廊下には、ユウさんの姿があった。
セツさんと話しているようで、こちらに背を向けているからユウさんの表情は見えないが、セツさんはいつになく穏やかな表情を浮かべていることが印象的だった。
会話の内容を聞き取ろうと思ったが、遮蔽物がないこの状況では僕の姿を隠すものはない。そのため、すぐにセツさんと目があってしまい……彼は少し驚いたような表情のあと、笑みを浮かべた。
「ユウ、レムナンが来たよ」
ユウさんは周囲を見渡す。僕の顔を見た瞬間、安心したような表情を浮かべた。
「お疲れ様。コールドスリープの準備、疲れただろう?」
「いえ、全部ジナさんが、やってくれたので……」
僕は本当になにもやっていない。無意味な嘘を吐きたくなくてそう告げると、傍観していたセツさんが僕を見た。
「ジナがどこにいるか教えてくれないか?」
「……まだ、コールドスリープ室にいると、思います」
さっきまでいたコールドスリープ室へと目を向けようとしたが、その隣の部屋が目に留まった。
コールドスリープ室の隣にはEVA準備室がある。EVA準備室にはエアロックがあり、そこから物を捨てることも可能だ。だから、コールドスリープ室の近くにあって良かったと、心の底から思う。
「ありがとう。ちょうどいい機会だしジナと話してくるよ。じゃあね、レムナン、ユウ」
「……はい」
「セツ、また明日な」
「会えたらって言葉がつくけど……うん、また明日」
セツさんは、ユウさんほど楽観的ではないようだ。コールドスリープ室へとゆっくりと足を進め、姿が見えなくなった。
それを見届けて、ユウさんへと視線を向ける。
「どうして、こんなところで話してたんですか?」
「レムナンに待ち合わせ場所を伝えるのを忘れたから、行き違いになるのを避けたくて。それでセツがついてきてくれたから話していたんだ」
どんな話をしていたのか聞こうと思ったが、拒否されることが恐ろしく、ついには聞くことが出来なかった。
「……今日は、どこに行きますか?」
声に出せた言葉は、本当に無難なものでしかなかった。
「とりあえず食事にしようか。時間経ったし、食堂も空いてるんじゃないか?」
「……そうですね」
今日も、軽い食事自体は議論中で済ませている。それでも、あの煮詰まり返った雰囲気の中、楽しく食事をとる気にはなれなかった。
ユウさんが船内を歩いていくのについていく。コールドスリープ室は下層であり、僕らの生活空間は上層だ。食堂まではそれなりに距離がある。
着くまでの間、僕らは他愛ない話をしていた。本当に何の変哲もない話だ。ステラさんからお菓子をもらっただとか、今からなにを食べようだとか、そんなくだらない話。
「……ユウさんって……えっと、和食が好きなんですね」
食堂に着き、ユウさんが食べようとしているものを見て、僕はそう告げた。
「好き、なのかな。なんでか安心感を覚えるんだよ。レムナンは嫌いか?」
「僕は……食べられるものでしたら、なんでもいいです」
「……そうか」
淡々と呟いたユウさんは、麺をすすると笑顔になった。それを見て、僕も目の前にある皿を手に持つ。
確か、蕎麦という名称の食べ物だった。なんとなくユウさんと同じものを頼んだが、取締対象の食べ物でもないだろうし、問題はないだろう。そう思い、ユウさんに
人間の三大欲求のひとつである食欲。こうしてグノーシアになったあとも、なくなる気配はない。
味覚も嗅覚も、五感の全ては残っている。そのことに、なぜか安心して食べる。
冷たい食感と、爽やかな後味が印象的で、するすると喉を通る。なんとなく、ユウさんが笑顔になる理由は分かるような気がした。
ユウさんは食べている間静かだったため、僕も無言で麺をすすり、そして食べ終わったものを片付けて、先ほど座っていた席に戻った。
「今日は円満だったな」
「……あの、ユウさん」
「なんだ?」
「ユウさんは、今日の、犠牲者がいない現象について……どう考えていますか?」
ユウさんは、驚いたようにこちらを見てくる。
「……レムナンってラキオと同類だったのか」
「ど、同類ですか?」
「ラキオの奴、私にいつもクイズ出してくんだよ。答えると『あっはは! 引っかかったねユウ!』って嬉しそうに解説するんだよ。しかも『君……そんな頭じゃ僕の住むグリーゼじゃ人扱いされないよ』って妙な心配されるしさ」
肩をすくめて、シニカルな笑みを浮かべるユウさん。確かにいかにもラキオさんが言いそうな台詞だ。
「あ……質問なら、僕もされました」
「ラキオにはどう言われたんだ?」
「い、一応及第点は……もらえました」
僕がそう告げると、ユウさんは目を
「すごいな。私10問近くやってるけど、今んとこ全問不正解だぞ?」
「それは……すごいですね」
「いや、すごくはないと思うんだが」
煮え切らない様子のユウさんだったが、すぐに気持ちを切り替えたようだった。
「それで、今日の現象についてだったよな。ラキオの言ってた通り、バグを襲いに行ったのに、グノースのもとへと送れなかったというのが正しいだろうな。私は守護天使が護ったって線もあるとは思うが」
ただ一点を除いて、
「守護天使……ですか。ラキオさんが問いかけたときに誰も名乗り出なかった……ですよね」
「んー、でもさ、守護天使が名乗り出たら、高確率で襲われるだろ? そんなのさ、進んで名乗り出ようとは思わないって。沙明あたりなら特にそうだろう……って、彼の可能性はないけど」
「えっ、どうして沙明さんはありえないんですか?」
今の話でそうなる理由が分からない。
「なんでってそりゃあ……ジナと沙明は確定で人間だし」
「……人間だからこそ、守護天使な可能性も……あるんじゃ、ないでしょうか」
ユウさんは、固まった。その顔は、盲点を突かれたと言わんばかりの表情だ。
「……あれ、よく考えたらそうかもしれない。ここで留守番してたからって、他の役職を持ってない理由にはなりえないか。でも今まではなかったし……今度セツに聞いてみるか」
「す、みません……混乱させて、しまって」
「いや、助かった。私としては、見聞を広めたいとは思っていたしね」
「……ユウさんは、グノーシアが襲うのを躊躇った……とは、思わないんですか?」
「いや、ないだろう。そんな前例は存在していないから、間違いなくバグか守護天使による結果だ」
疑われていない。他の人たちも……きっと、ユウさんと同じ考えにいたっているだろう。
「……そう、ですよね。僕も、そんな気がしてきました」
安堵の息を吐き、引き続きユウさんに質問をすることにした。そのたびにユウさんは、自分の考えを伝えてくれるが、段々その表情は曇っていく。
「なあレムナン」
「な、なんですか?」
「なんか、もっと……楽しい話をしないか?」
気難しげな顔をしているユウさん。その言葉は不意に出てしまったようで、すぐに取り繕うように笑みを浮かべた。
「ああ、いや。レムナンにとってこうして議論することが楽しいことだって言うのなら、もちろん続けて構わないが」
「いえ、僕も……少し、考えるのは疲れました」
考えることは嫌いではない。それでも、こうして他の人を
でも、楽しい話なんて
少し考えるが、ユウさんが好きそうな話なんて知っているはずがない。長い付き合いになったように感じられるが、僕らが知り合ってからまだ数日しか経っていない。
ただひとつ、ユウさんが議論中に浮いた話をしていたことを思い出した。
「ユウさんは、恋を……したことが、ありますか?」
「えっ」
聞いてはいけないことなのだろうか。不快な気持ちにさせてしまったのだろうか。不安に思い、頭の中で問答を繰り返す。
「今日の議論中に、そんな雑談をしていたので……」
「ああ、それで聞いたのか。君に恋愛の話を振られるとは思わなくて驚いたんだ。気を悪くしないでくれ」
納得した様子だった。
「しかし、恋か……あるのかもしれないし、ないかもしれない」
そんな思いが表情に出ていたのか、ユウさんは少し考えた様子で口を開き……
「ああ、実は私──この船に乗る前の記憶がないんだ」
そう、軽い調子で告げた。
「……ユウさんって記憶喪失なんですか?」
「うん、この船に乗る前の記憶は無いんだ。最初は本当に、私にはなにもなかった。こうして言葉を理解出来るのも、話せるのだって、旧式の促成学習装置?を使ったかららしいからさ」
なんともなさそうな表情で、告げるユウさん。聞き間違いというわけでもなかったようだ。
ユウさんは、自身の身につける旧時代の服に目を向け、そして腕に着けている旧時代的な時計へと触れる。大切そうに触れているそれも、なぜ買ったのかのさえ覚えていないのだという。
嘘を吐いているんじゃないかと思ったが、あまりにも淡々としていて、嘘をついている人特有のわざとらしさを感じられない。それに、ユウさんが僕に嘘を吐く理由なんてないだろう。そこまで考えてユウさんの顔を見るが、やはりふざけたものには見えない。
「だっ、大丈夫……なんですか?」
「こうして生活してて支障はないから、大丈夫なんじゃないかな」
「でも、そんな……」
絶句した。僕は、記憶喪失になれるものならなりたい。それでも、望んでもいないのに、頼れる相手がいないままでひとり、グノーシアを探すための議論へと臨まないといけないのは……きっと、心細さを感じるんじゃないだろうか。
……だから、なのだろうか。ユウさんがこうして僕にすがってくるのは、記憶がないから、信用出来る人がいないからなのかもしれない。
「……船から降りたあとはどうするつもり、なんですか……?」
そんなことを言いつつも、僕はなんとなくこの後言われる言葉を察していた。
ユウさんは、僕と一緒に死んでくれると言っていた。それなら、僕と一緒に生きてくれるはずだ。
「セツに、ついていこうかなって」
「……セツさん、ですか」
冷水をかけられたときのようだった。盛り上がっていた気持ちが一瞬で冷めるのを感じる。
「でも、セツさんがグノーシアである可能性もあるんじゃ、ないでしょうか?」
「……そうだね、否定は出来ない」
そう言っている割に表情は晴れやかで、僕は……なんだか胸が締めつけられるような感覚におちいった。
ユウさんは、盲目的ともいえるくらいにセツさんを信頼している。
それは、セツさんだったからだろうか。思い返せば、セツさんとユウさんは妙に気心知れた関係に見える。きっと、僕がこの船に乗り込む前からの知り合いなのだろう。それは悪いことじゃないはずだというのに、どうしてか重く心にのしかかる。
「そ、その……良かったら……セツさんじゃなくて……」
そう言いかけて、やめる。
今、僕はなにを言おうとしたのだろう。セツさんじゃなくて、なんだというのか。
「いえ、なんでもないです」
すんでのところで押し殺し、自分の思考を遮断した。今のは、きっと考えてはいけないことのはずだ。
「記憶喪失のことを、皆さんは知っているんですか……?」
「どうだろう。セツなら知っているが、それ以外で知っているのは君だけだと思う」
「そう、ですか……」
そのことにほっとしたような、残念に思うような、不思議な気持ちにおちいる。
「……はは、なんだか湿っぽい雰囲気になったな」
こんなつもりじゃなかったと、こぼすユウさん。どうにも、真面目な雰囲気が苦手のようだった。
「……あの、それなら……ユウさんは、何をするのが趣味なんですか?」
「えっ、趣味? ……特には思いつかないな」
前までなら意外に感じられる言葉も、先ほどの話を聞いたあとということもあって納得した。ユウさんはまだ、趣味を作れるほどに時間を積み重ねていない、ということなのだろう。
「……あ、こうして乗員のみんなと話すのが趣味と言えるかもしれない。紅茶のいれかたも学んでるし釣りもしたし……あとは、土下座かな」
「……どげさ?」
不穏な言葉に、聞き返してしまった。対するユウさんはなぜか得意げな様子で笑っている。
「なんだよレムナン、土下座知らないのか?」
「いえ、知ってますけど……」
「本物の土下座ってやつを見てみたくはないか?」
「……!」
ユウさんの目は輝いた……ような気がする。
「師匠直伝の土下座だ。今回は使う機会がないと思っていたが、いい機会だしやってみようか?」
……なにを考えているんだこの人は。
冗談でもこの人にそんなことを言ってほしくはなかった。だから、自分の顔が険しくなってしまうのを感じる。
「……趣味、ではないと思います。趣味にしてはいけないと、思います。だから……や、やめてください。僕は、そんな……」
「……悪い悪い、人の嫌なことをすべきじゃないよな」
そう告げたユウさん。土下座は僕ではなく、ユウさん本人が嫌がるもののはずだ。この人にはプライドがないのかもしれない。
「レムナンはなにが趣味なんだ?」
「僕の趣味は……工作や、機械修理……とかです。ユウさんはそういうの、好きですか?」
「……やったことないな」
……これは好機なのかもしれない。今まで、あまりそういう話が出来る相手は作らなかった。ひとりでも十分楽しかったし、僕を
「……是非一緒にやってみましょう! もしかしたらユウさんの新しい趣味になるかもしれません!」
「そ、そうだな。じゃあ……頼んだ」
ユウさんを連れて、合成プラントへと行った。
とにかく興味を持ってもらいたくて、合成プラントの使い方について解説した。
「まずは材質のスキャンと合成プラントの資材チェックを並行するんです。そのあとに成形パターンや固定材も類推させて……」
言葉は流れるように出た。少し早口になってしまったかもしれないが、きっとユウさんなら問題ないだろう。
「……なるほど」
神妙な顔でユウさんは頷く。
「あまりこういうの……好きではないですか?」
「色々な話を聞けるのは代えがたい経験だし、この時間だって大切だ。だから、もっと話してくれ」
ユウさんはそう言ったあとに、笑みを浮かべた。
「レムナンが楽しそうだと、私も嬉しいんだ」
……それは、どういうことなんだろう。
僕が楽しいからといっても、ユウさんが嬉しい気分になる理由にはならないだろう。
少し説明をして分かったことがある。ユウさんは機械音痴気味のようだ。それでも楽しもうとしてくれている。そのことが嬉しくて説明していると、空間転移の時間が近づいてしまったようで、LeViさんがアナウンスをしてくれた。それに感謝の言葉を告げて、ユウさんへ顔を向ける。
「じゃあな、レムナン。また明日会おう」
手を振って、ユウさんは自室へと戻っていく。その姿には不安もなにも感じられない。本当に……よくわからない人だ。
空間転移の時間がやってきた。つまり、今この場で動いているのは僕ともうひとりのグノーシアだけだ。
「……ふふ」
……ステラさんが、どこか嬉しそうに微笑んでいる。
「今日、ククルシカ様にグノーシアだと報告されてしまいました」
「災難……でしたね」
ステラさんは眉尻を下げて微笑んだ。
「わたしは、グノーシア……なのですよね」
質問する意図が分からなかった。こうして空間転移の時に動けている上、昨日もその前も彼女は人をグノースへと捧げていた。これでグノーシアでなければなんなのだろう。
「……? はい、そうですね」
「なら、わたしは……人間だったのですね」
……グノーシアになるのは人間だけ。だから、ステラさんが人間だということは僕にだって分かる。
「……僕で良ければ、話……聞きます」
「いえ、いいんです。ただその事実が嬉しくて」
ステラさんは嬉しそうに微笑むと、義務的な話へと話題を戻した。
「今日はどなたにいたしましょうか」
ステラさんは、僕に選択を一任してくれるらしい。今日、誰をグノースへと送り届けるか。そう考えたときに、頭に思い浮かぶのはコメットさんのことだった。
コメットさんは、なにも言わずに僕の言いつけを守ってくれた。だから、僕も約束を果たすべきだろう。それに、彼女を捧げるのはステラさんが疑われている今、悪くない選択に思える。
「……コメットさんが、いいと思います」
「では、そのようにいたしましょう」
ステラさんが、コメットさんの境界に触れるのを見届ける。僕はただ、それを見ていた。
──偉大なるグノースに捧げる。
蓋然性計算領域に送られる。
僕の中にある衝動は、思うままに人を消せと、消すことが正義だとささやいている。
でも、そんな感情を全て無視した。
僕はグノーシアになった。だから、本当にユウさんが僕を助ける意味なんて皆無になってしまった。なのに、ユウさんは僕を助けようとした。そして、今もしてくれている。その理由が僕の身の上話を聞きたいからなんて納得がいかない。きっと、なにか理由があるはずなんだ。そうでないのなら……怖かった。
布団に
ラキオ:後天的にではあるが性別を持たない汎性。ロジックを重視しており、その結果対抗の主人公を本物だと証明してしまうこともままある。基本的に乗員に好かれていないので一日目で凍らされがち。本物の役職持ちでも一日目にダウンしてしまうことがあるので大変困る。
ラキオクイズ:ラキオの個室に行くとたまに出題してくる。人狼ゲームになれていない人のチュートリアルも兼ねていると思われる。正解されるよりも失敗したときのほうが嬉しそうに解説してくれる。
セツ:汎性。連邦軍第928管区、対乙種防衛班に所属しているらしい。中尉らしい。沙明に苦手意識を持っている。真面目な性格だが、結構ポンコツ。原作主人公の相棒。作者は汎性の中で1番好き。グノーシアはセツゲーでもあると思っています。
守護天使:まもって守護天使! 守護天使は情報にアクセスしてひとり対象を守れるらしいが、自分を守ることは出来ない。自分が守護天使だと名乗り出ることはゲームでは出来ない。人狼における狩人or騎士。
犠牲者ゼロ:守護天使が襲われる対象を守るか、グノーシアがバグを消しにいこうとしたときにしか発生しない事項。グノーシアは人を消さなければならないと考えているため、消さないなんて選択肢はとらない……はずだが、特定の状況下ではグノーシアが人を消さないという選択をとることもある。