司馬遼太郎風エヴァ「シヴァンゲリオン」   作:しゅとるむ

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第五話 僕らは親なし海賊だ

「じゃ、次は使徒が芦ノ湖東岸沿いを北上した場合ね」

アスカは、トングで金網の上、まだ焼けていない肉を動かす。

「その場合は、やっぱり駒ヶ岳か神山の頂上付近に陣取るんだろうね」

シンジも、別の肉をその近辺に配置する。

昼飯時であった。周囲の家族連れやカップルたちがにこやかに笑い合い、姦しい。

この午餐という慣習は、わが国では、鎌倉末期から室町初期にかけて始まったという。戦乱の時代が、躍動する時代の精神が、人々に滋養とエネルギーを欲せしめたのだと言える。午餐の時代に入って、この国は賑やかに動き始めたとも言える。

そして、今もまた戦乱の時代であった。但し、こたびの戦いは、エヴァが使徒に敗北すれば人類が亡ぶ。その運命を予感しているからか、人々の笑い声はいっそう明るい。

 

逢い引きを継続する両名は、芦ノ湖を指呼の間に臨むバーベキュー場に来ている。

恐らくは、焼きかけの牛の肉一切れが来寇する使徒や防衛するエヴァンゲリオンに相当する、という趣向なのであろう。

神山も箱根駒ヶ岳も、1400m級、1300m級の高峰で、ここを占めるものは高所という圧倒的な戦術的有利を得ることが出来ることを、アスカもシンジも知悉している。砲撃においても白兵戦においても、位置エネルギーという目に見えぬ味方は、百万の友軍にも等しい力となるであろう。

日本史上で、我が国が獲得した数少ない軍事的天才、と言ってよいであろう─源義経は一ノ谷の戦いの折り、鵯越からの逆落としと後世に呼ばれる直上からの奇襲作戦を敢行し、位置エネルギーを利して、散々に平氏を蹴散らした。シンジやアスカもまたその戦訓に倣おうとしている、と考えてよい。

 

「まあ鉄板ね。問題は初号機と弐号機を分散させて、配置するかどうかなんだけど」

「それは当然、リスクを分散……」

ギロッと、アスカがねめつけて来たので、シンジは素直に前言を撤回した。

「いや、やっぱりなるべく一緒に行動しよう。そうしよう」

大慌てで棒読みするシンジに、

「それで、宜しい」

鹿爪らしく厳かにそう言って、それからアスカは、吹き出すように笑う。シンジも釣られて笑いだし始め、相好を崩した。

「バーベキューで、棋上演習だなんて、あたしたちお行儀が悪いわよね」

二人はそこまで周囲の注目を浴びている訳でも有るまいが、食べ物を道具にして議論をしていた事に、多少の気の咎めはあった。

「母さんに怒られたりしなかったからね」

「お育ちが悪いのよね、あたしたち」 

 

そして、湖に海賊船を模した遊覧船を見て、アスカは即興の海賊の歌を歌い始める。

 

♪僕らは、親無し海賊だ

♪親が無くても子は育つ

♪肉があるから子は育つ

♪肉だ、肉だ、肉を寄越せ~

 

欠食児童のような戯れ歌に、すぐにシンジも唱和する。

 

♪僕らは、親無し海賊だ

♪親があっても親無しだ

♪肉があるなら親要らん

♪肉だ、肉だ、肉を寄越せ~

 

そして二人で顔を見合わせて爆笑する。

 

「もぉ、なんなのよ、このヘンテコな歌は」

「作詞・作曲 惣流・アスカ・ラングレーだよ」

「補作詞 碇シンジね」

 

流石にこの大声の行儀の悪い歌は、子連れの家族の何人かの眉を顰めさせたようだ。そんな周囲の様子を見て、二人は肘でつつきあって、また笑う。

 

「アスカは、お行儀よくしてないと、ばあやに怒られるよ」

「何よ、ばあやって、そんなにお嬢様に見えるの」

「黙ってすましてれば、ね」

「あらまあお気の毒。一生、そんな姿を見ることはないのよ、あんたはね」

アスカが本当に気の毒そうに言うから些かシンジは心配になったようだ。

「どういう意味だよ……」

「尻の下から仰ぎ見る姿だからよ」

アスカは昂然としながら、口許を弛めている。

 

「しかしバーベキューとは少し捻ったわね」

「僕がお弁当を作ってくるというのも何だか違う気がしてさ。別に僕は料理が得意なわけではないし」

「あら、普段は結構上手に作ってるじゃない」

「家庭科で習った範囲だよ」

「アンタ、学校の成績はいいもんね。一位とかを狙えそうなものだけど」

シンジの定期テストにおける学年順位はいつも一桁だったが、一位ではない。八位とか九位とかその辺だったか。

「他にやることもあって忙しいのもあるけど、流石に二桁台だと軽んじられるからね。でも優秀な人材はなるべく味方にしておきたい。自分より成績が上の人間を敵視する人は多いからね」

「うわ、今がベストポジションってわけ?やなやつだわ~」

というアスカも最近はめきめき、日本語の読解や記述能力を増して、今では二十位台の成績であった。 

「アスカの日本語力が追い付いたら、あっという間に抜かれそうだ」

なんといっても、アスカは飛び級で大学を出ている天才少女だ。シンジは勝てないとは思わないが、相当な努力を必要とするだろう。

「その時は手抜きなどせず、一位を目指すのよ。アタシは自分より優秀な男でないと相手をしない事にしたから」

「毎晩、徹夜になりそうだ」

「毎晩、一緒に勉強すればいいわ」

幸福感に満たされて、アスカの瞳は輝いている。

 

ここで、筆者は大急ぎで、綾波レイという、今一人のエヴァンゲリオンパイロットの少女の話をしておかねばならない。

 

綾波レイ、十四歳。朋輩であるシンジやアスカと同年の少女である。

 

シンジが初めてこの色白の少女に会った時、疵痕も痛々しく包帯を巻いた様子から受けた印象は月下に佇むのが似合いそうな、薄幸の少女という印象だった。

自然、シンジはたまたま知っていたこんな詩を連想した。

 

 「月が痛み、光を失うた月の亡骸は赤銅色をして気絶した。

 滅びてしまうやうでもあり、生きかへるやうでもあり、萎えはてた月の面(おもて)は苦痛にあへぎ、絶望にうめく。

 夜の力はゆるんでゆく。

 鳥は塒(ねぐら)から落ち、人は地に躓く、葉は黒い息を吐き大地は静かに沈んでいく。」

 

シンジはこの詩の印象に恐れだけでなく、暖かさを感じてもいた。

河井醉茗の「月の痛み」という詩であり、少女に出会った後、暮夜、シンジは独り、初めに連想したこの詩を口ずさむ事がたびたびあった。アスカを前にして感じる明確な他者としての隔たりや、それでもなお絆として感じる同志的感情とは異なり、このレイという少女に対して、シンジが覚えるのは、痛みを伴った懐かしさや郷愁だった。そして、それはおそらく、同じくらい恐れ、遠ざけたい感情と密接に繋がっている。

それをシンジはなぜか正常な感情だと認識し始めている。

 

さて、その綾波レイである。

 

かぐわしく焼ける牛肉の匂いに誘われるように、鼻をひくつかせながら、

 

「おにく、それはとても美味しいもの」

 

そう言って、フラフラと突然バーベキュー場に現れた少女に、シンジもアスカも目を丸くした。

 

「あ、綾波……」

「ファースト……いや、綾波レイ……さん。なぜここに?」

アスカは当初、ファーストチルドレンと呼び慣わしていた少女への呼び掛けを最近改めようと試み始めているが、まだ呼び慣れてはいない。

 

「まさか、つけてきたの?」

「街で二人を見かけた。声をかけようと思ったけど、楽しそうだったから……」

 

そして、チラチラと金網の上の、焼けつつある肉に視線を投げるのである。綾波レイは、今や食欲を露わにしている。

 

「あの……一緒に食べる?」

シンジが戸惑いながらも水を向けると、

「ああ、そうしなさいよ。でも、お肉は食べられるの?」

とアスカも鷹揚に応じた。

二人は綾波レイを金網の近くに誘った。

二人きりの逢い引きを邪魔されるという感覚は二人のどちらにもなかった。

 

「もりもり、たべる。というか、ふだんはおにくだけ」

「えぇー。印象と違うわ。『肉、嫌いだから…』とか言いそうなのに」

「偏食はよくない、から」

「いやいや、肉だけは立派に偏食だよ、綾波」

「がつがつ」

「もりもりを言い換えても、同じだから…」

「もぐもぐ」

「いや、だから…」

 

アスカはそんな綾波レイを興味深そうに見やった。

 

「何だか面白い子ね。今までパイロット同士でもあんまり話した事はなかったけど」

「えんりょしてた。二人が仲良しだから」

「あらまあ。そう見える?あ、これも焼けてるわ。どんどん食べなさい」

ひょいひょいとトングで肉を掴んで、レイに手渡した紙皿に入れていく。

「いや、それ僕の肉ばかり……」

シンジが流石に抗議の声を上げかけると、レイがシンジの方を振り向いた。

「さっきの歌、楽しそうだった」

「歌?」

すると、綾波レイは、シンジから奪われた肉を山盛りにした紙皿に目を落として、それから、得意そうに大きな声で言った。

「かいぞく!」


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