アスカの組織への加入は、今一つの擾乱を生んだ。いわゆるナンバー2不要論との関係である。クサンティッペことアスカは加盟後、あれよ、という間に組織内での己の地歩を固めた。とりわけ、女性の構成員への影響力は既にシンジを凌ぐものがある。漢の高祖の妻呂后、北条政子、日野富子、そういった歴史上の女傑の名がシンジの頭に浮かんだ。
(さて、どうしたものか)
事は組織の消長に関わる。シンジは暫しの黙考の後、
(ええい、ままよ)
アスカにそのまま懸念、存念を伝えてみる事にした。この率直な直截さは、恐らくは、シンジの美点であろう。
「ナンバー2問題?ああ、それは私も考えないではなかったわ」
シンジの部屋の寝台に腰掛けながら、アスカは、素早い理解を示して、答える。
「ナンバー1とナンバー2の意見が対立する場合、有害無益。そして、両者が一致する場合も、そもそもナンバー2は不要よね」
どうせイエスマンなら居なくても同じだわ、とアスカは続ける。自分をナンバー2に擬しての相談を受けながら、その態度は平静だ。
「そうなんだ」
シンジも我が意を得たりと頷く。
「初歩的な二頭体制否定論よね。だけどそれには例外があるわ」
「例外?」
「ナンバー2がナンバー1の家族である場合」
「かぞく…」
「そ。その場合、意見の対立は心配しなくていい。特に両者が異性である場合はね」
むろん、アスカは数多くの例外を意図的に捨象している。実際の歴史上では、夫婦肉親が相食む例も多い。
「家族のナンバー2は、もしもの時のバックアップになる。それに同じ考えが出来る頭脳を二つに分けられるというのは利点だわ」
「……あの、僕とアスカは家族なの?」
シンジは小首を捻らざるを得ない。まだ、シンジにはその実感は乏しい。
「こうやって一つ屋根の下に暮らしてるじゃない」
何を今更とアスカは肩を竦める。
「アンタはもっとこの惣流・アスカ・ラングレーを信頼しなさい」
「それに、アタシはナンバー2の役割をもう一つ考えたわ」
「それは?」
「家庭内野党」
シンジは首を傾げる。
(それはどうであろう)
先ほどのアスカの指摘と矛盾するのではないか。
アスカは、それを見透かしたように、
「さっきナンバー1と2の意見対立は有害と言ったけど、それは何故かしら」
「……両者にそれぞれ与党が付き、組織が分断される」
往々にして、当人同士より周囲が対立を激化させるのだ。
「それよ。つまりは対立を外に出さなければいい。この部屋の中でアタシはアンタの意見にあえて対立する。徹底して議論をして、部屋を出た後は意見対立は引き摺らない。その位は出来るでしょ」
シンジはなおも思案顔である。
「アンタならとっくにこの程度の事は理解している筈よ。何を心配してるの」
「そう、心配だよ。アスカの事が心配なんだ。」
その答えには、答えたシンジ自身も、アスカも、虚を突かれたようだった。
そして、アスカは口元を家鴨のように緩めて、眦を下げた。
「ははぁん、アンタあたしに惚れたわね」
「そうなのかな」
シンジは別に照れるでもない。まだ自分の気持ちが綺麗に腑分け出来ていないのであろう。
「普通は一目惚れするものよ」
アスカは自信家である。美醜などの要素を超えて、精神の上に凛乎として確立された、気持ちのいい自信だ。
「でも、有象無象の取り巻きに引きずられることだってある」
シンジの反論は対照的に弱々しい。
いくら対立を家庭内に限定するとはいっても、ナンバー2の周囲にナンバー1の反対派が、ナンバー1の周囲にその逆が集まることは避けられない。
「つまりはお互いの反対派が誰かというのを情報共有出来る訳よね」
「……」
「しっかりしなさいよ。アンタがまともな状態なら、その程度の理屈はアタシより一日、早く気付ける筈だわ。アンタの思考は、アタシへの想いで曇っている」
アスカは、シンジの額をピンと軽く指先で弾く。
「そして、アタシの事を心配してくれてるのに、アタシの事を信頼しきれていない。そういうの、何が足りないんだと思う?」
「足りないもの?」
「デートよ!」
アスカは高らかに宣言した。
シンジはどうやら惣流・アスカ・ラングレーという少女と、逢い引きを行うことになるらしい。
◆
由来、この国には西洋人の言うデートなる慣習は存在せず、江戸も後期に至って、ようやく逢い引きなる言葉が出来たが、これも人目を忍ぶことが前提であった。平安の昔から、色好みという伝統的な恋愛文化を持つ国としては、やや意外でもあり、これは男女の関係が、この国においては、あくまで私的領域を出なかった事を示すものであろう。それゆえに、江戸期の心中物のように、私に属する恋愛感情が公の義理と衝突した場合、情死を選ばざるを得なかった。
その事はひとまず於く。
「あら、シンジ君、アスカ。二人とも揃ってお出かけ?まさか、デートかしらぁ」
興味津々の様を隠そうともせず、二人の保護者である葛城ミサトは玄関先に向かって言った。特務機関ネルフの作戦部長という、武張った職業に就いているが、日常では、気さくな年の離れた姉といった態度で接してくる。
「確かにデートだけど、それが何か?」
「あらまあ、いつの間にそんなに仲良しになっちゃって!」
素っ気ないが大胆なアスカの宣言に、ミサトは欣喜雀躍といった顔の綻ばせ方だが、アスカはそれ以上は無視する。今日はそれどころではない。ミサトよりシンジだ。
下ろしたての赤い靴を履き終えたアスカは、同じく玄関で用意を調えたシンジに向かって、手を差し出す。
「ん」
「えっと……」
戸惑うシンジに、アスカは囁く。
「手、繋いでいこ」
「うん……」
そっと、触れ合う、手と手。
少女の白い手は、ひんやりと冷たい。
マンションのエレベーターを降りても、二人は手を繋いだままだった。
「どうして、手を繋ごうって」
「一緒に住んでると、外で待ち合わせるのって面倒でしょ」
「そりゃまあ……」
シンジにはまだ話の脈絡が見えない。
「だから一緒に家を出る訳だけど、でも、それじゃ気分が盛り上がらないのよ。毎朝学校に行くのと同じじゃ、デートって感じにはならない」
「なるほど。だから手か……」
目を落とす先は、全ての指をしっかり絡ませる恋人繋ぎという手の繋ぎ方だ。
「恥ずかしいでしょ」
「分かるの」
「だってアタシも恥ずかしいから」
気付くと少女は耳の先までが赤くなっている。
「さ。ノープランは許さないわよ」
怒ったような声は照れ隠しだと、シンジにもはっきりと分かった。