川のせせらぎを聞きながら、一心不乱にペンを走らせる。時折聞こえる鳥の声と合わさり、実にのどかな空間が作り上げられている。
先ほどまでの激しい時間はもう失われている。周りは倒れた木々があったり、抉り取られた地面が点々としたりしているが、今となっては最早どうでもいいことだ。
モチーフとなるものは、もう十分に観察し終えた。その体長は普通サイズより少し大きめといったところだろうか。長く生きた個体だったのかもしれない。それを釣り上げられたこと、そして討伐できたことを素直に喜びたい。
それはもう動かない。悠々と川やその先にある地底湖で泳いでいたのだろう魚竜はすでに息絶えた。
今は屍を晒し、まもなくギルドによって搬送されるだろうが、その前に自分がやるべきことをやり遂げる。
さらさらと紙の上を滑らせるペンは、この魚竜の姿を形作る。動かなくなったからこそ、実に描きやすい。その姿を十全に模写しつくす。ヒレ、鱗、そして足、その陰影をもペンは描きつくす。
その上で狩りの際に感じ取ったことを記録する。どこに刃がすっと通ったのか、どこが通りづらかったのか。釣り上げるためにどのようにしたのか。水中と陸上ではどのように動きが違うのかを、事細かく書き留めていく。
やがて自分が会得した経験を紙に書き終え、ファイルへと収めてぱたんと本を閉じる。それを見計らったかのように、遠くからからからと車輪が回る音が近づいてくる。あらかじめ発煙筒で知らせておいたギルドの竜車だ。自分たちを回収しに迎えに来てくれたのである。
竜車を引くアプトノスと呼ばれる草食竜の手綱を握るのは、猫のような獣人。ギルドで働くアイルーと呼ばれる存在だ。それが自分に気づくと、手を振ってきてくれる。実に可愛らしい存在。
それに対して軽く手を挙げて応えてやると、竜車から複数のアイルーが飛び出して、骸となっている魚竜へと近づいて行った。
魚竜を竜車へと移し、固定する作業は時間がかかったが、仕事としては問題なく終えることができた。街と街を繋ぐ輸送路にかかる川に水竜ガノトトスが確認され、ギルドが討伐依頼を発行したのが数日前。
それを受けてこうして討伐に成功し、悠々と街へと帰還する。道を往く竜車は二つ。ガノトトスを輸送する竜車と、自分を運んでくれる竜車だ。後ろにはしっかりと固定されたガノトトスの骸が晒されたままで、少々異様な光景に映る。
しかしこの光景はギルドのことを知る人からすれば、ある意味見慣れた光景といえる。
少し揺れる竜車の中で、余っている紙にまたペンを走らせる。暇があればこうして何かを描くのが自分のクセだった。
幾多の絵が、自分の生きてきた証といってもいい。
ただのペンだけではない。時には墨で、時には鉛そのもので、いくつもの絵を描いてきた。描くものによって絵の味わいが変わることを知ってからは、街で良さそうな道具を探してみたこともある。
そうして選んできた道具の中から、絞り込んだものの一つが今使っているこの水晶のペン。これは墨をよく吸い、長く使い続けられるものだ。新しく墨を補充する手間を大きく減らしてくれるため、時間ができた時に夢中になって描き続けられる。
本気になって描く際には鉛を差し込んで使う骨ペンだ。表面は手触りよく、中を空洞にした竜骨に、鉛を差し込んで使用するペンであり、露出した鉛の部分を使って物を書く。鉛がなくなれば、新しく空洞へと差し込めばいいので、竜骨が使い物にならない限りは使い続けられる。
また力加減を変えれば、濃さを変えられるというのも味わい深い。それによって濃淡で絵の雰囲気が変わり、いい感じの絵が描けるのが良い。
そうして街に行くまでの間、ペンを走らせ続けようと考えていたところに、アイルーの一匹が話しかけてきた。
「旦那さん、そうして絵を描き続けるのが趣味なのかにゃ?」
「…………ん? ああ、自分のことかい? そうだよ」
「変わったハンターさんだにゃ。そうして絵を描くなんて、ギルドの調査員みたいだにゃ」
「ははは、そうだね。そういう役割も多少は任されているさ」
と、懐に手を入れ、そのアイルーへと見せてやる。
そこにはハンターズギルドが発行したギルドカードだが、その一角にギルドが認めた印が刻まれている。その印はギルドが認めた特別なハンターであることの証であり、それを確認したアイルーが目を丸くする。
「にゃにゃ!? 本当にそうだったのかにゃ!?」
「とはいえそう大きな肩書ではないさ。未開の地へと赴いて率先して調査をする、そのような資格は自分にはない。既知の領域で、未確認の事象がないか、そういったものを確認する程度のものだよ」
肩を竦めつつ、ギルドカードを戻す。しかしそれでも、ギルドが認めた調査員という肩書のせいか、どうにもアイルーの目が輝いているように見えなくもない。
ぴょこぴょこと耳を動かし、手を合わせてこすり上げる様は、妙に愛くるしく感じられる。
そんなアイルーが、ふと思い出したように手を叩いた。
「なら、旦那さんはこの話を知っているかにゃ? 消えない炎の話にゃ」
「消えない炎?」
「100年以上も燃え続けている炎にゃ。えっと、あっちの方角の山の麓に、そんな炎を祀っている村があるという話にゃ」
「…………ああ、どこかで聞いたような、そうでないような」
火を祀る村というのはたびたびある話だ。火山に近い村や、鍛冶を営む集落など、火と密接に関わる所では、火を神聖なものとして祀っているのは珍しいことではない。
火山ならば火の神そのものを祀り上げ、その神からもたらされた火を聖火として祀っていることもある。大抵その火の神というものは、火山に暮らしている強大な竜というのが話のオチだ。
しかし自分としてもわからなくもない。この雄大な自然の中で暮らす一人の人として、強大なものを前にすれば、祈りの心が芽生えたり、祀ったりする気持ちは理解できる。
数多の命か息づく世界だ。人であろうと竜であろうと、同じ一つの命として、密接に関わり合って生きている。火を祀るのも、そうした一つの人と竜の関わりの一事象でしかない。
だからこそ、その消えない炎の話も、自分にとっては少しばかり興味を覚える話題だった。
「あっちの方でいいのかい?」
「にゃ、ボクは詳しい位置はわからないけれど、あっちの方にも別の村があるはずだから、そこでまた話を聞いてみるといいにゃ」
「そう。では、今度行ってみるとしよう」
街へと着いた後は、ガノトトスをギルドへと渡した後、報酬と素材を受け取って工房へと向かった。そこでガノトトスの素材を基にした武器として、水剣ガノトトスを完成させる。
水竜ガノトトスのヒレを加工し、特殊な薬品を用いて完成させた大剣の一つであり、ガノトトスが持ちうる水の力を大いに発揮してくれる一品だ。とはいえ見た目はまさにガノトトスのヒレという雰囲気が前面にドンと出ているため、これを良しとするか否とするかは人の好みに分かれるかもしれない。
自分的にはそういったことはどうでもよく、使えるものならそれでいいというスタンスなので、出来上がったそれを受け取り、自分に与えられた部屋へと向かった。
水剣ガノトトスをはじめ、必要なものをチェストへと入れると、運送業者に連絡を付けて搬送手続きを進める。
しばらく世話になったこの街ともお別れだ。借り受けた竜車に自分の持ち物全てを乗せ終えると、アイルーに教えてもらった方を、地図で改めて確認する。
この辺りの地理に詳しい人の話からすると、目的地付近には良質な木材や鉱石がたくさん採れる山が広がっており、それを産業にしている村があるとのことだ。火を祀っているのはその村なのだろうか。
そんなことを考えつつ、竜車でそちらへと向かっていくことにした。
移動は数週間もかかるものとなった。複数の竜車を乗り継ぎながら途中にあった村々で改めて話を聞くと、確かに消えない炎を祀るという話は存在していた。村人の何人かも、その火を目の当たりにしたことがあるようで、心奪われるとはこのことかといわんばかりの、どこか恍惚としたような目をしている人もいた。
つまり、長年消えないだけではなく、見る人の心にまで影響を与えるような、そんな火があるのだろう。
そう考えると、より期待が持てる。久しぶりにわくわくとしたような気持ちが、自分の中で広がっている。
どんな火なのだろう。多くの人を惹きつけるような神聖な火。熱さはどれくらいなのだろうか、誰がもたらした火なのだろうか。消えないというのは、雨に打たれても消えないという話なのだろうか。
想像するだけでも、色々なことが湧き上がってくる。
そうした興奮を感じながら旅を続けて、そしてたどり着いた。
山を越え、坂を下った先、周りを山々で囲まれたところに、その村はあった。
驚くことに、村へともう少しでつく頃になる道中の間、旅人を襲うようなモンスターは一匹も現れなかった。ガノトトスを討伐した後で出発した道中であれば、そのようなことはない。
竜車を守るために、自分が出てモンスターを撃退することは何度もあったというのに、この山に入ってからはそれはなかった。
道を阻むものがいない、安全な旅を山の中で体験するなど滅多にあることではない。こんな道、ランポスやイーオスといった小型のモンスターが現れてもいいものだというのに、それが一匹も現れなかったのはどうしたことだろうか。
その答えは、恐らくあれにあるのだろう。
村に入り、村が用意してくれた手押し車に、竜車から荷物を移して宿へと移動する。この手押し車も触ってみてわかる。いい木材を加工して作られたものだ。それだけ、この近辺にある木々が素材として素晴らしいものを持っていることの表れだった。
宿の手続きを終えると、用意してくれた部屋へ手押し車から荷物を運び込む。手荷物は最低限のものとし、村の中央へと設けられていたそれへと近づいていく。
それはまさに、聖火といっても良いものだった。
近づくだけでわかる、雄大な存在を感じさせる圧力と共に、火の熱さが体へと届く。
100年消えなかったと頷けるような、生きた火の熱さだ。それが鉱石を加工して作られた盃の上で燃えている。周りには神殿を思わせるような柱が四方にあり、その中心に聖火がある。柱の上には屋根が設けられており、それが雨を防いでいるのだろう。
ただし柱と柱の間は開けており、壁がない。これでは風が入り込みそうなものだが、恐らくそれでは消えなかったと推測される。また開けているからこそ、夜になっても火がもたらす灯りが、村へと届けられる。夜の闇の中にあって、聖火が健在であることを知らしめられるのだろう。
呆然としていた。
言葉を失うとはこのことなのだろうか。
自分は、その火に見惚れていた。途中に立ち寄った村で、これを見た人が恍惚とした表情をしたことに対して、少しばかり鼻で笑ったことを後悔したい。
想像以上にその火が、力強く燃え上がっていることに呑み込まれていた。
自分は生まれてこの方、何かを美しいと感じたことはない。
だから「見惚れるような美しさ」という言葉の意味を体感したことはない。自然然り、異性然り、自分にとって美しいという言葉は、理解の外にあるものだ。
だからこそ、美しいものとは何だろうかと、逆に問いかけるように絵に残す。
様々なものを描いてきた。
どこまでも広がる草原、人の立ち入りを拒むかのような山々。
人の道を断つかのような海原、自然の脈動を感じさせるような火山。
時には山に登り、見下ろした世界と空をも描いてきた。
気づけば、50年は生きただろう。
人間でいえば老いを感じる時期だろうが、自分にとってそれはない。長く生きる種族であるが故に、50年という人生は、まだ道の半ばといってもいい。
人間なら十分に生きた年月を重ねてもなお、美しさとは何かという問いに答えを出せていない。
聖火は、圧倒される何かがある。こうして言葉を失っているのはそれによるものだ。
100年もの間消えず、燃え続けることによる火の美しさに、心を奪われたからではない。
少しずつ頭が落ち着き、体もまた落ち着きを取り戻していき、一度目を閉じて、改めて聖火を見上げる。
これだけの大きな火だ。火を収める盃の大きさは、縦が人一人の大きさで、横は人が二人と少しの大きさといったところか。高さはそれほどではない。手を伸ばせば盃の中へと普通に手が入りそうだが、そんなことをすれば、焼け死ぬだろう。
それに近づけたとして、燃え盛る炎の熱に煽られてしまい、間近に行くことすらできない。
こんな炎をどうやって盃に収められたのだろう。制作過程が気になるところだ。
少し落ち着いてくると、周りの様子も見えてくる。祭壇の周囲にはたくさんの人が集まっている。よそから来た人も自分と同じように呆然としたように聖火を見つめ、言葉を失っているようだった。
彼らもまたあの聖火が発するものを感じ取っているのだろう。
そして村人も何人か混ざっており、聖火へと祈りを捧げるように手を合わせて頭を下げている。
「今日の良き日に感謝を」
「今日も平穏に過ごせることを感謝します」
まるでそれは神に対する祈り。ここで生まれ育った彼らにとって、聖火は村の象徴。その上、危険なモンスターを寄せ付けないのだから、聖火を神に置き換えて崇め、祈りを捧げるのもおかしくはない。
村人たちの真摯な祈りを受けて燃え盛る聖火。それを笑うような空気はどこにもない。心をざわつかせ、圧倒されるような炎を見てしまえば、ただの炎に祈るおかしな村人だなんて思えるはずがなかった。
描かなければと、不意に思った。近くにあったベンチへと座り、いつものように紙を取り出してペンを走らせる。今回は骨ペンにすることにしよう。じっくりと、あの炎を描き留めておきたい気分だった。
改めて観察するとわかる。
自然に発生するようなものではない。竜か、あるいは龍による炎に違いない。
火竜という代表的な飛竜がいるが、果たして火竜にあれだけの威容を発するだけの炎を生み出せるだろうか?
それは否だろう。長い時を生きた火竜でも、亜種でも100年も燃え続けるような炎は撃ち出せない。
いや、もしかすると人の手を加えれば燃え続けることはできるかもしれない。燃料となるものを盃へと投げ込めば、数年は燃え続ける可能性はゼロではないかもしれない。
でもあの炎が発する気配のようなもの、あるいは力のようなものはなんだろう? 上手く言葉にはできないけれど、普通ではない何かを感じられるのだ。
このような気持ちにさせる炎を、火竜が発せられるのかと考えれば、首を傾げたくなる。
ならば龍によるものか。
人知を超えた存在とされる古龍ならば、あれだけの炎は生み出せるかもしれないと思わせる。とはいえ発見例は少なく、相対した記録もまた少ない。それ故に研究もろくに進んでいない現在において、古龍についての記述は数えるほどしかない。
だからこそあの聖火と祀られる炎は興味深い。ペンもいつもより滑りが良くなり、悠々と燃える様をしっかりと記録したくなる。
そんな自分の元へ近づいてくる人影が一つ。
「ほう、我らが聖火をこのように……。ここで竜人族をお見掛けするのは珍しいと思っておりましたが、絵描きの旅人ですか?」
「ええ、そのようなものです。あの炎、100年消えていないと伺ったのですが、本当ですか?」
「信じられないかもしれませんが、本当です。この村が拓かれる以前より、この地で燃えていた不思議な炎、それがあの聖火なのです」
そう語るのはこの村に住まう老人だった。人間の老人だから、恐らく実際にその場に立ち会ったわけではないだろう。事実、語る内容からして、彼もまた親世代から伝聞で耳にした話なのだと察せられる。
「この地に辿り着いた人々は、何もないこの場所で燃える火を不思議に思ったことでしょう。もう一つ不思議だったのは、ここに至るまで肉食のモンスターと出会わなかったことです。理由はわからないけれど、この不思議な炎があれば、自分たちはここで安全に暮らせるかもしれない。そう思い、ここに拠点を築くことに決めたのが、このムスビ村の始まりでした」
はじめは小さなキャンプ。それから人が住む家を建て、少しずつ人が集まり、集落から村へと変化していく。そうしてムスビ村は、少しずつ規模を拡張していったようだ。
その変化の中でも、周囲一帯には人の暮らしを脅かす危険な存在は確認されることはなく、人々はこの火が危険な存在を遠ざけているのではないかと考えるようになったらしい。
また、流れる月日の中で雨が降ることもあったのだが、それでも火は消えなかった。
そう語る内容に、自分は耳を疑った。
「雨の中でも消えなかったと?」
「そう聞いています。私が生まれた時にはもうすでにあのような祭壇はできていましたが、強い風に吹かれようとも、勢いは大きく失われることはありません。まさに、消えない炎なのですよ」
あり得ない。
あり得ないと思えるのに、何故だろうか。あの炎を見ていると、もしかしたらと考えてしまうのは。
それにあのように盃に収められたのは、やはり人の手によるものだったようだが、
「どのようにしてあのような形に収まったのです? 最初からああだったわけではないのでしょう?」
「それはそれは苦労をしたそうですよ。しっかりとした形で祀ろうとは決めたものの、下手をすれば消してしまいそうになりますし、近づくだけで焼けそうになったらしいですからね。そのため、まずは少し離れたところから掘り進め、土もろとも盃へと移したのだとか」
盃もこの周囲や、少し先にある火山地帯で採れた耐火性に優れた石材、鉱石を用いて制作されるだけでなく、移動させる作業員の装備から器具まで、全て耐火性を高めたものを用いて祭壇を作り上げたようだ。とはいえその過程は簡単なものではなく、村周辺の開拓、人材の確保なども加味して、このような立派な祭壇が完成したのは、村が拓かれて十年以上もかかったとされている。
でもそうして時間をかけて作り上げただけあり、神秘的な聖火の祭壇は村のシンボルとなっている。時間をかけて作り上げた成果は確かにここにある。自分をはじめとして、人を惹きつける存在として。
「今でこそ村も大きくなりましたが、最初は苦労の連続だったようです。この一帯は未開の地でしたからね……危険なモンスターが遠ざけられていたとはいえ、全く危険がなかったわけではありません。詳細な地図を作るための探索一つとっても、危ない行為であることには違いありませんからね。それに、どこまでが聖火の効力が及んでいるのか、それも不明でしたから」
「……ええ、容易に想像できます。この村を開いた第一世代と呼べる人々は、とても勇敢な方たちだったのでしょう」
「はい。だからこそ私たちは、彼らを誇りに思います。ムスビ村を拓き、大きくしてくれた彼らを。そして、そんな彼らを見守り続けてくださった聖火を。ああして、聖火へと祈りを捧げるのは、私たちが積み重ねてきたものへの感謝の表れでもあります。そして子々孫々に至るまで、語り継ぐべきものなのです」
そして彼は、改めて自分が描いた絵を見下ろす。その目にもまた、彼の感謝の気持ちが表れていた。自分の手を取り、祈りを捧ぐように小さく頭を下げてくる。
「こうして絵に残してくれることもまた、私は感謝いたします。我らが聖火を、口伝だけではなく、絵としても残されるのは、この上なき喜びであります。もしよろしければ、もう一枚、描いていただけないでしょうか。そしてそれを買い取らせてください。聖火を伝える絵画として、村に残しておきたいのです」
「自分の絵でよろしいのでしょうか?」
「もちろんです。こうして見ているだけでも、あなたの絵の素晴らしさがわかります。ぜひとも、大きな一枚を描いていただければと。それに見合った報酬をお約束いたします」
依頼や報酬の話をするなんて、と少し驚いたが、もしかしてと問いかけてみると、彼はこのムスビ村の村長の家族のようだった。絵は村長宅や、宿屋といった人が訪れる場所に飾ることを想定しているらしい。
そうした大々的な絵となれば、筆を使ってしっかりと絵を描くことにしよう。構図もどのようにするかも決めていかなければ。ちょっとした観光気分で訪れたが、こんなことになるなんて。
「もちろん、必要なものがあればこちらからも用意いたしましょう。宿をご用意するのはもちろん、絵に必要なものも取り寄せましょう。色に使う塗料など、足りなくなれば仰ってください」
「ご厚意、ありがとうございます。ですが、自分は塗料は使いません。墨、あるいは鉛のみで描くことを主義としていますので」
これはたまに言われることだ。
墨などの濃淡のみで描くのが自分のやり方だが、世界では塗料を用いて様々な色を付けて、より絵に彩りをもたらす。そうすることで、より自分の見た世界を絵という形に落とし込むのだとか。
でも自分にはそれはできない。そのような技術はないし、美しいと感じたことのないそれを、そのまま絵に落とすこともできない。だから墨や鉛の濃淡のみで、自分が見ている世界を絵に表現することしかできない。
だがせっかくの厚意を無碍にするのも忍びない。そのため使っている墨を取り寄せることができるかどうか、訪ねてみると、ありがたいことに販売ルートは繋がっているようだった。手持ちの墨だけでは少し心もとないかもしれないため、墨を取り寄せることを頼むことにした。
村長にも話が通り、正式に聖火の絵を描き上げることを依頼として受理した。村の宿の費用についてサービスしてもらい、しばらくここに滞在して聖火の絵を描き上げることにした。
自分の記録のために描き上げた聖火はそれほど悪いものではない。鉛で描いたこれは、聖火と祭壇、そして集まった人など、ありのままを絵に落としている。
だが依頼されたものは筆で描くことにし、構図をどのようにするか。聖火だけを取るか、祭壇も含めるか。背景も入れていくかなど、いくつかの候補があるだろう。
人は、入れないでおこう。聖火そのものをメインにすることで、すっと聖火の迫力を与えられるようにするといいかもしれない。
こんな風に人から依頼されて絵を描くのはどれくらいぶりだろう。いつも自分のために、あるいは気分が乗ったら描くだけのものだった。モンスターを模写し、様々なことを記録することもあるが、これはギルドの仕事としてこなすことだ。一般人に依頼されて描くこととはわけが違う。
正式な図鑑の記録にも加えられるかもしれないものとなるため、しっかりと描き上げ、そして情報を記載しなければならないという重みもある。調査員としてのランクは普通だが、自分もまたギルドに所属している一員。それなりの責任というものがあるのだ。
しかし今回は、村にしっかりと残される絵の依頼。多くの人の目に留まるかもしれないものとなれば、これもまた責任が重くなる。加えてあの人から話も聞かされている。下手なものは描けない。
責任の所在は違うが、その重みはほぼ同等といってもいいだろう。しっかりとしたものに仕上げなければならない、そんな気持ちになるのだった。