一夜明け、山の中で作られた仮拠点のキャンプ地で自分は目を覚ます。キャンプ地にはムスビ村の住人達もおり、命からがら逃げだした人たちであふれかえっていた。
逃げる際にすれ違ったハンターたちもまた、生還していたようだったが、全くの無傷というわけではなく、それが奴との戦いの激しさを物語っていた。
自分もまたレウスシリーズの所々が破損しており、特に尻尾の一撃を貰ったところは、大きく凹んでしまっている。そこが守った腹の部分は、あばら骨が何本かやられており、要治療という診断を下される。
またレウスシリーズのパーツも、長く熱気に晒されたり、炎によって焼かれたところもあり、優れた耐火性であっても耐え切れないものだったことを教えてくれた。街の鍛冶屋に持って行っても完全に修復できるかどうかも怪しい。一から作り直した方が手早いとさえ思える損傷だった。
何より自分の体、レウスシリーズに守られていない部分は、明らかに守られた部分と違っており、それだけ熱気に晒されればどうなるかを、周囲に教えるものとなっていた。クーラードリンクで暑さに耐えたとしても、体はどうにもならない。
これらの火傷は、しばらく消えることはないだろうと診断を下された。
でも、不幸中の幸いもあった。命を拾ったことと、両手は守られたことだ。絵描きにとって手は大事なものだ。筆を執る手がなければ、何も残すことはできやしない。
命もまた同様だ。生き延びなければ、見ることも描くこともできない。これらが守られただけでも良かったと思いたい。
しかし自分は良くても、ムスビ村の住人たちにとっては、不幸の方が勝る。
あの時、逃げろと促した村人の何人かは、逃げる途中で炎にまかれて命を落としたらしい。彼らが逃げ切るために時間を稼いだ自分だったが、それでも囮となるだけでは守り切れなかった命があったことを知らされたとき、無力さを思い知る。
また、先んじて逃げ切れた村人たちは、焼けた村が広がるだけになってしまったことに嘆く。命は拾ったが、帰るべき場所を失ったのだ。
それだけではなく、聖火そのものも失った。家を失い、心の寄る辺である聖火も失った。その辛さ、悲しみは、ムスビ村の住人ではない自分たちには推し量れるものではなかった。
炎の古龍は自分が逃げ切った後も、ハンターたちと戦い続けた。起きた自分へと自己紹介したハンターによれば、彼らはギルドが派遣した調査隊の一つのようで、火山地帯に向かった調査隊の後を追う形で移動していたところ、避難してきた村人たちに助けを求められたらしい。
そこで先行してきたハンターたちが自分を助け、村人たちを守るために残ったものたちが、このキャンプ地を組み上げていったという。
調査隊で利用するキャンプ地だったため、村人全員がゆっくり休める寝床は確保できているわけではないが、それでも食事の用意などはしっかりしている。ギルドから追加で人員を派遣し、村人たちが近くの村で休めるように取り計らってくれるようだ。
そんな話を聞く中で、自分が目を覚ましたことを聞いた村人が何人か見舞いに来てくれた。口々に自分の無事を喜び、村人たちを逃がす時間を稼いでくれたことを感謝してくれる。
それに対してはハンターとして、そして調査員とはいえギルドに所属するものとして、当然のことをしたまでだと伝えた。
だがそれだけではなかった。
見覚えのある人が、懐から紙を取り出して見せてくれる。
それは、自分が描いた聖火の絵だった。どうしてこれがここにあるのかと問えば、逃げる中で持ち出してきたのだという。
一人だけではない、数日の中で描き、聖火の出来に満足いかなかったからと売り払ったもの全てが、ここにあった。
「せっかく私たちの聖火を描いてくれたのです。村に残すわけにはいかないからと、持ち出したのです。持ち運びがしやすいのも幸いしました」
「村は焼け、聖火も消えてしまった……。でも、こうして絵には残されています」
「あんたが描いてくれなかったら、こうして残ることはなかったんだよ。そのことに、俺たちはあんたが来てくれたことに感謝するぜ」
少しばかり、その表情に悲しみはあったが、しかし彼らは笑っていた。
自分の絵によって、聖火がしっかりと未来へと繋がれていくことに、心から喜びを感じている。
絵の出来としては自分では今でも満足していないが、でも絵を見る彼らからすれば何も関係はない。あの出来でも十分に彼らは納得していたからこそ、買い取ることを申し出たのだ。
「……ありがとうございます。自分の絵に、そこまで言ってくれるとは思いもしませんでした。ですが、村を守れなかったことは、申し訳なく思います」
「いいんですよ。古龍が現れたのですから、仕方がないと、今は少しずつ受け入れていくことにします。それに、私たちが生きていれば、いずれムスビ村は復興します。いつの日か完全に復興した時、かつて聖火があったことを示すように、この絵を飾りつつ、私たちはこれらの出来事を伝えていきます」
「それに、聖火に全てを委ねすぎました。いつまでも守られているから安心だと、何も備えてこなかったのが悪かった。この失敗を乗り越え、新たなムスビ村に活かしていくことにします」
悲しむばかりではなかった。辛いこと、どうしてこうなったのかの反省を胸に刻みつつも、前を向いて進まなければならないという決意。残されたものがあるからこそ、未来に向けて生きていく。
そのきっかけの一つとして、自分の絵が存在する。描いたものとしては、とてもありがたいことだった。自分の絵が、誰かのためになるなんて想像もしていないことだった。
自分の気の向くままに、時には任務の一環として絵を描き続けた。人に依頼されることもあったが、単に絵を褒められ、買われたケースも稀にあった。彼らもまた純粋に自分の絵を気に入ってくれたから購入してくれたのだ。
こういうのを何というんだったか。少し思い出してみる。かつてどこかで聞いたことのある言葉だった。好きなものに対する言葉、いや、自分の趣味か、あるいは作り手に対する言葉。
そうだ、ファンだ。
かつて購入してくれた人も、このムスビ村の人たちも、自分の絵のファンになってくれた。
そう考えると、うん、少しだけ、嬉しく思う。
「……ありがとう。そう言ってくれること、嬉しく思います。自分の絵を本当に大切に思ってくれるのならば、どうか、長く愛してくれたら幸いです」
「ええ、もちろんですとも」
幾日か経って、回復した自分はハンターと一緒にムスビ村跡地へと赴くことになった。自分が泊まっていた宿屋から回収されたチェストは、完全に無事とはいいがたいものだった。焼けて、壊れてしまったものが大半で、まだ使える道具は僅かなもの。装備を収めていたものも損壊していた。
無事だったものをいくつか取り出し、新しいチェストへと収めることになるが、その新しいチェストもギルドから新しく届けられるのを待つしかなかった。
一番幸福だったのは、自分が描き溜めてきた絵が無事だったことだろう。それらについては耐火性や耐水性の高い箱の中に保管されていたため、焼けずに済んだ。これは今までの旅路を証明し、振り返るためのものだ。焼失しないように万全の守りを施すのは当然のことだった。
あの日からずっと燃え続けたムスビ村は、昨日の雨によって消火が進んだ。一部燃えている部分もあるが、これらは人の手によって消火されることとなるだろう。
しかし、一部分はそれは叶わないだろうと見込まれているところがあった。
ムスビ村を案内される中、自分は焼けた建物などを見て回る。最初に村を訪れた時と比較して、見るも無残な光景だった。たった一日で、村は炎の古龍一頭によって壊滅させられたのだ。
「古龍とは本当に恐ろしいものだよ。数人がかりで戦って、撃退に追い込むので精一杯だった。君も、よくもまああれ相手に一人で立ち回り、生き延びたものだね。私でもできるかどうか、ちょっと不安だよ」
「……運が良かっただけですよ。あの時、自分とて精一杯やっただけです。村人を逃がすために囮となり、周りにある物を使って必死にやってきた。その甲斐あって、運よく生き延びられたんです。同じことをもう一回やれと言われたら、上手くできるかわかりません」
「はは、そうだろうね。何はともあれ、あの青い古龍はこの地から去った。この爪痕と、アレを残してね」
そう言って、ハンターはある一点を指さす。指し示された方を見てみると、自分はまた、この場所で息を呑むことになった。
そこには、消えない炎があった。
この村に訪れて、自分の目を奪い、これを描かなければと思わされたものと同じ。数日が経ち、昨日の雨によって周りの建物を焼き払った炎が消えてもなお、そこには力強く燃え続ける炎が残されていた。
奇しくも、村人たちが数十年祀り続けた聖火と同じ場所、炎の古龍は二つ目の消えない炎をここに残したのだ。
その炎の前でハンターは大きくため息をつく。「憎らしいほどに綺麗な青い炎じゃないか」と呟いた。その言葉に、自分は「青い、炎ですか?」と思わず呟いてしまった。その疑問の言葉に、ハンターもまた首を傾げる。
「ああ、見ての通りの青い炎だろ? なかなか見られるものじゃないだろうに」
「ええ、そうらしいですね」
「……? 君、もしかして……わからない、のかい?」
彼は驚きに目を見開いていた。しかし自分はそれに対して、その通りだと言わんばかりに頷くだけである。
自分の見えている世界に、色とやらはない。わかるのは濃淡の違いだけ。
人が言うには、黒から白の間の変化だけで、それ以外の色は識別できていないということだった。だから自分の絵は墨や鉛の濃淡でのみで表現される。それしか自分にはわからないのだから。
自分が見えている世界を表現する、それが絵というものならば、自分の絵はそれしか表現できない。
人は雄大な自然を前にして、美しさとやらを感じ取るらしいけれど、自分の見えている世界だけで、果たして美しさを理解できるのだろうか。本来人が見える世界の色を知っている人ならば、墨だけで表現したものでも、時には心を動かされる美しさを見出せるかもしれない。
だが色を理解できない自分にとって、その色の差を理解できず、そして色によって演出される美しさも理解できない。造形美? 肉体美? それらにも心を動かされない自分は、人と同じような感性を磨くことはできなかった
だから知りたい。
こんな自分でも、何かを美しいと思えるようなものに出会ってみたい。そう思い、自分は広い世界へ足を踏み出した。いくつもの地域を巡り、いくつもの絵を描いて形に残し、それでもまだ、出会うことなく50年を超える時間が流れてしまっていた。
そんな自分を見て、少し困ったように視線を逸らし、何とか言葉にしようとするハンターだったが、自分としてはよくある反応だったため「気にすることはありません。自分も慣れたものです。気遣いの言葉は不要です」と、微笑を浮かべた。
「そうか……ああ、うん、だから炎の色の違いもわからず、あの危険な炎の近くにいたのか」
「青い炎は危険だったんですか?」
「そりゃあ普通とは違う色だしね。もちろんあの古龍は普通の色の
その惨状を思い返すように、ハンターは悲しげに目を細めた。もしかすると、粉からの爆発によってやられたのだろうか? 自分は一人だったから良かったが、集団で戦っていた彼らは、辺りに撒かれた粉の爆発に巻き込まれたのかもしれない。
集団で攻めれば攻撃の手数が増えて討伐への道は大きく縮まるが、しかし集団だからこそ大きな攻撃に巻き込まれやすいというネックがある。あの炎の古龍に対してはそのネックさが効いてしまったようだ。
「古龍についてはまだまだ謎が多い。遭遇例が少ないからね。だから今回の戦いについて、色々と記録に残さなければならない。……君の手も借りたい。絵が描けるんだろう? 奴の姿など描きとめ、報告書に加えさせてもらいたい」
「わかりました。奴の姿は今もなお頭に残っています。しっかり残させてもらいます」
「よろしく頼む。では私は村を見て回り、古龍が残した痕跡がないか探してみるよ。何かあれば声をかけてくれ」
一礼したハンターは炎の古龍と戦った跡地を見て回るために去り、自分はもう一度燃え続けている青い炎とやらを見つめる。自分にとって色はわからないけれど、それは他とは違う炎だとわかる。
炎の中に、別の光が見えるのだ。それはあの炎の古龍、あの女、そして自分の中に僅かに見えた光に似たもの。
この光が意味するものは、きっと
炎の古龍に見えた、強く光る
それは物語の中では人が称賛に値するもの。必死で戦う人の中に見出す尊きもの。
あるいは竜らがぶつかり合い、己の力を示す時に雄々しく輝くもの。
そうした
しばらく青い炎を観察し、少し離れたところに腰かけて、絵の道具を用意する。
あの日戦った炎の古龍を頭の中に思い返し、ペンを走らせていく。
獣のような顔つきに、強靭な肉体。顔の側面にたなびくたてがみに、冠のような形状をした立派な角。大きく広げられた翼に、自分の体を何度も傷つけた尻尾。
命の危機が迫っていたからこそ、あの姿は鮮明に記憶に刻み込まれている。ペンを走らせる手が止まらない。記憶の中からあの姿を引き出し、いくつかの構図で描いていく。
正面から少し斜めに見たものから、横から見たもの、攻撃を仕掛ける構図まで何枚かの絵を描いていく。それに追加して、戦いの中で得た炎の古龍の特徴などを記録していった。
こうして集中して描いていると、周りのことは何も入ってこなくなる。数枚を描き終え、一息ついて体を伸ばす。長時間座って描いていたせいで、少しばかり体ががちがちになる。
それを伸ばして楽になろうというクセをしてしまうが、自分はあばらをやられている。完治していないため、じわりと痛みが走ってついつい腹をおさえてしまった。
鈍痛に悶えていると、少し離れたところでぼんやりと光が灯っているのが見えた。あの光には見覚えがある。目を細めれば、ぼんやりとした人型が浮かび上がってくるのがわかる。
まさかと思っていると、あれもまた自分に見られているのに気づいたのだろうか。
小さくため息をついたようなそぶりを見せ、光が近づいてくる。少し離れたところで止まると、倒壊している柱の一つに腰かけて、
「よもや生きているとはね。それでいて、またしてもわたしを見つけてくる。やはりお前の目は気に食わない」
「戻ってきたんだな。どこかへ去ってしまったものと思ったけれど、なぜここに?」
「あれがここに来たみたいだから、どうなったのかと様子を見に来ただけ。あんなものまで残していくとは思わなかったけれど」
「あれはあの古龍にとって大きな一撃だろう。自分の時も追いかけてきて殺そうとしていたんだ。あんな強力なものをやっておいて、尻尾をまいて逃げ去るとは信じられない」
そう言うと女は小さく息をついた。「逃げるというよりも、相手にするのが面倒になっただけ」と、わかったように女は言う。
「古龍にとって人一人、どうということはない。でも時と場合による。かつての縁を辿って来てみれば、自分の前でうろうろとする小物が一人。どういうわけか重い一撃を自分に与え、更にちょこまかと逃げ回りつつ殴りかかってくる。それを前にして、お前はどういう感情を抱く?」
「…………目障りだから追い払おうとするかな」
「そして最後には群れてやってきて、あちこちから殴りかかってくる。相手にしきれなくなったら、とりあえず敵から離れればいいけれど、古龍が人の群れ相手に逃げるなんて、プライドが許さない。だから最低限の一撃として、あの炎を撃ち出したのよ」
人相手に何も残さず尻尾をまいて逃げる、そのようなことは長い時を生き、竜種をも超える存在である古龍のプライドに傷がつく。ハンターの話によれば、粉を使った爆発で何人かを吹き飛ばしたらしいけれど、それに加えて青い炎でも死んだのか。
女は言う。青い炎は自分の力を底から引き出してのもの。爆発は単なる技でしかないけれど、青い炎はそれを超える、奴にとっての必殺の一撃。
ハンターたちにとっての必殺の一撃で、自分を殺しに来たのだから、炎の古龍もまたそれに応えることで、この場を痛み分けとして終えようとしたのだとか。
「人もハチミツを採るために蜂の巣を狙うでしょう? その途中で蜂一匹に襲われることはあるはず。蜂一匹であれば、対処しようという気にはなるだろうけど、一匹に手こずっていると、蜂が後から群れてきた。そうなれば、ハチミツを諦めてその場を離れるものじゃない? そんなものよ、あれの心境は」
「そういう例え話をされれば、少し納得できるかな。ただ――」
と、そこで自分は骨ペンの先を女の方へと向けてやる。
「――蜂の一刺しが、人に対して致命傷を与えることもある。そうでしょう?」
今は古龍に歯が立たないハンターだけれど、いずれは古龍をも討伐するだけの実力を手にするハンターも現れるはず。小さな虫が人を殺すように、小さな人が強大な古龍に勝利する。そんな日が、いずれ遠い未来で起きてもおかしくはないはずだ。
そしてこの女は……信じがたいことだけれど、人ではなく龍ではないか? そんな気がしていた。
女は妙にあの炎の古龍の視点に立って上手く語れる。まるで奴について詳しく知っているかのように。そして自分たちのことを人と呼び、その立ち位置も同じ人側というよりは、少し離れた第三者から見てきたかのように語ることもある。
そして女の中で光るもの。
回復してきた自分の中で光るそれを改めて見、またハンターとの会話の中でもうっすらと見えた光と比較してみて、明らかに女のそれは大きい。炎の古龍のものと比較して遜色ないものだった。
なるほど、そうして考えれば、女が自分のことを相容れないとし、毛嫌いするのも理解できる。
人から見つからないように行動するために自分の姿を見えなくしているのに、それを無意味なものとする。例え姿を現し、人の姿を取っていたとしても、古龍として培ってきた強い生命力を表す光をも見透かされれば、正体を看破される。
それは近づきたくない存在だと思われても仕方がない。
向けられた骨ペンと、自分の言葉を噛み砕き、女はまた嘆息する。すると、透けていた女の体があらわになった。冷たい眼差しで自分を見つめていて、心の底から吐き捨てるように、「勘が良すぎるのも考え物よね」と、どこか自分のことを憐れんでいるようにも見えた。
「知ってる? そうして無駄に勘を働かせて、知らなくていいものを知って、無為に首を突っ込みすぎると命を縮めるものよ? 例えば、そう、今ここでわたしが、お前を殺すことだってできるわけだけれど、それには思い至らなかった?」
「……殺すのか?」
「必要とあらばね? お前の事情など知ったことではない。わたしは、わたしの道を阻害するなら、排除する」
その顔はまるで笑ってはいなかった。じわりと空気が変化する。
その空気には覚えがある。あの炎の古龍と対峙した時にも感じたそれに近い。背筋を這い回る嫌な空気、忍び寄る死の気配。それがあの女から発せられているのだ。
どういった理由があって、人の姿を取っているのかはわからない。
けれどこのような恐怖を生み出せるだけの、生物として絶対的な強者の雰囲気を作り上げる存在は、この世界では古龍しかいない。
炎の古龍が自分の周りに強い熱気を生み出し、周囲を干上がらせる。加えて全身から粉状のものを撒き、牙を打ち鳴らして爆発させる。炎や爆発にまつわる力を持つ古龍というように、目の前にいる女もまた古龍ならではの力を持っているはずだ。
恐らく古龍としての力は、姿を隠すというものに違いない。それ以外にも何かあるかもしれないが、人として行動している時はできないのか。いや、単純に見せてこなかっただけかもしれない。
人の姿になるのはさすがにないだろう。古龍の力に人に変化するものがあるとは信じがたい。
でも、古龍は滅多に発見されることはなく、調査も全然進むことがない。その理由が人に変化して人の生活に溶け込んでいるのが原因ならば、滅多に見つからないのも頷ける。
そういった疑問はあるけれど、きっと尋ねても答えてはくれないだろう。
生物には縄張りがある。それを侵して入り込んできた敵に対して、縄張りの主は徹底して排除する構えをとる。竜の中には強い縄張り意識を持つ種族もおり、有名なのは角竜ディアブロスだろう。
草食竜ではあるが、縄張り意識は凄まじく強く、肉食竜の如し気性の荒さと、強靭な肉体を活かして侵入してきた敵を排除しにかかる。
古龍もまた縄張り意識はあるのかもしれないけれど、この女の場合は物理的な縄張りとはまた違うものを感じた。
そう、これ以上こっちの事情に踏み込むなという、心の壁。いうなれば精神的な縄張りを女は構築している。
そういうところは人も同じだ。色々な事情から、こちら側に踏み込んでほしくないと考える人もいる。コミュニケーションをとっていく以上、そういった線引きは誰にでもあることだ。
話したくないことは誰でも持っているものである。自分とて、この目のことは人に気軽に話せるものじゃない。聞かれなければ話すことではないし、話さなくても深刻な問題に発展することはない。
色んなものを見て、出会ってきたが、このような女は初めてだ。向けていた骨ペンと、自分の顔を見つめていた女の目は、またそれぞれ少しずれたように動いたまま止まっている。
だがその右目が、自分の顔から横へと逸れた。そして、
「ん? どうかしたのかい?」
と、先ほど別れたハンターが声をかけてくる。少しだけ驚き、そちらの方へと向いた。きょとんとしたようなハンターは、自分を見て、
「何か、誰かと話していたようだけど、誰と話していたんだい?」
そんな疑問を口にしながら、先ほどまで自分が向いていた方を見やる。その先には女の姿があるはずだが、ハンターの目はその誰かを探すかのように動き続けている。
何を言っているんだと、自分は驚きに目を開いただろう。疑問を口にしようと開いた口から、声は出なかった。
だって、そこにいるだろう。
確かに長く透けていて、誰にも見つからなかっただろうが、今はそこで姿を現しているじゃないか。何で、相変わらずそこには誰もいないかのように、誰かを探して目が動いているんだ。
「――――そ」
言葉は、続かなかった。
瞬間、目の前にそれが現れていた。
長く伸びて、湾曲するもの。
言葉を発しようとした自分の意識をそちらに移させ、声を途切れさせたのは、舌だった。
恐る恐る伸びる舌の先を見れば、そこにはじっと左目で自分を見据える女がいた。少しだけ開かれた口から、人のものではあり得ないほどに長く伸びた舌があり、途中で曲がって自分の目の前で止められていた。
右目はハンターの方を向いており、時々両目がぎょろり、ぎょろりと、揺れている。だが、先ほどよりも自分に向けられている冷たい気配が強まっている。
延ばされていた舌が口へと瞬時に戻り、しかしその目と空気が雄弁に語っている。
下手なことを言うな。
その気になれば、舌だけで自分を殺して口封じができたのだと、目が語っている。それを示すかのように、薄く開かれる唇の奥で、ちらりちらりと舌が動いていた。
見る目を変えればそれは女の誘惑に見えるだろうが、とてもそうには思えない。今、目の前の女は、懐から小刀をちらつかせて、いつでも刺し殺せる体勢にあるのだ。それを前にして、どうして口を滑らせることができようか。
「それは気のせいでしょう。あ、ほら。このように描き上げましたが、どうでしょう?」
「どれ? ……おお、素晴らしい出来じゃないか。うん、確かにこんな感じだった。まさかここまで正確に描いてしまうとは思わなかったよ」
渡したいくつかの紙を確認したハンターは、素直に感嘆の息をつく。それぞれ違う構図で描いたことに対しても称賛の言葉をもらった。これらは全てハンターがギルドへと持ち帰り、重要な情報として記録、保存されることとなる。
礼を述べたハンターは「一通り回り、こちらの用事は済んだけれど、君はどうするんだい?」と尋ねてきた。
ちらりと横を見れば、相変わらず自分とハンターを見ている女の姿がある。自分には見えているが、ハンターには見えていない。そういうことなのだろうが、しかしずっと見られているからには、見ていないところで自分のことを話さないか監視するつもりか。
ならば、一緒にこの場を離れるわけにはいかない。
「もう少し、ここで描いていこうかと思います。帰るのなら、先にどうぞ」
「そうかい? ではお先に。これ、本当にありがとう。ギルドへと戻ったら、これらに対する報酬を用意するように伝えておくよ」
「ありがとうございます」
去っていくハンターが見えなくなった時、女から放たれた冷たい空気は収まった。
腰かけていたところから立ち上がり、肩を鳴らしながら小さく息をつき、「本当に、めんどうな目を持っているものね、お前は」と呟いた。
「…………もしかして、今もなお、普通の人からは見えていない?」
「ええ。軽く消える程度では、もうお前の目からは隠れられないらしい。だからめんどうなことこの上ない」
だが、と女は目だけで自分へと向ける。一度は消えた冷たい気配だが、それとは比べ物にならないほどに強い殺気が、女から発せられる。
同時に自分は見た。
女から発せられる光とでもいうのだろうか。もやもやとしたものが立ち昇り、何かを形作っていく。
定まらない形を持つそれは、人ではない生き物のように見えた。翼らしきものが形作られ、その先に少し長く、しかく曲がった首ができ、独特な形状をした顔らしきものもできあがる。
実態ではないためよくわからない顔つきだ。鼻先が少し伸びているが、あれは鼻なのか、短い角なのかはわからない。そして目らしきものも、少し濃淡が違う球体として表現されているようなのだが、女と同じく、ぎょろり、ぎょろりと動きつつも、大部分は自分の方へと向けるように見下ろしている。
「お前は、これから先もきっと、その好奇心で世界を巡るのでしょうよ。未知を求め、道ならぬ道を往く。そういう生き方しかできないのでしょう?」
「……ええ、自分は自分のこの生き方を変えるつもりはない。知りたいのです。この命ある限り、知らないものを知りたい。何よりも知りたいものがあるが故に、自分はこの歩みを止めることはない」
「……ふん、人のそういう夢や意志、決意というものもまた、消えない炎のようなものよね。他人がどれだけ冷や水を掛けようとも、その炎は消えない。それで迷惑被るものもいるというのに。傲慢なことよ」
淡々と女は言葉を吐く。そんな中で、自分は動けないでいた。下手に動けば殺されるからではない。本当に、動けなかった。
ぴくりと指を動かしてみることはできたが、それ以外が動かない。まるで蛇に睨まれた蛙のように、恐怖から動けなかった。あの炎の古龍を前にしても、ここまで動けないことはなかったというのに。
まさか、それだけあの女が古龍としての格が上だというのか?
そんな馬鹿な、だとしたらどうしてあの女は今の今まで、それを隠して相手をしてきたというのか。
「だから人よ、お前はわたしの前に現れるな。わたしの領分を侵すな。わたしはめんどうなことは嫌いなのよ。わたしはただ、離れたところから世界の移りゆく様を眺めていたいだけ。誰にも知られず、誰にも見つからず、静かに悠久の時の中を生きる、それがわたし」
「それが……あなたの、生きる道?」
「そう。霞のように掴むことができず、見えづらいものとして在り続けるの。だからこの出会いは、お互い、事故のようなものだったと割り切り、なかったことにしましょう――ね?」
それは念押し。提案しているようで、女は脅迫している。
それを断る理由はどこにもなかった。その余裕もない。断れば待っているのは死だけだ。
いつでも殺せる状態にあるのにそうはせず、警告をするだけに留めるのは女の性分なのだろう。古龍でありながら積極的な戦闘を良しとせず、自分の心を害するものが現れれば対処する、受けの構えをとるタイプか。
ならば自分はそれに従うまでだ。
「わかったよ。自分はこの生き方を変えるつもりはないけれど、あなたとこの先出会わないことを自分も願いましょう。……ですが、自分は色々な所へと赴く。もしかするとまた事故は起きるかもしれないけれど、その時は大目に見てもらえれば助かるよ」
「はっ、前もって可能性を示すのね。わたしも気の向くままに世界を巡る。それによって確かに事故は起きるかもしれない。だから、事故が起きてお前の命が消えたとしても、恨まないように――ね?」
不敵に目を細めてゆっくりと身を低くし、その体がゆらりともやがかかったように見えなくなる。古龍のような姿を作り上げる光も消え、自分の目で捉えていた
だが何となくそこにまだいるような気がする。気配は抑えられているが、勘が囁いている。近くにまだあの女がいることを。
女曰く、抑えられた透明化は自分の目が慣れたから見えるようになってしまったが、そうでなければ見えなくなると。確かに本気で姿を隠したら、もう見えなくなってしまった。
だがざわりと空気が震えた気がした。次いで聞こえるのは、竜や獣の唸り声というよりも、高速で連続して響くような声と表現するに近しい音だった。
目を擦る。焼け落ちた瓦礫の中そばで空気が揺れた気がした。でもそれは一瞬。何も異常などなかったかのように、変わらない光景がそこにある。
女がそっちに行ったのかと思ったが、それは違うことに気づいた。
強い風が吹いた。
思わず顔を庇ってしまう程の強風は一瞬だけ吹き、空気が一気に上昇するような感覚が襲い掛かる。
一度、二度と上空で羽ばたいたような音を響かせて、そこにはもう僅かな異変を知らせるようなものは消え去った。
女は、行ってしまったのだ。
恐らくは本来の姿へと戻り、世界のどこかへと飛び去った。
誰にも見つからない中で世界を旅する古龍。ここに来たのは、昔見た懐かしい消えない炎の様子を確かめるためだったと言うが、女にとってはちょっとした不幸だっただろう。
しかし自分にとっては幸運だ。
滅多に出会うことのない存在に二つも出会えたのだから。
そして生まれた時から謎に包まれていたこの目のことも、少しではあるけれどようやく知ることができた。
色がない世界の中で、
一つの機能を失う代わりに、一つの特異なるものを宿す。
それは生物の中に稀に現れる特異性質。それを人は一つの進化の形ととるか、変質した特異個体ととるか。
自分は他の竜人族とは違う、そう思って生きてきたけれど、ようやく一歩を踏み出せた気がする。
とはいえ自分にとっての人生の一つの目標、美しいものを知りたいという願いは、相変わらず叶えられていない。けれど、その一端を見ることができたことに違いない。
もう一枚、自分は記憶の中に鮮明に焼き付いた光景を描く。ペンを動かすのに迷いはない。ただあの姿を描くのではない、最後に記憶に刻み込まれた強い印象を、この紙の上に表現する。
自分を殺すために力を振り絞り、熱気と共に燃え上がる空気と、奴の強い生命力を表す光。
軽く顔を上げて、自分を見下ろしながら口を開く炎の古龍。広げられた翼に、熱気によって少し舞い上がったたてがみ。その奥に輝く鮮烈な光と合わさり、自分の中に何かがざわついたのだ。
上手く言葉にできないけれど、死を前にしたからこそ強く記憶に残ったのではない。奴が発している覇者の気迫と、熱気と
色のない世界だからこそ、より際立つ光の強さが、濃さが強まった奴の体の力強さと重なりあって、今まで見たことのない景色を作り上げていた。
命とは、とても眩いものだ。命と自然の調和したその姿に美を見出すことができたのかもしれない。
力強さの中に燦然と輝くもの。それはつまり、
それが一つの美の答えか、それはまだはっきりと理解はしていない。
「――うん、こういうものだったかもしれない」
描き上げたそれを見て、少し首を傾げるけれど、そう悪いものではない出来だと感じた。さすがに体の内側から発した光と、周りの濃さなどを上手く描けなかったが、記憶の中に刻み込まれたあの一瞬を、引き出すことはできた。
構図のサンプルとしてこれは残しておき、自分の技術が上達したらもう一度描いてみるとしよう。
色を知らないからこそ幼い頃に夢見た、世界の美しさを知りたいという願い。そのために色んな世界を見て回り、色んなことを知りたいという行動心理。
この二つが合わさることで燃え上がった自分にとっての炎は、今もなお燃え続ける。
自分の願いを叶えるために、ハンターという力も手にしたのだ。広い世界の隅々を歩き回り、調査を進めるというギルドの調査員という肩書も、自分の願いのためだ。
この道に進んで長い時間が経った今、ようやく夢の一端に触れた。やはりこの道に進んで良かったと、かつての幼い頃の自分の選択に間違いはなかったと褒めたい。
道具を片付けてキャンプへと足を進める。
ムスビ村に来たのはちょっとした寄り道だったけれど、実りの多い時間だった。自分だけの記録帳に新しい絵が増えたことも喜ばしい。
さあ、次はどこへ行こうか。
世界はまだ広い。きっとまだ、自分の知らないものがあるはずだ。
いずれ辿り着く夢の果てはまだまだ遠い。そこに至るまでに、この数日の体験のように、いくつかの寄り道をするだろう。そして時には自分の死が迫りくることもある。そうでなくとも、辛く苦しい時も訪れるものだ。
でも、旅とはそういうもの。特に自分は人間ではなく、長い時を生きる竜人族。寄り道など、いくらでもできるものだ。だから、色々な楽しみができるというもの。
楽しいことや危険なことを経験して、思い出と共に絵を残し、体験したこと全てを蓄積して、いつかは夢を叶えてやる。
夢という名の消えない炎は、なおも自分を動かす燃料として燃え続け、自分の長い旅はまだ終わることはないのだ。
それから十数年、ムスビ村は復興し、かつて離れた村人たちも戻ってきて、生活を取り戻していた。かの日の出来事を反省し、ムスビ村にはハンターが迎え入れられ、万が一に備えるようになっている。
村自体の復興はそれほど長い時間はかからなかった。数年かけて建物を立て直し、畑も元に戻していった。しかし村の中心にある祭壇は、簡単に元通りにすることはできなかった。
かつての聖火と崇められた消えない炎は、炎の古龍によって喰われた。それと引き換えに、青い炎が現場に残される。この炎もまた新たな消えない炎となり、ムスビ村に長く残されることとなった。
戻ってきた村人たちはこの青い炎を、新たな聖火として受け入れるだけでなく、かつての過ちを象徴するものとして、祀ることにした。再び祭壇を作り上げるための素材を集め、盃へと収めて、聖火を祀り上げる祭壇を完成させるのに、村の復興以上の時間をかけることになったのだ。
そうして完成した、第二の聖火の祭壇。
再びムスビ村の象徴として再誕したそれは、村の人たちの信仰を集め、村に訪れた人々もまた、感嘆の声を漏らして祈らずにはいられないものとして在り続ける。
加えて村の所々には、かつて村に存在していた聖火の絵が飾られていた。旅人を迎え入れる宿にも飾られているそれは、初めて見る人は今の青い炎の絵なのかと問いかける。
そのたび、村人はそれを否定し、かつてここに何があったのかを物語る。
何もなかったこの地にぽつんと一つ、燃え続ける消えない炎。
開拓した世代が訪れ、ムスビ村を切り拓き、発展していった始まりの日。
100年も続いた平穏の時と、終わりの時。聖火が消え、新たな聖火がもたらされたかの日の出来事。
崩壊を乗り越え、再び歩き出す新たなムスビ村。この二つを繋ぐ、赤と青の炎と、かつて燃えていた炎のことを残してくれた一人の絵描きのこと。
この絵描きが来てくれたからこそ、聖火のことを口伝ではなく、記録も含めて後世へと伝えられる。そのことに、村人たちは心の底から感謝した。
今はどこにいるかはわからない。けれど、いつかまたこのムスビ村に来てくれたなら、精いっぱいのおもてなしをするのだと、村人たちは笑顔で語る。
その日まで、消えない炎と数枚の絵と共にムスビ村は生き続ける。
消してはならない出来事を胸に秘めながら。
初めて短編なるものを書いてみましたが、全部終えれば結構なボリュームになってしまいました。
起承転結で4つに分けようにも長かったので、一部分割して6話にしました。
メインは消えない炎に関連しつつ、懐かしいドス古龍を絡ませたかったものです。
炎なのでテオかナナを強く出そうとし、色々調整した結果、今まであまりやったことがない主観視点になりました。、
戦っていたのがテオではなくナナだったと隠せたかどうか、上手くできたのかは怪しいものかもしれません。
1話で赤い古龍と書いておきながら、戦っている最中は全く色を出さず、角の形状にはしっかりと触れずにいたとか、やってみました。
ナナと一人で戦っていたのは、ドスではナナがソロ専用だったためです。
ゲーム的にはあれですが、よくよく考えれば古龍相手に一人は少し無謀が過ぎる。
そういう雰囲気を出してみたかったのです。
これを書き始めた時期はワールドでクシャ、テオ、ナナが出てたのにナズチがいなくて寂しく感じ、和の雰囲気があるライズなら出るかな? と思ってた頃合いでしたが、参戦決定おめでとうな空気が生まれましたね。
そんなライズも目前。そういう意味でも、間に合って良かった感じです。
一つの短編としてはこれで終わりですが、続きがあるかはわかりません。
ぼんやりとネタはありますが、しっかり固まってはいません。
感想など頂ければ励みになります。
それでは、今回はこれにて。