Ankou°˖◝(⁰▿⁰)◜˖ 異世界をゆく   作:かまぼ子ロク助

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第42話 異世界魔法と星空の絵画

 アンコウの忍耐にも限界がある。アンコウはこの世界に来てから、ただの一度も魔法を使ったことはなかったのに………

 

「!!『チェンジッ』!!」

 

 アンコウはこの世界に来てから初めて、元いた世界の魔法の言葉を、元いた世界の言葉で叫んだ。気がついたときには叫んでいたのだ。

 それはアンコウの心の底からの魂の叫び。

 

 アンコウの抑えきれない激情と共に発した魔法の言葉は、夜の闇の中、冷たい壁や天井に反射し響き渡る。

 

…………しかし、アンコウの嘘偽りの無い真実の心をもって叫んだ魔法の言葉であったが、チェンジの魔法は発動しない。

 

 それは当然のこと。

 精霊法術が精霊の神聖なる力を借りうけてはじめて発現できるように、アンコウの元の世界の魔法も、魔法の術者の意をうけて、その者の思いに答える真に偉大なる力を持つ者の意思が介在しなければ、魔法が世界に具現化されることはない。

 

 当然そのことはアンコウもわかっていた。わかっていたが叫ばずにはいられなかったのだ。アンコウが生まれ育った世界の魔法の言葉を。

 

「くそーっ!!」

 

 アンコウの怒りの叫びが、夜の闇の中、むなしく響く。

 

 

――――――――――

 

 

 アンコウが夜の闇の中、怒りの咆哮をあげた その日の正午過ぎ、アンコウは砦外の偵察に行くための準備をすませ、砦の門のひとつの近くまで来ていた。

 

「じゃ、行くか」

 アンコウが3人の男に声をかける。

 

 この3人の男は、ヒルサギがアンコウの同伴者として指名した者たちであり、1人はこの砦では希少な戦力となっている精霊法術を使えるダークエルフも含まれていた。

 

 この3人はアンコウを護衛する任もヒルサギから命じられていた。

 有難いことではあるのだが、アンコウのこの偵察の真の目的が、逃亡ルートの調査ということを考えれば、ぴったりと付きまとわれるのは少し迷惑でもあった。

 アンコウたちは、この合計4人のパーティーで砦の外へと出て行った。

 

 このサミワの砦の背後には、さらに険しい山地が広がっている。

 まずその山地を抜けるルートからの逃亡は難しい。なぜならその山地は魔素が存在する魔獣たちのテリトリーだからである。

 

 砦から近い地域の魔素はかなり薄いもので、アンコウクラスの冒険者にとって、たいして脅威になる魔獣が出てくるところではない。

 しかし、さらにその奥に行くにしたがって魔素が濃くなる地域が広がっており、魔素の広がる山地そのものを突き抜けて移動しようとすれば、かなりの危険が伴う。

 

 アンコウは、よく知らない魔素の濃い山岳地帯をひとりで抜けようなどという危険を犯すつもりは毛頭なく、逃げるのならば、どうしても敵が陣をかまえている山の(ふもと)を抜ける必要があると考えていた。

 

 アンコウも、この辺りの地形や山道に関してはすでにかなり詳しくなっていたが、有力な逃亡ルートを特定するには至っていなかった。

 

 アンコウとしては、真に有力な逃亡ルートを見出すために、砦山(とりでやま)(ふもと)に陣取っている敵軍の索敵網(さくてきもう)が、今現在どの程度の範囲に、どの程度の力が割かれているのかを知りたかった。

 

「アンコウ殿」

 アンコウに同伴者のひとりである軽装の戦士が話しかけてくる。

 

「なんだ」

「このあたりはすでに、以前敵のラッパたちが確認されている地域に入っています」

 

 気がつけば、アンコウたちが砦を出てからかなりの時間が経過しており、すでにずいぶんと下のほうまで山くだってきていた。

 

「……ああ、わかっている。だけどそれらしい気配はないな」

「はい、ここ数日は敵の偵察区域も後退しているのかも知れません。しかし、油断はできないかと」

「ああ、わかってる」

 

 アンコウたちはさらに移動を続ける。先ほどからアンコウたちの視界の先に入っている敵陣地の一部がまだかなり距離はあるものの、少しずつ大きく見えるようになってきていた。

 

(ここまで来ても、特別罠が仕掛けられていることもない。……元々敵の索敵の網は、そんなにキツくなかったのかな)

 

 アンコウは、これならば麓まで下りても敵陣周辺の警備の隙も大きいかもしれないと考えはじめていた。

 他の3人も、アンコウと同じように感じており、アンコウたちパーティー全体の警戒心が弛緩しはじめたときだった。

 

 アンコウの視界に何かキラめくものが映った。

「くっ!」

 危険を本能的に察知したアンコウは、とっさにその近づいてくるキラめきにむかって、抜剣一閃する。

 

ギャンッ!

 金属を弾く甲高い音が、静かな森の中に響く。

 

 アンコウにむかって一直線に飛んできたものは、金属性の先が鋭く尖った投げクナイ。

 

 アンコウは、それを剣で合わせ弾くことに間一髪のタイミングで成功した。

 アンコウ以外の3人も、人間よりも気配察知の優れているダークエルフも含めて、敵の存在に気づいていなかったようだ。

 

(油断大敵)

 アンコウは瞬時に意識を戦闘モードに切り替えた。

(さすがに、そこまで甘くないか)

 

「敵だっ!備えろっ!」

 

 アンコウが叫ぶ。アンコウの目は、すでに敵の姿をとらえていた。

 

「右上方、木の枝の上、ダークエルフが一人いるぞ!」

「アンコウ殿!左から敵戦士2人接近中!」

「迎撃するぞ!」

「「「 おう!! 」」」

 アンコウたちは、一斉に動き出した。

 

 アンコウは、すでに赤鞘の魔剣と共鳴を起こしている。その剣を手にアンコウは、クナイを投げてきたダークエルフがいる木にむかって全力で走り出す。

 

 そしてアンコウは走り出すと同時に、自前のクナイを敵のダークエルフに向かって投げ返していた。

ビシュッ!!

 

「チッ!」

キンッ!

 

 敵のダークエルフは木の枝に立ったまま、器用にアンコウが投げたクナイを弾き、防いだ。投げたアンコウもそのクナイが、そのまま敵に当たるとは思っていない。

 

「何っ!」

 敵のダークエルフが驚きの声をあげる。

 アンコウが投げたクナイは一本だけではなく、アンコウは走りながら次々とクナイを投擲(とうてき)していた。

 

「チィイッ!」

 キャンッ! ガンッ! ギンッ! カンッ!

 

 敵ダークエルフは、何とかそのアンコウが投げてくるクナイを弾いて防ぐ。

 しかし敵ダークエルフは、次々と自分に向かって飛んでくるクナイを防ぐために、不安定な木の枝の上から動くことができなかった。

 

「いまだっ!」

 アンコウが走りながら叫んだ。

 

 アンコウの叫びに呼応して、先ほどからアンコウの後ろで精霊法術を発動させる準備をしていた味方のダークエルフが、敵にむかって一気に力を解き放つ。

 

「ハアァッ!」

ドォシューーッ!

 アンコウの走る横を、無色透明空気の塊のようなものが、猛スピードで通り過ぎていく。

 

ドォンッ!

「ぐがあぁっ!」

 その空気の塊は、敵ダークエルフに一直線に飛んでいき、直撃した。

 

 アンコウの投擲するクナイを防ぐのに手一杯になっていた敵ダークエルフは、猛スピードで飛んでくる空気の塊を避けることができなかった。

 

「…あ、あが……」

 木の枝のうえからはじき飛ばされたダークエルフが地面にむかって、落ちてくる。

 おそらく意識が飛びかけているのだろう。彼は受身をとる様子もなく落下していく。

 

 アンコウは、自分に背中をむけながら、木の上から真っ逆さまに落ちてくるダークエルフにむかって、さらに速度を上げ、一気に走り迫った。

そして、

 

「ギャアァーッ!」

 響く絶叫。

 アンコウは落ちてくるダークエルフの背中に、走ってきた勢いのまま剣を突き入れた。

 

 そのアンコウの剣は敵ダークエルフの体を完全に貫通。

 耳をつんざくような絶叫が止むと、そのダークエルフの口から漏れる音は一切なくなり、体はピクリとも動かなくなった。

 

 アンコウたち4人の敵は、あと2人。アンコウから少し離れたところで、敵の戦士2人と味方の戦士2人が激しく剣を交えていた。

 アンコウはそれを見て、すでに(むくろ)となった敵ダークエルフの体から剣を引き抜き、戦闘中の4人がいるほうへ移動をはじめる。

 

 しかし、アンコウはそれほど急いではいない。

 なぜなら、明らかに味方の2人の戦士の動きのほうが、敵の戦士2人の動きよりも勝っていたからだ。

 

(時間の問題だな)

 先ほどの味方のダークエルフの精霊法術とその冷静な判断力といい、ヒルサギはかなり使える者たちをアンコウにつけてくれていたらしい。

偶々(たまたま)のなりゆきとはいえ、ヒルサギはほんと良くしてくれる)

 

 ヒルサギのアンコウへの高評価は、彼の生真面目な性格による勘違いといえる部分がかなりあり、アンコウにとっては、それが面倒なときもあり、ありがたいときもあった。

 

 アンコウは自分が黙ってこの戦場から逃げ出したとき、ヒルサギはどんな態度をとるのだろうかとふと思ったが、ここから逃げることができれば俺には関係のないことだと、アンコウはすぐにその思考を放棄する。

 

ギンッ! ギャンッ!

「ぐばあぁっ!」

 アンコウの視線の先で、敵戦士の一人が血を噴き出しながら地面に倒れ落ちた。

 

 アンコウはそれを見て、走るのをやめて歩き出す。アンコウは一応まわりを警戒するが、隠れているもの、近づいて来る者の気配もない。

 

「ぎゃあぁーっ!」

 残り一人の敵兵士も、アンコウたちが加勢するまでもなくあっさりと倒された。

 

 

「さすがだな。怪我はないか」

「はい」

 アンコウが近づき声をかけると、全員が頷いた。怪我をしているものも誰もいない。

 

「アンコウ殿、たいした敵でありませんでしたが、これ以上進むのは危険かと」

 戦士の男の一人が言った事にアンコウも同意する。

「ああ、そうだな。これぐらいの距離を保って、別の場所を調べよう」

「はい」

 

 そしてアンコウたちは、このあと夕暮れ時まで偵察をつづけた。

 

 

――――――――――

 

 

 アンコウたちは、まだ空が明るいうちの月が昇り始める頃に砦に帰還した。

 アンコウが皆に(ねぎら)いと感謝の言葉をかけて、この日はその場で解散となった。

 

 しかしアンコウはすぐに自室に戻ることはせず、砦の防壁の上にのぼり、眼下に広がる森と山を見渡しながら、何か考えを巡らしていた。

 

 結局、アンコウたちがこの日の偵察で敵と出会ったのはあの一度だけだったが、それでも敵はまだ完全に機能不全に陥っているわけでは無いようだ。

 

(敵は間違いなく、内部でかなり混乱を起こしている。一時期よりも周囲に張っている警戒網も緩くはなっているようだけど……)

 

 ある程度緩くなったきている敵の囲みではあったが、アンコウ1人で楽に突破できるほどには緩んでいない。

 

「……もう少し待った方が賢明だけど。果たして時間があるのかどうか……」

 

 砦を囲んでいる敵の勢いは間違いなく落ちている。

 ただアンコウのもうひとつの悩みは、目前の敵の動静はわかっても、じつはネルカを含めたグローソン軍全体の戦いの情勢に関する情報が、未だこのサミワの砦にまったく入ってきていないことだ。

 

「……もしネルカ周辺での戦いがとっくに終わっていたら、ここで敵の自壊を待っている間に、バルモアがここに来るかもしれない……」

 

 では今のうちに命がけで1人で逃亡を図るか、現時点ではまだ、1人で敵の包囲網をかいくぐり、これを突破するのは相当困難だろうとアンコウは思っていた。

 一方バルモアに捕まった場合、殺されたり、奴隷にまで落とされることはないだろうが、自由は相当に制限されることになるだろうとアンコウは悩んでいた。

 

 アンコウはなかなか決断できずにいた。

 アンコウはまたふと思う。あのグローソン公ハウルのただの思いつきの遊びが、自分にとってはこのとおり命がけだと。

 

「はぁ、やってらんねぇ」

 

 所詮この世は弱肉強食、力の強い者には従うしかない。しかしアンコウは続けてこうも思う。俺も強くはなりたいが、度の過ぎた強さを求め続けるのは面倒だと。

 

「俺のことはほっといてくれよ。なんだよまったく、だいたいよぉ

 

 というのがアンコウの本音であり、いつのまにかひとりでグチをこぼしはじめているアンコウであった。

 

 

 

 

 アンコウは防壁の壁に背をもたれ、両足を投げ出して座り込んでいた。

 いつのまにか、どこを見るわけでもなく、ただぼぉーっとしながら座り込んでしまっていた。

(……まぁ、結局、なるようにしかならないよなぁ……)

 

 

「アンコウ殿」

 そんなアンコウに声をかけてきた者がいた。その声はアンコウが知っている声だった。

 アンコウはその声の主を見る。

 

「いや、アンコウ殿が防壁の上にいると部下の者から聞きまして」

「ああ、ヒルサギ殿。何、ちょっと風をあびながら一休みしていただけですよ」

 

 アンコウはヒルサギが近づいてきたので、よいしょと腰をあげようとする。

 その立ち上がろうとするアンコウに、ヒルサギはご丁寧に両手をさしだして、アンコウが立ちあがるのを助けてくれた。

 ヒルサギの腕は太く、その手もごつく肉厚な戦士の手である。ヒルサギの手は軽々とアンコウの体を引き上げた。

 

「ありがとう」

「いえ。アンコウ殿今日の偵察はいかがでしたか?」

 ヒルサギが聞いてくる。

 

 無論、ヒルサギのもとには多くの情報があがってきており、ヒルサギにとってアンコウのこの度の偵察が重要だったわけではない。一応程度の質問だ。

 

「無理を言って偵察に出る許可をいただいてありがとうございました。それにもうお聞きでしょうが、一度敵に遭遇しましたが、ヒルサギ殿が付けてくれた者たちが活躍してくれましたよ」

 

「いえ、感謝するのはこちらのほうです。アンコウ殿。アンコウ殿が、この砦のためにここまで働いてくださること大変ありがたく思っています」

 ヒルサギはアンコウを引きあげる時に掴んだアンコウの手を、まだしっかりと両手で握っていた。

 

 ヒルサギは今日のアンコウの偵察によって、重要な情報が得られるとははじめから思ってはいない。

 ただ、グローソン公の臣下の腕輪を持ち、この防衛戦でもすでにかなりの活躍を見せているアンコウ自身が砦の外に偵察に行くことによって、兵士たちの気を引き締め、士気を高める効果があると、今この砦を預かる責任者であるヒルサギは判断した。

 そして、当然アンコウの真の狙いもそこにあると考えていた。

 

「本当に、アンコウ殿あなたは……」

 

 真剣な目でアンコウを見つめ、言葉を詰まらせているヒルサギを見て、アンコウはヒルサギに握られた手を強引に引き抜いた。

(こいつ絶対またなんか勘違いしている)

 

 アンコウの無自覚とヒルサギの勘違いが、今の2人の関係を作っている。どちらかが正しくて、どちらかが間違っているというわけでもない。

 

「じ、じゃ、だいぶ暗くなってきましたし、俺はそろそろ行きますよ」

 

 アンコウはヒルサギの横をすり抜けて歩いていこうとする。そのアンコウにヒルサギはまた話しかけてきた。

 

「アンコウ殿、お約束の夜伽(よとぎ)をつとめる女をご用意しておきました」

 

 アンコウがまったく予想もしていなかったヒルサギの言葉にアンコウは思わず足を止めた。

「えっ?」

 

 足を止めたアンコウがヒルサギの顔を仰ぎ見ると、妙に真剣な面持ちでヒルサギがアンコウを見ていた。

 

(何だ?約束の夜伽の女って…だいたい何で、またその話がでる?)

 アンコウは、思わぬヒルサギからの不意打ちに戸惑っていた。そのときアンコウの頭に、一人のジジィの顔が浮かんだ。

(ロプス、またあいつか!)

 

 よくわからないが、またあのジジィが余計なことをしたに違いないとアンコウは思った。

 この砦の責任者として間違いなく大変な思いをしているであろうヒルサギの口からこの話をされると、アンコウはどうにも申し訳ない気持ちになる。

 

「ああっと、その話はもういいですから。自分で何とかしますので、ヒルサギ殿はこれ以上気にしないでください」

 

「いえ!ここまでアンコウ殿の要求にこたえられず、申し訳ない限りです!先日アンコウ殿の要望を聞き、ロプスからの話も聞いて、アンコウ殿の要望にかなう女子(おなご)を用意しました」

 

 アンコウ自身はヒルサギに女の要望を出したつもりはなかったが、ヒルサギの中でアンコウの求めに応じるということはかなり優先順位の高い仕事になっていたようで、物凄く真剣な口調で話していた。

 アンコウは、ヒルサギのその深刻とも言える真剣な様子に若干引いていた。

 

(何で俺に女をあてがうことに、そんなに真剣になってんだよ)

 しかし、アンコウが女を抱きたいと思っているのは事実であるし、ロプスにその話をしたのも事実である。

 

「……あの、サラみたいな娘は困るんだけど」

「はい、アンコウ殿のご要望はわかっています」

 

 アンコウは申し訳ないという気持ちはありつつも、それならいいかと、せっかくヒルサギがこう言ってくれてるんだしと、いまさら断るほうがヒルサギに申し訳ないだろうとも考えた。

 そしてアンコウは、ヒルサギに無言で頷いて見せた。

 

「………では、今夜アンコウ殿のお部屋のほうに伺わせますので」

「ああ」

 

 ヒルサギは真剣な表情を崩すことなく、アンコウに頭をさげるとその場から去っていった。

 

 また防壁のうえで一人になったアンコウは、ぼりぼりと自分の頭をかいていた。

 

「はぁ、砦守長代理に女衒(ぜげん)の真似事をさせるのはさすがに申し訳ないな」

 

 それでもアンコウは、多少ヒルサギに申し訳ない気持ちがあっても、これで楽しみがひとつ増えたと内心嬉々とした気持ちにもなっていた。

 

「おおっ、今日は星が綺麗だな」

 

 すっかり夜になり、アンコウの頭上には星空が広がっている。確かにその空は、美しい。

 アンコウが元いた世界の都会の空とは比べ物にならない。夜空だけでなく、この世界の自然だけは、いつもアンコウの心を打つほどの美しさを備えている。

 

「冷える前に部屋に帰るか」

 

 そう言って歩き出したアンコウの顔は、間違いなく少しニヤけたものになっていた。

 

 

 

 

「いつもより警備の兵士が少ないな……」

 

 アンコウは今、砦内の廊下をひとり歩いている。

 食事も風呂もすませて、しばらく前から自室にこもっていたアンコウは、用を足しに部屋を出ていた。

 

 そして、アンコウの部屋のまわりに配置されている夜間の警備兵の数がいつもより少ないことに気づく。ただアンコウ自身は自分のための警護の兵などは現状必要ないと思っていたので、特別問いただすことはしなかった。

 

 しばらくして、用を足したアンコウは、再び部屋の前まで戻ってきた。

 部屋を出たときにも気づいていたが、アンコウの部屋の前にいつも立っている顔なじみの警備兵の姿も今日はない。

 

「……まっ、ここも別に必要ないしな」

 

 アンコウは特に深くは考えず、そのまま部屋の中に入っていった。

バタンッ、

 アンコウは部屋の扉を閉め、もう見慣れてしまった自分の部屋の様子を見た。

 

 いつもと大きくは変わらない。ただ、部屋の真ん中に置かれたテーブルのうえに綺麗な花が飾られ、ワイングラスがふたつ、椅子も二脚置かれていた。

 アンコウはこれからこの部屋に来る女と少しワインでも飲みながら話でもしようと思っていた。

 

 アンコウとしてはいきなり押し倒すのもちょっとな、という気持ちだった。

 しかしアンコウが、このあと訪れるであろう めくりめく時間を心待ちにしてしまっているのは最早明らかであり、何だかんだ言っても男という生き物には、この手の欲望の火が、本能として常に消えずに燃えている。

 

 男が一度そういうモードに入ってしまえば、表面上どのように取り繕っていても、男の中で燃える火の勢いは増していく。

 アンコウの内心の期待と興奮も高まってくる一方だった。

 

(いい女だったら、いきなり押し倒してしまうかもなぁ)

 

 そんなことを考えつつ、アンコウは徐々に高ぶっていく気持ちを落ち着かせようとするかのように、部屋の大きな窓のところまで、ゆっくりと歩いていった。

 

 窓の外に広がる夜空には、さまざまな輝きを放つ無数の星たちが(またた)いている。

 

 そして流れ星がひとつ、ふたつ、なまめかしいまでに美しい数え切れない光輝を含有した漆黒のキャンパスの上を走り抜けていく。

 この世界の夜空は、アンコウの世界の夜空より、なぜか流れ星の数が圧倒的に多かった。

 

(今日はいつも以上に流れ星が多いな。流れ星ってのはどうして起こるんだったかな……)

 

 アンコウは、かつて元の世界で聞いたことがあるはずの知識を脳内で検索するが、

「……だめだな。もう思い出せねぇや」

 

 

コンッコンッ

 部屋の扉がノックされた。

 

「来たか」

 アンコウは窓に背を向け、部屋の扉のほうへ向かって小躍りするかのように歩き出した。

 

 

 

 

 ワイングラスを傾けるアンコウの目の前に女が1人座っている。

 美しい金色の長い髪、妖艶な大人の色香が漂う身体つき、見た目には20台半ばぐらいであろうか、ランタンの明かりに照らし出されている白い肌の整った容貌もなんとも言えずなまめかしい。

 

 アンコウの目の前に座っている女は、アンコウ裁定では完全に当たりの女だった。

 アンコウは女をじっと見つめている。

 

「カエラ、飲まないのか」

「はい、お酒は結構です」

 

 女の名はカエラ。少し緊張の色は見えるが、落ち着いた口調でアンコウの質問に答えていた。

 ただアンコウが気になった点がひとつ、このカエラと言う女の態度、口調、明らかに平民の女ではなく、それ相応の教育を受けている身分の女であることはあきらかだ。

 

 アンコウはチラリと自分の腕の金色の腕輪を見る。

(まぁ、これのせいだろうな。仮にもグローソン公の臣下の腕輪をしている者に市井の娼婦は回せないか)

 

 カエラの美しくしさに釘付けになっているアンコウは、もはや彼女が平民であれ貴族であれ、どちらでもよくなっている。

 

 そして、そのあともアンコウはカエラに話しかけるものの、カエラはアンコウの質問に最低限の答えは返すだけで、自分から必要以上のことを話すことはしなかった。

 カエラが酒を飲む気もおしゃべりをするつもりもないらしいと悟ったアンコウは、最後の質問をカエラに投げかけた。

 

「カエラは、強制されたわけじゃなく自分の意思でここに来たのか?」

「……はい」

 わずかに間をあけて、カエラは頷いた。

「そうか。だったらそれでいい」

 

 アンコウはわずかにほっと胸をなでおろす。アンコウは別にこの女の心が欲しいわけではない。目的は体だ。

 

 それでも、この状況で脅されて無理やりつれてこられたとか言われた日には、このままカエラを押し倒す気にはなれないだろうし、もしそうなったら、今現在、限界まで高まっている欲望の持って行き所がないというものだ。

 

(まぁ、あのクソ真面目な男のヒルサギが、そんな女を回してくるわけがないか)

 

 アンコウは椅子から立ち上がり、カエラをベッドの脇までいざなった。

そして、

「ああっ」

カエラが声をあげる。

 

 アンコウはそこで、理性の衣を脱ぎ捨てて、獣の心をあらわに動き出した。我慢の限界というやつだ。

 

「あ、あのアンコウ様、あまり乱暴には、アンンッ」

 

 カエラの声はアンコウに聞こえているが、もはやアンコウはそれを聞き入れるつもりはないようだ。

(いい女だ。ヒルサギのやつ意外と女衒の才能があるじゃないか……胸も大きいな)

 

 ベッドのうえに、カエラはすでに押し倒されている。

 

「ああっ……あんんっ!」

 アンコウは少し乱暴に体を動かしながら、カエラの唇に吸い付いた。

「んんっ、んんっ!」

 

(……ん?)

 カエラにキスをしながら、アンコウは少し手の動きを止めた。アンコウが感じたわずかな違和感。

 

 カエラは抵抗はしていない。しかし、アンコウはカエラの唇に吸い付きながら、カエラの自分に対する隠しきれない拒絶の心を敏感に感じ取っていた。

 

 それでもアンコウはまた手を動かす。

「あんんっ」

 カエラは抵抗をしているわけでない。カエラは、アンコウが自分の体におこなっている動きを認めてはいるのだが……。

 

 アンコウはカエラの唇に重ねていた自分の唇を離し、カエラの顔を間近でじっと見る。

 

「…あっ、お前」

 そこでアンコウはカエラの顔に、以前見覚えがあることにようやく気づいた。

 

「カエラお前、このあいだ俺の傷の手当てをしてくれていた女か?」

「…はい」

 

 カエラはこのあいだ戦闘で傷を負ったアンコウの手当てをしてくれていた女であり、アンコウが尻やら胸をさわっていた女であった。

 じつはあの時は人手不足のため、専門の者だけでなく、身分の上下も関係なく、多くの女が怪我をした兵士の救護活動に駆り出されていた。カエラも自主的に救護活動に参加した女の1人。

 

 ヒルサギは、あの時怪我をして横たわっているアンコウのすぐ近くにいて、アンコウがカエラの尻やら胸を触っていたのを見ていた。それを思い出したアンコウは、

(ヒルサギのやつ、あれでカエラに目を付けて……)

 と思い至る。

 

「そうか、それでヒルサギはお前をここに寄越したのかな」

 

 アンコウが思ったことをそのまま口に出すと、アンコウの間近にあるカエラの顔が、一瞬苦痛に歪んだ。

(ん?)

 これだけ顔を近づけているアンコウがそれに気づかないわけがない。

 

 それでも今のアンコウは、9割、男の獣性に行動を支配されている。何かいやな予感を感じはじめながらも、アンコウの手は動き続けていた。

 

「あんっ!」

 

 アンコウは身をよじるカエラの動きをコントロールしようとするかのように、体の位置を変え、彼女の手を握ろうと自分の手を伸ばした。

 その時、あからさまな抵抗や拒絶は一切見せていなかったカエラが、おそらく反射的に、アンコウが握ろうとした左手を引いた。

 

 そのカエラの動きにアンコウも気づき、アンコウは密着させていた体をわずかに離して、カエラのその左手を見た。そしてアンコウはカエラの左手の薬指にはめられている指輪に気づく。

 

 その指輪の存在に気づいたアンコウの動きが停止する。

 それは普通の指輪でも魔具の指輪でもなかった。それは明らかにこの世界の特徴的な誓いの指輪、マリッジリングだった。

 

「……あー、」

 アンコウは考える。自分の都合のよい方向に考えようとする。

 

 この戦いの絶えない世界では、夫を戦争でなくした寡婦(かふ)は多い。

 平民の寡婦の中には、春をひさぎ、生活の糧とする者は珍しくなく、同様に身分のある家の寡婦でも、女であることを武器にその地位を守ろうとする者もいる。

 

 また権力に関る家門においては、家長である夫が自分の妻を、より社会的権力を持つ男の元に実質的な妾として差し出すことで、さらなる出世を遂げるということが、ここではごく当たり前に存在する社会だ。

 

 それになにより、カエラは自分の意思でここにきたと言った。ならば問題はないとアンコウは思おうとした。

 ……だが、アンコウは気がづけば、カエラの体の上に覆いかぶさったままで彼女に聞いてしまっていた。

 

「カエラは結婚しているのか」

 声には出さず、うなづくカエラ。 

「旦那はこのことを知っているのか」

 言いにくそうに夫に言われてきたと答えるカエラ。 

 

 アンコウはなぜか物凄くいやな予感が増してきた。いや、本当はなぜかはわかっていた。

 ただアンコウの心は、それを素直に認めることを全力で拒否していた。しかし、現実は変わらない。

 

 じつはカエラが左手薬指にしているマリッジリング、アンコウはそのデザインに見覚えがあった。

 この国のマリッジリングは一般的に細い輪状のものではなく、幅の広めリングに精緻な彫り物が施されたり、2人の名や2人の誓いの言葉が彫り込まれていることが多い。

 

 アンコウは、ある予想を断じて認めたくないと思う心とは裏腹に、その予想を確認するためにカエラの左の手首を掴み、自分のほうへと引き寄せた。

 

「あ、あのアンコウ様」

 

 アンコウは答えない。じっとカエラの左手を見ていた。そしてアンコウは、カエラのマリッジリングに小さな字で彫られた名を確認した。

 

 1人の名はカエラ、もう1人の名はジル。そして、その2人の名の後ろに2人のファミリーネームが刻まれている。

……… “ヒルサギ” と。

 

 アンコウはカエラの左手から手を離した。そのアンコウの顔からは、一切の表情が消えている。

 

 数時間前、砦の防壁の上でアンコウの手を握っていたヒルサギの無骨な手。その手に嵌められていたリングは、このカエラのリングとよく似たデザインのものだった。

 

 そしてアンコウは、あの時、夜伽の女を用意したとヒルサギが言ったとき、アンコウが頷いて了承の意を示したとき、あの時にヒルサギが見せた真剣をとおりこした深刻な表情の意味を理解した。

 

(………なんだこれ)

 

 ヒルサギは自分の妻にアンコウの夜伽の相手を任せたのだ。

 ヒルサギがどういう経緯で、こういう決断に至ったのかも、アンコウは無意識のうちに考えをめぐらし、わずかな時間で結論にたどりつく。

 その結論は、ヒルサギは “真面目をとおりこした馬鹿だ” というものだった。

 

 アンコウは無言のまま、カエラから体を離し、ベッドの端に座った。

 そしてアンコウは、両手でゴシゴシと自分の顔をこすりはじめる。

 ゴシゴシ、ゴシゴシと顔をこするうちにアンコウの足はガタガタ、ガタガタと貧乏ゆすりをはじめていた。

 

(!!し、信じられねぇ、何てことするんだあの野郎!!)

 声にならないアンコウ心の叫びである。

 

 アンコウの胸のうちには、とめどない怒りと嫌悪感が噴き出し渦巻いていた。

 ヒルサギへの怒り、カエラへの怒り、自分がカエラにしていたことへの嫌悪感。

 

 多少首を傾げるところはあっても、ここに来てからアンコウはヒルサギにはよくしてもらっていたし、何と言ってもこのあいだの戦いでは命を助けてもらった恩人だ。

 その男の女房を、その男の斡旋(あっせん)で抱けるかよ、という話だ。

 

……いや、アンコウはその男の目の前で、その男の女房の尻と胸をお触りしていたことを思い出した。

「ぐっ、」

 

 アンコウはよりいっそう強く、ゴシゴシと顔をこすりはじめた。そしてその自分の顔をこすり続けるアンコウの手が不意に止まる。

 そしてアンコウはカエラに聞いた。

 

「……なぁ、カエラ。お前旦那のことをどう思ってる?」

 

 アンコウの突然の奇妙な行動に、どうしてよいかわからず、ただアンコウを見ていたカエラはアンコウの不意の質問に戸惑ったが、さして悩むこともなくアンコウに答えを返した。

 

「……あの、すばらしい人だと思っています」

 

(どこがだよっ!!) アンコウは心の中の絶叫と共にガバッ!と、立ち上がった。 

 そのアンコウの勢いにカエラはベッドのうえで思わず身をすくめた。

 

 そしてアンコウはベッドから離れるように歩き出した。それを見たカエラは自分が何かアンコウを怒らせるようなことをしたのかと焦る。

 

 カエラは、アンコウ殿のところへいって欲しいと、目を伏せて、必死な面持ちで自分に頭をさげてきた夫の顔を思い出していた。カエラはカエラなりに覚悟を決めてここにきたのだ。

 

「ま、待ってください、アンコウ様。私なにか粗相をしたのでしょうか!?」

 

 そのカエラの言葉を聞いて、すでに容量をオーバーしていたアンコウの怒りと嫌悪感がさらに噴き出す。歩きはじめていたアンコウの足がピタリと止まった。

 

「……うるせぇ……」

 アンコウの口から小さな声が漏れる。その声もアンコウの体も小さく震えていた。

 

「えっ?アンコウ様、いま何と?」

 

 カエラに背中を向けているアンコウの目がカッと見開く。

 アンコウは憤怒の表情でカエラのほうを振り返り、ビシリとカエラを指差した。

 

 そしてアンコウは(いか)れる猛虎(もうこ)咆哮(ほうこう)のごとく叫んだ。

 

「!!『チェンジだっ』!!」

 

 激情に突き動かされるままにアンコウの口から出た言葉は、この世界の言葉ではなかった。

 それはアンコウの元いた世界の魔法の言葉。アンコウはこの世界に来てはじめて、この魔法の言葉を口にした。

 

 しかし、『チェンジの魔法』は発動しない。

 

 アンコウが叫んだ魔法の言葉は、虚しく夜の闇の中に溶けていく。そしてアンコウの顔に苦渋の色が浮かぶ。

 

 かつて、かの世界でアンコウがこの魔法の言葉を叫んだ時、それは部屋の扉を開いたアンコウの目の前に、オバちゃんとすら言えないオッサンのような顔をした薄毛のロン毛を紫に染めた女が立っていた時、

 アンコウは今のように魔法の言葉を叫んだ。

 

 すると、オッサンのような顔をした薄毛のロン毛を紫に染めた女は、アンコウをさげすむような目で見たが、チェンジの魔法は発動し、女は煙のごとくアンコウの目の前から消え失せた。

 

 しかし、今アンコウの目の前にいるカエラは消えはしない。

 

 カエラはアンコウが何を言ったかわからない。ただ、アンコウの激しい怒りをぶつけられたカエラは、ベッドのうえで怯えていた。

 そのカエラの姿を見て、アンコウは罪悪感に襲われる。

 

「…『チェンジだ』…」

 

 (すが)るように言っても、チェンジの魔法は発動しない。

 

 なぜならカエラは、女神(めがみ)たちが(つど)うちょっぴりヤクザで素敵な組織から派遣されてきた女ではないからだ。そんなことはアンコウにもわかっていた。

 それでもアンコウは、叫ばずにはいられなかった。

 

「くそっ!」

 

 アンコウは再びカエラに背を向けて、部屋の扉にむかって歩き出した。

 こんなところにいてられない、アンコウはただそう思っていた。アンコウは早足で扉の前まで進み、噴き出す怒りを扉にぶつけるように、乱暴に扉を開けた。

 

バンッ!!

 しかし、扉を開け、アンコウが廊下に足を一歩踏み出した瞬間、アンコウの足はビタリと止まる。

 

 その瞬間のアンコウの顔。目を大きく見開き、口は半開き、吹き出す怒りと嫌悪感も一瞬忘れたかのように呆けた顔になっていた。

 

 アンコウの部屋の扉の正面、廊下に大きな男がひとり直立不動の姿勢で立ち、心配そうな顔で、乱暴に部屋から出てきたアンコウを見つめていたのだ。

 

 アンコウはその男を知っている。男の名は、ジル-ヒルサギ。

 

 ファーストネームはついさっき知った男で、このサミワの砦の留守居役にして砦守長代理、アンコウのシンパにして、先の戦いで、敵に追い詰められたアンコウを窮地から救った男。

 そして今もアンコウの部屋のベッドの上にいるカエラの夫にして、そのカエラをアンコウの夜伽役として派遣してきた男だ。

 

 そして、アンコウがついさっき “クソ真面目をとおりこした馬鹿” に認定した男でもある。

 

 ヒルサギはカエラと共にここに来て、ずっと扉の前に立っていた。事が終わるまでここで待っているつもりだったのだろうことは、アンコウも瞬間理解した。

 いわゆる見届け人である。

 

 ふたりのあいだに流れるわずかな沈黙の時、オロオロしはじめたヒルサギが口を開く。

 

「ア、アンコウ殿。どうかなさいましたか?」

 

 発せられたヒルサギの声に、一瞬引っ込んでいたアンコウの怒りと嫌悪感が、それまで以上に一気にスパークする。

 

「ぐぅがああぁぁー!!!」

 

 アンコウは、心で血の涙を流しながら吼えた!アンコウは吼えながらヒルサギに飛びかかり、全力でヒルサギの顔をぶん殴った。

 

ボグァンッ!!

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

「ア、アンコウ殿、申し訳ありませんでした」

 

 何発か顔を殴られたヒルサギは、廊下にしゃがみこんだままアンコウに詫びていた。ヒルサギの隣には、彼をかばうようにして、目に涙を溜めたカエラが寄り添っている。

 

「あんたの女房だろう!あんたもあれか、女房の体も出世の道具のひとつだと思っているクチか」

 

 アンコウはまだ怒っていたが、先ほどまでとは違い、幾分理性による制御を取り戻しているようだ。

 

「い、いえ!そんなことは思っていないっ!」

 

 そう叫ぶように言ったヒルサギとヒルサギに寄り添っているカエラが、意識的にか無意識にか、アンコウの目の前でギュツと手を握り合う。

 その姿を見てアンコウさらにイラつく。

 

「だったらはじめからこんなことするんじゃねぇ!気持ち悪ぃんだよっ!カエラ、お前もだっ!この馬鹿の馬鹿な提案を受け入れてんじぁねぇよっ!それとも何か、お前は俺に抱かれたいと思ってんのかっ!」

 

「い、いえっ!」

 カエラは大きな声で、頭を振りながら否定する。アンコウ自分で言って、ちょっと傷つく。

 

「もういい!お前らとっとと帰れ!」

 アンコウはそう言って、両手を大きくふたりを追い払うように振った。

 

「し、しかし、それではアンコウ殿、」

「あんたはもうしゃべるな!その女を抱くのはあんたの仕事だろ!とっとと部屋に戻って、あんたがカエラを抱いてやれ!」

 

 アンコウのその言葉にカエラは少し照れたような表情を見せた。そのカエラの顔にまたムカついたアンコウは、犬を追っ払うようにふたりに腕を振り続ける。

 

「帰れ!帰れ!」

 

 アンコウの剣幕に追い立てられて、ヒルサギとカエラもついに立ち上がり、歩きはじめた。

 

 アンコウはそのふたりの姿が廊下の角を曲がるまで、ふたりにむかって悪口雑言(あっこうぞうげん)を吐き続け、両手で追い払うような動作をつづけた。

 ふたりの姿が見えなくなってしばらくしてから、アンコウはようやく口を閉じた。

 

そして、

ドンッ!ドンッ!ドンッ!――――――

 アンコウは、石の廊下を踏み抜こうとでもするかのように、無言で廊下を踏みつけた。

 

 アンコウは残った怒りをすべてぶつけるように、しばらく廊下を力一杯踏みつけつづけたのだった。

 

―――――――――――

 

「フゥーーッ!」

 

 ようやく廊下を踏みつけることをやめたアンコウは、勢いよく大きく息を吐き出した。そして次に、ため息をひとつこぼす。

 

「………はぁっ、」

 

 この騒ぎで、気も力も抜けてしまったように感じたアンコウは、もう部屋に戻ろうと思い、ゆっくりと自分の部屋のほうを振り返る。

 そして、それまではまったく気がついていなかったのだが、アンコウは自分の部屋の扉の横にも、もうひとり人が立っていることにようやく気づいた。

 

「あん?」

 その扉の横に立っているのは初老の男。彼は顔をこわばらせ、おびえた表情でアンコウのほうを見ていた。

 彼は体が硬直して思うように動けないようだった。

(ロプス………)

 その男はアンコウのお世話役の1人、ロプスであった。

 

 ヒルサギはカエラをアンコウの夜伽役に寄越すにあたって、なるべく人目には触れないように配慮していたようだ。

 ヒルサギは、アンコウの部屋の周辺の警備の数を減らし、カエラに自ら付き添い、部屋の前で控えていたのは警護兵の代わりのつもりもあったのだろう。

 

 ロプスはすべての事情を知っている男であり、今夜も仕事を与え、ここまでつき合わせたといったところか。

 ロプスの横にあるカートの上には、魔具が仕込まれているのだろう湯気があがっている大きな湯壷が置かれ、それに大きめの桶や真新しいタオルのようなものも置かれている。

 アンコウはそのカートに近づいていく。

 

「……ふぅーん。俺はこれで体を拭いたらいいのか?それともヒルサギ殿の奥方用か?」

 アンコウは、ロプスを見ながら尋ねる。口調は穏やかだが、ロプスを見るアンコウの目はまったく、ひとかけらも笑っていない。

「ひっ、いえっ!」

 

 元々こいつが余計なことを言わなかったらこんなことにはならなかったんだ、という思いが、ようやく少し落ち着いてきていたアンコウの心の中で渦巻きはじめる。

 ああ、こいつ諸悪の根源じゃねぇかと決めつける。

 

 アンコウはロプスの胸ぐらを突然掴み、グイと力任せに引き寄せた。

「ヒィッ!」

 

 ロプスは抗魔の力を持っていない、ただの初老の人間族の男。アンコウの力に抵抗する術などない。

 アンコウに胸ぐらを掴まれ、引き寄せられたロプスの両足は、ほとんど宙に浮いてしまっている。

 

「……お前、十分に生きただろう?ここで死ぬか?」

「ヒィィーッ、お、お助け、グガッ!ブブッ、」

 

 アンコウがロプスの胸ぐらを掴む手に少し力を入れると、のどを詰まらせたロプスの口から唾が飛び、アンコウにかかった。

 

「汚ねぇ!てめぇっ、この野郎!」

 

 ロプスの唾がかかり、怒ったアンコウは、空いているほうの手でロプスのフグリを潰さんばかりの勢いで掴んだ。

 

「ふぎいぃぃっ!」

 ロプスの口から豚の断末魔のような声が漏れ出る。

 

「いいか。とっくにお前には何も期待していないんだ。だから、お前はこれ以上何もするな。このあとちょっとでも、俺に不愉快な思いをさせてみろ。金玉引っこ抜いて、お前の口に詰めてやるぞっ!」

 

 アンコウはそう言って、ロプスのフグリを掴む手にさらに力をこめた。

 

「ふぎょぉぉーっ、」

 ロプスの口から情けない声が漏れる。

 

 アンコウは怒りのままにロプスを折檻(せっかん)し脅した……しかし、アンコウは知らなかったのだ、ロプスという男の特殊な趣味を。

 

「プギョォォーー、」

 アンコウに折檻され、意味をなさない声をあげつづけているロプスの目が、いつのまにか妖しげに潤み、頬には赤みが差してきていた。

 

 そして、そのロプスの変化は下のモノにも……アンコウも、そのロプスの変化にすぐに気がついた。

 

「なっ!?おまえっ!なにデカくしてやがるんだっ!なめてんのかっ!クソジジィッ!!」

バシイィィッ!

 アンコウはロプスの横っ面を思いっきりひっぱたいた。

 

 そしてアンコウは、ロプスがちょっぴり幸せそうに泡を吹いて気を失うまで蹴り飛ばした。たぶん、死にはしていない。

 

 

 

 

 アンコウは独り、部屋にある大きな窓の近くでたたずんでいる。

 あれから何時間過ぎたのであろうか、大きな窓のふちには何本もの空になったワインボトルが並べられていた。

 アンコウはまだ中身の入っているワインボトルを片手に持ち、窓の外の満天の夜空を眺めている。

 

「おおっ、綺麗だ……ヒック、」

 

 流星群。漆黒のキャンバスにきらめく無数の星たち。

 その完成された美しい一枚の絵画のうえを、さらに、この世のものとも思えぬ美しさを放つ無数の流れ星たちが走り抜けていく。

 

「ヒック、綺麗だなぁ」

 

 夜の闇の中、星々の明かりに照らされながら、その星空を見上げるアンコウの目にうっすらと光るものが見える。

……アンコウは悲しみも寂しさも、微塵も感じてはいない。

 

「……ヒック」

 アンコウはじっと夜空の星々を見つめ、その星々をアルコールの力を借りながら、脳内で、次々と線でつないでいく。

 

 そして、星空を見つめるアンコウの目の中に、ひとつの絵が浮かびあがってくる。

 それは、ネルカで別れたテレサの生尻であった。それは、アンコウの目の前に広がる星空の中に、テレサの生尻座(なまじりざ)が完成した瞬間である。

 アンコウは今、歴史の闇の中に消えてしまった星座誕生の過程を再現してみせたのだ。

 

………アンコウは悲しみも寂しさも、微塵も感じてはいない。ただ少し、酒に酔っているだけである………

 

 

 

―――アフェリシェール大陸第十二暦 12236年 赤火(しゃっか)の月

 

 流星降りそそぐ美しき夜

 

  テレサの生尻座(なまじりざ)誕生す

 

 数多(あまた)の星座が描き出された満天の星空は、まさに神々の画廊

 

  その神々の画廊の中に、独りの異世界人の酔眼によって、新たな一星座が描き出される

 

 その他に類を見ない妖艶なる星空の絵画は、それを見出(みいだ)した異世界人にさえ、二度と見つけることができず

 

  永遠(とわ)に神々の記憶にのみ残る幻の星空の絵画となる

 

 

―――――――――――

 

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