の巫女としての能力は、霊視等のサポート限定ではあるものの非常に高い。現在は咲月の権能によってその霊視能力に制限を掛けられてしまっているが、一目見ただけで権能の元となった神格を見抜く能力からそれは明らかだ。四年前の儀式の際に、彼女が自我を保っていられたのも、おそらくその能力の高さが理由だろう。

 しかし、以前そうであったからと言って今回もそうなるとは限らない。いや、寧ろ今回は彼女一人のみの様に見える。もしかしたら他にも数人は居る可能性はあるが、数人程度では負担は分散される事はない。以前の事ですらトラウマとなって彼女の中に残っているのだ。無事で済むとは到底考えられず、ほぼ間違いなく精神が砕けてしまうだろう。

 その事をエリカから聞いた護堂は、侯爵に対してこう言った。万里谷は渡さない、と。

 護堂の言葉に対し、侯爵は四年前の事を引き出し、彼女はその当時から自分の所有物で有ると言った。所有物をどう扱おうが、所有者である自分の勝手だとも。

 これに護堂は激昂した。彼にとって、付き合いはエリカ程長くはないが、祐理は既に友人の枠に収まっていると言っていい。言ってしまえば身内の様な物だ。その友人を使い捨ての道具の様に見ているヴォバン侯爵を護堂が気に入る事など当然無く、喧嘩腰で怒鳴りつけた。他人に迷惑を掛けるな、神を呼ぶなら一人で呼べ、と。

 しかし侯爵は慣れた物なのか、特に怒りを表す事も無く図々しくも対価を要求して来た。そこまで言うのであれば、別の巫女か獲物たる神を連れてこい、と。その選択は二つとも、別の人間を犠牲にする事だ。そして神と神殺しの戦闘の規模を考えれば、結局被害は一般人にまで広がってしまう。

 そのような事を許容できる護堂ではなく、当然と言うべきか、その要求を突っぱねた。平和主義者を自称する彼としては、その様な事を出来る筈も無い。

 護堂とヴォバンの要求は交わる事のない平行線だ。そこに妥協は一切ない。両者が一歩も譲歩しないとなれば、話し合いをする必要性は無くなる。だからこそ、侯爵は言った。そこまで言うのならば、貴様が私を楽しませろ。夜明けまで巫女を守り切れば貴様の勝ち、守り切れねば私の勝ち。そして私が勝ったなら、巫女は貰って行く。これはゲームだ、と。

 それに対してまたも護堂は文句を言おうとするが、侯爵は聞く耳持たぬと言う意思の表現か、何も言わずに無数の狼を召喚し、護堂達に嗾けたのだ。聖獣たる狼たちは、さながら猟犬の如く護堂達に襲いかかる。

 逃げることは難しく、下手を打てば一般人達に被害が拡大する。護堂達に残された選択肢は応戦し、迎撃すると言う物のみだった。既にウルスラグナの『雄牛』の化身は発動している。その剛力で、護堂は狼たちを殴り飛ばし、蹴り飛ばす。『駱駝』程の脚力は齎さないが、それでも十分すぎる程の力だ。エリカもその洗練された剣技で狼を斬り捨てている、

 だが当然、動かずに迎撃していても勝つ事は出来ず、いずれ力尽きて敗れるだろう。護堂もエリカもすぐにそれに思い至ったか、それを避ける為に護堂は恐怖で震える祐理を抱き上げる。普段なら注意を言ってきそうなものだが、今の彼女は何も言わず、ただ震えるだけだ。酷い恐慌状態の様だが、暴れられないのは丁度いい。

 

「くそじじい、周囲の迷惑も考えずに呼び出しやがって……エリカ!」

「すぐに合流するから、行きなさい!」

 

 護堂の言葉にエリカは巨狼を斬り捨てながら答える。それに僅かに頷き、護堂は祐理を抱えたまま走り出す。

 それを見咎めた侯爵が狼をさらに五匹ずつ、三度連続して召喚し嗾ける。

 

「聖なるかな、聖なるかな! 万軍の天主よ、我ら神なる御身を讃えん! 御名を崇め奉る!」

 

 それを見たエリカが剣を放り上げ、詠唱する。

 魔術師は皆得意とする術を持っており、エリカが得意とする魔術は鉄だ。しかし彼女は鉄だけではなく、それに関係するものとして火や錬金の術も使いこなす。

 詠唱により、獅子の魔剣が一振り、二振りと増殖していく。一振りだった剣は、総数十五振りにまで増殖した。

 

「さあ、決闘の時間よ、クオレ・ディ・レオーネ!」

 

 その言葉を引き金として、十五振りの剣が降り注ぐ。闇に煌く銀の光が流星の様に美しいが、それらは全て狼に襲いかかり、その身を貫き地面へと縫い付けた。短く悲鳴を上げ、狼たちは消滅する。

 しかし侯爵は薄く笑みを浮かべ、さらに狼を召喚する。エリカはすぐに剣を手に呼び戻すが、召喚された狼は先程よりも数匹多く、十五振りの剣では止めきれない。再度剣を降り注がせるが、数匹には抜かれてしまった。その数匹はエリカに襲いかからない。獲物はあくまで護堂と祐理なのだろう。護堂との距離は30~40m程度で、その程度ではすぐに追いつかれてしまうだろう。見る見るうちに、彼我の距離が縮まっていく。

 護堂もそれに気付いたのか、肩越しに後ろを見る。狼との距離は既に数m程度にまで縮まっている。さらに一匹の狼が飛びかかって来た。鋭い爪と、牙が高速で迫る。

 この瞬間、護堂はウルスラグナの化身の一つの使用条件を満たした事を自覚した。その化身を発動する為の聖句を、囁く様に口にする。

 

「羽持てる者を恐れよ。邪悪なる者も強き者も、羽持てる我を恐れよ! 我が翼は汝らに呪詛の報いを与えん! 邪悪なる者は我を討つに能わず!」

 

 聖句を口にし切った直後、護堂の全てが加速し、同時に彼の眼に映る全てが減速した。

 ウルスラグナ第七の化身、『鳳』。この化身の能力は身軽さの獲得と、雷撃の回避すら可能とする神速の移動速度だ。咲月はウルスラグナの伝承等から、この化身の能力を呪詛の消去或いは反射と考えていたが、彼女の予想は外れる事となった。

 発動条件は高速の攻撃を受けることであり、巨大な狼の突進はその条件に十分当て嵌まっていた。発動後には一定時間心臓に激痛が来ると言うデメリットはあるが、距離を取る、撹乱する、或いは逃走すると言う点から見ればこれ以上の物は有るまい。

 一瞬でトップスピードまで加速し、護堂は狼の攻撃を回避し、さらにその場から離脱した。それを確認したエリカも数匹程狼を斬り捨てた後、増殖した剣を一振りに戻し離脱した。

 全ての獲物に逃げられた形となったヴォバン侯爵だが、その顔に浮かぶのは落胆や怒りのそれではない。寧ろ、よく逃げてくれたと言わんばかりに獰猛な笑みを浮かべていた。普通に戦い、自分に抗う者を蹂躙するのも良いが、彼が望むのは獲物を追い詰め、仕留める狩りだ。逃げた三人は、見事に彼の望んだ獲物となってくれた。

 もっと足掻け。もっと我を楽しませろ。逃げ去った未熟な神殺し達に対しそう思いながら、侯爵は新たに狼を召喚し、追跡させる。如何に高速で逃げようが、その匂いまで消す事など出来ない。嗅覚に優れる動物なら、容易に追跡できるだろう。聖獣である彼の狼ならば尚更だ。

 逃げた獲物を追う狼を見ながら、東欧より来た老魔王は笑みを浮かべ、ゆっくりと歩く。じわりじわりと、獲物を追い詰める猛獣の様に。

 

 十数分後、侯爵は護堂達に追い付いていた。広々とした、障害物となりそうな物があまり見当たらない、側にそれなりに大きな建築物が有る広場に彼らは居た。おそらくこの場で合流したのだろう、今代の『紅き悪魔(ディアヴォロ・ロッソ)』である大騎士の少女も居る。

 多くの狼が彼等を囲んでいるが、その数は数匹程だが減っていた。倒されてしまったからだ。しかし侯爵には特に何も思う事はない。彼の下僕たる狼は権能で産み出す聖獣であり、呪力が有る限り無限に召喚する事が出来るからだ。

 

「もう逃げるのは終いか、小僧?」

 

 傲岸に歩を進めながら、彼の目的である巫女を背に庇う若輩に、嘲る様に声を掛ける。その言葉に護堂はヴォバン侯爵を睨みつけるが、それは彼にとっては懐かしくも見飽きた目であり、恐怖等は感じない。

 それでも気丈に睨みつけ、戦闘態勢を取る護堂達に侯爵は僅かに、ほんの僅かにだが興奮する心を自覚した。やはり狩りとはこうでなくてはならぬ。若造どもが、存外に楽しませてくれる。

 それを自覚した瞬間、風の勢いが増した。同時に雨の勢いも、少しずつだが強くなっていく。

 急に勢いを増し始めた嵐に、護堂は天を仰ぎながら困惑の表情を浮かべた。その護堂を見て、ヴォバン侯爵は聞かれてもいないのに説明を始めた。

 

「昔から私は嵐の夜が好きでな、風も雨も雷も、その全てが私を猛らせる。まあ何が言いたいかと言えば、だ。この嵐は私が呼び込んだ物、と言う事だ。気が昂れば、自然とこうなってしまうのだが……問題あるまい。貴様の趣向にも合おう?」

「勝手に決めつけないで欲しいもんだな。あんたがそうだったとしても、俺がそんな性癖を持ってるか分からないだろう」

「そうでもないぞ。これは私の経験と観察を基にした考察だが、カンピオーネになる様な輩には概ね同じ傾向がある。お調子者で祭り好きと言う物だが、貴様も神に挑む様な輩だ。その気質は十分あろう」

 

 ヴォバン侯爵の言葉に、エリカは成る程と一つ頷く。一月前に遭遇した咲月の性格は未だ不明な点が多々ある為に正確な事は言えないが、彼女の知るカンピオーネの内、実際にであった事のある者には皆その傾向があった。剣の事しか頭にないサルバトーレ然り、自分が忠誠と愛を捧げた護堂然り、目の前に居るヴォバン侯爵然り、だ。

 先程は嵐の夜に浮立つ性癖は持ち合わせていないと言ったが、護堂は実際には侯爵の指摘した通りの性格である。嫌いな相手にそれを指摘されたくはなかったのだろう。侯爵の考察を聞き、エリカが頷くのを見て護堂は腹が立った。

 

「まあ、その様な事はどうでも良い。続きを始めるとしよう」

 

 ヴォバン侯爵のその言葉に、護堂とエリカは警戒する。再び狼を召喚されれば対応するのは難しい。呪力が有る限り召喚可能な獣を、一人とは言え庇いながら戦う事は体力もそうだが精神を著しく消耗する。

 特に難しいのは護堂だ。既に護堂はウルスラグナの化身の内、『鳳』の化身と、比較的使用条件が緩い『雄牛』の化身を使用してしまっている。

 護堂がウルスラグナより簒奪した権能である『東方の軍神』には使用条件がある。それぞれの化身に対応した条件を満たさなければ化身の能力を使用できないと言う物であり、『雄牛』の化身であれば敵対者が人間以上の力を持っている事が使用条件となる。これは生物以外の物でも対象とする事が出来る。

 条件を満たす事で、あらゆる戦局に対応する汎用性の高い権能であるが、全ての化身の使用条件として共通している物が有る。それは「化身の能力はそれぞれ一日に一度ずつしか使えない」と言う物であり、使用した化身は二十四時間が経過しなければ再び使う事が出来ない。『雄牛』の化身は元より一体多数で有利となる化身ではないが、それでも使用条件を満たし易い化身を使用不可能になったのは痛い。『鳳』の化身も使用してしまっているので、祐理を抱えて逃げる事も難しい。

 辛うじて使用条件を満たしている化身は『白馬』と『猪』が有るが、どちらも大規模破壊を起こしやすい化身であり、下手をすればエリカや祐理すら巻き込んでしまいかねない。『風』の化身はそもそも移動専用であり、『雄羊』の化身は死ぬ寸前にしか使用できず、『駱駝』の化身はある程度の重傷を負わなければ使用できない。『戦士』の化身は相手の神格の情報が必要不可欠である為、侯爵の権能の元となった神の情報が無い現在は使用不可。残り二つの化身は未だ掌握出来ておらず、どのような能力なのかすら分からない。

 万事休す。護堂の思考にその単語が浮かぶ。しかしある意味では仕方のない事なのだろう。護堂はヴォバン侯爵やサルバトーレの様に力押しではなく、準備を整え、相手の情報を集めてそれを力とし戦うタイプの珍しいカンピオーネだ。今回の戦闘は突然発生したと言う事もあるが、あまりに準備不足が過ぎた。

 しかしどう言う訳か、侯爵は護堂達を包囲していた狼達を消した。侯爵が行う筈のない事に、護堂は勿論エリカも警戒はそのままに疑問を顔に浮かべる。

 その反応にヴォバン侯爵はニヤリとイヤらしい笑みを浮かべ、言った。

 

「何、このまま猟犬どもを嗾けても良いが、そればかりでは飽きも来る。それでは些かつまらんと言う物だ。故に、少々趣向を変えてやろう」

 

 ヴォバン侯爵がそう言い、指を弾くと同時に、彼の周囲に無数の人影が浮かび上がった。女性も居れば男性も居り、その衣服は鎧だったりドレスだったりと様々で、手に持つ武器も剣であったり槍であったり、銃であったりと統一性等欠片も無い様に見える。だが唯一点、古めかしいと言う共通点を持っていた。

 時代錯誤と言っていい服装をした者達の出現に、護堂は僅かにだが困惑する。先程までの狼達で十分護堂達を仕留める事が出来た筈なのに、手段を変える理由が分からなかったからだ。

 侯爵は「飽きる」と言ったが、どうにも違和感を覚える。考えていると、エリカの言葉が耳に入った。

 

「死せる従僕……」

「如何にも。我が従僕共は皆、かつて私に挑んで来た歴戦の勇士達だ。我が権能は私が殺した者共を檻の中に縛り付け使役する。貴様の先達たる大騎士も当然居るぞ、今代の紅き悪魔(ディアヴォロ・ロッソ)よ」

 

 エリカと侯爵の言葉に、護堂はサルバトーレから聞いた情報を思い出す。

 曰く、ヴォバン侯爵は魔眼で生物を塩に変え、数百頭の狼を召喚し、死者を使役し嵐を呼び寄せる。サルバトーレから齎されたこの情報の中で、既に狼の召喚と嵐の招来は見た。あと侯爵が見せていないのは魔眼と死者の使役だが、エリカと侯爵の言葉から、彼の周囲に突如現れた者達が使役されている死者だと判断するのは容易なことだった。

 見れば、兜を被っている為に表情が見えない者も居るが、多少でも見える者の目には生きている者特有の覇気等が欠片も無い。ガラス玉の様に虚ろで、濁った眼だ。それらの目は、決して生きている人間がするものではない。

 死せる従僕の檻。ヴォバン侯爵が所有する、彼がその手で命を奪った者を奴隷とし使役する権能。檻に繋がれた魂に尊厳などは微塵も無く、幾度となく召喚され、使い潰され、そして再生させられ、永遠の戦奴とされる。その能力から、死と生に関する神格から簒奪したとされている権能だ。

 護堂は怒りを覚えた。祐理に関する事から怒りは当然あったが、死した者を縛り付け、永遠に安らぎを与えないヴォバン侯爵の非道さに、今まで以上に怒りを覚えた。同時に、死者達に対して憐憫も覚えた。魔王の暴虐を諌める為に挑んだのだろうに、返り討ちにされ、その死すらも弄ばれているかつての勇士たちに、悔しさや哀しさを覚える。

 しかし、護堂は死せる従僕達に対して現状、ほぼ何も出来ない。死者たちはその大きさから、巨大な物体を破壊させる事が条件の『猪』の使用条件に当て嵌まらず、さらに大罪と呼べる事をしていないのか、敵対者の罪が使用条件になる『白馬』の化身も使用出来ない。そして二つの化身はともに、味方すら巻き込みかねない危険な物だ。この様な街中で、そう易々と使っていい物ではない。

 ある意味で、『死せる従僕の檻』は護堂にとって相性が悪い権能だった。エリカもその事に思い至ったのだろう、普段感じられる余裕が感じられない。

 二人の様子を見て、ヴォバン侯爵はさらに笑みを深くし、片手を上げた。その動作に応じて、死せる従者達が武器を構える。

 

「まずは小手調べからだ。精々無様に跳ね回り私を興じさせろ」

 

 言って、侯爵は腕を振り下ろした。同時に死者達が護堂達に襲いかかる。その動きは死者とは思えないほどに素早いが、何処かぎこちない。だが、危険である事には変わらない。

 冷や汗が流れる。打てる手が少なすぎるのだ。わざと攻撃を受けて『駱駝』を使用可能にするかとも考えたが、多勢に無勢であり、しかも死ぬ危険性も高い。『雄羊』を使えば生き返れるが、蘇生中に再度殺されれば生き返れるかは分からない。

 死者の剣が振り下ろされる。その攻撃は何とか避けたが、次いで襲いかかる攻撃に徐々に対応できなくなり、一刀を浴びた。咄嗟に回避行動を取った為に傷は浅く、『駱駝』の使用条件は満たさない。

 エリカは大丈夫か。そう思い、視線を彼女が居た場所に向けると、彼女も死者達を相手取っていた。舞う様に剣を振るい、幾人かを塵に返している。流石だと思うが、塵に返された所で新たに死者が襲いかかり、護堂達の救援には来れそうにない。

 剣が振り上げられる。ここまでなのか。そんな絶望が護堂の脳裏に浮かぶ。友人を助けたいのに、何も出来ないで終わってしまうのか。

 そう思った時だった。

 

「もう……もう、やめてください!」

 

 叫びが広場に響き渡る。その発生源は今まで怯え、震えていた少女――祐理だ。

 彼女の叫びに、戦場が一端停止する。ヴォバン侯爵も彼女を見て、何を言うのか待っている。死者達も主人の反応を察してか、武器を構えたまま停止した。

 

「私が貴方様のもとに行けば、それで良いのでしょう? でしたら、御身に従います。ですから、お願いします。草薙さん達は……」

 

 助けて下さい。

 恐怖に震える声で、しかし涙は流さずに、祐理は侯爵に向かってそう言った。

 

「な……」

 

 何を言うのか。護堂が思った事はまずそれだった。

 護堂達は祐理を助ける為に戦っているのだ。しかし当の彼女が自ら侯爵の元に行こうとしている。

 

「万里谷、どうしたんだよ! あのじじいの所に行きたくなかったんだろ!?」

「もうこれしかないんです! 草薙さんも分かっているでしょう!? あなたでは侯爵に勝てないと!」

 

 詰問する様な護堂の問いに、泣き叫ぶ様に祐理は返す。

 位階で言えば、護堂もヴォバン侯爵も同じカンピオーネであり、同格だと言って良い。しかし二人の間には絶対的な、埋める事の出来ない差が存在する。所有する権能の数と、神との戦闘経験の量だ。ほんの数ヶ月前に神殺しになったばかりの護堂は、神三柱と神殺し一人との戦いを経験している。神殺しになったばかりであれば、十分戦っていると言えるだろう。

 しかし、侯爵は三百年以上を生きており、所有する権能の数も、神との戦闘経験も、比べ物にならない。護堂とは地力が違うのだ。熟練者と初心者では、余程の事がない限り熟練者の方に軍配が上がるのは当然である。

 それらの事から、祐理は護堂がヴォバン侯爵に勝てないと判断した。そして彼を守る為に、自分の身を犠牲にする事を決意したのだ。

 だが当然、護堂がそれに納得する筈がない。彼にとって祐理は既に友人であり、身内も同然である。売り渡す事など出来はしない。

 その事を護堂は言うが、祐理は自分の意思を曲げようとしない。護堂が祐理を守る為に言っている様に、祐理も護堂達を守ろうとしているからだ。自分一人が犠牲になる事で守れるならば、安いものとでも思っているのだろう。

 

「茶番は其処までにして貰おうか、巫女よ」

 

 しかしそれにヴォバン侯爵が口を挟んだ。見れば彼の口調も、その表情も不機嫌そのものであり、機嫌を損ねている事が分かる。

 

「私は言ったぞ? これはゲームだと。私は遊戯の最中に水を差される事が大嫌いでな」

 

 怒気も露わに、ヴォバン侯爵は言葉を連ねる。それに呼応して呪力も高まり、死者達も再び動き始めた。武器を向ける先は当然、護堂達だ。しかし今度はその対象に、祐理も加わっている。

 

「つまらん水を差してくれた物だ。おかげで興が削がれた。この責、どう取ってくれる、小娘」

「ぁ……」

 

 ヴォバン侯爵の言葉に、祐理の心に再び恐怖が湧き上がる。護堂も警戒を露にし、エリカも冷や汗を掻きながら剣を構える。

 現存するカンピオーネの中で、最古の王が四年ぶりに怒りを露わにした。それもただ怒っているのではなく、激怒と言っていい。魔王の本気の怒りを受けて、祐理とエリカの足が竦む。

 カンピオーネは怒った場合、何をしでかすか分からない。危険な権能を持つヴォバン侯爵が怒りを撒き散らしたら、この周辺一帯は消し飛ぶ危険性が非常に高い。

 

「もう良い。貴様等全員、我が下僕としてやろう。それで巫女の能力が使えずとも、予備を使えば良いだけの話だ」

 

 言って、侯爵は死者達の他に、引っ込めた筈の狼までも召喚した。死者が武器を構え、狼が唸りを上げる。さらに邪眼までも発動しようとしているのか、その目は煌々と輝き始めていた。

 

「やれ」

 

 たった一言、侯爵は命令した。その言葉に応じて、死者達が、狼達が護堂達に踊りかかる。このままでは、万に一つも生き残る事は不可能だ。

 もはや躊躇してはいられない。そう思い、護堂は『白馬』の化身を使用しようとする。狙うはヴォバン侯爵で、死者や狼を巻き込むように撃つ。

 使用する化身を決め、そしてその聖句を口にしようとした。その時だった。護堂の体に、力が漲ったのは。それはカンピオーネが宿敵である神と邂逅した時に発動する体質で、つまりは近くに神が居ることを表す。それはヴォバン侯爵も感じていただろう。

 こんな時に厄介な。そう思いながら、護堂はヴォバン侯爵に睨むような目を向け、そしてその目は驚愕に見開かれた。

 侯爵の首筋に、長い黒髪の女性が喰いついていた。

 


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