Ankou°˖◝(⁰▿⁰)◜˖ 異世界をゆく   作:かまぼ子ロク助

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第21話 ガルシア再び

 アネサの統治者が、ロンド公からグローソン公へと移って3日目の朝。

 朝靄(あさもや)が消えたばかりの早い時間。アンコウはあの屋敷の敷地内のある中庭のひとつで、庭に転がっていた棒きれを剣に見立てて、自分の体の状態を確かめるように素振りを繰り返していた。

 

「ハッ! フッ! ハッ!」

 

 棒きれをリズムよく振りおろす度にアンコウの身体から汗が飛び散る。アンコウが素振りを始めてから小一時間ほどが過ぎていた。

 

 アンコウは庭に一人きりというわけではない。庭の端に剣を腰にさした屈強そうな男が、アンコウのほうを静かに見つめている。彼はアンコウがこの屋敷で軟禁されて以来、ずっとアンコウの見張りをしている男だ。

 一度アンコウが屋敷を抜け出して、またこの屋敷に連れ戻されて後も彼の任は解かれなかったようである。

 

 そしてもう1人、少し前からアンコウのいる中庭に面した屋敷の廊下の窓から剣を振るアンコウの姿をのぞいている者がいた。アンコウの奴隷であるテレサだ。

 テレサはいつもどおり起きて、アンコウの様子を見に行く途中で庭で素振りをするアンコウの姿を見つけた。

 

(……よかったわ。体のほうももう大丈夫みたいね)

 

 グローソン軍がアネサの町を占領したあの日、この屋敷に軟禁され、部屋で寝ていたはずのアンコウの姿が突然消えた。

 あの時点でアンコウは拷問を受けた体の傷は治っていたものの、精神状態はまだかなり不安定なままだった。そして、テレサたちが気づいたときには、アンコウはすでに屋敷を抜け出した後だった。

 

 当然、自身も軟禁されている状態のテレサには、アンコウを追いかけることも探しに行くことも許されはしない。ただ、アンコウがいなくなっても、テレサは心配はしても、まわりの者たちに特別うろたえる姿を見せることはなかった。

 

 冒険者などをしている者たちは皆、少なからず身勝手で、常に生と死の境界線を行き来している人種だということをテレサはよくわかっている。

 朝、元気良く行ってくるよと出かけて、2度と帰ってこなかった者たちを、テレサはトグラスの宿屋で見つづけてきた。

 

 テレサは迷うこともなく、この屋敷でアンコウが戻ってくるのを待つ覚悟を決めた。

 それにアネサの町中で戦闘がおこなわれているならば、下手に外に出て行くのは愚か者のすることだという分別をテレサは持っていた。

 

 そしてアンコウは、この屋敷を抜け出したその日の夜には帰ってきた。しかし、それはそれはひどい姿だった。

 血まみれで、まったく意識のない状態で運び込まれてきたアンコウを見たとき、テレサはそれは死体だと思った。

 

 呼吸をし、胸が上下しているのを確認したときも、このままアンコウは死ぬのだろうと思ってしまった。

 アンコウを運び込んできた人たちに、大した外傷はないと言われても信じることができず、アンコウの着替えをするために服を脱がして、自分の目でアンコウの体中の傷の具合を確認したとき、初めてテレサはほっとすることができた。

 

 でもアンコウの体が大丈夫だとわかると、次にテレサはアンコウの精神状態がどうなっているのかと絶望的な不安を抱いた。アンコウはこの屋敷を抜け出す前、精神的にかなり不安定な状態にあった。

 

 運び込まれたときのアンコウの姿とまわりの人たちが口にしていたアンコウの戦場での話を聞くと、アンコウが目を覚ましたとき、とてもではないがまともな精神状態ではないだろうとテレサは思った。

 そしてそれは、テレサだけではなく、その場にいたすべての人たちが感じていた。

 

 しかし、アンコウが再び血まみれでこの屋敷に運び込まれた次の日の朝、目が覚めたアンコウの様子はテレサたちが思っていたものとはかなり違うものだった。

 

 

「フゥーッ!」

 アンコウは大きく息を吐き出し、棒きれを振る手を一時止めて、じっと手に持つ棒きれを見る。

 

 アンコウの体の痛みは、この2日間安静にしていただけでほぼ消え、アンコウが剣に見立てて木の棒を振るパワーやスピードは、怪我をする前とまったく変わらないものになっている。

 

 しかし、あの日獣人の戦士ガルシア相手に対等に斬り合いを演じ、戦場となった広場で数えきれないほどの兵士たちを(ほふ)ったときの力は、いま棒きれを振るアンコウには宿っていない。

 

「……呪いの魔剣との共鳴……とか言ってたな。やっぱりあの剣を持ってないと今までどおりなのか……」

 

 アンコウは戦場で倒れ、そのままこの屋敷に運び込まれて、意識が戻ったのは次の日の朝。そして、その時にはすでにアンコウの手元にあの赤鞘の魔剣はなかった。

 この屋敷の者がどこかに持っていったらしい。

 

 アンコウとしても元々あの剣はこの屋敷にあったもので借り物のつもりであったから、それに対して何ら不満はない。

 それに今のアンコウはすこぶる気分が良かった。アンコウがいま感じている気分の良さは、あの剣を持って戦いの中で感じていたイカレた気持ちの良さとはまったく違うものだ。

 

 この屋敷のベッドで目が覚めたとき、例えて言うならば、アンコウは全身余すところなく強度の筋肉痛にでもなったような状態で、少しでも体を動かせば全身に痛みが走り、まともに動くことさえできなかった。

 しかし、体中が痛んでいたが、心は違ったのだ。

 

 アンコウの心は久しぶりに平らかで、かなりの痛みに耐えながらも自分らしさを保ったまま精神をコントロールすることができていた。

 赤鞘の魔剣を振るっていたときの興奮はもちろん、あの地下の牢屋で拷問をうけた後に感じ続けていた強度の不安感や精神の不安定な感覚がまったくなくなっていた。

 

(あの魔剣との共鳴が、俺の精神に影響を与えたせいなのか………) 

 と、アンコウは感じていた。

 

 棒きれを振る手を一時的に止めたアンコウが、チラリと屋敷の窓のほうを見たときに、じっとアンコウの様子を覗っていたテレサと目が合った。

 アンコウと目と目が合ったことに気づいたテレサは、アンコウにむかって軽く頭をさげる。アンコウもテレサに気づいて、笑みを浮かべて軽く手を挙げた。

 そして、アンコウはまたすぐに棒きれを振りはじめる。

 

(……よかった)

 そんなアンコウの姿を見てテレサは素直にそう思う。

 

 テレサはアンコウ同様、この屋敷で現在進行形で軟禁されている身の上だ。当然テレサはいまの現状に、強い不安を抱いている。

(この先どうなるんだろう)という思いは、今も重く心にのしかかっている。

 

 しかし、奴隷の身となったテレサには、たとえ軟禁の身を解かれ、1人この屋敷の外に出られたとしてもそこには自由はない。

 テレサの今の人生は、その奴隷という社会的身分によって、否応なくアンコウと共にある。アンコウの不幸不遇が自分のそれに直結する可能性が極めて高い。

 

 だからテレサが今、アンコウの元気そうな姿を見て喜びを感じている心情には、単純にアンコウの回復を喜んでいるだけでなく、当然、打算保身の勘定も含まれている。それもまた、テレサのごく自然で当然な感情なのだ。

 

 テレサは自由の身と奴隷の身どちらがよいと単純に聞かれたら、むろん自由の身と答えるだろう。しかし、一度奴隷の身に落ちた者が再び自由を得る困難さは、この世界で生まれ育ち、生き抜いてきたテレサはよく知っている。

 

 そのうえで、テレサは自分の人生を生きるということを決して諦めてはいなかった。

 自由の身であっても苦痛と絶望に染まる人生もあれば、逆に奴隷の身であっても、幸せと希望とともにある人生もある。そのことも、テレサは自分の人生の経験として知っていた。

 

 この先の人生を奴隷の身で生きなければならないのなら、テレサは自分の所有者として、アンコウは()()()の部類であると、アンコウの奴隷となったこの4ヶ月ほどで見極めていた。そのアンコウに、あんな形で壊れられては困るのだ。

 

 いまの状況でアンコウに狂人などになられたら、その時点で、今テレサの手の中にある幸福や希望のほとんどが崩壊してしまう。

 奴隷の身では、それらが修復不可能なまでに壊れてしまっても、自分の意志だけで逃げ出すことも新たな一歩を踏み出すことも許されない。その事実をテレサは客観的にきちんと認識できていた。

 

 

「ハァーッ、これぐらいにしておくか」

 アンコウはそう言うと歩き出し、手に持っていた木の棒きれを中庭の隅ほうに立て掛けた。

 

 武器を持つことは許されず、いつまでここにいることになるのかわからない以上、またこの棒切れを使うこともあるかもなとアンコウは思い、それについた汚れをきれいに払って、なるべく雨がかかりそうにない場所を木の棒きれの置き場所に選んだ。

 

「ふふふ、朝から殊勝(しゅしょう)なことだ。戦士たる者、日々の研鑽(けんさん)は欠かしてはならぬものだ」

 突然アンコウの頭の上から、低く重々しい男の声が聞こえた。

 

 それは、アンコウがつい最近聞いた憶えのある声。その声の主の正体に思い当たった瞬間、アンコウの背中から汗が噴き出してくる。

 と同時に、アンコウはその声のほうを見ることなく、屋敷の中に入るべく走り出した。しかし、

 

ザアンッ!!

 アンコウの目の前に上から何かが落ちてきた。

「くっ!!」

 アンコウは今度は走る足に急ブレーキをかける。

ズザザザザアァァァァー

 何とかアンコウは土や砂を飛ばしながらも停止した。

 

 止まったアンコウの目の前には、上から落ちてきた巨躯(きょく)の獣人の男が巨大な壁のごとく立ちはだかっていた。

 

「どうした、今日はえらく遅いな?準備運動が足りてないのではないのか?」

 獣人の男が、からかうような口調でアンコウを見下ろして言う。

「!!~~!!」

 

 そう、アンコウの目の前に立ちはだかる声の主は、先日のグローソン軍侵攻の日、あのエルフと共にアンコウの前に現れ、アンコウと激しい剣戟をまじえたいた獣人の戦士ガルシアだ。

 

 アンコウはガルシアをにらみつけるが声は出ない。アンコウは一気に口の中が乾いていくのを感じていた。一方ガルシアは悠然とアンコウを見据えている。

 アンコウは、いまにも震えだそうとする体を必死で抑えていた。

 

「このあいだの戦いはずいぶんと楽しかった。貴様も楽しんでいただろう」

 ガルシアがアンコウにむかって言った。

 

 確かにあの日、アンコウはこの獣人の戦士との戦いを楽しんでいた。今現在のアンコウも、あの日のガルシアとの戦いを楽しんでいた自分の姿、感情をはっきりと記憶している。

 しかし、あの時感じていた快感にも似た興奮を今のアンコウは毛ほども感じることはない。

 

(や、やばい、やばい、)

 今のアンコウがガルシアを見て感じるのは、ただ恐怖のみ。ただ危険信号のみが、アンコウの体の中を駆け巡っている。

 

「ふむ、この私とあれほどの戦いを演じた男が、そのような顔でただ逃げるのか」

 そう言ってガルシアはわずかに眉をしかめた。

「ふむ。予想はしていたことではあるが、思っていた以上に不愉快だな」

 

 ガルシアは先日アンコウと斬り合ったときとまったく同じ装備を身につけていた。

 そして、ガルシアは腰の大剣の柄に手をやり、アンコウにむかって足を踏み出すと同時に剣を引き抜いた。

 

ゴオオォォッ!

 うなりをあげながら一閃されたガルシアの剣が、アンコウの顔の真横で止まる。

 アンコウはまったく反応することができず、その場からピクリとも動けなくなった。しかし、

 

「ほう、」

 今もそらすことなくアンコウの目を見すえているガルシアが、少し興味深そうに声をあげた。

 

 寸止めされたガルシアの剣圧を顔の真横で感じたはずのアンコウの目から、先ほどまで浮かんでいた恐怖の色が消えていたのだ。

 

 アンコウはガルシアにまったく敵わないとわかってはいたが、先日斬り合ったときのガルシアの剣には今の一刀とは比べものにならないぐらいの殺気が込められていた。

 今のガルシアの一刀が、本気でアンコウを斬るつもりがないことは明らかであった。それに、

 

(……いい加減にしてくれ)

 このところアンコウの身に続く血なまぐさいトラブル、いまアンコウは冷静に腹の底から(いか)ってもいた。

 

「……ふむ」

 

 ガルシアはゆっくりと剣を下におろす。

 

「……なるほど。共鳴を起こすような者がただの臆病者であるはずがないか。くっくっ、面白い。貴様にはもう少しつき合ってもらうぞ」

 ガルシアは目を大きく見開いて、断定的に言い切った。

 

 そのガルシアの言いように、アンコウの否やが聞き入れられる余地はありそうもない。そのガルシアの目を見て、アンコウの目の力が弱くなっていく。

 

「はあぁぁ、」

 アンコウはガルシアから目を逸らし、下を向いて小さくため息をつく。

(……勘弁してくれよ)

 

 自分に拒否権のないことを悟っているアンコウは、心の中でただ嘆くしかない。

 

 

「おい、お前。ビジットを呼んできてくれ」

 

 ガルシアは、中庭の端で呆然と立ち尽くしているアンコウにくっついてきていた見張りの男に言った。

 

「は、はいっ!わかりました!」

 男はそう言うと、もの凄い速さで屋敷の中に消えていく。

 

 アンコウは頭上からガルシアの声が聞こえたときは、心臓が口から飛び出すかと思うぐらい驚いたが、今は本人も驚くほど落ち着きを取り戻していた。

 

 いろいろあって俺もマゾに目覚めたか、ビジットって誰だよ、などとアンコウは心の中で突っ込んでいたが、口にはしない。

 しかし、この状況でそんなことが頭によぎる程度には、アンコウにはなぜか余裕ができていた。

 

 アンコウはガルシアの鎧の胸の紋章をあらためてみる。先日の邂逅(かいこう)の時にも確認していたが、ガルシアの鎧にはグローソンの紋章が刻まれている。

 

(……やはりグローソンの武人か)

 先ほどの見張りの反応も、ひどく驚いてはいたが、あの男もガルシアのことを見知っているようであった。

(しかし、そうなるとあのエルフもなのか……)

 

 この世界の政治権力のことにはあまり関心がなく、そういった関係の知識も豊富とは言いがたいアンコウだ。

 だがしかし、この世界で得た常識的な感覚として、やはりこのウィンド王国の支配者種族であり、あの自由傲慢とも言うべき種族的特徴を持つエルフが、ウィンド王国内にある人間族の一地方領主に過ぎないグローソン公に(こうべ)を垂れ、仕えているということにはいささか違和感がある。

 

 その時、アンコウの耳に「だ、旦那様、」と自分を呼ぶテレサの声が聞こえた。

 

 

 テレサが廊下の窓からアンコウを見ていると、屋根の上から突然巨躯の獣人の男が現れ、アンコウにむかっていきなり剣を引き抜いたのを見て、テレサはただ驚き混乱した。

 どうしてよいかわからず混乱しているうちに、ガルシアが剣をさげ、何やらアンコウと話をしはじめたのを見て、テレサは思わず自分も中庭に飛び出していた。

 

 しかし、勢いよく飛び出したのは良いものの、より近くで大剣を抜き身で手にしている巨躯の獣人戦士ガルシアを目にしたとき、テレサは自分の体が震え続けていることに気がついた。

 

 アンコウは自分に声をかけてきたテレサを見て、驚き顔をしかめた。

「テレサ、何をやってるんだ!?」

 

 テレサはいつのまにか、さっきまでアンコウが素振りに使っていた木の棒きれを手に握っていた。

 テレサは別にそれでガルシアと戦うつもりだったわけではない。アンコウに声をかけられるまでは、本人も自分が木の棒を手にしていることを意識すらしていなかったぐらいだ。

 

 外に野犬がいるかもしれない、泥棒がいるかもしれないと思ったときには、人は無意識に身近にあるものを身を守るための武器代わりとして手にとるだろう。

 しかも今は、かもしれないではなく、犬や泥棒よりもはるかに恐ろしげなものが間違いなくテレサの目の前にいる。

 

 テレサは弱者ゆえの無意識の反応で、小刻みに震える手に棒きれを握ぎり、その棒きれの先をガルシアにむけてしまっていた。

 

 そのテレサの様子を見てアンコウは、先日の西門広場での戦闘を思い出した。

 赤鞘の魔剣を握るアンコウは自分に敵意をむける者をためらいなく斬り殺した。アンコウが斬り殺したのは、敵の兵士だけではなかった。

 

 あの広場には多くの一般の市民も集まっていたが、その中には倒れた兵士から手に入れたものであったのか、アンコウに剣をむける一般市民と思われる者たちもいた。

 彼らにしてみれば、アンコウの常軌を逸した戦いぶりを見て、ただ恐怖し剣を手に持っただけの者も少なからずいただろう。

 

 しかし、アンコウはそのようなことは一切考慮せず、自分に剣をむける者は容赦なく斬り倒した。

 

 ガルシアの視線はすでに自分に木の棒きれを向けるテレサのほうにむけられている。

「……ふむ」

 そしてガルシアは視線だけでなく、体全体の向きを変え、テレサを正面に見据えた。

 

「テレサ!それを捨てろ!」

 アンコウはテレサに鋭く命じた。

 

 アンコウはテレサに命じながら、素早くテレサとガルシアの間に移動した。

ドサッ、とアンコウのうしろで何かが地面に落ちた音がした。テレサが持っていた木の棒をあわてて手放したのだろう。

 

 アンコウがあらためてガルシアのほうを(うかが)うと、ガルシアは険しい表情でアンコウの顔を見ていた。

 

「………貴様、何のつもりだ。わずかに目に殺気が浮かんでいるぞ」

「……いや、別に…」

「気に入らんな」

「べつに殺気なんかは、」

「殺気が問題なのではない。戦士が敵に殺気を放つのは当たり前のことだ」

 

「…………」

 アンコウは口を開かず、どういう事だとガルシアのほうをうかがう。

 

「貴様、私がその女に何かするとでも思ったのだろう」

 

 ガルシアはそう言うと鋭い目つきでアンコウをにらんだ。先ほどの寸止めの一刀よりも、殺気のこもった圧がすごい。

 

「うっ……」

 アンコウは、思わず半歩片足をうしろにさげた。

 

「このガルシアはゼルセ様の忠実な従僕にして、一個の戦士であることを何よりの誇りとする者。ただの木ぎれを持った怯えた女に誇り高き我が剣をむけるような真似はせぬわっ!

 貴様は仮にもこの私と命を賭け、魂の剣を交えた男であろう。戦士として剣をまじえた男から、力なき女に剣をむけるような卑劣漢扱いをうけるのは侮辱以外の何ものでもない!」

 

 ガルシアはそう怒声を発すると、下にさげていた剣をアンコウにむかってゆっくりとあげてきた。

 アンコウはガルシアを怒らせたのが、テレサではなく自分の行動だったことに気づき、余計なことをしてしまったとあわてて取り繕おうとする。

 

「ご、誤解だ!あんたを侮辱するつもりなんかは毛頭ない。あんたは強く、気高い本当の戦士だ!そ、それはこのあいだ剣を交えてみてよくわかった。あんたが繰り出してきた剣戟のすべてに、間違いなく真の戦士の魂がこもっていたよ!」

 

 それを聞いて、ガルシアの顔に満足そうな色が浮かんできた。

 実際にはアンコウはガルシアと戦っていたときに、そんなことはまったく感じていなかったが、このガルシアという男が喜びそうな言葉を選んで、とっさに口から出た言葉だ。

 

 しかし思いのほかガルシアの表情が変化したのを見て、アンコウはさらにガルシアが喜びそうなセリフを考え、言葉にする。

 

「それにあんたの主人のゼルセ様だったか、おれなんかが今までに見たことがない素晴らしい気品のあふれる方だった。あんたの剣はあの人を守るのにふさわしいものだ!」

「おお、そうか!貴様にはそれがわかるか!…うむ、共鳴者であることはダテではないようだな。戦士の剣にはそれにふさわしい働きの場が必要なのだ」

 

 ガルシアはアンコウにむけていた剣をさげ、1人納得したようにうなずいている。それを見て、アンコウは大きく息を吐いた。

 

(こいつ、結構単純だな)

 アンコウには戦士たる者うんぬんなどと言う理屈はわからない。

 アンコウの剣は今を生き抜くためだけのもの。ガルシアのような戦う美学などアンコウは持ち合わせていなかったし、必要ともしていなかった。

 ただ、生き抜くためなら口八丁手八丁も剣と変わらぬ武器であるとアンコウは考えている。

 

「その女は貴様の奴隷か?」

 そう聞いてきたガルシアの声にはまったく怒気は含まれていなかった。アンコウはとりあえず、ひと安心して答えた。

「……ああ、そうだ」

「うむ」

 

 ガルシアはテレサに向かって歩き出し、アンコウの横をすり抜けていく。アンコウは今度はそれを邪魔するようなことはしない。

 テレサは息を飲んでガルシアが自分に近づいてくるのを見ていた。テレサはその場から一歩も動かない。いや、緊張で体が動かなかった。

 

 テレサの間近まできて、ようやくガルシアは足を止めた。テレサは自分の目の前に、突然大きい壁ができたような威圧感を感じていた。

 

 じつはガルシアのこの行動に、特別な意味は何もない。

 ガルシアとしては、先ほどまでここにいた見張りの男が、ビジットという男を連れてくるまでの単なる時間つぶしでしているだけのこと。

 

 その時間つぶしのために、アンコウや特にテレサはひどい精神的重圧をうける羽目になっていた。

 

「女、お(ぬし)名前は?」

「……は、はい…」

 

 テレサは顔を上げることができない。何とか返事はしたが、それ以上言葉が出てこない。

 先ほどガルシアがアンコウにみせた怒気が、今もテレサの目に焼き付いていた。アンコウでさえたじろぐほどものに、テレサが恐怖しないわけがない。

 

 その時テレサの視界に、自分に近づいてくるアンコウの姿が見えた。

(あっ、旦那様)

 アンコウはそのまま自然な歩く速度でテレサたちのところまで近づいてきた。

 

「その女の名前はテレサだ」

 アンコウはテレサのほうもガルシアのほうも見ずに、ごく自然な口調でテレサの少し横に転がっていた例の棒きれを拾いながら答えた。

 

「ほう、テレサか。なかなかよい名だな」

 テレサの頭の上のほうから、ガルシアの声がした。

 

 そしてアンコウは、その木の棒を持って、そのままテレサの斜め後ろに歩き去っていく。

(えっ!?ちょ、ちょっと、)

 テレサは何もしてくれず、遠ざかって行くアンコウを目で追った。

 

 アンコウとしては先ほどのガルシアの言葉と態度で、共感はしないが戦士の誇りとやらが大事なガルシアは、テレサを傷つけるようなことはしないだろうと確信が持てていた。

 ならば自分が下手にあいだに入ると、さっきのように何が地雷かよくわからないガルシアに余計な刺激を与えかねないので、ガルシアの話し相手はしばらくテレサに任しておくことにした。

 

(まぁ、どのみちこのまま部屋に戻れはしないだろうからな)

 アンコウは先ほどガルシアが自分に言った もう少しつき合ってもらうという言葉を思い出していた。

 

 あれは別に話し相手になってもらうなどというかわいらしいものではない。

 先ほどは寸止めの一刀のみで、ガルシアは剣を引いた。その続きをつき合えとガルシアは言ったのだと、アンコウにはよくわかっていた。

 

(つき合いたくないが、逃がしてはもらえないだろうな)

はあぁぁっ と、 アンコウはため息をつきながら、木の棒を元の場所に立て掛けた。

 

 

「テレサ、というのか」

「は、はい」

「奴隷とはいえ、女の身で主人の危機に飛び出してくるとは見上げたものだ。私も我が主に絶対の忠節を誓う身として思うところがあった。誉めてやろう」

 

 テレサとしては絶対の忠節などという大仰(おおぎょう)なものはなく、気がつけばアンコウの元へと体が動いていただけのこと。

 

「そ、そんな、私などとあなた様とでは比べものになりません。恐れ多い、」

「はっはっは、謙遜しなくていい。力や身分の問題ではなく、心意気の問題なのだ」

 

 ガルシアは笑いを納めると再びテレサのことをながめていた。

 

「なかなかよい奴隷を持っているな。アンコウ!この者は戦闘にも使えるのか!」

 

 ガルシアは少し大きな声で、少し離れたところにいるアンコウに聞いた。

 

「いや、その女は家事雑役が専門ですよ。戦いには使わない」

 

 アンコウは少し離れたところから動かずに答える。それを聞いてガルシアは再び視線をテレサのほうに戻した。

 

「ふむ、戦う素質はあるようにも見えるのだがな」

「い、いえ、戦うのは無理です!」

 テレサは少しあせって答えた。

 

「ふむ、そうか。しかし、先ほどの心構えがあるのなら、充分に主に仕えることができるだろう。戦うことだけがお主らのようなものの仕事ではないからな。

 うむ。アンコウよりはいくらか年上のようだが、なかなか美しくもあるし、年嵩(としかさ)の女でないとできない心遣いというものもあるからな」

 

 そう言うとガルシアはテレサの体に手を伸ばし、テレサの胸と腰回りを触りはじめた。

 

「なっ、…ちょっ、や、やめてください!」

 突然のガルシアの行動にテレサは身をよじり、逃げようとする。

「動くな。触りにくいだろう」

「なっ!」

 テレサはそれまでずっと下を向いていたのだが、思わず顔をあげたテレサはガルシアと目が合ってしまった。

「ひっ、」

 間近でガルシアの眼光に射貫かれたテレサは、また体が硬直してしまったようだ。

 

「うむ、それでいい」

 

 少し離れているといっても、アンコウはガルシアやテレサの表情の細かな変化までも、その目で確かめることができている。

(な、なんだあいつ、) アンコウはガルシアが突然テレサの体を触りだしたのには驚いたが、そのガルシアの様子を見て首をかしげた。

 

 アンコウにはガルシアが欲情して、テレサを触りだしたようには見えていない。

 

(………ああ、あれに似ているな)

 アンコウはテッグカンの奴隷屋で見た、あの店の(あるじ)がテレサを触りながらアンコウに売り文句を言っていたときの女の触り方に、今のガルシアの感じがなんとなく似ていると思った。

 アンコウは冷静にただ見ている、動こうとはしない。

 

「……しかし、こんな朝っぱらからお天道様の下で見たいもんではないな……」

 アンコウはちょっとの間の2人の攻防?を見て、小さな声でつぶやいた。

 

 ガルシアから男の下心は感じられないとはいえ、嫌がる女の胸や尻を無表情で触る巨躯の獣人という目の前の絵面(えづら)自体は、なかなかのものだ。

(……まったく、なにが戦士の誇りだよ)

 

 

「ああっ、…いやっ、」

「うむ、胸もなかなか大きく、よい腰回りをしている。女としてもなかなかよい奴隷のようだ。少しとうは立っているようだが、主人に尽くせよ」

 

 ガルシアは、いたって普通にそう言って、ようやくテレサを離した。

 しかし、アンコウもガルシアのこの一連の行動言動に、さすがに引いていた。

 

 この世界では奴隷は文字どおり、持ち主の所有物。ある意味モノ扱いして当たり前であるのだが、何をするにしても、それが許される時と場所というものがある。

 今のガルシアの行動は、この世界の感覚でも明らかにズレている。しかも、ガルシアにはまったく自覚がなさそうだ。

 

 アンコウは剣を抜き合うのとはまた別の意味で、ガルシアとはあまり関わり合いになりたくないなと思った。

 

「アンコウよ!この奴隷の女もなかなかよいものであるようだ、貴様はよい目を持っておる!先ほどの我が主と私への評価といい、貴様は物事の本質を見極め、価値を知る智の素養があるようだな」

 ガルシアはアンコウのほうを見て、まったく悪気なく強い口調で言った。

 

 他人の女の胸と尻を触った挙げ句に何を言ってんだ、これっぽっちも真実味がねぇ、とアンコウは思う。今アンコウがその目で見たものと、ガルシアが吐いたセリフとの落差がありすぎた。

 ガルシアとしては、単に先ほどアンコウに主人と自分のことをよく言ってもらった返礼のつもりででもあったのだろうか、実に堂々とした態度を保っていた。

 

「……そいつは、どうも…… 」

 

 アンコウはそんなガルシアを見て、体から力が抜けていくのを感じた。

(……このオッサン、絶対変わりもんだ)

 アンコウのガルシアに対する評価が少し変わった。

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