「なあ、ちょっと聞きたいことあっからさ。
面かして。」
ずいっと迫ってきた少年に、順平はたじろぐ。ぱっと見、不良だ。ここら辺では見かけたことのない制服。
その、襟元に、渦巻き模様のボタンがあることに気づく。
「(このボタン……。)」
ふと、つい数十分前の記憶を思い出す。
『渦巻きのボタンをしている学生にあったら仲良くするといい。彼らは呪術師なんだ』
いつも通り軽薄に微笑んだ真人を思い出す。彼の言うことに従うなら、この人は呪術師だ。
順平が考え込んでいる間に何故か呪術師の少年は外村と言い争いをしていて、外村のズボンを脱がして逃走した。
「なんだったんだ……。」
ぽかんと、パンツ一枚でズボン泥棒を追いかける外村を見送ってしまった。
このままだと変質者として通報されるのも時間の問題か、と考えていたら、背中を叩かれる。振り返って、ギョッとする。
「そんじゃ、行こうぜー。」
「え、はや!!
もう一周してきたの!?」
おう、と頷く少年に、目を丸くする。ちょっと異常な身体能力だ。呪術師ってこういう感じなのか?
「……というか、わざわざあんなことしなくても僕だけ引っ張っていけばよかったんじゃ……。」
「んーまあ。」
そうだけどさぁ、と順平の言葉を肯定しながら。真っ直ぐと順平の目を見つめて、少年は言った。
「でもオマエ、アイツ嫌いだろ。」
「!」
図星。少したじろぎ、ちょっとだけ呆ける。
「なんで……?」
わかりやすかっただろうか。そんなあからさまな態度をしたかな。
「なんとなく。
あ、違った!?」
「違くないけど。」
たったそれだけの理由で、わざわざそんなことをしたのかと。どうでもいいことで心がざわめく。
明らかに不良然とした少年が、「んー」と唸って頭を搔いた。
「それにさ、嫌いな奴にいつまでも家の前にいて欲しくねーだろ。」
「……うん。」
その、ちょっとした気遣い? みたいなやつが。不思議と、嬉しく感じてしまった。
■■■
なんとなく歩いて、河川敷に着いた。こんなところまで来たのは中学生ぶりで、なんとなくむず痒い。
虎杖悠仁と名乗った呪術師は、順平の想像を裏切って横暴でも傲慢でもなくて、話しやすいやつだ。
じゃあなんでそんな格好をしてるんだ、と思って聞いてみたけれど、なんと虎杖君の学校は制服カスタム自由で、虎杖くんの制服は担任の教師に勝手にカスタムされて現在の仕様になっているらしい。
なんじゃそりゃ、と思ったけれど、それだけ。不思議と嫌な気分にならない。
久々に母さん以外の人と会話してると言うのに今更気づく。少し楽しい。
ズズン、と少し地面が揺れた気がした。
「アレ? 今ちょっと揺れた?」
「そうだね、震度2ぐらい?」
ズズン、と揺れた地面。虎杖くんの質問に答えを返すと、「あー、やっぱ?」と電話をかけながら頷いた。
「……ダメだ、伊地知さん出ねー」
「もう俺が聞いちゃていいかな」とぶつくさ呟く虎杖君の背中を眺めて、ぼんやりと思い出す。
「(呪術師って真人さんの敵だよな……。
真人さんは仲良くしなって言ってたけど、本当にいいのかな。)」
湧き上がった疑問は、虎杖君の「もういいや、聞いちゃえ!」という大声でかき消される。
虎杖君はむんず、と蝿頭を掴んで、指差す。
「なあ、この前オマエが行った映画館で人が死んでんだ。なんか見なかった? こう言うキモいのとか。」
「!」
十中八九、真人さんがやったやつだ、と思った。咄嗟に「見てないよ」と答えたらあからさまに残念そうな顔をして、虎杖君は僕の隣に座った。
「そういうのハッキリ見えるようになったの最近なんだ。」
「そっかぁ……。
じゃあもう聞くことねぇや!」
拍子抜けするほど、明るく言った彼に、思わず「え、もう?」と聞いてしまう。
「でも一応、俺の上司みてぇな人が来るまで待っててくんない?」
「いいけど……。」
本当に、それでいいのか呪術師。僕が嘘ついているとか考えないのかよ。もっと尋問とかするべきなんじゃないの。
いや、されたいわけじゃないけどさ。
「なあ、映画館で何見てたの?」
「昔のリバイバル上映だから言ってもわかんないよ。」
「いーから! いーから!」
「……ミミズ人間3。」
どうせ知らないだろうと思って言ったら、意外にも彼はそれを知っていたみたいで、「あれ超つまんねぇよな。」とゴルゴみたいな顔で指差した。
観てるんだ、珍しい。なんか殴られたとか言ってるのが気になるけれど、まあ深く掘り下げなくてもいいか。
「でも、2はちょっと面白かったな!!」
バッと、思わず振り返ってしまった。キョトンとした虎杖君の顔を覗き込む。琥珀色の瞳に映った僕の顔は、おもちゃを前にした子みたいで、ちょっと興奮気味に声を張ってしまった。
「そう、そうなんだよ!
2だけは楽しみ方があるんだよ!」
張り上げた声にちょっと驚いた虎杖君だけど、次の瞬間には「わかる!」と破顔した。
順平がやや早口になって映画の蘊蓄だったり考察だったりを話しても、しっかりと相槌を挟んで「あー、だから2は観れたのか」と頷いてくれる。
虎杖君は聞き上手で、いつのまにか色々話してしまっていた。
しかも自然な流れで連絡先まで交換してしまった。圧倒的コミュ力にちょっと引く。
「アレ? 順平。」
降ってきた声に、反射で振り返る。河川敷の上には買い物袋を持った主婦が一人。
「母さん!!」
「珍しいね、友達?」
秋空を背景にして、母は軽く声をかける。母親であると言われて納得する年の女ではあるけれど、
吉野凪。それが母の名前。
「友達って……さっきあったばかりだよ。」
「さっき会ったばかりだけど、友達になれそーでーす!」
何の躊躇もなく、虎杖くんが見上げて笑う。そんな彼の反応にタバコを吸いながら河川敷の階段を降りてきた母さんも目尻を下げて微笑んだ。
「なんて子?」
「虎杖悠仁です!
お母さんネギ似合わないっすね!」
「お、わかる?
ネギ似合わない女目指してんの。」
「(何言ってんの?)」
ユーモアでも狙っているのか、と言葉を無くす僕。ジト目で母を見上げて、ふと思いだす。
そういえば、母さんはネギ持つ度にこんなようなこと言ってたっけ。今更すぎて忘れてたけど、そういえばなんでだろう。
そんなことを考えながら、僕は母さんの手からタバコを引ったくった。
「タバコ、やめてって言ってるだろ! 灰皿出して!」
「はいはい。」
慣れたように母さんが僕に灰皿を渡す。
「細かいところお父さんに似てきたねー」と母さんが言って、ふと。真人さんに言われたことを思い出した。
「あのさ……父さんってどんな人だったの。」
「ん?
あーーー……あんま覚えてないや。」
ごめんね、と両手を合わせて謝るけれど、僕は「大丈夫」と首を振る。
母さんの記憶から消えるくらいだ、ゆきずりの関係というやつなのかもしれない。父について気にしたことなんてさっぱりなかったのに、何故だか最近になって気になって仕方がない。
「(そういえば、呪霊が見えるようになってからかも。)」
今まで見えなかったものが見えるようになったから、見ようとしなかったものまで気になり始めたのだろうか。
「ーーーっ」
過去を思い出そうとすると、ガンガンと頭が痛む。バットで殴られているような激しい頭痛は、考えることを諦めさせるには十分すぎる苦痛だ。
「どうした、頭痛いの?」
「いや、ちょっとね。」
突然頭を押さえた僕の背を撫でて、虎杖君が心配そうに声をかける。それに「なんでもない」と答えたら「偏頭痛?」と聞かれる。
「そんな感じ」と答えたけれど、多分違う。生まれてこの方、偏頭痛に悩まされた事実は無い。
「(でも、そういえば。)」
最近、こんなこと多いなと、頭を押さえながら考える。真人さんに脳を弄ってもらった影響なんだろうか。
虎杖君に言うわけにもいかず、「なんでもないよ」と笑って誤魔化す。
「あ、そうだ。
悠仁君、晩飯食べてかない?」
「ちょっと!!」
買い物袋を開いて材料を見せながら、母さんが笑う。
「迷惑だろ!」「あ"ん? 私の飯が迷惑?」などと母子が睨み合っていると、笑っちゃうほど大きな腹の虫が鳴って、虎杖君が照れ臭そうに頬を赤らめる。
「嫌いなもんある? アレルギーとか。」
「ないっす!!」
ゴチになりまーす! と無邪気に微笑んだ彼は、なんかすごい馴染んでいた。
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頬を赤らめて楽しそうに笑う二人の子どもが河川敷の階段に座ってはしゃいでいた。
それを橋の上から、フードを被った怪しい男が見下ろしている。額の縫い目が不気味な男。橋に腕を乗せて、覗き込んで、ニコニコ微笑んでいる。
「大〜当たりぃ」
ニヤ、と歪な笑顔を浮かべた男が喉の奥でくつくつ笑う。
「いやあ、やってくれたね夏油傑。お陰で見つけるのに手間取ってしまったよ。
でも、やっぱり運命っていうのはあるものだねぇ。
「大手柄だよ真人」と、独り言ちる。そんな男の服の裾を小さな子どもが引っ張った。
「彼が、吉野順平ですか。」
「そーだよ、
「はい。」
キャスケットで髪と顔を隠した少年が小さく頷く。長い、白い前髪の奥で濁った青に光が宿る。
「兄さんは、僕の希望ですから。」
「ふふ、好きにいうといい。」
言うだけならタダだからねと嘲笑して、男は少年の頭を押さえつける。下を覗き込むためにかるく桟橋から身を乗り出したら、突然上向きの風が吹いた。フードが風にはためいて、少しだけ顔があらわになる。
顕になったその顔は、橋の下にいる少年ーーー吉野順平の顔に瓜二つ。
「でも、今のままじゃ使えないな。」
「宿儺とお兄ちゃんをどうするつもりですか。」
「何もしないよ、計画をちょっと変えるだけさ。
なに、大筋は変えない。時期がほんの少しズレるだけ。
ああ、あとそれから……
あーあ、あと5年早ければ使えたのになぁ。」
タバコを吸いながら、ネギを持って現れたまだ若い女性を眺めて、男は吐き捨てる。「劣化品に興味はない」と嗤って。
「帰るよ、替。」
「……。」
男と子どもは歩き去る。赤い夕日だけが彼らを見ていた。