Ankou°˖◝(⁰▿⁰)◜˖ 異世界をゆく   作:かまぼ子ロク助

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第8話 女将 テレサ

(………冷たい?)

アンコウが目を覚ますと、部屋の中はもう暗くなっていた。

(……夜か)

いつのまにか日が暮れていたようだ。そしてアンコウの額には、誰かの手がおかれていた。

(…ヒンヤリして気持ちいいな)

アンコウはその手の主を確認しようとする。

 

 しかし、まわりが暗く、明かりも部屋の入り口付近にランタンが置かれているだけのようで、起きたばかりで闇に目が慣れていないアンコウには、目で額に手をおく者の顔を確認することが出来なかった。

 

「まだ、すごく熱いわ」

 テレサの声。

 

「テレサさん?」

「あっ、ごめんなさい。起こしましたか?」

「いや、こっちの方こそ申し訳ない。迷惑をかけるね」

「気にしないでいいわ。宿の仕事も一段落したから」

「もう、夜みたいだな」

「ええ、それより熱がかなりあるみたい。大丈夫なんですか?毒が……」

 

 闇に目が慣れてきて、アンコウの目に心配そうな顔でアンコウを見ているテレサがぼんやりとであるが見えていた。

 

「毒はもう大丈夫」

「でもすごい熱。来たときよりあがってるわ」

 

 テレサは毒に侵された人間をこれまでに何度も見たことがあったが、大抵の場合、毒消し剤を飲めば、しばらくすると毒は消え、元気になっていた。

 

「たぶん、このあたりじゃあ珍しい毒だったんだと思う。だけど買ってきてもらった毒消しは効いてるよ。完全に解毒するには時間がかかるみたいだけどね。それまでの間、熱が出るのは仕方がない」

 

 実際にアンコウの熱はあがっているものの、上質の毒消しを飲むまでに感じていた毒が体を浸食していくような感覚や毒による苦しみはかなり軽減されている。

 ただ、高い熱が出ているというだけであった。

 

「このまま一晩寝れば大丈夫だと思う」

「そう。だったらいいんだけど………」

 

 テレサにはとても大丈夫そうには見えなかったが、それ以上、毒のことは聞かなかった。

 

「お水、飲みますか?」

 

 アンコウが頷くと、テレサは ちょっと待ってくださいね と、水をとりに部屋の外に出て行った。

 

 テレサがランタンを持って出ていったため、部屋の中はより一層闇が濃くなった。

 それでも部屋に差し込む月明かりが強い夜だったので、部屋全体が暗闇になることはない。

 アンコウはベットに横たわりながら、天井を見つめる。

 

(………何だってんだ)

 

 アンコウが冒険者となって最高の稼ぎを手にした日だった。最高に気分がよかった。

 金は力だ。欲しいものがあれもこれも買える。今日は宿を押さえたら、この町で最高級の娼館にも行くつもりだった。

 

(…何だってんだよ)

 

 アンコウが大金を手にしてわずか数時間後、死に至りかねない毒がアンコウの体を侵していた。

 天井を見つめるアンコウの目がうっすらと潤んでくる。毒のせいではない。熱のせいでもない。

 

(たった一日も浮かれさせてくれないのか。ふざけやがって。生きてりゃいいってもんじゃねぇだろうがっ)

 

 虚空を見つめアンコウは声には出さず怒る。怒りで心が乱れると熱があがり、消えかけている毒が勢いを取り戻してくるような気がした。

 アンコウは意識的に目を閉じ、平静を取り戻すために大きく深呼吸をくり返す。

 

 アンコウは、つまらなくて何の刺激もなく、毎日同じことをくり返して、同じ愚痴を言っていた腹立たしいほど平穏無事であった あの世界での日常に本気で帰りたいと思っていた。

 こちらの世界の日常は、いささかアンコウには荷が重い。

 

 アンコウがこの世界に突然やってきて、すでに4年以上が過ぎている。

 ずいぶんこの世界の価値観にアンコウも染まった。染まらなければ、今頃アンコウは生きてはいないだろう。

 運良く生きていたとしても、正気を保ってはいなかっただろう。

 

 いや、この世界の非情な日常に染まったからこそか、アンコウはより強く元の世界に帰りたいと願う。

 その願いが叶わないならば、ここで適当にのんきに暮らしていけるだけの力をくれよ と、アンコウは誰に言うわけでもなく思った。

 

 ただ、アンコウは元の世界にいた時、平穏無事ではあるが刺激の少ない生活を送っていた時にも、

「生きてればいいってもんじゃない」 と、よく独り言をいっていたことはまったく忘れてしまっていたが。

 

「あーーーーーーっ」

 

 闇にむかって、アンコウは意味なく声を発する。アンコウは、本当は熱に浮かされているのかもしれない。

 

 

ガチャ!

「アンコウさん?どうかしたんですか?何か声がしてましたけど」

 

 アンコウは開いた扉のほうを見て、にこりと笑う。

「………何でもないよ。何でもね」

 

 テレサは少し(いぶか)しげな表情をしたが、毒か熱のせいだろうと押してきた小ぶりのカートを押しながら、アンコウの枕元まで来た。

 それを見てアンコウは、ゆっくりと体を起こす。

 

「アンコウさん大丈夫?」

「ああ」

 

 アンコウは、テレサが差し出した水が入ってたコップを受けとり、一気に飲み干した。

 そして空になったコップを差し出し、テレサが水をつぎ足すとあおるようにまた飲み干し、そしてまた空のコップを差し出すということを何度かくり返した。

 

 テレサが持ってきた水差しに入っていた水がほとんどなくなるまでアンコウは水を飲み続けた。

 

「………相当のどが渇いていたみたいだな。水を一口飲むまで気づかなかったよ」

 

 テレサはアンコウのほうに手を伸ばし、アンコウの背中を触った。

 

「アンコウさん、汗でびっしょりよ。これじゃのども渇くはずよ。毒か熱のせいで少し感覚がおかしくなってるのかもしれませんね」

「ああ」

 

 水を飲み終えたアンコウは、また寝るためにベッドに横になろうとする。

 

「アンコウさん、ちょっと待って。しんどいだろうけど、服を着替えたほうがいいわ」

「………そうだな」

 

 アンコウはかなり体はだるかったが、素直にテレサの言うことに従った。

 アンコウは亜空間収納の背嚢(はいのう)に手を突っ込み、着替えを取り出して、手早く着替えはじめる。

 

 上半身裸になると、テレサがサッと持ってきたタオルでアンコウの体を拭く。そしてアンコウはのろのろと新しい服を着た。

 

「テレサさん、ありがとう」

「いえ、下も着替えてたほうがいいですよ」

「ああ、そうだね」

 

 アンコウは上半身を起こしたまま、下半身は布団で隠してズボンとパンツも素早く着替えた。

 

 テレサはアンコウが着替えている間、まったく照れるふうでもなくベッドの横に置いたイスに座ったままでいた。そしてテレサは、ベッドのうえに脱ぎ捨てられたアンコウの服と下着を持ってきたカゴの中に入れた。

 

「これは洗っておきますから、また汗をかいたら着替えて下さいね」

「ありがとう」

 

 着替えを終えるとアンコウは再び横になり、布団をかぶって、目を(つむ)る。するとすぐに、テレサの手でアンコウの額に濡れた布が乗せられ、アンコウはまた目を開けた。

 ベッドの横には、テレサがまだ座っている。

 

「テレサさん。もういいよ」

「気にせず、寝て下さい。まだ熱が高いんだから」

「明日も朝が早いんだろ?俺はもう朝まで寝るだけだから」

「私は大丈夫ですよ」

「………いや、そうやって横に座っていられると、かえって落ち着かない」

「気にしないで、寝て下さい」

 

 テレサはアンコウの看病をするつもりのようで、アンコウがなんと言っても出て行く気配がない。

 

「いくら常連でもサービスしすぎ何じゃないか?」

 アンコウが少し面倒くさそうに言う。

 

 以前に病気や怪我で世話をしてもらったときも、ここまで親身にはしてもらっていなかったし、正直してもらいたいとも思っていなかった。

 

「仕事は関係ないですよ。アンコウさんは命の恩人だからね」

 

(…………あのことか)

「…命の恩人て、大げさ過ぎるだろ」

 怪訝そうな目で自分を見てくるアンコウに、テレサは笑顔で返した。

「うだうだ言ってないで早く寝る。病人なんだから」

 

………アンコウはあきらめたようにテレサから視線を外し、再び目を閉じた。

 

 一年ほど前、テレサが暴漢に襲われそうになっていたのをアンコウは確かに助けたことがある。

 人気のない夜の町、商売の関係の会合の帰り、テレサはこの宿の近くで3人組の屈強そうなならず者に襲われて、路地裏に引き込まれそうになっていた。

 

 それをこのとき、たまたまトグラスに泊まっていたアンコウが宿に帰る途中で出くわしたのだ。

 アンコウも襲われているのがテレサだと気づくと、さすがにこれから帰ろうとしている宿の女将が襲われているのを見て見ぬふりをすることも出来ず、正直面倒くさいと思いながら止めに入った。

 

 予想外だったのは、その中の一人に抗魔の力を持つ冒険者崩れが一人いたことだった。多少剣の心得もあったようで、アンコウは何カ所か浅い刀傷をうけてしまった。

 それでもアンコウが一対一で負けるような相手ではなかったのだが、少し時間がかかり、そのほかの二人にまですぐには手が回らなかった。

 

 しかし、あとの二人はというと、アンコウが冒険者崩れの男を斬り殺したころには気を失って地面を転がっていた。テレサがやったのだ。

 

 テレサに剣術や武術の心得があったわけではない。アンコウが相手にした冒険者崩れの男とは違い、この二人の男はただのチンピラだったとはいえ、テレサは大の男二人を相手に力まかせにたたきのめしていた。

 

 アンコウはあり得ない方向に腕が曲がっている男の一人を見て、テレサは自分が倒した冒険者崩れを相手にしても勝てるんじゃないかとさえ思った。

 自分が半殺しにした男が転がっている横で、テレサは泣きながらアンコウに礼を言っていたのだが、アンコウとしては何とも言えない微妙な気持ちになってしまっただけの出来事だった。

 

 それにもかかわらずテレサは、この時のことを相当に恩義に感じているようだ。

 

(そんな恩義に感じてもらうことじゃないんだけどな)

 アンコウは本気でそう思っていたのだが、今はまだ熱で体がしんどく、これ以上テレサにどうこう言うことがわずらわしかった。

(……寝よう。しかしこの女は、いろいろ損をするタイプかもな………)

 

 力なき善意の者は、悪意ある他者に食いものにされることが往々にしてある。

 テレサはアンコウの金を目当てにしているわけではない、アンコウに惚れているわけでもない、以前助けてもらったことを恩義と感じ、善意の心でやっている。

 

 アンコウは思う。そういう人間だから、あの酒飲みで博打打ちの男と長年夫婦なんてやってられるのかもなと、損な生き方だと。

 そんなことを考えているうちに、アンコウはいつのまにか眠ってしまっていた。

 

 

 結局テレサは朝までアンコウの部屋にいたようだ。

 次の日にはアンコウの熱もかなりさがっていたが、アンコウは用心して一日部屋を出ることなく、食事もベッドの中ですませ、ほぼ丸一日ベッドで寝て過ごした。

 

 2日目の夜は、テレサも付きっきりでアンコウの看病をするということはなかった。

 しかし夜中に何度か部屋をのぞいて、アンコウの様子を確認していたことにアンコウも気づいていた。

 

 心配してくれるのはありがたいのだが、アンコウとしては部屋をのぞかれるたびに意識が覚醒してしまうため、

(………やめてくれよ) というのが本音だった。

 

 そして、毒をうけて寝込んでから3日目の朝、アンコウは少し日が高く昇ってから、ベッドを出て身支度を調えていた。

 

「よし、毒は完全に抜けてる。熱もない」

 アンコウは窓から差し込む太陽の光をあびながら、大きく伸びをする。

「ウーーンッ。よしっ!」

 

 アンコウとしては、魔獣狩りで手に入れた大金をカラワイギルドに預けたところからやり直そうという気持ちだった。

 

 あの辻斬り貴族どもをわざわざ探して、報復しようというつもりもない。

 むろん目の前にあいつらが半死にでいたら、十分にいたぶってからブチ殺してやるぐらいには頭にきていたのだが、なにぶん相手が悪い。

 

 まず間違いなくあいつらはアンコウより身分が高い家門の者だ。それに単純に戦闘能力という点でも、それなりにあいつらは強いと判断せざるをえない。

 個別に襲えば負ける気はしなかったが、手間も時間もかかるだろうし、倒したとしても後腐れなくすむとは思えない。残念ながら報復するにはリスクが高すぎる。

 

 アンコウは、クソ辻斬り貴族のことをなるべく意識の端に追いやって、今日こそはよい一日をと、気持ちを新たにして部屋を出た。

 

 アンコウが使っていた部屋は宿屋の2階。アンコウが下に降りようと階段のところまで来ると、下から男の声で怒声が聞こえてきた。

 

(また、客同士でけんかでもしてやがるのか。朝からよくやるな)

 

 アンコウが階段の半ばまで降りてくると、怒鳴り声をあげている男の姿が見えてくる。客ではない。(わめ)いているのはこの宿の主、テレサの亭主である男だ。

 

「このやろう!亭主の言うことが聞けねぇのか!」

「やめて!このお金はお客さんの預かりものだって言ってるでしょう!」

 

 亭主は怒鳴りながら、テレサを引っ張り、時折テレサの体を拳で殴りつけている。

 

(チッ、朝から目ざわりだ。客の前で何してんだっ)

 

 宿の一階には客が食事をするスペースが設けられていて、男が二人座っていたが、この男たちもわずらわしそうに言い争う二人を見ている。

 

 アンコウもテレサに親身に看病してもらったにもかかわらず、この夫婦げんかに口を出すつもりはなかった。

 

 テレサの旦那がろくでなしだと言うことは、アンコウも以前からよく知っていたことだ。酒浸りでバクチ好きのろくでなし男は、女房をぶん殴りもするだろうなと、アンコウは無感情に思っただけだ。

 

 それにテレサの亭主は普通の人間族の男だ。この男がテレサを殴ろうが蹴ろうがテレサにはたいして効かないだろ、とアンコウは思う。

 そんなことよりも朝飯だ。

 

 アンコウはここで朝飯を食べてから出て行くつもりだったのだが、せっかく今日こそはよい一日にしようと決意を新たにしていたのに、この目ざわり耳障りな雰囲気の中で朝飯なんか食ってられないなと階段をおりながら考えていた。

 

「このやろう!ここは俺の店だ!ここにある金は全部俺のもんなんだよ!」

「ち、ちがっ!だからこのお金はっ!」

 

 亭主が耳障りな大声を出し続けている中、アンコウは階段の一番下までおりてきた。

 どうでもいい夫婦げんかに関わる気はなかったのだが、テレサが旦那からかばうようにして持っている袋がアンコウの目に入った。

(……あぁ?)

 

 それはアンコウも見覚えのある袋だった。そしてアンコウは進む足の向きを変えた。

 

バシッ!

 テレサは頬を亭主にひっぱたかれた。

「いい加減にしろ!このアマ!とっととよこせ!」

 

 アンコウは揉めている二人のすぐそばまできて、足を止める。

 

「よう、(あるじ)。久しぶりだな。俺のことを憶えてるかい?」

 

「チッ、知らないね!関係のない人は引っ込んでおいてくれ!」

 亭主はろくにアンコウのほうを見もせずに怒鳴るように言った。

 

(だめだな、こいつは。昔はもうちょっとマシだったんだけどな)

 

 この亭主はテレサよりも10歳年上、アンコウよりも20ほど年が上になる。

 もう何年もまともに働かず、アンコウがこの宿を使い始めた3年前には、すでにテレサがこの宿を切り盛りしており、アンコウがこの亭主と話をしたことは数えるほどしかない。

 

 酒とバクチにのめり込むという典型的なろくでなし生活のせいだろう、この亭主は実年齢よりもかなり老けて見える。

 昔はなかなかの美男子で、テレサと結婚をした当時はこのあたりでは美男美女のお似合い夫婦と言われたこともあったのだが、今は見る影もない。

 

「テレサさん。その財布おれのだよなぁ?」

 

 テレサは無言でアンコウのほうを見て、うなずいた。

 

「よう、主。俺の財布になんかようかよ?」

 アンコウはドスのきいた声で、亭主をにらみつけながら言った。

 

 アンコウがあからさまな怒気を亭主にぶつけると、それまで強気一辺倒だった亭主の態度は、一転して怯えた様子に変わっていく。

 

「え、えーと……あ、あんた、確か、」

「アンコウだよ。顔も名前も忘れたみたいだな。まぁ、別に憶えてもらいたくもないけどな」

「あ、あぁ、冒険者の、」

「で、何で俺の財布がお前のもんなんだよ」

 アンコウは亭主をにらむ目に、より一層の怒気を込める。

 

「ヒッ、違う!あんたの財布だなんて知らなかったんだ!」

 

 亭主は叫ぶように言うとアンコウから目をそらし、テレサの肩をつかんだ。

 

「こ、この女が悪いんだ!おい!テレサ!お前はなんで言わないんだ!お、お前のせいで!」

「私は何度も言ったわ!これはお客さんの預かりものだって!」

 

「あー、確かに言ってたな」

 

 アンコウは亭主をにらむのをやめて、面倒くさそうに言った。

 亭主は口ごもり、怯えたような態度をとりながらもテレサをにらんでいた。

 

( くっだらないな)

 アンコウは心の中で吐き捨てた。

 

「で、この財布はおれのもんで文句はないんだよな」

 アンコウが亭主にむかって言うと、

「は、はい。もちろんです」

 

 アンコウは大きく息を吐き出してから、テレサから自分の財布を受けとった。

 こんなくだらないことにこれ以上つき合いたくもなかったアンコウは、すぐにこの場から離れようとしたのだが、うしろからテレサに呼び止められた。

 

「アンコウさん、待って下さい」

 テレサはそういうと、今度は亭主の少しうしろに立っている男のほうを見た。

 

「さっきの金貨を返して下さい!それは、このお客さんのお金なのよ!」

 

 どうやらアンコウが来る前に、すでにアンコウの財布からお金が抜き取られていたようだ。アンコウも、テレサが話しかけている男の存在には気づいていた。

 

 男は冒険者ではないようだったが、風体のあまりよろしくない人間だ。

 その男はテレサの亭主のすぐうしろで、夫婦のやりとりには口をはさむことはなく、にやけた顔をして見ていた。

 

 アンコウはおそらく金貸しか博打打ち、どちらにしてもテレサの亭主のろくでなしの関係者だろうと思った。

 ろくでなしの後ろにいるろくでなしなどと関わり合いになるつもりは毛頭ないアンコウだったが、そうもいかなくなりそうだ。

 

「女将さん、言いがかりはやめて下さいよ。この金貨はあんたの亭主から受けとったんだ。そちらの兄さんのことなんざ、おれは知らねぇよ」

「なにを!その金貨は、この人がアンコウさんの財布から盗った金貨ですよ!あなたもみてたじゃないですか!」

「うるせぇ!誰の財布か何てことは関係ねぇんだよ!おれは貸した金を返してもらっただけだ!誰に文句を言われる筋合いはねぇ!」

 

 男はドスのきいた声でテレサを怒鳴りつけた。あきらかにその筋の人間だ。

 テレサもつい口ごもってしまうが、自分が何とかしなければという責任感があるのだろう。男から目をそらすことはなく、対峙し続けていた。

 

(あぁ……やっぱり金貸しか……)

 

 おもむろにアンコウは、一歩二歩と金貸しの男のほうに近づきはじめる。

 それに気づいた男は、にやけた顔をアンコウのほうにむけて、親指で器用に金貨を宙にはじいて見せた。

 

「兄さん。聞いてたろ。この金はここの亭主から受けとった。おれとあんたは関係がねぇ。文句があるならこの宿の人間に言いな」

 そう言うと男は、もう一度金貨を親指ではじいた。

ピキイィィン

 

………しかし、そのはじいた金貨は男の手の中に戻っては来なかった。

 

「ゲホゥッ!」

 男は突然うめき声をあげて、床に倒れ込んだ。

 

 アンコウが一気に男との距離を詰めて、男の腹を拳でえぐるように殴りつけたのだ。

 さらにアンコウは、床に倒れ込んで悶絶している男の肩を蹴り上げた。

 

 床にうつむきなって唸っていた男が、アンコウに蹴られた勢いで、今度はあお向けにひっくり返える。

 そして、アンコウは男の胸を躊躇(ためら)うことなく踏みつけた。

 

 アンコウはわずかな時間で流れるようにこれだけの動作をしてのけた。そして、アンコウは男を見下ろし、にらみつけながら言う。

 

「誰にむかってふざけた屁理屈(へりくつ)こねてやがるんだ、この野郎。神様がお前に渡したとしてもな、あの金は俺の金なんだよっ」

 

 アンコウは、男を踏みつける足にさらに力を入れる。

「グフーッ!」

 男の肺から空気が漏れる。とても苦しそうだ。

 

 男の手に戻らなかった金貨が、コロコロと床を転がり、テレサの近くで止まる。それをテレサは手を伸ばして拾おうとした。

 

「触るな!」

 

 アンコウの声にテレサはビクッとして、伸ばしかけた手を引っ込めてアンコウのほうを見た。

 少しきついアンコウの言い様だったが、テレサのほうを見るアンコウの顔には笑みが浮かんでおり、テレサはホッとした。

 

「テレサさんが拾う必要はないよ」

 そう言うと、アンコウは再び足の下の男に目をやる。

 

「いいか?お前に1つ、おれのルールを教えてやる。おれの金貨を1枚盗んだやつは死刑だ。おれの銀貨を1枚盗んだやつも死刑だ。おれの銅貨を1枚盗んだやつも死刑だ。

 あの金貨はおれの金だ。で、お前はどう思うよ?あの金貨は誰の金だ?お前のか、それともおれのものか?」

 

 男は何かを言おうとするが、アンコウに胸を強くふまれて声にならない。

 男は声に出す代わりに、あんたのだという意味を込めて、アンコウのほうを指さした。

 

パシッ

 アンコウは自分を指さす男の手を軽く払いのけた。

バッシィッ!

 次にアンコウは男の顔をかなり強くひっぱたいた。

 

「人を指さしてんじゃねぇよ!無礼だろうが!」

 

 強烈なビンタを食らった男は、アンコウの足の下で、声を出せずにもがいていた。

 なかなかにひどいやり口である。

 アンコウは痛みにもがく男を見おろしながら、男とは関係のないことを考えていた。それは元いた世界でのことだ。

 

 アンコウはある中小企業で営業の仕事をしていた。客からのクレーム処理も、当時のアンコウの仕事のひとつ。

(あれは胃にきたよなぁ)と。

 

 仕事でのことだ。こちらに落ち度があるのなら土下座だってしてもいいとアンコウは思っていた。実際、頭はさげるためにあるものだと仕事中は割り切っていた。

 でも、どうしようもなく理不尽としか言いようのないクレームもあった。

 

 説明しようが謝ろうが文句を言い続ける。しかもそういう人間にかぎって異常にしつこい。半年以上も文句を言うためだけに電話をしてきたやつもいた。

 

 精神がおかしくなっても不思議じゃなかったとアンコウは思う。しかもそういう輩は、常に一定の割合で湧いて出てきていなくなることはない。

 

 あいつらをこんなふうに踏んづけて、ひっぱたいてやったら気持ちいいだろうなぁなどと、アンコウは考えていた。

 

(いや、あのクソみたいな連中にこそ、この世界がふさわしいだろ。何でおれがここにいるんだよ)

 

 アンコウは元の世界に帰りたい。できるものなら、あのくそ連中どもとトレードがいいなぁなどと、人を踏みつけながら妄想していた。

 

 そんなとりとめもないことを考えているうちに、いつの間にか足に力が入りすぎたらしく、踏みつけている男が白目をむいていた。

 

「っとお、」

 アンコウは慌てて男から足を離した。

「ゲホッ!ゲホッ!ゲホッ!」

 咳き込み、えづき続ける男に、アンコウはもう一度問いかけた。

「おい。あの金貨は誰の金だ?」

 

 ようやく咳とえづきが止まった男は涙を流し、よだれを垂れながらアンコウを見上げる。

「あ、あんたの金です」

「じゃあ、取ってこい」

 

 アンコウに言われて、男は床を這うようにして金貨が落ちているところまでいった。そして拾い上げた金貨を持って、恐怖に顔をゆがめながらアンコウの前まで戻ってきた。

 男は震える手でアンコウに金貨を渡す。

 

「いいか。次はないぞ」

「は、はい」

 

 アンコウは受けとった金貨を袋に戻した。

 借金取りの男は、アンコウに金貨を渡すとすぐにアンコウから離れた。男はこの宿の亭主とテレサのほうをわずかな時間見た。

 それは怒りに歪んだ目だった。その男の目に気づいて怯える亭主。

 

 男がアンコウから受けた暴力、アンコウに報復できるだけの力を持たない男、男はその怒りを自分より弱い者にむける。

 アンコウも辻斬り貴族から受けた暴力に対する怒りをこの男にぶつけたのかもしれない。

 

 そして男は苦痛に顔を歪めながらも、そのまま宿から出て行った。

 

「ア、アンコウさん、ありがとうございました!」

 テレサがアンコウに近づき、礼を言う。

「気にしなくていいよ」

 

 そしてアンコウはテレサに、宿泊費だと言って看病の礼の意味も込めてかなり多めの金を握らせた。

 

「それよりも朝飯をもらえるかな」

「は、はい!すぐに用意します!」

 

 アンコウは空いたテーブルのほうに歩いていく。

 その場に一人取り残されたこの宿の主は、それ以上の言葉はなく、ただ、その場に立ち尽くしていた。

 

 

 

 

「よう!アンコウ、久しぶりだな。金は取り戻せたみたいだな」

 

 食事を取るためのスペース、そこに座っていた男の一人が、やってきたアンコウにワハハと笑いながら声をかけてきた。

 

「なかなか面白い見世物だったぜ」

「ん?おー、カリムか?」

「まぁ、座れよアンコウ」

 

 カリムも魔獣狩りを生業とする冒険者の一人、アンコウとは顔なじみだった。昨日はこのトグラスに泊まっていたらしい。

 アンコウはカリムが座るテーブルで朝食をとることになった。

 

 カリムは体調を崩してしばらく迷宮に潜っていなかったらしく、手持ちがいささか危ういとのことで、アンコウは一緒に迷宮に潜らないかと誘われた。

 

 アンコウは今のところ金は十分にあり、少し予定していたこともあったのだが、特別急ぎの用事というわけでもなかったため、今後の付き合いも考えてカリムとパーティーを組んで迷宮に潜ることに応じた。

 

 カリムが言うには、アンコウを入れてメンバーは3人、狩りの期間は3日間、少人数の短期間の狩りだ。

 当座の資金を得るためのものであり、潜っても2階層までしか行かないと聞き、アンコウは了承した。

 

 アンコウはこの日の予定を早くもあらためて、明日から行く仕事の準備に大方の時間を使った。

 しかし夜だけは予定どおり娼館にいき、次の日は娼館から直接迷宮に出勤したのだった。

 

 このカリムたちとの魔獣狩りは特別問題なく無事成功し、アンコウたちは予定どおり3日で地上に戻ってくることができた。

 

 しかし、この町でトラブルや暴力沙汰もなく、アンコウの予定どおりの良い一日を過ごすことはなかなか難しいようだ。

 

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