その姿は影のように朧気で、薄暗い闇と同化して、実体と大気の境界が曖昧になっていた。
視界に映るのは灰ばかりで、色がない。
だが、腕を伝う真紅の血が、ぽたりと一滴、地面に落ちると、反響するように、波打つ。
そして、ただ一人きりのその空間は、広がり、うねり、瞬く間に終わりの見えない無辺の世界となった。
「・・・!?」
フランは、背後に得体のしれない気配を感じ取って振り向く。だが、そこには、何もいない。いや、何もいないのではない。何かがいようとしてる。異様な何かが、その存在を、確たるものにしようとうごめいている気配が、見えずとも感じ取れた。
フランは、ただそれを恐ろしいと感じた。どこともしれないが、自分だけの世界だと確信を持って言えるこの場所を侵そうとする存在を打倒しなくてはならない。本能的に彼女はそう悟った。
だから、壊す。能力を躊躇いなく発動し、蠢いている塊を破壊した。
「ッ、痛っ!」
フランは驚いた。自分の身体に鈍い痛覚が走り、追撃をためらった。その間に、能力が聞いたかも定かではない塊が一つの形を取る。
「あっ・・・そん・・・な!?」
捻じくれた樹木と宝石のぶら下がった翼は見間違えようもない。自分自身の姿、目以外は全て灰色のフランドール・スカーレットの生き写しの姿だった。
「もしかして・・・夢?」
フランは、そう考えてあたりを見回す。
とするならば、この現実感の乏しい空間の正体が夢であるならば、何も恐れることはない。だけど、どうして恐怖は収まらないの?目の前の私に対して、足が震えてしまうのか?
答えは至極簡単に示される。
「ガッ!?」
何の前触れもなく、灰色のフランが動いたかと思えば、私の胸を刺し貫いていた。
夢であることを指し示すように、血液は溢れでなかった。痛みもなかった。
胸を物理的に抉られている感触と腕の異物感。
呼吸が止まる。
「はっ・・・離れてっ!!」
胸を貫く腕をつかみ、後ずさりながら、引っ張る。驚くほどあっさりと、腕は抜け、尻餅をつきそうになったが、なんとか踏ん張る。
視線を正面から反らしてはならない、という強迫観念に駆られて、私は掌でいつでも能力を発動できるようにしながら、対峙する。
距離は5歩分は、離れていた。彼女は無表情のままで、私の胸を貫いたのだ。何の感情も表情に出すことなく、今も対峙している私のことを表情の読み取れない顔で、見つめている。
ゆっくり、ゆっくりと、その口元が曲線を描いて、嘲笑と悦の混じった恐ろしい笑みへと変じ、察知したのは明確な殺意だった。
私は、逃げ出した、背を向けて。
逃げる私を、灰色は追ってくる。
「なんで・・・飛べない!?」
翼を羽ばたかせることができなかった。やむなく、私はこの空間を走って逃げ続ける。後ろから猛烈に迫ってくる気配は、今度こそ私を殺そうとしていることがひしひしと伝わってくる。
「助けて、誰か!」
虚空にこだまする声、返事を返すものは誰もいなかった。
どうして・・・どうして?
夢なら、早く覚めて欲しい。この恐ろしい悪夢から、現実の私が早く目覚めてくれるようにと、フランは心の底から、願った。
「キャッ!?」
ついに追いつかれた。足を掴まれて転倒し、そのまま背中にあいつがのしかかり、馬乗りになる。
肩越しに視線をやると、拳を振り上げる私の姿が見えた。
拳が振り下ろされる寸前、私は目を閉じた。夢の中でも痛いものは痛いに違いなかった。特に自分が死ぬときくらいは、痛みがあるだろうと思ったからだ。
・・・ ・・・ ・・・
いつまで経っても痛みはやってこない。目を開けると、灰色の空間はもうなく、うつ伏せに転んだはずの私は、仰向けにベッドで横たわっていた。
「ほんとに・・・夢だった。」
覚めてよかった。あのまま殺されていたら、私はどうなっていたのかわからない。あの夢は一体何だったんだろうと、窓から差し込む淡い月光を見ながら考えようとするが、夢の中で見たもう一人の私が浮かべた笑みを思い出すと、とても追求する気になれない。
夜が深くなっていく。1時間以上、ベッドからそのままだったフランは、扉のノック音で意識が引き戻される。
「フラン、まだ寝ているの?」
お姉様だ。
「大丈夫!もう起きてるよ!!」
適当に返事を返しておいて、ようやく私は動き出す。
また同じ夢を見たらどうしよう。思考によぎる、もしも、を頭を振ってかき消して、私は部屋の外へと向かった。