Ankou°˖◝(⁰▿⁰)◜˖ 異世界をゆく   作:かまぼ子ロク助

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第20話 アネサ陥落

「くそっ!なんでこんなことに!」

 

 西門広場の南の端、マニは血まみれの姿で戦っていた。特に左肩から腹にかけての傷と右太ももの傷が深い。

 この混乱が起きて早々に、マニはこの深手を負ってしまったのだが、この傷を負いながらも襲いかかってくる多くの騎士や兵たちを退け続けている。

 

 その中には、マニと同様、抗魔の力を持つ戦士も混ざっていたが、それらの者も1人残らず斬り伏せていた。マニはかなりの抗魔の力に恵まれた冒険者のようだ。

 しかし、すでに限界は近い。この怪我では、マニは本来の力を出すことなど到底できはしないのだから。

 

 マニは、綺麗な若草色の毛並みを持つ若い獣人の女冒険者だ。

 グローソンの侵攻があり、アネサの町にいた冒険者たちは半強制的に傭兵として動員された。マニはその冒険者のひとり。

 そして今日、行政府の命令により、太守の演説が行われるこの西門広場での警備の任にマニはついていた。

 

 多くの冒険者が実質強制的に傭兵として動員され、対グローソンの戦闘員として駆り出されたことに大いに不満を感じ、またそれを隠そうともしていなかった冒険者たちの中で、マニは比較的積極的にアネサ防衛のための仕事に汗を流していた。

 

 マニはこの町で生まれ育ち、幼少時には家族にも恵まれた。今はもう、その家族も死んでしまっていたが、マニは知り合いも多くいるこのアネサが好きだった。

 だから、このアネサを守るために剣をとること自体には躊躇(ためら)いがなかった。

 

 しかし、たとえアネサを故郷とする者であっても、マニほど積極的に太守たちに協力しようと思う冒険者は少なかった。

 それはこれまで市民たちに対して、善政を敷いていたとはとてもではないが言い難い(いいがたい)このアネサの太守や為政者たちの人望のなさの表れであり、マニ自身もアネサの太守らにはあまり良い感情を持っていない。

 

 それでもアネサのために剣をとろうと思ったのは、生来のさっぱりとしたあまり物事にこだわらない性格も影響していたのかもしれない。

 しかしそんなマニに、このひどい手傷を負わせたのは太守の首を斬り落とした反逆者たちではなく、太守側の騎士や兵たちだった。

 

「~~ちくしょうっ!!」

 

 このアネサの西門を中心として、まさに戦場の地獄絵図がこの短い時間で描き出されていた。

 火の精霊封石弾が弾ける轟音(ごうおん)、今も響きつづける人々の泣き(わめ)く叫び声、戦闘に(きょう)じる修羅(しゅら)どもの咆哮(ほうこう)が響きつづける。

 

 地面のあちらこちらが血の色に染まり、人の肉片が飛び交い、あまたのすでに動くことのなくなった人々の体が周囲一帯に転がっている。

 

 そしてその死体の多くが、太守の演説を聴くためにこの広場に集められた一般市民のものであった。力無き者が真っ先に血の海に沈むことになるのは戦場の(ことわり)

 戦う力をもつ者の目は濁り、血走り、人が生来持つ狂気の色をあらわにする。それが戦場。

 

 追い詰められたマニは、ついに広場の片隅で足を止め、崩れるように片膝をつく。

 

「……何でだっ!」

 

 太守が裏切った騎士団員に襲われた直後、広場のほうにいた騎士団員や冒険者の一部の連中も剣を抜き、周囲にいる他の騎士や兵士に襲いかかった。

 マニの近くにいたアネサの将兵も、反乱者どもに襲われており、マニはそれを助けようと彼らに駆けよった。

 

 そして、マニは斬られた。

 ただ、マニを斬ったのは、マニが助けようとした顔見知りのアネサの士官であった。

 

 助けようとした顔見知りの者に、いきなり真正面からの袈裟斬りを食らった。それはマニほどの冒険者でなければ、真っぷたつになっていたであろう一刀だった。

 

 戦闘がはじまった直後から、太守派の将兵たちはすべての騎士団員と冒険者を反逆者とみなした。

 この戦闘がはじまった経緯から彼らの判断もやむをえない部分もある。残念ながら、マニの胸の深手はマニの甘さの結果とも言える。

 

 マニほどの力を持つ冒険者であっても、戦場では少しの油断が命取りになることに変わりはない。マニは力はあっても、まだ若かったのだ。

 

 それからマニは、後退しながらも斬り合いを続けた。もはやアネサのことなど関係ない。自分が生きのびるためだけの殺し合いになっていた。

 しかしこの混乱の中、満足に動くことのできないマニは、体中にうけた傷の数を増やしながら、いまだ広場から出ることができずにいた。

 

 もう少しで広場の終わりというところまできて、マニは敵となった太守側の将兵たちにまわりをとり囲まれ、斬られた右太ももの痛みで膝を地面につき、絶体絶命の状況になりつつあった。

 それでもマニは、膝をつきながらも剣を前方に突き出し、敵を牽制しつつ、じりじりと後ろに後退を続ける。

 

 そしてまわりを囲む者どもが、ついにマニに斬りかかろうとしたその時、なぜか敵将兵たちの動きがピタリと止まった。

―――――

 

「ウゲッ、」アンコウは先程から定期的にえずいていた。

(…気持ちが悪い)あの場所で目が覚めてからずっとだ。

(あの光りの球が原因だろうな)

 

 初めてみた白いエルフ。あのエルフがアンコウの体の中に入れた光の精霊法術によりつくられた光球。

 この気持ちの悪さの原因はあれだろうとアンコウは思っていた。

 

 アンコウにはあれが何かはわからない。あのエルフともう1人いた獣人、あの2人が誰なのかも知らない。

 だけど今は、そんなことにこだわる気分にはならなかった。

 

(どうでもいい)アンコウが手に持つ赤鞘の剣を引き抜いてから底なしに湧き出る高揚感は、今でもアンコウの精神を満たしている。

 多少の肉体的な吐き気などなんてことはない。そして心が戦うことを欲している。

 

(この世界であんな良い気分で戦ったのは初めてだったなぁ)

 アンコウは先ほど剣をまじえた獣人のことを思い出す。

(強かったなぁ、あれ全力じゃなかっただろうし。本気出されたら、おれ、首飛んでたかもなぁ)

 アンコウはニヤニヤと笑いながら思いを巡らしている。

 

 

「き、貴様なんだ!」

 剣や槍を手にした太守側の兵たちが、アンコウにむかって誰何(すいか)した。

 

 そしてマニは、自分の横に立つ 突然うしろの路地から飛び出してきた男を見上げていた。

 

「……な、なんだお前」

 

 今のアンコウの奇天烈(きてれつ)な格好は彼らの目を引く。

 敵か味方かではない。彼らにはアンコウが狂人にしか見えなかった。

 そしてアンコウは抜き身の剣をひっさげて、にやにや笑いながら、そこにただ立っていた。

 

 太守側であっても、反乱軍側であっても、この殺し合いの最中、突如現れた今のアンコウを味方ととらえる者はいないだろう。

 マニもそうだ。突然現れたアンコウを自分の味方だとは思わなかった。

 しかし今、たまたまこの周囲にいる武装した者の多くは、マニに襲いかかる太守側の将兵たちだ。

 

 アンコウは思う存分剣を振るうことができる戦いを欲してここまで走ってきた。しかし誰が自分の敵なのかは決めていない。

 手に持つ呪いの魔剣と共鳴を起こした影響は、間違いなくアンコウの人格の変化を引き起こしている。

 しかし、アンコウは無差別に人を斬り殺すような殺人狂になったわけではない。

 

 突然現れたアンコウの存在に一瞬周囲の戦場の動きが止まったが、それをアンコウの大きな声の笑い声が再び動かした。

 

「あははははははは、ウゲッ、あははははははは、ウゲッ、」

 

「くっ、この物狂いがッ!」

 マニを取り囲んでいた長槍を持った1人の兵士が、アンコウにむかって、その槍を突き出した。

 

 完全にアンコウの胸部を狙ってのひと突きだ。

 アンコウは鎧はつけていない。ピンクの男物の給仕服を着ているだけ。槍がそのまま突き刺されば、間違いなくアンコウは死ぬ。

 

 この長槍の兵士は一般兵だ。むろん兵士としての訓練は積んでいるのだろうが、抗魔の力を持たぬ者の槍速は決して常人の域を出ることはない。

 槍をくり出した兵士の視界からアンコウが消えた。

 次の瞬間、兵士の首が大きく裂け、そこから真っ赤な血が噴き出し、兵士は前のめりに倒れた。

 

ドサンッ

 この瞬間、太守側の将兵がアンコウの敵になった。

 

「き、気をつけろ!このおかしなヤツも冒険者だ!一般兵は1人で飛び込むな!取り囲むんだ!」

 

 抗魔の力の保持者に、そうでない者が1対1で勝てるわけがないことは、この世界の者なら誰もがわきまえている。

 アンコウの奇天烈な姿に、アンコウをただの狂人であると判断した者が今1人、死んだ。

 

 一方マニはアンコウをただの狂人だとは思っていなかった。抗魔の力の保持者であることは間違いないということだけでなく、マニはアンコウから放たれる妙な力も感じていた。

 

(……こいつ敵ではない…のか?)

 

 アンコウはマニを取り囲んでいた兵士をまた斬った。それを見て、マニは意を決する。

 

「おいっ!あんた!赤備えの鎧の連中に気をつけろ!ここにいるやつで抗魔の力を持っているのは連中だけ、他は全員一般兵だ!」

 マニはアンコウにむかって叫んだ。

 

 アンコウは聞こえているのかいないのか、マニのほうを見ることはしない。そして次の瞬間、アンコウは大きく動き出す。

 

「早いッ!」

 アンコウを見ていたマニが思わず叫ぶ。

 不意を突かれた赤備えの兵士が1人、アンコウの剣に首を切り裂かれていた。

 

「く、くそおぉぉ!」

 

 残りの赤備えの兵士たちが、一斉にアンコウに斬りかかる。それを見たマニは痛みを堪えて立ち上がり、乱戦へと突入した。

 

「オオォォォーッ!!」

 

・・・・・・・・・・・・

 

「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、」

 

 マニは出血し過ぎている。剣を杖がわりに何とか立ってはいるが、怪我の具合を考えれば、立っていられるほうが不思議だ。

 

 マニの周囲には、動かぬ赤備えの兵士たちが何人も転がっている。

 マニはヒールポーションを取り出し、一気に飲み干す。もう一本取り出し、傷口にかける。そう簡単に回復する怪我ではないが、ましにはなる。

 

 太守側と反乱軍の全体の戦闘はますます激しさを増しているが、ポーションを飲んでいるあいだにマニに斬りかかってくる者は誰もいなかった。

しかし、

 ビチャ! ビチャ! ビチャッ!

 マニの足元近くにまで、遠くから血しぶきが飛んできている。

 マニのまわりでは、今も次々と血しぶきをあげながら太守側の一般兵たちが倒されていた

 

「はははははははーっ!」

「ギィヤァー!」

「グワァーッ!」

 アンコウの楽しげな笑い声と、兵士たちの絶叫がずっとマニの耳に聞こえていた。

 

 マニは、太守側の将兵たちと戦い続けているアンコウを何とも言えない目で見ている。アンコウがいなかったら自分は死んでいたかもしれない。

 しかし、あれが本当に味方かどうかは今もって疑わしい。もしあの男がいま自分に剣をむけてきたら、この体では間違いなく殺されるとマニは思った。

 

「死ねえぇ!裏切り者!」

 

 その時1人の兵士が、手負いのマニを組し易い(くみしやすい)と見たのか、アンコウを避けてマニに走りより、斬りかかってきた。手負いといえども1人で斬りかかってくる一般兵相手に後れをとるマニではない。

 

 疲労と怪我のせいで本来得意とする自在の足さばきで動き回ることはできないが、ほとんど移動することなく、マニは敵の攻撃を避け、そして敵を斬り伏せた。

 マニのまわりに転がる死体もずいぶんと増えている。

 

「……まずいな。目がかすんできた」

 

 マニは襲いかかってきた兵を斬り倒した後、また剣を杖がわりに立ち尽くす。

 今度は、そのかすむマニの視界の先に、マニに向かって真っ直ぐに走ってくる5人ほどの兵士の影が見えた。

 

「クソッ、」

 目がかすんではっきりと確認することはできないが、冒険者の装備ではなく、アネサの守備隊の簡易な装備を身につけた兵士のようだ。

 

「あれも敵か。くっ!キリがない!」

 

 マニは野獣のように歯をむき出しに、剣を構えなおす。しかし、悲鳴をあげるマニの体はわずかに揺れつづけていた。

 

「マニ!お前マニか!」

 近づいてくる兵の1人が、マニにむかって呼びかけてきた。

 

 驚いたマニは目を細めて、その男を凝視する。

「あっ、トマスのおっちゃんか!」

 

 走り寄ってきた兵士の中に、マニの知り合いの男がいた。

 トマスはこのアネサの町で家族とともに肉屋を営んでいる庶民であり、宮仕えをしているわけでも冒険者でもないのだが、若い頃の一時期、傭兵を生業(なりわい)としていた経歴を持つ男だった。

 

 アネサの為政者たちは、そうした戦う能力のある一部の庶民も今回の防衛戦のために狩り出していた。

 

「ハハッ、おっちゃん生きてたか、」

 マニは走ってくるトマスを見てかすかに顔に笑みを浮かべる。

 

 マニは両親が生きていた小さな頃から、トマスのことを知っている。トマスも赤ん坊の頃から親に抱きかかえられて自分の店に買い物に来ていたマニとは、いまでも非常に親しくしている。

 マニは、こういう人たちのために今回は剣をとったつもりだった。

 

 トマスの後ろについて走ってきている4人の兵たちもトマスの知り合いのようで、トマスと同じくこのアネサで生活をする一市民であり、否応なく戦いに動員された者たちだ。

 トマスはさらにスピードをあげて、真っ直ぐにマニにむかって走ってきた。

 

「アハハハハハッ!」

 その時、マニの耳に少し聞き慣れてきた甲高く奇妙な笑い声が聞こえた。

 

 マニはハッとして、トマスを見ていた視線を笑い声が聞こえたほうに移す。

 視線を動かしたマニの視界の中に、トマスたちに向かってもの凄い速さで近づいていく、()()服を着、()()マントをまとい、()()鍋兜(なべかぶと)をかぶった男の姿が映った。

 

「ち、ちがう、やめろぉぉーっ!」

 

 マニの右太ももや体中の傷から流れる血は、ポーションを飲んでもかけても、まだすべてが止まってはいない。

 体中に痛みや疲労を感じながらも、そんなことにはお構いなしに、マニは自分の血をまき散らしながら走り出した。

 

 

「マ、マニ!どうした!?」

 そのマニの行動を見て、トマスは走る足を緩める。トマスの後ろを走る最後尾の男が声をあげた。

「トマス気をつけろっ!右だ!あぶないっ!」

 

 トマスがそれを聞いて右側を向いたとき、そこには人の形をした真っ赤な(かたまり)がいた。

 その真っ赤な塊が、今まさにトマスに向かって剣をふり落とそうとしていた。

 

「あ……」

 トマスは何もできない。

 全身に返り血を浴び真っ赤な(かたまり)になったアンコウが、ためらいなく剣を振りおろす。

 しかし、その剣はトマスにあたらなかった。

ギャンッ!!

 激しい金属音が響いた。マニが何とか間に走り込み、アンコウの剣を受け止めていた。

 

「ぐわあぁぁぁっ!」

 

 アンコウの剣を受けた衝撃で、マニの体中のあちこちの傷口から血が噴き出している。

 

 しかし、マニは全身に力を込めることをやめない。この状態で全力をふるったところで、万全時の半分ほども力は出ていないだろう。

 それでもマニは、トマスに向かって振りおろされたアンコウの剣を止まるため耐え続けた。

 

 マニは、トマスもトマスの妻もトマスの子供たちのことも知っている。まるで家族のような付き合いを続けてきた人たちだ。

 決してその家族の大黒柱であるトマスを自分の目の前で死なせるわけにはいかなかった。

 アンコウの剣を受け止めたマニの片膝が崩れ落ちる。

 

「ぐ、ぐううぅぅっ!」

 

「マ、マニっ。い、いま助けるぞ!」

 トマスは自分を守ろうとしたせいで、危機に陥っているマニを助けるために、アンコウに剣をむけようとした。

 

「やめろ!おっちゃん!剣を引けっ!!」

 マニの必死の叫びが響く。その声のあまりの気迫に、トマスは剣を止めて後ずさりした。

 

「お、おい!あんた!その人たちは敵じゃない!兵士でもないんだ!普通の、がっ…、こ、この町の人たちなんだっ!」

 

 マニは痛みをこらえながら、アンコウにむかって大声で叫んだ。しかし、アンコウは剣を押す力を緩めない。

 

「…どこがだ」

 アンコウはマニにむかって剣を押し込む力を強めながらも、マニの後ろにいる男たちを見て言った。

 

「みんなっ!剣をおろせ!この男に剣をむけるな!」

 

 恐怖にかられて、アンコウにむかって剣を構えていたトマスたち5人は、マニの言葉を聞き、お互いに顔を見合わせながら剣をさげた。

 

「ゴフッ、」

 マニは口から血を吐いた。アンコウは全身を震わせながら耐えているマニを見おろす。

 

「……お前は?」

「…命を助けられて、剣をむけるような真似はしないよ」

 マニは片膝をつき、下からアンコウを鋭い目で見上げながら言った。

 

 アンコウは少し首をかしげながら剣を押す手の力を抜いた。その瞬間、マニは地面にへたり込み、

ゴホッ ゴホォッ と、激しく咳をしはじめた。

 

 剣を引くとアンコウは、咳き込むマニのそばに立ち、またえずきはじめる。

「ウゲッ、…気持ちわりぃ、ウゲッ、」

 

 

「マ、マニ、大丈夫か!」

 トマスは止める仲間を振り切って、マニの近くに駆け寄ってきた。

 

「あ、ああ。大丈夫だよ、おっちゃん。ちょっとヘタ打ったけどね」

 

 トマスはマニの両肩を抱え、心配そうな顔を向けた。

「マニ、この人は………」

 トマスはアンコウのほうを見て聞いた。

「大丈夫、敵じゃない。だから剣をむけちゃ絶対にだめだっ」

 マニは鋭い目でトマスを見ながら言った。

 

 本当はマニも、アンコウが敵ではないという確証は持っていなかったが、この状況でアンコウをこちらから敵に回すようなことは絶対にしてはいけないことだけはわかっていた。

 

「わ、わかった」

 トマスは後ろにいる仲間にも、わかったなと目をむける。後ろの者たちは黙ってうなずいた。

 

 マニは獣人の女らしく、ずいぶんと背が高かったが、それに見劣りしないぐらい肉屋のトマスも立派な体躯をした人間の男だ。マニはトマスに肩を借りて、ゆっくりと立ち上がる。

 マニはゆっくりと立ち上がりながらも、アンコウのほうをじっと見ていた。アンコウは剣を引いてから、何やらずっとウゲウゲとえずいている。

 

「んっ?…あんた、」

 

 マニは間近でアンコウの顔を見て、どこかで見たことのある顔であることに初めて気づいた。

 

 アンコウは、マニたちにアンコウと戦う意志がないことを確認すると、すでに彼女らに興味をなくし、えずきながらも周囲をキョロキョロと見渡していた。

 アンコウのまわりに、自分からアンコウに向かってくる兵士はいなくなっていた。

 

「なぁ、あんた。どこかで会ったことがあるか?」

 マニが問う。

「……ああ、あるな」

 アンコウはマニのほうは見ずに、まわりをキョロキョロと見ながら簡単に答えた。

 

 アンコウはテレサが女将をしていたトグラスで、同じ宿泊客として泊まっていたマニを何度か見かけたことがあったし、迷宮に潜る冒険者たちがよく使う他の店や施設などでも何度かマニを見かけたことがあった。

 

 マニは、アンコウより迷宮のずっと深い層を中心に活動している実力派若手冒険者で、アネサで活動している冒険者の間でマニの名と顔はそれなりに知られていた。

 

「どこでだ?」

「…別に」

 

 そう、顔を知っているからといって話をしたこともなく、別に2人は知り合いではない。ましてや今のアンコウに、戦う気もない手負いのマニに興味などなかった。

 そうしているうちに、アンコウは太守側の者と思われるなかなか強そうな戦士の姿を遠くに見つけた。

 

(………あいつがいいな)

 

「あっ!あんた、確かトグラスで、あっ、おいっ!」

 

 アンコウは、もうマニの言葉を聞いていない。見つけた標的にむかって素早く身をひるがえした。

 アンコウが体を回した遠心力で、アンコウのマントがバサリと半円を描くように動き、そのマントからマニたちに向かって血が飛び散る。

 

 アンコウのマントは薄手の白いレースのカーテンマント。

 しかし、そのマントに白いレースのカーテンが風に舞うような軽やかさはまったく残っていない。返り血に濡れたマントは、ひとかたまりとなって垂れ下がり、赤いものが滴り落ちる重そうな布と化していた。

 

 マニと5人の男たちの顔や体に、アンコウのマントから飛んできたたくさんの血が着いた。しかし、誰もたいして変わりはしない。元々マニも、5人の男たちも、すでに血まみれだったのだから。

 

 戦いがはじまってそれなりの時間が過ぎ、死んだ者も生きている者も血に染まっていない者はここにはいない。

 

 新たな標的にむかって走り出したアンコウの足元の地面も一面血の色に染まっていた。これも当たり前の戦場の風景。この中に入れば、アンコウの全身ピンクの服など迷彩服のようなもの。

 

 ああ、アンコウの服も、もうピンクではなく、赤い服になっていたのだった。

 

 

 

 

 戦いがはじまってかなりの時間が過ぎても、西門付近での戦いは一進一退の拮抗した状態が続いていた。しかし、その勝敗の天秤は一気に片方に傾きはじめる。

 

 北の方向に真っ黒な色の狼煙の煙が上がり、戦場の轟音(ごうおん)に包まれた西門広場で戦う者たちの耳にまで、北の方角から響いてくる兵たちの雄叫びが聞こえた。

 

 アネサの防壁、北の門が破られて、グローソン軍が雪崩を打って攻め入ってきたのだ。

 

 北門はグローソン軍の直接攻撃をうけて破られたわけではない。アネサの町の中に入り込んでいたグローソンの隠密諜報部隊や兵士たち、それにグローソン側に味方した冒険者たちの手によって北門は開け放たれた。

 

 それによって、アネサの防壁の外に陣取っていたグローソンの軍兵たちは、ほぼ無傷のまま、アネサに突入してきた。

 北門付近にいたアネサの将兵たちはあっという間にグローソン軍に飲み込まれ、為すすべもなく打ち倒されていった。

 

 さらにグローソン軍は北門を開放した者たちに先導され、アネサの主力部隊がいる西門にむかって押し寄せてきた。

 すでに反乱軍との戦いで、大きく傷ついていた西門付近にいるアネサの将兵たちは逃げ出すことも叶わず、多くの者が剣を捨てて投降し、それでも抵抗の意志を示す者は次々と斬り捨てられていった。

 

 抵抗するアネサの将兵の中には、かなりの抗魔の力を有するような者もまだ含まれていたようだが、あまりにも軍勢同士の勢いが違う。その最後の抵抗も長くは続かなかった。

 

ウオオオオォォォォーー!!!

 

 アネサの街中に、グローソン軍のさらなる勝ち鬨の声が響き渡る。

 アネサの町中の人間が、アネサが敵の手に落ちたことを知った瞬間だった。

 

・・・・・・・・・・・

 

「ウゲッ」

(気持ちわりぃ)

 戦いが終わってもアンコウはまだえづいていた。

 

 アンコウは西門広場の中心部を少し離れた防壁の近く、自分が斬り殺した多くの兵の死体がまわりを取り囲む中心で空を仰いで倒れていた。

 まだ戦闘が続く中、アンコウの身体は突然ぜんまいのネジが切れたように動けなくなった。

 

 アンコウの体が突然動かなくなったことに、あのエルフに体の中に入れられた精霊の光球は関係ない。

 アンコウは右手に今も握り続けている赤鞘の剣と共鳴を起こして、全力で力を使い続けてきた。圧倒的に力の差がある一般兵1人に対しても敵を真っ二つにする勢いで剣を振るっていたのだ。それを何人も何人も延々と続けていた。

 

 共鳴を起こし、抗魔の力が強化されたことでアンコウの肉体も大幅に強化されてはいたが、それにも当然限界はある。

 アンコウの興奮しきった脳みそは、その肉体の限界が近いことをアンコウに知らせてはくれなかった。

 

 全体の戦闘はまだ終結していないものの、アンコウの周囲で剣を振るい戦闘を行っている者の姿はすでにない。

 アンコウの体のネジが切れる直前に、西門広場の一角にグローソン兵が剣を片手に突入してきており、アンコウの近くに残っていた太守側の兵たちは一斉に逃げ出していた。

 

 アンコウが倒れたとき、1人でもアンコウを殺そうとする者が残っていたならば、アンコウはもうすでに死んでいただろう。

 

「体、動かないなぁ…ククッ、」

 

 未だアンコウの自由に動くのは口だけ、それでもアンコウはまだ上機嫌に笑みを浮かべている。しかし、空を見て地面に転がっているうちにアンコウの意識も少しずつボンヤリとしてきていた。

 

ジャリ、ジャリ、

 

 足音。そんなアンコウの耳に、自分に近づいてくる足音が聞こえた。そして体が動かず、否応なく空を見上げるアンコウの顔をその足音の主がのぞき込んだ。

 

「……アンコウさん?」

 

 のぞき込んできた顔の主とアンコウは目が合った。アンコウの目に映ったのは獣人の女戦士。マニではないが、よく見知った顔であった。

 

「……よう、ホルガ」

 

 ホルガも体中のあちこちに血が着いているようだったが、自分の血ではないようで、ここに来るまでにかなりの戦闘を経てきたことがうかがえる。

 そのホルガが実に(いぶか)しげな顔で上からアンコウを見ていた。

 

 ホルガは知っていた。アンコウはあの屋敷で軟禁されているはずだ。心身の状態もまだ元には戻っていなかったはずなのだ。

 それにもかかわらず、今アンコウは血まみれで、奇妙な姿をして戦場に倒れている。

 

 アンコウの周りに、あまた転がる死体はアンコウの仕業なのだろうとホルガは思う。

 アンコウは倒れて動けないようではあるが、ホルガがこうして見ている分には、アンコウの体に大きな外傷があるようには見えない。

 

「おい、アンコウ。お前こんなところで何していやがる」

 続いてホルガの後ろから野太い男の声がした。ダッジの声だ。

 

 ホルガに続いて、ダッジがアンコウの顔をのぞき込んできた。

 アンコウがかすかに眉間にしわを寄せる。また一段と目がかすんできたようだ。しかし、アンコウの口元には笑みが浮かんだままだ。

 

「おう、ダッジ。前々から思っていたが、まったく見事な山賊づらだな。お前はそのまま血まみれのほうがいいんじゃないのか?ははははっ!ウゲッ、

 まぁ、ちょうどよかったよ。お前らおれを起こしてくれ。まだ戦い足りないんだ。ククッ、こんな楽しい斬り合いは初めてだ。まだ足りねぇ」

 

 ダッジはそんな様子のアンコウを見て、あからさまに顔をしかめ、盛大に舌打ちをした。

 

「チイッ!この野郎は本当に面倒くせぇ」

 

 ダッジはホルガのほうを見て、何やら指図をする。

 

「腹でいい」

「はい」

 

「ああ、ホルガが起こしてくれ。血まみれの汚ぇ山賊づらに抱きかかえられても、ちっとも嬉しくないからな」

 

 アンコウは両手をホルガのほうに差し出そうとするが、両手の指一本、ピクリとも動かなかった。

 ホルガはそんなアンコウの期待に答えるようなことはしない。奴隷のホルガは、主人であるダッジの命令を聞くだけだ。

 

 そしてホルガは少し体を前かがみにして、握った右の拳を大きく後ろに振りかぶり、そのまま勢いよくアンコウの無防備なみぞおち辺りに拳を叩き込んだ。

ドガッッ

「ゲブウッッ!」

 その瞬間、少しずつかすんできていたアンコウの視界が、一気に暗転した。

 ダッジは口も動かなくなったアンコウを真剣な目でしばらく見つめていた。

 

「……ホルガ、そのアンコウの剣に長くは触るな。とりあえず鞘に納めてから、アンコウにくくりつけておけ」

「はい。わかりました」

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