ストリップ・アイドル・ユニット:TRK26 <<pure!?>>   作:添牙いろは

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2話 園内晴恵

 新歌舞伎町――昔ながらの性産業が事実上黙認されている営業特区――そこは、この時代を象徴する街といえる。

 <自己責任論>の台頭により成人年齢は引き下げられ、その結果、労働にかまけて学業を疎かにする学生たちが急増。当然、社会問題となりつつあったが、それすらも<自己責任>の名のもとに放任されていた。

 風俗業も当然、<自己責任>として看過され、そして――

 

 午前六時。クローズを終えた彼は、自分の経営するカラオケボックスのビルの前に立つ。齢十八にして店を与えられてから早二年。これ以上実家からの支援も期待できない。つまりこの一城だけが、彼がこの社会に存在するための生命線といえる。

 これまでは、特に思うこともなく生きてきた。この店が潰えれば、自分の人生も尽きるのだろう。たかだかカラオケボックス、その寿命は人より遥かに短い。かといって、何らかの策を講じる気も起きない。父より培った教養だけで、彼はただ、機械のように生きてきた。

 しかし、いまは違う。彼は人としての命を込めて、新宿両国通りを隔てた対岸を見つめていた。

 小さなライブであれば、この店でも可能だろう。彼女との約束を果たすこと()()()ならできる。

 しかし。

 その程度の規模で終わらせたくはない。あの歌声に――何より、彼女の輝きに魅せられた者として、そう願うのは当然のことだ――と彼は思う。ただ、事が事だけに、本格的に活動するのなら、この大通りを渡らなくてはならないだろう。

 実のところ、あの街においてストリップ劇場という興行はあまり強くない。他の、もっと直接的な娯楽の方が強すぎるという理由もあるが。ともかく、公演枠を単発で買っていくことは難しくない。そして、歩の実力をもってすれば、そこから知名度を拡大していくことも。

 だが、彼女にひとりで唄うことはできない。正確には、ひとりで裸になることが――ともいえる。それはきっと、ヌードモデルを後ろに立たせたところで何の解決にもならない。彼女の歌唱力とダンス力――何よりも、あの笑顔の輝き――それに見合うだけ人物など、どうすれば見つかるのだろうか。

 そんな事を思いながら、彼は通りに臨む。こんなご時世だけに、アダルトビデオに出演する女子学生も増えてきた。とはいえ、彼が望んでいることはただ裸になることだけでなく、一方で衣装をまとってステージに上がることと比べても遥かに敷居が高いのは否めない。あの、近くて遠い危険地帯には、()()()()()()()に比較的抵抗がない女性たちが集まっている。その中から募れる可能性――一方で、シマを荒らしたと見做される危険性――そして、実質勘当されたとはいえ、家の名がある程度は効いてくれるのではないかという期待――彼は、様々な方向から検討する。

 が、()()の到着により、思考も途絶えた。

「おはようございます、オーナー」

  蒼泉(あおずみ)(あゆむ)――彼の高校の同級生――だが、残念なことに、教室で言葉を交わした記憶はなく――むしろ、再会からの一ヶ月間の方にて深い関係を築いてきた。それは、彼の立場によるものが大きく――ゆえに彼女は、敬意を込めてオーナーと呼ぶ。彼もそこに不服はない。彼がひと店舗を預かるオーナーだからこそ、彼女の夢を実現できるのだから。

 しかし、オーナーだからこそ。

 店の一室を――それも、業務時間外に――ゆえに、これは業務ではないと彼は言うが――お金も払わず使わせてもらっていることに、歩は少し後ろめたさを感じる。だが、彼は――裸の女のコからお金を取ることなどできない。むしろ、自分が払う側ではないかとも。

 結果として――これは、いつか舞台に立つためのレッスンであり、ゆえに、俗にいう出世払い――それが、ふたりの間での暗黙の妥協点となった。

 そして歩は、そんな未来に向けて今日も訪れている。招かれた先の建物は、終業直後のため物音ひとつない。それが、少しだけ彼女を緊張させる。

 花柄のワンピースにデニムのジャケット――それは、この後そのまま大学へと向かう装い。アイドルとしての衣装は、店にある。カラオケボックスによくある、パーティグッズのひとつとして。それに着替えるのは更衣室――という名目の空き室。どうせ脱ぐからといって、先にそれを覗き見していいわけではない、というのは彼の弁。逆に、その距離感が歩をモヤモヤとさせていた。

 ゆえに、歩は彼にひとつお願いをする。今日は、オーナーも裸になってほしい、と。何が自分の足枷になっているのかがわからないので実験のため、というのは彼女の建前。しかし、本音は――

 男だとしても、人前で裸になることが恥ずかしくないはずはない。それも、異性の前で。だが、女のコを脱がしておきながら男が裸になるのを拒むというのも潔くない、と彼は思う。だからこそ――

 

 ビルの最上階――そこは、すでに様変わりしていた。小規模ステージ――イベント会場――さすがに、歩専用というわけではない。立地のわりに低価格で抑えられたそこには、すでに何件もの予約が入っていた。元々倉庫として使用されていたため、代わりにそのひとつ下の階が倉庫――及び控室及び更衣室になっている。その大規模な模様替えには業務の一環としてアルバイトたちにも手伝ってもらった。そして、従業員たちとは鉢合わない時間帯には、歩にも。

 本来の業務外である力仕事や清掃に巻き込まれたアルバイトたちだったが――不満以上に、意外だった。何しろ、新しいことをしようと提案しても及び腰だった店長が、突如最上階をイベント会場として貸し出すと言い始めたのである。それほどまでにカラオケ店経営が逼迫している――ようには見えない。ゆえに、好奇心もあった。あの店長が、まるで強行するように着手したのである。ならば、面白いことがあるに違いない。

 実際、大型レコード店が自ビルの都合がつかない際にミニライブをオファーしてくれていた。それなりに知名度のある若手のアーティストも利用するとあれば、アルバイトたちも我先にとシフトを入れたがる。内外共に、いまのところは成功しているといっていい。

 だが、歩が目指す場所へは程遠く――むしろ、遠のいているようにも感じられる。

『~~~~♪』

 音響や照明も整い、彼女の立つその場所は格段にステージらしくなった。ゆえに、その喉のわだかまりがより一層如実に感じられる。だからこそ彼の意識も、歌そのものよりもその後の期待へ。いまは霞がかっているより美しき声と、より美しき姿へと向けられてしまう。

 歩も、そんな男のコを目の当たりにすれば自分の中の意識も変わるのではないか――そう考えていた。しかし、残念ながら――男子の欲望はわかりやすい。ゆえにいまの自分には彼を奮い立たせるだけの魅力はないのだろうと理解する。その手にすっぽりと収まりきっている様子から。

 いまは、それでも――

 まだ一番が終わったところだ。まだ本当の自分を魅せていない。それでもこのままだったら――逆にすっきりする。このようなことを何度も繰り返してきて、すっかり慣れてきてしまった。

 けれど――

 にも関わらず――

 ふたりは、()()()()を越えていない。

 男女が密室でふたりきりなうえ、女のコの方は全裸だったというのに。

 状況的に考えれば、いつ超えてもおかしくはない。

 少なくとも、歩の方はそう考えている。

 ならば逆に。

 その瞬間がいつ訪れるのか――それを待ち構え続けるのももどかしくなってきた。

 だからこそ、今回は男のコの側にも脱いでもらったのである。

 越すなら越して、越さないなら越さないで――もう、待ち構え続けるのは嫌だから。

『~~~~♪』

 迷いがない分、指付きは速い。

 スルリスルリと床へと落ちた衣装は、踏まないようにさっと壇下へと滑らせる。

 すぐには手の届かないところへ。

 今日の振り付けは、ストリップ劇場の動画を見て自分でアレンジした。

 元々セクシーな楽曲ではある。それを、さらに――

 胸の柔らかさを包み込む腕も、

 お尻の丸みを辿る指先も、

 衣装の上からではない。その肌を直接撫で回している。

 まるで、男の欲望を写し込むように。

『~~~~♪』

 歩にはもう、その心構えはできている。

 

 そして、ついに――

 

 男のコは瞳を輝かせる。

 女のコの輝きに魅せられて。

 両手で隠すことさえ忘れている。

 だからこそ、歩にもはっきりと判別できてしまった。

 この時代、女子は大抵薬を服用している。不本意な授かりを防ぐため、というよりは、無用な周期に悩まされないように――まるで、ビタミン剤を飲むかのような手軽さで。それにより、『デキ婚』などという言葉さえもとっくの昔に死語となった。おかげで、風紀の乱れとは裏腹に、出生率は改善されていない。性病に対する治療体制が整ったことも、むしろ快楽への羨望に拍車をかける結果となっている。

 だからこそ。

 歩の中にはもう、拒絶心はない。借りた衣装に身を包み、唄って踊っている間から、ずっと。少しは躊躇するかな、と自分に期待するところもあった。けれど、いま抱いているのは覚悟より期待。

『~~~~♪』

 あとは、堪えきれなくなって壇上に飛び込んできてもらうだけ。

 律儀な彼のことだから、唄い終わるまでは耐えきるかもしれない。

 いずれにせよ――

 どのような形になるのだろうか。ベッドもないこの部屋で、自分と、彼は。

 無理やり押し倒される? それとも立ったまま? 初めて自分の歌を聴いてくれた男のコと、初めてを交わすことに不安はない。自分の夢を受け止めてくれた相手なのだから。

 大サビを終えて、ポーズを決める。鳴り響くのはひとり分の拍手。その表情は無邪気な子供のよう。だが、その下半身は――紛れもなく、オトナのもの。

 だから――

「うん、今日も良かったよ、蒼泉」

 彼の感動はどんなに手を叩いても表現し尽くすことはできないらしい。このまま待っていてもキリがない、と歩は自らヒョイとステージから飛び降りた。そっちの方がパイプ椅子とはいえ座席もある。抱き合うには抱き合いやすいかもしれない。

 だが。

「実は、あれから街の方でも話を聞いてみたんだけど――」

 彼の素振りに、彼女は理解する。期待していたことは、今日も起きない、と。

「特別区との境界だけに、このあたりの店は警察の目も厳しいらしくて――」

 最初、恥ずかしそうに股間に手を当てていたのが嘘のように堂々としている。堂々と曝け出している。欲望に満ち満ちた男のコのすべてを。

 にも関わらず。

「とはいえ、内容が内容だけに練習スペースの確保も難しいだろうし、ここはそのために――」

 下でハツラツとしているのが嘘のように、輝く彼の瞳はまるで少年のように。少なくとも、下着になったときは、もっと胸や下腹部を意識してくれていた。なのに、いまは――

 ならば、何が彼を漲らせているのか、と歩は疑問に思う。けれどきっと、それは彼がいま話していることなのだろう。

「それで、蒼泉に相応しい舞台を見繕ってたんだけど――」

 男のコのソコだけがまるで別の生き物として切り離されてしまったようだ。彼の目は、いまの歩を見ていない。歩が向かおうとしている、ずっと先の未来に向けて。だから、歩は諦めた。いつかは、その一線は越えるかもしれない。逆に、まだ夢を共有していなかった頃なら女のコに対する向き合い方も違ったのだろう。タイミング逃しちゃったのかな、と歩は静かにため息をついた。邪な自分に呆れるように。

 彼は、いまでも裸の女子を前にして相応しい姿を見せている。だが、言い難いことがあるのか、その両肩は申し訳無さそうに縮こまっていた。

「なぁ、蒼泉……何度もステージ練習を見て思ったんだけど……」

 男として、歩に――女のコに、このような要望を突きつけて良いのかわからない。が、ここまで自分を信じてくれた歩のことを信じて。

「脱がなくていいように、よりも、先ずは、脱いでも唄えるステージに……というのは……」

 歩はこれまで、表舞台を目指して様々な練習に取り組んできた。服を着ていても思うように動けるように。

 だが。

 日に日に成長しているのは、明らかに脱いだ後の方。歩自身の開き直りもあるのかもしれない。ともかく、服を脱ぎ、裸で唄う歩は――いや、脱いでいく過程さえも、可愛らしさが増している。それは、テレビに映る他のどんなアイドルよりも。

 きっと、この先も裸の歩は輝きを成長していくことだろう。それを、見てみたい――彼は、それを願わずにはいられなくなっていた。

 しかしそれは、女のコにとって――

「そだね、あははー」

 あまりにも素っ気ない返事に、彼はむしろ戸惑う。ちゃんと自分の意図は伝わっているのだろうかと。

 だが、歩は彼が思っているよりもずっと強い。

「差別化、いいんじゃないかな」

 服を着て唄うだけなら普通のこと。古今東西世界中にあふれている。ならば、裸になって、唄って踊って、それを人に観せて、聴いてもらって――それが楽しくなってきた、とまではさすがに口には出せない。けれど、彼と同じ方を向くことはできる。

「これからは……()()()()()()()()()できるようにならなきゃね」

 おどけるように、歩は軽く舌先を出す。終始全裸で唄うのならともかく、ストリッパーとして脱いでいくのであれば、()()()()でもちゃんと唄えなくてはならない。そんな自分なりの決意を込めて。

 歩も、度重なる個人ライブを経て――少なくとも、脱がずに終わるなんて物足りない、と感じ始めている。そして、そんな自分を認めて、護ってくれる人がいてくれると。

 かといって――まだ、孤独なまま大勢からの視線に耐えられる自信はない。それに、仲間がいた方が楽しいに決まっている。だから、彼女は彼の隣の席にお尻を下ろす。今後のことを話し合うために。

 彼は、脱げる女性を探すために、混沌の街を見据えていた。しかし、歩の視線はもっと広い。

「ところでオーナー、現物は後で見せるけど……このあたりに怪しげなチラシが配られてたの、知ってる?」

「怪しげ?」

 そう言われても、この近辺は怪しげなことしかない。情報収集に余念はないつもりだったが、それでもやはり見落としはある。

「うん、スポーツジムで水泳の無料個人レッスン、しかも、二十代までの女子限定ー」

「それは……怪しいな」

 怪しい以前に馬鹿馬鹿しい。そんな謳い文句で、釣られる女のコがいるものか? と疑わしくも思っていたものの――

「けどね、受講者からのコメント、って写真入りで。それって、少なくともひとり以上は本当に受けてる人がいるってことでしょ?」

 一日だけ参加してもらい、何気ない雑談の中でふと呟いたことに尾びれ背びれがつけられているくらいならマシな方だ。下手すると、無関係な他人が無断で画像だけ転用されているケースも、この界隈には少なからずある。

 いずれにせよ、怪しいことには違いない。

「けど……何故俺にそのことを?」

 新歌舞伎町で妙なことがあれば、それなりに気にはなる。が、いまの文脈でわざわざ触れることとは思えない。

 これには、歩なりの狙いがあった。ひょいと軽く立ち上がると、くるりと身を翻す。そして、ピッと鼻先に指を突きつけ可愛らしく片目を閉じた。

「困ってる女のコを助けてあげれば……信頼してもらえるんじゃない?」

 裸の歩はその一挙一動が可愛く見える。それを、その胸さえ間近で触れられるところで振る舞われては、男子の鼓動は抑えきれない。

「な、なるほど……」

 それは、舞台が終わってしばらく経ち、熱気が冷めてきているからか――彼の中にも不純な感情が芽生えているようだ。しかし、それを歩は儚くも見逃す。プロデューサーとしての彼を過大に評価して。

 

       ***

 

 そのチラシは、前に歩が彼の店に立ち寄り、その後大学へ向かう途中で拾ったものらしい。両面印刷のそれに目を通した瞬間、彼の不信感は一気に加速する。場所は――品川。ここから車でも三十分以上かかるだろう。そんな場所にわざわざポスティング――もはや、ピンポイントに()()()()()()()を狙っているようにしか思えない。

 確かに、歩が言っていたように参加者のコメントは載っている。『個人レッスンだからこそ、自分に合った練習メニューを組み立ててもらえます。苦手なことを一緒に克服していきましょう。人生、日々特訓です!』……コメント自体はありきたりなものだが、顔写真どころか、練習風景まで載っている。だが、奇妙なことに、指導しているはずのコーチの姿が写っていない。カメラを頼む第三者すらいないのだろうか。

 彼が()()()()()で調べてみたところ――やはり、()。ただし、その内情は直接尋ねてみなくてはわからない。()()()()()()()()に配慮して――歩は、彼にひとつの提案を挙げる。自分を信じてほしい、と力強い眼差しに――彼女を信じる彼には首を横に振ることなどできなかった。

 虎穴に入らずんば虎児を得ず――歩自身がその怪しげな個人レッスンに入会してみること――それが、この場合における最も有効な手段であるは彼も認めている。だが、相手が黒だと確定された上での個人レッスン――トレーナーからどのような行為を受けるか、その危険性は果てしない。

 だとしても――

 

 ネットで予約して、歩は指定の日時に品川のジムへと赴いた。残念ながら、歩に危険な男を見極める目利きは備わっていない。ゆえに、申込時に受けたトレーナーの印象は、誠実で爽やかなオジサン――でも、オーナーは()だってゆってたし――ゆえに、歩が警戒を解くことはなく――かといって、露骨に距離を置くこともない。きっと、アイドルになるためにはこういうところでの演技力も必要になるだろう。歩は、できる限りの自然体で――友人たちには秘密でこっそり水泳の練習をしてカッコ良く泳げるようになりたい――そのために来たのだという設定で振る舞う。

 どうやら、今日――毎週月曜日はジムの休館日だったところを、館長の厚意により個人レッスンのために使わせてもらっているらしい。ゆえに、この建物は実質無人。一応、前の時間の枠で入っている写真の女性がトレーニング中とのことだった。

 個人レッスンだけに、歩がもうひとりと合流することはない。ただ、練習風景だけは二階の観覧席から見せてもらった。遠目であるうえ、水面から出ているのはキャップをかぶった頭だけなると、写真と同一人物かの判断は難しい。ただ、本当に他の遊泳者はおらず、個人レッスン――プールを借り切っていることは間違いないようだ。

「指導しなくていいんです?」

 あまり深入りする質問はしないように、とアドバイスは受けていた。が、受講する側として気にならないはずがない。当然、回答を用意しているだろうと予測して、歩は何気なく尋ねてみた。

「基本的には、体幹のチェックと、練習の録画で見てるんですよ。男とプールでふたりきりってのも居心地悪いでしょう? あ、もちろん、動画は許可なく他の人に見せたりすることはありませんので、そこはご心配なく」

 それはまるで、台本を読むかのようにすんなりと――そう感じたのは、歩がすでに動画の流出を知っているからかもしれない。ただ、さっき体力測定と称して腕の上げ下げや片足立ちをさせられた際に、運動経験をピタリと当てられた。その知識については本物である。それは、今後のダンスレッスンの参考にしようかな、と考えるほどに。ただ、それと背信行為についてはまったくの別問題であるが。

 猜疑心は拭えないまま、歩のレッスンも今日から始まる。まずは水着――当然、練習用の飾り気のないもの――に着替えて、トレーニングルームでストレッチや軽い運動から入るようだ。とはいえ、ここにまだカメラは見えない。そして、トレーナーもいない。男女のふたりきりを懸念するくらいなら、二〇代の女子に限定などしなければいいのに、とも思うが、それこそ触れてはならないことだし、どうせ模範解答を用意していることだろう。

 柔らかなマットの上で、事前に渡されていたメニューのとおりに上体を曲げたり足を開いたりしていたが――座ったまま冊子の八ページ目をめくったところで歩の手がぎくりと止まる。

「次に……服を脱いでください……?」

 一応、水着のままだと本来の筋肉が云々、とそれっぽいことは書いてある。だが、こんなことをやらせるのなら、予め説明があるはずだ。聞かれなかったから教えなかった、と言い訳するかもしれないけれど。何しろ、ここには他に誰もいない。更衣室と同じといわれれば同じともいえる。だが、歩には事前に調べてもらった予備知識があった。この部屋にも確実に隠しカメラが仕込まれていることだろう。

 だが、それを承知で――ッ!

 いずれは、たくさんの人前で裸にならなくてはならないのだ。撮られたデータがすぐに拡散されることもないだろう。いや、仮に拡散されたとしても――それは、これから目指す世界を考えれば――ッ!

 全身を締めつける水着の肩紐を、あえて隠しカメラのことは意識していないよう――床に広げたマニュアルを凝視しながら、歩は肘へと下ろしていく。裏地に張り付いたパットは、柔らかなふたつの膨らみからポロリと剥がれた。誰もいないとはいえ、ここはトレーニングルーム――それなりの広さはあり、このマットゾーンの外には、運動機材が並んでいる。そんな場所で、少し汗ばんだ水着を下ろしてゆき――その両手がお尻の下をくぐったとき、歩は自覚した。きっと、護ってくれる人がいてくれているということもあるけれど――私、この状況を楽しんでる――?

 指示内容は、マットに引かれた緑色の線に足を合わせて、膝を伸ばしたまま前屈――ならば、カメラはそのお尻の先――あのベンチプレスの柱のどこかに仕込まれているはずだ。それを知りつつ、むしろ、ステージの上で観客に魅せつけるように――ッ!

「……あ、はぁ……♪」

 あぁ……何て開放感……それに、こんなの……すごく、エッチ……ッ!

 正直なところ、彼以外の相手に魅せても大丈夫かという不安はあった。自分のプロポーションにそこまでの自信があるわけでもない。しかし、ステージ上で感じた高揚感が、このトレーニングルームでもこみ上げてくる。

 試しに……唄ってみようかな。

「……~~~~♪」

 ああ、やっぱり――と歩は確信する。裸であればそこがどこであれ、気持ちよく唄うことができるらしい。

「~~~~っ♪」

 キュッキュとマットに裸足を響かせ、トレーニングのことも忘れて歩は踊る。

 それどころか。

「~~~~っ♪」

 マットから飛び出し――もはや、そこにカメラがあることを前提として――むしろ、カメラマンと向き合うように――歩は、ベンチプレスに向けて身体を突きつける。

「~~~~っ♪」

 今度は、台座に寝転び大胆に脚を上げ、さらには――男の人って、こういうの好きなんでしょ? と言わんばかりのV字開脚。

 ころりと身を捩って床に下りると、使い方のよくわからない座席の付いたマシンに寄り添い、まるで誰かと抱き合うように。もし今後、メンバーに加わってくれるコが現れたら、こういう振り付けもできると思うと、いまからドキドキしてくる。

「~~~~っ♪」

 大丈夫、きっとオーナーなら、そんな誰かを見つけてくれるはずだ。こうして、私を見つけてくれたように――

 

 ガチャリ。

 

 扉が開く音に、歩は一転して我に返る。誰!? 真っ先に思い浮かぶのは、あのトレーナー……ッ! まさか、私が誘惑するようなことしてたから、調子に乗って……ッ!?

 自衛を考えれば、真っ先に水着を取りに行くべきなのかもしれない。だが、恐怖に身が縮こまり、歩は機器の裏側にしゃがみ込む。己の身体をなけなしの抵抗で守るために。

 しかし。

「蒼泉、俺だ! もう……すべて済んだよ」

 聞き慣れた声に、歩は四肢をグニャリと弛緩させる。緊張した分、その反動で力が抜けた。いまなら、安心感に任せてこの身を委ねても――とも思うが、そうしないのがオーナーのいいところでもあるのだろう。

 

 この手のことは、現場を押さえるのが手っ取り早い――ジムの責任者には事前に話をつけていた。盗撮モノのAV――その舞台となっていたのは、間違いなくこのプールであると。

 一昔前であれば、無断でポルノに使われれば問答無用で裁判沙汰になったはずだ。とはいえ、近年は女子学生すらバイト感覚で撮影に臨む時代である。名誉の毀損で訴えるにもやや弱い。

 それに――撮られた女のコは、映像を流されていることを知らない可能性もある。もしそうならば、本人は何も知らないままに解決した方がいいかもしれない。

 様々な配慮の結果、彼は機材室の鍵を借りていた。トレーナーは館内のあらゆるところに潜ませた隠しカメラの映像を確認しながらズームの調整を――今日に限っては、プールとトレーニングルームの二箇所に亘っていたため、周囲への警戒が疎かになっていたのだろう。扉の施錠を解かれ、背後に忍び寄っていた部外者にまったく気づくことはなかった。そして、その場で押さえられたのである。

 盗撮犯はすでに警察に引き渡し済み。少なくとも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだから。

 もし、いまも裸で水泳に励んでいる例の女性が合意の上でAVに出演していたとしたら――トレーナーの容疑は歩に対する無断盗撮だけとなる。一世代前の自撮りに対する行き過ぎた取り締まりを経て、いまでは個人で楽しむだけなら本人――歩が訴えない限り起訴されることはない。が、歩は公開を許可していないため、誤って流出させれば即座に賠償請求モノとなる。そのような危険物は、取り調べが終わり次第すぐさま削除されることになるはずだ。

 そして、歩がこの変態トレーナーを訴えるかどうかは――()()()次第と考えている。そして、オーナーの想いを伝えるかどうかも。

 彼がこの騒動の中で確認したものは、あくまでも隠し撮りされた映像である。本来、マジマジと見るべきではない。

 だが――トレーナーを警察に突き出した罪状は、あくまで()()()()()()()()()であって、もうひとりについては干渉していない。むしろ、同意が取れていれば、そちらについては合法なのだから。ゆえに、そちらについては警察も関知せず、そのまま残されていた。

 録画を止めるべきか、ふと画面に映る彼女を見たとき――彼は手を止めてしまった。もう少しいえば、()()()()()()

 ひとつのカメラは水中のもの。白い素肌のまま、水の中でふわふわと漂っている。巨大な水槽に裸の女性――それは幻想的でもあり、どこか科学的な実験のような不気味さも孕んでいた。

 一方、もうひとつ――ちょうど泳ぎきって、壁に手をついたところだったらしい。水面から顔を覗かせている彼女に――確かに、彼は感じた。もしかすると、彼女は思っていたより良いタイムが出たのかもしれない。だが、その枠を超えた何か――カラオケルームでひとり踊っていた歩と同じ<光り輝く何か>を。

 しかし、先ずは事態の収拾が先決である。ここから先は同じ女性である歩に任せた方が良い。ただ、その際に、同じステージに立てそうか――可能であればその話にも触れてほしいと頼んでいた。

 とはいえ、あくまで可能であれば、である。その前に、どうやって状況を説明したものか――それが、差し当たっての歩の課題。裸同士の方が安心してもらえるかもしれない、とも考えたが、引かれても困る。結局きちんと水着は直したうえで、歩は大きなタオルを持って被害者を迎えに行った。

 シャワー室のわきを抜ければ、プールはすぐそこである。泳いでいれば、バシャバシャと飛沫の音くらい聞こえるかとも思ったが、さすがにこの広い空間にひとりだけでは響くほどでもないらしい。悪質なトレーナーはすでに退場しており、中には裸で泳ぐ女性しかいないはずだ。なので、歩は気兼ねなくそこへと足を運ぶ。

 しかし。

 どうやら、ちょうど練習を切り上げたところだったようだ。泳いでいる最中はかぶっていたキャップも外しており、短く切り揃えられた髪からはポタポタと雫が落ちている。その様子はまるで風呂上がり。見ようによっては、背後の二十五メートル長の水槽も大浴場さながらである。だとしても、ここは女しかいない女湯も同然。出入りの際に他人とすれ違うこともあるだろう。

 にも関わらず。

「きゃあああああああッ!?」

 悲痛な金切り声が響き渡った。これには、むしろ歩の方が怯まされる。

「ま、ま、待ってください! 私、女ですからッ!」

 この水着を見れば、性別を間違えることなどありえない。なのに、相手は膝を抱えてしゃがみこんでしまった。

「いけません、いけません! こんな……こんな……はしたないところ……ッ!」

 これにはどうしていいか、歩にもわからない。まさか、同性からこんな反応を受けるとは。

 なので、とりあえず黙って肩にタオルをかけてみた。

「あ、ありがとうございます……」

 こんな恥ずかしがり屋では、少なくとも自分と一緒に壇上で裸になることなどできっこない。オーナーの目利きも完璧じゃないんだな、と歩は少し残念に思った。

 何より、このような人がビデオの販売を許可するはずがない。これは、徹底的に訴えてやるべきか。そう考えていたところで――

「蒼泉、大丈夫か!?」

「あ、オーナー」

 歩が振り向くと、彼はホールの入口で固まっていた。ここは男子禁制――とまでは言えない。が、女のコが裸に剥かれていると知っている以上、男として彼にも駆け込むことに一定の躊躇はあった。

 しかし、この状況に彼の頭は混乱をきたす。

「……な、何をやってるんだ?」

「え、何って――」

 助けに来た女性が突然蹲ってしまって――そう言いかけて、歩もまた喉を詰まらせる。

「驚かせてしまってすいません。でも、これは個人レッスンのはずでは……」

 どうやら、タオルを受け取ったことで立ち上がることもできるようになったらしい。が、その声色がモゴモゴとくぐもっているのは、その女性の頭部がしっかりと生地に包まれていることによる。しかし、身体には何もない。強いていうならば、ロッカーの鍵バンドだけは左手首に巻いている。しかし、細身の身体には何ひとつない。歩と比べてしまうと、もうひとりの胸は少し控えめに見える。しかし、その自己主張の穏やかさは、歩とは異なる美しさがあった。それに、毛の集まりがしっとりと肌に張り付いている様は、まさに彫像のようでもある。

 どうやら、日頃から身体を鍛えているらしい。お腹も、腕も、足もしっかりと引き締まっている。それらを惜しげもなく――歩たちは普通に会話をしていたので、男の誰かが目の前にいることも理解しているだろう。視界を覆ってしまっているので、見えてはいないが。

 そして、どうやら自分の姿も忘れていたらしい。

「あ、私としたことが、お見苦しい姿をお見せしてしまい申し訳ありません!」

 胸と股を手で隠しながら、深々とふたりに向けて頭を下げる。その冷静さは、叫び声を上げて蹲ってしまった女性と同一人物とは思えない。

 呆気にとられて、歩はつい零してしまう。

「あ、あのー……見えてますけど……」

 それを聞いて、女性はハッと両手をタオルの上から頬に当てる。再び顕になる美しい身体。それで、本人も己の奇行に気づいたらしい。

「あれ? 私……あれ……?」

 とはいえ、未だ自分でも頭の中を整理できていないようだ。

 本人さえ気づいていなかった本質を見抜いていたなんて――ひょっとして、オーナーの目利きってすごいのかも? 歩は、改めて彼を見直しつつあった。

 

       ***

 

 実家で登録した彼のアカウントは、いまでも生きている。それを使えば、画像からアダルトビデオを照合することはそう難しいことではない。『実録! 不法侵入痴女の全裸トレーニング』――ジムの休館日の個人利用は、紛れもなくトレーナー主導である。事前にこのビデオが発見されたことにより、彼はトレーナーを黒と断定。それを承知で、歩は証拠を掴むために身体を張ったのである。最初は彼女もそのつもりだったのだが――途中から、テンションのままに自分から踊り始めてしまったことなど言えようもない。

 ともあれ、これから三人で警察に事の顛末を説明しに行く必要がある。が、その認識は合わせておかなくてはならない。

「まあっ、私の動画を販売……? 何故……?」

 被害者の名前は 園内(そのうち) 晴恵(はるえ)。このジムで監視員のアルバイトをしていたらしい。ただ、この仕事を選んだことにはとても重要な理由があった。

「私は、そのー……いつかは、大会にも出てみたくて」

 晴恵が競泳大会に出られないのは、泳力の問題ではない。

「ですが……こんな身体を人様に見られるのには、どうしても……」

 ここは、ジムのエントランスロビー。歩たちからまじまじと見られて、晴恵はおずおずと身体を抱える。あの後、当然すぐに服は着ることになったわけだが、そのセンスにふたりはギョっとした。それは、センス以前の問題ともいえる。そもそも、サイズが合っているとは思えない。だぶだぶのカーテンを身にまとっているというべきか、布の塊を全身に垂らしているというべきか。確かに、これなら身体の線はわからない。が、ここまで隠さなくては落ち着かないというのも異様である。

 その自覚は本人にもあったようだ。水着さえ恥じらっているようでは、競泳大会に出場することも叶わない。そこで、たまたま館に流れ着いたトレーナーに相談したところ――その毒牙にかけられたのである。

 晴恵は、ひたすらに素直だった。撮影した動画がどのように扱われているかどころか、隠しカメラの存在さえ疑わず――恥ずかしさを克服するには全裸に慣れるのが一番、言われれば躊躇なく裸になった。晴恵の脱ぎっぷりに浮かれたトレーナーは、もっと過激な撮影を求めて――性風俗の盛んな街で募集をかければ性に積極的な女性が集まるのではないか――なんとも安直な発想である。

 しかし、今日の一件により、晴恵の中で一筋の光明が見出されたようだ。

「さっき更衣室でもお願いしたのですが……私……顔を隠せば恥ずかしくないようですッ!」

「そーみたいですねー……」

 見られる相手の性別は問わない。当然、温泉や銭湯にも入れない。だが――プールサイドで渡されたタオルを、晴恵は無意識に頭に巻いていた。ただ、恥ずかしさから逃れたいという一心で。それは、言われるまで自分の身体が素っ裸であると忘れさせるほどだった。

 しかし、それを一度解いてしまえば、その場で立っていることさえできない。だとしても、晴恵にとっては偉大なる第一歩だったといえる。

「ですので、賠償などは構いませんから、何卒私にこのトレーニングの続きをッ!」

「と、言われましても……」

 事実と異なるパッケージで売られているため、動画データは削除させて、販売は停止させるべき――当然、売上金も国庫に没収――このあたりまでは合意に漕ぎ着けた。しかし、賠償金については意見がまとまらない。

 私の身体ごときでお金をいただくなど恐れ多い、と晴恵は言う。だが、少なからず痛い目を――相場通りの懲罰は与えておかねば、懲りずに繰り返すかもしれない。彼にも確証はないが――撮影動画を見た限り、カメラはかなり高性能なものだった。それを複数――そのうえ、今日は歩と同時に盗撮していたのである。決して行き当たりばったりな成り行きではなく、年季と筋金の入った――もしかすると、バックに良からぬ組織の影もあるかもしれない。

 だからこそ、徹底的に取り調べるべきだろうが――それは、 警察(プロ)に任せるべきなのだろう。彼がそう提言すると、賠償金の代わりにこのジムでのトレーニングを続けさせていただけないか、と彼女は願い出たのである。

「タオルを顔に巻いてお話していたとき、私の中で何かが変わっていくのを感じたのです。その感覚を忘れたくなくてッ!」

 ラバーマスクに水着であっても、かなり厳しいものがある。にも関わらず、全裸で泳がせて欲しいというのだから、たとえ金を積まれても、ジム側が了承するはずがない。

「水着とマスクということでしたら、交渉だけはしてみますが……」

 彼にとっては精一杯の譲歩。しかし、それは晴恵を曇らせる。

「……ですよね。私の裸なんて、人様にお見せして良いものではありませんし……」

「そんなことはないのですが……」

 ビデオに撮られていたトレーニングの内容の中には、歩が渡された初回用メニューには載せられないような――摘んだり、指で開いたり、道具を使って挿れたり抜いたり――もはやトレーニングとは呼べないメニューも多数含まれていた。だが、晴恵はそんな羞恥プレイに疑いもなく従う感性の持ち主である。どこか普通の人とずれているのは否めない。

 このとき彼は、この事件の着地点のことばかり考えていた。むしろ、当初の目的を覚えていたのはむしろ歩の方。困っている女のコに手を差し伸べて、信頼を得るという目的を。

「ところで晴恵さん、練習って速く泳げるようになりたい、とかじゃあないんですよね」

「はい、そもそもその入口で止まってしまっているので……。そこを乗り越えられれば、自分に合った大会にエントリーできるのですが」

「それなら……」

 歩からチラリと視線を送られて、彼もまた己の本分を思い出した。

 そして――隠しカメラに写っていた、晴恵が魅せた輝きも。

 

        ***

 

 こうして、園内晴恵は彼のことを新たな『コーチ』として仰ぐことになった。一応、アイドルを目指していることは説明している。が、それをどこまで理解しているのかはよくわからない。少なくとも、彼女が見据えている先は、歩とは異なる。それでも彼が晴恵を受け入れたのは――一片の輝きを信じてみたかったからに他ならない。

「~~~~♪」

 歩と同じ輝きを魅せていたのだから、きっと同等のスキルを保有しているのでは、と期待していた。が、残念ながらそのようなことはないらしい。一方、元々体力はあるようで、厚ぼったいクマの着ぐるみ――頭だけは取っているが――それでも五キロの重量を有し、全身の動きはかなり制限される。それを晴恵は軽々と着こなし、簡易ではあるがダンスもこなしていた。しかし。

「~~~~♪」

 歌の方は、今後もボイストレーニングを継続していく必要があるだろう。それでも彼は、彼が見た輝きを信じていた。それを舞台の上で、もっと多くの人に見てもらいたいとも。そのために課せられたトレーニングを、晴恵は今日も続けている。同伴していた歩は、着ぐるみのまま一曲こなしてしまった晴恵に驚嘆を禁じえない。そんな歩に、晴恵は楽しげな笑みを向けた。

「如何でしたでしょうッ!?」

 カラオケ店の最上階――ここのオーナーは、クローズ処理のために席を外している。とはいえ、手が空いていたとしても入室を拒んでいたに違いない。何故なら、これから――晴恵にとって、最も過酷な特訓が始まるのだから。

「うん、可愛かったよー。それに……本当にすごいよね。私、そんな重いもの着てそんなに踊れる自信ない……」

「それは、日々の特訓の成果ですッ!」

 どうやら、水泳に限らず常に身体は鍛えているらしい。

「それにしても……このような服もあるのですね。コーチのもとに来てから、新しい発見の連続ですッ!」

「服じゃなくて着ぐるみなんだけど……」

 聞けば、晴恵はとあるベンチャー企業の社長の娘らしい。とはいえ、家業を継ぐよう求められることもなく、両親は事業にかかりきりで、晴恵は仕送りを受けながら独自にアルバイトを渡り歩いてきたようだ。ぱっちりとした可愛らしい瞳から、少し幼い印象を受けていたが――意外なことに、彼らよりも歳上の二十六。浮世離れした雰囲気が、年若く感じさせていたのかもしれない。

 ジムでのバイトは、開場前にひとりで泳げることを期待して――それと、監視中は水着の上には何を着ていてもいい、ということだったので応募したらしい。まさか、あんなモコモコを着てプールサイドに出るとは思われていなかったようだが。

 しかし、このような騒動を起こしてしまったため事実上のクビとなり――いまでは彼のカラオケ店で働きながら、アイドルとしてのレッスンに励んでいる。

 普段は歌や踊りの地道な積み重ねだが、今日は歩が来ることもあり、晴恵本来の目標に向けた特訓につき合ってもらっている。

「それでは……お願いします……ッ」

「うん、頑張ってね」

 これまで客席で晴恵を観劇していた歩は壇に上り、背後に回って長いファスナーを切り開いていく。その隙間から覗くのは白い肌。ふるふると全身が強張っているのが伝わってくる。が、女同士ということもあり――歩は遠慮なくお尻のあたりまで下げさせてもらった。

 元々重量のあるクマの着ぐるみはボロリと床へ崩れ落ちる。中から出てきたのは生身の晴恵。きゅっと引き締まったお尻は歩から見ても羨ましく思える。

 これまでの特訓のおかげで、背中を見せることならできるようになっていた。しかし、それで満足する晴恵ではない。

 ゆえに、歩は声をかける。

「じゃあ……こっち向いてみようか」

「はい……ッ!」

 それは、錆びついたロボットのように。ギチギチと着ぐるみから右足を抜くと、ズシっと裸足でステージの床を踏みしめる。そして、左足も。ガチッ、ガチッと音がなりそうな雰囲気をまとわせつつ、晴恵は少しずつ身体の向きを変えていく。そして――

 その身体は、歩から見ても綺麗なものだった。これまで鍛えてきただけあって、余分な脂肪は一切見られない。胸もスッキリしていてかっこいいし、下の毛も――これで、手を入れていないという。さっぱりしていて、むしろ羨ましいほどだ。

 ステージでみんなに披露しても恥ずかしくない身体――けれど、本人は恥ずかしいという。ならば、他人がとやかく言うべきではない。

 晴恵の頑張り屋なところは歩も触発されて、レッスンの頻度も増えている。できれば、このまま一緒にアイドルを目指していきたいが――晴恵が目的に達したとき、ここを去ってしまうのだろうか。

 そんな不安は拭えない。とはいえ、いずれにせよ、それはしばらく先のことになりそうだ。

「む、む……無理ですぅ~……」

 必死で踏ん張っていた膝が折れ、晴恵はぐにゃりと床へ崩れ落ちた。それは、中身を抜き取られた着ぐるみのように。

「うーん、でも、少し長く耐えられるようになったかも? はい、マスク」

 銀行強盗のような黒の目抜きは可愛くないので、パーティグッズとして買ってきたウサギのもの――愛用のマスクを受け取ると、晴恵は膝を折りたたんだままよいしょ、よいしょとかぶっていく。それが顎まで到達したとき、晴恵は息を吹き返した。

「す、すいません……。しかし、次こそは……人生、日々特訓、ですッ!」

 それまでぐんにゃりしていたのが嘘のように、軽やかな身のこなしで晴恵は起き上がる。素っ裸であることには違いないのに、こんなに変わるのは驚きだ。

 そして、歩は時計を見る。

「あ、そろそろオーナーも上がってくる時間だから……今度は私の練習につき合ってくれる?」

「はい、もちろんですッ!」

 着衣の歩は、全裸の晴恵と共に一つ下の階の更衣室へ。今日は、水着の衣装での合わせに挑戦してみるつもりだ。通常の衣装は、歩にとってまだまだ敷居が高い。ゆえに、先ずは水着から。それでも、歩の喉が縮こまってしまう。

 けれど、晴恵さんだって少しずつ成長しているのだから、私も――

「……ふふ」

「? どうしました、歩さん」

「ううん、これからもよろしくね、晴恵さん」

「はいッ! よろしくお願いしますッ!」

 歩は、服を着てても唄えるようになった自分を思い描いた。それで、信じられたのである。晴恵は自分の目的――人前で素顔のまま裸になれるようになっても、きっとここで一緒に唄い続けてくれると。

 

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