笑っているオスの周りには人が集まる。
勝てないと分かっているくせになぜか目の前に立ちはだかる。
…それはオスには理解できない。
だが、そのオスには何となく分かるような気がした。
だが、思考は長く続かない。
すぐに頭の中が何者かに支配されるかのようにある者を探すことのみしか考えられなくなる。
目の前にいるゴミは邪魔。
邪魔は排除。
オスは歩き続けた。
頭の中の命令を成し遂げるため。
「ふぅ…」
ため息をつく正影。
最近は何かと大変だったので少し疲れ気味だ。
もっとも、大半は出さなくてもいい本気を出して無駄にグロッキーしただけなのだが。
あまり人がいない時間帯に休憩所でココアを飲んでいる。
食堂でもいいのだが、あそこはあくまでも飯を食べるところ。
休憩所は好きな時に好きなだけ来ていい空間だ。
設備は食堂と比べると少し古っぽいが十分だ。
「お疲れ気味ですか?」
知らない声がしてそちらを振り向く。
1人の男が立っていた。
帽子を深くかぶっており顔はよくは見えない。
「…すまないがどちらさんだ?」
「失敬、初めましてでしたね。凪《なぎ》といいます」
帽子のつばを少し持ち上げ顔を見せる。
特にこれといった特徴はない普通の顔だ。
強いて言うなら目が細い。
「正影だ」
「やはりそうでしたか。いや、すみません。たいして大きくもない施設なのに挨拶が遅れました」
「そんな謝ることではないだろう」
「いやいや、プロトがロスに挨拶をしないのはおかしい話です。そこ座ってもいいですか?」
正影に許可をもらい、向かい合うようにして座る。
「…ここのアルツェはどうですか?」
「普通にいい場所だ。ゆっくりできるし、仲間もいる」
「気に入ってもらえたようでなによりです」
凪は缶コーヒーを取り出し、飲み始める。
よくあんな苦いもの飲めるなと正影は思っていた。
「…つかぬことをお訊きしますがいいでしょうか?」
「なんだ?」
「今の世界をどう感じてますか?」
「え?」
突然意味が捉えにくい質問に疑問を抱く正影。
凪は笑いながら言い直す。
「いや、そんなに難しく考えなくていいですよ。正影さんは10年ほど前の世界から来たんでしょう?」
「そうだが」
「その世界と比べて今はどうかと訊いてるんです」
考えてみたこともない問いに少し思案する正影。
確かに正影は10年ほど前の世界から跳ばされてきた。
だからといってこの世界がどうとかなんて考えたことはない。
ただ生き、ただ過ごしてきた。
「…悪くはないと思っている」
「結衣さんがいないこんな世界でも?」
「知っているのか?」
「あなたのことはあらかた嬉々さんがしゃべっていたもので」
そこまで話すことはないだろうと思う正影。
「別に結衣とはなんでもなかったがな」
「ええ、それも。だからロリコンと呼ばれてるんですよ」
「人の噂も七十五日と言うが…消える気がしないな」
結衣はどうしているのかと思う。
結衣はあの事故で行方不明になった側だ。
死体は発見されず、だが血痕は見つかった。
たいした出血ではなかったらしいが、見つかっていない。
同じくタイムスリップ的なことをしたのでは?と思うがそれではこちらからはどうしようもない。
「…なんかあまりよくない話題にしてしまいましたね。すみません」
「いや、気にしないでくれ」
ピピピッ!と聞き覚えのある音が鳴る。
それを聞くと凪が立ち上がった。
「すみません、時間が来たので」
「ああ、仕事頑張ってくれ」
一礼するとその場を後にする。
凪は部屋を出る前に向きなおって言った。
「もしよければ考えておいてください。あなたがこの世界をどう思っているのか」
凪がその部屋を後にすると、正影は1人ココアを飲みながら少し考えていた。
――――――――――――――――――――――――――――――
「ふぅ…」
『お疲れ様穂香、今日の訓練は終了よ』
的を相手に銃口を構えていた穂香が銃をしまう。
穂香は1人、訓練をしている。
普通のプログラムと同じことをするのなら他にも人はいるのだが生憎穂香のは少し特別だ。
体を動かすのは最低限のことにとどめ、主に射的の腕を上げる訓練をしている。
部屋を出て、シャワールームに入る。
いくら射的だけをしていても集中していれば汗はかくし、体も汚れる。
「穂香ちゃーん!」
美嘉が入ってきた。
個室であるにもかかわらず。
「美嘉さん、隣空いてるよ?」
「何言ってるの。折角のごほう…お互いを分かりあうチャンスなんだから。女同士、別にいいでしょ♪」
「う、うん。別にいいけど…」
少し、狭い空間になってしまうが無理はないので許す。
穂香は美嘉が自分に好意を持っているのは知っている。
だが、まさかそういう方向とは思ってもいない。
「穂香ちゃん、訓練の調子はどう?」
「絶好調だよ!すぐにでもパパに追いつかないといけないし」
「この前はパパを助けたんでしょ?」
「うん、パパも褒めてくれたし改めて頑張らないとって思ったよ」
正影と悠斗の一件以来、穂香は少しずつ任務に出始めている。
遠くからの援護射撃というのは新しい立ち位置で最初こそ他のプロトは戸惑っていたが、今では引っ張りだこになりつつある。
訓練の関係で任務に多くは出れないが、正影に次いで一緒に任務に行きたい人となっている。
「よかったわねぇ。…にしても―――」
美嘉が穂香を見る。
「穂香ちゃん、胸大きくなった?」
「えっ、本当?」
穂香は気づいてないが美嘉の見る目がいやらしい。
正影がいれば間違いなく即、磔にされる。
「えぇ、羨ましいわね。私ももう少しほしいんだけど最近は成長が止まっちゃったのよね」
「それだけあればいいんじゃないの?美嘉さん着やせするタイプ?」
「そうよ、あともう少し大きくならないかしら」
少なくとも9歳の女の子が(一般的には)する会話ではないだろう。
しかし、美嘉の狙いはこの会話ではない。
「穂香ちゃん、大きくなったか確かめるために触らせてくれない?」
「え、恥ずかしいよ」
「女同士なんだからいいじゃない。それに胸は触られれば大きくなるって言うわよ?」
「え、本当?じゃ、じゃあ…」
「本当?じゃあさっそ「はい、アウト」ガフッ!?」
上から長い棒が美嘉の頭に突撃してきた。
美嘉の頭が地面に叩きつけられる。
狭い個室で寝っ転がられると足の踏み場がない。
「な…なにが?」
「あなたも抜け目がないわね」
隣の個室から嬉々が頭をのぞかせている。
手には長い棒を持っている。
「な、なぜ!?」
「訓練一緒にしたでしょ。あと正兄から言われてるのよ」
「あの人…ここにまで範囲を広げていたとは…!」
美嘉が地面に叩きつけられたものの、単純な力勝負では美嘉の方が上。
棒を退けて立ち上がる。
「いいじゃない、胸触るくらい!女子同士ならスキンシップの内に入るでしょ?」
「あなたの胸触るは男子のそれと同等なのよ」
「私って今までそんな扱いだったの!?」
そのあと、美嘉は結局穂香の体に胸はおろか体に触れることさえ叶わなかった。
――――――――――――――――――――――――――――
「たかーい!」
「でしょ?正影さんほどじゃないけどこれでも女子の中では高いほうよ」
シャワーを終え、アルツェ内を美嘉が穂香を肩車しながら歩いている。
隣には嬉々というストッパーがついている。
美嘉の穂香に対する異常な愛情は今ではアルツェ内では知らない人の方が少ない。
「正影さんがいるとこんなことさえもやらせてくれないもんね。そこまで警戒されることしたかしら?」
「してるじゃない…」
人影がちらほら見える休憩所に入る。
仕事で半分ほどアルツェ内からいなくなっているが、訓練をさっきまでしていた人が何人か来ている。
そして休憩所ということは…
「…何か視線を感じるわ」
「でしょうね。正兄いるもん」
「パパぁー!」
今日暇なのかほぼ一日ずっとここにいる。
正影の眼は明らかに美嘉に警戒心を持っていた。
分かってはいたことだが、いざ向けられると怖い。
「さ、さぁ穂香ちゃん。ここを離れま―――」
「それはそれで後で怖いと思うわよ?」
「うっ…」
美嘉はこのアルツェ内では情報屋だ。
大体の人は美嘉に大して強いことは言えない。
決してよそよそしく付き合っているというわけではないが、あまり深くはツッコめないのだ。
だが、そんな美嘉が恐れているのが正影だ。
この人だけには何をしても勝てそうにないような気がしていた。
っていうか弱みなんてあるのだろうか?
正影に近づいていく。
「正兄、今日は暇なの?」
「ああ。そうなんだが…」
「ど、どもです。正影さん」
「パパぁ、美嘉さんって優しいよね。肩車してくれるのパパを含めたら2人だけだもん」
「…そうだな」
正影の目が訴えている。
「今すぐ降ろせ」と。
「ほ、穂香ちゃん。私疲れちゃった、降りてくれる?」
「分かった」
「ありがと」
少し名残惜しいが、死ぬのはごめんだ。
いや、死ぬよりひどそうな気がする。
「パパ、私トイレ行ってくる」
「ああ、分かった。ゆっくりしてこい」
ゆっくりに込められた意味を理解し、美嘉は背筋を凍らせる。
穂香がいなくなると正影が美嘉のほうを向く。
「俺の目が届かないところで穂香に何かしたか?」
「いえ、なにも…!」
「嬉々」
「…特に何もなかったよ」
「そうか」
引っかかるところがあるらしいが嬉々が言うならと訊くのをやめる。
「…正影さん、過保護すぎません?」
「お前に対してはな」
「私だって女なんだからそんな間違いは犯さないのに…」
「十人十色という言葉もある。俺だってお前がただのレズだっていうなら何も気にしない。だが、お前はそれ+…いや、幼女好きだ。なんでお前はロリコンとは言われないのに俺は―――」
「ねぇ、聞いた?今度はエリア3のアルツェだって」
「聞いた!最近多くなったよね。アルツェ自体が潰されるだなんて…」
話題は変わってしまうが聞き捨てならない会話が耳に入る。
そして幸い、ここには今情報屋がいる。
「情報屋、お前の情報量を知りたいな」
「…エリア57、29が最近潰されたアルツェ。今回が3だと聞いているわ」
アルツェは別にエリアにつき1つあるわけではない。
エリアなんてもっというならほとんど意味を成さない。
オゥステムに潰された順にその地域に番号が付けられていっただけなのだ。
だから実際、1の隣に2があるわけではなく17や68など離れた数字が多い。
「アルツェってそんなに脆いのか?」
「8年前と6年前に1回ずつ潰されたことはあるけど、ここ数年は落とされたことはなかったわ。普通のオスじゃあの防壁を壊しきる前に殺されるもの。以前の2回は数が多かったけど今回は1体」
「となると原因は…」
「プロディター」
美嘉も席に座り話し始める。
「毎回ランダムに現れるらしいの。そしてアルツェは何もできずに崩壊していく」
「対抗する手段はないのか?」
「力の差が圧倒的といわれているわ。おそらく正影さんの本気状態で攻めてくるのと同等だからだと思う。正影さんとプロディターは力が拮抗してるって聞いたことがあるわ」
「…でもそれだったら死ぬはずだろ。後でグロッキーしなかったとしても俺1人でこの要塞を攻略するのは不可能だ」
「正影さん、相手はオゥステムだよ。人間じゃない」
オゥステムは人間から見れば異常な回復速度を持つ。
もちろん攻撃を受けてからすぐに治るというのは数が少ないが少なくとも人間よりははるかに丈夫だ。
「他には何かめぼしい情報は?」
「…ごめんなさい。この情報は上も隠したいらしくて」
肩を落とす美嘉。
自分の情報屋としての血が許していないのだろう。
「この程度か。情報屋も」
「むむ?正影さん、それ聞き過ごせないよ?なんなら嬉々の情報を上げようか?」
「え?」
「何かあるのか?」
「とりあえずスリーサイズから」
「何で知ってるの!?」
「それならだいたい知ってる。必要ない」
「知ってるの?」
「こいつとは風呂に入ったからな」
美嘉の目が見開く。
嬉々の方を見て目で訴える。
「お前…まじか!?」と。
「そ、そそそんなんじゃないわよ!?」
「え、いや、だって、その年で?正影さんが誘ったの?」
「俺がそんなことすると思うか?」
「このブラコン!(性的な意味で)」
「ええ、ブラコンよ!(性的な意味は含まれない)」
「否定しろよ…」
「そして正兄はロリコン!(性的な意味を含む)」
「このロリ&シスコン!(性的な意味を含む)」
「もしかして、アルツェ内の誤解はお前らが原因なのか…?」