「やあ」
「!!」
ぎくっ、と私は固まって、慌てて背筋をぴんと伸ばしていた。
物思いに耽っていたせいか、来訪者のタイミングを忘れていたのだ。
やってきたのは、一人の青年。
「わ・・・わ・・・」
こんにちは、御用件は、と言えばいいだけのその口がまったく動かず、私はあたふたしていた。
「お邪魔します。あなたが噂のアネモネさんだよね?」
「え、あ、えと・・・はい、そうかも・・・」
「かも?」
「あう・・・そう・・・いや、そうですアネモネです。よ、宜しくお願いします」
「はじめまして」
「はじめまして、かも」
この人とは初対面だ。
けれど私はこの人を知っている。
その奇妙な感覚にはもう慣れっこだったはずなのに、その経験全てが吹っ飛んでしまったかのように私は狼狽えていた。
「知り合いに勧められて来たんだけど・・・相談に乗ってくれるって聞いて」
「あ、うん・・・悩みがあれば、そこに座って・・・話して欲しいかも」
ぎこちないながらも、私はどうにかようやく職員としての振る舞いに成功する。
しかし私以外に職員が必要ないスペースなので、そこは小さい机を挟んで座るだけの空間しかない。
反対側に座った彼に視線を合わせていられず、私は机を凝視してしまっていた。
私を取り巻くこの世界には、予想外の出来事、というものが存在しない。
あらゆる物事の未来が見えてしまう私には、部分的にそれを知るこの町の人達よりもよほど、未来に対しての心構えというものが出来ている。
・・・つもりだった。
何事にも例外というものがある。
たとえ変わる余地のない、決まりきった事象であっても、それに対して達観しきることのできない未来が、私にもある。
それは私自身に関する、私の感情が左右してしまう未来だ。
私がそれに想いを馳せ、揺れ、惑うことでこそ発生する未来というものがあって。
それは本人ではどうすることも出来ないので、逆説的に、私は自分自身が見たその情景に翻弄されてしまうのだ。
かつて、一人の旅する魔女さんに気づかされたように。
だから私には結果を知っていても、否、知っているからこそ平常心では対処できない事もある。
今日のように。
この人のように。
彼は机の反対側で、やや気恥ずかしそうに自己紹介をして、私の素性についてなど多少の世間話をした後、自身の悩みを打ち明けていたようだった。
・・・が、正直申し訳ないことに、私は半分以上それを聞いていなかった。
この先のことで頭がいっぱいいっぱいだったのだ。
ふと時計を見て、思っていた以上に時が経っていたことに私は驚いた。
「それで・・・ああごめん、長々と話しすぎちゃって」
「あっ、いや・・・そんなこともないかも」
「それで、アネモネさんは僕の未来も見えるんだよね・・・何か、一言貰えれば嬉しいな」
「・・・」
私の今日の溜息の原因は、この人だった。
そして仕事上告げねばならない、この先の予言のせいだった。
「えと・・・ちょっと待って・・・心の準備をさせてほしいかも」
「え、君の方が?いや、もちろん構わないけど・・・?」
きょとんとした後に、彼は可笑しそうな顔をした。
そんなに妙な態度をとってしまっているだろうか。
視線を泳がせながら、私は深呼吸をして、どうにか心を落ち着けようとする。
しかし傍から見れば盛大に一人相撲をとっているだけの私のその様は、どうしたっておかしく見えるだろう。
そんなことに気がついてしまい、やっぱり顔を真っ赤にして混乱の渦中に陥ってしまう。
そしてやがてその沈黙にも耐えかねたので、私はひねり出した言葉を一つ。
「・・・あなたはまた明日ここに来る、かも」
どうにか言えたのは、そんなことだけだった。
「・・・・・・えっと、それだけ・・・?」
言いかけてから彼は、ああ、訊き返すのは禁止だったねと頭を掻いている。
私は机を凝視しながら、意に反して口から出てしまった言葉を悔やんでいた。
そう、彼が明日もここへ来ることも嘘ではない。
が、本題ではない。
何故それを口にできなかったのかと言えば・・・まだ踏ん切りがつかなかったのだ。
だって、これはずるい。
言った通りになるのなら、この台詞は私が吐いてはいけないのでは、という言い訳が頭を駆け巡る。
・・・けれども、今までそんな予言を何度も告げてきた。
いまさら自分の番になったからといって例外にするのはそれこそ狡いし、己の主義に反する。
いい加減覚悟を決めるべきだと、未来の私が言っていた。
「まあ、それならまた来るよ・・・って君は知ってるのか」
なんだか面白いね、と笑いながら彼は席を立ち、その場を立ち去ろうとしていた。
「・・・やっぱり待ってほしいかも」
くい、とその裾をつまんで、私はその人を引き留めていた。
数秒後のこの人が、ものすごく驚いている。
そして明日また出会う、この人の顔が物語っている。
多分・・・これを今、私が言わなければならないことを。
ごくり、と喉が鳴った。
嗚呼。
結末が見えているのに、何故こんなに恥ずかしい想いをしなければならないのだろう。
決められた筋書き通りに行動することが、どうしてこんなに難しいのだろう。
でもきっと、私は言う・・・いや、あと数秒後に私は言える。
これがきっと最初で最後の、自分のために口にする予言だ。
そんな日が本当に来てしまったことに奇妙な感慨を抱きながら、私は意を決して口を開く。
そして不思議そうに首をかしげているその人に向けて、顔を真っ赤にして、視線を逸らし、所々つっかえながら、小さな声で。
「あ、あなたは、私と、けっ・・・・・・・・・結婚、する・・・かも」
繰り返される前置きがまだるっこしくて申し訳ないです。どーしてもこうなるアネモネさん文法。
自己完結型の未来予知、といえば未来をどうにかこうにか変えようとした結果として収束するオチが定番なわけですが、劇中に仕組みを理解し、達観してしまうキャラというのは珍しい気がします。それも沢山。
しかし自分の未来という台本を渡されたとして、ぶっつけ本番で素面のままその役を演じきり、一言一句をすらすら言えるかと言えば、そうでもないですよね。
そしてアネモネさんも一人の女の子と思えば、多分、いつかこういう日が来るのでしょう。
赤いアネモネの花言葉は「君を愛す」だそうです。
妬けますね。