Ankou°˖◝(⁰▿⁰)◜˖ 異世界をゆく   作:かまぼ子ロク助

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第9話 お金は大事

 アンコウがカリムたちとの迷宮での魔獣狩りを無事終えて、地上に戻ってきた翌々日、アンコウはある店を訪れた。

 この店はラチアーノという商人の店で、アネサの町で工務店と不動産屋をあわせたような仕事をしている。

 

 そして、このラチアーノ商会の従業員のトルクという男の案内で、アンコウはアネサの町でも比較的治安がよいと言われているヘルン地区に来ていた。

 

「アンコウさん、どうですか、この物件は?アンコウさんがおっしゃっていた条件を全てクリアしていますよ。まだ未完成の部屋もありましたが、それも含めて、あと1ヶ月ほどで全ての工事が終わる予定です」

 

 トルクは年の頃30ほどで、見るからに商人らしい雰囲気をまとっている男だった。

 商人としてはまだ若いほうなのだろうが、なかなかのやり手らしく、信頼することができる人物だとアンコウは見た。

 

 アンコウは今、トルクの案内で家を見に来ており、アンコウはずいぶん前から自分が住むための一軒家を買うために、お金を貯めていた。

 アンコウにとっては、自分が求める普通の生活を手に入れるための絶対必要なアイテムが「家」を持つことだった。

 

 アンコウぐらいの年齢の冒険者で、自分が生活をするためだけの一軒家を求める者はかなり珍しい。宿屋暮らしが当たり前、旅暮らしが当たり前、今日の命が明日あると思うなの冒険者稼業である。

 

 アンコウは人より金を稼ぐためには、自分には魔獣を狩る冒険者をする以外にないと思っている。そのリスクは受け入れたし、最悪、魔獣との戦いの果てに死ぬ覚悟もできている。

 

 しかし、冒険者を名乗る者にありがちな、生活そのものを刹那(せつな)的で快楽主義的なものにすることはアンコウの望むところではなかった。

 

 そういった生き方を否定しているのではない。アンコウも刹那的な快楽を欲することもある。

 ただ、常に命の危険をともなう戦いの時間とその反動から生じる欲望のおもむくままに快楽に沈殿するような時間だけの生活は、アンコウのなじめるものではなかっただけだ。

 

 そういう意味では、趣味の違いと言えるのかもしれない。

 魔素の漂う地下迷宮や(あやか)しの森に踏み込む冒険者稼業、いつ死んでもおかしくないからこそ、アンコウはアンコウにとっての普通の時間が欲しかった。

 

 豊かで平和な世界からやってきたアンコウは、不完全で仮初めのものであっても、それを感じさせてくれるものを欲しいと思った。

 

 この世界が、アンコウの思う豊かさや平和に染まることはあり得ないとアンコウもわかっている。

 アンコウがこの世界の中で小さな小さな自分の世界をつくり、それに浸る時間を持つための1つの方法として考えたことが、自分の家を持つということだった。

 

 

「今ご覧いただきましたように、2階建ての新築の庭付き一軒家。我がラチアーノが抱える一流の職人たちが手がけた自信作でございます。

 この広さ、この間取りの物件で、アンコウさんが提示されたご予算で手に入るものと致しましては、このアネサでは最高クラスの物件であると自負しておりますよ」

 

「ああ」

 アンコウは、トルクのほうは見ずに相づちを打つ。

 

 アンコウは家を購入するにあたって、これまでに何度が自分の望む条件と予算をトルクに提示して相談をしていた。

 

「このあたりはご存じのとおり比較的治安もよく、まわりに住んでいる人たちはそれなりの職に就いているか、それなりの財産をお持ちの人が多うございますが、アンコウさんのご希望どおり、貴族の方々はほとんどこのあたりには住んでおりません。

 日々の暮らしに必要な物を売っている店舗も通り1つ向こうに並んでおります。また、湯屋も湯冷めせずに帰ってこられる距離にございますよ」

 

 ラチアーノが扱う物件は貴族が買い求めるようなものではなく、そういう意味では一流とは言えなかった。しかし一般人が求める物件としてはかなり値の張るものも多く扱っている。

 

 また、アンコウのような冒険者が個人の生活用の家をラチアーノで買い求めることはかなり珍しい。

 だから、初めにアンコウがラチアーノの店を訪れたとき、その応対をしたトルクは、アンコウは本気で家を買うつもりはなく、冷やかしか何か別の目的があるのではないかと思った。

 

 そしてトルクは、アンコウと何度か話し合いを重ねて、今日実際にこの物件を見に来た。

 しかし今ここに至っても、さすがに顔に出すようなことはしないが、トルクにはアンコウの本気を疑う気持ちが残っていた。

 

「さすがラチアーノだな。きちんとした仕事だ。あんたらみたいな商人ばっかりなら、世の中もうちょっと平和になるんだけどな」

 

 アンコウの言うとおり、この世界では、アンコウから見れば詐欺や犯罪に当たるような行為がごく当たり前の商行為になっていることが多々あり、それが日常的に人々の(いさか)いの元となっていることがよくある。

 

「そうですね。商人同士の取引ではやむを得ないとは思うのですが、一般のお客様に対して目にあまる駆け引きを仕掛けることはどうかと私も思っております。我がラチアーノは商会全体の方針として、お客様に損を強いるような商売は決していたしませんよ」

 

 トルクも商人、損得を無視して客の利益を優先することはないとアンコウもわかっていたが、アンコウが納得できる物件を提示したうえでのトルクのこの虚実入り混じった言い様をアンコウは好ましく感じていた。

 

「支払いはカラワイギルドに預けている金から支払うよ。ラチアーノもあそこに口座はあるんだろ」

 

 アンコウはまだ何も家具が置かれていない部屋を見渡しながら、軽い口調で言った。

 

「えっ!?」

 アンコウの突然の購入宣言にトルクは虚を突かれたようだ。

 

「………トルク、何をいまさら驚いてるんだ?俺も冷やかしでこんなところまでこないよ」

「あっと、申し訳ありません。私としたことが」

 

 軽く頭をさげるトルクを横目で見て、アンコウは口元に笑みを浮かべる。

 年若い冒険者であるアンコウ、その先入観が抜けていなかったトルクとしては、アンコウのあまりに軽い購入宣言に、つい驚きの声をあげてしまった。

 

「言っとくけど、俺なりにちゃんと考えたうえで決めたんだからな。頭が悪いわけでも考えなしなわけでもないんだぜ」

 アンコウは、少しからかうような調子で言う。

 

「も、もちろんです!そんなことは思ってないですよ!」

「ハハハッ、冗談だよ」

 

 アンコウが今日は1日ヒマなので、前金の支払いは今日中に済ませたいと言うと、トルクはアンコウをこの家に待たせて慌てて力車を呼びに行った。

 

(現金なものだな)

 アンコウとトルクはラチアーノ商会から、そこそこの距離を歩いてここまでやってきた。

 方向は違うが、ここからカラワイギルドの会館までの距離も同じぐらいのものだろう。

(金の力は偉大だね)

 

 アンコウは別に気を悪くしたわけではない。

 電車もバスもないここでの常識では、多少時間がかかるとはいえ徒歩で移動する範疇(はんちゅう)の距離だったし、トルクの対応もごく当たり前のものだと思っている。

 

 ただアンコウは、力車に乗せてもらえるんだったら、ここに来るときにもうちょっと買う気満々だぜというアピールでもしておけばよかったかもなと思っただけだ。

 

 

 しばらくするとトルクが2人乗りの力車を連れて戻ってきた。力車を引っ張っているのは筋骨隆々とした獣人の男で、アンコウから見ればかなりの大男だった。

 アンコウが元の世界の観光地で人力車に乗ったときも車を引いていた車夫はかなりたくましい筋肉をしていたが、今アンコウの前にいる獣人はその比ではない。

 

「さぁ、どうぞ、アンコウさん。乗って下さい」

「ああ、悪いな」

 

 アンコウとトルクは並んで力車に座り、力車は獣人の車夫に引かれてカラワイギルドに向かって動き出す。

 

「アンコウさん、家の家具や調度品はどうするおつもりですか?」

「なんだい?一式サービスしてくれるのか?」

「い、いや、それはちょっと」

 アンコウの冗談にトルクが苦笑いを浮かべる。

 

「買うよ」

 アンコウはトルクの苦笑いを見ながら言った。

 

 アンコウはこの町にやって来てから、これまでずっと宿屋暮らしだ。当然家具など持っていないし、生活用品も必要最小限のものしか所持していない。

 

「まぁ、高価な物を買う気はないけどな。新築の家にぼろい家具を並べる気はないな」

「………ご結婚なされるのではないんですよね?」

「しないよ。する気もない」

 

 トルクは不思議に思う。アンコウが買い求めたのはそれなりの財産を持つ一般人家族向けの物件だ。

 抗魔の力を持ち、冒険者として生きる者を一般人というには少しばかり無理がある。

 

 トルクは、冒険者相手にパーティーの根拠地として使用するに足る家建物を販売する契約は何度かしたことがあるし、数こそ少ないが家族が住むためにといって、このような物件を買っていった冒険者もいた。

 

 しかしアンコウぐらいの若い冒険者が、家族もなく結婚するつもりもないのに、自分が住むためにこんな家が必要だという理由が今ひとつよくわからなかった。

 正直に言ってトルクは、アンコウが何か別の理由があって、この家を買おうとしているのかもしれないと、いまだに考えている。

 

 しかし、トルクは商人。不思議に思っていても客の個人的な事情にこれ以上口をはさむことはしない………まぁ、ただの考えすぎなのだが。

 

「よろしかったら、家具や調度品の類も取り扱っておりますが」

「………品質と価格は大丈夫なのか?」

 

「はい、それはもうご安心していただいて結構です。私どもも長くこの町でこの商売をしていますから、よい品を仕入れるためのいろいろなつながりを築いておりますし、値のほうも上から下まで取りそろえておりますから」

 

「そうか、じゃあ一度見せてもらおうか。家を買えば必要になるものが他にもいろいろあるからな。その分の金も別に考えてある」

 

「はい、ありがとうございます。今いろいろと仰いましたが、家具や調度品の他にも何かご入り用のものでもあるんでしょうか?先程も申しましたが、私どもの商会は諸方と取引をしておりますので、お役に立てるかもしれませんが」

 

 トルクはここぞとばかりにセールストークを展開する。そのための二人乗りの力車であったかとアンコウは気づく。

 それでもアンコウは別段気分を害することはない。必要ならば、アンコウのほうも利用させてもらうだけのことだ。

 

「………そうだな。あと考えているのは奴隷だな」

「ふうむ、奴隷ですか。さすがにうちでは奴隷は扱っておりませんが、あの家を買い、家具・調度品一式を買い揃えて、そのうえ奴隷もとなりますと相当な出費になりますね」

 

「ああ、そうだな。正直ギリギリだろうな。だけど、奴隷は後でもかまわないんだ。とりあえず家とそこでちゃんと生活できるだけのものをそろえたい」

 

「わかりました。それでは家を引き渡すときに、家具・調度品も含めて御納得いただけるものをお渡しできるようにいたします」

 

 アンコウとトルクはカラワイギルドに着くまで、これからの段取りについて話をしていた。

 そして、カラワイギルドの会館で家の購入費の前金を払い込み、残りはひと月後の引き渡しの後で支払うことになった。

 

 

「アンコウさん、本当にお送りしなくていいんですか?」

「ああ、こんな真っ昼間に宿に帰ってもすることがないからな。ブラブラしていくよ」

「それでは、すぐにでも家具と調度品のリストを用意しておきますので、今度見本品を置いている倉庫のほうにもご案内します」

「ああ、近いうちに、またお邪魔するよ」

 

 

 

 

 アンコウはカラワイギルドの会館でトルクと別れ、ぶらぶらと,ギルドの近くにある食事処に入った。

 注文し、食事を始めるアンコウ。

 

 アンコウは食事をしていると、自分のほうを(うかが)う視線に気づいた。

 

(チッ、メシがまずくなる)

 

 アンコウのほうを探るように見ている男は、アンコウからは離れた席に座っており、こちらを(うかが)う気配というのも普通ならなかなか気づかれないであろう巧みさで、堂に入ったものだった。

 

 アンコウは、時おりウエイトレスの女に話しかけるなどしながら、通常よりもかなり長い時間、店の中にとどまっていた。

 しかし、

(先に出て行く気配はないか。………店に入る前からつけられていたのかもな)

 

 アンコウも人に恨まれる憶えがないわけではないが、その男の顔はアンコウの記憶にはない。しかし、この男がアンコウに害をなす者ならば、それ相応の対応をするしかないとアンコウは腹を決めた。

 

 そして、アンコウはそのまま支払いを済ませ、ウエイトレスの女に軽口を言いながら自然な感じで店を出た。

 

 店を出たあと、アンコウはどこに行くというわけもなく歩きつづけた。

 歩きはじめて1時間近くも経ったころだろうか、ずっとアンコウの後ろをつけていた男の姿がふいに見えなくなった。

 

(………いなくなったのか)

 

 念のため、アンコウはしばらくそのまま歩いていたが、やはり尾行者の気配はなくなっていた。

 

「ふうーっ、無駄に疲れたな。何が目的だったんだか」

 

 夜まで町をうろつくつもりだったアンコウだが、少々気疲れしてしまったようだ。

 アンコウはとりあえず今日の宿を押さえてから、夜の予定はそれから決めることにした。

 

 アンコウが今いる場所は、トグラスの宿屋に近い場所であったので、アンコウはそのままトグラスに向かって歩き出した。

 

 

 

 

「なんだこれ。どうしたんだ?」

 

 アンコウはトグラスの宿屋の前に立ち尽くしている。

 宿の中に入る出入り口は板で塞がれ、立ち入り禁止の札が掛けられていた。外から中を窺うと人の気配はなく、ガランとしていた。

 

 4日前の朝、アンコウは間違いなくこの宿を出て、迷宮に出勤していたのに。

 

「……何があった。たった4日前だぞ」

 

 どうみても、店は完全に閉鎖されている。アンコウは頭をかきながら、どうしたものかと考える。

 宿屋は他にもあるし、アンコウが懇意にしている宿屋もここだけというわけでもない。

 

 しかし、つい数日前に毒にうなされている時、女将のテレサには世話になったばかり。

 

(………さすがにちょっと気になるな。知ったところで、多分どうにもできないんだろうけど)

「フゥーッ、」 

 アンコウはため息をつきながら、ここから見えている果物屋に向かって歩き出した。

 

 ここの果物屋の奥さんはトグラスの女将テレサと仲がよく、アンコウもトグラスに泊まっているときに、時折この店で果物を買い求めることがあった。

 アンコウがその店の前まで行くと、顔見知りの奥さんがちょうど店番をしていた。

 

「こんにちは」

 

 アンコウが声をかけると、店番の奥さんは手を止めて顔をあげる。

 そして目の前にいるのがアンコウだと気づくと、奥さんは悲しそうに眉をしかめた。

 

「トグラス、休日ってわけじゃなさそうだな」

 

「アンコウさん………ひどいもんだったよ。2日前さ、・・・・・・・・・・・・・・

 

 

~~ 2日前 ~~

 

「オラ!オラ!邪魔だ!どけ!」

「やめて下さい!まだお客さんがいるんですよ!やめて!」

 

 いかつい男の集団が、次々とトグラスから手当たり次第に物を運び出していく。

 トグラスの女将のテレサは、男たちにむかってやめるように叫び声をあげるが聞き入れられることはない。

 

 テレサ自身も腕をつかまれ、身動きができなくされている。

 いや、テレサの腕をつかんでいるのは普通の人間族の男。テレサが力まかせに動こうとすればできたのかもしれないが、テレサの心は普通の女で戦士ではない。

 この状況に、腕力で抗うような蛮勇は持ち合わせていない。

 

「うるせぇぞ!おとなしくしてろ!」

バシッ!

「キヤァッッ!」

バタンッ!

 テレサは自分の腕を押さえていた男に顔をたたかれて、カウンターに体をぶつけて床に倒れ込んだ。

 

「おいっ!とっとと運び出すんだ!何も残すな!」

 

 テレサをひっぱたいた男は、この間アンコウが殴り飛ばした金貸しの手先の男。

 店から次々と運び出されていく荷物。金に換えれるものは全て持ち出すのが、この手の金貸しのやり口だ。

 

「ううっ…………」

 テレサも床にうずくまったまま動かない。

 

 もう彼女には、どうしようもない。誰も助ける者はおらず、トグラスに泊まっていた宿泊客たちも、ほとんどがすでに出て行ってしまった。

 

 この場に居合わせた客の中には腕に自信がある冒険者もいたが、彼らも突然押し入ってきた連中に一言二言文句を言うことはしても、彼らを追い出そうとはしなかった。彼らを無法者と呼べない理由があったからだ。

 

 なぜなら、店の出入り口にこの店の主でテレサの夫である男が、上半身を縄でグルグル巻きにされて座らされていおり、縄で拘束された宿の主の横には、この町の騎士団の御用聞きを勤める男が全体ににらみをきかせるように立っていた。

 

 騎士団の御用聞きをつとめる者には、評判のよい者も悪い者もいたが、この男はかなりたちが悪いと噂されている男だ。

 それでもこの男がこの場にいる以上、誰もが騎士団という存在を背後に意識せざるをえなくなる。

 

 簡単に言うと、この宿の主は、犯罪者としてすでに騎士団に逮捕されているという形になっていた。

 罪状は借りた金を返さないという契約違反と、おそらくそれに関係するいくつかの違法行為もあげられているはずで、かなり悪質な契約違反者ということにでもされているのだろう。

 

 実際にテレサの亭主は方方(ほうぼう)から金を借りていたし、それを返していなかったのだから、金貸し連中とこの騎士団の御用聞きの男が手を握っていれば、この亭主を正式に犯罪者として逮捕することは容易にできる。

 

 この状況で彼らに刃向かえば、問答無用で犯罪者に味方する者になってしまう。むろん金貸しの取り立てに、騎士団が直接関与してるなどということはありえない。

 

 これは金貸し連中がよく使う手で、騎士団の御威光を利用しているのだ。

 それがわかっていても、権力のお墨付きというのは決して無視できるものではない。

 

 一端(いっぱし)の冒険者ならば、この町の騎士団の御用聞き程度に無条件で膝を屈するようなことしないだろうが、それ相応の理由か見返りでもない限り、善意だけでこの宿を救おうとも思わないだろう。

 

 騎士団には貴族や抗魔の力をもつ者も多く所属している。可能性は少ないとはいえ、最悪、騎士団が出張ってくることを考えれば、直接攻撃されるか明らかな侮辱行為でもされない限り、多少不愉快でも立ち去るのみだ。

 

 テレサを張り倒した男が、今度は乱暴にテレサをひき起こす。

「おい!起きろ!いつまでもこんなところで寝てるんじゃねぇ!」

 

 テレサは、反抗する気力も尽きかけていた。こうなってしまった時点で、泣こうが叫ぼうがどうしようもない。

 

「へへへっ」

 

 男はテレサを宿の出入り口から少し離れたところまで引っ張っていく。

 そして、テレサを引っ張っていた男の手が、テレサの胸をつかんできた。

 

「なっ、やめてください!」

「へへっ、結構いい体してるじゃねぇか」

 

 体をこわばらせたテレサは、虚ろになりつつあった意識を取り戻し、足を止めた。

 男は逃げようとするテレサの後ろから羽交い締めにするようにして、テレサの両胸をわしづかみにする。

 

 テレサの大きい胸が、力まかせの圧力を加えられて、形を崩されているのが服のうえからでもわかる。男はさらに、テレサの胸を掴む手を欲望のままに動かそうとした。

 

「やめてっ!」

ドンッ!

「ぐわっ!」

ドスンッ!

 

テレサは体をよじって、男の手をふりほどき、男を突き飛ばした。

テレサに突き飛ばされた男は、勢いよく壁にぶつかった。

 

「ぐううっ、……こ、このアマぁ、」

 

 ガハハハと、この様子を少し離れたところから見ていた騎士団の御用聞きの男が笑う。

 その笑い声が、男の怒りをさらに高めたのか、男はテレサに掴みかかる。テレサはその男の手を払いのけ、これ以上男の好きにはさせなかった。

 

 なんとか男はテレサの両肩を掴み、テレサがその腕を押さえた状態で動きが止まる。まるで子供の相撲のようだが、男の目は血走り、テレサの目は必死だ。

 

 お互いが掴み合う形になれば、普通の人間族の男相手に、テレサがそうそう簡単に力負けすることはない。

 しかし、テレサをにらむ男の顔に、いやらしい笑みが浮かび、口を開く。

 

「なぁ女将。あんた娘がいたよなぁ、確かニーシェルって言ったよなぁ」

「なっ!あの子は関係ないでしょう!」

 

 大切な一人娘の名を出され、テレサは激しく動揺した。

 

「関係ないわけがないだろ?あの犯罪者の娘だ」

「あの子はもう2年も前に人様のお店に奉公に出しています!あの子の身柄は正式にあちらの預かりになっています!」

「ああ、知ってるよ。大店(おおだな)の力のある店だ。だけどやりようがないわけじゃないんだぜ。大きい店ほど風聞には気をつけるもんだしなぁ」

 男の顔がより一層いやらしく歪む。

 

「確かまだ14だったか?美人だよなぁ、あの娘。おれはよ、ほんとはあれぐらい若いほうが好みなんだよ。それを30過ぎたテメェで我慢してやるって言ってんだよっ!」

 

 そう言って、男はテレサを近くのテーブルに押しつけた。テレサは男に首の後ろを押さえられて、上半身をテーブルから動けないようにされてしまった。

 

 この国の常識からしても、この連中が親の借金を理由にすでに親元を離れて大店の商家で奉公するテレサの娘にまで毒牙をのばすというのは、さすがに難しいものがある。

 

 テレサが娘を12で奉公に出した理由の1つに、このようなもしもの事態を考えたということもあるのだ。

 しかしこのように脅されると絶対に大丈夫とは言い難いのも現実だ。ここには弱者を守る法も、正義の組織も存在しないのだから。

 

「うううっ」

「そうだよ。そうやっておとなしくしてればいいんだよ。手間取らせやがって」

 男がテレサの耳元に顔を近づけて言った。

 

 そして男はテレサの髪をつかんで、顔だけを前に向けさせる。テレサの視線の先に、縄でグルグル巻きにされた夫の姿があった。

 テレサを押さえつけている男が、にやけた顔で言葉を続ける。

 

「見ろ。お前の亭主はおとなしいもんだぜ。お前を助けよう何て気はこれっぽっちもないみたいだなぁ」

 

 テレサの亭主は、ただうなだれていた。テレサもずいぶん前から、この夫には何も期待をしなくなっていた。

 しかし、今の状況はあまりに情けない。テレサの頬に、ひとすじの涙がつたう。

 

 テレサが抵抗しなくなったことを確認すると、男はテレサの上半身をテーブルに押さえつけたままで、テレサのスカートを尻のうえまで捲りあげた。

 下着はつけているものの、テレサの形のいい大きい臀部が男の目の前に露わになる。

 

 さすがにテレサはとっさに体を起こそうとするが、男はまたテレサの首を押さえつけて、

「娘に代わりをしてもらうか?」 

と、ささやく。

「へへへっ」

 

 そして男はテレサの尻を触り、揉み、ときに太ももに手を這わせた。

 男のテレサの尻を触る手が下着の中にまで伸び、テレサの首を押さえていたもう片方の手はいつのまにかテレサの胸に伸びていた。

 

「いやあぁぁぁーー・・・・・・

 

 テレサの亭主は動かない。テレサのほうを見ようともしない。おそらく自分の妻を他の男のいいようにされることに屈辱すら感じていないのだろう。

 亭主にとって、テレサは、とっくの昔に女としてはどうでもいい存在になっていた。

 

 テレサが男に体をいいように触られている間にも、次々と店の物が男たちによって運び出されていく。

 

 テレサが何をされようと興味なく淡々と自分の仕事をこなしていく者、下卑た笑みを浮かべながらうらやましそうにテレサたちを見る者、彼らにとってこれも日常の風景。

 

 しかしそんな中で、突如一本のナイフが男にむかって投げ放たれた。

 

シャッ!!

ザスッ!!

「へっ!?」

 男が間抜けた声を出す。男が自分の頬を触った手には、べっとりと血がついていた。

「ヒイイィッ!血、血だあっ!」

 

 飛んできたナイフは男の頬を切り裂いて、後ろの壁に突き刺ささっている。

 

 ナイフが飛んできた先には一人の冒険者。

 獣人の女戦士が宿の出入り口近くに立っていた。この獣人の女戦士は、まだ残っていたトグラスの客で、ちょうどいま宿を出ようとしていたところだった。

 

 獣人の女戦士は、すでに視線をテレサたちから外し、出入り口の近くに立っている騎士団の御用聞きをしている男を鋭く冷たい目で見ていた。

 出口のほうに向かっていた歩みの方向を少し変えて、その御用聞きの男のほうへと、一歩二歩と足を進めて、また止まる。

 

「おい、お前。あまり調子に乗るな。騎士団と諍いを起こすつもりはないが、お前らの好き勝手につき合う義理もないんだ。

 いいか、お前は騎士団の人間じゃない、お前は騎士団の犬だ。そこを勘違いするなよ。犬コロ一匹始末したところで、必ず騎士団が動くなんてことはないんだぞ」

 

 獣人の女戦士は声を荒げるわけでなく、淡々とした口調で言った。しかし、その目つきは鋭く、猛獣の凄味が宿る。

 

 騎士団の御用聞きの男は、腹は少し出ているものの筋骨たくましく、腕っぷしと押し出しの強さで世を渡ってきた人間であるにもかかわらず、獣人の女戦士の視線をうけているうちに額から流れ落ちる汗が止まらなくなっていた。

 

「………わかってる。おれたちもあんたらに迷惑をかけるつもりはない」

「荷物まとめて、宿を変える羽目になってるんだ。それは迷惑じゃないのか?」

 

 獣人の女戦士は御用聞きの男から目を離さない。男のほうはついに視線を下に落とす。

 

「………すまないと思うが、これは(おおやけ)の仕事だ」

 

「へぇ、公の仕事ねー?まぁ、私も人の仕事に口をはさむ気はないよ。ただ、お前らが何の関係もないこの私に迷惑をかけてるって自覚は持て。私もイラついてるんだ。これ以上は我慢しないぞ」

 

「わ、わかった」

 

 女戦士は言いたいことを言って一応納得したようだったが、そのまま外に出て行くことはせず、今度はクルリと向きを変えて、テレサたちがいる奥のほうに向かって歩き出した。

 

 女戦士がテレサたちのすぐ近くまでやってくる。すでに借金取り男の手はテレサの体から離れていたが、テレサはまだ呆けたように、テーブルに上半身を預けていた。

 

 女戦士はテレサの横を通り過ぎざま、捲りあげられていたテレサのスカートを軽く手で払うようにして元に戻した。

 

「あっ、」

 テレサはそうされてようやく気づいたかのように、テーブルから身を起こして、乱れた服を整えはじめる。

 

 女戦士はそのまま足を止めず、自分が投げたナイフの突き刺さった壁の前まで来ると、無言でナイフを壁から引き抜いた。そして振り返り、また歩き出す。

 

 ごく自然な動作であるが、まわりは一種の緊張感に包まれながら、この獣人の女戦士を目で追っていた。

 

 間違いなく獣人の女戦士を無駄にイラつかせた大きい原因の1つである テレサの尻を撫で回していた男は、流れ落ちる血が止まらない頬を両手で押さえて、小刻みに震えながら立っていた。

 

 女戦士は男の横まで歩いてくると足を止めた。

 

「おい、お前は騎士団とは何の関係もない人間だな。何をしてる?」

 

「は、はい!こ、この宿の者に大金を貸しております!それをこの連中は借りた金を不法にも返さねぇもんですから、騎士団の御裁可を頂いて、御用聞き殿の見届けのうえで差し押さえをしています!ちゃんと執行許可も出てるんだ!」

 

「ああ、それなら騎士団に認められた町の秩序を守るための合法行為ってことだ」

「あ、ああ!ちゃんと執行許可状も持っている!」

 

 男は慌てて、持っていた騎士団からの執行許可状を取り出して、女戦士の目の前で開いて見せた。

 少し無言の間があく。男の両手は血だらけ、頬からの出血も止まっていないが、必死で許可状を突き出す。

 

 女戦士の口調は自然で、声からは怒気は感じられない。しかし目が怖い。冷たい野獣の目。男は怒らせてはいけない相手を怒らせたかもしれないと恐怖していた。

 

 しかし女戦士は、ただ立っているだけで、何も動きを見せない。その獣人の女戦士の様子を見て、男は騎士団からの正式な許可状が効果をみせたのだろうと少し安心した。

 しかし、男の考えは甘かった。

 

「…ヴヴゥゥゥゥーッ、」

 女戦士ののどの奥から、唸るような声が漏れはじめる。

 

「ゥゥーッ、でえぇぇ?それは何の許可状だ?人前で嫌がる女の尻をまさぐって、お前のイカ臭いニオイをまき散らす許可状か?………ブチ殺すぞ、イカヤロウ」

 

 獣人の女戦士が男を見る目の温度が、また一段下がる。そして、その視線に晒される男の手の震えが一段と増した。

 広げて突き出した許可状の文字も、その震えのせいでもう読むことができない。

 

「ああー、読めないねぇ」

ドガッ!

「がっ!」

ドサッ!

 

 女戦士はごく自然な動作で、手に持っていたナイフの柄で、男のこめかみあたりを強く打ち据えた。

 男はわずかに声をあげて床に倒れた。

 目は白目、舌を出して動かない。女戦士は変わらない冷たい目で床に倒れた男を見ていた。

 

………そしてまた、歩き出す。

 

「あっ、マニさん。助けてくれてありがとう」

 テレサが立ち去ろうとするマニに声をかけた。そのテレサの声は少し震えていた。

 

「……助けたわけじゃないから礼はいらない。実際、助かっていないだろう。私がこいつらに少しムカついただけだ」

 

 そう、テレサが置かれている状況は何も変わっていない。テレサの今後は、白目を剥いて床に倒れている男とその仲間たちに握られてしまっている。

 

 テレサの亭主は店の名義でも高利貸しから多額の借金をしていた。テレサは正式な妻であり、この宿の女将。逃げ道はない。

 

 人柄がどれほどよく、真面目に生きていたとしても、それだけで幸せはやってこないし、維持することもできない。

 隣に(くず)がいれば人生は暗転する。この弱肉強食の世界なら、なおさらだろう。

 

「………それでも、ありがとう」

 テレサはつらそうな顔で言った。

 

 そんなテレサをマニは感情のない表情で見つめる。

 マニも、この宿屋を長く使っている常連の一人で、テレサの人柄に居心地の良さを感じて、たびたびトグラスを利用していた。

 

「………女将、いままで世話になった」

 

 獣人の女戦士は一言だけ礼を言うと、テレサから視線を外し、そのまま出口に向かって歩いていった。

 

 

~ ~ ~

 

 

「そのあと、テレサさんも亭主もどっかに連れていかれちまったよ。ひどいもんだ。これっぽっちの情けもありゃしない。

 そりゃ、テレサさんの亭主は酒浸りのバクチ狂いだったけどさ。あの金貸しの連中は、とんでもない利子をつけてやがるんだよ。はじめっからこれが狙いさっ。

 騎士団もあんな悪徳金貸しとつるんでいるような男を御用聞きなんかにしやがって、ロクでもないって点じゃ一緒だよっ」

 

 果物屋の奥さんは、実に悔しそうに吐き捨てた。

 アンコウもよく聞く話ではあるが、そこに出てくるのが世話になった知り合いだったために、それなりに胃が重くなる話だった。

 

 アンコウは話を聞くうちに心にのしかかってきた嫌な重みを振り払うかのように、空を見上げ大きく息を吐いた。

 

「ふうーっ。嫌な話だ………でも、どうしようもないな」

「ええ、どうしようもないよ……」

 

 アンコウはテレサに世話になったことはあるが、テレサは人さらいにあったわけではない。アコギとはいえ、借りた金を返さなかったがための結果だ。

 アンコウにも連れていかれたテレサを捜して、助けなければならないほどの恩義はない。

 

 そして果物屋の奥さんは、アンコウに話して少しは気が晴れたのか、首を振りながらそのまま店の奥に戻って行った。

 

 

(あぁ、嫌な話だったな。とっとと忘れよう)

 

 アンコウは果物屋から離れ、道の向こう側にある宿屋トグラスだった場所のほうをもう一度見た。

 すると宿屋の前に、先程アンコウと同じように、一人の女が立っているのが見えた。

 

(ん?)

 少し気になったアンコウが、そちらに近づいていく。

 

(あれ?あの娘………)

 

 トグラスの前に立っている娘は、まだ顔に幼さも残っていたが、金色の髪に白い肌、とても整った顔立ちをしている美しい人間族の娘だった。

 

(………驚いたな。めちゃくちゃキレイになってる)

 

そしてその娘は、アンコウが見知っている娘であった。

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