アラームの音が聴こえる。視界に広がるのは、ここしばらくで見慣れた天井だ。それを見て、やっと夢から覚められたのだと安堵した。
嫌な夢を、見た。昔の夢だ。ようやくマナンは消えたのに、それでも忘れられない記憶。……でも、僕は開放された。もうなにも憂うことはない。あとは他の人を騙し切るだけだ。
憂鬱な気持ちになりながらも、服を着替えて個室を出る。
「……だから違うって、そういうんじゃないからさ」
「誤魔化さずとも分かっております。わたし、応援していますので」
……曲がり角で声が聴こえた。聞き慣れた声、ユウさんとステラさんの声だ。なにかを言い争っているようだが、それでいて緊張感にかける雰囲気が気になって、声をかけることにした。
「……どうか、しました?」
「レムナンか」
ユウさんがなんだか気まずそうな表情なのと対照的に、ステラさんは上機嫌そうに見える。
「レムナン様、おはようございます。わたしは先に失礼いたしますね」
ステラさんに会釈されて、僕も頭を下げる。彼女は笑みを浮かべて、その場を去った。きっとメインコンソールへと向かったのだろう。
「あっ、おいステラ……!」
「……ステラさんと、何かあったんですか?」
ユウさんはきまり悪そうに笑うと、口を開いた。
「はは、大したことはないさ。さあメインコンソールに行こうか。今日は誰も襲われていないといいな」
「……え、本当に誰も襲われていないのか?」
ユウさんはメインコンソール内をしきりに見渡す。
部屋の中にいるのは、コールドスリープしたマナン以外は、昨日最後に顔を合わせたメンツと変わりがない。誰ひとりとして欠けていない。
つまり、今日は誰も消えることはなかった。
守護天使が生き残っているんじゃないか、実はまだバグが生き残っているんじゃないかと乗員は混乱している。
それを眺めながら、僕は考える。
僕は、人をグノースへと捧げないと生きていけない。そのはずだと最初は思っていた。
しかし、守護天使という存在がいること、バグという存在がいること。それらの存在がいたらグノーシアは人を送り届けることが出来ないことを知り、人を消さないという選択肢もとれるのではないかと考えるようになった。
マナンがいたら、実行には移せなかっただろう。それでも、昨日あの場にいたのは、ステラさんと僕だけだ。もっとも、ひとりで試すことになると思っていただけに、ステラさんが快く承諾してくれるとは思わなかったが、嬉しい誤算でもあった。
これから議論がどんな流れになって行くのかは想像がつかない。だから、目立つことがないように気をつけて、他の人たちの出方を窺うことにした。
「議論の前に提案なンだけど……守護天使がいるのなら、名乗り出てくれない?」
「ラキオ様。どういうおつもりですか? 守護天使が名乗り出てはグノーシアに襲われてしまうかもしれません」
「リスクは承知しているよ。それでも、今日の犠牲者ゼロがどうしてなのか考えると、出てもらった方が混乱が少なくて済むんだよね」
「……守護天使が守った相手が人間だと証明出来るからってことか?」
熱心にノートをとっていたユウさんは、ラキオさんに問いかけた。
「ユウにしてはいい意見じゃないか。まあ、あくまで君にしてはってことだけどね! 守護天使がバグを守るなんてことも考えられるだろう。僕が言いたいのは、守護天使がいない場合、確実にバグが生き残っているという事実が証明出来るということさ」
「確かに、守護天使さんがいなかったら、そういうことになるのです」
「……そうっちゃ、そうだが」
隣から、不満そうな小さな声が聴こえた。それがラキオさんに聴こえることはなかったようで、彼は周囲を見渡している。
「それで、守護天使はいるの?」
他の人を見るが、誰も名乗り出ない。
「……フン、いないか。ただの臆病ってのはなしだからね。あとで名乗り出ても信用しないから」
一瞬名乗り出ようと思ったが、それは自殺行為……かもしれないから、やめておいた。守護天使はいない。つまり、今なら誰をグノースに捧げようとしても邪魔する人はいない。そのことにほっとしてラキオさんを見る。
「つまり、今考えるべきは……バグの存在だ。今日この段階でバグは存在している。そう考えるのが自然だろうね」
「まだ、グノーシアの内訳は分からないけど……まずは、ククルシカを凍らせるべきじゃない?」
ラキオさんが告げた言葉に、内心安堵する。
狙いのひとつが、船内にバグがまだ存在していると誤認させることだった。そして、これはラキオさんが伝えてくれたことで、思惑通りにことが進んだと言える。
僕がなにかを言ったところで盤面が変わるとは思えないから、僕よりも周りに意見をまっすぐと告げられるラキオさんの存在はありがたかった。
「バグが役職として名乗り出ているならいいけど、潜伏しているなら……疑うべきはユウ、君なんだけど?」
脈絡なく疑われたユウさんだったが、落ち着き払った様子でラキオさんを見る。
「……そうか。ラキオはそう思っているんだな。でも、バグが潜伏しているとして、私が怪しいとはならないんじゃないか。私目線ラキオだって怪しいし」
ユウさんがそう反論すると、セツさんがラキオさんを
「私は、ユウを護る。ユウを責めるなら、私は戦うから」
「……うん。僕も、そう思います。ユウさんは、変じゃないです」
「同感。ユウを疑う必要はないと思う」
ラキオさんは分が悪いと思ったのか、完全に口を閉じた。
「……なんにせよ、報告を聞かないことには始まらないか。ドクターとエンジニアのみんな、報告頼んだ」
「SQはグノーシアだったぞ。へへっ、やったな!」
「あたしが調べても、おんなじでした。SQさん、グノーシアさんだったの」
オトメさんとコメットさんは、マナンがグノーシアだったと報告した。これであいつはグノーシアだということがほとんど確定した。どう足掻いても、コールドスリープが解かれることはない。それに、きっと最初からマナンを疑っていた僕は、今までよりは信用される立ち位置になれたのかもしれない。
身内を切るなんて、グノーシアならやらないだろうから。
本来なら、グノーシアを確定させるよりも情報を混乱させるほうが良いに決まっている。それなのに、僕は自分の感情を優先させた。そのことが、どういう結果を生み出すのかは……まだ分からない。
「まだ報告があるだろ? 手短にね」
ふと、そんな声が聴こえてきたため、まだ報告をしていないククルシカさんを見る。彼女は手を上げて周囲の注目を集めたあとに、険しい表情でステラさんを見据えた。
ククルシカさんはジェスチャーで、ステラさんがグノーシアであったことを報告した。報告されてしまった。
僕の唯一のグノーシア仲間であるステラさん。これで、彼女が疑われてコールドスリープさせられる可能性が増えた。そのことに、心細さを感じる。
「ステラさん、変じゃないって思ったけど……あれ? やっぱり変かな?って思いました」
「ステラな。俺も正直、怪しいと思ってたんだよな」
どう出るべきか分からなくて、閉口する。ステラさんを庇いたいという気持ちはあるのに、このまま弁護してしまえば僕もグノーシアだと怪しまれてしまいそうだった。だから、ただ黙って行く末を見守ることしか出来なかった。
隣のユウさんを横目で見る。どうにも真剣な顔でなにかを悩んでいるようだった。ユウさんも、ステラさんのことで悩んでいるのだろうか。
「……うーん、恋ってなんだろうな」
悩んでいる内容は想定外のものだった。
「その感情を理解したい。だから皆の恋愛話とか聞かせてほしい。……あ、もちろん話したい人だけでいいからさ」
ユウさんがそう告げた途端、緊張感で張りつめていた雰囲気は、緩いものへと変わっていった。
「……恋……恋。私、話せることなんて……なかった」
「私は汎だから、恋愛の話には乗れない。だけど、誰かに心を預けたい気持ちなら……分かるよ」
ジナさんやセツさんに続いて、他の乗員たちも、ステラさんも思い思いに恋愛の話をしだした。その中にククルシカさんの姿もあることが、なぜか妙に心に残った。
僕は、恋愛なんてしたくない。おぞましいものに感じられて仕方がない。彼らが嬉しそうに話しているのを聞いて、理解なんて出来なかった。だからといって、せっかくステラさんへの注意が逸れそうなのに横槍を入れるのはよくないだろうから、ただ黙って話を聞くことにした。
「……気に入らないな。ユウ。どうやら僕は君のことが嫌いらしいね。交配本能の脳機能の話をしているよりも、まずは誰をコールドスリープさせるか決めるべきだろう?」
しかし、ラキオさんがそういったことで雑談は中断された。指摘されたユウさんは、謝罪の意を伝えるように、手を合わせて笑った。
「話しこんでごめんな。じゃあ、議論を再開させようか」
気を取り直すように、ユウさんは咳払いをして真剣な表情を浮かべた。
「それで、今日コールドスリープさせる人か。私はククルシカがいいと思う。SQとも約束したし、ククルシカがバグの可能性だってあるからね」
「ククルシカは……この船に、必要な人」
「……迷ってるんだ。ククルシカは味方だとも思えるから」
「ククルシカを信用する理由なんて、僕には何一つ無いンだけど?」
ステラさんを信じるか、ククルシカさんを信じるか。乗員は二分していた。
その違いは、しげみちさんの嘘を見抜いたか見抜いていないかだろう。マナンを本物のエンジニアだと思うような人はほとんどいないはずだ。それなら、ククルシカさんかしげみちさんのどちらかがエンジニアだというのは、初日に全員が名乗り出たことからみて確かな事実だ。そして、しげみちさんが嘘をついたことが分かるなら、消去法でククルシカさんが本物のエンジニアだということが分かる。
議論は
「私……ククルシカのコールドスリープ、見届けるから」
ジナさんは、ククルシカさんのことを信頼している様子だった。せめて、最後くらいは見送ろうと思ったのだろう。ククルシカさんは無邪気な笑みを浮かべて頷き、ジナさんの頭を撫でた。心配しないでと、そう伝えているように見える。
「……ありがとう」
ジナさんは安心したように笑みを浮かべている。ククルシカさんは……どうしてか、そこから離れた位置にいる僕の方へと駆け寄ってきた。そして、僕の手を掴んだ。
近くにいるユウさんは、困ったような表情で僕とククルシカさんを見比べた。
「……ククルシカは、レムナンにもついてきてほしいのか?」
ククルシカさんは、力強く頷いた。
ユウさんはククルシカさんから目をそらして、ジナさんを
「ジナもいるなら大丈夫か。んじゃまあ……私はそこらへんブラついてるな」
その言葉には違和感がしたが、すぐにユウさんが会議中にククルシカさんを疑っていたことを思い出した。それで、気まずさを感じているのかもしれない。
対するククルシカさんは気にした様子もなく、僕の手を引いてコールドスリープ室へと歩いていく。軽やかな足取りであり、そこまでコールドスリープすることを恐れていないようだった。でも……正直、僕はここにくるのは恐ろしい。明日の自分がここにいる可能性があるということ、そして……マナンがここに眠っているから、気がつけば目の前に現れるのではないかと想像してしまって気が滅入る。
「準備するね」
「あ……僕も手伝います」
「大丈夫」
「……そう、ですか」
手持ち無沙汰になってしまった。なにかやらないと、ここにいる存在のことについて考えそうになる。僕は……今ひとりではないのだと、気持ちを強く保ちたくて、ここにいる人を見ることにした。ククルシカさんは笑顔で僕を見ている。それに罪悪感を感じてしまい、僕はジナさんの方へと顔をそらし、時が過ぎるのを待った。
そして手際よく作業は行われ、10分とかからずにククルシカさんはカプセル内へと入り、コールドスリープが完了した。
「ありがとう……ございます」
「……うん」
ジナさんは柔らかい表情で頷くと、少し首をかしげた。
「ユウと、仲良いの?」
「……そうかも、しれません」
「……そう」
ジナさんは、少し考え込んだ様子だった。
「……なんでだろうね。ユウを見てると、少し胸が痛い。それに、良かったって、ほっとする」
どういうことだろう。ジナさんの言っていることが分からなくて彼女を見る。
「……どうして、僕にユウさんのことを……?」
「レムナンなら、分かると思ったから」
その言葉を不思議に思いながらも、僕もユウさんのことを考えてみることにした。僕はユウさんを騙して、協力関係を築いている。そのことに罪悪感を持っているかと考えると……それは違う。僕じゃなくて、僕なんかに騙されるようなユウさんが悪いと思う。ただ、どうしてか……ジナさんの気持ちは、分かるような気がした。
「……僕も、ジナさんと同じ気持ち……かも、しれません」
「……そう」
ジナさんは僕の目をじっと見て、微かに笑みを浮かべた。
「私はしばらくここにいるから」
「僕は……ユウさんと、合流します」
すぐにでもここから逃げ出したかったが、そんなことをしてしまえば不審に思われるだろう。いつも通りの態度を心がけて、コールドスリープ室から出ることにした。
ユウさんと、あとで合流するという話をしていたが、今はどこにいるのだろう。それなりに歩き回る可能性を頭に入れて部屋の外へと出たが、すぐに姿を目にすることになった。