僕がライブハウスCiRCLEでバイトを始めて早くも一年以上経過した。
約一年前、大学生になると同時に東京での一人暮らしを始めた僕はまず最初にアルバイトを探すことから始めた。仕送りが最低限しかなかったので、ちゃんとした生活をするにはアルバイトをするしかなかったからだ。
そんな時に見つけたのがCiRCLEのアルバイト募集だった。
とりあえず何でもいいからアルバイトをしてお金を稼ごうと思っていた僕は、時給が高いこともあってすぐにアルバイトを申し込んだ。
だけど仕事量が想像の倍多かったり、周りが女性しかいないということもあって始めてしばらくはかなり苦労したものだ。前に一回だけ本当にやめようかと思ったこともあったし、姉妹喧嘩の仲介役とかバンド解散の危機を避けるために苦労したこともあったけど、月島さんやここをよく利用してくれる子たちに助けられたおかげで今でもここで働き続けることができているのだ。
だから朝早くからCiRCLEの買い出しに行っている僕の前で、いつも笑顔でみんなのことを考えられる優しい知り合いの女の子が明らかに落ち込んでるのを見て僕が声をかけるのは当たり前のことなのだ。
「おはよう、紗綾ちゃん」
「…スタッフさん?おはようございます、どうしたんですか?」
「紗綾ちゃんが落ち込んでるように見えたから。勘違いだったら申し訳ないんだけど何かあったのかな?僕なんかでよければ話聞くけど…」
「あはは…私そんなに顔に出てましたか?」
「僕でもすぐにわかるくらい顔に出てたよ。それで、やっぱりなにかあったの?無理に話せとは言わないけど誰かに話すだけで楽になることもあると思うし、話してくれると嬉しいな」
少し強引すぎだと思われるかもしれないけど、紗綾ちゃんは昔ほどではないけど自分の中にため込んでしまう癖があるからこれくらい言わないと話してくれないのだ。
「そうですね…じゃあお言葉に甘えて相談に乗ってもらってもいいですか?」
そう言って紗綾ちゃんは話しはじめてくれた。
話を聞くと、昨日おうちのパン屋さんで大きな失敗をしてしまい、それでお客さんにもかなり怒られてしまったらしい。紗綾ちゃんのお母さんは気にしないでと言っているが本人はお店の評判を下げてしまったとかなり落ち込んでいる様子だ。
人一倍責任感が強く、家族を大事に思ってる紗綾ちゃんらしい悩みだ。
「…紗綾ちゃん、今日ってこの後時間ある?」
「はい、今日は家の手伝いも練習もないので時間はありますけど……」
「じゃあ今から一緒に遊びに行こうか!」
「え?」
「それと今日は僕が紗綾ちゃんのお兄ちゃんになるからね!たくさん甘えていいよ!」
「ええ!?」
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あの後僕は紗綾ちゃんと遊びに行くから買い出しから帰れなくなったことを正直に月島さんに電話で伝え(絶対後で怒られる)父から譲ってもらった車で紗綾ちゃんと遊びに出かけた。
今日は徹底的に紗綾ちゃんを甘やかそうと決めた僕は僕のおごりで紗綾ちゃんの行きたいところに連れて行った。おいしいものを食べに行ったりカラオケに行ったりヘアアクセサリーを買いに行ったりと、それはもう休日を満喫した。紗綾ちゃんが行きたいところにはあらかた行ったとので、帰る前に僕の提案で温泉に行くことになった。
「いやー、遊びまわった後に入る温泉は最高だね」
温泉をあがったあと、紗綾ちゃんと施設にあるソファーに座り、買ったフルーツ牛乳を飲みながら僕はそうつぶやいた。休日とはいえ、午後三時前後の時間帯だとあまり利用客もいないので広々と気持ちよく温泉に入ることができた。
「あの、今日はありがとうございました。いろんなところに連れて行ってくれた上に全部おごってもらっちゃって」
「全然大丈夫だよ、紗綾ちゃんと遊びに行けて楽しかったし。でも紗綾ちゃんと一日中遊んでたってことが有咲ちゃんとかに知られたら怒られそうだなぁ」
有咲ちゃんのことだから『さーやとデートした!?休日に一日中!!?二十歳になったいい大人が高校生とデートとか変態かよ!』くらいは言ってきそうだ。その毒舌も紗綾ちゃんを取られた嫉妬と思えばかわいく見えてくるんだけどね。
「あはは…どちらかと言えば私のほうが有咲に怒られそうですけどね」
「紗綾ちゃんが?…どうして?」
「女の子にはいろいろあるんですよ」
どうやら女の子にはいろいろあるらしい。はたして僕が女の子を理解できる日は来るのだろうか。
「それで、紗綾ちゃんの方は楽しかった?」
「はい、すごい楽しかったです。こんなにゆっくりと過ごせた日なんて久しぶりだと思います。その、今更なんですけどなんで今日は私を遊びに誘ってくれたんですか?」
「…紗綾ちゃんはさ、もっと肩の力を抜くべきだと思うんだよね」
「肩の力を抜く?」
「うん。紗綾ちゃんはいつも誰かのために動いてるよね?バンド内ではみんなのまとめ役をして、家では家のお手伝いをしながら下の子たちの面倒も見てる。もちろん紗綾ちゃんがそれをやりたくてやってることは知ってるし、それを苦に思ってないこともわかってるよ。でもどれだけ苦に思ってなくても疲れってのはたまるものなんだよ」
むしろ苦に思ってない方が自分が疲れてることに気づきにくいため尚更質が悪い。
紗綾ちゃんは一年前に比べたらわがままも言うようになったし、自分のために行動するようになったけど、僕から見たらまだ足りない。もっと甘えてほしいって思っちゃうんだ。
「…だから今日私の行きたいところばかりに連れて行ってくれたんですか?」
「そうだよ。だから今日はいつも頑張ってる紗綾ちゃんをめいっぱい甘やかそうって決めたんだ。もしほかにやりたいことがあったら何でも言ってね?最初に言ったけど、今日は僕が紗綾ちゃんのお兄ちゃんだからね!」
僕がそう言うと紗綾ちゃんは黙り込んでしまった。
……冷静になってみると大学生が女子高校生にお兄ちゃん宣言をしているのはかなりやばいのでは?と感じてきた。どうしよう、紗綾ちゃんに気持ち悪いって思われてないかな?しかもこんなことが他の子たちにばれたらマズイ。特に紗夜ちゃんや千聖ちゃん達にばれたらマズいなんてもんじゃない。普通に社会的に抹殺されそうだ。
僕がこれから起こりうる未来を想像して冷や汗を流していると、紗綾ちゃんがいきなり横に倒れて僕の膝の上に頭をのせてきた。
「……撫でてください」
「え?」
「頭をなでてほしいです。…今日はスタッフさんが私のお兄ちゃんなんですよね?」
ちょっと顔を赤くしながら上目遣いでそう言ってくる紗綾ちゃんに一瞬だけぽかんとしたが、僕は紗綾ちゃんが甘えてきてくれたことが嬉しくて、すぐに紗綾ちゃんの頭をゆっくりと撫で始めた。
「紗綾ちゃんの髪、スゴイさらさらだね」
「そうですか?あまり意識したことなかったです。それとスタッフさんの撫で方も上手ですよ。気持ちいいです」
「そうかな?誰かの頭を撫でたことなんて今までなかったけど、上手くできてるなら嬉しいな」
そんな他愛のない会話を続けていると、しばらくして紗綾ちゃんから規則正しいリズムの寝息が聞こえてきた。
「いつもお疲れ様。おやすみ、紗綾ちゃん」
僕は紗綾ちゃんの髪を紗綾ちゃんが起きるまでずっと撫で続けた。
*******
初めて会った印象は少し頼りなさそうだな、なんて思ったりした。
今まで楽器に触れたことなんて学校の授業を除いたら一回も無いと聞いた時はなんでここのアルバイトをしてるんだろうなんて思ったりもした。だけど頑張って仕事に取り組む姿勢を見て、そんな思いはいつの間にか消えていた。
話は変わるがあの人は女の子にすごくモテる。ポピパだと有咲に香澄、他のバンドでも好意を持っている人はたくさんいるらしい。本人は今まで女性と付き合ったことはないし全然モテないよ、と言っていたがどれだけ鈍感なのだろうか。
...香澄にあれだけあからさまな好意をぶつけられておいて、僕のことを慕ってくれて嬉しい、なんていうくらいだから相当なものだろう。
かくいう私もみんなのために頑張る姿を見てかっこいいな、と思ったことが無いと言えば嘘になる。それでも香澄達ほど好意があるかと言われれば首を縦に振ることはできない。その程度の気持ちだった。
でもこの前遊びに連れて行ってもらった時、1日一緒にいてすごい楽しかった。無邪気に笑う横顔や下心のない優しさに触れるたびに私の中にあった小さなナニかがどんどん大きくなっていくのを感じた。
それなのにあの人は私のことを女としてみてないどころか、妹として扱う始末。たしかに甘えるという点では都合のいいポジションかもしれないが、そうじゃないのだ。
だけど私はこの気持ちに気づくのが遅れた分周りと遅れをとっている。距離を詰めるにはこのポジションが最適なのだ。それに妹として甘やかされるのがこんなに良いものだなんて思わなかった。まるで麻薬のような中毒性だ。女として見て欲しいのに妹として扱われることを悪くないと思ってるなんて矛盾してると思われるかもしれないが、恋心というのは理屈ではないのだ。
しばらくは女としては見てもらえないかもしれないが、それはもっと距離を詰めた後でいい。最終的に女として見てもらえればそれでいい。
だからーーーーーーーーーーーー
「あっ、お兄ちゃん!」
「「「「お兄ちゃん!!?」」」」
「ちょっ、紗綾ちゃん!?」
しばらくは
紗綾にお兄ちゃんと呼ばれたい人生だった
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