怪異症候群 怪異が創り出した怪物 作:まっちゃんのポテトMサイズ
神代さんが僕の背から顔を離し、そっぽを向いて口を開いた。
「…ありがとうございました」
僕は頷き、コートを脱いで神代さんに差し出す。
神代さんは戸惑いながら受け取ってそれを羽織り、腕を胸の前でクロスさせてコートの両方の襟を寄せて顔を赤らめていた。
「…取り敢えず、貴女は体が冷えない様にしていてください。そのままだと風邪をひいてしまうので」
「わ、わかりました」
神代さんはそう言って小さくくしゃみをした。
僕は溜息を吐き、白虎の姿に身体を変え、神代さんを背に乗せる。
風が神代さんに当たらない様にゆっくりと走る。
小屋の横を抜け、道路に出ると、途轍もない嫌悪感が僕を襲った。
「神代さん、一旦降りてください」
「え?」
「速く」
僕がそう言うと神代さんは戸惑いながら僕の背中からゆっくりと降りた。
僕は直ぐに白虎の姿を解除し、負の感情で自身の身体を覆った。
身体が徐々に至極色に覆われていく。
微かに残った負の感情を地面に流し込み、それに意識を裂く。
すると、僕達の真正面に大きく広がった田んぼの隅に白く、くねくねと動く靄の様なモノがある事に気が付いた。
「…アレか」
その正体を知ろうと、更に負の感情をそちらに近づける。
その靄の様なモノの形がくっきりと見えそうになった瞬間、直感的に危険を感じ、負の感情を自分の元に全て戻した。
それをするのが遅かったのか、顔からは血の気が引き、額に嫌な汗が滲んでくる。
「大丈夫ですか?」
神代さんが背後から声をかけてくる。
僕は出来る限りの平常心を保ち、神代さんの方を振り返る。
「ええ。もう直ぐ怪異が来ますので、貴女は速くここから逃げた方が良いです」
「わかりました」
「この先にあるコンビニの所に行けば姫野さんが居ますので、一先ずはそこで待機してください」
その言葉を紡ぎ終えた瞬間、口から血が噴き出る。
瞬時に神代さんに背を向け、口に付いた血を白いシャツの裾で拭き取る。
振り返ると同時にそこが見えない様に背中に回して隠す。
「…さぁ速く」
僕がそう言うと神代さんは何も言わずに頷いてゆっくりと歩き出した。
ただの人間がアレを直視してしまえば無事では済まないだろう。
現に、僕の中の負の感情は暴走しかけている。
「もう行ったか。この状態であれば何時彼女達を傷付けても可笑しくは無い。これが最善策だ」
僕はそう呟いて道路に尻餅を着く。
溜息を吐いて負の感情を抑えつける事に意識を集中させる。
「貴方達を僕の外に出すわけにはいかない。せめて、僕と一緒に死んでもらうぞ…!」
口から血が大量に噴き出し、シャツに垂れ、その部分が赤く染まる。
それどころか、僕の視界さえも赤くなっていっている。
「まだ、まだだ。きっと彼女達は氷室さんに連絡を取る何らかの手段を手にしている筈。氷室さんが来るまでは、僕が持ちこたえるんだ…!!」
しかし、その努力も空しく散ってしまった。
僕の左肩を内側から負の感情が突き破る。
激痛が走り、一瞬負の感情を抑える事から意識を外してしまった。
刹那、僕の身体のありとあらゆるところから負の感情が突き破ってくる。
途轍もない激痛が身体中を巡り、僕の意識は徐々に薄れていった。
結局、何もかもが無駄だった。人を救えず、救われただけで何も返すことが出来なかった。
僕を救って死んでいった彼は僕を許すだろうか。
きっと許してくれやしないんだろう。
それで良い。恨まれても可笑しくは無いのだから。
『少年』
そう声をかけられ僕はゆっくりと瞼を開ける。
アスファルトで舗装された道路の上の少し離れたところで一人の黒装束の男の老人が中腰の姿勢で背中に手を後ろに組みながら立っていた。
『漸く目を覚ましたか。ほれ、速く立たんかい』
老人はこちらに近寄ってきて、手を差し伸べてきた。
僕は道路に倒れている事に気付き、その手を取って立ち上がる。
「…ありがとうございます」
『ええよ。当然の事をしたまでじゃ』
老人は何処からか取り出した杖を突いて溜息を吐く。
すると、僕に鋭い眼光を投げかけてきて口を開いた。
『少年。お前さんは一体何者だ。人に非ず怪異でも非ず。しかし内在的な者は怪異として育ちきって居る』
「僕はただの怪物です。怪異としても、人間としても成り損ないの怪物です」
僕は自分の右手の掌を見つめながら答える。
負の感情だけは立派に取り込んで、それでも人として生きている。
それの何処が怪異だ。
人の形でありながら、怪異として成る素質は十分にある。
それの何処が人間だ。
僕はその狭間にいる事しか出来ないし、何方の世界にも居場所など無い。
「…ただの孤独な怪物ですよ」
『そうか。…ならばここに至るのも納得だ』
老人は杖を突きながら僕の目の前まで歩いた。
そして手を伸ばしてこう言った。
『儂が少年の居場所を用意してやろう。さぁ、この手を取れ』
「居場所を…?無理だ。貴方などに出来る訳が無い」
『儂なら出来る。少年一人の居場所を作る事など容易な事だ』
その言葉には絶対的な自信が含まれており、それを聞いた途端、僕の思考は靄がかかったように鈍くなる。
僕はすっかり安心しきってその手を取った。
すると、老人は微笑みながら茶色の液体に姿を変え、僕の足元に広がる。
僕は慌てて後退りしようとするが、その液体から人の腕が伸びてきて僕の足を掴んで離さない。
足元に広がった液体は徐々に広がり、軈て何もかもを飲み込んだ。
視界に写るのは一帯に広がった茶色の液体。
足元からは無数の腕が伸びてきて、僕の身体にしがみ付いてくる。
「早く戻らないと」
僕はその腕を全て振りほどこうとするが、それらはしっかりとつかんで離さない。
負の感情で切り裂こうとした途端、白装束の男が僕の前に現れた。
「…誰ですか」
『覚えてないのか』
男は呆れたように息を吐き、僕の目を見つめてこう言った。
『俺は小さい頃にお前を救った者だ』
僕はハッと息をのみ、その男から視線を右に逸らした。
震える口を何とか開いて言葉を紡ぎ始める。
「そ、そうなんですか。お久しぶりですね」
『ああ、久しぶりだな。まさかこんな辺鄙な所で会うなんてな』
男は周囲を見回しながら怒気を孕んだ声でそう言った。
僕は歯を食いしばりながら、呼吸をするのも忘れて男の言葉を聞いていた。
『…役立たずが。折角俺が救ってやった命を無下にしやがって』
男がそう言った瞬間、僕の中の何かが崩れ去っていく音が聞こえてくるのが分かった。
僕の身体を徐々に負の感情が包んでいく。
男が何か言っているが、僕の耳には全く入ってこない。
ごめんなさい。ごめんなさい。
そう何度も心の中で呟く。
男の言葉に耳も貸さず、只々何度も心の中で呟く。
生きた心地がしなかった。機械的に繰り返さなければならない
もういっそ死んでしまった方が楽だと思えた。
最早生きる意味など、機械的な謝罪以外になくなった。
きっと、未来永劫、僕はあの男に謝罪をしなくてはならないのだろう。
それで良い。それでしか僕は償えないのだから。
「誰か、助けてくれ。僕に、僕にただ一言くれるだけで良い」
掠れた声でそう呟く。
そうしたところで何も起きやしない。
それで救われるのなら、僕はとっくに救われた。
誰かに助けを求めたいと、そう思うことが出来た。
希望さえ持っていれば、探そうとした。
でも、一片たりともそんなものなんて無かった。
あるのは垣根無しの絶望だけだった。
「誰か、僕に『もう良いよ』と言ってくれ」
だから僕は探そうとしなかった。
結果が分かっているのに、結果を知る為の行動を起こす必要が無かった。
「誰か、僕に『頑張ったね』と言ってくれ」
若し救われる日があるのなら、それは
日常編は必要か否か
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必要
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要らんわぁ!!