魔槍の姫   作:旅のマテリア売り

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新年明けましておめでとうございます。そして三ヶ月もの間更新できずにすいません。
今回は今までで最大の文字数になりましたが、まだ終わりません。おそらく次回でようやく2巻が終わると思いますが……くそう。休みも欲しいが何よりも時間が欲しい。


24話 神威繚乱・後 壱

 

 足裏で呪力を爆発させ、その衝撃で地面を多少吹き飛ばしながら咲月は伊邪那美との距離を詰める。手に持つ槍には未だルーンで灯した業火が燃え盛っている。かなり高熱の炎なのだろう、降り注ぐ雨粒が炎に触れるそばから蒸散し、水蒸気を発生させている。咲月の進路に沿って発生しているそれは、さながら飛行機雲の様だ。

 

「死を喰らう獣の権能か。汝が死人を喰らい力とするのなら、吾は千の命を喰らい、糧としようぞ!」

 

 自身に突貫してくる咲月を認め、まつろわぬ伊邪那美は呪詛を放つ。それは神話の中で、兄にして夫である伊邪那岐との離別――生者と死者の世界が別たれた際、悲哀と憎悪を込めて伊邪那岐に放った言葉。自分の言葉を無視した夫の行動に憤怒し、報復として一日に千人の命を奪うと言った死の呪いの再現、滅びを与える権能だ。

 伊邪那美から放たれた呪詛により、女神の周囲に変化が現れる。木は腐り落ち、土は融けてドロドロになり、コンクリートやアスファルトは瞬く間に崩れ果てた。さらに効果範囲は広がり、腐滅の呪いに建築物すら侵されていく。このまま行けば、住人すらも巻き込んで崩れ落ちてしまうだろう。

 だが――。

 

「効かないわね、そんな呪詛!」

 

 だが咲月はそんなものは効かぬと言い放ち、呪力を全身に滾らせ、放たれた呪詛に真正面から突っ込んで行った。

 放たれた呪詛は咲月が腕の肉を食い千切られた時に放たれた呪詛と似た、しかし遥かに強化され凶悪になった能力を持つ冥府の女神の権能だ。呪術的な面を多分に持ち、呪術や魔術に対して絶対と言えるカンピオーネの対呪力でも、ある程度は防げるかもしれないが完全に防ぎきれるようなものではないだろう。

 事実、咲月が着ている服――学校の制服――はその呪詛に耐えられない。全身に滾らせた膨大な呪力が幕の様に覆っている為なのかその速度は遅いが、確実に白い服は腐食し崩れ落ちていく。その結果もある意味で当然だろう。今回は怒りが先行して、アテナとの戦いの時の様に服にルーンの防御を施していなかったのだから。

 腹部、胸部、肩にスカート。呪力を浴びて腐食し、ぼろぼろと崩れ落ちていく自分の服を認識し、しかし咲月は止まらない。逆に、より速度を上げて伊邪那美に近づく。衣服は崩れても、自分の五体は十全なのだ。奪われた呪力も、東欧の老魔王の下僕共を喰らって回復した。

 精神は高揚し、戦いに向けて既に完全にシフトしている。体も呪力もともに万全。マーナが喰らい、咲月がその身の内に取り込んだ、未だに呪力に変換されていない大騎士や魔女の魂たちが少々喚いているが、それもすぐに変換されてなくなるだろう。

 故に、何も、問題はない。

 

「ふっ――!」

 

 槍を突き出す。燃え盛る炎を纏った魔槍は真っ直ぐに女神の胸元――心臓部分にその穂先を突き立てんと走らせる。雷槍としての能力も発動しているのか、女神に迫る槍はルーンの炎のみならず電撃すらも纏っている。

 雷と炎。『鋼』と強い関わりを持つこの二つの属性は、どちらも地母神に対して強い影響力を持つ属性で、特に炎は神話において伊邪那美の命を奪う直接の原因となった神である火之迦具土の属性でもある。その二つを同時に纏っているゲイボルグを突き立てられれば、唯では済まないだろう。如何に強大な力を有する地母神でも、下手をすれば一撃で死んでしまうかもしれない。

 

「稲妻と炎――忌々しい物を纏う」

 

 故にこそ、伊邪那美は死滅の権能を使いながら、咲月の魔槍を防ぐべく別の力も同時に行使する。それは彼女の持つもう一つの側面、死と滅びを与える冥府の神格と並ぶ、全てを生み出した創造神――母神としての創造の権能だ。

 直後、咲月の槍を防ぐように、槍の進路上に岩の小山が出現する。何の前触れもなく突如出現したそれに対し、咲月は一瞬だけ目を眇めるがそれだけだ。走らせた槍を止めることなく、むしろ岩の山ごと突き穿たんと槍にさらに呪力を込める。

 そして魔槍は、まるで豆腐に包丁を入れるかのようにあっさりと岩の内部に沈み込んだ。

 

「爆ぜなさい!」

 

 それを認識し、即座に槍に纏わせている呪力を岩の内部で爆ぜさせる。

 如何に女神の権能によって産み出されたとはいえ、所詮は単なる岩の塊でしかないそれが魔王の権能に耐えられるはずもない。実際、岩の山は咲月の魔槍をほんの一瞬だけ止めはしたが、咲月に呪力を爆発され微塵に散った。

 衝撃によって砕け散り、さらに咲月とは反対の方向に弾丸のような勢いを伴って飛ぶ岩の飛沫は唯の弾丸ではない。飛び散る岩の一つ一つが炎や雷を魔王の呪力と共に纏っている、即席ではあるが一種の魔術兵器だ。その危険度は、先のクレーターを作った時に舞い飛んだ物の比ではない。神にすらダメージを与える可能性を持っているのだ、唯の人間なら、間違いなく掠っただけでも大惨事だ。

 しかし、咲月のこの攻撃は今回、悪手だったと言えるだろう。

 

「っ、居ない?」

 

 岩塊で進路を塞がれ、それを爆破したことで散った岩によって咲月は僅かな間ではあるが、その視界を塞がれ伊邪那美の姿を見失ってしまった。

 見失った獲物を探し、咲月は僅かに顔を左右に振り、それぞれの空間に視線を走らせる。視界の端に草薙護堂達や死せる騎士たちに囲われて守られているヴォバン侯爵が入るが、そんなものは現在どうでもいい。問題は伊邪那美の行方だ。

 どこか遠くへ去ったと言う事はない。咲月は自分か、彼女が身内と認識している人間が手出しされない限り手を出さないと言う受け身のスタイルを取っている――逆に言えば、髪の毛一筋でも傷つければ即座に殲滅に動くのだが――が、神と神殺しは互いを滅ぼしあう宿敵同士だ。余程のことがない限り、殆どダメージがない状況で去ると言う事はあり得ない。神に対するレーダーと言ってもいい体の昂ぶりと緊張も無くなってはいないのだ。

 伊邪那美はまだ近くに居る。それは確かだ。だがその姿が見つからない。

 警戒を露わに、咲月は槍を構え即座に対応できるようにする。そんな主の背を守るかのようにマーナガルムが彼女の側に付き従う。

 

「その槍、嫌な気配がするのう。じゃが近しい気配をも感じる……吾のような冥府に関係する鋼から簒奪したものと見るが」

 

 警戒していると、上から声を掛けられた。見上げれば、地面から約10mの空中に伊邪那美が浮遊している。

 

「その狼もそうじゃが、汝の権能、少々厄介そうじゃ。他の神殺しも居る……ならば、少々危険ではあるが援軍を呼ぶとしようかの」

 

 言って、伊邪那美は目を閉じた。同時に感じる呪力に、咲月は警戒を高め、身構える。

 そして、伊邪那美がその黄金の目を開いた。

 

「来やれ黄泉の軍勢よ! 神殺し共を押し潰してしまえ!」

 

 伊邪那美が咲月達を見下ろしながら、声高に叫ぶ。それは彼女の持つ冥府の主宰神としての権能の一つ。神話に語られている、伊邪那岐に対して死者の軍勢を嗾けた事の再現だ。

 女神の体から呪力が吹き上がる。それは空間に作用し、人間が楽に通れるようなそれなりに大きな穴を虚空に作り出した。その穴から、何とも言えない不快な風が吹き込んでくる。その風を浴びたか、護堂の側にいるエリカや祐理が急に咳き込みはじめる。

 

「エリカ!? 万理谷も、大丈夫か!?」

「私たちは、ゲホッ、大丈夫……それよりも気をつけなさい、護堂! 来るわよ!」

 

 心配する護堂に対し、咳き込みながらエリカが叫ぶ。

 直後、空間に開いた穴から何かが大軍となって飛び出してきた。

 

「ひっ!」

 

 現れた存在を見て、祐理が口元を覆いながら短く悲鳴を上げる。穴から出てきたのは体のほぼ全てが腐り果てた、一目で死体だと分かる者達だった。

 男、女、老人に若者、果ては赤子までおり、それらの体には必ずどこか腐っている部分がある。酷い物では体全体が腐り果て、内臓がこぼれ、骨すら見えている者までいる。

 伊邪那美は黄泉の主宰神でもある。その権能で、彼女は冥府と現世を繋げ、ヴォバンすら上回るほどの死者の軍勢を呼び寄せたのだ。

 

「さあ、吾が下僕たちよ。久方ぶりの現世じゃ、存分に暴れるがよい! そして神殺しどもを討て!」

 

 笑みを浮かべ、伊邪那美が命令を下す。黄泉の王たる女神の命令で、死者の軍勢がこの場に居る生者――咲月、護堂、ヴォバン、エリカそして祐理に向かって進軍する。その速度は、とても体が腐った人間のそれではない。全てがそうという訳ではないが、中には一流のアスリートに匹敵する速度で咲月達に襲い掛かる者もいる。

 

「神獣でも神使でもない、ただの死者ごときで私を討てると本気で思っているの? だとしたら、随分と低く見られたものね――不愉快だわ」

 

 槍を構えもせず自分に迫る死者達を見据え、咲月は不機嫌そうに吐き捨てる。

 

「私が手を出すまでもないわね――やりなさい」

 

 咲月がそう言った直後、彼女に迫っていた死者達が吹き飛ばされる。それを成したのは当然と言うべきか、彼女の側に控えていたマーナガルムだ。ヴォバンの聖獣よりも大きな体躯を持つ狼が、その爪で、尾で、迫る死者を薙ぎ払う。

 神獣が護衛について居る事で、死者達は一体も咲月に近づくことが出来ない。全てマーナガルムに薙ぎ払われ、喰われて消える。

 それをつまらない様なものを見る目で咲月は眺めていたが、首筋にチリチリと嫌な予感がし、背後に振り向きながら槍を突き出す。現在の咲月は、その持ち得る全ての権能を同時に使用している完全戦闘状態だ。当然、神託の権能も発動状態にある。その権能によって、神殺しとしての特性も相まって、今の彼女の第六感は普段以上に研ぎ澄まされているのだ。

 何かを穿った、強い手応えがあった。

 

「こいつは……」

 

 突き出した槍は、襲い掛かろうとした死者の頭を正確に突き穿っていた。そう、死者だ。それは間違いないだろう。だが、槍に頭を穿たれ、身動ぎ一つせず塵に還っていくその死者には、他の有象無象とは違う何かが感じられた。

 伊邪那美のものよりも質素ではあるが似た衣装と、ほかの死者と違い、腐っていない肉体。その肌は皺くちゃで、全体的に黒い。しかし黒いと言っても、人種の違いと言うようなものではない。痛んだ肉の色だ。しかし消えていく体から感じる格は、他の死者達と比べても高く感じる。

 僅かに翡翠の目を眇めると、神託の権能がその正体を暴いた。

 

「黄泉醜女……」

 

 ぽつりと呟く。読み取った死者の正体は、伊邪那美に仕える存在の一つ。神話の中で死者の群れを率いて伊邪那岐を追いかけた、黄泉に住む鬼女だった。その格は、咲月の予想が正しければ神獣や神使に匹敵するだろう。いや、もしかしたら神使として呼び寄せたのかもしれない。

 

「へぇ……」

 

 完全に消え去った黄泉醜女を見て、咲月は僅かに口の端を上げる。見ればヴォバンの方にも、草薙護堂たちの方にも何体か行っているようだ。しかしヴォバンに向かったものたちは死せる騎士たちに阻まれ、草薙護堂に向かったものは異国の魔術師の防御魔術によって防がれている。見れば、今更ながらに気付いたが、草薙護堂の後ろには万里谷祐理が居る。顔を青くし、へたり込んでいるその姿を見るに、何かがあって腰でも抜かしているのだろう。

 そんな彼女を守る様に居る草薙護堂と金髪の魔術師だが、そのままではそう遠くないうちに防御を破られるだろう。今の万里谷祐理は、正しく足手纏い以外の何物でもない。

 抱えて逃げれば良い物を。周囲を死者達に囲まれているが、草薙護堂が権能を使えば、その程度の事は容易いだろうに。

 

(足手纏いを守る……まあ、私が気にすることでもないわね)

 

 草薙護堂が万里谷祐理を守っていようが見捨てようが、別にどうでもいいことだ。自分にとってどうでもいい人間の彼女が死のうが生き残ろうが、興味の欠片も持っていない。

 咲月にとって大切なものは、義母であるパンドラを除けば美智佳を始めとした親友達四人だけであって、その他の全てはどうでもいい有象無象、そこらへんに転がる石のようなものでしかない。例外は親友達の家族くらいのものだが、それは気に掛ける程度の価値はあると言うだけであり、優先度は親友に比べても著しく低い。

 すぐに万里谷祐理から意識を外し、咲月は伊邪那美へと視線を向ける。死者や黄泉醜女が襲い掛かってくるが、それらは近づく傍から全てマーナガルムに駆逐されるので意識の欠片すら向けない。

咲月とヴォバン、二人の神殺しを襲いその呪力を奪い、全ての神格を取り戻した女神は変わらずに中空に浮遊し、悠然と見下ろしている。

 引き摺り下ろし、その体を穿ってやろう。思いを呪力に混ぜて槍に乗せ、咲月は伊邪那美に向かって踏み出した。足に呪力を込め、それを爆裂させて一気に距離を詰める。衝撃で地面の土が弾け飛ぶ。

 

「むっ」

 

 高速で接近する咲月を認め、伊邪那美は腕を振るう。それが合図だったのか、死者の群れが咲月に迫る。マーナガルムがそれを防ごうとするが、数体の黄泉醜女が神獣に飛び掛かりその行動を妨害する。

神獣も神使も、その主である神や神殺しが直接操れば非常に強力な存在になる。咲月に操られるマーナガルムと、伊邪那美に操られる黄泉醜女。単体の力なら相性込みでマーナガルムの方が有利だが、数的には数体いる黄泉醜女の方が遥かに有利だ。

 神使に抑えられ、神獣は援護に動けない。孤立した咲月をめがけて、大勢の死者と黄泉醜女が襲い掛かる。

 

「邪、魔っ!」

 

 しかし咲月はそれに怯むことなく、逆に速度を上げて突っ込んで行った。そして槍を一振りし数体の死者を薙ぎ、その体を砕く。さらに砕いた体に飛び乗り、それを足場に別の死者の頭部に移動し、再び呪力を足裏で爆ぜさせる。

 衝撃。同時に砕け、腐肉と骨片を飛び散らす死者の頭部。一般人が見ればあまりの行動に、確実に目をそらすか、最悪胃の中の物を全て吐き出すだろう。だが、それは一度で終わらない。連続で、一切の例外なく、咲月は死者と黄泉醜女を足場にして移動する。そこに躊躇いや罪悪感と言う物は欠片も存在しない。

 情け容赦など一切なく、無慈悲に死者を蹂躙し伊邪那美に接近し、飛び上がり槍を振るう。

 

「落ちなさいっ!」

「ふん」

 

 迫る咲月を一瞥し、勢いよく振り下ろされた槍を見据える。自身を地面に叩き落そうと迫る槍を見ながら、しかし伊邪那美は動かない。

 そして振り下ろされた槍が伊邪那美に接触しようとした瞬間、女神は多量の呪力を燃やし、その姿が咲月の視界から消え失せた。

 

「消えたっ!?」

 

 見失ったことで一瞬動揺し、しかし直後に嫌な予感を感じ取り、咲月は槍を振り下ろした勢いを利用し体を回転させ、背後を向く。

 

「吾に落ちよと言うか。逆に汝こそ落つるがよい、神殺し!」

 

 背を向けていた空間に、見失ったはずの伊邪那美が居た。女神はその手に不吉な呪力を集中しており、それを咲月に向けて解き放った。

 咄嗟に槍を両手で持ち、体の前面に掲げ呪力を燃やす。伊邪那美の放った禍々しい漆黒の呪力と咲月の呪力がぶつかり合い、咲月は空中に留まることが出来ないため吹き飛ばされた。体勢を崩し、地面に向けて落下する。

 

「っ、ちぃっ!」

 

 しかし咲月は体を振って器用に体制を立て直し、叩き付けられることなく地面に着地する。その瞬間を狙い、大勢の死者が咲月に殺到する。着地したその瞬間は、僅かに硬直して動けなくなるからだ。

 だが主人の危機に、その配下が反応しないわけがない。動きを止めている咲月を守るために、マーナガルムが死者を薙ぎ払いながら向かう。それを止めようと黄泉醜女が攻撃を仕掛けるが、マーナガルムは一切気にせず咲月の元へと向かい、死者達を喰らい、踏み潰し、薙ぎ払った。咲月の周囲から死者が居なくなる。

 

「ありがと。でも、あんまり無茶はするんじゃないの」

 

 守られたことに礼を言い、しかし無茶はするなとも叱責を飛ばす。見ればマーナガルムの体には小さいが無数の傷があり、中には血を流させているような深い傷もあり、その銀色の毛並みを赤で汚している。全て黄泉醜女に付けられた傷だ。

 呪力を流し、神獣の傷を癒す。マーナガルムは咲月の持つ三つの権能の一つであり、移動やサポートを一手に引き受けていると言って良い。権能である為、咲月が死なない限り完全に死ぬと言う事はないが、倒されてしまえば咲月は一気に不利になる。

 神獣の治癒を確認し、咲月は視線を伊邪那美に戻す。女神は変わらず、空中に浮遊し悠然と見下ろしている。

 咲月と目が合う。すると伊邪那美は、咲月に笑みを向けてきた。それは優美かつ非常に挑発的で、神殺しの――咲月の行動を今か今かと待っているように見える。

 この程度で終わりではなかろう。もっと見せよ。その力の全てを吾に見せて、そして死ねと、そう言っているように感じられる。

 

(いいわ、だったら望み通り見せてあげる。もっとも、対価はアンタの命だけど)

 

 僅かに口の端を上げ、呪力を燃やす。先程の攻撃の際、一瞬で背後を取られたことには驚いたが、そのからくりである権能は神託によって既に見切っている。

 

(神速……だったかしら? 伝承を考えれば持っていても可笑しくはないけれど、自分の目で確認することになるとはね。しかも、ホントに持ってるし)

 

 神速。草薙護堂が持つウルスラグナの化身の一つ、咲月が呪詛払いだと予想し、しかし外れた『鳳』の化身の能力でもあるそれが、伊邪那美が咲月の攻撃を避け、背後を取った権能の能力だ。

 伊邪那美の名は、その創造神としての名の他、冥府の主宰神としての黄泉津大神があるが、その他にももう一つある。それが道敷大神だ。

 伊邪那岐は黄泉の国から逃げ帰る際、伊邪那美の命令で八雷神に率いられた大勢の死者と黄泉醜女に追いかけられる。その際に身に着けていた装身具を用いて桃や筍などの食物を生み出し、追っ手を追い払って何とか生還できたのだが、その最終局面で黄泉の最奥部から自ら追いかけてきた伊邪那美に追いつかれる。道敷大神と言う名は、この時に伊邪那岐に追いついた事から来ている。先の伊邪那美の空間転移かと疑うような移動は、この伊邪那岐に追いついたと言う伝承から来た権能で間違いないだろう。冥府の底から地上を繋ぐ黄泉比良坂までの距離は、明確な距離など当然分からないが、数千里では足りないだろう。そこから追いついたと言う伊邪那美なら、神速の能力を持っていても可笑しくはない。

 しかし、それだと少々厄介ではある。神速はその名前からも分かるように、超速度での行動を可能とする。その本質は時間を歪めての行動なので、単なる高速行動とは訳が違うのだが、その速度は、心眼と呼ばれる技法の極意を修めていなければ神殺しの目でも見切ることは難しい。だが生憎、咲月はその技法を習得してはいない。心眼の極意である観自在の法を修めるには、才能も必要だが絶対的に経験が必要なのだ。才能はともかく、咲月にはこの経験が圧倒的に不足している。

 だが、対応できないわけではない。神速を発動している相手に攻撃を与えるには、最短最小の距離で攻撃を叩き込むか、同じ領域の速度で攻撃すればいいのだ。幸い咲月は、前者はともかく後者の攻撃方法を既に持っている。

 魔槍の権能、ゲイボルグ。一撃で殺す、猛毒を注ぎ込むなどの凶悪な殺傷性にその目を奪われがちだが、ゲイボルグの真価は必ず相手を穿つと言うその必中性にこそあると言って良い。さらに伝承の中には雷鳴の如き速度で敵を穿つと言う物もあり、実際咲月はアテナとの戦いの際にその必中と雷速の能力を発動させている。確実とは言えないが、これなら伊邪那美の神速にも対応可能だろう。

 問題はその能力を自分に使用できない事か。あくまで簒奪した槍の能力であるため、咲月は自分の体に雷速を付与出来ない。精々が反応速度を少々上げる程度だ。その為、雷速を発動するには必然的に槍を投げることになり、その間は主武装が手を離れることになる。武装はほかにも色々と持っているが、当然魔槍に比べればランクを比べる事すらおこがましい物であり、そんな物ではただの死者はともかくとして、神使を相手取るのは面倒だ。少し暴れた程度で無くなるような体力ではないが、雑魚相手にあまり使いたくはない。

 だが、行動を起こさなければ伊邪那美に攻撃は当たらない。それは無駄に体力や呪力を消費することになり、咲月はそういった無駄なことが何よりも嫌いだ。

 ならばどうするか? 考えるまでもない。

 

「雷鳴を纏い、猛毒を孕め。そして我が敵を穿て!」

 

 呪力を魔槍に叩き込み、さらにそれを燃え狂わせる。聖句を以て発動するのは一ヵ月前と同じ、雷速と必中、そして猛毒だ。冥府の神格であり、腐毒の権能を持つ伊邪那美に効果があるかは不明だが、物理的なダメージを与えることは可能だろう。

 槍が禍々しい呪力を纏う。さらに放っていた電撃は勢いを増し、放電現象も強くなる。最早それは電撃ではなく、稲妻と称して過言ではない規模になっている。

 伊邪那美が笑みをそのままに、僅かに目を眇める。それを見て、咲月は稲妻と炎、そして猛毒を纏った魔槍を握り直す。そして一度振り、雷撃を周囲に奔らせて死者達を薙ぎ払い、空白地帯を作り、投擲体勢に入る。死者達が空白を埋め、咲月を攻撃しようと迫るが、それをマーナガルムが妨害し、近づけさせない。

 槍に滾る呪力に流石に危険性を感じたか、伊邪那美が動く。だがそれよりも早く咲月が槍を投げようとした時だった。

 

「私を……見縊るでないわ、小娘どもがあぁあああっ!!」

 

 絶叫。そう呼んでも差支えない咆哮が響き、咲月も伊邪那美も、その発生源に意識を強制的に向かされる。咆哮の発生源は伊邪那美に呪力の大半を奪われ、さらに咲月に従僕を喰われた東欧の老魔王だ。古き時代の神殺しは重傷を負っていながら、しっかりと二本の足で立っており、今にもぶつからんとした女神と姫王を睨み付けている。

 

「ぬぅ……おおおぉおおおおおおおおおおっ!!」

 

 叫びとともに、侯爵の体から呪力が吹き上がる。それに咲月も、伊邪那美も驚愕の表情を浮かべた。

侯爵が伊邪那美によって失った呪力は膨大だ。それこそ、彼の持つ呪力総量の半分以上にも及ぶ。さらに権能の使用による消費や、奪われた騎士たちを縛っていた呪力も考えれば実に6、7割にも及ぶだろう。だが今侯爵が吹き上げている呪力は、奪われた呪力に匹敵、或いは凌駕するほどの量だ。

 吹き上がる呪力とともに、侯爵の体が変じていく。徐々に大きくなり、さらに毛深くなっていくその光景は、咲月が来る前に伊邪那美を振り払うために行った狼体への転身だ。その影響か、声の質が変わっていく。肉声ではなく、ぶれるような音声だ。

 

『オオオオオオォオオオオオオオオオ――――ッ!!』

 

 長い咆哮を終え、侯爵の体が完全に狼へと化身する。しかしその大きさは並大抵のものではない。彼が召喚していた狼も馬並みの大きさはあったが、それを軽く上回る。咲月のマーナガルムも最大で約15mの巨躯を誇るが、侯爵の大きさはそれの倍はあろうか。

 天をも突く巨大な銀狼。その姿になったヴォバンが己の敵を見下ろし、そして――突撃する。

 狙いは、小娘こと咲月。

 

「っ!?」

 

 自分めがけて突進してくる巨体に、思わず咲月は息を呑む。その速度は巨体に見合わずかなり早い。迫るその圧力に、一瞬ヴォバンの大きさが数倍に膨れ上がった気さえした。

 さらに侯爵は突進しながら、器用にも聖獣たる狼を無数に召喚し始める。それはどんどんと増えていき、あっと言う間に30を超える狼が戦場に召喚された。

 

『ぬぅん!!』

「ちぃっ!!」

 

 猛スピードで咲月に接近した侯爵が、その剛腕を叩き付けんと振りかぶる。

 投擲体勢を解き、咲月は呪力を爆発させて回避行動に移る。迫るのは侯爵の手で、その大きさも、手にある爪も、勢いすらも恐ろしい。

 身に襲い掛かる攻撃に、すっと血の気が一瞬引く。しかしそれを回避した瞬間、言いようのない快感を覚え、雨で冷えた体を一瞬で火照らせるほどの熱が腹部の奥の辺りから生じる。体全体に染み渡るそれは酷く心地よく、得体の知れないほどに甘美だ。それを感じ、無意識に咲月は笑みを浮かべる。

 気持ちいいと、そう感じる。きっとこの感覚は、他の何をしても、何を聞いても、どんなに美味な料理を食べても、感じることなどできないだろう。

 あぁ、だからこそ、この感覚があるからこそ――――。

 

「……く、ふ」

 

 戦いは。殺し合いは、止められない。

 

「は……は、はは……」

 

 口から小さく笑いが漏れる。その口の形は、ほんの僅かだが、確実に笑みの形に歪んでいた。その歪みは次第に大きくなり、弧を描いていく。

 咲月は怒りから伊邪那美を追い、この場に来た。それは確かだ。

 自分を襲い、体を食い千切り呪力を奪い、そして逃げた伊邪那美にこれ以上ない怒りを抱き、殲滅するために追ってきた。

 だが追っている途中で、神託で神格を読み解いていると、別の感情も芽生えた。

 咲月は神殺しである。この世に現存する八人の魔王の内、七番目の王である魔槍の姫王。神を殺し、その聖なる権能を簒奪した、人の埒外にある存在の一角だ。その本質は紛れもない戦士のそれであり、戦士とは強敵との戦いを望む存在だ。普段の彼女は抑えているが、闘争を望む心はその内に確実に存在する。それが伊邪那美との接触で沸き上がったのだ。

 それは追う中で僅かずつではあるが大きくなり、伊邪那美との対峙とヴォバンの従僕を喰らう事でさらに強くなり、そして今の攻防とヴォバンの復活、咆哮を聞き――完全に、理性を歓喜で塗りつぶした。

 

「ふふ、っふ……ははは、はははははっ――――!!」

 

 哄笑しながら、咲月は手に握る槍を振るう。

 最早、咲月は戦場の空気に酔い、高揚に身を焦がしている。熱を孕んだ吐息と、赤みが差した頬、熱に浮かされた様な、狂気を孕んだ潤んだ瞳からもそれは明らかだ。そして彼女の高揚に呼応してか、槍が纏う炎と雷もその勢いと規模を増していく。

 槍を振るうたび、咲月の周囲に炎と雷が吹き荒れ、彼女に襲い掛かろうとする黄泉の軍勢が薙ぎ払われる。さらにマーナガルムも猛っているのか、主が討ち漏らした、彼女に襲い掛かろうとする死者達に逆に襲い掛かり一口で喰らい殺す。ヴォバン侯爵の死せる従僕もそうだったが、死者など咲月とマーナガルムにとっては餌も同然なのだ。今のこの状況は、この神獣からしてみれば餌が自分から喰われに来ているだけに過ぎない。

 死者を喰らい、喰らったそれを咲月に送り、彼女が呪力に変換する。失ったそばから呪力を回復し、回復したそれをさらに槍に込めて攻撃の威力を増幅する。

 咲月にとって、この戦いは普段の彼女の全力以上の力を出せる環境だった。何せ呪力を消費したそばから回復し、回復した呪力で攻撃し消費する。それを延々と繰り返すのだ。回復するための餌は、文字通り腐るほど存在しているのだ。呪力の枯渇を心配する必要など、皆無に等しいだろう。

 今この時、この場所だけと言う非常に限定的な物ではあるが、咲月は一切の消費を考慮せず無限に戦えるのだ。

 

「ははっ、あははははっ、ふふっ、あっははっははははは――っ!」

 

 声高らかに笑いながら、咲月は槍を振るい、死者達を穿ち、時にマーナガルムの背を足場にして、ぶつかり合う死者の軍勢と狼の群れに自ら飛び込み、死者の頭を蹴り潰し、狼の胴体を切り裂きながら、縦横無尽に乱舞する。囲まれたところで、魔槍を枝の様に炸裂させて纏めて穿ち、その身を全て塵へと還す。

 

「良いわ! 良い! すっごく楽しい! 楽しすぎてどうにかなってしまいそう! こんなに楽しいなら、それこそ永遠に戦い続けていても良いわ――ッ!」

 

 さらに興奮が極まったか、地面や空間に文字を刻み付けルーン魔術すら披露し始める。それによって炎と雷のみならず、文字が一文字刻まれるたびに風が、氷が、岩が、光が、目に見えぬ刃や茨の蔓、鋭い棘となって戦場に所構わず乱れ咲く。

 無数に発生するそれらからは周辺の事など何一つ考えておらず、ただ己に襲い掛かる敵を倒すと言う考えだけが読み取れる。

 

「楽しませて! もっともっと、もっともっともっともっともっと、私を楽しませて頂戴! この渇きを、飢えを! この戦いで、その血肉で癒させて――ッ!!」

 

 一ヶ月前のアテナとの戦い。その時以上に、咲月は戦場の空気に、舞い散る血に酔っている。権能の影響で翡翠に染まった双眸の瞳孔は肉食獣の様に縦に細く割れ、薄亜麻色の長髪は吹き荒ぶ風に関係なくざわざわと波打っている。

 浮かべる笑顔は可憐であり、薄らと紅潮した肌の色も相まって奇妙な色気すら感じさせる。

 そんな状態で居ながら、今の彼女は牙を剥き出しにした獣の様で、その様は戦闘狂と言う枠組みには最早当て嵌まらないだろう。完全に狂戦士のそれと言って良いかもしれない。

 彼女が着ていた服は伊邪那美の権能と戦闘の影響で下着以外ほぼ完全に崩れており、かろうじてそれが衣服であったと判別できる程度の布しか残っていない。その豊満な胸も、滑らかな曲線を描く肩も、くびれた腰も、ほぼ剥き出しの状態だ。

 しかし、己の身がほぼ全裸の状態であるにも拘わらず、咲月は笑いながら炎や雷、氷を纏って、魔槍をその手に戦場で踊り狂う。戦舞に酔いしれる。

 戦いに喜び、戦いに狂う。恐怖など無いかのように戦場を舞い、敵を滅ぼすその様は、まさしく修羅の具現だ。

 

「ふははっ、良いぞ! 実に良い! それでこそ我ら神の宿敵たる羅刹どもよ! なれば貴様こそ、吾の心を、体を昂らせよ――っ!!」

『小娘が生意気をほざきおるわ! 貴様らこそ私の渇きを潤して見せよ! 数十年にも及ぶ我が無聊を、この一時だけでも慰めて見せるがいい――ッ!!』

 

 そんな咲月を見て、伊邪那美は壮絶な笑みを浮かべ、ヴォバンは巨狼の体で、怒気を孕ませ咲月以上に高らかに咆哮する。そして己の敵を全て滅ぼさんと、その力を――神々の権能を奮う。

 

「来やれ、吾が身に集いし稲妻よ! 黄泉の穢れより生まれし蛇よ! 母たるこの身が我が名を以て汝に命ず!」

 

 呪力を燃え猛らせ、伊邪那美が声高らかに言霊を紡ぐ。その意は己に関係する神格を、一時の間従属神として現世に招来するものだ。

 空間が鳴動し、空を覆う黒雲の中で稲光が奔り始める。同時にゴロゴロと言う不吉な音が響きはじめ、落雷の危険性を仄めかし、そして――。

 

「降り下り来やれ八雷神! 黄泉より来やりて吾が力となり、神殺しどもを滅ぼせ!!」

 

 轟音を轟かせ、女神の周囲に八つの巨大な稲妻が降り注いだ。それらは全て地面に当たった瞬間、轟音を響かせその姿を変えた。

 丸太を三本も連ねた様な太さの黒い蛇体は艶やかな鱗で覆われ、雷光を反射し不気味な美しさを夜の闇に浮かび上がらせる。その巨体は、どこか神話に語られる八岐大蛇を彷彿とさせる。

 煌々と輝く目は伊邪那美と同じく黄金で、生物の体でありながら、どこか鏡のような無機質さも併せ持ち、言いようのない不気味さを見る者に与える。

 女神が従属神として呼び寄せたのは、黄泉の国で彼女の体に集まっていた八柱の雷神――火雷大神、或いは八雷神と称される、八柱の蛇神だった。それぞれ大雷神、火雷神、黒雷神、咲雷神、若雷神、土雷神、鳴雷神、伏雷神の名を持ち、その全てが雷によって引き起こされる現象を司っている。

 従属神として顕現した八雷神を周囲に侍らせ、それぞれの蛇身から発せられる稲妻をその身に纏い、伊邪那美が動いた。

 

「黒雷よ、雷雲を呼べ! その力でもって全てを闇に包め!」

 

 伊邪那美が言った瞬間、女神を囲む蛇の一体――黒雷神が動き、咆哮し、その巨大な蛇体から禍々しい呪力を吹き上げる。するとヴォバンの嵐による暗闇が、さらに濃く深い闇に沈む。

 

「これは……!?」

 

 深みを増した暗闇に、エリカが狼狽の声を上げる。おそらく今の彼女には、周辺の地形や景色すら見えていないだろう。

 黒雷神が司るのは雷雲による暗闇だ。その力で、戦場となっているこの空間全体を包み込んだのだ。

 

「伏雷よ、闇の中を奔れ! その雷で神殺しどもを穿て!」

 

 さらに続く言葉に、蛇の一体が動く。

 伏雷神。その司るものは稲光、雷雲の中を荒れ狂う大規模の電撃だ。極大の雷撃を発生させる大雷と似通っているが、この神の雷は大雷の雷と違い――暗闇の中限定ではあるが、縦横無尽に奔る。

 

「っ、づ、ぁっ……!?」

『ぬ、っぐ……!』

 

 上に、下に、右に、左に。正しく縦横無尽に、幾条もの青白い稲妻が暗闇の中を駆け巡り、乱れ舞う。それは正しく雷撃乱舞。一つとして同じ軌道で奔る稲妻はなく、それを回避する事は非常に困難だ。

 闇の中を駆け巡る雷撃を回避しきれず、咲月もヴォバンも呻き声を上げる。威力こそ大雷のそれよりも下がるだろうが、それでも雷だ。並の人間より遥かに強靭な神殺しの肉体でも、まともに喰らえばただでは済まないだろう。

 特に咲月は、狼の毛皮を纏うヴォバンと違ってその素肌を晒しているのだ。替えの服を取り寄せる余裕など戦闘中には当然なく、この場に居るカンピオーネの中で、その防御力は実質最低と言って過言ではないだろう。下手をすれば、エリカやリリアナと言った大騎士にすら劣るかもしれない。

 

「ぐっ、つぁ……はは……ふふふふふ……っ!」

 

しかし、咲月は笑う。まるでその事実すらも楽しいと言うかのように、その口から呻き声と共に笑いを漏らす。

 確かに、咲月の防御力はこの場でおそらく最弱だ。一撃でも当たれば落ちる、紙防御のようなものだろう。肉体強度は人間を超越しているが、現存する八人の魔王の中では事実上最低と言って良い。それは彼女の肌に残る、電撃による火傷の痕でも明らかだ。

 身を覆っている物は既にブラやショーツと言った下着と、辛うじてスカートの形を保っているぼろぼろの布きれだけ。それらにルーンは刻まれておらず、そう遠くないうちに崩れるだろう。防御と耐久力は、神殺しとしての肉体頼りだ。

 しかも彼女は、護堂の様な蘇生系の権能を持っていない。雷撃が心臓を穿てば、或いは頭を撃ち抜けば、その瞬間に絶命が確定するだろう。

 だがこの場においてのみ、その絶命の可能性は著しく低くなる。何故ならば――。

 

「喰い尽くしなさいマーナガルム! そしてその力を、全て私に回しなさい!!」

 

 咲月の咆哮に応じ、神獣たる巨狼がさらに猛り、伊邪那美の死者の軍勢を襲い、喰らう。他を蹂躙し暴れるその様は、正しく北欧神話に語られる神喰らいの魔狼――フェンリルの子に相応しい。そして喰らったそれらを咲月に流し、彼女の体と呪力を回復させる。

 死者が居る限り、魂が現世に残る限り、咲月はマーナガルムにそれらを喰わせ、自分を回復できるのだ。その回復力によって、受けたダメージが即座に癒える。

 

「っちぃ! 厄介よな、その狼は! 吾が軍勢を餌とするか!」

 

 死者を喰らい、咲月を回復させるマーナガルムを見て伊邪那美が忌々しげに舌打ちする。

 咲月を回復させないなら、伊邪那美は黄泉の軍勢を還すべきだ。そうすれば咲月は回復手段を失い、一気に不利になるのだから。

 しかし、そうできない理由がある。

 

『我が猟犬どもよ! 疾く蹂躙し喰らい尽くせ! 格の違いと言うものを小娘どもに教授してやるのだ!』

 

 ヴォバンだ。彼が狼の聖獣を大量に召喚し、伊邪那美や咲月、そして死者の軍勢に嗾け続けているのだ。流石に従僕達は先程咲月に喰われ、回復に使われてしまったことで召喚してはいないようだが、狼だけでもかなりの規模だ。さらにヴォバン自身も狼の巨体で伊邪那美や咲月に対して攻撃を行っており、死者の軍勢を黄泉へと戻せば伊邪那美は数的に不利になる。

 勿論、格として劣る聖獣などに後れを取る伊邪那美や八雷神などではないが、相手は神々を殺し、その権能を簒奪せしめた神殺し。油断出来る物では到底なく、特に深手を負ったヴォバンに至っては何をしでかすか分かったものではない。

 

「轟き渡れ鳴雷! 神殺しどもの足を止めよ!」

 

 ならば足を止め、大威力の攻撃で滅するのみ。そう考え、伊邪那美は鳴雷に命令を送る。

 鳴雷神。その身が司るのは名の通り鳴り響く雷鳴であり、それに付随する衝撃波も含まれる。

 

 ――――ッ!!

 

 鳴雷が咆哮する。その咆哮はとても蛇が出すようなものではなく、むしろ落雷のそれと言った方がしっくり来る様な轟音だった。

 轟音が響き、そして強烈な衝撃が鳴雷から発せられる。その衝撃は発せられたその瞬間から、地面や雨すらも吹き飛ばした。吹き飛ばされた土が、水が、弾丸の如き勢いでもって咲月とヴォバンに襲い掛かる。

 それを認識し、咲月は槍を振るい、瞬時に地面にルーンを刻み込む。刻まれたルーンは凍結を意味するイスと防御を意味するユルの二文字だ。

 二つのルーン文字が作用しあい、厚さ50㎝はあろう分厚い氷の盾が咲月の前に作られる。それは水と土の弾丸から、咲月を完全に守り切ったが――。

 

「足を、止めたな?」

「っ!?」

 

 防御によって、咲月は完全にその足を止めてしまった。その隙を、伊邪那美が逃す筈もない。

 

「咲雷よ、走り切り裂け!」

 

 足を止めてしまった咲月に狙いを定め、咲雷が高速で襲い掛かる。

 咲雷神が司るのは落雷によって引き裂かれた物質であり、この雷神が持ち得る能力は――斬撃だ。

 襲い来る咲雷に、咲月の直感が警鐘をガンガンと鳴らす。

 このまま盾の裏に居てはならない。刹那にそう判断した咲月は防御を捨てて回避を選んだ。地面に飛び込むように、その場所から離れる。

 果たして、その選択は正しかった。

 咲月が回避したその瞬間、咲雷が彼女の居た場所を猛スピードで通り抜ける。視線を向ければ氷の盾は、その役割をまったく果たせず、上半分が切り飛ばされていた。その切り口は非常に滑らかで、もし回避行動をとっていなければ、咲月の体は上半身と下半身が泣き別れになっていただろう。それほどに鋭い斬撃だ。

 斬撃しか攻撃手段がない咲雷だが、その一つしかない分、物理的な攻撃力と危険性は八雷神の中でも上位に入る。雷速で襲い掛かる蛇体の持つその切れ味は、世界でもトップクラスの刃物と言われる日本刀のそれを軽く凌駕する。

 

「避けたか。じゃが次は……むっ!?」

『私を無視してもらっては困るな、女神よ!』

「ちっ、外国(とつくに)の神殺しか!」

 

 転がり、腕の力で地面から飛び起きた咲月に対し、咲雷の追撃を放とうとした伊邪那美だが、接近していたヴォバンに気付き追撃を諦める。咲月には効果を成した鳴雷の衝撃波による弾丸だが、分厚い毛皮を持つヴォバンには効果を成さなかったらしい。彼の体には小さな傷はあるが、それだけだ。

 伊邪那美に向け、ヴォバンがその剛腕を振るう。狼の体でのその攻撃は洗練されたものではないが、その手にある鋭い爪は触れた物の全てを容易く引き裂くだろう。

 その危険性を伊邪那美も認識したか、八雷神を集わせながらバックステップで後方に下がり、距離を取ろうとする。

 

『甘いわぁ!!』

「ぐうっ!?」

 

 しかし行動に移すのが少々遅かったか、回避しきれずにヴォバンの爪を受けてしまい、後方に吹き飛ばされる。ヴォバンも完全に仕留められなかったと理解しているのか、狼の体で器用に舌打ちをする。

 

『ぐぅ……っ!』

 

 伊邪那美もただで吹き飛ばされてはいない。攻撃が当たる直前に、ヴォバンに向けて咲雷と鳴雷を嗾け、斬撃と衝撃波を見舞っていたのだ。その証拠に、ヴォバンの狼体には一筋の斬痕が刻まれている。深い毛皮に阻まれたためか致命傷とは言い難いが、浅い傷とも言えない傷痕だ。その切り傷から、血が溢れ出る。

 吹き飛ばされながら、伊邪那美は体勢を立て直す。そしてヴォバンと咲月を睨み付けながら、自分の腕をちらりと見る。その腕にはヴォバンの攻撃を受けたと言う証か、引き裂かれたような痛々しい傷痕がある。今にも千切れ落ちそうだ。

 

「若雷よ、吾が身を癒せ」

 

 伊邪那美の言葉を受け、若雷がその蛇体から呪力を吹き上げる。すると伊邪那美の腕の傷が見る見るうちに癒えていき、数秒も経たないうちにその傷は完全に消え失せた。

 若雷神。この雷神が表すのは雷雨の後の潤った大地であり、豊穣をもたらす恵みの大地だ。雷神でありながら雷に関する能力を持ちえないこの神は、攻撃手段を持たない代わりに非常に強力な治癒・蘇生能力を持っており、八雷神の中で最も強く蛇の持つ不死性を表している神だと言えよう。

 完全に治癒したことを確認し、伊邪那美が視線を神殺し達に戻す。咲月も、そしてヴォバンも、非常に好戦的な笑みを浮かべ、呪力を昂らせて互いの敵である存在を睨み付けている。

 数秒、数十秒、或いは数分か。少々の膠着を経て、二人と一柱は自分以外を討滅すべく、滾る呪力を燃え猛らせて相手に攻撃を仕掛けた。

 夜は長く、まだ戦いは始まったばかりである。

 




次回、銀髪騎士さん登場。(予定)

追記

咲月のスリーサイズを望む内容の感想などが少々見受けられますが、皆さん知りたいのでしょうか?
一応、設定してはいますけども。

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