「暁美さん、他に何か欲しい物はある?」
市街地のデパートは閑散としていた。当初は最先端科学の街として多くの住民が移住していたが、先の使徒戦によって転出してしまったからだ。
「これで十分よ」
元々自分はおしゃれに気を遣う方では無いし、彼にお金を出してもらう以上、必要最小限にしておきたい。
よって部屋着を幾つかと、余所行き用のフォーマルな服を一セット買うだけに留める。
「これだけでいいの?お金の方はまだまだ余裕があるし、遠慮しなくてもいいのに。」
やや落胆した様子で彼が確認する。・・・・・・何故だろう?
「ええ、特におしゃれする理由も無いし、する必要性を感じないもの。」
「そっか・・・」
何やら呟いていたが、渋々といった様子で彼は納得した。
「碇君こそ、何か必要なものは無いの?」
「僕?僕は先生の家から荷物を送ってもらったから大丈夫。」
買い物が終わり、荷物の運送サービスの手続きをしつつ、シンジが言う。
「先生?」
「母さんの親戚の叔父さんだよ。」
それ以上、彼は語らなかった。
何故先生と呼ぶのか、彼の母親はどうしているのか、その辺りは聞かない方が良いだろう。
爆弾を気兼ねなく起爆する為、自分達の家は人里からやや離れた場所にある。
緊急時にはVTOLか、自身の魔法で本部まで移動する手筈となっているが、基本的には歩いて駅・学校へと向かう。
(暑い・・・)
買い物を終えた道中、前を見つめると人通りのないコンクリートジャングルが巨大な陽炎を作り出していた。
ほむらにとって、炎天下の道路を歩くというのは初めての経験である。ループしていたときは春だったし、病院での入退院生活においても、基本的に外を長く出歩くことがなかったのだから、当然と言えよう。
肌に刺さるような熱を感じ、ほむらは心底ゲンナリする。少し頭もぼんやりしてきた。
これが、この世界ではずっと続くというのだから、本当に勘弁して欲しい。
「暁美さん、これ」
おもむろに、シンジが鞄からラッピングされた包みを破り、帽子を手渡した。
明るい茶色の、キャスケット帽だった。
「これを被って。少しは楽になると思うよ」
言われるがままに被る。確かに、頭部への熱が下がっていく感覚があった。
「ありがとう・・・この帽子は?」
「プレゼント、暁美さんって髪が長いじゃない?だから、熱中症対策でこういうのがあったらなって思って。」
予想外の出来事にほむらは目を瞬かせる。それを渡したシンジは照れているのか、こちらに顔を向けず前を見据えていた。
「ミサトさんが、僕と同居するのが決まった時、お祝いをしてくれたんだ。でも、暁美さんの時はそういうの無かったから、僕からのお祝いと・・・」
少しだけ、言葉を切って
「暁美さんって、きっと帽子が似合うだろうなって、そう思って・・・うん、やっぱり似合ってる。良かったぁ」
ほっとした顔で、はにかみながら、彼は微笑んだ。
「あ、え?そ、そう、かしら」
どう返答していいか分からず、ほむらはしきりに髪を弄りつつ、言葉を濁す。
同性はおろか、異性からの贈り物なんて貰ったことがない。
「その、お金は、大丈夫だったの?」
「大丈夫、ああ、でも給料からは出してないよ?僕の給料って僕だけのものじゃなくて、僕と暁美さん、二人の給料だと思ってるから。」
「それだと、プレゼントにならないから、給料以外の蓄えから出したんだ。」
何とこの少年、自らの貯蓄を切り崩して、この帽子を購入したらしい。
「言うのが遅れてごめん、そういうことだから、今度買い物に行く時は、遠慮とかしなくていいんじゃないかな。」
「・・・碇君、どうして、そこまでするの?」
ほむらには分からなかった。出会って数日の人間に対して、彼の対応は過剰すぎる。
自身を守るために、数多の銃砲に身を晒し、ネルフ相手に駆け引きを繰り広げ、
爆弾の仕掛けられた家で生活して、
嫌な顔一つせずに、家事含めた自分の世話を引き受けている。
何が、彼をそうさせるのだろうか。
「べ、別にいいじゃないか、普通の事だよ。これから一緒に戦う仲間なんだしさ。」
やや顔を紅潮させて、シンジは歩調を速めた。
(仲間・・・)
久し振りの言葉だった。
それは自身にとって嬉しくもあり、不安になる言葉でもある。
昔の様に、仲間が出来た事実を喜ぶだけの自分は、もういなくなってしまった。
(酷い話ね、ここまでしてもらって、まだ、彼を疑っている)
彼もいつか、自分を裏切るのではないか。
どうしても、そんな考えが、頭を離れない。
(やっぱり、碇君について、よく知らないと)
彼を信じるにせよ、しないにせよ、彼の事を理解出来なければ話にならない。
(でも、これから私はどうしたらいいのかしら)
自分は不器用で、何処までも戦う事しか出来ない女だ。
そしてそれですら、今後役に立つかどうか分からない。
先行きの見えない不安にほむらは俯く。
今まではループの中で、ある程度の規定路線に沿って、統計的なデータに基づいて行動すれば良かった。
だが、もうそれは通用しない。
彼の事を知る為に、彼とどう接したらいいのか、自分にはよく分からない。
そればかりか、これから自身が戦う使徒についても、一緒に戦うエヴァンゲリオンについてすら、不明な事だらけなのだ。
何処でどの様に生まれたのか、目的は何か、どれ位存在しているのか。
彼らと渚カヲルが展開する障壁『ATフィールド』とは何なのか。
エヴァは、何故障壁を破れるのか、そもそもどういった兵器なのか。
何故、シンジにしか操縦出来ないのか。
挙げていけば、切りが無い。
・・・自分は、一体何をすれば良いのだろう。
ネルフは、明らかに怪しい組織だ。
インキュベーターは、この世に蔓延る呪いから、人々を守って欲しいと持ち掛け、私達を騙した。
それと同じ事を、ネルフがしているのではと考えると、ほむらは否定出来ない。
むしろ彼の初戦を振り返ると、怪しさしか感じないのである。
特攻同然敗北確実の状況から、謎の覚醒で逆転大勝利。
実に胡散臭い。葛城ミサトにそれとなく聞いてみたが、あの一連の動きは機体の暴走であり、シンジがやったのではないと言う。原因も不明だとか。
偶然、使徒が侵攻を開始したその日に、唯一のパイロットが呼び出されて、
偶然、エヴァンゲリオンの起動を初回で成功させて、
偶然、原因不明の暴走が起こって勝利した。
仮に全てが必然だったとして、人類の守護を謳う組織として余りにも不自然過ぎる。
少なくとも、何一つ分からないまま言いなりになっていても、自分達の状況が良くなるとは思えなかった。
無知は、やがて自らを絶体絶命の状況へと追い込む。それを身を以って知っているからこそ、知ろうとしなければ。
だが、何について調べる?どうやって?
自分はネルフとの取り決めにより、満足に動くことさえ出来ない。
こっそりと出来なくもないが、事が露見した瞬間、全てが台無しになる。
そうなれば自分はどうなる?接着剤漬けより酷い目に遭うのでは?
ほむらは身震いした。自分からは確認できないが、すぐ傍でネルフの諜報員が、その道のプロが目を光らせているだろう。
脅威は人だけではない。
葛城ミサト曰く、第三新東京市における監視システムは全てネルフによって管理されており、その悉くはSF染みた最先端テクノロジーで構成されているらしい。
そのシステムが自分を常に見張っている、だから、絶対に早まった事はするなと釘を刺されていた。
いくら時間停止があるとして、これら全てに何の痕跡も残さずに行動する?不可能だ。
(やっぱり、碇君に動いて貰うしか・・・)
他力本願かつ危険極まりない話だが、現状それしか手段が無い。
彼は、分かってくれるだろうか。
ただでさえ人類の命運が自分に掛かっているというのに、『国連機関の機密を探って欲しい』と頼み込んで、彼が了承するとは思えない。
《うん、わかった。やるよ》
即決だった。
おかしい、ストレートに通ってしまった。
身の安全を最優先にするなら、流されるがまま、使徒を倒す事だけ考える道もある。
『僕は父さんより、暁美さんを信じる事にしたんだよ。もう決めたんだ』
---それでも、実の父親よりも自分を信じると、そう言ってくれた相手には、誠実でありたい。
だから、『このままでは危ない、自分達が置かれている状況を調べて、ちゃんと理解して欲しい』
彼の手を取り、念波でそう頼み込んだ。
・・・結果、彼は手を握られた瞬間激しく動揺したが、迷い無く賛同したのである。
《・・・碇君、提案しておいて言うのも変だけど、本当にいいの?物凄く危険な事言ってるのよ私》
もしや、キュウベエに騙された魔法少女よろしく、表面的な格好良さにしか目がいっていないのでは?
《わかってるよ。でも実際その通りだと思うし、僕の立場って捨て駒みたいなものだし、自分の力でどうにかしなくちゃ》
《・・・捨て駒?》
《あの時、本当のパイロットが重傷だったんだ。父さんは僕よりその子が大切だったから、僕を代わりに出撃させたんだよ》
《その子の怪我が治ったら、素人の僕は、きっと使い潰される。だからそうなる前に、自分で色々調べて、対策をしないとまずいんだ》
《それは、考え過ぎではないかしら。状況が状況だったし、タイミングが悪かっただけではないの?》
そのタイミング自体が仕組まれていた可能性があるが、見るからに貴重なパイロットを使い潰すとは思えない。
《現状、使徒との戦闘経験があるのは碇君だけなのよ?そんな人をあっさりと使い潰すかしら》
《今すぐ、と言うことはないと思う。でも、僕ともう一人のパイロット、確か・・・レイさんだっけ?彼女と比べたら、切り捨てられるのは僕の方だよ》
《現に父さんだって、僕が入院してる病院にまで脚を運んで、レイさんのお見舞いには来たけど、僕のお見舞いには来てくれなかったし。ネルフとしても、僕よりレイさんが大事って事でしょ?》
《・・・・・・》
どう、答えるべきか、分からなかった。
父親に特攻を命じられ、自分よりも、見たことも聞いたこともない同年代の少女の方が、父親は大切だったのだと、残酷な真実を突きつけられた少年に対して、自分は何を言うべきなのか。
ほむらの人生経験では、到底分かりそうに無かった。
《それと、これはミサトさんから聞いた話だけど、もう少ししたら、ドイツからちゃんとした訓練を受けたパイロットが来るみたいでさ。そうなったら、ますます僕の価値は無くなっちゃう》
3人中2人が正規の訓練を受けており、一人だけ素人のパイロットがいた場合、一人切り捨てる必要が出た時、間違いなく彼が選ばれる。
改めて、状況の危険度を理解したほむらは空を仰いだ。
嫌になる位の青空に、高高度を飛ぶVTOLが見える。
《だから、そうなる前に、どうにかしなくちゃ。どうすればいいかは・・・僕だけだと不安だから、そこは、一緒に考えようよ》
絶望的な状況にも関わらず、シンジの表情は明るかった。
《最初から分かってたんだ、そうしなきゃいけないって。でも、どうしても勇気が持てなかった、不安になった》
《でも、暁美さんと一緒なら、頑張ろうって思えるんだ。何と言うか・・・その、勇気が湧いて来るんだよ》
だから大丈夫だと、何の根拠も無く、彼は言った。
状況は何も変わっていない。先行きは何一つ見えず、暗いままだ。彼の考えはお気楽そのもので、何の実効性も有りはしない。
それでも彼を否定する気になれなかったのは、自分を信じてくれたからだろうか。
何にせよ、自分がする事は変わらない。
「碇君」
念波を止め、シンジに向き直る。
「貴方は必ず、私が守るわ。絶対に、貴方を死なせはしない」
自分はもう、他人を信じる事は出来ないかもしれない。だが、願う事は、許して欲しい。
「だからお願い・・・私を、信じて」
どうか、自分を信じていて欲しいと、そう、願うのだった。
シンジは一瞬呆然とした後---
「わかった、ありがとう、暁美さん」
---とても嬉しそうに、微笑んだ。
「ああ、そうだ。実はこれからの事で、僕に少しだけ考えがあるんだ。結構手間が掛かると思うけど、協力してくれる?」
※シンジが贈った帽子は、一万円以上する高級品です。