順平覚醒編はもうしばらくお待ちください
呪いの子❶
一面札だらけの仰々しい部屋の中。いや、仰々しいというよりもおどろおどろしいと言った方が正しいかもしれない。
だけど、まあ。大袈裟なくらいに「いかにも」な部屋。たった1人を監禁するために作られた檻。
椅子に三角座りをする少年。向かい合うのは背の高い白髪の男。
ぐにゃぐにゃに捻じ曲げられたナイフを片手に、彼は言った。
「でも、一人は寂しいよ。」
ぎくり。図星を刺されて体が強張る。不審者同然の姿をした目隠し男はそれを見抜いていたのかいないのか。肩に「ポン」と手を置いて、優しく語りかける。
「君にかかった呪いは使い方次第で人を助けることができる。力の使い方を学びなさい。
全てを投げ出すのはそれからでも遅くないだろう。」
【2017年1月東京。
予備校生による敵対行動が誘因となり、首謀者含む3名の生徒(四級呪術師)が重傷を負う。】
そんな甘言に惑わされて外に出た末路がコレ。やはり、僕は外に出てはいけない存在なのだ。
自主的に逆戻りした檻の中に、再び現れたのは別の男。
「やあ、君が悟が言ってた乙骨憂太くんかな?
はじめまして、私は夏油傑。君に呪術の基礎を教えることになった先生だ。
気軽に夏油先生って呼んでくれ。」
再び引きこもったあの札だらけの部屋の中で、長髪の男は大袈裟なくらい明るい声でそう言った。
夏油傑。そう名乗った男は胡散臭い笑顔で僕に手を差し出す。僕は、膝を抱えて首を振る。
仕方ないなぁ、と言いたげに苦笑いをした男が、どこからか唐突に現れた呪霊を椅子がわりにして腰掛ける。
びっくりして目を見開くが、見られてる本人に気にした様子は一切ない。
「聞いたよ、塾生握り潰したんだって?」
大袈裟に肩をすくめて「全治二週間らしい。」と繋げる。
全治二週間。それがどの程度の基準になるのか僕には判断がつかない。でも、大怪我だというのは理解してる。
だって、僕はそれを間近で見ていた。確実に骨が折れてる。
わかってる。悪いのは僕だ。____でも、
「里香ちゃんを悪く言わないでください。」
里香ちゃんが僕を守ろうとしてくれただけだ。何も悪くない。僕が臆病で、弱くて、情けないせいで。彼女を不安がらせてしまうのが悪い。
里香ちゃんは、悪くない。里香ちゃんの
「言い方が悪かったかな?
私は別に君を責めてなんかないよ。むしろ、君たち……というより、折本里香の愛を好ましく思っている。」
「ごめんね」と軽く謝って、それから「ナイス
……この人のキャラクター性が読めない。胡散臭いのか軽いのか、お調子者なのか。わざとだろうか?
よくわからない人だけれど、里香ちゃんの存在を含めて「僕」を肯定されたのは初めてかもしれない。
この人も呪霊が憑いてるみたいだし、僕と同じ被呪者というやつなのだろうか。ほんの少し共感する。
「いいかい乙骨くん。君は、もっと自分の「愛」に自信を持つべきだ。」
愛、とは?
唐突な発言に目を丸くする。自信を持てと言われてもよくわからなくて「えぇ」と小さく感嘆詞を漏らし、声と共に顔を上げる。
目があった。にこりと、夏油さんが微笑む。
「言っただろう、私は君をよく知ってる。君が折本里香ちゃんに呪われる原因になったことも、それからのことも、全部全部知っているさ。
知っている上で、言おう。
まあ、こっちの世界にも『意見』と『思想』は多種多様だ。君を殺せという意見だってある。
けれど、その上で言おう。私は君が欲しい。君という人材が必要だ。」
なんだ、これは。僕に都合の良い夢でもみているのだろうか。生きているだけでいろんな人に迷惑をかける僕が、誰かに必要とされるなんて。
頬をつねろうとして、里香ちゃんがそれを止めた。手首に感じる冷たい体温に、夢ではないと確信する。
「これは私の持論なんだけれど、呪術師とは愛に溢れた人間であるべきなんだ。
なぜなら愛は無敵の呪い。愛さえあればなんでもできる。愛
そして、君だ。」
ぱちん!
指を鳴らして、その流れで人差し指が僕を指す。
「私は君の愛に感服してる。
呪霊に成り果ててしまっても尚、君は
「当然です。」
即答、答えなんて決まってる。
僕は里香ちゃんが大好きで、ずっとそばにいたいと思ってて。
「でも、だからこそ。
僕のせいで里香ちゃんが誰かを傷つけるのは見たくない。
僕にはやっぱり無理だった。一度は外に出ようと思ったけれど、同じことの繰り返し。
もう誰も傷つけたくありません。だからもう、外には出ません。」
「うーん、振り出しに戻る、か。」
「それもまた一つの考えなんだろうけれど……。」なんて困り顔で言う。 ダメ押しするみたいに、僕の意思は変わらないと再度伝える。
難しい顔になってしまった夏油さん。申し訳ないと思う。こんな僕に価値なんて見出してもらって、嬉しかった。それだけで、十分なのだと。
「ねえ乙骨くん」
不意に夏油さんが名前を呼んだ。その表情はなんとも言い難い。「胡散臭い」を捏ねて固めたらこんな顔になるんじゃないかって言うような胡散臭さで、ペテン師のように手と脚を組んで。
夏油傑が、笑う。
「君、ロッカー
「そんな缶詰みたいなノリで言わないでくださいよ……。というか、【愛】?」
「そうだ。
愛と言っても、それはひとえに恋愛だけを指すのではない。
友愛、兄弟愛、敬愛、隣人愛。愛にだって種類がある。
でもまぁ、その様子じゃ君は彼らを【愛】してはいなかったのだろう?」
ぐ、と言葉を飲み込む。その通りだ。いじめてくる奴らを【愛】したりなんてするわけがない。
そんな人がいるのならば、それはマゾヒストか、相当の博愛主義者くらいじゃないか。
無言の回答を「YES」と認識したのか、夏油さんが続ける。
「繰り返すけどね乙骨君。愛とは、人の価値なんだ。」
「恋愛、自己愛、人類愛、友愛、博愛、遺愛、恩愛兄弟愛郷土愛敬愛親愛慈愛情愛忠愛盲愛異性愛同性愛隣人愛。
なんだっていいんだ、愛さえあればそれでいい。私は愛を肯定し愛を信奉する。
が、愛せないものには価値などない。」
目から鱗。そんな思想があって良いのか、と口を開けた。
愛、愛、愛。
愛の名の下に全てが肯定され、愛の名の下に全てを否定する。そんな理論がまかり通って良いのだろうか。
期待、懐疑、好奇、怪訝。
胸の内側で、幾つかの感情が浮かんでは消える。
「乙骨くん、君は折本里香を愛しているのだろう?」
愛してる。当然だ。僕は、里香ちゃんが好きだ。
たとえ、幼い日の記憶を美化しているのだとしても。今の現状を不満に思っていたとしても。
僕は里香ちゃんに救われた。里香ちゃんが大好きだ。だから、答える。
「僕は、里香ちゃんが好きです。どんな姿になったって、里香ちゃんは里香ちゃんだ。」
「うん、それでいい。」
満点回答だ、などと。邪悪さを滲ませて嗤った。夏油さんはまるで教祖か神父のように敬虔に、王か首領のように大胆不敵に手を広げる。
立っているだけで視線を引き寄せる絶対的カリスマ。呼吸のタイミングすら計算し尽くされているのではないかと考えてしまうほどに、一挙一動に注目する。
怖いほどに蠱惑的。妙な緊張感で強張る体。穏やかな声音すら、まさに獲物を締め殺そうと舌を出す毒蛇のように思えた。
「私が君に基礎を教えてあげよう。呪術とはなんたるか、呪力とはなにか。高専に入学するまでの期間、私が君を導こう。」
「なぁーに洗脳してんだよ傑。」
バコっと夏油さんの後頭部(の、お団子部分)が叩かれる。ぐしゃりと崩れた髪型。背後から手を振るのは見覚えのある白髪の男。
僕を最初に外に連れ出した人、五条悟が立っていた。
「ごめんね憂太〜、自称愛の伝道師が迷惑かけたでしょ。」
「誰が自称だ、正真正銘の愛の伝道師だよ。」
「キショいからやめろっつってんだろ。真似っ子か?」
「失礼な、二代目さ。」
「(仲がいいのかな……?)」
楽しそうに喧嘩してる2人に内心で首を傾げる。そう言えば、夏油さんは最初に「
親しげな様子を見るに、2人は友達なのだろう。
いいなぁ、なんて。ちょっと憧れる。
「あの、それで……基礎を教わるって言うのは……?」
「ああ、それね。だって君、そのまま学校に放り込むにはちょぉ〜っと危険だからさ。だから塾に入れてみたんだけど、アレだったじゃん?
だから____ 」
どさりと。夏油さんの肩に腕を回して、五条さんは言う。
「こいつに呪術とはなんたるかを教えてもらおうと思ってね。
憂太とも相性いいんじゃない? 知らないけど。」
「うん、私もそう思うよ乙骨君。
共に愛に生きる紳士同士、仲良くしよう。」
「はい、よろしくお願いします!」
僕は、今度こそ彼の手を取った。
愛別離苦
読み方 あいべつりく
意味 仏教の八苦の一つで、親子や兄弟、夫婦などの愛する人との生別または死別することの悲しみや苦しみのこと。
出典 『大般涅槃経』
[四字熟語辞典より]