▼主人公、死す
「私の勝ちです、吉野先輩。」
そう言った私に、先輩が血反吐を吐いて「まいったなあ」と声を上げた。
「いつの間に追い抜かれたんだろう、悔しいなぁ。」
術式の抽出のことを最初に言及したのは僕なのにさあ、なんて。先輩は言った。
先輩の腕は吹き飛ばされていた。私が先程飛ばされたように。
先輩の足は溶かされていた。私が先程溶かされたように。
「ギリギリですけれど、私の勝ちです。」
「うん、そうだね。文句のつけようもなく夏油の勝ちだ。」
領域の中でつけた傷は全てひっくり返る。つまり、私が先輩につけた傷は全て、私に返っている。 先輩は平然としていたから見誤っていたが、先輩だって重症だった。肺に肋が刺さってるようで、息が苦しい。内臓もいくつかやられてる。
動くのもきつい。けれど、やることがある。
私はどくどくと流れる先輩の血を片手で掬って、悟の顔面にぶっかけた。血液は「解毒薬」として無限を通過し、ぽかっと開いた口の中に入る。
これで、毒の問題は解決した。
「……言い残すことはありますか?」
自分だってボロボロで死にかけなのに、私は先輩にそんなことを聞いた。聞いたところで意味があるのかわからない。だけどきっと、意義はある。
「あるね、ありまくりさ。
でも先に、お前の恨み言から聞きたい気分かな。」
「そうですか、それじゃあ言わせてもらいますよ。」
先輩はへらりと笑って、申し訳なさそう顔で誤魔化す。眉間に皺を寄せて、下手くそに口角を上げていた。
泣きそうにも見えた。先輩の泣き顔なんて、見たことないからわからないけれど。
「なんで、今だったんですか。何で一人でやったんだ。
なんで、なんでこんな急にクーデターなんて起こした!!」
恨み辛みがポロポロ溢れて、濁流みたいだ。涙も一緒に流れ出た。先輩は、「ごめんなぁ」と下手くそに笑う。
「ごめんな、夏油。どうしても、許せなかったんだ。」
「凪さんと順平に、何があったんですか。」
「あっはっは、やっぱりわかるか。」
「何があったんですか。」
「……お前にしか教えたくない。」
2回、聞いた。一度は誤魔化そうと笑った先輩を同じ言葉で咎めた。先輩は少し躊躇って、そして言う。それは信頼というより、ともに同じ十字架を背負うが故の、連帯感に似ていた。
「夏油は、僕の共犯者だからな。」
「例の研究所のことですか。」
「そう言うことだ。」
勿体ぶってるんじゃなくて、瀕死だから。先輩はやけにゆったりと話し出す。
「例のさ、人造呪霊計画ってやつ覚えてるだろう?」
「ええ、覚えています。」
それで、死んでいった呪術師の子どもたちを二人で埋葬した。今でも、時間が空いたら墓参りに行っている。それはここ一年、私も先輩も変わらない習慣になっていた。
「(まさか……)」
気づいてしまった。先輩が躊躇った理由も、その先に続く地獄にも。
「順平と凪さんが、やられた。」
先輩の怒りは、正当な怒りだ。怒らないわけがない。恨まないわけがない。殺さないわけがない。
だって、そんなの、許せない。愛せない。
愛する人を害されたのだから、当然の報復のはずなんだ。
私だって、暴れたいほど怒ってる。暴れられないのは自分だって重傷だから、それだけ。
「順平は生きたまま呪霊にされた。例の術式移植の実験の逆のことされた。順平の術式で呪霊を作るつもりだったらしい。
まあ、半分成功して半分失敗したらしいけど。
お陰で僕の可愛い可愛い最愛の順平は半分呪霊の歪な存在だ。
凪さんだって、五条家の胎盤にされた。多分、無下限と六眼の抱き合わせ生まれてんぞ。それっぽい赤ちゃんは皆殺しにしたけど、まだ生きてるかもしれない。
はー、なぁにが潜在能力を引き出す至高の胎盤だ、人の嫁に何してくれてんだクソ野郎!!」
「だから、殺したんだよ」と。先輩の言葉が重く響く。
結局、あの研究に関与する呪術師を全て見つけ出すことはできていない。誰がどこでどう関わっているかなんて、広すぎてわからないから。
だから、先輩は保守派だろうが穏便派だろうが無差別に殺したのか、と納得した。
結局、私たちの敵である老害に違いはない。
きっと、誰もが先輩の実力を甘く見ていた。先輩は、殺そうと思えばいつだって殺せたのだ。先輩ほど暗殺向きの術師はいないだろう。
そして、起きたのがこの虐殺劇。
私は先輩の恨言をしっかりと聞いていた。失血死寸前だろうが、言葉を話すのをやめない先輩の魂の叫びを、聞いていたかった。
「でも、1番のクソ野郎は僕だ。守るなんて言いながら、地獄に叩き落とした。
僕なんかのせいで、凪さんと順平が不幸になる。」
そんなことはない。だけど、口は挟まない。余計なことを言って、先輩の言葉を遮りたくなかった。
先輩は、死ぬ。それは変わらない。
先輩は、殺す。それも変わらない。
なら、ギリギリまで。語ってほしい、刻みつけてほしい。
「夏油。何がなんでも隠してくれ。僕のこれは、二人が殺されたからとか、そんな感じででっち上げて報告してくれよ。それも別に嘘じゃないからさ。
お願いだから、僕の最愛を守ってくれ。
ひどいこと言ってるのはわかる。
だけど、僕は!
……もう凪さんと順平を守ることはできない。」
ああ、無念だ。そう吐き捨てて、先輩は泣いた。しゃくりあげて、涙も拭わずに。
いいや、拭えずに、が正しいか。先輩の腕は5メートル先に飛ばされてる。反転術式を使えば元に戻るだろうけれど、それを行うにも呪力が足りない。
膨大な呪力量を誇る先輩でも、最初から老害を呪殺したり、悟の隙を突くために散布したり、私との戦闘で片っ端から使ったら、いくらなんでも
絶対強者だった先輩が、敗者となって遺言を託す。
そんな姿は、見たくなかった。
先輩はなんやかんや言いつつ私たちと同じ道を歩くと、こんな“今”になってまで信じてる自分がいたことに驚く。
卒業しても、なんだかんだと高専にいた。
先輩は嫁バカと親バカを炸裂させながら高専にずっといて、悟をハブって先輩と私と、灰原・七海の四人でクーデターを成功させて、「あの頃は大変だったんだよ〜」と呑気に笑って。
先輩は大反対するけれど、結局順平くんが高専に入学して、呪術師になって。順平くんが任務行くたびにぐずって張り付いて凪さんに怒られる、みたいな。
そんな日常が、未来が。あると信じて疑っていなかった。
でも、それはもはや幻想だ。
先輩はここで死ぬ。先輩は、私が殺す。
先輩の野望も、希望も、理想も、全部ここで散ってゆく。
私が、散らす。
「死人の戯言だ、聞き流してくれていい。
でも、お願いだ。
やり方は任せるから、凪さんと順平だけは助けてほしい。
へらりと、先輩は笑う。本当はもっと生きたいくせに、未来に居たいくせに。
変なところで責任感のあるバカだから、どうしようもない汚れ役を背負って死ぬ。
まったく、こんな独断専行があっていいはずがない。それを考えないからこの先輩はドクズなんだ。
「わかりました。私は先輩の共犯者です。
……先輩の遺志は、私が継いでやりますよ。」
だけれど、仕方がない。やるしかない、やらねばならぬ。私には使命ができた。生きる理由ができた。先輩を踏み台にして、私はさらに上をいく。だから、やり遂げるんだ。
「革命、やりますよ。私が、やり遂げてやりますよ。
だから先輩は、凪さんと順平くんの背後霊でもしながら眺めていてください。」
「あっはっは!
そっか、そうか……。
………ありがとう。」
死者の戯言になんて、しない。この先輩の表情を、私は一生覚えて、抱えて、生きていくと自分に誓おう。
悲しいくらい、綺麗な笑顔だ。切ないぐらい、悲痛な涙だ。忘れられるものか、忘れたりなんてするものか。
「ちょうど五条もお目覚めだ。」
悟のまつ毛が少し揺れる。ゆっくりと開かれた神秘的な青は、私たちの姿を写した瞬間極限まで見開かれる。
「なあ夏油、前言撤回だ。今言ったこと、全部無かったことにする。
凪さんと順平は、お前ら後輩どもに全部任せる!
僕は二人の背後霊しながら見守ってるから、好きなようにやりやがれバーカ!」
「は、なに……、なにが……!?」
まだ、アルコールが抜け切ってないのだろう。ふわふわしてる悟が、呂律の回らない舌で喋る。そんな悟を見て、先輩は笑ってた。
さっきみたいな嘲笑じゃなくて、普通に、
憎しみを親愛で押し込んだみたいな、そんな複雑さがあったけれど、清々しい笑顔だ。
「おう、クソ後輩ども。最後の先輩アドバイスだ。耳かっぽじってよく聞けよ。
夏油はあんまり一人で抱え込むな、人を頼れ。五条ともっと本音で喧嘩しろ。
五条はもっと周りを見ろ、そんでお前も人を頼れ。お前だけ最強でも意味ねーよ。
自分の強さばっかり見てたら、いつか足元掬われる。……僕みたいになるな。」
先輩の命の灯火が、消えようとしている。もう残り僅かもないだろう。それなのに、先輩は脂汗を流しながら、命を削りながら。
「ああ、そうだ。最後にこれだけ言っておく。」
最後の演説が始まる。先輩お得意の、愛情論だ。
血反吐を「ぺっ」と吐いて、口の端から血を流して、そんな満身創痍な先輩の遺言。
私は、傾聴する。拝聴する。記憶に刻みつけるのだ。本当に、最後なのだから。
「いいか、クズども。みんなで、愛し合って生きろよ。
愛を忘れるな、絶対にだ。愛さえあればなんでもできる。
逆に愛を忘れちまうと、どんどん悪い方に落っこちまう。
なにせ、愛は無敵の呪いだからな。」
私は呪力を練り上げる。術式を発動させながら、最後まで聞き届けて、そして笑ってみせた。
「はい、先輩。
私は、私たちは。愛を忘れずに、愛し合いながら生きていきます。」
「よろしい。それじゃーーーー」
先輩は、一番いい顔で笑った。この瞬間を、遺影にしてやりたいほど綺麗な笑顔で。
「愛してるぜ、お前ら!」
どしゅっ!
悟が、呆然と見ていた。私と、吉野先輩を見ていた。
最後の一瞬まで、最後の最後まで。
目に焼き付いて離れない。先輩の鮮烈すぎる生涯は、打ち上げ花火みたいに盛大に上がって、儚く消えていく。
遺体を丁寧に抱き上げて、私は微笑んだ。
「心から敬愛してました、吉野先輩。」
あなたの遺志は、私が引き継ぎます。
これで一区切り。
一部はもうちょっと続きます