怒れる古龍は、完全に自分を敵とみなした。
大きく息を吸って怒りの咆哮を上げようとする奴に向けて、先手を取ってポーチから取り出したそれを投げる。一間おいて、それから強い光が発せられる。
怒りによって自分を睨んでいた奴にとって、突発的に発生したそれに対して身を守る術はない。光によって潰された左目で、自分の姿は捉えられない。
その時間の中で、自分は逃げの手を取る。火の手は先ほどよりもまた広がっており、手押し車の無事が心配だったが、何とか火の手に巻かれずに健在だった。
その取っ手を握り締めて、炎の古龍に回り込むような道を手押し車と共に進む。その中で、一直線になっているところに目星をつけて止まり、手押し車から大タルを降ろし、それぞれに爆薬を仕込んで大タル爆弾へと変えていく。
しかしそれらをただ道の真ん中に置いたところで意味はない。だから大タル爆弾をまた手押し車へと戻してやり、建物の陰に隠した。戻す際に刺激を与えないように気を配る必要があったが、そのような下手を打つようなことはしない。ここでそんなヘマをして死ぬようなことがあれば、浮かばれないものだ。
辺りを確認し、炎の古龍の元へと駆け付けてみれば、自分を見失って辺りを見回している姿が確認できた。ポーチから一つの薬を取り出して中身を飲み干せば、体の内側から気力がわいてくる。
それを数回繰り返して、この身を一時的にいつも以上の力を引き出せるようにした。
飲んだ薬は三種類、鬼人薬グレード、硬化薬グレード、強走薬グレード。
それぞれが別の効果で飲んだ人の力を引き出すものだ。
鬼人薬がいつも以上に武器へと力を込められるようにするもの、硬化薬が体を一定時間強靭なものにして痛みを軽減させるもの、そして強走薬が息を切らせずに長い時間走り続けられるようにするものだ。
グレードと銘打つように、通常のものよりも更に高い効果をもたらしてくれるものだが、人に対してこのような強化を施すのだから、効果が切れた後は色んな意味で少し頭が痛くなる。
だがそうしなければ、怒れる古龍を相手に上手く戦える自信がないのも事実。
やるか、と意を決してまた坂の上から水剣ガノトトス抜いて飛び掛かる。側面から切り裂く一撃は、炎の古龍の意識を引きつけるには十分なものだった。
振り返りざまにまた手を振り下ろしてくるそれを回避し、走り出す。また逃げる自分を追うように
背後で爆発するそれを感じながら、坂を駆けあがっていく。肩越しに振り返れば、しっかり追いかけてくる古龍の姿が見える。
しかしそれだけではなかった。気のせいか、古龍の体の中に何か光が見えるような気がした。それは少し前に出会ったあの女を思い出させるような光だった。
ぼやけていた、いや正しくは体が透けていたため、しっかりと体の中で揺らめく光が見えていた女の時とは違い、炎の古龍の中に見える気がする光は、古龍の実体があるが故に見えにくい。しかし光があるのではないかと思えるくらいに、濃淡の違いがある。
体を覆う甲殻の濃い色の奥に、淡い色合いが揺れている。その淡さと、濃さを混ぜ合わせた何かが、女の中に見えた光と似通っているのだ。あれはいったい何だろうかと疑問に思う間もなく、炎の古龍の巨体が迫りくる。
そんな奴へと、またしてもポーチから取り出したものを後ろ手に投げつけてやる。弾けたそれはまた強い光を放つのではなく、煙幕を放出した。たちまち広がる煙が古龍と自分の間を覆いつくし、そこに突入した炎の古龍は、数秒自分の姿を見失う。
その時間の中で建物の隙間へと入り込み、裏から手押し車を隠したところへと逃げ込んだ。
炎の古龍は広がり、留まった煙幕の中で自分を探すように暴れる。その際にいくつかの
手押し車を押して一本道へと出ると、煙幕の中で暴れる姿が確認できる。そして先ほど見えたような光もまた、今度は確認できた。
あれが何なのかはわからない。しかしあれが目印になっていることだけはわかる。
手押し車に積んだ大タル爆弾二つ。その重みを感じながら手押し車を押していき、坂を下る勢いに任せて突き放した。
カラカラと回る車輪の音に気付き、炎の古龍がこちら側を向いたような気がした。煙幕の中から突っ切るように走り出す炎の古龍だが、それはつまり、坂を下りてくる手押し車と正面衝突することを意味する。
何が起きたのか理解できないまま、自分の眼前に迫ったそれと衝突し、大タル爆弾による強い爆発を至近距離で受けて、炎の古龍はまたしても悲鳴を上げる。
そんな奴へと向かって自分はすでに走っていた。いくら強力な古龍といえども、飛竜相手に大きなダメージを与える大タル爆弾を受けて、全く効かないということはあるまい。
怯んだところを追撃すれば、よりこちらが押していることを示せる。
あわよくばそのままこの場から立ち去ってもらいたいところだが、そこまではいかないかもしれない。
しかしこの優位性を失うわけにはいかない。運よくこちらのペースを握ったまま戦いを進めているが、これがいつひっくり返るかもわからない。そうなる前に、やれることを積み重ねなければならない。
爆風に煽られて首を振る炎の古龍は、首を振ったまま息を吐く。それに従って小さいながらも、炎が噴き出して自分の進軍を止めてきた。
咄嗟に足を止め、滑りながら横へと逃げることで、坂を下る勢いを強引に殺した。あのままなら、自分から炎に飛び込むことになっただろう。
だが炎の古龍の手は止まらない。こちらに振り返りながら二足で立ち上がり、広げた翼を力強く羽ばたかせたのだ。それによって生まれる強い風が、転がった自分に立ち上がる隙を与えない。
地面にしがみつき、勢いよく飛ばされないように耐えることしかできない。歯噛みしながら堪えていると、羽ばたきに従ってあの粉が舞っていることに気づいた。
それらは何か所かに分かれて集まり、宙へ、あるいは地面へと固まっていく。
そして羽ばたきを終えた炎の古龍が四足へと戻りながら、大きく口を開けていく。
嫌な予感がした。命の危機が迫っている時に感じられるような、死の気配というのだろうか。それが今まで以上に体へと這い回る。
咄嗟にその場から反転して逃げた時、背後で力強く何かが打ち合わされる音が響き、
刹那、世界がぐるりと回転し、背後から強い爆風が襲い掛かってきた。
まるで爆発とはこういうことを言うのだと、炎の古龍が言外に自分へと告げているかのような、大タル爆弾とは比にならない爆発だった。
耳がつんざき、最初に聞こえた気がした爆発音を最後に、音が失われたような気がする。その中で、体は長く宙へと舞い上がり、何度も何度も世界が回転しながら坂、建物を超えて近くにあった林の中を抜けていく。
爆発によって舞い上がった土煙と、破壊された建物の瓦礫と共に、無造作に吹き飛ばされてしまう。人の体であるはずの自分は、他のものらと何ら変わりなく、爆風によって乱れ飛ぶモノでしかない。最後に木へと叩きつけられて、息が詰まり、地面に滑り落ちた時、自分は何があったのかを理解しようとした。
しかしぐわんぐわんと頭が痛み、立ち上がろうとしても体に力が入らず、地べたにうつぶせになって震えるしかない。音も失われたままで、遠くにいるはずの炎の古龍の行動の予兆を捉えられない。
それでも、動かなければならない。炎の古龍が林の入り口から更に動いてくれば、自分の死が大きく迫ってくるだろう。
震える腕で体を起き上がらせ、荒い息をつきながらも、木に手をついて、何とか立ち上がることができた。しかし足にも力が入らず、木にもたれかかるようにしながら、呼吸を落ち着かせようとするのだが、爆発によって大きく吹き飛ばされ、木に叩きつけられた痛みはそう簡単に消えてくれない。
遠くを見やる。炎の古龍の眼前では、爆発によっていくつかの木が吹き飛び、いくつかの木は燃え上がっている。
一歩、また一歩と前へと進んだ炎の古龍は、大きく体を捻って尻尾を木へと叩きつけた。
強固な鞭によってへし折られた木は、軋むような音を響かせながら倒れていく。その倒木によって別の木が巻き込まれ、一本、また一本と木が倒れていく。
しかし今の自分にとって、その倒れる音はあまり聞こえない。ただ見えた光景で判断するだけ。次々とこちらに向かって倒れていく木によって、林の中で少しずつ開けた空間が広げられていく。
今の状態で奴と対峙するわけにはいかない。林を抜けてどこかへと身を隠さなければならない。
体中の痛みは持続しているが、硬化薬グレードのおかげで、ある程度はダメージを抑えることができただろう。ふらつきながらも、何とか炎の古龍から離れていく。
背後では炎の古龍が次々と木々を薙ぎ倒し、倒れたそばから炎を吐いて、焼き払っていた。
火の手はどんどん広がっていき、入ってきた林の周りは完全に炎に包まれてしまっている。子供たちにとっての憩いの場である広場も、広がる火の手に囲まれてしまった。その中を悠々と抜け、平穏の象徴である場を踏み荒らし、林の中へと入っていく炎の古龍。
辺りを見回して自分を探しているようだった。それに見つからないように足早に立ち去り、逃げ込んだのはあの女と話した倉庫の陰。積み上げられている木箱の一つに座り込み、回復薬グレードを飲んで息をつく。
少しずつ気分が落ち着いていき、耳の不調も緩やかに治っていく中で、何が起きたのかを思い返すことにする。
あの爆発の原因は何か。恐らくは奴が放った粉の影響ではないだろうか。
最初に粉を撒き散らした時も、しばらくは何も起きることはなかったが、
火が薙ぎ払われた際にも、所々で爆発していたようだったが、それは撒かれた粉に反応することで発生した現象だと考えられる。
そして先ほどのことも、前に撒かれた粉に対し、奴が何かをしたから一斉に爆発を起こしたと考えられる。
爆発の前に聞こえたのは音だ。まるで硬いものが打ち合わされたような音だった。
例えるならば大きな火打石。二つの硬いものがぶつかり合い、火花を散らしたことで、粉に着火し、爆発したようなものではないだろうか。
硬いものの正体は、恐らく奴の大きく生えた牙。口内に収まりきらない程に発達した犬歯を打ち合わせることで、撒いた粉へと着火し、爆発を引き起こす。それがあの炎の古龍が行使する力の一つだろう。
炎と粉による爆発。この二つの大きな技を用いることで、炎の古龍にとっての敵を屠る。ただでさえ大きく、強靭な肉体を持っているのに、これらの力も合わせれば、向かうところ敵なしといったところか。
冗談ではない。あんな生物を相手に一人で勝とうなんて無理な話だ。
今なら、今なら逃げられるかもしれない。
奴は今、自分を見失っている状態だ。痛みも治まってきたし、無理して走れば、この村から脱出して、逃げ切ることができるだろう。
古龍を相手に一人でやりきるなんて、自分にはできない。生き延びるためには、逃げることもまた十分に選択肢として有効なのだ。
古龍から背を向ける、その行為にどこに恥じる要因があるというのか。
生きてさえいれば、この先色んなことがまだできる。無謀な戦いをして命をいたずらに捨てるようなことこそ、恥じるべき行為。
自分はまだやりたいことが色々あるんだ。知りたいこともたくさんある。
まだ見ぬ世界、まだ見ぬ新種のモンスター。
それらを見て、それらを知り、そしてそれらを絵に描き残す。
それが自分の人生なのだ。
(――それに、自分は知らなきゃいけない。美しいものが何であるかを)
この目だからこそ知ることができる美しいもの。
それを見るまでは、死ぬことなんてできやしない。
(そう、自分は止まらない。運が悪ければ死ぬような人生だとしても、かまいやしない。ハンターはそういうもの。ハンターになると決めた時から、そういう覚悟はできている)
ぐっと拳を握り締める。いずれ本当に道半ばで死ぬとしても、それが精いっぱい生きて、駆け抜けてきた人生だと受け入れるだけ。でも、覚悟を決めているからといって、無抵抗で死ぬような真似はしない。
最期まで自分は夢を諦めることはない。いつか辿り着く夢の果てに至るまで、無様であろうとも意地汚くても、生きるために足掻き続けてやる。
例え敵が強大な古龍でも、生き延びるためならなんだってしてやる。
逃げ延びてやる。
そう決めれば、行動は迅速に。座って呼吸を落ち着かせたことで、何とかさっきよりも動けるようになった。
村の入り口に向かって、早歩きで移動する。極力足音は立てないようにする。全速で走れば、どうしたって音が出る。身を屈め、足音を立てずに移動するために、早歩きの状態をキープした。
村の入り口方面は、まだ火の手が広がりつつある。祭壇を中心とした周辺一帯は完全に火に沈み、倒壊した建物が隣の建物へと火を広げていっている。景観をよくするために植えたか、元から生えていたのか、点々とある木々もまた、巻き込まれて燃え上がっている。
その中を移動していくのだが、どういうわけか、祭壇の近くにあの古龍が戻ってきていた。
いったい何故そこにいるのか。
自分を見失ったことで、何があの古龍を祭壇に引き寄せたのか。
奴は喰った聖火が収められていた盃を見下ろしている。鼻を鳴らし、何かを求めるかのように、何度か盃を鼻先で転がしていた。
その行動に何の意味があるのだろうか?
逃げなければいけないのに、何故か自分は奴の行動の意味を考えてしまっていた。
あの女曰く、聖火はかつてこの地を訪れていた古龍の火だという。もう一種の古龍を討ち倒した火であり、その屍の上で長い間燃え続けた火を、人が聖火と崇めたもの。
となれば、あの炎の古龍は、かつての火の主と何らかの縁があるのだろうか。聖火には古龍の力が残されていたが故に、あの炎の古龍をも惹きつけてしまったと考えられないだろうか。
そう考えると、長い時を超えて、別の古龍を呼び寄せる程に強い古龍が、この地で戦いに勝利したということになる。いや、古龍という強力な生物であれば、長い時間を生きることはそう珍しいことではないだろう。
もしかすると縁があるとかそういう話ではなく、聖火をもたらした炎の古龍が、再びこの地に戻ってきたとも考えられないだろうか。
そうなるとムスビ村を守り続けていた奴の火と、その火をもたらした古龍そのものが、村を滅ぼしに現れたということになってしまう。
人からすれば無情なことだと嘆くような話だろうが、奴からすればどうでもいい話だろう。自分が残した火が村を守っていたといわれても、知ったことではないはずだ。
自分の強い力が結果的に周りにモンスターを寄せ付けない効果を発揮していただけであり、100年の時を経て戻ってきてみれば人の集落ができていて、自分が残した火があったからそれを回収しに降りてきただけなのかもしれない。
そういう話があり得てしまうのが、古龍という存在だ。時間などの規模を小さくすれば飛竜でもできそうな話ではある。それくらい、この世界においては、それほど珍しいものでもない、ちょっとした小噺といえる。
(さて、逃げ切れるか?)
いい加減、話を戻そう。
古龍の観察はこれくらいにして、今は逃げることが先決だ。ここから入口までは一本道。真っすぐではなく、少し曲がった大通りを走り抜け、山へと飛び込めばもしかすると逃げ切れるかもしれないという状況。
最初に逃げ遅れた村人の姿はない。逃げ切れたのか、それとも戦いの中で燃え上がる建物に潰されたのかはわからない。
古龍との戦いだ。始まってしまえば、もう周りのことは気にする余裕など、自分にはなくなってしまっていた。
無事に逃げ切れたことだけは信じたい。
音を立てずに静かにその場から離れようとしたとき、近くで燃えていた建物が崩れ落ち、音を響かせる。自分が何かしたわけではなく、燃えた木材が脆くなり、自然と崩れただけだ。
だがそのガタガタとした音は、炎の古龍の気を引くには十分な音だ。こちらを振り返った炎の古龍は、目を細めて唸り声をあげる。
まずいと思って走り出したがもう遅い。奴もまた数歩走ったかと思うと、跳躍して村の入り口の方へと回り込み、大きく身を捻って尻尾で薙ぎ払ってくる。
あれだけ離れていた距離を瞬時に詰めてくるだけではなく、攻撃へと転じてくる速さ。それに対して自分は逃げるだけでなく、躱すことすらできなかった。それでも反射的に水剣ガノトトスを抜いて盾にするだけのことはできた。
だが軽く木を薙ぎ倒せるだけのパワーがある一撃だ。水剣ガノトトスを盾にしたところで、その威力を完全に殺せるはずがない。地面で踏ん張り切れることはできず、尻尾で弾かれるままに、自分の体は大きく吹き飛ばされるしかなかった。
受け身も取れず、背中から地面を滑り、気づけば祭壇へと戻されてしまった。痛みを堪えながらもすぐに起き上がり、咄嗟に倒れている盃の後ろへと隠れた。炎の古龍は飛ばされた自分へと追撃するように、何度か
自分の方へと来た
(どうする? どうやって逃げる? 入口への道を抑えられた。裏から回ろうにも、もう火が裏口すら塞いでいる)
最初はまだそこまで火の手が回っていなかったため、裏口を回って宿の方へと移動したりすることができたが、今はもうその手は使えない。
隠れている自分が、どう逃げるのかを見逃さないように、炎の古龍はゆっくりと祭壇へと近づいてくる。
燃えている火によって少し見づらいが、あの嫌な気配が近づいてくるのはわかった。舌打ちして盃から離れ、近くにある柱の一本へと飛び込み、隠れる。
その逃げを見逃さない炎の古龍は、ゆっくりしていた歩みを、一気に加速させて突撃してくる。その先に自分が隠れている柱があるのにも構わず、その立派な角を活かして柱へと体当たりを仕掛けてきた。
止まらないことを察し、柱から離れて逃げる。強い衝撃音を響かせて柱へと角と額がめり込み、柱の一部分が砕かれる。少しぐらついたようだが、倒れる様子はなく、炎の古龍は柱から顔を離し、ゆらりとこちらを見てくる。
唇を噛み、水剣ガノトトスを抜いて炎の古龍の足へと斬りかかるが、気持ちで圧されている自分では、そんな一撃がまともに通用するはずがない。水剣ガノトトスの刃は、炎の古龍が軽く体をこちらへとぶつけるように動いたことで弾かれてしまい、自分は大きく隙を晒した。
まずいと思う間もなく、横から強く殴られるように、尻尾が薙ぎ払われた。まるで自分は球のように宙を飛び、水剣ガノトトスもまた手から離れ、それぞれ別の方へと飛ばされた。
一度目は水剣ガノトトスで止められたが、二度目は直に尻尾で殴られた。レウスシリーズの守りがあるとはいえ、木を倒せるパワーを持つ古龍の尻尾の直撃だ。衝撃が腹へと伝えられ、嫌な音が響いた気がした。
呼吸が一瞬止まり、無様に地面に体が投げ出される。
もうだめだ、自分は死ぬ。
否応なくそんな終わりの言葉が頭を埋め尽くした。
震える手で地面を握り締め、顔を少し上げれば、遠くで炎の古龍が自分を見つめているのが見えた。
先ほどまであった怒りの感情は、奴の左目にはもうない。奴の中にあるのは、哀れみ、見下すような感情。
人という弱い存在が少しは抵抗してきたようだが、所詮はここまでなのだという強者から見下ろす目だった。
そして相変わらず、奴の体からは妙な光がある。まるで祭壇に祀られていた聖火のように濃淡が揺らめき、一定の間隔で明滅しているようだ。
あれは、炎なのだろうか?
体の中に存在している炎。奴が移動すれば、それに従ってあの炎も一緒に動いている。決して体の中から離れることはなく、静かに、しかし強く燃えるような炎が、古龍の中に存在していた。
何度か瞬きをしても、自分の目はその炎を捉えている。それを見つめ手で体を支えながら、自分は起き上がる。
その中で、自分は見た。自分の中にある光を。
それは炎ではない。単に小さな光の玉としか表現できないものだ。
何と弱々しい光だろうか。今にも消えてしまいそうな小さな光が、自分の中にある。
(――――そうか)
自分、炎の古龍、そしてあの女。
三者三様の光の違いを頭の中で比較し、何となく自分は理解する。
そして自嘲するように笑みが浮かぶ。
(随分と弱々しくなったな、自分は。本当に、無様に追い込まれたもんだ。そりゃあ、これだけ小さくもなる)
仕方がないと割り切れるかもしれない。死がすぐそこまで迫っているのだから。
近づいてくる死の象徴は、軽く身震いをする。それだけでまたあの粉が舞い上がり、翼を羽ばたかせてこちら側へと飛ばしてきた。それで準備は完了したようなものだ。
それだけではない。ぐっと前足に力を込めて辺り一面に響き渡るような咆哮を上げる。その咆哮に従ってまたその体から強い熱気が放出される。天を仰ぎ見る炎の古龍から力強く輝き始める光もまた見える。
それを見ていることしかできない自分は、死を前にして、どういうわけか別の感情が浮かび上がってくるのを感じた。
呆然とした気持ちの中で、震え上がるのは恐怖に怯える心だけではなかった。
威風堂々、それが似合う炎の古龍。
燃え上がる熱気と、恐らく光り輝いている奴の体内で発せられている光。
たなびくたてがみと、強靭な肉体。
それらが合わさった芸術的なまでのワンカット。
もしかすると、あれこそが自分が求めていたものではないだろうか。
弱者に対して死を与える存在であるはずの炎の古龍に対して、自分はあの強大な光と姿に魅せられている。
よもや、死を前にして探し求めていたものに出会えたと、一種の感動すら覚えていた。初めて聖火を目の当たりにした時のように、心を惹きつけるような雄姿に見惚れていた。
(吹けば飛ぶような命。それが自分たちなんだろうけれど)
吹くどころか、爆風を飛ばされては、ただ吹き飛ぶだけじゃあない。この体は爆散して飛ぶ命だったものになるだろう。それほどまでに脆い命、それが炎の古龍から見た自分だろう。
あれだけ強い光を発する程のものを持っているのだ。自分たちの命など、あれに比べれば雷光虫ほどに小さな光でしかない。
だが、だがである。これほどまで追い込まれたとしても、ようやく探し求めていたものに出会えたという小さな満足感を覚えたとしてもだ。
「簡単に諦めて命を投げ出すようなタマじゃあないんだよ……!」
自分の命を簡単に諦めるようじゃ、長年ギルドでハンターやっていないという話だ!
ポーチに手を入れ、素早く取り出した玉。それを投げてやれば、炎の古龍は咄嗟に目を閉じた。奴は覚えている。さっきのような状況で投げられた玉によって、自分の目が潰されたことを。
知恵ある龍だからこそ、咄嗟の防御をしてしまったのだろうが、生憎とそれは閃光玉ではなく、また煙玉だ。
弾けたそれは再び煙幕が周囲へと広がり、自分の姿を隠していく。その中を突っ切って、自分は祭壇の方へと逃げていく。
単なる煙幕かと、炎の古龍は唸り声をあげた。一撃、二撃と前足を振るって自分を捉えようとしたが、そこまで奴へと接近しているわけではない。そのため当たるようなことはない。
祭壇へと逃げ込んだ自分の背後で、また牙が打ち鳴らされる音が聞こえてきた。次いで、連続して聞こえてくる爆発音。しかしそれは先ほどまで自分がいた方へと爆発していっており、こちら側へは爆発も、爆風も届いてこない。
その間に、自分は次の手を打たなければならない。
単に走り切るだけでは奴から逃げられないのは目に見えている。だからこそ、少しでも足止めができそうな手を打つ必要がある。そのために必要なもの、それはポーチの中に入れてある。
取り出したのは爆薬。それを先ほど炎の古龍によって欠損した柱へと詰め込んでやった。
続いて盃の方へと駆け寄り、ぐっと押し込んで転がしていく。石造りなだけあって重たく、一人で持ち上げることはできない。だが横にしたまま転がすことは不可能ではない。すぐそこで燃えていた炎は小さくなっており、多少の熱気には耐えられる。歯噛みしながら転がして、柱と位置取りを確認しつつ、横にしたまま転がし終える。
そしてポーチから小タルと爆薬を取り出し、それらを合わせて小タル爆弾を即席で作ってやる。出来上がったそれを構えつつ、ポーチから取り出した角笛を口に当てて、高らかに音を響かせてやる。角笛から発せられる音は、飛竜などのモンスターの気を引く作用がある。
それはきっと、古龍であろうと変わりはない。煙幕の中で自分を探していた炎の古龍は、その音に気付いたようで、釣られるように煙幕の中から飛び出してくる。
だが視界に入るのはどういうわけか盃だけだ。しかし駆け出した速さは止めることはできず、そのまま盃へと頭を突っ込むしかできない。
奴がぶつかる前に、自分は小タル爆弾を着火し、柱に向けて放り投げる。逃げる自分の進路は盃の直線上ではなく、横に逸れる。
炎の古龍が盃と衝突し、盃はそのまま吹き飛ばされて自分の横を通り過ぎていく。良質な鉱石を用いたことで、盃の強度は想像以上のものだろう。そんなものとぶつかったことで走るスピードを大きく落とされ、加えて横で小タル爆弾が爆発した音に気を取られた。
更に視界には探していた自分の姿も見え、色々と気になるものが頭の中に押し込まれ、状況の判断が付きにくくなる。そうして数秒だけ混乱している間に、爆発によって大きく柱が倒れていく。
小タル爆弾と爆薬によって、欠損部分が完全に破壊され、その重さに従って祭壇の柱は狙い通り炎の古龍へと倒れていく。それに奴が気付いた時にはもう遅い。その重みが炎の古龍の背中へとダイレクトに伝わり、大きく鈍い音を響かせて炎の古龍はその場へと縫い付けられることになる。
(今だ……! 走る、止まるな……! 今をおいて逃げ切るチャンスはここにない!)
自分で自分を鼓舞しながら、ただひたすらに足を動かして逃げ切ることを考える。
だが呼吸はしづらい。焼ける建物ばかりが周りにあり、煙が充満しているのだ。それに熱気も辺りに篭ってしまっていて、クーラードリンクの効果が切れかかっている今、全力で走れる状況にない空間が、村の入口への道周辺で形成されている。
走るために呼吸を繰り返しても、立ち込める煙がそれを阻害する。強走薬グレードの効果を受けているとはいえ、呼吸を止めることはできない。走れるだけの力があっても、呼吸を阻害されれば、人はどうあがいても全力を出せないのだ。
それでも走る。時折咳き込んでしまうが、足だけは止めない。
もうすぐ村を抜けようというとき、背後で高らかに響く咆哮が響いた。
(まさか、もう抜けたと!? そんな、早すぎる……!)
それは自分の感覚で早すぎると感じたのか、それとも十分に時間は稼いでいたけれど、焦って逃げているせいで時間の感覚が狂ってしまったのか、それはわからなかった。
背後から聞こえてくる獣が駆けるような音が、炎の古龍が追いかけてきていることをひしひしと伝えてくる。音は次第に大きくなっていき、より自分を焦らせる。
暑さによる汗とは違った汗が滲み出る。死が再び、自分を追いかけてきているのだ。
もう入り口はすぐそこ。そこを抜けて、山へと逃げ込めば……いや、それでも逃げ切れるのかわからない。視界が悪くなる中に飛び込んで、自分だけでなく奴の目も狂わせられるのかはわからない。
何せ奴は炎の古龍だ。山もろとも焼き払えば、逃げるどころではないだろう。そんな冷静に考える自分もいて、より一層死の絶望を感じさせ、足が止まりそうだった。
生き延びる方法はもうない?
そんな言葉がよぎって、心が完全に折れ、足を止めそうになった時。
背後から追いかけてくる炎の古龍の方から、複数の爆発音が響いた。それは奴が放った粉による爆発ではなかった。それを示すように、炎の古龍の悲鳴が聞こえてきた。
何が起きたのかわからなかった。どうして奴から悲鳴が聞こえてきたのだろう?
そんな疑問をよそに、入口の方から複数の足音が聞こえ、そちらへと目を向ける。すると立ち込める煙を縫って、突撃の掛け声をと共に、男たちが炎の古龍へと攻撃を仕掛けていく。
「無事か!? 生存者一人発見! 直ちに連れていけ!」
「はっ! さ、こっちへ!」
一人の男が自分に肩を貸し、入口まで連れていってくれる。後ろではすでに炎の古龍と、突入したハンターたちが交戦を始めている。炎の古龍も、突然現れたたくさんのハンターに気を荒くし、より暴れ出した。
「何としてもここから先へ行かせるな! ここで仕留める!」
そんな声が聞こえる中、ハンターたちは炎の古龍の進軍を阻む。後方、すなわち入り口近くを通った時、そこにはボウガンを構えたハンターが複数人おり、そこで最初に起こった爆発は、彼らが放った弾によるものだと理解する。
そうして自分は、ハンターの一人に連れられてムスビ村から撤退し、どうにか命を拾うことができたのだった。