「僕の愛の為に死ね。」   作:蔵之助

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二部主人公ようやく正式登場。



愛とはただのまやかしですか?

 「好きの反対は無関心なんて初めに言った人は、ちゃんと地獄に落ちたでしょうか。」

 

 ぴちゃん、ぱちゃん、ぽちゃん。

 水音とともに、少年の声が溝の中でわんわん反響しながら響く。

 静かで少し寒い下水道は思ったよりも汚くなくて、ヘドロの匂いはあまりしない。

 

 「悪意を持って人と関わることが、関わらないより正しいなんてありえない。」

 

 手のひらに乗せられた小さな人形のようなものを眺め、手慰みに弄びながら、昏い瞳でぽつぽつと語る。

 

 「『好きの反対は嫌い』です。

 日本人って好きですよね、単純(シンプル)な答えを複雑にして悦に浸るの。」

 「はは」

 

 溝の中に、もう一つの声。今度は少し子どものような色を残す声で、それに少年が「おかしいですか?」と尋ねる。

 

 「いいや、知り合いに同じようなことを言う奴がいてね。」

 

 くすくすと笑いながら、もう一人ーーー否。

 呪霊が穏やかに言葉を作る。

 

 「みんな、言葉遊びが好きなのさ。何故なら人間は……。」

 

 かつん。

 靴音が止まる。少年……順平も足を止めて、そこにいたものに視線を向ける。

 

 「言い訳をしないと生きていけないからね。」

 

 呪霊の前にあったのは、巨大な何か。巨人というには醜すぎて、しかしどこか人間のような形も残す。

 

 「これは?」

 「一人の人間をどこまで大きくできるかの実験。」

 

 これは、人間だったようだ。順平は驚く。人間とは、ここまで醜悪になれるものなのかと。

 すい、と呪霊……真人の視線が順平の手のひらに移動した。

 

 「逆にそっちはどこまで小さくできるか試してみた。」

 「!」

 

 これが…人間? と。そう呟いた順平に真人は穏やかに尋ねる。「順平は死体に慣れてるの?」と。

 

 「どうでしょう。」

 

 す、と真人に最小化した人間を渡して、空っぽになった手を見つめる。さっきまで人間が乗っていたとは思えないほど、普通だ。

 

 「それが僕の母だったら、取り乱し真人さんを憎んでいたかもしれません。

 でも、僕は人間の醜悪さを知ってます。だから他人に何も期待していないし、他人の死に何も思うところはありません。

 『無関心』こそ、人間の行き着くべき美徳です。」

 

 走馬灯のように、蘇る記憶。母の言う、狭い水槽の中で起きた地獄の日々。順平のトラウマになってしまったそれらが一気に頭の中で氾濫して、順平は顔の右側を覆った。

 

 「そんな君が、復讐ね。」

 「矛盾してるって、言いたいんですか?」

 「いいや、べつに。

 やっぱ似てるなって思っただけさ。」

 

 ジロジロと眺めて、真人はクスリと笑う。真人は自分の「協力者」である二人のうち一人を思い出す。見れば見るほど、順平はそいつにそっくりだ。

 順平の持論も、方向性は違うが根元部分にあるのは『あいつ』の思想によく似てる。

 そう思って、真人はほんの探り程度に話を振る。

 

 「ねえ、順平。君のお父さんってどんな人?」

 「……さあ、知りません。僕の家は母子家庭だから。」

 「へぇ……。」

 

 順平は「きゅ」と、眉間に皺を寄せた。真人は順平の返事が期待したものと違ったのか、鼻白む。「父を知ってるんですか」と聞こうとして、聞かなかった。

 

 「(僕と母さんを捨てた男なんて、どうだっていいだろう。)」

 

 気にするだけ無駄だ。父は僕と母を捨ててどこかに消えてしまった。それが答えじゃないか。どうせ、余所に恋人作って出て行ったに違いない。

 今、どこで何をしているかなんて僕には関係ないし興味もない。

 でも割り切れるほど、順平はまだ無関心になりきれない。

 小さく芽生えた興味を「害悪だ」と責め立てるように、強い嫌悪で蓋をする。

 父に対する感情は、言葉を作るのが難しい。そもそもろくに覚えてない。結局、順平は沈黙を選ぶ。

 

 「順平は人に心があると思う?」

 

 話を逸らすための話題は、真人の方から振られた。「ないんですか?」という順平の疑問に「ないよ。」と食い気味に肯定した真人が、ぼんやりと宙を眺めた。

 

 「魂はある。でもそれは心じゃない。」

 「じゃあっ!

 僕のこの……!!」

 「俺はこの世界で唯一魂の構造を理解している。」

 

 順平の言葉を聞き流し、遮って。真人はつらつら語り続ける。真人の独特な空気に飲まれて、順平も口をつぐむ。

 

 「それに触れることで生物の形を変えているからね。

 喜怒哀楽は全て魂の代謝によるものだ。心と呼ぶにはあまりに機械的だよ。」

 

 人は目に見えないものを特別に考えすぎると言った真人は、「命に価値や重さなんてないんだよ」と穏やかに吐き捨てた。

 

 「無関心という理想に囚われてはいけないよ。生き様に一貫性なんて必要ない。

 ()()()()()()()()()()()()()()。」

 

 にこり。真人は笑う。そして、順平の心臓に手を当てて、何かをこじ開けるような仕草をする。そして、ピクリと眉毛を動かした。

 

 「真人さん……?」

 

 不審な態度は一瞬で鳴りを潜めて、「なんでもないよ」と微笑む。

 

 

 「俺は順平の全てを肯定するよ。」

 

 

 嬉しいはずのその言葉は、毒のように順平を内側から焦がしていた。

 

 ■■■

 

 「(真人さんはああ言ってたけれど、僕はどうしたらいいんだろう。)」

 

 特に自由に生きろと真人さんは言った。あの時は疑問に思わなかったけれど、今思うとなんか変な言葉だ。

 いつもの下水道から地上に帰還し、自宅に向かって歩く。

 その間、自由について考える。真人さんの言うには、感情は魂の代謝。自由とは、魂のあるがままに生きることだろうか。

 

 「吉野ぉ」

 

 ふと、名前を呼ばれて顔を上げる。家の前に、太った中年男が座り込んでいた。それが誰だか理解した瞬間、気道が「きゅっ」と狭まる。

 

 「ダメじゃないか、学校サボって。」

 「外村……先生……。」

 

 じり、と。無意識に後ずさる。逃げたいわけじゃないのに、体が逃げようとしている。

 外村が「なんで逃げる?」と首を傾げ、汗をハンカチで拭きながら順平の方へと歩き寄る。

 

 「聞いたか?

 佐山、西村、本田、亡くなったって。」

 「(……。)」

 

 だからどうした、知ってるよ。そんなの順平が一番知ってるさ。何せ目撃者だ。

 どうせ、こいつのことだ。僕が犯人なんじゃないかとか、そんな憶測で責め立てられるんだろうな。なんて、冷めた心地で俯瞰する。

 けれど、次の言葉はそんな順平の想像の遥か上を行っていた。

 

 「オマエ、仲良かったよなぁ。」

 

  ……?

 

 「は?」

 

 何を言われたのか、意味がわからなかった。本気で、腹の底から「こいつは何を言っているんだ」と純粋な疑問が湧き上がってきて、冷たい汗が背筋を凍らせる。

 

 「友達もいないオマエをよくかまってやってたろ。

 それなのに葬式にも出ないで……」

 「(仲良し? 僕が? あいつらと?)」

 

 ゾッと、怒りとも恐怖ともつかない感情で脳みそが茹だる気分だった。ガタガタと震えて、呼吸が苦しくなる。

 

 「一緒に行ってやるから、線香だけでも上げに行こう。」

 「(正気じゃない……っ!)」

 

 この男は、いったい何を見ていたんだろうか。仮にも一年、僕を見てきてそれを言うのか。よくもまあ、抜け抜けとそんなことが言えるな。

 もはや、こいつの言葉は豚の鳴き声しか聞こえない。人間の言葉を喋れよと、冷めた心地で眺めてた。順平の中にいる「なにか」が、目覚めかけている。

 

 「教師って……学校卒業して学校に勤めるから、およそ社会と呼べるものを経験してないですよね。」

 

 こんな豚にも敬語を使ってしまう自分の口すら憎まじくて、言葉が洪水のように漏れ出す。

 

 「だからあんたみたいな、デカい子供が出来上がるんでしょうね。」

 

 人を灰皿がわりにして、ゴキブリ食わされて、写真を撮られて。僕を嘲笑う馬鹿なデカい子供中に、この男も混ざってた。

 

 「(どいつも、こいつも生きてる価値なんてあるか?)」

 

 自由に生きるって言うのは、魂の赴くままに生きると言うのは、そう言うことなんじゃないか?

 耳元で、誰かが順平の思想を肯定している。ひそひそと囁くように「殺せばいい」と唆す。

 

 「何をぶつぶつ言ってんだ?

 引きこもっておかしくなったか?

 なんて、アハハ」

 

 気づけば、右手は勝手に『印』を結んで、呪力が練り上げている。

 殺意で持ってこいつを殺そうと、した、瞬間ーーー。

 

 「ストォーーーップ!!」

 

 聞き慣れない第三者の声。初めて聞く、同い年くらいの男の声だった。はっと顔を上げると、なぜか蠅頭と、それを捕まえようとしている少年が飛んできた。

 ぱちんと、視線が交わる。

 

 「(あ、この人)」

 「(あ、こいつ)」

 「「(見えてるんだ/見えてるな)」」

 

 ピンク色の髪の少年がくるりと宙返りをして、勢い余って電柱に頭をぶつける。

 「体操選手か?」と外村が言う声をどこかぼんやりと聞いていて、ぼうっとしている間に奇妙な少年は順平の目の前に立っていた。

 


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