魔槍の姫   作:旅のマテリア売り

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6話 賢者の動きと、前哨戦

 イギリス、首都ロンドン。

 行政区画や住宅区画等、様々な区画に細かく別たれたこの地の内、グリニッジと呼ばれる場所に英国魔術界の中心とも言える『賢人議会』本部は存在する。

 その区画のうち、住宅区画に在る高級住宅街。その中に在る一軒の屋敷。其処に、一人の女性が居た。

 波打つ長いプラチナに輝く髪の、浮世離れした雰囲気を持つ二十代半ばの美女だ。

 女性の名はアリス。アリス・ルイーズ・オブ・ナヴァ―ル。ゴドディン公爵家令嬢にして、『賢人議会』元議長であり現特別顧問、そして『天』の位を極めた魔女である、プリンセスとも呼ばれている女性だ。

 広い部屋の中、寝心地の良さそうな豪奢なベッドに横になり、上半身だけを起こしている彼女の手には、紙の束が存在している。あまり厚くはない、ほんの数枚程度の報告書だ。

 しかし彼女は、それを熱心に呼んでいる。

 

「……これは本当の事なの、ミス・エリクソン?」

 

 報告書を読み終え、アリスは側に立つ秘書であり、部下でもある女性に問いかけた。眼鏡をかけた、厳格な家庭教師をイメージさせる女性だ。

 名はパトリシア・エリクソン。厳格そうなイメージの通りに、実際に厳格な性格をしたアリスの部下である。

 

「正確に言えば、不明です。ですが、実際に出会ったと手記には書かれていました。その報告書にある通りでしたら、ゆゆしき事態かと」

「七人目のカンピオーネである日本の王、草薙護堂様。彼は、本当は七人目ではなく、八人目の魔王だった……」

 

 アリスの問いにそう答え、彼女もレポートを読む。そこに書かれているのは、とある老魔術師の記録、その抜粋についてだ。

 今より約3週間程前の事、欧州のとある場所で一人の老人が惨殺されると言う事件があった。この老人は『賢人議会』とも交友のあった魔術師であり、その死の理由を警察内部の魔術師が調べていた所、彼の手記らしき物を発見したのだ。ズタズタに切り裂かれ、さらに血で汚れていたそれを読む事は非常に難しかったが、書かれていた内容を復元し読んでみた所、それには彼女達魔術師にとって、驚愕の情報が記されていた。

 ――七人目の魔王とされている草薙護堂。しかし彼は実際には八人目であり、七人目の王は彼以前、現在より四年前に既に生まれていたという情報。

 七人目は女性であり、アジア系――東洋人だろうと言う事。そして老魔術師と出会った時点で既に、三つの権能を簒奪していたと言う事。手記が確かなら、どうも七人目の王は『鋼』の英雄神を倒して魔王となったらしい。

 記されていた情報から、三つの権能の内二つは推察できる。手記にも書かれている様に『魔槍』と『神託』だろう。その魔槍も、どのような神から簒奪したのかある程度は想像が付く。西の島と言う事から、おそらくケルト系だろう。ギリシアで簒奪したと言う神託も予想は付けられる。だが、最後の一つは分からない。

 賢人議会は、世界中に点在する王の情報を集めている。それは他の魔術結社でも同じだが、何時、何処で、誰が、どんな神格を倒し、どのような権能を簒奪したかなど多岐に渡り、その情報量は他の追随を許さない。

 流石に全ての情報を持っている訳ではないが、それでも多くの情報を持っている賢人議会が知り得なかった魔王の情報。おそらく他の結社は知らないだろう貴重な情報だ。

 もしかしたら、犬猿の仲である『王立工廠』の長である魔王は既に入手しているかもしれないが、それでも貴重な情報である事に変わりはない。

 

「私達の知らない、本当の七人目……誰なのか、早急に調べる必要があるわね。幸い、手がかりになる情報はあるのだし」

「……姫様、まさかとは思いますが、もしやまた、御自らその魔王を調べに出ようと言うのではありませんよね?」

 

 神妙なアリスの言葉に、エリクソンはやや冷たい声でそう問いかける。するとアリスはギクリと、僅かに体を強張らせた。どうもこのお嬢様は、自分で調べに出ようとしていたらしい。

 深窓の令嬢と言うような外見に似合わず、意外と活動的であるようだ。

 

「やはりそうですか! なりませんよ、あなたはこの世界で最も聖なる者と呼んで差し支えない御方! 唯でさえ忌々しい『あの男』としばしば接触していると言うのに、これ以上魔王共と関わる等、軽率にも程があります! あなたに何かあったらどうすると言うのです!」

「でもね、ミス・エリクソン。ただ報告を待っているだけでは分からない事も多く有ると思うの。だとしたら、自分の足で調べた方がいいと思わない?」

「なりません! たとえ姫様御自ら調べるとしても、東洋人と言う情報だけでどうやって見つけると言うのです! それは広大な砂漠の中で、一粒の小さな宝石を見つけようとするような物です!」

 

 アリスの言葉に噛みつくエリクソン。だが彼女の言っている事は正しい。

 東洋人と言うだけで、世界には何億人も居るのだ。魔王と言っても外見などは完全に人間のそれである。数億人の中で一人を見つけると言うのは、困難を通りこしてほぼ不可能だと言っても過言ではないだろう。

 一応見つける為の手段もない訳ではないが、効率的に問題があったり、探すべき存在がどんな神を殺しているか調べる必要がある。

 七人目がどんな神を弑したのか予想はつけられるが、確定した情報ではないのであまり意味はないだろう。

 アリスは、それでも何とか自分が出ようと思いエリクソンに言葉をかけるが、彼女は「ダメだ」の一点張りで引こうとしない。それは純粋に、アリスの身を案じての事だ。

 アリスの体は元々余り強くはない。寧ろ虚弱体質だ。その体は今より数年前に、とある理由からさらに弱くなっているのだ。そんな体で外を出歩くなど、とんでもない。

 アリスは幽体分離と言う術を得意としているので、それを使って外に出ると言う手段も有るが、それでもエリクソンは許可しない。肉体的に問題なくとも、逆に精神にダメージを受けやすくなるからだ。

 その後も色々と言い合い、結果、まずは賢人議会の組織員に調べて貰うと言う事になり、アリスが出るのは却下された。

 

 ●

 

 太陽が中天に上った蒼天の下、三人の男女が向かい合う。

 一人は黒髪黒眼の少年。世界に名だたる魔王カンピオーネの一人にして、最も若い神殺しである草薙護堂。

 一人は赤味がかった金の髪を長く伸ばし、大輪の薔薇の様な見る者全ての目を集める気品と優雅さ、そして美貌を持つ少女。イタリアの魔術結社『赤銅黒十字』の大騎士の位に在る魔術師にして、獅子の名を冠する魔剣を持つ騎士エリカ・ブランデッリ。

 そして最後の一人……いや、一柱と言うべきか。銀の髪と夜色の目を持ち、エリカに勝るとも劣らぬ美貌を持った、彼女よりも歳下に見える少女。しかしその存在感は彼女以上に有り、それどころかエリカにはない神々しさと畏怖を見る者に与える、隠しきれない程の絶対感を放つ存在。草薙護堂を含めた神殺したちの仇敵たる神の一柱、『まつろわぬアテナ』。

 二人と一柱は向かい合い、それぞれを見ている。

 

「アンタがアテナか……」

「然り。妾はアテナの名を所有する神である。神殺しよ、こうして再会でき、妾は喜ばしく思う」

「俺にとっては喜ばしくなんてないぞ。あんた達神は、いきなり現れては騒動を巻き起こすからな。平穏無事に暮らしたいこっちにとっちゃ、迷惑極まりない」

「闘争の申し子たる愚者と魔女の子らしからぬ発言だ。もう一人も同じ様な事を言っていたが、どうやらあなたは良識のある珍しい神殺しらしい」

 

 眼前に現れたアテナを見て護堂とエリカは警戒するように身構え、対するアテナは無表情で、神殺したる草薙護堂のみをその視界に収めて会話を交わす。彼の側に居るエリカには、アテナは僅かな視線も向けていない。

 エリカは魔術師たちの中でも上位に在るが、所詮は人間。神たる身の彼女にとっては、路端の石か雑草、或いは足元の蟻と同じ、取るに足りない存在なのだろう。

 しかしエリカは、アテナの発言に疑問を持った。

 

「もう一人……? 他にカンピオーネと会ったって事かしら?」

 

 アテナと護堂から少しずつ距離を取っていたエリカが、小さく疑問を口に出す。

 現在世界に存在している神殺しは、エリカの知る限りこの場に居る草薙護堂を含めて七人のみ。護堂に神具を渡したイタリアにも「剣の王」と呼ばれる魔王サルバトーレ・ドニが居るが、彼は南方の島で療養と言う名のバカンスの筈だ。出会う可能性はないとは言わないが、可能性は低いと思う。

 イタリアと日本の他に王が居るのはアメリカと中国、エジプト、バルカン、イギリスだが、アメリカの王は「蝿の王」と言う名の邪術師集団と戦っていて国内から出ていないだろうし、中国の王は自分の気が向くか、目的がなければ戦う事はないと言う噂だ。エジプトの王に至っては百年に渡る隠棲の真最中で、会う可能性はとても低いだろう。

 であれば、会う可能性があるのはフットワークの軽い王。バルカンの魔王ヴォバン侯爵だが、闘争を心の底から楽しむヴォバンなら、何を以てしても出会った神を倒すだろう。

 もう一人、イギリスの黒王子アレクもフットワークは軽いが、逆に軽過ぎて、神具を求めて東へと真直ぐに向かって来たアテナと会う可能性は低いだろう。彼の王はコーンウォールに拠点を置いているが、文字通り世界中を回っており、ある意味ではヴォバン以上にフットワークが軽いのだから。

 なら、アテナの言ったもう一人とは誰の事だ? 他の六人の誰かと戦い、打ち下して日本に来た可能性も考えたが、そうなればすぐにその情報が飛び交う筈だ。しかしそんな情報は噂でさえも聞いた覚えがない。

 そこまで考え、最も低いだろう可能性へと行きついた。もしや自分の知らない「八人目」の魔王が生まれており、目の前の女神と会っているのか? だとしたら、その王はどうなったのだろうか。死んだのか、それとも逃げて生きているのか。

 もしかしたら、アテナが眠りに着く以前に存在した神殺しの事かも知れないが、気になったエリカは、やや距離を取ってからアテナに問いかけた。

 

「女神アテナ、草薙護堂の騎士エリカ・ブランデッリが、不敬を承知で御身にお伺いしたく存じます。御身が仰いました「もう一人」と言うのは、もしや八人目の神殺しでは……?」

「名を聞こうか、『蛇』を奪いし神殺し。これより『蛇』を賭けて戦う我等なれば、名を知らずに戦う訳にもいくまい」

 

 エリカが謙った態度でアテナに問う。それを聞いて護堂は驚いた様子を見せたが、それも仕方ないだろう。神殺しとなるには、神を殺さねばならないのだ。どんな試練よりも困難極まるそれは、偶然や運だけでは決して為し得ない。

 エリカの言葉を聞いた護堂もアテナを見るが、しかし彼女は、エリカの言葉等耳に届いていないかのように護堂に語りかける。その態度に、護堂は失礼な奴だと思った。

 

「さっきエリカが言ったけど、俺は草薙護堂。それより、あんまり人を無視するな。エリカも名乗ってるのに、失礼だぞ」

「草薙護堂……異邦の男らしき、耳慣れぬ名だ。が、覚えておこう」

 

 アテナの態度に対して文句を言うが、彼女は変わらずエリカの事など気にかけていない。神殺したる護堂の名はともかく、彼女の名を覚える気は無い様だ。

 失礼な神だ。心が反発する。

 

「改めて名乗ろう。妾はアテナ、知恵と闘争を担う女神なり。そして、重ねて問おう、草薙護堂。魔術師どもに請われ、あなたが古き帝都より持ち去った古の『蛇』。あなたは所持していないようだが、ゴルゴネイオンは何処に在る?」

「あんたな、渡したら危険なものだって分かってるのに、そう簡単に教えると思うのか?」

 

 アテナの問いに、護堂は呆れた様に問い返す。

 唯でさえ強大なアテナをさらに強くする神具だ。教える訳にはいかない。

 

「思わぬよ。が、まずは問うておこうと思ったのだよ。あの女は危険だったが、あなたはどちらかと言えば厄介そうなのでな」

「あの女? もしかしてそいつが、エリカが言った八人目なのか?」

「八人目……それはあなたではないのか、草薙護堂」

「何?」

 

 護堂の言葉にそう返すアテナに、護堂は問い返す。

 そんな護堂の様子に興味を抱いた風でも無く、アテナは無表情で、淡々と口にした。

 

「あなたが八人目ではないのかと言った。見た所、あなたが簒奪した権能は少なく、あまり戦い慣れもしていないようだ。だがあの女は、あなたよりも多くの権能を簒奪し、戦い慣れてもいる。となれば、あなたよりも先に魔王となったと見るが自然であろう」

「護堂よりも前に、七人目のカンピオーネが……?」

 

 アテナの言葉に、エリカが驚きを多分に含んだ声で呟く。当然だろう。七人目と思っていた護堂が実は八人目で、本当の七人目は既に他に生まれていたと言うのだから。それは護堂も同じのようだ。

 だが、それだと不思議な事がある。本当に七人目が生まれていたのなら、何故その情報が流れなかったのか。

 情報が漏れない様に徹底した行動を取っていたのか、それとも気付かれない様に行動していたのか。

 

「だがまあ、あなたがあの女の事を知る必要はないだろう。許せ」

「え……なっ!?」

「我が求めるは古の『蛇』、ゴルゴネイオン。それを妾から遠ざけるのは、如何な者で在れ妾の敵だ。……暗き冥府の底にて、永遠の眠りに就くがいい」

 

 アテナの言葉に護堂は驚き、声を上げる。先程まで目の前に音も立てずに立っていたアテナが、いつの間にか護堂の眼前数cmの地点に居た。

 その事に驚き、硬直する。そんな護堂の様子に眉一つ動かさず、アテナは両手を上げ、護堂の首に回し、その唇を彼の唇に押し付けた。

 いきなりのアテナの行動に護堂は目を見開き、離そうとする。しかし直後、彼の体が強張った。アテナの唇の柔らかさの他に、体の中に吹きこまれる何かを感じ取ったからだ。

 

「思考に耽り、敵たる妾の存在を忘れる。戦人としては未熟に過ぎるな、草薙護堂。騙し討ちも不意討ちも、古の戦の作法の一つなれば」

「あ……く……これ、は……」

「ほう、妾の死の言霊を直接体内に吹きこまれ、まだ息があるか。流石は神殺しの魔王よな。呆れるほどの生命力よ」

 

 ぐしゃりと膝を地面に着き呼吸を荒げる護堂に、変わらず淡々とした様子でアテナは言葉を投げる。

 魔王たるカンピオーネは、自身に掛けられる魔術や呪術に対して、究極的なまでに高い抵抗力を持っている。それは意識してコントロール出来る物ではなく攻撃どころか、治療系の術すら弾く無差別性を持っている。術に対しては、絶対の防御を持っていると言っても良い。

 だが、そんなカンピオーネに術をかける方法が、一つだけある。それは体内に直接術を吹き込む事だ。外界からの術には絶対の耐性を持つと言って過言でない彼らだが、唯一体内に吹きこまれた物を無効化する事は出来ないのだ。

 アテナが護堂に吹きこんだのは、「死」そのものを込めた言霊だ。これが外からかけられた物なら、カンピオーネの特性もあって護堂には効かなかっただろう。

 しかし今回は直接体内に吹きこまれた。内側から蝕むその呪詛を防ぐ事は、如何にカンピオーネとは言え、出来はしない。

 このままでは死ぬ。薄れゆく意識でそう思った護堂は、争っているらしいアテナとエリカの声を小さく耳に聞きながら、自身の権能の一つを発動し、意識を失った。

 


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