2006年、四月。
全国の学校が新学期を迎えている季節。とある山奥の過疎化が深刻な学校も新学期を迎えていた。
春は、人が浮かれる季節だ。過ごしやすい気候、桜の開花。草花が生い茂り、野鳥が軽やかな鳴き声で歌う。
陽気な気分にさせる季節だが、同時に変質者が湧きやすい。
呪術界的な認識では、春は呪詛師が沸く季節だ。
「はい、おーわり!」
「こっちも終わったよ。」
どさりと、顔をパンパンに腫らした男がコンクリートに横たわる。
おかしな格好の男だ。NA○UTOの暁でもリスペクトしてるのだろうか、長いロングコートにぐるぐるお面。
その隣には同じような格好をした男が、全身血まみれになって沈黙していた。
まさに惨劇。そしてそんな光景を作り出した男たちは「呪詛師討伐RTA最新記録じゃん! イェーイ」とハイタッチして楽しむ始末。
見た目のガラの悪さも相まってチンピラにしか見えない学生二人は、自分らが討伐した呪詛師をベンチがわりにして腰掛ける。
「はー、終わった終わった。
傑ー、焼肉食いに行こーぜ!」
「悟、ここど田舎だから焼肉屋なんて近くにないよ。
今帰れば食堂やってるし、さっさと帰ろう。」
「月曜ランチってなんだっけ?」
「ステーキ丼じゃなかった?
そういえば悟、補助監督ってもうよんだ?」
「あ、まだだわ。傑ヨロ〜」
「まったく、しょうがないな。」
さっさと帰れるように、国道近くのところで待とうと話し、二人は山を降りる。呪詛師は傑の呪霊に引き摺らせ「腹減った〜!」と呑気な会話をしていた二人は、完全に失念していた。
山から降りてくる血まみれの男二人が、
「きゃーーーーっ!!」
「「あ」」
■■■
「つーわけ。飛んだとばっちりだったぜ。」
「アンタねぇ!!」
広いとはいえない食堂のテーブルに、四人の生徒が座ってる。「わいわい」というより「ぎゃーすか」と騒ぐ彼らのそばに、食堂で働くパートの女性が近寄る。
「やー、今日も派手に喧嘩してるね。」
「凪さん!」
けらけら笑いがら、「はい、お冷。」と人数分の飲み物を運んできたのは私たちより五つ年上の女性。呑気な彼女に歌姫は「こいつらが悪いんですよ!」と声を荒らげた。
冷静になるように取り繕っているのだが、如何せん怒りで心が荒れている。声が大きくなるのも仕方がないというものだ。
「呪詛師の討伐だっけ。失敗しちゃった感じ?」
「はー、んなわけ!
俺らが失敗するわけないっしょ。なー傑!」
「ええ、呪詛師はしっかり捕縛して補助監督に引き渡しましたよ。」
「じゃーなんで歌姫ちゃんはお冠なのさ。」
「聞いてくださいよ! 」
歌姫と呼ばれたおさげの少女が、テーブルを力任せに「ばん!」と叩いた。
「うお!? びっくりしたぁ〜」
「まあまあ、落ち着いてくださいよ歌姫センパイ」
怒りのボルテージが上がった歌姫の背中を、隣に座っていたボブカットの少女、家入硝子が優しく撫でた。
「帳貼り忘れて非術師に見られちゃったんですって。
で、警察に通報。これですよ。」
ニヤニヤ笑った硝子が、両手で拳を作って胸の前で揃える。それを見て長髪の少年、もとい夏油傑はちょっとだけムッとした表情をつくり、片目を瞑る。
「いやいや、逮捕はされてないさ。」
「そーそー、パトカーよばれたから、帰り道がリアルカーレースになっただけ。」
「だからパトカー来てたのか。サイレンの音するなーって思ってたのよ。」
そう、彼らはとんでもないことをしてくれたのだ。一般人に目撃された程度ならまだマシ。問題はそのあとだ。
通報された二人は、報告を面倒臭がって緊急時を装って補助監督を呼び出した。そしてパトカーが到着する前に呪詛師を適当に縛って車のトランクに積み込むも、近くを巡回していた(自転車乗った)お巡りさんが現場を目撃。
自転車で車を追いかけながら緊急配備がかかった。
パトカーが増やされ、大規模な追跡となり。警察に出頭しようとする補助監督を脅して騙して、無理矢理帰宅しようとしたアホ二人。
説明もせずに補助監督に車を出させたせいで、訳もわからず言いなりになる補助監督。
その日の帰路はデットヒートレースとなった。運転手のドラテクが光るハイランクな追いかけっこだったらしい。途中川を飛び越えたとか言っていた。
哀れな補助監督は殺人教唆とスピード違反、器物損壊もろもろでしょっ引かれた。
「ガードレール飛び越えた時はテンション上がったな〜!
あの補助監督、俺ら専用にしねえ?」
「やめてやれよ、可哀想じゃん。」
「本当、我が校の恥だわ……!」
それを見て凪は「あちゃー、やっちゃったね〜」と愉快そうに笑った。
「凪さんからも言ってやってくださいよ、帳の重要性!」
「え、そっち?
普通デッドヒートレースの方じゃない?」
それに見えないよ、私。そう繋げた彼女は、この学校で唯一の非術師だ。
吉野凪。東京都立呪術高等専門学校の食堂のお姉さんであり、一児の母だ。 呪霊は一切見えない非術師だが、彼女は呪術の世界をよく知っている。(高専で働いているのだから当然といえば当然だが。)
凪さんの言葉を「へーへー」と言って聞き流した悟が、頭の後ろで手を組んで唇を尖らせる。
「べっつに、パンピーに見られても良くね?
そもそも肝試しとか廃墟探索とか行って不法侵入してんのはアイツらじゃん。
今日のだってさー、私有地勝手に入ってたの向こうだぜ。
巻き込まれても自業自得だろ。」
「こら、悟。凪さんの前で失礼だろう。」
「あっはっは、ほんとのことだし気にしないよ。」
「食券ちょうだい。」と手を差し出した凪に、四人は一斉に渡す。
それらをバインダーに挟んで、「はい、ありがとー」と軽く返事をした。
少し遠くから、「たかたか」と廊下を走る足音が聞こえる。がらら、と扉を開けたのは小さな人影。
「きかんしました!」
ネギを伝説の剣のように掲げて、幼児が元気よく声を上げる。小さな足をせこせこ動かして、私たちのいる方向へ走ってくる。子どもの必死な姿に思わず笑みが溢れて、硝子が「うわっ」と失礼な声をあげた。
「おかーさん、どーぞ!」
「ありがと順平。」
この子どもの名前は吉野順平。凪さんの息子だ。
そう、吉野凪は既婚者だ。五歳年上なのに、順平くんという大きな子どもがいる経産婦でもある。
「これで親子丼作れるよ。
お父さん喜ぶね。」
ネギを受け取った凪さんが「むふーっ」と満足げに微笑む子どもの頭をワシワシ撫でる。上記の発言からもわかるように、残念ながら彼女はシングルマザーではない。過保護で重い旦那がいる。彼女の旦那については長くなるし面倒なので割愛しよう。
手持ち無沙汰なのか、ぐるぐるとネギ回しをして、ついでに戦隊ヒーローよろしく決めポーズを決めた凪が「じゃあ厨房戻るわ、順平よろしく!」と手を振って戻っていく。
彼女に息子を任された少年少女は「はーい」と揃って返事をして、可愛い盛りの子どもに群がる。
「順平くん、お使いご苦労様。はじめてのお使いかな?」
「だーれにもなーいしょーでってやつ?」
「そう! ぼくえらい?」
「えらいえらーい」
「飴あげるよ。ハッカだけど。」
「五条、それ自分が要らないだけじゃん。」
「えー、僕アンパンマンがいい!」
「アンパンマンチョコは俺のだからダーメ。」
「大人気ないことしてないで一個ぐらいあげなさいよ。」
順平を椅子に座らせて、「何食べる?」と歌姫が尋ねる。チョコレートをもらえなくて膨れていた順平も、メニュー表を食い入るようにみている。チョコレートのことはもう忘れてしまったようだ。
「お子様ランチだろ。」
「うん!」
悟が棒付きチョコを食べながら順平に聞いて、それに元気よく答える。微笑ましい光景だ。
「じゃ、凪さんにお願いしようか。」
「凪さーん」と厨房で給仕作業をする人に声をかけたら、「なーにー?」と大きめの声が返ってくる。
「順平、お子様ランチがいいって。」
「残念、今日の賄いはカレーです。
お子様ランチはファミレスね。」
「えぇー!」
ぷくりと頬を膨らませた順平だけど、「トンカツトッピングするよ」の言葉ですぐに機嫌を直す。
「そういえばさっきのネギ。親子丼作るってことは、今日ですか?」
「らしいよ。」
硝子ちゃん目敏い! なんて。カラカラと笑い声が響く。
「今日の朝メールが来ててさ。
お昼に着くって言ってたからそろそろじゃない?
はい、お待ちどう様。」
どん、と両手にお盆を乗せて現れた凪が配膳をする。
「硝子ちゃんがAランチ、歌姫ちゃんがサバ味噌定食。
で、男どもはカレーっと。
あ、カツはサービスね。五条くんと夏油くんのパクられ回避&生還記念!こっちが甘口でこっちが辛口ね。
補助監督さんに迷惑かけちゃダメだよ〜。
ほら、順平も一緒に食べな。」
「よ、凪さん太っ腹ーっ!」
「褒められてないよ、悟。」
「順平くんは私らと食べよっか。」
「助かるよー、ありがと歌姫ちゃん。」
配膳作業を終わらせた凪さんが「 で、さっきの話だけど。」と話を振る。なんの話か忘れていた私たちだか、続く言葉で思い出す。
「帳ってやつ?
五条くんの言い分もわかるけどさ、ないよりはあったほうがいいんじゃない?」
「ウゲェ、凪さんもそー言っちゃう?」
「いやー、だってさぁ、公平は「帳がないと安心して戦えない」って言ってたし。よく知らないけど。」
「ハッ、公平はそーなんじゃない?
だってアイツ、ノーコンだし。」
悟が鼻で笑った瞬間、背後に黒い人影。あ、と声を上げる前に、鉄槌が悟の脳天に下された。
「誰がノーコンだ、クソガキ。」
「あだ!?」
カレーに顔面叩きつけられた悟。間一髪術式が間に合ったようで悲惨なことにはならなかったが、それはそれ。ムクリと起き上がり、サングラスをずらして威嚇する悟が、があっ! と噛み付くように吠えた。
「なにしやがる、公平!!」
そう、悟を今しがたカレーに突っ込もうとしたこの男こそが吉野公平。
黒髪黒目で日本人らしい色彩の持ち主だが、ぱっちり二重で悟とは別系統にジャニーズ系の男だ。
顔はなかなか中性的で、化粧もしてないのに長い下まつげと左目の泣きぼくろがチャームポイントらしい。
今日も右目が隠れるぐらい長い前髪を、わざわざメカクレヘアーにセットしている。二次元に影響されすぎだろとよく揶揄われてる、変な髪型の先輩だ。
「こっちのセリフだ五条。
俺の術式制御は完璧だ、気持ち悪いほどにな。」
「それ、自分で言うんだ。」
歌姫が呆れたように言って、吉野先輩が「本当のことだからな」と鼻で笑う。
そして、くるりと振り返った先輩が両手を広げて叫ぶ。
「ただいま、マイスイートファミリー!!!」
どうっと、学校全体に響くんじゃないかと言う轟音。耳を塞いで自衛するが少しキンキンする。
「おとーさん、おかえりなさい!」
「おかえり。親子丼今から作るからもうちょい待ってね。」
「もちろん、いつまでも待つよ!」
そう、これが吉野公平。日本でたった三人しかいない特級呪術師の一人で、愛情至上主義者。鬱陶しいほどの愛情表現は家族限定だが、その余波で毎回何人か犠牲になる。
今日はただの爆音だからマシな方で、惚気に巻き込まれたら最悪だ。さっぱり終わらないし、ちゃんと聞いてないとまた一から繰り返される。傍迷惑な先輩だ。
「ああ凪さん、今日も最高に輝いてるよ! 初○ミクよりネギが似合う!!
順平も少し見ないうちに背が伸びたかな?」
「あっはっは、褒めてないよそれ。」
「三日でしんちょうのびないよ。」
膨れた順平に「かわいい!」と頬擦りしながら、同時進行で凪を賛美する公平。
「ネギが似合わない女目指すわ。」と笑った凪に「そんな凪さんも美しい!」と声を上げる。いつも通りと光景だ。
「あのね、おとうさん!
きょうね、おとうさんのおやこどんね、ぼくのネギなんだよ!!」
「うわぁぁぁ!!
順平一人でお使いできたのか!? 天才じゃないか!」
「今のでよく分かりましたね、先輩。」
「わかるに決まってんだろ! 息子だぞ!!」
で、と。急に熱が覚めたように冷静になった先輩がくるりと振り返り、「そういや」と言葉を切る。
「ずいぶん盛り上がってたみたいだけど、何話してたの?」
「また五条が帳を忘れたんです。」
「で、パクられ未遂からのデットヒート帰校。」
「間抜けだな、お前ら。」
「一回マジで逮捕されてムショ送りになったお前に言われたかねーわな。」
「僕たち吉野ファミリーの聖域に土足で侵入してきた空き巣をボコって何が悪い。」
「過剰防衛って知ってます、先輩?」
「僕の辞書には載ってないな。」
「ウザ」
ドヤ顔の先輩をストレートに罵倒した私だが、先輩からの反撃は来なかった。なぜなら、先輩はそれどころじゃなくなる。
「へいおまち、親子丼だよ〜!」
「ありがとう凪さん! この世に生まれてきたことを感謝しながら至高の料理を食べさせてもらいます!いただきます!!」
「うーん大袈裟だなあ。」
ええ、本当に。よく凪さんはこれと添い遂げようと思ったことだといつも私は感心する。確実に先輩に押し切られたのだろうが、それにしても鬱陶しい男だ。
ベラベラと凪さんを讃える言葉を垂れ流す先輩の声をBGMにして、私たちも食事を続ける。
凪さんが裏に引っ込んだ後は順平を構い倒してウザがられてる。
惚気が始まる前に退散しようと、食事を終えた私と悟、硝子が目くばせをした、その時。
「そうだ、2年ども。帰る前に話をしようぜ。」
まず私が捕まった。私は逃げようとする悟の服を鷲掴み、悟が硝子の腕を掴んだ。
「傑ぅぅぅぅ!!
テメーどう言うつもりだ離しやがれ!」
「嫌だ! 一人で捕まるのは……!!」
「『私のことは構わず行け……!』とか言えねーのかお前は!!」
「私に構わず逝けよクズども!!」
「ふざけんなお前も道連れだ!」
「なにコントしてんのお前ら。」
銀○のワンシーンを意図せず真似てしまった三人を呆れたような目で見た先輩が、「まあ、聞けや。」と机を人差し指で叩く。式神まで出してきたことにとうとう逃げられないと悟った私たちは、渋々座る。
「君ら、僕のことなんだと思ってんだよ。」
「惚気魔。」
「恋愛脳〜」
「お花畑ですかね。」
「あっはは、ボコボコにしてやろうかお前ら。」
先輩は笑うけれど、目がさっぱり笑ってない。うわあ、面倒臭いと声に出して言ってやってもさっぱり堪えた様子がなくて、うんざりする。
「で、私ら引き止めてなんの用事ですか〜?」
「はあ、ようやく本題か。」
やれやれ、なんてわざとらしく肩をすくめ、先輩がため息混じりに言った。
「君ら今度護衛任務するんでしょ、星漿体の。」
「は? しないけど。」
「あれ?」
そんな話は知らないといえば、「まだ本決定じゃなかったか?」と先輩は首を傾げた。
「そんな話が出てるんですか?」
「なんでも、天元様のご指名だって聞いたけど……おかしいな。」
うーん、と先輩が首を傾げる。なぜそんなことを知ってるのかと尋ねたら、先輩は「最初、僕に回ってきてたからね。」と軽く告げた。
「一年位前から決まっててさ。それが急に変更だって言うから、詳しく聞いたらそう言われたってわけ。
だからこうして場を設けたわけなんだけど……情報部のミスか?」
うーん、とこめかみを指で軽く叩いた先輩に硝子が「うげっ」と声を上げる。
「なに、私まで護衛すんの?」
「いや、家入は護衛対象役にしようと思ってた。」
「だよね。」
はー、焦ったぁなんて言って、硝子が脱力する。まあ、そうだろうなと言うのが私の考えだ。非戦闘員の硝子では、護衛する数が一つ増えるだけになるだろう。
なるほど、理解した。と、傑は頷く。吉野先輩は「まあ、一応覚悟しとけばって忠告さ。」と椅子に座りながら肩をすくめた。順平がそれを見て真似をする。かわいい。
「護衛任務は呪霊の討伐とは勝手が違うからね。対象を守りながら戦うのって精神削るし、それに長いんだよ。
だから正式に任務として入る前に、練習がてら稽古つけてやろうかなって思ってね。」
『先輩らしい』ことを提案してくる吉野先輩に思わず感心する。普段の態度では考えられない提案だ。なにせ、普段は「愛」を垂れ流すだけの公害なので。
「別に、お前に教えられることなんてないけど?」
「はー、若い奴はよく吠えるねぇ。」
何かを思いついた先輩がパチンと指を鳴らす。揶揄うように「ニヤリ」と笑って、嘲りの色を瞳に乗せて鼻で笑う。
「でもま、確かに一理あるよね。
君らみたいな護衛に不向きなやつに回ってくるわけないか。今のはなかったことにしてくれていいよ。」
「は〜?? ヨユーだわ、できるに決まってんだろ!
飯食い終わったら校庭だかんな!」
机を叩いて立ち上がり、中指を立てる。もともと肌が白いから怒っているせいで首まで真っ赤に染めあげた悟に、傑は呆れながら鼻を鳴らした。
硝子は悟のサングラスを勝手にかけて面白そうに眺めてる。
「悟、煽られやすすぎ。」
「ほーんとそれな。」