Ankou°˖◝(⁰▿⁰)◜˖ 異世界をゆく   作:かまぼ子ロク助

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第40話 ボロボロの帰還

 味方の死体を文字どおり踏み越えてアンコウに殺到する功名乞食(こうみょうこじき)と化した兵隊たち。

 

 アンコウの周囲に常に敵の兵隊がいるために、精霊法術や飛び道具での攻撃がないのは救いだが、アンコウの体には次々と剣刃による傷が刻み込まれていた。

 アンコウの体から流れ出る血の量が増していく。

 

(……だめだ。もう限界だ……)

 そして、ついに諦めざるをえない心境に至ったアンコウの顔に、より強い狂気に満ちた笑いが広がっていく。

「…イヒヒヒヒ」

 

 諦めたといっても、アンコウが次に取る行動は、戦うことをやめ、おとなしく敵に斬られることではない。アンコウはそんな敵にやさしい選択はとらない男だ。

 

 アンコウは、より深く強く呪いの魔剣との共鳴に身をゆだねていく。

 するとアンコウの心に湧く戦いの興奮が増していき、血が流れ出る傷の痛みがやわらいでいく。いや、痛みがやわらぐのではなく、痛みを快楽として認識していく感覚にそれは近い。

 

 呪いの魔剣の影響を抑えていた理性の手綱をアンコウは緩めた。

 手放した理性の分だけ、脱糞しそうになるほどにアンコウが感じていた恐怖も薄らいでいく。

 

(…イヒ、ただで死んでたまるか。一人でも多く道連れにしてやる……)

「イッヒヒヒィー!」

 

 アンコウの動きが変わった。単に力が増しただけではない。それまで受身逃げ腰で振り回していた剣が、自ら敵を求めるように前に出る。

 アンコウは、一歩二歩と群がる敵兵の中に、自分から進みはじめた。

 

「イッヒヒヒィー!」

 

 アンコウは奇声を発しながら、次々と敵を斬り倒し、斬り倒した死体の道の上を歩いていく。

 しばらくすると、功名乞食(こうみょうこじき)と化していた敵兵の様子が再び変わってきた。

 

 彼らの中に再び恐怖の色を顔に浮かべる者が出てきた。1人2人3人4人5人と、次々とアンコウから距離をとりはじめる。

 しかし、アンコウももうすでに全身血まみれだ。アンコウにも、もう余裕はない。

 

 敵兵の中からひときわ大きい体躯をした人間族の男が、まわりの兵たちを押し退けて進み出てきた。自分の腕に自信があるのだろう。

 

「何をビビってるんだお前らっ!見ろっ、あいつはもうボロボロじゃねぇか、俺が始末してやる!」

 

 巨漢の男が、アンコウを剣で指し示しながら、まわりを叱咤するように吼えた。

 男はその巨体にふさわしい大剣を手に持って走り出す。無論、狙うはアンコウだ。

 

「うおおぉぉーっ!」

ザァンッ!!

「オ…エ…オ……!!」

ドサァンッ!

 

………巨漢の男は死んだ。

 

 アンコウは自分に向かって、走り迫ってきた男に対し、それ以上に速いスピードで一気に踏み込み、男を上から下に真っぷたつにするように剣を落とした。

 アンコウの斬撃は、巨漢の男を頭のてっぺんから唐竹割りに斬り裂いた。

 

「イヒヒ」

 

「なぁっ!」

「な、何てやつだっ!」

「ま、まだあんなに動けるのか」

 

 アンコウのまわりにドーナツ状に人がいない空間ができる。

 アンコウはまだかろうじて理性を残している。自分に恐怖を感じはじめた敵兵たちを見て、アンコウはその場に立ち止まり、ニヤリと歯を見せて笑いながらまわりを見渡した。

 

(……まだ、逃げることができる…可能性がある…か)

 しかし……

ヒュンッ!

 グサッッ!

「あっ、」

 小さく声を出し、突然アンコウの体が大きく前に揺らぐ。

 

 アンコウの背中に、斜め後ろから飛んできた矢が突き刺さっていた。アンコウは何とか足を踏ん張って、前に倒れそうになる体を何とか支えた。

そして、

 

「ウ、ウ、ウガアアァァーーッ!」

 

 アンコウは真実血を吐きながら叫び、身を翻して、矢が飛んできた方向に走り出す。

 

 アンコウは赤鞘の魔剣を狂ったように振り回し、しかし、かつ的確に敵を斬り裂き、アンコウのまわりを取り囲んでいた敵兵の壁の一角を一気に突き破った。

 

 アンコウの開けた視界の先に、弓に矢をつがえた兵士たちがずらりと並んでいるのが見えた。弓兵だけでなく、精霊法術を発動しようとしている黒いエルフの姿もあった。

 

 アンコウはかろうじて残っている理性的な思考力で、あれにむかって突っ込んでいくことは自殺行為であると理解していた。

 しかし、アンコウは理性ではなく、怒りの感情と戦いを求める衝動に引きずられていく。

 

 ついにアンコウは、自分の生き死になど意識の外に放り捨て、思いのままに戦うことを選択しようとしていた。

 

「ウガアアァァーッ!」

 

 アンコウは吼え、血を撒き散らしながら横一列に並んだ弓兵にむかって足を止めることなく突っ込んでいく。

 

 しかし、まだアンコウと弓兵たちとのあいだには少し距離がある。

 弓兵たちは落ち着いて、無謀な特攻攻撃を仕掛けてくるアンコウを(まと)に弓を引き絞り、矢を放たんとする。

 

 アンコウの剣は、まだ彼らにはとどかない。

 弓を引き、自分に鏃をむける兵士たちを見てアンコウは、雄叫びをあげ、彼らに向かって全力で走りながらも、頭の隅で “死んだな俺” と思っていた。

 それでもアンコウは、止まらなかった。

 

 弓兵を指揮しているだろう男が叫んだ。

「放てっ!」

そして、

 ヒュンッ ヒュンッ ヒュンッ !!

  ヒュンッ ヒュンッ ヒュンッ !!

 雨のように降りそそぐ矢が、外すことなく的をとらえていく。

 

「なぁっ!!」

 もう一方の弓兵を指揮する男が驚きの声をあげた。

 

 その降りそそぐ矢が刺さった(まと)は、アンコウではなかった。

 

 矢の雨が頭上に降りそそいだのはアンコウではなく、アンコウに弓を射かけようとしていた敵兵たちのほうであった。

 弓を持った男たちはアンコウに矢を放つことができず、あるいはあさっての方向に矢を放ち、バタバタと倒れていく。

 

 男たちを倒した矢は、男たちが並んでいる場所の背後にある森の木々の隙間を縫って飛んできていた。

 

「今だっ!突撃いーっ!」

 

 そして、その矢が飛んできた森の中からは、何頭もいるのだろう 大きな馬蹄の音が響いてきた。迫る馬蹄の地鳴りの音が、さらにどんどん大きくなっていく。

 

 次の瞬間、物凄いスピードで、その森の木々のあいだから、武装した兵士を乗せた馬が次々に飛び出してきた。

 

 そして、森から飛び出してきても彼らのスピードはまったく落ちず、彼らの前にいるまだ倒れずにいた弓を持った男たちを次々と馬で跳ね飛ばし、剣で斬り裂き、槍で突き殺していった。

 

―― ウオオォォオオォォーッ! ――

 

 突如、森から飛び出してきた男たちの闘志に満ちた声が戦場に響き渡る。

 

 それを見てアンコウは走るのをやめ、その場に足を止めた。

 魔剣はいまだしっかりと握ぎり、共鳴は維持していたが、アンコウは自分の理性を完全に飲み込もうとしていた戦闘享楽的な衝動を再び必死で押さえ込みはじめた。

 

 森から飛び出し、弓兵たちを一瞬で屠った武装兵たちが、そのままの勢いでアンコウに迫る。

 先頭を走っていた騎兵の男がアンコウの前で馬を急停止させた。

 

ヒヒンッ!

「アンコウ殿っ!」

 アンコウは自分の名を呼んだ男の顔を見る。その男はヒルサギだった。

 

 アンコウは何とも言えない安堵の気持ちを感じていたが、この時点では、まだ自分を飲み込もうとする呪いの力を完全には制御し切れておらず、顔に普通の笑みを浮かべる余裕はない。

 

 ヒルサギもこの戦場の真っ只中で、無駄な言葉を発するようなことはせず、目でアンコウの状態を確認しているようであった。

 

 ヒルサギは味方の兵士の一人に何やら指示を出す。

 そのあいだにも、アンコウの横を次々と馬に乗った兵士たちが走りすぎていった。そして、アンコウの背後ではすでに新たな戦闘の音が響きはじめていた。

 

 ヒルサギは指示を出し終えると、馬の背に乗ったまま再びアンコウのほうを見た。

 

「アンコウ殿お見事でございましたっ!あとは我らにお任せを!」

 

 ヒルサギは闘志をあらわにそう叫ぶと、アンコウの背後ではじまっている戦闘に参加すべく、馬を駆り、突っ込んでいった。

 このヒルサギたちの登場で再び戦いの流れが大きく変わる。

 

 アンコウの目の前には、ヒルサギから指示を受けていた騎兵の男がいた。

 アンコウは体をフラフラを揺らしながらも、何とか魔剣を赤鞘におさめる事に成功した。そして、それを確認した騎兵の男は馬上からアンコウに腕を伸ばす。

 

「アンコウ様!失礼!」

 男はそういうとアンコウの両腕を掴み、アンコウを馬上に引っ張り上げた。

 

 アンコウは体の傷が痛んだのか、眉間にシワを寄せ顔をゆがめていたが、男の行動に抵抗することはなかった。

 

 共鳴を解いたアンコウには、馬の背に乗せられてももはや座る力も残っておらず、アンコウはただ全身を力なくダラりとさせて、手綱をとる男の前にうつぶせに体を曲げて、まるでただの荷袋のように馬の背に乗せられている。

 

 その状態のアンコウにむかって、騎馬の男が言葉をかける。

「アンコウ様、しばらく我慢してください」

 

 男はそう言うと、馬の腹を蹴り、全速力で走らせはじめた。

 馬は他の味方の兵士たちの進行方向とは逆に、広くひらけた山道を振り返ることなく上に向かって走っていく。

 

 アンコウが、先ほどまで死を覚悟しながら戦っていた戦場がどんどん遠くなっていく。アンコウは、自分が戦場から遠ざかっていくことに安堵していた。

 

 そしてアンコウは、馬が走る振動に激しく体を揺さぶられながらも、動かない体を走る馬の背にだらりと預け、離れゆく戦場で今なお戦い続けている戦士たちの姿を見つめていた。

 

(……強いなぁ、あいつら)

 と、アンコウは声に出さずに思う。

 

 アンコウの目の中に、大剣を軽々と振りまわし、馬上から敵を草を薙ぐように斬り倒していくヒルサギの姿も映っていた。

 

 その戦うヒルサギの姿を見ながらアンコウは思う。

 互いに万全の状態で戦えば、俺はヒルサギには勝てると。ヒルサギは俺より弱いと。

 実際に共鳴を起こした状態のアンコウならば、ヒルサギよりも戦闘能力が高いというのは客観的事実だ。

 

 アンコウは、ヒルサギをじっと見つづける。

 

「いや……ヒルサギは強い」

 

 ヒルサギは敵を斬り倒しながら、大きな動作、大きな声で、味方の指揮をとっていた。自分とは明らかに違うと、アンコウは思う。

 

 ヒルサギが指揮をとる兵士たちの動きは、美しいまでに統制がとれていた。

 ヒルサギの指示は的確で、効率よく敵を押し込み、あっというまに戦況を自分たちに有利な流れへと変えていく。

 

 アンコウはその兵たちの動きの美しさに心奪われる思いがした。

 アンコウもこの戦場での状況判断は的確にできていたという自負はあるし、今ヒルサギがとっている戦術も、自分にはまったく思いつかなかったようなものではない。

 ただアンコウには、窮地に陥ったとき自分の手足のごとく兵を動かすことができなかった。

 

(信頼、経験、人柄の差か……)

 

 そして、いつのまにかヒルサギの指揮の元には、敵の攻撃によって分断され、散り散りに戦っていたアンコウが指揮をとっていた兵士たちまでもが集まり、ひとつの塊となって共に戦いはじめていた。

 

(…すごいな、さすが本職だ)

 アンコウは少しぼぉーっとしてきた頭で思う。

 

 こんなことなら自分から手を挙げて、この作戦にシャシャリ出たりしないで、初めから全部ヒルサギに任せておけばよかったのかもなと。

 

 アンコウは少し考え、すぐに思い直す。……いや、俺がしっかり露払いをしたから、真打のヒルサギが効いてるんだと。

 遠ざかる戦場を見ながら、アンコウは今度は逆に少しだけ自画自賛してみたりした。

 

「……へへっ」

 アンコウはひとり、馬の背で激しく揺さぶられながら自賛とも自嘲ともとれる短い笑いを発した。

 

 その時、アンコウの鼻が新緑の香りににも似たなじみのあるニオイを感じとった。

(いいにおいだ)

 アンコウの鼻についたにおい、それはポーションの香り。

 アンコウの顔やダラリと下げた両手の先から、ボタボタと伝い流れてきたポーション液が地面にむかって落ちていく。

 

 アンコウはチラリと目線を上にむける。アンコウを乗せ、馬を走らせている戦士が、馬を走らせながらも器用にアンコウにポーションをふりかけていた。

 

「……悪いな、」

「アンコウ様!必ず助かりますから!」

 

 その戦士の言葉にアンコウは、当たり前だ、死んでたまるかと心の中で思う。

 

 戦士は空になったポーション瓶を投げ捨て、すぐに新しいポーションをアンコウにふりそそぎ始めていた。

 

 そしてアンコウは、徐々に体が熱くなってくるのを感じていると、まぶたが鉛のように重くなってくるのを感じた。視界が暗くなり、体が浮いていくような感覚にとらわれる。

 

 しばらくすると、アンコウの五感から戦場の風景がすべて消え去り、アンコウは眠るように意識そのものを手放した。

 

 

 

 

――おい、大丈夫か!――

――こっちが先だ!早くしないと手遅れになる!――

 

 何人もの人が大声で叫び、ドタバタと走りまわる音がする。

 

「う、うぅん」

(……うるさいなぁ)

 目を閉じているアンコウは、まわりのその騒々しさに眉をしかめる。そしてアンコウはわずかに目を開いた。

(……あ、あれ?)

 

 アンコウの意識はまだ定かではなかったが、アンコウは仰向けに寝かされており、薄目を開けた視線の先に天井が見えていた。アンコウはいつのまにか屋内に収容されていた。

 

(どこだここ、助かったのか俺)

 

――早くしろ!こっちには毒消しだ!――

――回復ポーションが足りないぞ!――

 

(ああ、体中が痛い)

 

 アンコウの周囲はずいぶんと騒がしい。

 アンコウは見覚えのある石造りの大きな部屋の床に寝かされており、アンコウのまわりには外にも多くの怪我人が寝かされていた。この部屋は、怪我をした兵士たちの救急治療をおこなう修羅場となっていた。

 

 ただ、アンコウは無事にサミワの砦に戻ることができたようだ。

 

(……砦の中なのか)

 

 アンコウの体は思うように動かなかったが、アンコウはまわりを確認しようと少し視線を動かす。

 

 アンコウの視界に入ってきたのは1人の女。

 どうやらその女はアンコウの手当てをしてくれているようで、アンコウの太ももの辺りを包帯のようなものでグルグルと巻いている最中だった。

 

 まだ完全には視点の定まっていないアンコウの目が、女の横顔をじっと見ている。

 それは綺麗な顔立ちをした女だった。金色の髪を後ろでまとめ、魅惑的な白い肌に汗が滝のようにつたっていた。

 

 兵士の治療を行うために、簡易な薄手の動きやすそうな服を着て、アンコウの手当てを懸命にしている。

 

 しかし、アンコウは献身的な治療を受けているにもかかわらず、途中から女の尻をじっと見ていた。

 アンコウの目は、まだぼやけているにもかかわらず、女の腰のラインだけは、なぜかはっきりとその目に映すことができた。

 

(いいケツだなぁ)

 

 アンコウの意識はまだ混濁していたのかもしれない。だからアンコウの手は、理性に邪魔されることなく、本能のまま自然に動いた。

 

「キャッ!」

 アンコウの手が女の尻を撫ではじめた。

「あ、あのっ」

 女はアンコウの治療の途中で、自分の尻を撫でるアンコウの手から逃げるに逃げられない。

 

 アンコウは「いい尻だ」とか「いい女だ」とか、うわごとの様に声に出して言っている。

 

 女はしばらくアンコウに尻を撫でられ続けていたが、手当てが一段落するとすばやく体の位置を変えてアンコウの不躾(ぶしつけ)な手から逃れた。

 しかし、女はそれで怒って立ち去るわけでなく、そのままアンコウの他の傷の手当てを続けた。

 

 アンコウは、今度は自分にむかって正面を向いた女をじっと見ている。

 女は、アンコウのその視線が気になるようで、手当てを続けながらも、チラチラとアンコウの顔を見ていた。

 

 しかし、女がアンコウの傷の手当てに集中し始めた瞬間、アンコウの手がすばやく女の大きな胸にむかって伸びた。

 大怪我をしているとは思えないすばやさ、意識が混濁しているとは思えない女の隙を狙ったすばらしきアンコウの判断力であった。

 

「あんっ、」

 女が押し殺したような声をあげたとき、

「ゴホッ!ゴホンンッ!」

 アンコウの横で、男が咳払いをする低い声がした。

 

 アンコウはその咳払いの音の反応し、せっかく掴んだ柔らかくて気持ちのいいものから手を離す。アンコウが咳払いが聞こえたほうに視線を移すと、そこには大きな体に鎧をまとった男がひとり立っていた。

 アンコウは、その男の顔を目の焦点が合うまでじっと見つめる。

 

「……あれ?」

 アンコウはその男の顔に見覚えがあった。

 

 なんともいえない複雑な表情をして、傷だらけの体で横たわるアンコウを見下ろしている男の顔は、このサミワの砦の留守居役にして、砦守将代理のヒルサギの顔。

 

「ゴホンッ」

 ヒルサギがまた咳払いをする。

 

 実はヒルサギは、アンコウの容態を心配し、しばらく前からアンコウの横に立っていた。

 つまりヒルサギはアンコウの怪我の状態を心底心配しつつも、アンコウが怪我の手当てをしてくれている女の尻を撫でたり、胸を揉んだりしている一部始終も見ていた。

 それゆえヒルサギの顔は、何とも言えない複雑な表情になっていた。

 

 アンコウの頭は、まだぼぉーっとしている状態であったが、自分の横にヒルサギが立っていることは理解した。

 

 そして、そのアンコウのはっきりしない頭に、ヒルサギに聞かなければいけないことと、言わなければいけないことが浮かぶ。

 アンコウは、うつろな目でヒルサギの顔を見つめながら、ヒルサギに聞く。

 

「成功したんですか?」

 

 アンコウにそう言われ、ヒルサギの眉が少し上にあがる。

 ヒルサギでなくとも、アンコウの今の様子を見れば、まだアンコウが朦朧とした状態にあることはわかる。

 

 そのアンコウが突然自分の存在に気づき、はっきりした口調で話しかけてきたことにヒルサギは驚いた。

 

 ヒルサギは一瞬アンコウがうわごとを言ったのかとも思ったが、うつろながらもアンコウの目はじっと自分の目を見つめており、少しの間をおいて、ヒルサギはアンコウが何について自分に聞いてきたのかも理解した。

 

「はい、アンコウ殿。あの場にいた敵を押し返し、その隙に砦に逃げ帰ってきましたわ」

 ヒルサギは、口元に少し笑みを浮かべながら言う。

「この砦のある山林は我らの庭のようなもの、敵が何人いようとも逃げ足では負けませぬ」

 

 ヒルサギは逃げた、逃げたと言うが、それはアンコウには出来なかったことだ。

 ヒルサギはアンコウが戦場から離脱した後、味方の兵士たちを見事に統率し、一気に敵に攻勢を仕掛け、長い時間をかけることなく、敵を敗走させる事に成功していた。

 

 そしてヒルサギは欲をかくことなく、次なる敵の部隊が到着する前に、全軍に撤退の命令を下した。

 

 それが、ヒルサギが笑みを浮かべながら言うほど簡単なことでなかっただろうことは、壊滅・死亡しかけたアンコウにはよくわかっていた。

 ヒルサギ自身も、未だ全身が真っ赤に染まっており、それは敵の血であり、自分の血であり、ヒルサギにとっても相当厳しい戦いであったに違いない。

 

 しかし、危ういところであったがアンコウもヒルサギも、今はこの砦の中にいる。

 当初の作戦工程どおりとはいかなかったが、敵将ラースカンを討ち取り、味方の損害も許容範囲内に抑えることができていた。

 アンコウたちのこの奇襲攻撃は、望む成果を手にして終了した。

 

 ヒルサギは口元の笑みを消し、真剣な顔になる。

「アンコウ殿。作戦は成功しました」

 

 それを聞いてアンコウは、まだ乾いた血がこびりついている口元に笑みを浮かべた。

 

「……さすが、ヒルサギ殿」

「いえ!アンコウ殿はじめ、皆の決死の働きがあればこそです」

 

 そして、ヒルサギは真剣な目でアンコウを見つめながら、膝をつきアンコウの手を取る。

 

「ア、アンコウ殿……」

 ヒルサギは何か言おうとしているが、なかなか言葉にならないようであった。

 

 ヒルサギの目の前に横たわるアンコウは、怪我の酷い箇所の治療はすでに終わっていたが、ボロ雑巾のような有様だ。

 

(アンコウ殿は公爵様の臣下の腕輪をお持ちの方とはいえ、この砦に関して何の責任もお持ちではない)

 

 ヒルサギの脳裏に、たったひとり多勢の敵に囲まれながらも、獅子奮迅(ししふんじん)の戦いを繰り広げていた豆粒アンコウの姿が蘇る。

 ヒルサギの思い込みは強いようで、ついさっき見た意識朦朧としながらも女の尻やら胸やらをまさぐっていたアンコウのことは、すでにどこかに追い払われているようだ。

 

(アンコウ殿はこのような姿になっても、私の作戦を実行してくださった……)

 

 アンコウにしてみれば、確かに死にそうになり戦場で後悔の念にとらわれもしたが、此度(こたび)の奇襲襲撃作戦に参加したのは、自分自身が生き残るために、より可能性の高い方法を客観的に選択しただけこと。

 そこに自己犠牲的な精神、あるいは忠義や義理人情といった要素はまったく介在していない。

 

 だが、ヒルサギの思いは違う。

 この砦にヒルサギを慕い、生死を共にしようと思う者は少なからずいる。しかし、それとは逆に、突然この砦の総指揮官となった農民あがりのヒルサギに反感を持つ者も、特に上官職にある者の中に多くいる。

 

 上官職にある者たちがヒルサギの命令に従わなかったら、この砦を守れるわけがない。

 ヒルサギはこの戦いを指揮するうえで、彼らをどうやって自分の命令に従わせるかということに、最も頭を悩ませていた。

 

 そういった状況で、グローソン公の臣下の腕輪をするアンコウが、ヒルサギがこの砦の総大将として適任であると幹部連の前で強く主張し、この作戦においても、アンコウ自ら志願して指揮をとってくれたことで、まわりのヒルサギに対する感情的な反発は相当に抑えられていた。

 

 アンコウにしてみれば、それはヒルサギのためにしたことではなかったが、アンコウが思っている以上に、ヒルサギはこの防砦戦を指揮するにあたって、アンコウの言動行動によって実際に助けられていた。

 そのことをヒルサギは、非常に恩義を感じ、心からアンコウに感謝していた。

 

 ヒルサギは、アンコウの手を握る手を小刻みに震るわせながら、何かを話し出そうとしている。

 一方アンコウは、自分の右手をつつみ込むヒルサギの手の温度が少し気持ち悪いと感じていたが、さすがにそれを口にすることはせず、ヒルサギに言わなければならない別のことを言葉にしようとした。

 

「アンコウど」

「ヒルサギ殿」

 ヒルサギとアンコウがほぼ同時に話しはじめる。

 

 ふたり同時に話し出したことで、ヒルサギは思わず言葉をとめるが、まだ意識のはっきりとしていないアンコウは、そのまま話をつづけた。

 

 アンコウは、どこかロレツが回っていないところもあったが、

「ありがとう」と、ヒルサギに礼を言った。

 

 あの時、ヒルサギらが一軍を率いて戦場に現れなかったら、間違いなく自分は死んでいたという自覚がアンコウにはある。

 自分の命が最優先、この砦がどうなろうが知ったことではないアンコウではあったが、命の恩人に礼を言わないほどの恥知らずではない。

 

 ただアンコウはヒルサギと違い、受けた恩は必ず返さなければならないという意識は薄いのだが。

 

「ア、アンコウ殿!!礼を言わなければならないのはこちらのほうです!!」

 

 ヒルサギは大きな体をプルプルさせながら、叫ぶように言った。

 その声は、この大広間の一番端っこで治療活動をおこなっている人たちまでもが、思わず振り向いてしまうほどの大声であった。

 

(……うるせぇよ……)

 

 アンコウは、思わずグリフォンの破音咆哮(はおんほうこう)を思い出してしまったほどのヒルサギの大声に、また少し意識が遠くなってしまった。

 ヒルサギがまだ何やらアンコウにむかってしゃべり続けていたが、もうアンコウの耳には入ってこない。

 

(……ああ、今日は疲れた。慣れないことはするもんじゃないな。だけど、よかった。死なずに済んだよ…………

 

「キャッ!」

 アンコウの横で、まだアンコウの手当てを続けていた女がまた声をあげる。

 アンコウのヒルサギに握られていないほうの手が、また女の尻を撫でていた。

 

「ア、アンコウ殿!」

 

 ヒルサギの声に、アンコウはもう反応しない。アンコウは半笑いのニヤけた顔のまま、女の尻をつかむ手の指をうねうねと動かしながら、また眠りについた。

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